弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

ブラック企業の雇用契約書の実例(13時間拘束・休日4日・固定給17万5000円・時間外労働:基本給820円×1.5倍×4時間)

1.ブラック企業は雇用契約書を作らない?

 ブラック企業という用語があります。

 一般的に、

「労働法の規定する範囲を逸脱したような劣悪な勤務環境や過酷な労働を強いる企業の総称。」

として用いられているようです。

https://www.weblio.jp/content/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD

 ネットで検索すると、ブラック企業の見分け方・チェックポイントを解説するサイトがたくさん出てきます。

 その中に、

「ブラック企業では、雇用契約書を作らない。」

といった言説が散見されます。

 しかし、ブラック企業かどうかと、雇用契約書を作るかどうかは、必ずしも直結してはいないと思います。

 労働条件明示書面(労働基準法15条所定の書面)しか作成・交付されていなくても、きちんとした労務管理がされている会社は結構ありますし、雇用契約書・労働契約書が作成されていても、法的な観点から無茶な内容が書かれているということは珍しくありません。

 雇用契約書を作ってくれた、であれば、この会社はブラック企業ではない、といった論理式は成り立たないと思います。

 それでは、順法意識に問題のある会社で用いられている雇用契約書とは、具体的には、どのようなものをいうのでしょうか。

 ブラックだと抽象的に言っても、一般の方にとって、労働基準法を始めとする関係法令を読み込むことは必ずしも容易ではありません。雇用契約書を見比べる機会もそれほどないだろうと思います。

 具体例を知れば危険察知に役立つのではないかと思い、裁判例で実際に問題となった契約書の例を挙げてみたいと思います。

2.ブラック企業の雇用契約書の実例

 昨日のブログで紹介させて頂いた、東京地判平31.3.28労働判例ジャーナル90-38 アトラス産業事件で証拠提出された契約書は、順法意識に問題のある企業で用いられている契約書の一例にあたると思います。

 この事件の原告の方はトラック運転手です。被告になったのは、一般貨物自動車運送事業等を目的とする株式会社です。

 原告の方と被告会社との間で交わされていた雇用契約書には、次のような記載がありました。

(裁判所の認定)

「原告Aと被告の間の平成28年5月1日付けの労働契約書(雇用契約書)及び原告Bと被告の間の同年2月29日付けの労働契約書(雇用契約書)には、その書面上、

『就業時間』欄には『13時間拘束』、

『休日』欄には『4日間』、

『時間外労働、休日労働の有無』欄には『時間外労働有』『(基本給820円×8時間)』『(基本給820円×1.5倍)×4時間(時間外労働)』とあるほか,

賃金については、固定給(月26日計算)17万5000円・乗務手当(日)5500円・交通手当(月)5000円・携帯使用料(月)3000円・愛車手当1万円を毎月末締め翌月15日払とする旨が定められていた。」

 労働基準法32条2項は、

「使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。」

と規定しています。

 就業時間欄に「13時間拘束」となっていることには違和感があります。

 また、労働基準法32条1項は、

「使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。」

と規定しています。

 13時間拘束で休日4日(週給1日)であるとすると、1時間の休憩があることを考慮したとしても、週の労働時間は、

(13時間-1時間)×6日=72時間

となってしまいます。

 時給と固定給との関係性も良く分かりません。

 1日8時間、時給820円で働くと、1日当たりの賃金は、

820円×8時間=6560円

になります。

 1か月あたりの休日が4日であるとすると、1か月30日で計算するとして、月あたりの給料は、

6560円×(30日-4日)=17万0560円

になります。

 固定給が17万5000円とされているところ、残業代の部分はどこに行ったのかなと思います。

 また、26日に渡って4時間残業(拘束される)すると、月の残業時間は、

4時間×26日=104時間

となります。

 残業時間に関しては厚生労働省の告示(平成10.12.28労働省告示154号、最終改正:平成21.5.29厚生労働省告示316号)で一定の基準が設けられており、1か月あたり45時間が一つの目安とされています。

https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/roudoukijun_keiyaku/hourei_seido/jikan2/kokuji/kokuji1.html

