弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

賃金の支払義務が遵守されない場合の取締役に対する損害賠償請求(積極)

1.取締役個人に対する賃金相当額の損害賠償請求

 賃金を支払わない会社の中には、支払わないというよりも(資金が払底していて)支払えない会社が少なくありません。

 こうした場合、賃金の支払いを受けられない労働者は、取締役の個人責任を追及することはできないのでしょうか?

 会社法429条1項は、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 法令を遵守することは、取締役としての基本的な職務の一つです(会社法355条 忠実義務)。

 そして、使用者である会社が労働者に対して賃金を支払うことは法令上の義務とされています(労働基準法24条、37条等参照)。

 取締役には会社が法令に違反しないように経営を行う職務があるのであって、賃金を支払わないことは、「職務を怠るについて」悪意又は重過失がある(任務懈怠がある)といって良さそうです。

 また、会社に支払能力があれば、会社から支払を受けられるため「損害」を考えらませんが、会社に支払能力がなければ、労働者には「損害」が発生しているともいえそうです。

 しかし、それだけで、取締役個人に対する責任追及が可能になるわけではありません。損害賠償を請求するには、任務懈怠と損害との間に因果関係のあることが必要だからです(会社法429条1項「これによって」参照)。

 以前、この因果関係を厳格に理解し、

「現時点で被告会社に支払能力がない可能性が相応に高いと考えられるものの、仮に被告B(被告会社の代表取締役 括弧内筆者)に割増賃金不払に関する任務懈怠があったとしても、かかる任務懈怠と被告会社の支払能力の喪失との間に相当因果関係があると認めるに足りる的確な証拠はない」

と述べ、取締役の個人責任を否定した事案として、東京地判令4.8.26労働判例ジャーナル134-48 Holywood事件をご紹介しました。

残業代を支払能力を喪失した会社の取締役に請求する時のチェックポイント-支払能力喪失との間の相当因果関係 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 このように賃金不払と会社の支払能力喪失との間の因果関係を狭く理解すると、取締役の個人責任を追及できる場面が極めて限定的に理解されることになります。このような帰結は、労働者の犠牲のもと、放漫経営を行った経営者を保護する結果になるため、不適切ではないかという問題意識を持っていたところ、近時公刊された判例集に、賃金未払に関する取締役の個人責任が認められた裁判例が掲載されていました。大阪高判令5.1.19労働判例1289-10 エヌアイケイほか事件です。

2.エヌアイケイほか事件

 本件で被告になったのは、

人材派遣業を目駅とする株式会社(エヌアイケイ)、

労働者派遣事業等を目的とする株式会社(コミュニケーションズネットワーク)、

コミュニケーションズネットワークの取締役2名(Y1、Y2)

コミュニケーションズネットワークの代表取締役1名(Y3)、

の三名です。

 原告になったのは、エヌアイケイとの間で労働契約を締結していた方です。

 本件の原告は未払時間外勤務手当等を請求するにあたり、

エヌアイケイだけではなく、

濫用型の法人格否認の法理の適用を主張して、

コミュニケーションズネットワークを、

また、会社法429条の適用を主張し、Y1~Y3を、

被告に加え、未払時間外勤務手当等の支払いを請求する訴えを提起しました。

 原審は、エヌアイケイ、コミュニケーションズネットワークに対する請求を認める一方、Y1~Y3に対する請求を棄却しました。

 これに対し、原告側がY1~Y3ら個人を相手取り、控訴提起したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、Y1~Y3の個人責任を一部認めました。

(裁判所の判断)

「賃金債権は要保護性が高く、労基法上も、賃金の支払義務の違反については罰則が設けられている(労基法24条、120条)。したがって、原審会社被告らをして法令違反及び契約違反がないように賃金の支払義務を遵守させることは、原審会社被告らの役員の職務(任務)である。原審会社被告らの役員において、当該任務の懈怠につき悪意又は重過失があり、これにより控訴人に損害を与えたときは、会社法429条1項に基づき賠償責任を免れないというべきであるところ、前記のとおり、賃金債権等の不払により、控訴人に損害が発生していることは明らかである。以下、被控訴人らが同責任を負うか、前記認定事実等を踏まえて検討する。」

・固定給の未払について

「原審会社被告らにおいては、従業員に勤怠表を提出させ、給料明細書を作成交付して、賃金を支払っていたのであり、従業員に対する賃金支払の仕組みは一応整えられていたものといえる。」

「前記のとおり、控訴人に対する令和元年5月分及び6月分の固定給(基本給と技術手当で月33万円。これが不支給とされたり減額されたりする理由は一切ない。)が未払となっているが、本件証拠上、その原因(単に支給手続に漏れ(事務処理上のミス)があったにすぎないのか、Eから原審被告Aの口座の仮差押えを受けたために支払資金が不足したのか、意図的に支払わなかったのかなど)は不明であり、前記固定給が支払期日に支払われなかったことについて、直ちに同社の役員らに悪意又は重過失による任務懈怠があったものと認定することはできない。」

「しかし、令和元年5月分及び6月分の賃金のうち固定給部分について、原審会社被告らが支払を拒絶する合理的理由があったことを窺わせるに足りる証拠はない(原審会社被告らが実態としては同一法人であり、原審被告Aのもとで発生した賃金債権であることが、原審被告Bにおいて支払を拒絶する理由にならないことは前記のとおりである。)。そして、控訴人は、同年9月4日には、被控訴人Y1と面談した際に同年5月分及び6月分の給料が未払になっていることを伝え、被控訴人Y1は、被控訴人Y2に確認しないと分からないと返答したものである。被控訴人Y2は、被控訴人Y3から、賃金を支払うべきである旨の助言を受けていたものである。そうすると、被控訴人Y1及び被控訴人Y2(以下、この2名を「被控訴人両名」ともいう。)は、遅くとも同年9月末までには、控訴人に対する同年5月分及び6月分の固定給の支払が未了になっていることを認識した、あるいは容易に確認して認識することができたものと推認することができるのであり、直ちに原審会社被告らをしてその支払を行わせる必要(任務)があったというべきである。しかるに、被控訴人両名は、原審会社被告らをしてその支払を行わせておらず、その後も未払のまま放置していたものである。したがって、被控訴人両名には、同年10月1日以降も控訴人に対する同年5月分及び6月分の固定給が未払であったことについて、悪意又は重過失による任務懈怠があると認められる(なお、当時、控訴人の雇用主は形式的には原審被告Aから原審被告Bに変わっていたが、原審被告BはEとの紛争を避ける等の目的で設立されたにすぎず、控訴人に対する関係では両社の実態は同一であることなどは前記のとおりである。被控訴人Y2が主導して原審被告Bを設立し、被控訴人Y1もその事情を知りながらこれに協力・加担したのであるから、両者の法人格が形式的には異なることをもって、前記の任務懈怠について重過失がないなどということはできない。)。」

