1.固定残業代には要注意
固定残業代とは、
「その名称にかかわらず、一定時間分の時間外労働、休日労働および深夜労働に対して定額で支払われる割増賃金」
のことを言います。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000097679.html
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000498453.pdf
◯時間分の時間外労働として◯円を支給する、といったように予め残業代を固定で賃金体系に組み込んでしまう制度です。
引用した厚生労働省のPDF資料には、
「ハローワークにおける、求人票の記載内容と実際の労働条件の相違に対する申出・苦情で、一番多い内容は『賃金に関すること(固定残業代を含む)』です。」
「民間職業紹介機関を利用して就職活動した方の『求人条件と採用条件が異なっていた』という不満で、一番多い内容は『賃金に関すること(固定残業代を含む)』です。」
と書かれています。
固定残業代は濫用的に使われることが多く、しばしば裁判でも問題になります。
典型的な濫用例は、基本給を極端に低くしたうえ、月100時間分の固定残業代として◯円を支給するといった賃金体系を設けることです。
こういう賃金体系を構築しておけば、使用者は、事実上、労働者を低賃金・定額働かせ放題で使うことができます。
このような賃金体系を持っている勤務先で働くと、100時間残業しても残業代は出ません。賃金を低いまま固定されたうえ、長時間労働で心や体が壊れてしまうリスクを負担することになります。
2.裁判所は濫用的な固定残業代から守ってはくれないのか?
では、裁判所は上述のような固定残業代の濫用例から労働者を守ってはくれないのでしょうか?
結論から言うと、守ってくれることもあれば、くれないこともあります。
例えば、東京高判平30.10.4労働判例1190-5 イクヌーザ事件は、月80時間分に相当する固定残業代の有効性が問題となった事案において、脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する労災の認定基準に言及したうえ、
「このような長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定して、基本給のうちの一定額をその対価として定めることは、労働者の健康を損なう危険のあるものであって、大きな問題があるといわざるを得ない。そうすると、実際には、長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情が認められる場合はさておき、通常は、基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることは、公序良俗に違反するものとして無効とすることが相当である。」
と固定残業代の定めを無効としています。
しかし、近時公刊物に掲載された、東京高判平31.3.28労働判例1204-31 結婚式場運営会社A事件は、
基本給15万円
職能手当(固定残業代)9万4000円(約87時間分の時間外労働に相当)
という賃金体系について、
「1審被告の主張によると、基礎賃金1時間当たりの金額(残業単価)は863円、職能手当は9万4000円であるあら、職能手当は、約87時間分(9万4000円/863円×1.25)の時間外労働等の対価相当額となる。863円は、平成25年から平成27年の茨城県の最低賃金額である713円から747円・・・を2割近く上回っているから、不当に廉価とはいえない。確かに、月87時間は、平成10年12月28日労働省告示第154号所定の月45時間を超えるものであるが、雇用契約に対して強制的補充的効力を有するものではない上、本件特約は、時間外労働等があった場合に発生する時間外割増賃金等として支払う額を合意したものであって、約87時間分の法定時間外労働を義務付けるものではない。現に、別紙4割増賃金計算書・・・によれば、1審原告の法定時間外労働時間は21時間30分から108時間22分まで幅がある。」
「職能手当が約87時間分の時間外労働等に相当することをもって、前記のとおり給与規程及び本件雇用契約書において明確に定額残業代と定められた職能手当につき、時間外労働の対価ではなく、あるいはそれに加えて、通常の労働時間内の労務に対する対価の性質を有すると解釈する余地があるというには足りない。」
などと述べ、その固定残業代としての有効性を承認しています。
ただ、この事件の第一審、水戸地土浦支判平29.4.13労働判例1204-51は、
「職能手当9万4000円は、被告の主張する基礎時給863円の約109時間分にも当たり、本件特約は上記(1)の勤務体系とはかけ離れたものである(頻繁に深夜・早朝まで残業し、かつ休憩時間が存在しないとする原告の主張によっても、1か月の時間外労働が100時間を超える月は多くない。)。また、被告は、定時により後に業務が行われているにもかかわらず、タイムカードによる従業員の出退勤管理を行っておらず、従業員に残業代を支給したことがないばかりか、これを計算したこともない。」
「このような事情によれば、差額精算の合意は形ばかりのものにすぎず、本件特約の実態は、被告が実際にはおよそ現出し得ない長時間労働を仮定した上で、残業代の支払義務を回避し、従業員に対する労働時間管理の責任を放棄するための方便であり、労使の公平の見地から許されないものといわざるを得ない。」
「したがって、本件特約は公序良俗に関し無効であ(る)」
と固定残業代の有効性を否定しています。
同じ事案でも地裁と高裁で判断が異なっていることからも分かるとおり、固定残業代の有効性に関する判断は、必ずしも安定していないのです。
3.では、どうやって自衛するのか?
