1.支払督促
支払督促とは、
「貸したり立て替えたりしたお金や家賃、賃金などを相手方が支払わない場合に、申立人側の申立てのみに基づいて、簡易裁判所の書記官が相手方に支払いを命じる略式の手続」
を言います。
「お金を払ってもらえない」とお困りの方へ 簡易裁判所の「支払督促」手続をご存じですか? | 政府広報オンライン
相手方からの異議の申立てがない場合、判決と同様の効力を持ち、強制執行をすることが可能になります。
この支払督促との関係で、近時公刊された判例集に興味深い裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令6.2.28労働判例ジャーナル150-16 リンクスタッフ事件です。何が興味深いのかというと、辞意を表明した労働者に対する支払督促の申立に不法行為法上の違法性が認められたことです。
2.リンクスタッフ事件
本件で被告になったのは、
職業安定法に基づく有業職業紹介事業、労働者派遣事業等を目的とする株式会社(被告会社)、
被告会社の代表取締役(被告B)
の二名です。
原告になったのは、バングラディッシュ国籍の男性で、被告会社において日本語教育を受ける傍ら、システムエンジニアとして勤務していた方です。
退職の意思を示したところ、退職を強行した場合には原告及びその両親等に対し少なくとも500万円以上の損害賠償を請求するなど記載された通知書を示されました。このほか、業務上必要な物品の購入費用として原告に10万円を交付したところ、当該物品を購入する必要がなくなったにもかかわらず、10万円を返還しないとの理由で、被告から支払督促の申立を受けました。
本件の原告は、こうした行為の違法性を主張して、被告会社には使用者責任を、被告Bには会社法429条に規定されている任務懈怠責任を根拠に、損害賠償を請求しました。本日のテーマである支払督促との関係で言うと、原告は、
「被告B及び被告会社従業員らは、原告を被告会社の寮の鍵を返還させた後、これを奇貨として内容虚偽の本件支払督促申立て及び本件仮執行宣言申立てを行い、東京簡易裁判所をして支払督促及び仮執行宣言付き支払督促を発令させるなどしており、このような一連の行為は、裁判所を欺き、司法制度を悪用し、日本の法制度に通じていない外国籍の元従業員を畏怖させるものであり、不法行為法上違法である。」
と主張しました。
これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、支払督促の申立の違法性を認めました。
(裁判所の判断)
「督促手続は、債権者が、債務者に対し、簡易裁判所の裁判所書記官に対して支払督促を申し立て、債務者にその債権の履行を求める手続であり、その申立てには訴えに関する規定が準用され(民事訴訟法384条)、申立てが一定の事由によって却下されない限り、支払督促が発付され(同法385条)、債務者が督促異議の申立てをしない場合には仮執行の宣言が付され(同法391条)、仮執行の宣言を付した支払督促に対し督促異議の申立てがないとき又は督促異議の申立てを却下する決定が確定した場合には支払督促は確定判決と同一の効力を有し(同法396条)、督促異議の申立てがされた場合には支払督促の申立ての時に訴えの提起があったとみなされる(同法395条)など、訴えの提起をもって始まる通常の民事訴訟手続に準ずる手続である。このような督促手続の性質をからすれば、支払督促の申立てが不法行為に当たるか否かについては、民事訴訟における訴えの提起の場合に準じて検討するべきであり、支払督促の申立てが債務者に対する違法な行為といえるのは、当該申立てにおいて債権者の主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、債権者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて申立てをしたなど、支払督促の申立てが裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」
「前提事実・・・のとおり、被告会社は、実際には原告が業務上必要な物品の購入費用として交付した10万円を返却しないという事実は存在しないことを認識しながら、当該事実を理由とする本件支払督促申立てを行ったばかりか、全部認容の支払督促の発付を受けて本件仮執行宣言申立てを行っていることからすれば、被告会社は、本件支払督促申立てにおいて主張した権利が事実的、法律的根拠を欠くものであることを認識していたと認められる。」