「また、被控訴人Y3は、原審会社被告らの設立に関与した上、取締役に就任している。被控訴人Y3は、被控訴人Y2とは友人関係にあり、経営に関する助言等もしていたことが認められるから、単なる名目的な取締役であったということはできない。被控訴人Y3において、原審被告Bの設立の経緯や、原審会社被告らの実態が同一であることを認識していたことは明らかである。原審会社被告らの従業員は、控訴人を含め8名ないし10名程度・・・であるから、被控訴人Y3において、控訴人の賃金債権の支払状況を確認することが困難であったとは認められないし、被控訴人Y3は、被控訴人Y2からの話により、控訴人に未払労働債権があることを認識していたものである。それにもかかわらず、被控訴人Y3は、一般的な助言を被控訴人Y2にしただけで、具体的な未払の賃金債権等の額や内容を確認することもなく放置していたことが認められる。したがって、被控訴人Y3は、原審会社被告らの経営陣の一員として、被控訴人両名の任務懈怠に加担したものであり、取締役として会社に法令を遵守させるべき自らの任務の懈怠について重過失が認められるというべきである。

したがって、被控訴人らは、控訴人に対し、各自、令和元年5月分及び6月分の固定給合計66万円が同年10月1日以降も未払であったことにつき、会社法429条1項に基づく損賠賠償責任を負う。

(中略)

・割増賃金の未払について

「前記のとおり、平成30年4月分から令和元年9月分までの割増賃金(残業代)合計116万7627円が未払となっている。しかし、これは、技術手当がみなし残業代であるかどうか等について、原審会社被告らと控訴人との間で見解の相違があったことによるものであり、原審会社被告らの見解・主張が全く根拠を欠くものであったとまではいえないから、原審会社被告らから前記残業代が支払期日に支払われず、原判決確定まで支払がない状態が継続していたことをもって、同社の役員らの悪意又は重過失による任務懈怠であるということはできない。したがって、被控訴人らが、この点について、会社法429条1項に基づく損害賠償責任を負うとは認められない。」

(中略)

・通勤手当の未払について

「前記のとおり、平成元年7月分から9月分の通勤手当の一部(合計2万0459円)が未払となっているが、それ以前は通勤手当はきちんと支払われていたし、前記月分も通勤手当の一部は支払われていたものである。未払額は、従前の派遣先(F)への通勤費用の金額と、新たな派遣先への通勤費用の金額との差額であるところ、本件証拠上、同額の未払が生じた原因は不明であり、前記通勤手当の一部が支払期日に支払われなかったことについて、原審会社被告らの役員らに悪意又は重過失による任務懈怠があったものと認定することはできない。」

「しかし、控訴人は、令和2年4月10日到達の被控訴人Y1(原審被告B代表取締役)宛の書面により、前記通勤手当の一部が未払であるとして、その支払を求めている・・・。原審被告Bの実質的な代表者は被控訴人Y2であり、被控訴人Y1は、当然、これを被控訴人Y2に伝えたものと推認することができる。そうすると、被控訴人両名は、遅くとも同年4月末までには、控訴人に対する令和元年7月分ないし9月分の通勤手当の一部の支払が未了になっていることを認識した、あるいは容易に確認して認識することができたものと推認することができるのであり、直ちに原審会社被告らをしてその支払を行わせる必要(任務)があったというべきである。しかるに、被控訴人両名は、原審会社被告らをしてその支払を行わせておらず、その後も未払のまま放置していたものである。したがって、被控訴人両名には、令和2年5月1日以降も控訴人に対する前記通勤手当の一部が未払であったことについて、悪意又は重過失による任務懈怠があると認められる。また、彼控訴人Y3も、被控訴人両名の任務懈怠に加担したものとして、同様の任務懈怠責任を免れない。

したがって、被控訴人らは、控訴人に対し、各自、前記通勤手当の一部合計2万0459円が令和2年5月1日以降も未払であったことにつき、会社法429条1項に基づく損賠賠償責任を負う。

3.因果関係がそれほど厳密には問われていない

 本件の特徴は、

「取締役が賃金等を支払わなかった⇒その結果、会社に支払能力がなくなった⇒労働者が割増賃金の支払いを受けられなくなった」

という因果関係を厳密に検討されていないことにあります。

「賃金等が支払われないのを放置していた⇒未払であったことに損害賠償責任を負う」

といったように、会社の支払不能を媒介にしていないように読めます。

 賃金債権の回収のため、取締役ら経営陣の個人責任を問うことが意味を持つ事件は一定数あります。そうした事件の処理にあたり、本件の判示は参考になります。

 

労働者が濫用型の法人格否認の法理を使うにあたり必要になる使用者の違法・不当な目的は、当該労働者に対する賃金債務を免れる目的であることを要するか?

1.法人格否認の法理

 法人格否認の法理とは、

「ある法人を実質的に支配している者が、法人格が異なることを理由に責任の帰属を否定することが正義・衡平の原理に反すると考えられる場合に、信義則(民法1条2項)上、そのような主張をすることを許さないものとする法理」

をいいます(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第2版、令3〕81頁参照)。

 法人格否認の法理には、形骸型と濫用型があります。濫用型とは、文字通り法人格が濫用されている場合をいいます。濫用型の法人格否認の法理が認められるためには、

「法人を背後から『支配』している者がその法人格を違法・不当な『目的』で濫用したという事情(『支配』の要件と『目的』の要件)が必要である」

と理解されています(前掲『詳解 労働法82頁参照)。

 それでは、労働者が未払賃金(割増賃金、時間外勤務手当等)を請求するために濫用型の法人格否認の法理の適用を主張する場合、適用要件となる違法・不当な目的は、賃金支払債務を免脱する目的であることを要するのでしょうか? それとも、より広く一般的な意味での違法・不当性があれば足りるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪高判令5.1.19労働判例1289-10 エヌアイケイほか事件です。

