1.通勤時間が長くなる配置転換
ネット上に
「パニック障害、復職したら『片道2時間』の通勤に…拒否できる?」
との記事が掲載されていました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190619-00009756-bengocom-life
記事は、
「相談者は体調不良のため2カ月間、休職。復職しようとしたところ『電車およびバスを乗り継いで片道2時間かかる部署』への異動を打診された。」
「相談者がパニック障害を抱えていること、電車に乗ることができないことは人事担当者にも伝えていた。そこで事実上の退職勧奨ではないかと不安を募らせているそうだ。」
との設例のもと、
「今回の配転命令は、不利益性が高いように思うが、業務である以上、仕方ないのだろうか。」
と問題提起しています。
これに対し、回答者となっている弁護士の方は、
「(1)業務上の必要性がない場合、(2)業務上の必要性がある場合であっても、不当な動機・目的等をもってなされた場合や、労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益が生じる場合、配転命令は権利濫用となります(東亜ペイント事件-最判昭和61年7月14日労判477号6頁)」
「本件の配転命令につき、業務上の必要性があったのかどうか、相談者を退職に追い込もうという不当な動機・目的等があったのかどうかは定かではありません。」
「ただ、相談者はパニック障害を抱え、電車に乗ることができない状態にあるとのことです。 電車やバスを乗り継いで片道2時間もの時間をかけて通勤することは事実上不可能であり、その不利益は著しいものといえるでしょう。」
「裁判例においても、メニエール病に罹患した労働者に対する転勤命令につき、転勤により1 時間40分以上を要する通勤時間に耐えられるか疑問であること等を指摘して転勤命令を無効としたケースがあります(ミロク情報サービス事件-京都地判平成12年4月18日労判790 号39頁)。」
などと回答しています。
しかし、転居の可能性を検討することなく、パニック障害に罹患していて電車に乗ることができない状態にある事実と、電車やバスを乗り継いで片道2時間もの時間をかけて通勤することから「その不利益は著しいものといえる」と結論付けることは、少し危険ではないかと思います。
より具体的に言うと、転居の可能性を検討する必要があると思います。
2.就業規則により会社は転居命令を出すことができる
労働者に対し、転居命令を出すことの可否が争われた事案があります(東京地判平30.6.8労働判例ジャーナル82-58 ハンターダグラスジャパン事件)。
この事件で、裁判所は、
「憲法22条1項は『何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。』としており、同条は民法90条を介して原告と被告の労使関係にも一定の拘束力がある。しかし、被告の就業規則には、被告は、『その判断で社員の配置転換又は転勤を命じることができ』(10条)、『業務上の必要若しくは業務上の都合により、社員に対し就業場所若しくは従事する職務の変更を命じることがあ』り(13条)、『人事異動により居住地の変更を要する場合の取扱いは別に定める』(15条)との定めがあるから、被告は、原告との個別の合意なくして原告の勤務場所を決定し、勤務先の変更に伴って居住地の変更を命じて労務の提供を求める権限を有する。」
「さらにその権限に基づき、使用者は、配置転換等の業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所や居住地を決定することができる。」
との判断を示しています。
要するに、会社は、配置転換に合わせて、労働者に対して、引っ越せという命令を出せるということです。
3.転居命令が有効と認められる範囲は広い
上述のハンターダグラス事件では、転居命令の有効性について、
「転勤命令(転居命令)につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該命令は権利の濫用になるものではない。そして業務上の必要性については、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは業務上の必要性が肯定される。(転勤命令権につき、最高裁判所昭和59年(オ)第1318号同61年7月14日第二小法廷判決・裁判集民事148号281頁参照)」
との判断枠組を示しています。
裁判所が引用している判例は記事でも引用されている東亜ペイント事件です。
東亜ペイント事件と同じ枠組みのもと、裁判所は転居命令の有効性を広く承認していることが窺われます。
4.転居の可能性は著しい不利益が認められるか否かの考慮要素となる
