弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

過労死-理不尽な叱責をする大口取引先社長と付き合うのは、気に入られていたとしても緊張する

1.脳・心臓疾患の労災認定基準

 基発第1063号 平成13年12月12日 改正基発0507第3号 平成22年5月7日「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」という文書があります。俗に、脳・心臓疾患の労災認定基準と言われているものです。

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/040325-11.html

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-11a.pdf

 この文書には、どのような場合に、どのような脳・心臓疾患が発症したら、それが業務に起因していると認められるのかが書かれています。

 文書上、対象疾患(労災の対象になる脳・心臓疾患)の発症に業務起因性(労災)が認められる場合の一つとして、

「発症前の長期間にわたって、著しい疲労の蓄積をもたらす特に過重な業務(以下『長期間の過重業務』という。)に就労したこと。」

という類型があります。

 『長期間の過重業務』類型に該当するか否かは、労働時間と負荷要因を総合して判断されます。

 脳・心臓疾患の労災認定基準において、労働時間は疲労の蓄積をもたらす最も重要な要因と考えられており、

「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること」

とされています。

 また、負荷要因には様々なものがありますが、その中に、

「精神的緊張を伴う業務」

というものがあります。

 この負荷要因は、労災の認定にあたり

「検討し、評価すること」

とはされているものの、

「精神的緊張と脳・心臓疾患の発症との関連性については、医学的に十分な解明がなされていないこと、精神的緊張は業務以外にも多く存在すること等から、精神的緊張の程度が特に著しいと認められるものについて評価すること。」

との留保が付けられている扱いの難しい考慮要素です。

 近時公刊された判例集に、『長時間の過重業務』類型に該当するための労働時間を若干満たさないものの、負荷要因としての「精神的緊張を伴う業務」の存在を認め、心室細動を原因とする急性心不全による死亡を労災だと認定した裁判例が掲載されていました(福岡地判令元.6.14労働経済判例速報2391-4宇和島労基署長事件)。

 負荷要因としての「精神的緊張を伴う業務」というものが一体何なのかを推知する手掛かりとして参考になる裁判例だといえます。

2.宇和島労基署長事件

 この事件で原告になったのは、株式会社Bに入社して養殖業者に対する魚薬等の営業販売をしていた方(亡A)の妻です。

 亡Aは出勤後の営業車内において意識不明の状態になり、宇和島市立K病院に救急搬送されましたが、心室細動を理由とする急性心不全により死亡しました。

 これに対し、遺族補償給付等を求めて労災認定を申請したものの、宇和島労働基準監督署長から不支給とする決定を受けたため、これを取消すべきであるとして原告が国を訴えたのが本件です。

 裁判所は次のように述べて、原告の請求を認容し、不支給処分を取り消しました。

(裁判所の判断)

「亡Aの時間外労働時間数は別紙3のとおりと認められ、これによれば、発症前1か月間が71時間33分、発症前2か月間が36時間27分、発症前3か月間が63時間57分、発症前4か月間が77時間12分、発症前5か月間が105時間20分、発症前6か月間が67時間であり、月平均70時間15分であったと認められる。
亡Aの営業成績は、比較的良好なものであったが、その大部分をCからの売上に依存しており、それはCのD社長からの信頼を得て売上を伸ばしてきたものであった。その反面、D社長からの信頼を損なうことになれば、自らの営業成績ばかりか本件営業所の売上にも大きな影響を与えかねない状況にもあったものでもある。
「すなわち、亡Aは、1日2回程度の割合でCを訪問し、D社長の求めに応じて、魚薬に関する情報提供や投薬指導のみならず、競合業者における出荷状況等に関する情報提供、養殖魚の管理及びこれらに関する従業員の指導など、Cの業務全般に対するサポートを行っていた。他方、D社長は、むら気が多く、取引業者や従業員等に対して理不尽とも思えるような叱責をしたり、出入り禁止を告げて取引量を大幅に減らすようなことがあり、亡Aもそのような場面を目の当たりにしていたのである。
「確かに、亡Aは、D社長から理不尽な叱責を受けていたような事情まではうかがわれないし、むしろ、気に入られて業務を依頼されていたものと見受けられ、亡AもD社長のことが好きであるといった発言をしていたようである。」
「しかし、そのような状況は、亡Aの日頃の営業努力の成果等に依るものであり、実際には、恒常的に、D社長の要求に応え、その信頼を損ねないように努めて行動しなければならなかったものと考えられるのである。加えて、平成25年7月初めにM担当者が出入り禁止を言い渡された以降、亡AのCに対する魚薬の販売量が増加して投薬指導などの負担が増加するとともに、M担当者からの助力も期待できない状態となる一方、D社長から営業員の増員を求められたにもかかわらず、E所長は、亡Aに対し、営業員増員ができないのでCの訪問回数を減らしてよいなどと指示しているが、Cから多くの営業成績を上げている亡Aが、その訪問回数を減らすなどということはおよそ考え難いことであったというべきであり、これらの状況からすれば、亡Aの精神的緊張は、例年に比して、相当大きくなっていたものと認められるのである。
「以上によれば、亡Aの発症前6か月間の業務は、例年と異なり繁忙期を過ぎても70時間前後の長時間の時間外労働が認められるものであるところ、認定基準にいう発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合には当たらないものの、相当な長時間労働が継続していたというべきであり、さらには、死亡直前の平成▲年▲月▲日及び▲日に厳しい作業環境での消毒業務を行ったことを併せ考慮すると、業務と発症とは相当程度の関連性があるものというべきである。
これに加えて、その時期の亡Aの業務内容は、例年と比較しても、重要な取引先に対する精神的緊張の相当大きいものであったと認められ、亡Aは、肉体的・精神的負荷の大きい業務を長期間にわたり継続していたものであるから、亡Aの業務は心臓疾患を発症するような過重性があったものというべきである。

3.理不尽な叱責をする大口取引先と付き合うのは、気に入られていたとしても緊張する

 自分がターゲットにならなかったとしても、理不尽なことで叱責されている人を目の当たりにすると、明日は我が身かという思いから、精神的な緊張を伴うことは察するに難くありません。

 本件は勤務先が営業員増員に対応しなかったため、亡Aの負担が増し、悲惨な死亡事故に繋がりました。勤務先会社は亡Aに対してDが社長を務めるC有限会社への訪問回数を減らしても良いと回答するなど、一定の配慮はしていました。しかし、裁判所は、営業担当者としてそのような考えを採れるはずもなく、亡Aはますます精神的に緊張するようになってしまいました。

 悲惨な事故を防ぐためには、人材確保の問題はあるにしても、気難しい大口取引先への対応は、基本的には複数人で行うなどの対応をとることが推奨されるのだと思われます。