2.エヌアイケイほか事件

 本件で被告になったのは、

人材派遣業を目駅とする株式会社(エヌアイケイ)、

労働者派遣事業等を目的とする株式会社(コミュニケーションズネットワーク)、

コミュニケーションズネットワークの取締役2名(Y1、Y2)

コミュニケーションズネットワークの代表取締役1名(Y3)、

の三名です。

 原告になったのは、エヌアイケイとの間で労働契約を締結していた方です。

 本件の原告は未払時間外勤務手当等を請求するにあたり、

エヌアイケイだけではなく、

濫用型の法人格否認の法理の適用を主張して、

コミュニケーションズネットワークを、

また、会社法429条の適用を主張し、Y1~Y3を、

被告に加え、未払時間外勤務手当等の支払いを請求する訴えを提起しました。

 原審は、エヌアイケイ、コミュニケーションズネットワークに対する請求を認める一方、Y1~Y3に対する請求を棄却しました。

 これに対し、原告側がY1~Y3ら個人を相手取り、控訴提起したのが本件です。

 本件の裁判所は、次のとおり述べて、原審と同様、法人格否認の法理の適用を認ました。

(裁判所の判断)

「原審被告Bは、被控訴人Y2が、Eによる原審被告Aの口座の仮差押えを同社に対する業務妨害と捉え、Eによる原審被告Aに対する債権行使ないし責任追及を回避し、Eとの間の紛争を避けるという目的(原審被告Aの業務は人材派遣業であり、同社が派遣先から支払われる派遣料ないし委託料の他に特段の収入源や資産を有していた形跡はなく、同社(旧会社)の業務を原審被告B(新会社)に移せば、旧会社で業務を行うことはできず収益も生じなくなり、債権者から旧会社への責任追及ないし債権回収も不可能となるという関係にある。)で設立した会社にすぎない。前記のとおり、原審被告Aと原審被告Bとは、経営陣、従業員、事業内容などからして、法人としての実態は同一のものである。原審被告Bは、雇用契約承継のための手続等も行わないまま、原審被告Aの業務及び従業員のすべてを引き継ぎ、本件案内文前と同様に労務提供を受けていたのである。そうすると、原審会社被告らにおいて、控訴人その他の従業員に対する関係で、雇用主が原審被告B又は原審被告Aのいずれかであり、両者の法人格が形式的に異なることを前提に、一方のみが賃金支払債務を負う旨主張することは、信義則上許されないというべきである。したがって、控訴人は、原審会社被告らのいずれに対しても、雇用契約に基づく賃金債権等を請求することができるというべきである。

3.賃金支払債務を免れる目的ではなくても足りる

 本件で違法・不当な目的が認定されたのは、別件訴訟の債権者からの仮差押えを免れるためであり、必ずしも原告からの賃金請求を回避するためであったわけではありません。

 それでも、裁判所は法人格否認の法理(濫用型)の適用を認めました。これは、当該訴訟における原告の債権を免脱する目的がなかったとしても、目的要件が充足される場合はあり得るとの前提に立っているからだと思われます。

 濫用型の法人格否認の法理の適用に必要とされる目的要件との関係で議論される債務免脱目的は、必ずしも原告に対する債務であることを要しない-法人格否認の法理は実務上もそれなりに活用する法律構成であり、このような判断が出たことは、覚えておく価値があるように思います。

固定残業代の効力-大部分の従業員が異議を述べなかったことは時間外労働の対価であることを基礎づけるのか?

1.固定残業代の有効要件

 最一小判令2.3.30労働判例1220-5 国際自動車(第二次上告審)事件は、固定残業代の有効要件について、

通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である・・・。そして、使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり・・・、その判断に際しては、当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記・・・で説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」

と判示しています。

 傍線部の一番目は「判別要件」「明確区分性」などと言われています。傍線部の二番目は「対価性要件」と言われています。

 固定残業代の効力は、この二つの要件との関係で議論されるのが通例です。

 それでは、対価性要件との関係で、大部分の従業員が時間外勤務の対価であることに異議を述べてこなかったことは、ある手当が時間外勤務の対価であることの根拠になるのでしょうか。

 昨日ご紹介した、さいたま地判令5.5.26労働判例ジャーナル137-10 埼玉新聞社事件は、この問題を考えるうえでも、参考になる判断を示しています。

2.埼玉新聞社事件

 本件の被告は、日刊一般紙の発行等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の営業職及び新聞記者として勤務している方です。時間外労働に対する未払賃金が存在すると主張して、被告を提訴したのが本件です。

 本件では「役職手当」に時間外労働の対価としての性質が認められるのか否かが争点になりました。

 裁判所は、被告の給与規定上、役職手当は時間外手当とは異なる性質のものとして取り扱っていると判示したうえ、被告の、

「被告の従業員においても、労働組合においても、何十年にもわたり、役職手当を定額時間外手当と理解し、そのように運用し、そのような運用を受け入れてきた」

との主張を、次のとおり述べて、排斥しました。

(裁判所の判断)

「被告の就業規則及び給与規定の文言や位置付けから、役職手当が時間外労働に対する対価であるものと評価することはできない。」

「次に、被告は何十年にもわたり、役職手当を定額時間外手当と運用し、被告の従業員においても、労働組合においても、そのように理解し、被告の運用を受入れてきた旨主張するので、この点につき検討する。」

(中略)

「・・・平成31年4月に実残業制度が導入されるまでの被告における給与規定の運用は、実労働時間に応じた残業代の支払は行われておらず、一般の従業員は定額の時間外手当として打切残業手当の支払を受けるが、役職者になると、役職に応じて月額5万円前後の役職手当の支払を受けられるようになる一方で、打切残業手当の支払は受けられなくなるというものであったと認められる。」

「上記のような運用における役職手当の性質に関する被告の説明及び従業員らの認識について見ると、証人P4は、自身に役職手当が支給されるようになった平成4年に、役職手当が定額時間外手当であることの説明を当時の経理部長から受けた旨証言し・・・、同旨の記載がされた被告従業員の陳述書・・・を提出する。しかしながら、証人P4の証言には特段の裏付けもなく、被告の従業員のうちには異なる供述をする者もおり・・・、その証言の信用性については一定の制約を否定できない。」

「原告は、平成11年に被告に入社し、打切時間外手当の支給を受けていたところ、平成16年4月に主任となった後、打切時間外手当が支給されなくなり、役職手当の支給を受けるようになったが・・・、令和元年5月頃までは役職手当の性質に関して被告から説明を受けたことはなく、役職に見合った手当であるとの認識を有していた旨供述しており、実労働時間に応じた残業代の支払がされていなかったことに照らし、原告の上記供述が不合理であるということはできない。」