転居することができるかどうかは、著しい不利益が認められるか否かを判断するうえでの考慮要素になります。
例えば、東京地判平9.1.27労働経済判例速報1632-32は、
「原告の現在の住居から本社・玉川工場に通勤するには、片道二時間を超える通勤時間を要するというのであり、独身の女性である原告が漸く入居できた賃貸の公団住宅で老後も安定した生活を続けて行きたいと強く望んでいることも、心情として理解できないわけではないが、首都圏における通勤事情に鑑みれば、片道二時間を超えるといってもあながち通勤が不可能であるとはいえないし、通勤時間を短縮するために転居することが不可能な情があるとも認めがたい。そうすると、結局、以上のような事情があるからといって、本件配転命令が原告に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利を負わせるものとまではいうことができない。」
との判断を示しています。
5.ミロク情報サービス事件との関係
回答者となっている弁護士の方が指摘しているとおり、ミロク情報サービス事件で、裁判所は、メニエール病に罹患した労働者に対する転勤命令につき、転勤により1時間40分以上を要する通勤時間に耐えられるか疑問であること等を指摘して転勤命令を無効としています。
その判示事項は、下記のとおりです。
「中堀(被告会社の京都支社長 括弧内筆者)は、原告の売上が伸びないのは労働意欲や営業努力が欠如しているからであり、また原告には他の従業員との協調性もないと判断し、原告の大阪支社への転勤を本社に申請し、平成一〇年三月二五日、本社から連絡を受け、原告に大阪支社への転勤と主任からの降職の内示を行ったが、原告にこれを拒否されたことなどの事実を認めることができる。」
「そこで、以上の認定事実等を勘案すると、原告は、被告から法的根拠がないのに自宅待機命令を受け、その間にメニエールの病に罹患したため、自宅待機命令が解除されて職場に復帰した後は、睡眠不足等によりめまい発作が起こらないよう注意しながら生活していたこと、原告は、メニエール病に罹患していることを京都支社長であった清水及び中堀はもちろん、京都支社の他の従業員にも知らせていたのであり、メニエール病のため仕事等に支障が生じるかも知れないことは周知されていたこと、被告は、原告につき、他の従業員とは異なり、飛び込みによる会計事務所の新規開拓の仕事に専任させており、この仕事による売上はもともと僅かしか期待できないものであったこと、原告の供述によると、原告が自宅から大阪支社に通勤するには一時間四〇分以上を要するが、メニエール病のため、このような長時間の通勤に耐えられるかどうかは疑問であることなどを指摘することができ、これらの諸点を勘案すると、本件転勤命令は、被告の転勤命令権の濫用であって許されないというべきである。」
ミロク情報サービス事件で問題となった配置転換は、売上が伸びないことによる労働意欲や営業努力の欠如、協調性の欠如が主な理由とされています。
しかし、判決文では、仕事等への支障がメニエール病のためであることが示唆されていますし、売上が上がらないのも本人のせいでないことが指摘されています。
ミロク情報サービス事件は、使用者側が主張していた配置転換命令の合理性を基礎づける事実を否定した事案であり、長時間の通勤に耐えられないことだけを問題視しているわけではありません。むしろ、判決における指摘順序からすると、通勤時間の点は傍論的な判示ではないかとも思われます。
6.著しい不利益が認められるかどうかは、転居可能性によるのではないか
結局、記事のような配置転換が労働者に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益が生じる」と認められるかどうかは、相談者の方の転居可能性に依存してくるのではないかと思います。
何か転居できないことを基礎づける理由があればよいのですが、そうでない場合に単純に現住所地からの通勤が不可能であるとして「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益が生じる」と判断して配置転換を拒むのはかなり勇気がいるのではないかと思います。
7.配置転換の有効性に関する判断は慎重に
なぜ、このようなことを書くのかというと、配置転換の有効性に関しては判断が難しいうえ、判断を誤ると決定的な不利益に繋がりかねないからです。
配置転換を拒み、決められた場所・部署で労務提供をしないと、会社は労働者を解雇してきます。配置転換命令の有効性は、しばしば解雇の適法性・有効性を判断する中で議論されています。
現行の判断枠組みを前提にする限り、配置転換命令の効力を否定することは、決して簡単ではありません。
そのため、配置転換命令に従わないという決断を下すにあたっては、ネット上の一般論で間に合わせるのではなく、当該個別の事案における見解を弁護士に相談してからにすることをお勧めします。