裁判所の判断が安定しないとなると、身を守る上で一番重要なのは、固定残業代を濫用的に用いている会社に近づかないことになります。
一般の方にとって、それほど有名な法律ではないと思いますが、
「青少年の雇用の促進等に関する法律」
という法律があります。
これに基づいて、厚生労働省は、
「青少年の雇用機会の確保及び職場への定着に関して事業主、特定地方公共団体、職業紹介事業者等その他の関係者が適切に対処するための指針」(平成二十七年九月三十日)(厚生労働省告示第四百六号)
という文書を作成しています。
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000498459.pdf
この指針は、
「事業主、青少年の募集を行う者、募集受託者・・・及び求人者は、青少年が適切に職業選択を行い、安定的に働くことができるようにするためには、労働条件等が的確に示されることが重要であることに鑑み、次に掲げる労働条件等の明示等に関する事項を遵守すること。」
「賃金に関しては、賃金形態(月給、日給、時給等の区分)、基本給、定額的に支払われる手当、通勤手当、昇給に関する事項等について明示すること。また、一定時間分の時間外労働、休日労働及び深夜労働に対する割増賃金を定額で支払うこととする労働契約を締結する仕組みを採用する場合は、名称のいかんにかかわらず、一定時間分の時間外労働、休日労働及び深夜労働に対して定額で支払われる割増賃金(以下この(ハ)において「固定残業代」という。)に係る計算方法(固定残業代の算定の基礎として設定する労働時間数(以下この(ハ)において「固定残業時間」という。)及び金額を明らかにするものに限る。)、固定残業代を除外した基本給の額、固定残業時間を超える時間外労働、休日労働及び深夜労働分についての割増賃金を追加で支払うこと等を明示すること。」
と規定しています。
厚生労働省の、
青少年雇用対策基本方針(平成二十八年一月十四日)(厚生労働省告示第四号)
には、
「青少年の対象年齢については、第九次方針において『三十五歳未満』としていたこと
を踏まえ、引き続き、『三十五歳未満』とする。」
と書かれています。
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11600000-Shokugyouanteikyoku/0000190100.pdf
つまり、35歳以下の青少年が応募する可能性のある募集又は求人に関して、固定残業代の定めがある場合、使用者は何時間分の固定残業代として幾ら支払うのかを予め明示しておかなければなりません。
「35歳以下の青少年が応募する可能性のある募集又は求人」はかなり範囲が広いので、相当の募集・求人がカバーされるのではないかと思われます。
制度上、賃金のうち固定残業代が幾らで、それが何時間分の時間外労働を予定したものなのかは、募集要項や求人票で事前に分かるようになっています。
したがって、募集要項や求人票の固定残業代の定めに関する部分を見て、
「87時間分の時間外労働の対価として9万4000円を支給します。」
などと書かれている会社にはできるだけ近づかないようにするのが、低賃金・過重労働から身を守る上でのポイントになります。
4.濫用的な固定残業代の適用を受けてしまったら・・・
上記のように一応の自衛が可能になっていますが、濫用的な固定残業代の適用を受けて困っているという方がおられましたら、できるだけ速やかに弁護士のもとに相談に行ってみるとよいと思います。
仕事を辞めたいと言う場合、辞め方や、固定残業代の有効性を否定して残業代請求に繋げられないかについて、アドバイスが得られるだろうと思います。