弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

支給要件や支給基準が就業規則等で明確に定められていない中、労使慣行を根拠に退職金請求が認められた例

1.退職金の法的性質

 退職金は、賃金である場合と、任意的恩恵的給付である場合とがあります。

 その区別に関しては、

「支給要件や支給基準等が就業規則で定められるなどして、退職金の支給が労働契約の内容になっている場合」が賃金で、

「退職金を支給するか否かがもっぱら使用者の裁量に委ねられており、退職金の支給が労働契約の内容になっているとは認められないもの」が任意的恩恵的給付に該当する

と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕583頁参照)。

 賃金は権利として請求することができますが、任意的恩恵的給付にカテゴライズされる金銭は権利として請求することができません。訴訟で任意的恩恵的給付の支払いを求めたとしても、その請求は棄却されることになります。

 このような整理がされている中、近時公刊された判例集に、就業規則等で支給要件や支給基準が明確に定義されていないにもかかわらず、労使慣行を根拠に退職金請求が認められた裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている、東京地判令4.6.16労働判例ジャーナル131-52 医療法人社団東聖会事件です。

2.医療法人社団東聖会事件

 本件で被告になったのは、有償診療所(本件医院)や介護センター等の医療施設を経営する医療法人(被告法人)と、被告法人の経営を支配していた個人(被告B)です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結していた方多数です。本件の原告らは、未払賃金や解雇予告手当、退職金等を請求する訴えを提起しました。

 退職金との関係で問題になったのは、被告の就業規則の理解の仕方です。

 被告の就業規則上、

「退職金は、3年以上勤務した者に対して、退職または解雇時の勤続年数、退職または解雇の理由、在職時の勤務状況等を考慮して支給します。」

と定められているだけで、金額が明記されているわけでも、算定式が規定されているわけでもありませんでした。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告らによる退職金請求を認めました。

(裁判所の判断)

「前提事実・・・のとおり、被告法人の就業規則においては、3年以上就労した被用者については、懲戒解雇でない限り、勤続年数、退職又は解雇の理由、勤務状況等を考慮して退職金が支給されることとされている。そして、証拠・・・によれば、被告法人では、

〔1〕3年以上勤務した者が退職する場合には、勤務状況等に余程の問題がない限り、5000円に在職月数を乗じた金額の退職金を支払っていたこと、

〔2〕これまでに勤務状況等に問題があるとされて退職金を減額された者はほとんどいなかったこと

を認めることができる。そうすると、退職金額に関する上記算出方法は、被告法人における労使慣行になっていたということができる。したがって、原告F、原告G、原告H、原告J及び原告Kには、それぞれ5000円に在職日数を乗じた額の退職金請求権が発生している(同人らの勤務状況等に関し、退職金を減額すべき事情は見当たらない。)。

3.労使慣行に基づく退職金請求が認められた例

 労使慣行に基づく退職金請求の可否について、上記『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』585頁には、

「労使慣行に基づく退職金請求権が認められるためには、単に長年にわたって退職金が支給されてきたというだけでは足りず、①一定の基準による退職金の支給が労使にとって規範として意識されていること、②上記基準により当該事案の退職金額を算出できることが必要である」

と記載されています。

 これまでも、就業規則で支給要件や支給基準が明確になっていない事案でも、労使慣行を根拠に退職金請求を認めた裁判例自体は、なかったわけではありません。

 しかし、請求が認められるためのハードルは高く、その数は決して多いとはいえない状況にありました。

 本裁判例は、その多いとはいえない認容例に近時の事案としての一例を加えるものであり、実務上参考になります。

 

例示されている考慮要素に「等」の内容を限定する意義が認められ、法人の経営危機が退職金不支給の理由にはならないとされた例

1.「等」の意味

 法文や就業規則を見ていると、考慮要素が縷々列記された後に「等」で締めくくられている条文を目にすることがあります。

 個人的な実務経験の範囲で言うと、この「等」の文言の中には、種々雑多な事情が含まれると理解される例が多いように思われます。「等」の前に記載されている例示的な考慮要素に「等」の内容を限定する効力を読み込もうとしても、そうした主張が認められたことはあまりありません。

 しかし、近時公刊された判例集に、例示されている考慮要素に「等」の内容を限定する意義が認められた裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、東京地判令4.6.16労働判例ジャーナル131-52 医療法人社団東聖会事件です。

2.医療法人社団東聖会事件

 本件で被告になったのは、有償診療所(本件医院)や介護センター等の医療施設を経営する医療法人(被告法人)と、被告法人の経営を支配していた個人(被告B)です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結していた方多数です。本件の原告らは、未払賃金や解雇予告手当、退職金等を請求する訴えを提起しました。

