1.労働法は日本を陥れようとしている?
ネット上に、
「【雇用のプロ・安藤政明の一筆両断】「働き方改革の本丸」への対応」
という記事が掲載されていました。
記事は
「正規・非正規間格差是正」
に関連付けて、
「一部の事業所において、多くの手当が設定されていることがあります。危なすぎます。正社員だけにしか支払わない正当な理由が客観的に認められない限り、非正規にも支払わざるを得なくなりかねません。『正社員じゃないから』では通りません。一刻も早く、各手当の定義の再検討および統廃合などの対策が必要です。」
と危機感を煽ったり、
「非正規の平均的な労働時間数を半分、賞与なども半分と考えて試算してみます。正社員の賞与が40万円だったとすれば、今後は10万円ずつを減額し、3人分の30万円を原資として非正規2人に15万円ずつ支給するというようなイメージが考えられます。」
「『正社員』という身分のメリットが薄まり、モチベーションが下がりそうです。ただ、どんなに貢献しても報われなかった非正規労働者が報われる点には賛同します。賛同できないのは、労働者の貢献度などを一切無視した格差是正のあり方という部分に対してです。」
と格差是正措置の在り方を問題にしたり、
「労働法が法律で強行的に保護する対象は、休む人、早く帰る人、そして権利を主張する人ということのようです。別にいいのですが、実際の労務遂行能力や勤務態度などが一切無視されている点は大問題です。」
と労働法の問題点を指摘したり、
「数年前の話ですが、アメリカの経営コンサルタント、ロッシェル・カップ氏は、日本人は勤勉でなく、モチベーションが低く、労働生産性も低いと指摘しました。そして、一言『会社に居座る日本人』と言い表しました。」
「非常に悔しいですが、全くその通りです。労働法が、そのような労働者であっても解雇を認めず、居座っていても強烈に保護するからどうしようもありません。」
と労働生産性の低さと解雇規制の在り方を問題にしたりしたうえ、
「労働法は、働き方改革と称してさらに日本を陥れようとしています。」
と論を結んでいます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190929-00000016-san-l40
働き方改革についての是非は、各人が自由に判断すればよいと思います。しかし、所掲の記事が前提としている事実には、「本当かな?」と疑問に思う部分が結構あります。
専門家の言っていることだからと鵜呑みにする方がいないとも限らないため、別異の認識があり得ることを書いておきたいと思います。
なお、所掲の記事に関しては、以下で指摘していない部分に関しても、正確だと思っているわけではありません。
2.正当な理由が客観的に認められない限り、非正規にも支払わざるを得ない?
記事は、
「一部の事業所において、多くの手当が設定されていることがあります。危なすぎます。正社員だけにしか支払わない正当な理由が客観的に認められない限り、非正規にも支払わざるを得なくなりかねません。」
と危機感を煽っています。
しかし、実際には、それほど強烈な規制がされるわけではありません。
令和2年4月1日施行の「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」(以下「パートタイム・有期雇用労働法」といいます)は以下のとおり規定しています。
(不合理な待遇の禁止)
第八条 事業主は、その雇用する短時間・有期雇用労働者の基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、当該待遇に対応する通常の労働者の待遇との間において、当該短時間・有期雇用労働者及び通常の労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち、当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して、不合理と認められる相違を設けてはならない。
(通常の労働者と同視すべき短時間・有期雇用労働者に対する差別的取扱いの禁止)
第九条 事業主は、職務の内容が通常の労働者と同一の短時間・有期雇用労働者(第十一条第一項において「職務内容同一短時間・有期雇用労働者」という。)であって、当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれるもの(次条及び同項において「通常の労働者と同視すべき短時間・有期雇用労働者」という。)については、短時間・有期雇用労働者であることを理由として、基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、差別的取扱いをしてはならない。
パートタイム・有期雇用労働法8条は、職務内容等に応じて、
「不合理と認められる相違を設けてはならない」
と規定しているだけです。
ある手当について、職務内容等が相違するのに機械的に
「正社員だけにしか支払わない正当な理由が客観的に認められない限り、非正規にも支払わざるを得な(い)」
とする過激な立法ではありません。
この「不合理と認められる相違を設けてはならない」という文言は、「合理的でないもの」とイコールではありません。
このことに関しては、有期労働者と無機労働者との間の労働条件格差を規制する労働契約法20条の解釈に関連し、最高裁(最二小判平30.6.1労働判例1179-20ハマキョウレックス(差戻審)事件が、
「所論は、同条にいう『不合理と認められるもの』とは合理的でないものと同義であると解すべき旨をいう。しかしながら、同条が『不合理と認められるものであってはならない』と規定していることに照らせば、同条は飽くまでも労働条件の相違が不合理と評価されるか否かを問題とするものと解することが文理に沿うものといえる。また、同条は、職務の内容等が異なる場合であっても、その違いを考慮して両者の労働条件が均衡のとれたものであることを求める規定であるところ、両者の労働条件が均衡のとれたものであるか否かの判断に当たっては、労使間の交渉や使用者の経営判断を尊重すべき面があることも否定し難い。」
「したがって、同条にいう『不合理と認められるもの』とは、有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理であると評価することができるものであることをいうと解するのが相当である。」
と判示しているとおりです。
合理性があることまで立証できなかったとしても、不合理ではないとさえいえれば、労働条件に差を設けることは禁止されません。これは労使間の交渉や使用者の経営判断が尊重されているからです。
また、パートタイム・有期雇用労働法9条で差別禁止の対象になるのは、
「当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれる」
労働者に限られます。
職務内容も配置変更の範囲も同じであることが要件になっています。差別的取り扱いが許されるべきではない労働者の類型を絞っているので、差異を設けることが本当に不当な場合にしか発動されることはありません。
規制の実体は上述のとおりなので、職務内容や配置の変更上の違いといった労務管理上の現実を無視し、
「正社員だけにしか支払わない正当な理由が客観的に認められない限り、非正規にも支払わざるを得な(い)」
といった結論が導かれるとは考えられにくいのではないかと思います。
3.働き方改革の言う格差是正措置は、正社員の労働条件の切り下げを求めている?