「そして、被告において給与規定の改定が検討されてきたにもかかわらず現在に至るまで実現できていないこと・・・をも併せ考慮すると、少なくとも、被告において、役職者に支給される役職手当をもって定額時間外手当であるとの認識が長期間にわたり原告を含む全従業員との間で共有されていたことを認めるには足りないというべきである。」

「前記・・・の認定事実に証拠・・・及び弁論の全趣旨を併せると、平成30年頃から、過去の残業代の未払問題の解決と今後の実残業制度の導入が検討され、役員と従業員らとの個別面談が行われたこと、被告は役職手当は時間外労働の対価の性質を有することを前提として上記の検討を行ったこと、大部分の従業員が被告の提案に異議を述べなかったことが認められる。もっとも、異議を述べなかった従業員らが、被告が経営危機に陥っているとの説明を踏まえて、会社の存続を願って被告の提案に応じる判断をしたことは十分に考えられ、被告が提案した解決方法に従業員らが異議を述べなかったことにより、役職手当が時間外労働手当の性質を有することが長年にわたり受入れられていたとの被告の主張の裏付けられるとは必ずしも言えない。

そして、原告が被告の各提案に同意したとは認められないのであって、給与規定の改定が行われないままとなっている状況下で、被告の提案に他の従業員の同意を得られたとしても、原告・被告間の労働契約における労働条件が被告と原告以外の従業員との間の同意内容に沿ったものとなるということはできない。

「したがって、被告が原告に対して支払った役職手当を、時間外労働に対する既払額として控除することはできない。また、原告の割増賃金の基礎となる賃金に役職手当を含めることとなり、原告に支払われた基本給等・・・及び原告の所定労働時間・・・を前提とすると、原告の時間外労働の賃金計算のための賃金単価は、別紙・・・のとおりとなる。」

3.他の従業員は同意しているという圧力への対抗

 固定残業代の効力を争う裁判に限らず、労働者が使用者に対して訴訟を提起すると、使用者側から従業員の陳述書が大量に提出されることがあります。人証調べを前提としないうえ、使用者の意向に反した供述をしにくい立場にいる従業員の陳述書にどれだけの証拠価値があるのかは分からないのですが、あたかも職場で問題を起こしているのは原告だけだと言わんばかりに陳述書が提出されます。本件は陳述書が提出されている事案ではないように思われますが、

「異議を述べなかった従業員らが、被告が経営危機に陥っているとの説明を踏まえて、会社の存続を願って被告の提案に応じる判断をしたことは十分に考えられ、被告が提案した解決方法に従業員らが異議を述べなかったことにより、役職手当が時間外労働手当の性質を有することが長年にわたり受入れられていたとの被告の主張の裏付けられるとは必ずしも言えない。」

「被告の提案に他の従業員の同意を得られたとしても、原告・被告間の労働契約における労働条件が被告と原告以外の従業員との間の同意内容に沿ったものとなるということはできない。」

というフレーズは、割と色々な事件で応用できる可能性があります。

 こうした点でも、本件で裁判所が示した判断は参考になります。

 

固定残業代の効力-時間外勤務手当を支給しない代わりに支給される手当の対価性(消極)

1.固定残業代の有効要件

 最一小判令2.3.30労働判例1220-5 国際自動車(第二次上告審)事件は、固定残業代の有効要件について、

通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である・・・。そして、使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり・・・、その判断に際しては、当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記・・・で説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」

と判示しています。

 傍線部の一番目は「判別要件」「明確区分性」などと言われています。傍線部の二番目は「対価性要件」と言われています。

 固定残業代の効力は、この二つの要件との関係で議論されるのが通例です。

 それでは、対価性要件との関係で、

役職者には役職手当を支給する、

役職者には時間外勤務手当等の支給規定を適用しない、

という形で規定された役職手当について、時間外労働の対価としての性質は認められるのでしょうか? 上記のような規定から、役職手当が時間外手当の代わりだという趣旨を読み込むことはできるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に掲載されていた、さいたま地判令5.5.26労働判例ジャーナル137-10 埼玉新聞社事件です。

2.埼玉新聞社事件

 本件の被告は、日刊一般紙の発行等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の営業職及び新聞記者として勤務している方です。時間外労働に対する未払賃金が存在すると主張して、被告を提訴したのが本件です。

 本件では、就業規則(給与規定)上、次のように位置づけられた「役職手当」の固定案業代としての効力が問題になりました。

・給与規定2条(給与の構成)1項

給与の構成は次の通りとする。

a 基準内賃金

〔1〕基本給

〔2〕役職手当

〔3〕職場手当

b 基準外賃金

〔1〕時間外手当・休日出勤手当

〔2〕特別手当

〔3〕家族手当

〔4〕能率手当

〔5〕日直手当

〔6〕宿直手当・宿泊手当

〔7〕通勤手当

〔8〕調整手当

・給与規定9条(役職手当)

役職手当は主任以上の役職者ならびに役職待遇者に支給する。役職手当の額は別に定める。

・給与規定10条(時間外手当および休日出勤手当)

就業規則第18条2項の規定による時間外手当および休日出勤手当は次の計算により支給する。

a 1日の所定勤務時間を超えたとき、1時間につき基本時給の25%増。

b 前号の超過勤務時間が引き続き深夜(午後10時から午前5時まで)にわたったときは、その深夜作業分につき、1時間につき基本時給50%増。

c 所定休日に勤務したとき、1時間につき基本時給の25%増。

d 前号の勤務時間が1日の所定勤務時間を超えたとき、1時間につき基本時給の50%増、引き続き深夜にわたるときは、その深夜作業分につき1時間につき基本時給の75%増とする。

・給与規定11条(基本時給)

前条の時間外手当および休日出勤手当の基礎となる賃金は、基準内賃金の総額とし、その額の165分の1をもって基本時給とする。ただし、日給者にあっては、日額の7.5分の1とする。

・給与規定12条(除外例)

前2条の規定は、役職者ならびに、これに準ずる役職待遇者および編集局外勤記者、各局営業外勤者または会社が特に必要と認めた職種については適用しない。ただし、職種により時間外手当に替えて打切時間外手当を支給する。

