1.職場での「壁ドン」
職場のオープンスペースで男女が戯れ合っていることに対し、周囲が眉をひそめていることがあります。風紀の乱れを懸念して、勤務時間中の男女間での戯れ合いを快く思わない方は、相当数いるのではないかと思われます。
セクシュアル・ハラスメントというと、性的な関係の要求を断った労働者を解雇するなどといったように、性的な言動と不利益な処分とが対価的に結びついているものをイメージする方が多いのではないかと思います。
しかし、セクシュアル・ハラスメントは、対価的なものに限られるわけではなく、
「労働者の意に反する性的な言動により労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること」(環境型セクシュアル・ハラスメント)
まで広く含まれます。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000133471.html
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000133451.pdf
近時公刊された判例集に、職場のオープンスペースで「壁ドン」をしたことがセクシュアル・ハラスメントに該当するかが問題になった裁判例が掲載されていました。
「壁ドン」というのは「壁を背にした一人に対し、向かい合って立つ一人が壁にドンと手をつき顔を接近させるポーズ」を指す新語です。
https://www.jiyu.co.jp/singo/index.php?eid=00031
2.東京地判平30.1.12判例タイムズ1462-160
問題の裁判例は、東京地判平30.1.12判例タイムズ1462-160です。
本件で原告になったのは、女子大学の男性教授の方です。
幾つかのセクシュアル・ハラスメント行為を理由に、懲戒処分として免職処分を受けました。問題になったセクシュアル・ハラスメント行為の一つが、被告大学の期限付助手を務めていた既婚女性に対する「壁ドン」です。
被告大学のハラスメント防止規程では、セクシュアル・ハラスメントは、
「教職員が他の教職員、学生などの関係者を不快にさせる性的な言動などをい(う)」
とされていました。
「壁ドン」のセクシュアル・ハラスメントへの該当性は、免職の有効性に関する議論の中で判断されています。
裁判所は次のとおり判示し、「壁ドン」がセクシュアル・ハラスメントに該当することを認めました。
(裁判所の判断)
「原告は、平成26年10月ころ、被告大学内の教室前廊下において、周囲に学生もいる中で、悪ふざけをしようと考え、壁を背にして立っていたBに近付き、脈絡なく『壁ドン!』と言いながらBと正対した状態で片方の手の平をBの頭部付近の壁に押し当て、同人が身動きできない状態にして、Bに不安を感じさせたことが認められる。原告とBとの間には、社会通念上、そのような悪ふざけが暗黙に許容されるような男女交際等の関係はなかったから(前記1(1)イ)、この行為は客観的に見ても、Bに対し何ら正当な理由なく、非常に接近して、著しく不安を覚えさせる行為で、性的な意味も多少なりとも帯びているから、セクハラに該当する。また、Bの同意如何にかかわらず、周囲に学生もいる状況で男女の教職員の間で、そのような悪ふざけに及ぶことは、教育・研究・就労の場としての風紀を乱し、教員としての品位を損なう幼稚な言動というべきであるが、当時、原告には自己の言動を何ら問題視する意識がなかったことも認められる(原告尋問54頁)。悪ふざけという動機は何ら酌量に値しない。」
「証拠(乙5の27頁)及び弁論の全趣旨によれば、Bは、ハラスメント防止対策委員会の事情聴取で、本件懲戒事由2について話す際、笑顔を見せることがあったとは認められるが、原告の言動にあきれ返った苦笑い又は同委員会委員に対する愛想笑いと推認されるから、原告の言動に不快感を抱いていなかったことを示す態度とはいえない。」
「前記アの原告のセクハラの後、Bが直ちに原告に抗議したり、不快感を露わにしたりしたことを認めるに足りる証拠はないが、これがセクハラを否定する事情に当たらないことは、前記(2)エと同様である。」
3.異性側の同意があろうがなかろうが、オープンスペースでの戯れ合いは不適切
本件では、女性側に不快感があったことが認定されています。
しかし、
「Bの同意如何にかかわらず、周囲に学生もいる状況で男女の教職員の間で、そのような悪ふざけに及ぶことは、教育・研究・就労の場としての風紀を乱し、教員としての品位を損なう幼稚な言動というべきである」
との文言から読み取れるとおり、裁判所は同意があろうがなかろうが「壁ドン」は品位に欠ける風紀紊乱行為に該当するとしています。
したがって、仮に女性側に同意があったとしても、周囲に人がいるような状況での「壁ドン」は非違行為に該当すると判断されていた可能性が高いと思われます。
本件では、
「継続的な人間関係では、不快な出来事があっても、その出来事を棚上げして、人間関係の円満保持を優先しようとすることもしばしば見かけられることであるから、Bの不快感がそのような棚上げの余地がないほどに直ちに人間関係が外見的にも決裂するほど重大かつ深刻なものではなかったと見る余地があることを超えて、不快感がなかったことを推認させる事情とはいえない」
との経験則が示されています。
セクシュアル・ハラスメントが問題となる事案において、相手方や周囲からの抗議や不快感の発露がなかったことは、抗弁として有効打にはなりにくい傾向があります。
また、同意があろうがなかろうが、職場での男女の戯れ合いは風紀紊乱行為として消極的に評価されるリスクがあります。
失うものの多い立場にいる方は、職場での立ち居振る舞いに関しては、特に注意を払っておく必要があります。