 退職金との関係で問題になったのは、被告の就業規則の理解の仕方です。

 被告の就業規則上、

「退職金は、3年以上勤務した者に対して、退職または解雇時の勤続年数、退職または解雇の理由、在職時の勤務状況を考慮して支給します。」

と定められているだけで、金額が明記されているわけでも、算定式が規定されているわけでもありませんでした。

 また、「等」の解釈として、被告は、

「被告法人が経営危機にある場合には、被告法人は退職金の支給をする義務を負わない。」

といった主張を行いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告らの退職金請求を認めました。

(裁判所の判断)

「前提事実・・・のとおり、被告法人の就業規則においては、3年以上就労した被用者については、懲戒解雇でない限り、勤続年数、退職又は解雇の理由、勤務状況等を考慮して退職金が支給されることとされている。そして、証拠・・・によれば、被告法人では、

〔1〕3年以上勤務した者が退職する場合には、勤務状況等に余程の問題がない限り、5000円に在職月数を乗じた金額の退職金を支払っていたこと、

〔2〕これまでに勤務状況等に問題があるとされて退職金を減額された者はほとんどいなかったこと

を認めることができる。そうすると、退職金額に関する上記算出方法は、被告法人における労使慣行になっていたということができる。したがって、原告F、原告G、原告H、原告J及び原告Kには、それぞれ5000円に在職日数を乗じた額の退職金請求権が発生している(同人らの勤務状況等に関し、退職金を減額すべき事情は見当たらない。)。」

この点について、被告らは、被告法人が経営危機にある場合には退職金を支給する義務を負わない旨を主張するが、就業規則51条1項に挙げられている退職金額に関する考慮要素(『退職または解雇時の勤続年数、退職または解雇の理由、在職時の勤務状況等を考慮し』)が専ら被用者側の事情であることからすると、容易に採用することはできない。

「また、被告らは、被告Bの本件社員権取得に際し、原告らの退職金について説明を受けていなかったことを強調するが、仮にそうだったとしても、そのことは一時的には本件社員権取得に関する問題であり、被告法人と従業員との間の法律関係に直ちに影響を及ぼすものではない。」

3.例示列挙されている考慮要素に意味が認められた

 本件の裁判所は、「等」の前の例示事項に、「等」の内容を限定する意味を読み込んでいるように見えます。

 冒頭で述べたとおり、こうした読み込みが認められる例を目にすれば、決して多くはありません。本件は「等」の内容が使用者によって無限定に解釈されることを抑止するために活用できる可能性のある裁判例だと思われます。

 

 

退職届の提出が雇用契約の解約の意思表示とみることはできないとされた例

1.退職届の提出

 退職届の提出は、

辞職(労働者の一方的な意思表示による労働契約の解約)、

合意退職の申込み、

のいずれかであると理解されます。

 いずでれであるにせよ、一旦してしまった退職の意思表示の効力を否定できる場面は、錯誤・詐欺・強迫など意思表示に瑕疵があるなど一定の場合に限定されています。

 ただ、裁判例は退職の意思表示を慎重に認定する傾向があり、意思表示の瑕疵を問題にしなければならない場面そのものに絞りをかけています。

 近時公刊されたは判例集にも、退職届を提出した事実を認定しながら、それを雇用契約の解約の意思表示とみることはできないとした裁判例が掲載されていました。東京地判令4.6.16労働判例ジャーナル131-52 医療法人社団東聖会事件です。退職の効力を争うにあたり参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.医療法人社団東聖会事件

 本件で被告になったのは、有償診療所(本件医院)や介護センター等の医療施設を経営する医療法人(被告法人)と、被告法人の経営を支配していた個人(被告B)です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結していた方多数です。本件の原告らは未払賃金や解雇予告手当、退職金等を請求しました。ただ、その内の2名(原告C及び原告D)は、雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認も請求していました。

 本件で特徴的な判断が示されているのは、原告Dの請求との関係です。

 原告Dは、令和3年1月7日付けで、被告法人に対し、令和3年1月31日を退職日とする退職届を提出していました(本件退職届)。

 被告らは、本件退職届の提出により、原告Dとの間の雇用契約は解約されたと主張しました。

 これに対し、原告Dは、

「令和2年11月7日、何ら理由もなく、被告Bから『あなたの居場所はない。』などと言われ事実上の解雇を言い渡された。原告Dは、これに従うほかないと考え、退職を望む意思など一切ないにもかかわらず、形式的に本件退職届出をした。したがって、本件退職届出は、雇用契約の解約の申入れと評価されるべきものではない。」