 このような位置付けの「役職手当」について、裁判所は、次のとおり述べて、規定からは役職手当が時間外労働の対価であると評価できないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、被告の給与規定に定められた役職手当は、定額時間外手当に当たる旨主張するところ、雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである(最高裁平成29年(受)第842号同30年7月19日第一小法廷判決・裁判集民事第259号77頁等参照)。」

「そこで、まず、被告における時間外労働に対する対価の支払に関する給与規定等の定めについて検討する。」

「被告における原告の労働条件は、就業規則及び給与規定によって定められているが・・・、被告の就業規則18条2項では、時間外労働に対する賃金については、『別に定める給与規定により、時間外手当および休日出勤手当を支払う。』と規定されているにとどまる・・・。」

「そして、被告の給与規定は、9条で『役職手当は主任以上の役職者ならびに役職待遇者に支給する。役職手当の額は別に定める。』と規定し・・・、時間外手当及び休日出勤手当の計算方法について定める10条及び11条に続く12条において、『前2条の規定は、役職者ならびに、これに準ずる役職待遇者および編集局外勤者(以下略)については適用しない。』と規定しているところ・・・、被告は、これらの規定によれば,役職手当が時間外手当の性質を有することが明らかである旨主張する。しかしながら、役職者等について、10条及び11条に基づく時間外手当及び休日出勤手当の支給を行わないからといって、必ずしも役職者等が支給を受ける役職手当が当然に時間外手当に替わるものとして時間外労働に対する対価の性質を有することが明らかであるということはできない。

「かえって、給与規定2条は、時間外手当を基準外賃金と定める一方で、役職手当は基本給及び職場手当と同列の基準内賃金と定めている・・・。基準内賃金の総額は、時間外手当算出のための基礎賃金とされているのであり(給与規定11条)、被告の給与規定は役職手当を時間外手当とは異なる性質のものと取り扱っているものと解するのが相当である。」

「被告の就業規則及び給与規定において、ほかに役職手当が時間外労働に対する対価であることをうかがわせる規定は見当たらない。」

「被告は、平成18年に被告の経営危機を背景に給与制度や給与規定の改定を検討し、役職手当につき30時間分の時間外手当を含むものと明記しようとしていた点を指摘する。」

「しかしながら、被告が提出する給与規定等の改定案・・・についても、結局は、検討したにとどまり、時間外手当に関連する給与規定等の改定はできなかった・・・のであるから、現行の給与規定について上記改定案に沿った解釈をすべきであるということにはつながらない。」

「よって、被告の就業規則及び給与規定の文言や位置付けから、役職手当が時間外労働に対する対価であるものと評価することはできない。」

3.時間外手当等の支給を行わないことから直ちに対価性が導かれるわけではない

 時間外手当(時間外勤務手当)等を支給しない代わりに○○手当を支給するという建付けの賃金制度を目にすることは少なくありません。

 そのような賃金制度のもと、

時間外手当の代替物であるのだから、当然、時間外勤務の対価だ、

と主張されても、本裁判例の趣旨に従えば、

時間外手当等の支給が行われないことと、その代わりに支給される特定の手当が時間外勤務の対価であるかどうかは別の話だ、

と言い返すことができます。

 そう考えると、意外と活用の余地のありそうな裁判例であり、実務上参考になります。

 

職務遂行過程で生じた軽微/単純な過誤の懲戒事由該当性が否定された例

1.足元を掬う懲戒処分

 会社が労働者を解雇するにあたっては、事前に注意・指導したり、懲戒処分を行ったりするなど、改善の機会を与えていたのかどうかが重要な意味を持つことが少なくありません。そのため、解雇対象者として使用者から目を付けられた労働者は、行動を監視され、過誤を見つけられては、注意・指導を受けたり、懲戒処分を受けたりすることがあります。

 こうした場合に悩ましいのは、ミスを無くすことが不可能であることです。

 人為的な作業からミスを無くすことは不可能です。そのため、行動を四六時中監視され、過誤が生じる度に注意・指導や懲戒処分をされるとなると、時間の経過と共に必然的に注意・指導歴や懲戒歴が積み重なって行きます。このように、労働者には、使用者から目を付けられると、結局はジリ貧に陥ってしまいやすいという立場の弱さがあります。

 しかし、近時公刊された判例集に、コツコツと軽めの懲戒処分を積み上げていく手法に対抗するため活用できそうな裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介している東京地判令4.12.17労働経済判例速報2521-16 全国建設労働組合総連合事件です。

2.全国建設労働組合総連合事件

 本件で被告になったのは、

全国の建設産業関係労働組合及びそれらの連合会をもって構成される産業別労働組合(被告Y1)、

被告Y1の書記長(被告Y2)、

被告Y1の専従役員(被告Y3)

の三名です。

 原告になったのは、被告Y1との間で労働契約を締結し、書記として勤務していた方です。被告Y1から譴責の懲戒処分を受けたことについて、その無効確認を求めるとともに、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件で被告が構成した懲戒処分対象事実は7つあり、その内容は次のとおりです。

・懲戒処分の対象となる事実1(本件懲戒処分対象事実1)

「3月9日(金)午後1時頃、Y1が行っている国交省の補助事業において、当日が国交省の『平成29年度地域に根ざした木造住宅施工技術体制整備事業保金(判決注:原文のまま)交付申請等マニュアル』に基づく経費の支払期日となっていたため、Y3技術対策部長(被告Y3)が原告に対して支払漏れがないか確認を求めたところ、Lに支払っていないと回答。Y3部長は既に支払われていた記憶があったことから、再度確認を求めたが支払っていないと回答したため、支払手続をするようお願いした。振込手続をした後、午後外出から事務所に戻ってきたE書記にY3部長が確認したところ、2月22日に支払済みであることが明らかとなり、改めて原告から財政部に確認したところ、支払済みであることを確認。同日LのT氏がY1事務所に来ていたことから、お詫びするとともに返金をY1がLに対しお願いし、3月13日にLより返金が行われた。」

・国交省補助事業及び日常業務に関する事項

(1)懲戒処分の対象となる事実2①(本件懲戒処分対象事実2)

「Jが行った国交省補助事業において、2月中旬から3月9日の間において、Kから講師謝金請求書が2枚送付されたが、日付を確認せず同じ請求書と勘違いし、1回分(3万円)の経費(U分)を計上漏れした。発覚したのは3月下旬。」

(2)懲戒処分の対象となる事実2②(本件懲戒処分対象事実3)