「この点に関し、被告らは、原告と連絡を取る手段としてやむを得ず本件支払督促申立てを行ったものであり、原告から金銭支払を受ける意図はなく、原告の連絡先が判明した時点で取り下げる予定であったし、現に原告代理人弁護士の連絡先判明後には本件支払督促申立てを取り下げており、原告に実害は生じていないことからすれば、被告会社が本件支払督促申立て及び本件仮執行宣言申立てを行ったことは違法とまではいえないと主張する。しかしながら、被告会社は、原告が住居としていた社宅の鍵を返却させた以降、原告が当該社宅に居住していないことを認識しながら、当該社宅を送達先として本件支払督促申立てを行ったものであり、原告が原告代理人弁護士に委任して本件督促異議申立てをすることができたのは、郵便物の転送手続を取ったことにより、前住所地である被告会社の社宅宛てに送達された本件仮執行宣言付き支払督促正本を受領することができたからに過ぎず、原告が本件仮執行宣言付き支払督促正本に気づかぬまま、被告会社が原告に対する債務名義を取得していた可能性も十分にあったことからすると、原告と連絡を取る手段としてやむを得ず本件支払督促申立てを行ったという被告らの主張は採用できない。また、仮に原告と連絡を取る目的を有していたとしても、そのような目的のために虚偽の事実に基づく支払督促の申立てをすることは、支払督促制度の趣旨に照らして著しく相当性を欠き、違法である。また、原告は事実に反する本件仮執行宣言付き支払督促正本の送達を受け、弁護士に依頼するなどの相応の負担を強いられていること等からすれば、被告会社が原告の督促異議の申立て後に本件支払督促申立てを取下げたとしても、本件支払督促申立て及び本件仮執行宣言申立てが違法であることは変わらない。」
「原告は、被告B及び被告会社従業員らが意を通じて本件支払督促申立て及び本件仮執行宣言申立てを行ったと主張するところ、被告Bの令和5年9月20日付け陳述書・・・には『私の知らないところでDらが、東京簡易裁判所に支払督促の申立てを行っていたようでした。』との記載がある。」
「しかしながら、Dらが独断で本件支払督促申立て等を行う合理的理由は見当たらず、被告Bの意を受けた従業員が本件支払督促申立て及び本件仮執行宣言申立てを行ったとみるのが合理的である。本件支払督促申立書・・・には被告Bの代表者印ではなく社印が押印されていることが認められるが,当該事実から被告Bが本件支払督促申立てを知らなかったことを裏付けるとはいえないこと、原告は本件訴訟を提起した令和3年11月22日時点から一貫して被告会社及び被告Bの本件支払督促申立て等に関する損害賠償責任を主張していたが、被告Bは、前記陳述書を提出するまで本件支払督促申立てを当初知らなかったなどと主張したことはないことに加え、令和5年11月1日に予定されていた尋問を合理的な理由なく欠席したことを考慮すれば、被告Bの前記陳述書の内容は信用性を欠くというほかない。」
「したがって、被告B及び被告従業員は、意を通じて、本件支払督促申立て及び本件仮執行宣言申立てを行ったものと認められる。」
3.本気で請求するつもりではなかったと言うが・・・
支払督促に関しては、架空請求のために悪用されることが多く、何度となく公的機関から注意喚起がなされています。
法務省:督促手続・少額訴訟手続を悪用した架空請求にご注意ください
裁判所の手続を悪用した架空請求等にご注意ください。 | 裁判所
「利用した覚えのない請求(架空請求)」が横行しています(テーマ別特集)_国民生活センター
こうした架空請求に対し、不当請求であるとして裁判所で請求者の法的責任を問題にすると、大体「本気で請求するつもりではなかった」といった系統の弁解が出て来ます。本件の被告らも、
「原告と連絡を取る手段としてやむを得ず本件支払督促申立てを行ったものであり、原告から金銭支払を受ける意図はなく、原告の連絡先が判明した時点で取り下げる予定であった」
などと主張していましたが、裁判所は、そうした目的で支払督促を使うこと自体、支払督促制度の趣旨に照らして著しく相当性を欠き、違法であると判示しました。
裁判所の判断は、不当請求を行った者の弁解を排斥するにあたり、実務上参考になります。