記事は、格差是正の在り方について、
「非正規の平均的な労働時間数を半分、賞与なども半分と考えて試算してみます。正社員の賞与が40万円だったとすれば、今後は10万円ずつを減額し、3人分の30万円を原資として非正規2人に15万円ずつ支給するというようなイメージが考えられます。」
と言及しています。
こういう格差是正の在り方は、現実に行われることがなくはありませんが、法律の趣旨には合致しません。
厚生労働省は、
「厚生労働省告示第 430号 短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関する指針」
という文書を作成・公表しています。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000190591.html
https://www.mhlw.go.jp/content/11650000/000469932.pdf
通称で、「同一労働同一賃金ガイドライン」と呼ばれている文書です。
このガイドラインの「基本的な考え方」の中に、
「短時間・有期雇用労働法及び労働者派遣法に基づく通常の労働者と短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者との間の不合理と認められる待遇の相違の解消等の目的に鑑みれば、事業主が通常の労働者と短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者との間の不合理と認められる待遇の相違の解消等を行うに当たっては、基本的に、労使で合意することなく通常の労働者の待遇を引き下げることは、望ましい対応とはいえないことに留意すべきである。」
と規定されています。
一連の立法は、非正規労働者の待遇の改善を目的としたものであり、下に合わせる形での格差解消を目的としているわけではありません。
賃金の支払原資に一定の限界があることは理解しますが、正社員の賃金(賞与)の減額を一連の立法の問題点として指摘するのは、法意を正確にくみ取った批判ではないように思われます。
法は正社員の賃金(賞与)を減額しろとは言っていないからです。
4.労働法は、実際の労務遂行能力や勤務態度などが一切無視している?
記事が、
「労働法が法律で強行的に保護する対象は、休む人、早く帰る人、そして権利を主張する人ということのようです。別にいいのですが、実際の労務遂行能力や勤務態度などが一切無視されている点は大問題です。」
としている点も、少し趣旨が分かりにくいように思われます。
労働基準法13条は、
「この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において、無効となつた部分は、この法律で定める基準による。」
とは規定していますが、労働基準法以上の待遇をすることを禁止してはいません。
労働契約は、
「第1、第2の法源である強硬法規、労働協約に違反せず、第3の法源である就業規則の定める基準を下回らない範囲内で、契約自由の原則に基づき、その内容を自由に定めることができる。」
とされています(水町雄一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第1版、令元〕223頁参照)。
実際の労務遂行能力や勤務態度を勘案して、いい人材に良い労働条件を提示することには法的に何の問題もないため、どのあたりが問題なのか分かりにくくなっています。
5.労働生産性の低い労働者でも居座れる?
記事は、労働生産性が低い労働者であっても、
「労働法が、・・・解雇を認めず、居座っていても強烈に保護するからどうしようもありません。」
としています。
しかし、それは誤解ではないかと思います。
一般論として、
「労働者の能力不足、成績不良、適格性欠如等により、労働契約上想定されている職務を遂行する能力に欠けていると認められることは解雇の合理的理由となりうる。」
とされています(前掲文献937頁参照)。
解雇権の行使には一定の制限はかけられていますが(労働契約法16条)、解雇を認めていないだとか、居座っていても強烈に保護するといったことは、聞いていて違和感があります。解雇権濫用法理の適用には事案に応じた緩急があります。特に、高度な能力を見込み、特定の高位のポストに付けるため、好待遇で迎え入れられた中途採用者などのケースでは、労働生産性が低いまま居座るのは、むしろ難しいのではないかとも思います。
6.働き方改革と労働生産性について現時点で評価を下すことは可能だろうか?
記事は労働生産性に触れたうえ、
「労働法は、働き方改革と称してさらに日本を陥れようとしています。」
と論を結んでいます。
しかし、働き方改革関連法と労働生産性との関係性は、現時点ではよく分からないと思います。
そもそも、働き方改革実行計画が決定されたのは平成29年3月28日です。
http://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/hatarakikata.html
働き方改革関連法は平成31年4月1日から順次施行されて行きます。
働き方改革関連法が労働生産性に影響を与えるかどうかは、まだデータが取れていないので評価できないはずです。
また、公益財団法人日本生産性本部の調査研究資料を見ると、1970年(昭和45年)から2017年(平成29年)まで日本の労働生産性(働き方改革が叫ばれる前の労働生産性)はOECD加盟国の中で20位近辺で変わっていません。
https://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001554.html
https://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001554/attached.pdf
働き方改革関連法は停滞している労働生産性の向上を企図したものであり、日本を陥れるといった大仰なものではないと思います。
http://www.kantei.go.jp/jp/headline/pdf/20170328/01.pdf
データがとれていない中で、どのような根拠のもと「労働法は、・・・日本を陥れようとしています。」とまで言い切れるのかは、少し疑問に思います。
7.専門家も色々いる
専門家と言っても色々いるので、物事の実像に迫るには、多角的な観点から情報を集めることが大事だと思います。