などと主張し、雇用契約の解約の効力は生じていないと主張しました。

 このような主張の応酬のもと、裁判所は、次のとおり述べて、退職届の提出を雇用契約の解約の意思表示とみることはできないと判示しました。

(裁判所の判断)

「本件退職届出の事実自体には争いがないところ、原告Dは、本件退職届出は、被告Bから令和2年11月7日に事実上の解雇を言い渡されたことを契機とするものであると主張する。当該事実上の解雇通告について、被告らは、いったんはそのような事実があったことを前提に、原告Dの問題点を指摘して『解雇の合理性及び相当性は十二分に存在すると解する。』と主張をしておきながら(第1回弁論準備手続期日で陳述された被告ら第1準備書面)、その後、『解雇を言い渡した事実はない。』と否認に転じている(第2回口頭弁論期日で陳述された被告ら第2準備書面)。もっとも、被告らが当該変遷について何ら合理的な説明をしないことからすれば、弁論の全趣旨に照らし、当該事実を認めることができる。」

「また、証拠・・・によれば、本件退職届出に用いられた『退職届』には、『退職事由』として『必要のない契約見直しを威圧的に求め、パワハラを受けた』、『病院再開が未定で本来の看護業務ができず職を奪われた』などと被告Bを非難する文言が書かれていたことが認められる。」

「これらを考え合わせると、原告Dが陳述書・・・で述べるとおり、本件退職届出は、被告Bから事実上の解雇を言い渡された原告Dが、それに従うほかないとの諦観を抱きながらも、被告Bに対する不満を伝える趣旨でされたものであり、自ら雇用契約を解約しようとする意思を表示しようとしたものではなかったと認めることができる。そして、少なくとも被告B及び同人が実質的に支配している被告法人にとっては、そのことは明らかだったといえる。

したがって、本件解約届出を、原告Dによる被告法人との間の雇用契約の解約の意思表示とみることはできない。

3.退職届を提出してしまっていても挽回できた例

 退職届を提出してしまっていると、錯誤、詐欺、強迫等のない事案では、もうどうにもならないと思い込んでいる方が少なくありません。セカンドオピニオンを求める相談を受けていると、弁護士からそのような回答をされている例を見かけることもあります。

 しかし、退職届を提出してしまっている事案であっても、経緯や状況によっては、退職の効力を争うことができます。本件も、そうした事例として参考になります。

 

審査部門のチェックを潜り抜けた不適切行為で懲戒処分を行えるのか?

1.不適切行為を防ぐための仕組み

 組織化された企業で個々の労働者が担当している仕事は、業務フローの一部分にすぎないのが普通です。そして、大抵の組織では、個々の労働者が不適切な行為をしても、それを発見、是正する仕組みがとられています。

 それでは、不適切行為がチェックシステムを潜り抜けて企業の利益が毀損されてしまった場合、企業は不適切行為をした労働者に懲戒処分を行うことができるのでしょうか?

 確かに、不適切行為が仮想・隠蔽を伴う故意行為で、チェック部門による審査が正常に働いていても発見、是正できないものであった場合には、懲戒処分が行われるのも仕方がないだろうと思います。

 しかし、不適切行為が意図されたものではなく、チェック部門による審査が正常に働いていれば発見、是正できた場合についてまで、不適切行為を行った労働者に懲戒責任を問うのは酷であるようにも思われます。人が一定の頻度でエラーを犯すのは、避けられないことだからです。このような場合、企業の利益が毀損されたのは、エラーを犯した人の側に理由があるというよりも、チェック部門による審査ミスが原因であるという見方も成り立つように思われます。

 昨日ご紹介した、東京地判令4.6.23労働経済判例速報2503-3 スルガ銀行事件は、この問題を考えるうえでも参考になる判断を示しています。

2.スルガ銀行事件

 本件で被告になったのは、静岡県、神奈川県の他、東京都などの首都圏を中心に、預金の預入れ、資金の貸付けなどを行っている地方銀行です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結していた方です。営業本んぶパーソナル・バンク長を務めていたところ、平成30年4月1日付けで経営企画部詰審議役への異動を命じられ、これに伴い賃金が激減しました。その後、平成30年11月27日に懲戒解雇されたことを受け(本件懲戒解雇)、本件異動命令、本件懲戒解雇がいずれも無効であるとして、地位確認や未払賃金請求訴訟を提起しました。

