弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

働き方改革(残業規制)への批判-矛先を間違えていないだろうか

1.残業規制への批判

 ネット上に、

「市民も大迷惑…『働き方改革』で警察大パニックのヤバすぎる事態」

という記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191007-00067615-gendaibiz-soci&p=1

 記事では、

「2019年4月から順次施行がはじまった働き方改革法案。生産性を向上し『一億総活躍社会』の実現を目指した労働環境の全体的な改善が柱となっているが、大企業の残業時間削減が下請け企業の負担を増大させてしまうなど、弊害を指摘する声も少なくない。」

「刑事のなかでもエリートが集う『特捜』の捜査員である彼は、1ヵ月あたりの残業が平均で100時間程度だった。ところが、現在では厳しい残業規制を受けて1ヵ月あたり30時間程度に抑えられている。」

「2019年4月の本格施行を前に、警察組織でも2018年度から強行的な残業カットが指示されたという。40歳で警部補の彼は、一般企業でいうところの係長~課長代理あたりの職階にいるが、働き方改革が進められる以前と現在とでは、給料が7万円も下がったそうだ。」

「70時間分もの捜査量が埋められるはずもなく、『やるべきこと』は山積みになる一方だ。だが、上司からは勤務時間が終了するとすぐに帰宅するよう厳しく注意されるため、やむなく帰宅する。機密情報が多いため仕事を自宅に持ち帰ることはできず、捜査も手薄になる。」

「2018年春、ある警察署に、事件解決にのみエネルギーと人員を注ぐ刑事課長が着任した。わいせつ事件が続発する管内だったため、有事即応で大量の捜査員を動員し、刑事課員の残業は軒並み100~130時間となった。」

「この状況を知った県警本部は、ただちに刑事課長を呼びつけて残業カットを命じたが『事件解決こそが刑事の使命』と主張し、体制を変更しなかったという。」

「1年後、刑事課長は警察本部の通信指令室へと異動を命じられた。通信指令室とは、有事の110番通報を受理して警察署やパトカーに司令を伝える部署で、完全交代制の勤務であるため残業はほとんどない。」

「刑事畑一本で課長まで昇りつめ、2018年中は管内のわいせつ犯・窃盗犯の検挙率が飛躍的にアップしたにもかかわらず、働き方改革に逆行したため『捜査という名の翼』をもがれたのだ。職階こそ変わらなかったが、刑事課長にとってこの人事は左遷に値する。」

「個人の素行などでよほどの問題でも起こさない限り、刑事課長が左遷人事を受けることなど滅多にない。ところが、捜査員に100時間程度の残業を課すことは左遷の対象となるという前例ができたものだから、各署の刑事課長は『やりすぎたら飛ばされる』と戦々恐々だ。」

などと働き方改革の残業規制を批判しています。

 このような論調の残業規制への批判は比較的良く目にしますが、矛先を間違えていないだろうかと思います。

2.下請け企業へのしわ寄せについて

 働き方改革が中小の下請け企業へのしわ寄せになることを防ぐため、公正取引委員会は、

「働き方改革に関連して生じ得る中小企業等に対する不当な行為の事例」

を公表し、

取引の一方当事者の働き方改革に向けた取組の影響がその取引の相手方に対して負担となって押し付けられることは望ましくないと考えられる。また、自らが取り組んだ業務効率化の果実が取引相手に奪われてしまい、享受できないこととなると、業務効率化への意欲を損ねることになり、このようなことが生じる場合には、社会全体としての働き方改革の勢いを失わせることにもつながるところであり、公正取引委員会としては、このような場合を含めて、取引の相手方に対して不当な不利益となる行為について、下請法・独占禁止法の違反に対しては、厳正に対処していく。

との方針を明確にしています。

https://www.jftc.go.jp/shitauke/oshirase/180531jirei.html

 下請け企業へのしわ寄せが生じているとすれば、それは公正取引委員会にきちんと仕事をするように求めて行くことが筋論だと思います。下請け企業へのしわ寄せを防ぐ必要がある、だから青天井で働けというのは、私には、働く人に対して、あまりにも酷ではないかと感じられます。