「Y1が行った国交省補助事業において、Y1が定めた講師謝金の上限額である23万7000円を超過して、Mから24万円の請求があり、その額を実績額として計上した、過剰受給となった。」

(3)懲戒処分の対象となる事実2③(本件懲戒処分対象事実4)

「Jが行った国交省補助事業において、J四国ブロック委員(V1名4万8300円)の謝金について、旅費分の11,860円のみ計上し、委員謝金48,300円を計上漏れのまま、国土交通省へ実績報告した。」

(4)懲戒処分の対象となる事実2④(本件懲戒処分対象事実5)

「Y1が行っている資格取得報奨金制度について、6組合(N、M、O、P、Q、R)の6月支給分について、『Y1技能者育成基金制度規程』に定められた支給決定通知書を出さずに別の物を出した。」

(5)懲戒処分の対象となる事実2⑤(本件懲戒処分対象事実6)

「3月10日(土)の休日出勤の際に、その日の朝7時過ぎに部長にメールをして出勤している。なぜ事前連絡しなかったのか。」

(6)懲戒処分の対象となる事実2⑥(本件懲戒処分対象事実7)

「5月16日(水)朝、私的な理由で6時半に出勤して、管理人のWさんに会館玄関を開けさせた。」

 このうち、職務遂行過程で生じた軽微/単純な過誤が懲戒事由になるのかという観点から意味があるのは、本件懲戒対象事実2~5についての判断です。

 裁判所は、次のとおり述べて、本件懲戒対象事実2~5の懲戒事由該当性を否定しました。

(裁判所の判断)

・本件懲戒処分対象事実2~5について

「前記認定事実によれば、①原告が、Jが行った国交省補助事業において、同年2月中旬から同年3月9日の間、Kから講師謝金請求書が2枚送付されたが、日付を確認せず、同じ請求書と勘違いし、1回分(3万円)の経費を計上漏れした事実(本件懲戒処分対象事実2)、②原告が、被告Y1が行った国交省補助事業において、同年5月16日頃、Mからの24万円の請求を受けて、被告Y1が定めた講師謝金の上限額である23万7000円を超過して、24万円を実績額として計上し、補助金を過剰受給させた事実(本件懲戒処分対象事実3)、③原告が、Jが行った国交省補助事業において、同年5月21日頃、J四国ブロック委員の謝金について、委員の謝金(1人分。4万8300円)を計上漏れのまま、旅費分の1万1860円のみを計上して実績報告した事実(本件懲戒処分対象事実4)、④原告が、同年、被告Y1が行っている資格取得報奨金制度について、N、M、O、P、Q、Rの6組合の6月支給分について、Y1技能者育成基金制度規程に定められた支給決定通知書と異なる書式を用いて作成した事実(本件懲戒処分対象事実5)が認められる。」

これらはいずれも原告の過失によって発生したものではあるが、内容そのものはいずれも軽微なものであり、本件懲戒処分対象事実1とは異なり、それが就業に関する明示的な規律に反するような態様によって惹起されたものとは認められないから、本件懲戒処分対象事実2~5を発生させたからといって、原告が職務上の責任を自覚していなかったとか、誠実に職務を遂行していなかったと認めることは困難である。そうすると、

本件規程10条の『職務上の責任を自覚し、誠実に職務を遂行する』

に違反するものとはいい難い。また、懲戒処分は規律違反や秩序違反に対する制裁罰であるから、職務遂行過程で生じさせた単純な過誤が、

本件規程54条1項⑦の『第3章所定の服務規律…に違反したとき』

の懲戒事由に該当するというには躊躇を覚える。これらの点から、原告が本件懲戒処分対象事実2~5を発生させたことは、本件規程10条に違反するものではないし、本件規程54条1項⑦の懲戒事由にも該当するものではないといわざるを得ない。

3.懲戒事由該当性自体が否定された

 本件で特徴的なのは、労働者の過失を認めながらも、軽微な過失/職務遂行過程で生じた単純な過誤であるとして、懲戒事由該当性自体が否定されていることです。懲戒処分の程度が重い(不相当)というのではなく、懲戒事由に該当しない、つまり、懲戒権を発動すること自体が許されないと判示しています。

 本裁判例のような見解に立てば、軽微な過失・過誤を根拠として、使用者側がコツコツと懲戒処分歴を積み重ねようとしてきた場合、解雇される前段階から、

このようなものは懲戒権を発動する根拠にならない(労働契約法15条にいう「使用者が労働者を懲戒することができる場合」には該当しない)として、裁判所に事件を持ち込み、早々に使用者側の解雇計画を挫くことができます。

 使用者側の常套手段にへの対抗措置になる可能性を有しており、裁判所の判断には重要な意義があります。

 

指示した上司が懲戒されず、非違行為をした部下が懲戒されるのは不公平とされた例

1.懲戒権濫用

 労働契約法15条は、

「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」

と規定しています。

 この「その他の事情」には、

「労働者の行為の結果(企業秩序に対しどのような影響があったか)、労働者側の情状(過去の処分・非違行為歴、反省の有無・態度など)、使用者側の対応(他の労働者の処分との均衡、行為から処分までの期間など)などが含まれる」

と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第2版、令3〕569頁参照)。

 つまり、懲戒処分は、監督責任を負う上司に対して行われた処分や、似たような非違行為をした同僚に対する処分とのバランスが悪いことを理由に、効力を否定されることがあります。

 近時公刊された判例集にも、非違行為への他の関与者との公平性が一因となって、懲戒処分の効力が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令4.12.17労働経済判例速報2521-16 全国建設労働組合総連合事件です。

2.全国建設労働組合総連合事件

 本件で被告になったのは、

全国の建設産業関係労働組合及びそれらの連合会をもって構成される産業別労働組合(被告Y1)、

被告Y1の書記長(被告Y2)、

被告Y1の専従役員(被告Y3)

の三名です。

 原告になったのは、被告Y1との間で労働契約を締結し、書記として勤務していた方です。被告Y1から譴責の懲戒処分を受けたことについて、その無効確認を求めるとともに、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件で被告が構成した懲戒処分対象事実は7つあり、その内容は次のとおりです。

・懲戒処分の対象となる事実1(本件懲戒処分対象事実1)