 本件懲戒解雇の理由は、三つの非違行為で構成されています。そのうちの一つに、

審査部門に強い圧力を加えて審査機能を形骸させた

というものがありました。

 これが非違行為として認められるのか否かについて、裁判所は、次のとおり述べて、消極と判示しました。なお、本件では、懲戒解雇自体も、無効とされています。

(裁判所の判断)

「被告は、原告が、平成16年4月から平成30年3月末までの長期間にわたり、被告の利益のほぼ全てを稼ぎ出していた部署であるパーソナル・バンク部門の長を務め、q5副社長及びq4会長から重用されていたことから、被告社内で絶大な権力を有しており、これを背景として、

〔1〕個々の融資案件について自己の権勢をもって無理やり稟議を押し通す行為を日常的に行い、

〔2〕自己の権限を越えて審査部内の人事にまで介入し、審査部がパーソナル・バンク部門からの融資案件が通りやすい人事配置になるようにし、

〔3〕本件簡素化通達及び本件新運用基準により、原本確認のプロセスを簡素化して審査によるチェック機能を弱め、

〔4〕稟議書類に『パーソナル・バンク協議済み』との記載(本件記載)を部下に記載させ、又は部下が記載することを黙認し、本件記載のある融資案件が審査を通りやすくする体制を自ら作出し、同体制を黙認するなどして、被告の審査部門に強い圧力を加えて審査機能を形骸化させた

旨を主張するので、以下検討する。」

(中略)

「被告は、上記〔1〕について、原告が、遅くとも平成26年4月以降、個々の融資案件の審査において、決裁権限を有する審査部幹部ら及び審査役を恫喝し、当該案件を無理に押し通していたと主張し、q25、q26及びq30の証言には、これに沿う部分がある・・・。」

「しかしながら、これらの証言は、日時や対象となった案件の具体的内容、審査部と原告との意見の具体的な対立点等が特定されているものは極めて限られており、その余については各証言を裏付ける客観証拠もなく、また、審査部に所属し、シェアハウスローンを巡る一連の問題に係る責任の所在に強い利害関係を有しており、原告に不利な証言をする動機を有する者らによるものであることを考慮すると、原告の上記主張を裏付けるに足りるものとはいえない。」

「そもそも、原告が、審査部幹部及び審査役に対し、審査を承認するよう強く求めることがあったとしても、原告は、平成16年4月以降は営業本部パーソナル・バンク本部長として、平成27年4月から平成29年3月までは営業本部長(カスタマーサポート本部長)として、同年4月からは営業本部パーソナル・バンク長として、営業を推進する立場にあったのであるから、この点において、審査部とは本来的に対立関係にあったといえ、個別の融資案件についても、原告と審査部との意見が対立することは当然に想定されるところである。審査担当者には、適正に融資審査をすべき職責があるのであるから、原告の要求について業務として正当化される程度を超える問題があると考えるのであれば、審査部長又は審査部管掌取締役に対して対応を求めたり、信用リスク委員会や経営会議、取締役会等で問題にしたりすることによって是正を図るべきなのであって、そのような措置も取らないまま、原告からの要望であることを弁解として稟議書等に記録するのみで、不適切と考える融資の審査を承認していたとすれば、当該審査担当者は職責を放棄していたといわざるを得ない。そのような審査担当者の不適切な対応の結果、原告が承認を求めた融資案件の審査が承認されたからといって、原告が『無理に押し通した』と評価することはできないというべきである。

(中略)

「被告は、原告の不当な圧力により、回収可能性に問題のある融資が次々と実行され、被告の融資審査が形骸化させられたことは、承認すべきではないと考えたものの承認せざるを得なくなった審査担当者の無念な思いが審査記録中に記録された事例が200件以上あることから裏付けられるとも主張し、資料・・・を提出する。」

「しかし、上記資料の記載内容からは、具体的にどのような融資案件が対象になっているのか(例えば、どのような点で回収可能性に問題がある案件であったのか、実際に融資を受けた顧客に債務不履行が発生した案件なのかどうか)、原告からどのような圧力を受けたのかも判然としないものであって、上記資料の記載をもって、原告の不当な圧力によって審査が歪められ、回収可能性に問題のある融資が次々に実行されたことを認定することは困難である。審査部には、融資実行に否定的な意見を有する場合には、審査を通さない権限と責任があるのであって、原告から不当な圧力を受けていると認識した場合には、審査部長又は審査部管掌取締役に対して対応を求めたり、信用リスク委員会や経営会議、取締役会等で問題にしたりすることによって是正を図るべきなのであって、それをせずに、審査部限りでの記録を残しただけでは、審査部としての責任を果たしたことにはならないというべきである。

