弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

専門職が独立前に掴んだ顧客から、仕事を受けることの可否

1.専門性の高い業務受託者の独立

 楽器の販売等を業とする事業者から、ピアノの調律等の業務を受託していた調律師の方が訴えられた事件が公刊物に掲載されていました(青森地判平31.2.25判例時報2415-54)。

 原告事業者は、被告となった調律師の方が「ピアノ調律サービスの顧客の氏名、住所、連絡先等の情報」(本件顧客情報)を利用し、顧客に対して不正競争行為を行ったとして、①不正競争法に基づく損害賠償請求、②債務(競業避止義務)不履行に基づく損害賠償請求、③不法行為に基づく損害賠償請求を行いました。

 裁判所は、①~③全ての請求を棄却しました。原告の請求を棄却するにあたり、本件顧客情報の営業秘密への該当性、不法行為の成否について、参考になる判示がされていたので、ご紹介させて頂きます。

2.ピアノの調律にあたり顧客情報の持つ有用性は限定的

 原告は被告が本件顧客情報を利用したことを、営業秘密の不正使用だと主張しました。しかし、裁判所は以下のように述べて、本件顧客情報が営業秘密に該当することを否定しました。

(裁判所の判断)

「ピアノの調律は定期的に必要となり、ピアノがある限り必要であることから、一般的に顧客と調律師の関係が長期的かつ密接なものになりやすくなるというだけでなく、ピアノの調律というものは、たとえ、調律の作業が顧客の個別の要望に対応する必要がある場合に限らず、単に設計基準値に戻すことにとどまる場合であっても、当該ピアノの設置環境、個性や使用頻度等を知ることにより、より適切に行うことができるという特性がるため、顧客に関するかかる情報を有していることには、一定の優位性があるということができる・・・。そうすると、ピアノを保有し、過去にその調律をしたことがある者の氏名、住所、連絡先等の情報だけでは、調律業務という事業活動が効果的にできるというものではなく、そのため、かかる情報があれば容易に顧客を獲得できるものでもないし、また、かかる情報が漏洩すれば直ちに顧客を失うことになるというものでもないと考えられ(このようなピアノの調律の特性は、たとえば、汎用性のある物品の販売のように、それなりの品質や性能が確保され、価格が合理的であれば、誰から購入するかは問題とならないという場合とは異なるものということができる。)、その情報としての価値ないし重要性は限定的といわざるを得ない。

「かかる情報については、・・・本件顧客情報に係る原告の秘密管理意思が容易にわかるような措置を採る必要があるというべきである。」

「電子データから作成された本件顧客情報に係る本件各情報について検討すると、原告は、被告を含む調律師らに対し、本件各書類を配布した後、それを回収したり、廃棄を指示したりすることはなく、本件各書類には『マル秘』などの秘密であることを示すような記載もなかったのであるから、本件各書類の取扱いやその体裁から、被告を含む調律師らに対し、本件顧客情報に係る原告の秘密管理意思が容易にわかるようにしていたということはできない。」

「そのほか、被告を含む調律師らが、原告から、本件顧客情報の管理について研修を受けたこともなく・・・、本件委託契約には本件条項を含めて本件顧客情報に明示的に言及した上でその目的外の利用や漏洩を禁止する旨の条項もなかったのであるから、かかる観点からみても、被告を含む調律師らに対し、本件顧客情報に係る原告の秘密管理意思が容易にわかるようにされていたということはできない。」