「3月9日(金)午後1時頃、Y1が行っている国交省の補助事業において、当日が国交省の『平成29年度地域に根ざした木造住宅施工技術体制整備事業保金(判決注:原文のまま)交付申請等マニュアル』に基づく経費の支払期日となっていたため、Y3技術対策部長(被告Y3)が原告に対して支払漏れがないか確認を求めたところ、Lに支払っていないと回答。Y3部長は既に支払われていた記憶があったことから、再度確認を求めたが支払っていないと回答したため、支払手続をするようお願いした。振込手続をした後、午後外出から事務所に戻ってきたE書記にY3部長が確認したところ、2月22日に支払済みであることが明らかとなり、改めて原告から財政部に確認したところ、支払済みであることを確認。同日LのT氏がY1事務所に来ていたことから、お詫びするとともに返金をY1がLに対しお願いし、3月13日にLより返金が行われた。」

・国交省補助事業及び日常業務に関する事項

(1)懲戒処分の対象となる事実2①(本件懲戒処分対象事実2)

「Jが行った国交省補助事業において、2月中旬から3月9日の間において、Kから講師謝金請求書が2枚送付されたが、日付を確認せず同じ請求書と勘違いし、1回分(3万円)の経費(U分)を計上漏れした。発覚したのは3月下旬。」

(2)懲戒処分の対象となる事実2②(本件懲戒処分対象事実3)

「Y1が行った国交省補助事業において、Y1が定めた講師謝金の上限額である23万7000円を超過して、Mから24万円の請求があり、その額を実績額として計上した、過剰受給となった。」

(3)懲戒処分の対象となる事実2③(本件懲戒処分対象事実4)

「Jが行った国交省補助事業において、J四国ブロック委員(V1名4万8300円)の謝金について、旅費分の11,860円のみ計上し、委員謝金48,300円を計上漏れのまま、国土交通省へ実績報告した。」

(4)懲戒処分の対象となる事実2④(本件懲戒処分対象事実5)

「Y1が行っている資格取得報奨金制度について、6組合(N、M、O、P、Q、R)の6月支給分について、『Y1技能者育成基金制度規程』に定められた支給決定通知書を出さずに別の物を出した。」

(5)懲戒処分の対象となる事実2⑤(本件懲戒処分対象事実6)

「3月10日(土)の休日出勤の際に、その日の朝7時過ぎに部長にメールをして出勤している。なぜ事前連絡しなかったのか。」

(6)懲戒処分の対象となる事実2⑥(本件懲戒処分対象事実7)

「5月16日(水)朝、私的な理由で6時半に出勤して、管理人のWさんに会館玄関を開けさせた。」

 上司や他の関与者との処分の均衡が根拠となって懲戒権の行使が否定されたのは、本件懲戒対象事実1との関係です。

 裁判所は、次のとおり述べて、本件懲戒対象事実1を理由とする懲戒権行使を否定しました。

(裁判所の判断)

「Lの被告Y1に対する200万円の請求書について、平成30年3月9日午前、実際には同年2月22日に被告Y1がLに対して200万円を支払っていたのに、被告Y1がLに対して誤って200万円を二重払するという出来事が発生したこと、200万円の振込について、上司である被告Y3の指示あったとはいえ、被告Y3の承認印のある支払承認書のないまま原告が財政部のD書記に振込手続を依頼したことが認められ、原告が住宅対策部のE主任書記にもLへの支払の有無を確認しなかった点で原告の対応が不十分であったと認められる。」

「かかる原告の行為は、支払の有無の確認が不十分だったというだけでなく、被告Y3の指示があったとはいえ、被告Y1における決まりに反し、被告Y3の承認印のある支払承認書のないまま財政部のD書記に振込手続を依頼したのであるから、本件規程10条の『職務上の責任を自覚し、誠実に職務を遂行する』に違反するものといえ、本件規程54条1項⑦の『第3章所定の服務規律…に違反したとき」』懲戒事由に該当するといえる。」

「もっとも、上記振込手続の依頼の前提として、原告が財政部のD書記にLへの200万円の支払の有無を確認したところ、D書記から支払がされていないとの回答を得たこと、同年3月9日が国交省補助事業の最終日であり、仮に支払がされていないと補助事業から外れてしまうため、被告Y3がその権限で被告Y3の承認印のある支払承認書のないまま原告に振込を指示したという経過や、振込手続自体を行ったのは財政部であるD書記であるから、本件懲戒処分の相当性の判断においては、かかる事情も踏まえて判断するのが相当である。

(中略)

「本件懲戒処分対象事実1は本件規程10条に違反し、本件規程54条1項⑦の第3章所定の服務規律…に違反したとき」の懲戒事由に該当するから、原告に対し、本件規程の定める懲戒処分の中で最も軽いけん責処分を科すことはやむを得ないようにも思える。」

「しかしながら、本件懲戒処分対象事実1については、二重払の額は200万円と多額であるものの、速やかに振込先のLから同額が返金されており、(振込手数料等を除けば)被告Y1に実質的な損害が生じたといえない。加えて、前記・・・のとおり、原告が財政部のD書記にLへの200万円の支払の有無を確認したところ、D書記から支払がされていないとの回答を得たこと、被告Y3がその権限で承認印のある支払承認書のないまま原告に振込を指示したこと、被告Y3の承認印のある支払承認書のないまま振込手続自体を行ったのは財政部であるD書記であること、第2次懲戒発議の手続において、原告も二重払の事実を認めていたことを考慮すれば、本件懲戒処分対象事実1が本件規程10条に違反し、本件規程54条1項⑦の『第3章所定の服務規律…に違反したとき』の懲戒事由に該当するからといって、直ちに原告に懲戒処分を科すことが相当であるとはいえない。また、上記経過に照らすと、本件懲戒処分対象事実1に関し、原告の責任が原告の上司であり承認印のある支払承認書のないまま振込を指示した被告Y3及び承認印のある支払承認書のないまま振込手続をしたD書記より重いとはいえないところ、D書記については顛末書の提出、被告Y3(技術対策部長)は、被告Y2から注意を受けるにとどまっており、原告のみに懲戒処分を科すのは公平とはいえない

(中略)

「以上によれば、原告に対するけん責の本件懲戒処分を科すことは、社会通念上相当であると認められず、その権利を濫用したものとして、無効である(労働契約法15条)。」

「よって、原告の被告Y1に対する本件懲戒処分無効確認の訴えは理由がある。」

3.狙い撃ちにされた場合には他の関与者への扱いを見る

 使用者が、特定の労働者の退職を企図して、些細な行為を捉えては、軽微な懲戒処分を繰り返して行くことは珍しくありません。こうした場合、関与者や類似の非違行為をした方がどのような処分を受けているのかを調査することで、主張の糸口を掴み取れることがあります。狙い撃ちに懲戒権が発動されている場合、非違行為に関係する上司や同僚との関係では、懲戒権の発動に至っていないことが多いからです。