以上によれば、原告が、審査部門に対して強い圧力を加えたことにより、回収可能性に問題のある融資を次々と実行され、融資審査が形骸化させられたとは認めるに足りず、非違行為1に関する被告の主張は採用することができない。

3.審査部門の怠慢は懲戒処分の効力を否定する材料になる

 本件では無理やり稟議を押し通す行為を日常的に行っていたことなどが、本件非違行為1を構成する事実の一つとして指摘されていました。

 しかし、裁判所は、審査担当者の不適切な対応の結果、原告が承認を求めた融資案件の審査が承認されたからといって、原告が『無理に押し通した』と評価することはできないとして、これが懲戒事由に該当することを否定しました。これは、不適切な融資案件の審査が承認されたとしても、それは審査を求めた側にあるのではなく、審査部門が機能不全に陥っていたことに原因があるという発想なのではないかと思います。

 解雇や懲戒処分の効力を争う事件において、下流工程でのチェックミスが問題にされることなく、エラーを犯した労働者だけが激しく非難されている場面を目にすることは、実務上決して少なくありません。こうした事件で解雇や懲戒処分の効力を争うにあたり、本件の判示は参考になります。

 

人事権行使と懲戒処分との区別-使用者の主観的意図が基準となるとされた例

1.人事権行使と懲戒

 労働者の不利益となる措置が行われた場合に、それが人事権行使によるものなのか、それとも、懲戒処分なのかが問題になることがあります。人事権行使が比較的柔軟に許容されるのに対し、懲戒処分は客観的合理的理由・社会通念上の相当性がなければ認められないなどの厳格な法規制に服するからです(労働契約法15条参照)。労働者側としては懲戒処分に引き付けて考えた方が、その効力を否定しやすいため、懲戒処分であることを論証する場面の方が多いのではないかと思います。

 人事権行使と懲戒処分の区別に関する議論は、やや複雑です。

 例えば、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕488-489頁には、

「人事権の行使としての降格と懲戒処分としての降格をどのように区別するかについては、当事者がどちらの措置として行ったかによるとする主観説と両者の客観的な性質に即して両者を区別する客観説の2つの考え方がありうる。裁判例は、必ずしも明確にその理論的な立場を示しているわけではないが、主観説に近い立場をとったものと客観説に近い判断をしたものとに分かれている。」

(中略)

「もっとも、労働者のある言動・・・が、企業秩序を侵害する行為であると同時に、労働者の職務上の適格性を低下させる行為でもあるという2つの側面を持つことがあり、このような言動を理由としてなされた降格措置は、客観的にみて、懲戒処分としての性格と人事権の行使としての性格という2つの性格をもちうることになる。このような複合的な事案においては、使用者がいずれの手段・・・に則って措置を講じているかによって、適用する法規制が決定される」

と整理されています。

 このような議論状況のもと、人事権の行使としての異動命令と懲戒処分との区別について、使用者の主観的目的や選択を重視した裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.6.23労働経済判例速報2503-3 スルガ銀行事件です。

2.スルガ銀行事件

 本件で被告になったのは、静岡県、神奈川県の他、東京都などの首都圏を中心に、預金の預入れ、資金の貸付けなどを行っている地方銀行です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結していた方です。営業本んぶパーソナル・バンク長を務めていたところ、平成30年4月1日付けで経営企画部詰審議役への異動を命じられ、これに伴い賃金が激減しました(平成30年3月分の給与が182万5168円であったのに対し、平成30年4月以降は月額50万円)。その後、平成30年11月27日に懲戒解雇されたことを受け(本件懲戒解雇)、本件異動命令、本件懲戒解雇がいずれも無効であるとして、地位確認や未払賃金請求訴訟を提起しました。

 この事件では、本件異動命令が人事権の行使であるのか懲戒処分であるのかが問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、その法的性質を人事権の行使であると判示しました。

(裁判所の判断)

人事権の行使としての異動命令と、企業秩序の違反に対する懲戒権の行使である懲戒処分とは、本質的に異なるものであるところ、前記認定事実・・・のとおり、被告は、本件異動命令をした際には、これを人事異動として社内掲示板に掲載し、本件懲戒解雇時と異なり、原告に対する弁明の機会の付与や懲戒処分通知書の交付といった手続を行っていないこと、『経営企画部詰審議役』への異動は、別紙記載1の組織規程25条、別紙記載4の本件協定5条に基づき、被告が人事権の行使として決定し得る範囲のものであることを考慮すると、本件異動命令は人事権の行使として行われたものと認めるのが相当である。