3.給料減・やるべきことの山積みについて

 給料減の問題にしても、業務量の問題にしても、基本的には議会に問題提起して行くべきものであるように思われます。

 議会に対して、適切な水準の給料や、人員を確保できるだけの予算措置を求めて行くのが筋論であり、月100時間以上残業させることで問題を解決することが、果たして適切だろうかと思います。

 基発第1063号 平成13年12月12日 改正基発0507第3号 平成22年5月7日「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(いわゆる脳・心臓疾患の労災認定基準)によると、

「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること」

とされています。

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/040325-11.html

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-11a.pdf

 また、基発1226第1号 平成23年12月26日 「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(いわゆる精神障害の労災認定基準)には、
「出来事に対処するために生じた長時間労働は、心身の疲労を増加させ、ストレス対応能力を低下させる要因となることや、長時間労働が続く中で発生した出来事の心理的負荷はより強くなることから、出来事自体の心理的負荷と恒常的な長時間労働(月100時間程度となる時間外労働)を関連させて総合評価を行う。

・・・

なお、出来事の前の恒常的な長時間労働の評価期間は、発病前おおむね6か月の間とする。」

との記載があります。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/090316.html

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120118a.pdf

 100時間という水準は、死亡したり、精神疾患を発症したりしかねないレベルの残業時間です。死亡したら元も子もありませんし、心身が壊れて働けなくなってしまったら月7万円の収入源では済まないと思います。

4.左遷について

 これは当たり前ではないかと思います。責められるべきは当該課長であり、働き方改革の残業規制ではありません。

 階級が警視正未満の警察職員には地方公務員法が適用されます。

 地方公務員には労働基準法の一部の適用が除外されていますが、残業規制の根拠条文である労働基準法36条の適用は除外されていません(地方公務員法58条3項)。

 労働基準法は36条が定めている残業の限度時間は、1か月について45時間、1年について360時間です(3項及び4項)。通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴い臨時的に限度時間を超えて労働させる必要がある場合、一定の要件のもとで、1か月について100時間、1年について720時間まで残業させることも可能ですが、1年間に亘り100~130時間の残業を強いるのは明らかに法律に違反しています。法律を守ることができなくては、管理職としての適格性を疑われても仕方ありません。

 また、月100時間~130時間も残業させれば一定の成果が出るのは当たり前だと思います。しかし、これは時間と費用をかけて養成した優秀な警察官を焼き畑のように使い潰しながら成果を上げているだけではないかと思います。月100~130時間も警察業務のような高負荷の仕事に従事していれば、死んだり精神疾患を発症したりしても不思議でないくらいの負担が発生します。警察組織が当該課長を左遷したのは、そうせざるを得なかったほど現場が疲弊し、これ以上は持たないと判断したからではないかと推測されます。

 短期的に成果が挙がったところで、目的のためには法違反もやむなしといった発想を持つ管理職のもと、現場の優秀な警察官が次々に使い潰されて行っては将来看過できない問題が生じるのは容易に予測されます。当該課長を左遷した警察組織の判断は正当なものであり、これを働き方改革の被害者のように言うのは筋違いだと思います。

5.死亡・精神疾患のリスクに晒されながら月100時間以上も働くのは適切か?

 上述のとおり、残業規制とはいっても、事情によっては1か月100時間まで働く月があってもいいという緩いもので、決して過激な立法ではありません。

 また、公務員では困難ですが、本当に月に何百時間も働きたい人は、フリーランスとして業務委託の枠組みで働くという選択もないわけではありません。

 残業規制への批判は以前から断続的に目にしていますが、批判する論者は毎月100時間も残業して、死亡・精神疾患のリスクに晒されながら働くことを適切と考えているのだろうかと疑問に思います。

 それを適切と考えているわけではないのであれば、批判すべきは残業規制ではなく、他の何かなのだと思います。