弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

無罪推定の原則と犯罪を理由とする解雇

1.無罪推定の原則は労働事件に使えるか?

 無罪推定の原則という言葉があります。

 これは、「有罪の判決があるまでは被疑者、被告人は有罪ではないとされること」(法令用語研究会編『法律用語辞典』〔有斐閣,第4版,平24〕1101頁参照)を意味する刑事裁判の原則です。

 無罪推定の原則と取締役の解任理由との間に関係がないことは前回のブログでお話ししたとおりです。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/04/11/112407

 では、犯罪行為を理由に労働者を解雇する場合には、どうでしょうか。

 無罪推定の原則を理由に、有罪判決が確定するまで、解雇することはできないということになるのでしょうか。

 結論から申し上げると、そのようなことはありません。

 無罪推定の原則は飽くまでも刑事裁判でのルールであって、民事裁判とはあまり関係がありません。解雇事由の主張立証責任が使用者側にある関係で、無罪推定の原則が働いているように見える事件もあるというだけであって、無罪推定の原則と民事裁判とは直接的な関係はないだろうと思います。

2.刑事裁判と民事裁判とは基本的に別物

 このことを端的に示した裁判例に、東京地決昭48(ヨ)第2264号労判248-34 モービル石油事件 があります。

 本件では、企業外の政治活動において逮捕・勾留・起訴された労働者に対する「業務(に)不適当」であることを理由とする解雇の効力が争われた事案です。

 裁判所は、

「刑事事件の訴訟手続におけるこのような無罪の推定や立証責任の分配は、刑事事件の特質および刑事訴訟の構造に由来するものであって、対等な私人間の紛争にすぎない民事事件(本件のような雇主と従業員との間の労働関係事件であっても、雇主は、経済的には通常従業員より優位に立つものの、訴訟手続においては、刑事訴訟法上検察官に対して認められるような特別の権限は一切認められておらず、従業員と全く対等である。)の訴訟手続における立証責任の分配にまで影響を及ぼすものとは考えられないから、試用期間中の従業員の長期間欠勤などの理由が刑事事件による逮捕、勾留である場合であっても、その従業員が前記各規定による解雇を免れるためには、その長期間の欠勤などが自己の責に帰することのできない事由によるものであることを自己の責任において立証しなければならない」

と、無罪の推定が民事事件の訴訟手続における立証責任の分配に影響を及ぼすことはないと判示しています。 

3.解雇事由の主張立証責任は使用者の側が負担する

 ただ、解雇事由の主張立証責任は基本的に使用者が負担しています。

 普通解雇の場合「解雇が合理的な理由に基づくものであることを根拠付ける事実については、評価障害事実として、解雇を行った使用者側が主張・立証責任を負う」と解されています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務,第2版,平30〕326頁参照)。

 懲戒解雇の場合も「懲戒事由に関する主張立証は専ら使用者側に課される」と理解されています(前掲文献402頁参照)。

 犯罪を理由に解雇しようとする場合、犯罪事実が「解雇が合理的な理由に基づくものであることを根拠づける事実」ないし「懲戒事由」を構成するため、使用者の側は解雇の有効性を論証しようと思えば、犯罪事実の存在を立証しなければなりません。

 そのため、民事裁判においても無罪推定の原則という原理原則があるように思われがちです。しかし、前項で述べたとおり、無罪推定の原則と民事裁判上の主張・立証責任の問題とは、本来的には関係のないものです。

4.逮捕・勾留されたことによる欠勤を理由とする解雇

 このことは、逮捕・勾留されたことによる欠勤を理由に解雇する場面で問題になります。

 犯罪を理由に逮捕・勾留されれば、身体を拘束されるわけですから、当然、出勤することはできなくなります。

 罪を犯したことではなく、欠勤を理由として解雇する場合はどうかという問題です。

 前掲の裁判例は、

「従業員が長期間欠勤するなどして確実な労働の提供をしない場合には、その従業員がいかに優れた知識、技能、体力等の執務能力を有しているとしても、これを十分に発揮することができないのであり、雇主もその従業員の執務能力を有効に活用することができないのであるから、右に述べたとおり、従業員が試用期間中に正当な理由なく長期間欠勤するなどの状態を続けているため、その従業員につき将来も確実に労務の提供がなされることを期待することができないか、または、それを期待することができるか否かが不明であると認められる場合には、それ以上に、その従業員の知識、技能、体力等の執務能力の有無や優劣を問題にするまでもなく、その従業員は「業務(に)不適当」であると認め、その従業員を解雇することができる」

右の逮捕、勾留による長期間の欠勤が申請人の責に帰することのできない事由によるものであることの立証のないかぎり、被申請人が、本件解雇の意思表示をなすに当たって、前記認定のとおり、申請人が右刑事事件により逮捕、勾留されて長期間の欠勤を続けているため、その将来の就労についての具体的な見通しがたたない(これは、将来確実に労務の提供がなされることを期待することができないか、または、少なくともそれを期待することができるか否かが不明であるというのと、同趣旨と解することができる。)と認定し、申請人は、就業規則および労働協約の前記各規定にいう「業務(に)不適当」であると判断したとしても、その認定、判断は不当なものではなかったというべきである。

と判示しています。

 要するに、使用者が長期間の欠勤の事実を立証すれば、労働者は逮捕・勾留が労働者側の責任でないことを立証しなければならないということです。

 このことは民事裁判の主張・立証責任が、無罪推定の原則とは関係がないことを示しています。

5.起訴休職の仕組みがある場合には、その活用を検討することになる

 企業によっては起訴休職という仕組みを設けていることがあります。

 これは起訴されて物理的又は事実上労務の提供ができない状態に至った場合について、一定期間休職とすることで使用者・労働者の利益の折り合いをつける仕組みです。

 休職期間中、使用者は基本的に賃金を支払う必要はありません。労働者は少なくとも休職期間中は労働契約上の地位を維持できます。

 逮捕・勾留されてしまったものの、無罪主張をする場合などは、会社に対し、起訴休職制度の利用を掛け合ってみても良いだろうと思います。

 厚生労働省のモデル就業規則においても、「特別な事情があり休職させることが適当と認められるとき」の解釈として「刑事事件で起訴された場合」がこれに該当すると付記されています

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000118951.pdf

 犯罪事実で解雇された場合はともかく、長期欠勤で解雇された場合、後で無罪を勝ち取っても必ずしも地位の回復が図られるとは限らないので注意が必要です。