「これに対し、原告は、ある措置の性質が人事権の行使と懲戒処分のいずれであるかは、使用者の主観的な意図にかかわらず、企業秩序違反行為に対する制裁罰という性格を有するものであるか否かを客観的に判断すべきであるとし、本件異動命令は、人事権行使の業務上の必要性がないこと、原告に対する制裁目的があること、人事権行使の結果として許容し得る程度を著しく超える不利益を負わせるものであることから、懲戒権の行使としての降格処分に該当する旨を主張する。」

「しかしながら、人事権の行使と懲戒処分とは、その根拠も有効要件も異なるものであり、使用者はその相違を踏まえた上で人事権の行使又は懲戒処分として当該措置を執っていることを考慮すると、当該措置が人事権の行使と懲戒処分のいずれであるかを使用者の主観的意図と無関係に判断することが相当とはいえない。

「そして、本件異動命令が行われた当時は、スマートライフの支払停止が発生し、スマートライフ(又はその関連会社であるイノベーターズ)から家賃の支払を受けられない債務者(顧客)が被告に対する返済に窮し、シェアハウスローンが回収困難となるおそれが顕在化したことから、危機管理委員会による事実関係の調査が開始され、いずれ金融庁の検査が行われることも予想される事態となっていたことを考慮すると、被告が、上記調査や検査に適切に対応するために、シェアハウスローンに関与してきた営業部門のトップの地位にあった原告をそのままその地位に置いておくことはできないと判断したことが合理性を欠くとはいえず、本件異動命令について業務上の必要性がないとはいえない。」

「仮に、被告が本件異動命令を行うに当たり、原告に対する制裁目的があったとすれば、被告が懲戒処分を意図したことを基礎づける事情にはなり得る。しかし、原告が、q4会長から『シェアハウスの一連の問題があったので降りてもらう。』と告げられたとする点は、原告本人の陳述書・・・によっても、執行役員の辞任についての発言である上、前記認定事実・・・によれば、被告においては、この頃、危機管理委員会を設置して事実関係の調査を開始したばかりであったのであるから、原告に『一連の問題』の責任を取らせるには時期尚早であるともいえ、q4会長の上記発言をもって本件異動命令に制裁目的があったと認めることはできない。また、q8人事部長が金融庁からのヒアリングへの対応のため原告に対して退職願の撤回を求めた事実・・・は、本件異動命令の制裁目的を推認させるものではない。」

「確かに、本件異動命令に伴い、原告の給与は大幅に減額されているが、これは、執行役員を辞任した原告が、その時点で55歳を超えていたことから、先任社員となり(別紙記載4の本件協定3条)、先任社員の職務区分及び職位に応じた給与額が決定されたこと(別紙記載4の本件協定6条)によるものであることが認められ・・・、懲戒処分によるものではない。」

「以上によれば、原告の上記主張は採用することができない。」

3.主観基準でいいのか?

 人事権行使と懲戒処分の区別が使用者側の主観によって決まるとすると、厳格な手続を履践せずに行った方が、人事権行使として措置の有効性が認められやすくなるという逆転現象が生じることになります。

 それでいいのかという疑問はありますが、東京高裁がそう判断したことには留意しておく必要があります。

 

フリーランスの競業禁止契約(競業避止契約)の効力をどう考えるのか(退職後の従業員との競業禁止契約を効力を素材として)

1.労働者の競業禁止契約とフリーランスの競業禁止契約

 使用者と労働者との間で交わされる競業禁止契約(同業他社に転職したり、同業を自ら営まないとする契約)は、そう簡単には有効になりません。「多くの裁判例は、①退職時の労働者の地位・役職、②禁止される競業行為の内容、③競業禁止の期間の長さ・場所的範囲の大小、④競業禁止に対する代償措置の有無・内容等を考慮し、合理的な範囲でのみ競業禁止の効力を認めている・・・。なお、最近の裁判例は、制限の期間、範囲を必要最小限にとどめることや、一定の代償措置を求めるなど、厳しい態度をとる傾向にある」と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕595頁参照)。

 それでは、フリーランスが仕事の発注者との間で交わす競業禁止契約の効力は、どのように理解されるのでしょうか?