 裁判所の判断は、要するに、

① ピアノ調律にあたって重要なのは、顧客のことをどれだけ分かっているかである、

② 氏名、住所、連絡先等だけ分かっていたところで、有用性は限定的、

③ 有用性が限定的である情報に営業秘密としての保護を求めるのであれば、秘密にしたいという意思が容易に分かるようにしておかなければならない、

④ 渡したまま放ったらかしになっていたり、契約で利用が明示的に禁止されていたりしてもいない顧客情報は秘密にしたいという意思が容易に分かるようなものではない、

⑤ だから、これらを利用したところで、営業秘密を不正利用したことにはならない、

というものです。

 本裁判例で問題になったのは、ピアノの調律師についてですが、上記のようなロジックは現場担当者に高い専門性が要求される業務一般に応用可能なものだと思います。

 腕や技術が問われる職種では、委託元でそれほどセンシティブに顧客情報が扱われていない場合、独立後に顧客情報(氏名、住所、連絡先等)を利用して営業をかけたとしても、不正競争としての責任を問われることは回避できる可能性があります。

 これは、特定の仕事の発注元からフリーランスが独立するにあたり、重要な先例となってくるのではないかと思われます。

3.顧客に独立を示唆すること、顧客の希望・意思に応えることに大した問題はない

 原告は被告の行為が不法行為に該当するとも主張しました。

 しかし、裁判所は以下のように述べて、不法行為の成立を否定しました。

「被告は、個人事業者として、原則として自由な営業活動を行うことが許されている」

「被告による顧客に対する勧誘行為は、前記一(4)の程度にとどまり(※)、・・・顧客に対する勧誘が執拗であったり、原告の信用を毀損するものであったりするなど、悪質な態様であったことをうかがわせる事情も認められず、先に説示したピアノの調律という業務の特性を考えると、顧客が被告に対し本件委託契約解除後にピアノの調律を依頼したのは、被告の顧客に対する発言内容によるというよりも、主として顧客の希望ないし意思によるところが大きいと考えられることからすると、被告の上記行為が、損害賠償責任を発生させるような違法性のあるものであるということはできない。」

※ 前記一(4)

「被告は、平成二十四年三月、Bが青森県内から撤退することを知り、独立して調律師としての業務を継続することも考えたが、余りに突然の話であり、直ちに独立することへの不安感もあったため、原告との間で本件委託契約を締結し、同契約が開始した同年七月から平成二十五年四月上旬まで、この間に担当した顧客に対し、今度からCではなく原告と契約している調律師として業務を行うことになったが、原告との契約は一年で、一年後は原告との契約を続けるか、独立するか決めていない旨を必ず説明するようになった。

「被告は、平成二十五年四月上旬、原告のP2総務部長と面談し、報酬規定が改定されて報酬配分率が下がる旨の説明を受けて独立することを決め、その頃から同年六月末まで、この間に調律を担当した顧客に対し、同年七月以降は原告との契約を終了し、独立し、同月以降、原告に調律を依頼するか、被告に調律を依頼するかは、顧客の方で自由に決められたい旨説明し、同年七月以降、上記の説明の際に被告に対して調律を依頼したい旨答えた顧客に対し、本件顧客情報の記載を含んだ被告作成のメモに基づき、調律時期が近づくころに電話連絡をして訪問し、調律業務を行った。

 裁判所は顧客に対して独立を示唆したり、依頼の選択肢を提示したり、電話連絡をしたりする程度のことに、一般不法行為を構成するほどの悪性・違法性はないと判断しました。

 これも専門職であるフリーランスが特定の業務委託元から離れて独立するにあたり、してもいいこと・やってはいけないことの限界を知るうえで参考になる判示事項だと思います。

4.独立後の委託元から圧力を懸念しているフリーランスの方へ

 ある情報が不正競争法上の営業秘密であることは、それほど容易に立証されるものではありません。秘密としての有用性が限定されている情報であれば猶更です。顧客情報も個々人の腕が問われる専門性の高い業種においては、価値が相対化され、それほど有用でないとされることがあります。

 一般不行為にしても、ネガティブキャンペーンのようなことをしなければ、そう簡単に違法性ありとはされません。

 報酬を下げられれば独立を考えたくなるのは当然のことであり、競業避止を明示的に契約しているなどといったわけでもなければ、あまり躊躇しなくてもいいのかなと思います。