弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

残業代削減の手段としての固定残業代(固定残業代の濫用例)

1.残業代削減の手段としての固定残業代

 固定残業代とは「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額」をいいます(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。
 固定残業代には、割増賃金の支払いに代えて一定の手当を支給する類型(手当型)と、基本給の中に割増賃金を組み込んで支給する類型(基本給組込型)があります。

 固定残業代に関する紛争は、公刊物にもかなり多く掲載されています。

 それは、固定残業代が、残業代削減の手段として濫用的に用いられる例が多いからではないかと思います。

 固定残業代の濫用例としては、

① 80時間分、100時間分といったように、極端な時間設定をした残業代を基本給に組み込み、たくさん残業をしても、ちっとも残業代がつかない、定額使いたい放題の賃金体系を構築する手法、

② それまで法的性質の不分明な手当として支払われていた賃金を、固定残業代に振り替え、残業代計算のための基礎賃金を減らすとともに、手当を残業代の支払に充当して残業代の支払額を削減する手法、

などがあります。

 ①の類型で近時問題となった裁判例に、東京高判平30.10.4労働判例1190-5イクヌーザ事件があります。この事件では、労災の認定基準(脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準(平成22年5月7日付け基発0507第3号による改正後の厚生労働省平成13年12月12日付け基発第1063号))を引き合いに出して、

「基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることは、公序良俗に違反するものとして無効」

と判示しました。

 ②のような手法を違法だとした裁判例も既に一定数出されているところですが、近時公刊された判例集に掲載されている東京地判平31.1.23労働判例ジャーナル89-52ナニワ企業事件も、その一つとして位置付けられます。

2.ナニワ企業事件

 この事件で原告になったのは、ドライバーとして勤務していた方です。

 被告になったのは、運送業等を目的とする株式会社です。

 原告が入社した当時、被告会社に就業規則はありませんでした。

 ある時、被告会社は就業規則を作成し、それまで「長距離手当」として支払われていた手当を固定残業代として位置付けることにしました。

 その適否が問題になったのが本件です。

 裁判所は次のように述べて、「長距離手当」を残業代として扱うことは認められないと判示しました。

(元々の長距離手当の性質について)

「使用者が、労働者に対し、時間外労働等の対価として労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するには、労働契約における賃金の定めにつき、それが通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とに判別をすることができる場合に、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討すべきであるとされている(最高裁平成27年(受)第1998号同29年2月28日第三小法廷判決)ところ、原告入社時の長距離手当についてその趣旨を明らかにする客観的証拠がなく、長距離手当のほかに時間外手当名目の支払もあったことや、前記認定のとおり、C所長が原告に対し、賃金について、基本給と諸手当を含めて手取り30万円との説明をしたこと、長距離手当との支払名目から直ちに、割増賃金の支払であると認めるのは困難であることなどを勘案すると、就業規則が制定されるまでの長距離手当は、その全額が割増賃金の趣旨であったということはできない。そうすると、入社時における原告の長距離手当に関する賃金の定めは、結局、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別できないものであったといわざるを得ない。
「したがって、入社時以降、原告に支給されていた長距離手当は、通常の労働時間に対する賃金に当たるものとして、基礎賃金に含まれる。」

(就業規則の作成による長距離手当の意味付けについて)

平成21年11月6日制定の就業規則は、原告の入社時には通常の労働時間に対する賃金であった長距離手当を、割増賃金の支払の趣旨であると規定することにより、原告の基礎賃金を切り下げるものであるから、労働条件の不利益変更に当たる。
「そして、労働条件の不利益変更に当たって、被告が原告の同意を得た事実は認められないから、被告は、就業規則の制定により原告の労働条件を不利益に変更することはできない。
「以上によれば、長距離手当は、基礎賃金に含まれる。」

3.長距離手当では名前からして無理がある

 判決に書かれているとおり、就業規則の作成前、原告には長距離手当とは別に時間外手当名目の支払がなされていました。時間外手当が別途支払われているのに、長距離手当も残業代だとするのは、やや無理のある立論です。

 そもそも、長距離手当というネーミングからして、残業代であると言い張るのは強弁に近いようにも思われます。

 裁判所が、

① 長距離手当は残業代ではない、

② 長距離手当の性質を就業規則で残業代と位置付けたところで、従業員の同意がない限り、残業代へと変質することはない、

と判断したのは、至極自然な判断ではないかと思われます。

4.事件にならない限り問題にはならない

 本件では、原告となったドライバーの方が、声を挙げたから、問題が顕在化しました。

 しかし、誰も声を挙げなければ、この会社では長距離手当を残業代として扱うという違法な給与計算事務がずっと続いていたのではないかと思われます。

 名前からして、それを残業代として扱うのは、おかしいのではないかということが問題になった近時の裁判例には、

「技術手当」(東京地判平30.4.18労働判例1190-39労経速2355-18PMKメディカルラボほか1社事件)、

「無事故手当」(東京地判平30.9.20労経速2368-15WINatQUALITY事件)、

「出向手当」(東京地判平29.8.25判タ1461-216)、

「基準外手当」(東京地判平29.5.15労判1184-50東京エムケイ(未払賃金等)事件)

などがあります。

 「このネーミングの手当が残業代として扱われるのはおかしいのではないか。」そうした違和感を覚えながら働いている方がおられましたら、当該手当を残業代として扱うことが本当に許されるのかを、弁護士に相談してみても良いと思います。

 残業代として扱われるようになった経緯を紐解くと、是正するための手掛かりが見えてくるかも知れません。