 公正取引委員会競争政策研究センター『人材と競争政策に関する検討会 報告書 』(平成30年2月15日)は、

「優越的地位にある発注者(使用者)が課す秘密保持義務又は競業避止義務が不当に不利益を与えるものである場合には、独占禁止法上問題となり得る。」

と記述しています。

https://www.jftc.go.jp/cprc/conference/index_files/180215jinzai01.pdf

 しかし、私の知る限り、この論点を明示的に判断した公表裁判例は見当たりません。おそらく、裁判例の集積は殆ど進んでいないのではないかと思います。

 こうした状況の中、フリーランスの競業禁止契約の効力を争うにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.5.13労働判例1278-20 REI元従業員事件です。

2.REI元従業員事件

 本件で原告になったのは、主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社です。

 被告になったのは、原告の元従業員の方です。令和2年9月30日までの間、A株式会社(A社)を就業場所としてシステムエンジニアとして働いていました。令和2年9月30日に原告を退社しましたが、翌日である令和2年10月1日からは株式会社Bとの間で業務委託契約を結び、A社やその子会社・関連会社での勤務を開始しました。

 本件の特徴は、その後、原告と被告との間で競業禁止契約が結ばれていることです。

 令和2年10月9日、被告は、次のとおり書かれた「秘密保持契約書」と題する書面(本件合意書)に署名、押印しました。

「第4条(競業避止義務の確認)私は、前各条項を遵守するため、退職後1年間にわたり次の行為を行わないことを約束いたします。

(1)貴社との取引に関係ある事業者に就職すること

(2)貴社のお客先に関係ある事業者に就職すること

(3)貴社と取引及び競合関係にある事業者に就職すること

(4)貴社と取引及び競合関係にある事業を自ら開業または設立すること。」

 この事件は本件合意書で競業の禁止が合意されていること等を根拠として、原告が、被告に対し、損害賠償を請求した事件です。

 この事件の裁判所は、次のとおり述べて、競業禁止契約の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「確かに、前提事実・・・のとおり、被告は、原告を退社した後、令和2年10月1日以降、Bと業務委託契約を締結し、Aに通い、A、その子会社もしくは関連会社であり、原告と取引関係のある事業者において勤務していたものと認めることができる。しかし、上記のとおり、被告は、すでに原告を退職した後、かつBと業務委託契約を締結した後に、本件合意書に署名押印したものであって、使用者と被用者という関係にはなく、その立場上の差によって、自由な意思決定が困難であったとする事情はない。

(中略)

従業員の退職後の競業避止義務を定める特約は、従業員の再就職を妨げてその生計の手段を制限し、その生活を困難にする恐れがあるとともに、職業選択の自由に制約を課すものであることに鑑みると、これによって守られるべき使用者の利益、これによって生じる従業員の不利益の内容及び程度並びに代償措置の有無及びその内容等を総合考慮し、その制限が必要かつ合理的な範囲を超える場合には、公序良俗に反して無効であると解するのが相当である。

「そこで、本件合意書についてみると、証拠・・・によると、本件合意書は、第1条から第3条まで、秘密保持に関する定めを置き、原告在職中に知り得た経営上、営業上又は技術上の情報について漏洩・使用等を行わない旨を定めているものと認めることができ、第4条から第6条までは、『前各条項を遵守するため』、『前各条項に違反して』との文言を用いていたことからすれば、当該秘密保持に係る条項を遵守するために、競業避止義務を定めたものと合理的に解することができる。」

「しかしながら、前提事実・・・のとおり、原告は、主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社であって、証拠(原告代表者)及び弁論の全趣旨によると、その具体的な作業については各派遣先・常駐先・紹介先会社の指示に従うものとされていたと認めることができる。このような原告におけるシステムエンジニアの従事する業務内容に照らせば、原告がシステム開発、システム運営その他に関する独自のノウハウを有するものとはいえないし、被告がそのようなノウハウの提供を受けたと認めるに足りる証拠もないのであって、原告において本件合意書が退職後の競業避止義務を定める目的・利益は明らかとはいえない。」

「この点、証拠・・・によると、Cは、Aに対し、令和2年10月15日付け『貴社殿お取引先の株式会社D殿に関するお願い』と題する書面を送付し、被告の転職について縷々述べていたものと認めることができるが、原告の秘密漏示のおそれ等について言及していたところはない(なお、原告において、専ら派遣先企業の企業情報等に係る秘密について保持すべきであり、したがって従業員が同様に秘密保持義務を負う必要があることは否定し難いものの、当該従業員が当該秘密に係る秘密保持義務を負担する限り、当該情報が漏えいする危険性が高いとはいえず、原告との取引関係にある事業者又は原告と競合関係にある事業者への転職あるいは原告と取引関係にある事業の開業等を制限することが不可欠であるとはいい難い。)。」