 当たり前のことですが、雇用契約書は、作ってくれれば信頼できるというものではなく、中身をきちんと吟味しなければなりません。

3.裁判所は問題のある雇用契約書の内容をどのように評価したのか

 アトラス事件は、原告の方が被告会社に対して残業代を請求した事件です。

 この事件で、被告会社は、

原告らと被告の間のそれぞれの労働契約書(雇用契約書)には、その『時間外労働、休日労働の有無』欄に『(基本給820円×1.5倍)×4時間(時間外労働)』と記載され、1労働日につき4時間の割増賃金(しかも,労働者に有利になるように深夜労働に該当するか否かを問わず割増率を1.5倍とした金額)が固定残業代として毎月の賃金の中に含まれる旨が明示されており、このことは、それぞれ契約締結の際に被告から説明され、原告らにおいてもその内容について承諾した上で署名押印をしている。そして、この計算に従えば、原告らが主張する割増賃金は既に弁済済みである。

と固定残業代の定めがあることを主張しました。

 しかし、裁判所は、次のように述べて、被告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「原告らと被告の間のそれぞれの労働契約書(雇用契約書)には、

『就業時間』欄に『13時間拘束』、

『休日』欄に『4日間』、

『時間外労働、休日労働の有無』欄に『時間外労働有』

『(基本給820円×8時間)』

『(基本給820円×1.5倍)×4時間(時間外労働)』

とあるほか、賃金については、固定給(月26日計算)17万5000円・乗務手当(日)5500円・交通手当(月)5000円・携帯使用料(月)3000円・愛車手当1万円を毎月末締め翌月15日払とする旨が定められているところ、

これらを見る限りでは、

上記固定給(月26日計算で17万5000円)に被告の主張する固定残業代が含まれるのか、

それとも、

その固定給とは別に固定残業代を支払うものなのか、

あるいは、

一般的に固定残業代とは想定した時間外労働時間数に満たなくとも当該時間分の残業代を支払う趣旨の制度と理解されることをさて措いて、

『(基本給820円×1.5倍)×4時間(時間外労働)』の記載が、『13時間拘束』との記載と相俟って、要するに所定労働時間8時間を超えて、1時間の休憩があるとしても、さらに4時間の超過勤務を労働者に強いて、基本給とは別に割増賃金を支払う際の計算式を掲げたにすぎないものか全く判然とせず、かかる記載から直ちに上記固定給に時間外労働等に対する対価としても定額の割増賃金が含まれていると理解することは著しく困難である。しかも、そもそも仮に月26日計算を前提とする上記固定給17万5000円に被告の主張する固定残業代(『(基本給820円×1.5倍)×4時間(時間外労働)』)が含まれるとするならば、原告らについては、月104時間(4時間×26日)もの長時間にわたる時間外労働が想定されることになる上、固定給の金額計算が整合しない結果となり(つまり、被告のいう『基本給820円』で、1日当たり8時間、1月26日間稼働すると、通常の労働時間の賃金に当たる部分はそれだけで17万0560円となり、これに『820円×1.5倍』を月104時間分で12万7920円を加算すると、17万5000円を優に超過する。)、それ自体矛盾を生ずる事態となる。」

 要するに、雇用契約書の内容は整合性が破綻しているではないかということです。このことも、被告による固定残業代に関する主張を排斥した理由の一つとして指摘されています。

4.変な契約書を交わしてしまうことは、決して特殊なケースではない

 このように解説すると、

変な契約書を交わした原告の側にも問題があったのではないか、自分ならこんな契約書は交わさない、

という印象を持たれる方もいると思います。

 しかし、同じ事象でも、第三者として一歩引いた立場で見るのと、当事者として自分で経験するのとで、見える景色が違うことは良くあります。

 内容に問題があったとしても、いざ働き始めるという時に契約書を示され、それを一読して問題点に気づき、会社側に対して毅然とした対応をとれるかというと、そこまでの対応をとれない方は、決して少なくないと思います。

 私は、アトラス事件の原告の方が、決して特殊であったとは思っていません。

 きちんとした契約書の例はたくさん掲載されていても(きちんとしたものであることを標榜していても、私から見ると違和感のあるものはたくさんありますが)、問題のある契約書の実例は、それほどネットに挙げられていないように思われたため、注意喚起になればとご紹介させて頂きました。

 なお、本件のように、裁判所は、問題のある契約書には、それなりの評価を下してくれます。法に触れるような契約は、一旦取り交わしたとしても、拘束力を否定する理屈を構築することが可能なので、あまり悲観的にならないことも大切です。