 本件は狙い撃ちされている労働者が懲戒権行使の適否を考えていくにあたり参考になります。

 

戒告・譴責の無効の確認を求める訴えの利益(肯定例)

1.戒告・譴責の無効を確認する利益

 戒告・譴責といった具体的な不利益と結びついていない軽微な懲戒処分の効力が無効であることの確認を求める事件は、「訴えの利益」が否定されることが少なくありません。

 「訴えの利益」とは、裁判所に事件として取り扱ってもらうための要件の一種です。訴えの利益のない事件は、不適法却下-いわゆる門前払いの判決が言い渡されます。

 裁判所が、戒告・譴責の無効の確認を求める事件に消極的であるのは、

具体的な不利益と結びついていないから、有効か無効かを判断する実益がない、

戒告・譴責といった処分歴が考慮されて、より重い処分(減給・停職・解雇など)が下される可能性があるとしても、具体的な不利益と結びついたより重い処分がされた時点で、前歴とされた戒告・譴責の効力を検討すれば足りるので、戒告・譴責といった軽微な処分しかされていない段階で、敢えて、その効力を議論する実益はない、

と考えているからです。

 そのため、

「賞与・昇給・昇格の人事考課や査定において不利益に考慮され、数回の譴責・戒告を経た後にはより重い懲戒処分が課される旨、明記されることがある。これらの場合には、無効確認の訴えの利益が認められる」(荒木尚志『労働法』〔有斐閣、第4版、令2〕505-506頁参照)、

ものの、人事考課や査定、重たい懲戒処分と直接的に紐づいていない場合、戒告や譴責の無効確認を求めることには訴えの利益が認められにくい傾向にあります。

 こうした状況の中、近時公刊された判例集に、譴責処分の無効確認を求める訴えに確認の利益が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令4.12.17労働経済判例速報2521-16 全国建設労働組合総連合事件です。

2.全国建設労働組合総連合事件

 本件で被告になったのは、

全国の建設産業関係労働組合及びそれらの連合会をもって構成される産業別労働組合(被告Y1)、

被告Y1の書記長(被告Y2)、

被告Y1の専従役員(被告Y3)

の三名です。

 原告になったのは、被告Y1との間で労働契約を締結し、書記として勤務していた方です。被告Y1から譴責の懲戒処分を受けたことについて、その無効確認を求めるとともに、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 この事件の裁判所は、次のとおり述べて、譴責の無効確認を求める訴えの利益を認めました。

(裁判所の判断)

「本件懲戒処分の無効確認の訴えは、過去に行われた懲戒処分の無効確認を求めるものであるところ、こうした過去の法律関係の確認を求める訴えについては、原告の権利又は法律的地位に危険・不安定が現存し、かつ、その危険・不安定を除去する方法として、当事者間において当該訴えについて判決をすることが有効適切である場合に限って、確認の利益があり、適法であると認められる。」

「本件規程53条1号によれば、被告Y1において、けん責処分は懲戒処分とされているところ、本件規程54条2項8号では、『数回にわたり懲戒を受けたにもかかわらず、なお、勤務態度等に関し、改善の見込みがないとき』には懲戒解雇にすると定められており、本件懲戒処分以外に過去に懲戒処分を受けていない原告において、本件懲戒処分によって直ちに上記要件を充足するとはいえないものの、被告Y1から更なる懲戒処分を受けた場合には、本件懲戒処分と合わせることで上記要件を充足する可能性があること(被告Y3は、前記認定事実のとおり、第2次懲戒発議に先立ち、原告に対し、本件懲戒処分より後に解雇を含めた重い処分を受ける可能性があること指摘している。)からすれば、本件懲戒処分により原告の権利又は法律的地位に危険・不安定が現存し、かつ、その危険・不安定を除去する方法として、当事者間において当該訴えについて判決をすることが有効適切であると認められるから、確認の利益があるということができる。

「これに対し、被告Y1は、本件懲戒処分は、懲罰や不利益処分としての性質が極めて希薄で、原告に実質的、法的な不利益を生じさせるものではないこと、労働者がけん責処分を受けたことを反省せずに業務遂行上の問題を再度生じさせた場合には、将来の人事考課の際に不利に作用することがあり得るものの、被告Y1が原告に人事上の不利益を課す予定がなく、本件懲戒処分を受けたことによって一概に将来不利益な扱いを受けるといえないと主張する。」

「しかし、始末書を提出させ将来を戒めるというけん責処分の内容(本件規程53条1号)を踏まえても、上記のとおりけん責処分が懲戒処分であることや、懲戒解雇の可能性を生じさせることからすれば、原告に実質的、法的な不利益を生じさせるものではないとはいえない。また、被告Y1の上記主張は、原告がけん責処分を受けながら、反省の態度を示さず業務遂行上の問題を生じさせた場合は、人事考課の際に不利に作用することがあり得ることを否定しておらず、そうであるならば、原告の権利又は法律的地位に危険・不安定が現存すると認められる。そして、その危険・不安定を除去する方法として、他に代替手段は見当たらず、当事者間において当該訴えについて判決をすることが有効適切であると認められるから、被告Y1の上記主張を前提としても確認の利益は認められる。

3.懲戒解雇の『可能性』レベルで訴えの利益が基礎づけられた例

 本件で特徴的なのは、

『数回にわたり懲戒を受けたにもかかわらず、なお、勤務態度等に関し、改善の見込みがないとき』

という懲戒解雇事由との兼ね合いで訴えの利益が肯定されていることです。

 このような建付けのもとでは、譴責処分を受けているからといって、次に何等かの非違行為をした時に、必ず懲戒解雇になるわけではありません。それでも、裁判所は確認の利益を認めました。

 譴責の無効確認を求めるのではなく、違法無効な譴責処分によって精神的苦痛を被ったとして損害賠償を請求するなど、裁判所から譴責の効力を判断してもらうためのテクニックは存在します。

 しかし、そのような方法は技巧的ですし、使用者がコツコツと懲戒歴を積み上げてくるときに、手をこまねくことなく、都度、処分の効力を争ってゆきたいという方は少なくありません。本件は、比較的緩やかに譴責処分の無効確認を求める訴えの利益が認められた例として参考になります。