「また、証拠(原告代表者)によると、Cは、被告がAにおいて勤務すると、第1次下請であるD及び第2次下請であるEの得るべき利益が減少し、又は原告が被告を介して利潤を得ていると疑われる不利益があると供述する。証拠・・・によると、原告は、Aからシステム構築等を受託したD、Dから受託したEに次ぐ第3次下請けであり、被告は、原告の従業員として主に商社の社内用販売管理システムの構築に従事していたのに対し、Bは、Aから受託したDから、さらに受託した第2次下請けであって、主に電子部品メーカーの社内用販売管理システムの構築について受託していたものと認めることができる。このように、DはBの元請であり、Bが被告と業務委託契約を締結することによりDの利益・利潤を害する恐れはないし、Eについても同様であって、少なくとも上記Cの供述は、客観的合理的根拠に乏しいものといわざるを得ない。」

「次に、前提事実・・・のとおり、本件合意書は、『(1)貴社との取引に関係ある事業者に就職すること』、『(2)貴社のお客先に関係ある事業者に就職すること』、『(3)貴社と取引及び競合関係にある事業者に就職すること』及び『(4)貴社と取引及び競合関係にある事業を自ら開業または設立すること』を禁ずるものと認めることができるところ、いずれも文言上、転職先の業種・職種の限定はないし、地域・範囲の定めもなく、『取引に関係ある』、『競合関係にある』又は『お客先に関係ある』事業者とされ、原告の取引先のみならず、原告の客先の取引先と関係がある事業者までも含まれており、禁止する転職先等の範囲も極めて広範にわたるものといわざるを得ない。」「前提事実・・・のとおり、被告は、令和元年11月から令和2年9月30日まで、システムエンジニアとして従事していたものと認めることができるのであり、このような被告の職務経歴に照らすと、上記の範囲をもって転職等を禁止することは、被告の再就職を著しく妨げるものというべきである。」

「さらに、証拠・・・によると、被告は、原告に勤務していた期間中、基本給及び交通費の支給を受けていたものと認めることができるにとどまり、手当、退職金その他退職後の競業禁止に対する代償措置は講じられておらず、本件合意書においても、被告の負うべき損害賠償義務(第6条)を定めるにすぎず、その代償措置については何らの規定もないのである。」

「以上のように、原告の本件合意書により達しようとする目的は明らかではないことに比して、被告が禁じられる転職等の範囲は広範であり、その代償措置も講じられていないことからすると、競業禁止義務の期間が1年間にとどまることを考慮しても、本件合意書に基づく合意は、その制限が必要かつ合理的な範囲を超える場合に当たるものとして公序良俗に反し、無効であるといわざるを得ない。

3.自由な意思決定が困難ではなくなっていても、競業禁止契約の効力が否定された

 裁判所は、

「本件合意書に署名押印したものであって、使用者と被用者という関係にはなく、その立場上の差によって、自由な意思決定が困難であったとする事情はない」

としながらも、競業禁止契約の効力には一定の制限が課せられるとし、実際に競業禁止契約の効力を否定しました。

 本件は退職後の従業員との関係での裁判例ですが、

「使用者と被用者という関係にはなく、その立場上の差によって、自由な意思決定が困難であったとする事情はない」

という点では、退職後の従業員もフリーランスも変わりません。そう考えると、この裁判例の射程は、発注者とフリーランスとの間で交わされた競業禁止契約に及んでもおかしくないように思われます。

 この裁判例は、フリーランス保護に活用できる裁判例としても、注目されます。

 

三士業合同・他職種連携による自死問題対策のための研修会へのオブザーバー派遣を受けて

 令和5年2月26日、東京司法書士会、一般社団法人東京精神保健福祉士協会、一般社団法人東京公認心理士協会が共催する「三士業合同・他職種連携による自死問題対策のための研修会」が行われました。

 東京司法書士会から第二東京弁護士会に、自死問題対策に取り組む会員弁護士のオブザーバー参加者の派遣要請があり、第二東京弁護士会から指名を受け参加することになったという経緯です。

 研修会では各士業の業務分野の紹介、各団体の自死問題対策の取組みが紹介されました。その後、模擬事例を基に、実際の連携を想定し、参加者がそれぞれの専門分野からの意見を述べ合うという形式のグループディスカッションが行われました。

 私も第二東京弁護士会からの派遣参加者として、弁護士の業務分野や第二東京弁護士会の自死問題に対する取り組みを説明するとともに、グループディスカッションに参加しました。

 自死問題に取り組むにあたり、多職種連携は有効かつ先進的な取り組みです。他職種の方と知り合い、その考え方に触れられたことは、私にとっても大きな刺激になりました。

 今後も自死問題に対する知見の研鑽に努め、業務に還元して行きたいとの思いを改めて強くしました。