弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

クビか賃金減額かを労働者に選ばせる手法-このようなやり方で交わされた賃金減額の合意は有効か?

1.クビか賃金減額かを労働者に選ぶように迫る手法

 会社が従業員を退職に追い込みたい時、クビか賃金減額かを選ぶように迫るという手法があります。

 一般論として言うと、解雇は簡単にはできません。客観的に合理的な理由・社会通念上の相当性が認められない解雇は無効です(労働契約法16条)。

 冷静に考えれば、会社の経営状態が極端に悪い場合でもない限り、相手の設定した土俵に乗る必要はなく、クビも賃金減額も受け入れられないという第三の選択肢を示せば良いことは明らかです。

 しかし、上長から選択肢を絞られてどちらかを選ぶことを迫られると、その場の空気に呑まれて、どちらかを選んでしまう方は少なくありません。

 会社にとっては、辞めさせたい社員が辞めてくれれば願ったりかなったりですし、辞めなくても賃金減額に応じてくれれば、コストの削減に繋げることができます。

 また、こうしたやり方を繰り返し、徐々に賃金を削ぎ取って行けば、いずれは生活に窮することになり、労働者は自分から会社を辞めざるを得なくなります。

 このような手法のもとで交わされた賃金減額の合意の効力が争われた事案があります。

 大阪地判平31.3.14労働判例ジャーナル89-38寺田商会事件です。

2.寺田商会事件

(1)事案の概要

 本件で原告になったのは、自動車整備士の方です。

 平成28年5月6日に、月給18万円で被告に雇われました。

 その後、28年6月10日に被告との間で賃金を月額17万円に減額することを合意し、平成28年7月21日には賃金を月額10万円に減額することに合意しました。

 本件で問題になったのは、6月10日、7月21日の各賃金減額の合意の効力です。

(2)裁判所の判断

 裁判所は次のとおり述べて、各賃金減額の合意の効力を否定しました。

(平成28年6月10日の合意について)

「被告は、原告との間で、平成28年6月10日、賃金を17万円に減額する旨合意した旨主張する。この点、そのような同意が認められるためには、それが労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在することを要する(最高裁判所平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁等参照)。」
「そこで検討するに、本件において、上記合理的な理由が客観的に存在することを認めるに足りる証拠がないだけでなく、かえって被告代表者の陳述書(乙6)によっても、原告は、上記合意の前日である平成28年6月9日に被告代表者から解雇の話をされ、それを避けることを依頼するやりとりの中で賃金を減額する話となったというのであるから、それが労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在すると認めることができない。

よって、被告と原告との間で、平成28年6月10日に賃金を17万円に減額する合意があったと認めることができない。
(平成28年7月21日の合意について)
「被告は、原告との間で、平成28年7月21日、賃金を10万円に減額する旨合意した旨主張し、原告と被告との間で、その旨の雇用契約書も取り交わされている(甲21、乙2)。しかしながら、上記(3)アの経緯に加え、証拠(甲10)によれば、同月20日も解雇の話をされていることが窺われることからすると、それが労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在すると認めることができない。
よって、被告と原告との間で、平成28年7月21日に賃金を17万円に減額する合意があったと認めることができない。

3.労使間の合意には錯誤・詐欺・強迫といった意思表示上の問題がなくても効力を否定できる場合がある

 民法上、合意は守られなければならないのが原則です。合意は、錯誤があるだとか、詐欺されただとか、強迫されたなどといった事情がない限り、基本的に、その効力が否定されることはありません。

 しかし、労働法の領域では、錯誤、詐欺、強迫といった意思表示上の問題がなかったとしても、判例法理によって合意の効力を否定できる場合があります。賃金減額の場面もその一つで、

「労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」

と認められない場合には、合意の効力を否定できる可能性があります。

 本件は、解雇を示唆しながら交わされた賃金減額の合意について、自由な意思に基づいているとは認めず、その効力を否定したものです。

 整理解雇の要件が整っている場面において解雇か賃金減額かを迫られた場合であればともかく、きちんとした理由もないのに従業員を退職に追い込むため、解雇か賃金減額かを迫ることを繰り返すようなやり方には問題があります。

 このような迫られ方をして賃金減額に合意したものの、釈然としない思いをお抱えの方がおられましたら、合意の効力を争えないのかを弁護士に相談してみても良いのではないかと思います。