弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

ミスをして使用者の指示通りの仕事ができなかった時間の労働時間性

1.人間の活動である以上、不可避的に発生する誤りや遅れ

 一般論として、使用者から特定の業務を命じられたにも関わらず、就労を拒否したり、故意に他の業務に従事したりすれば、その時間に相当する賃金を得ることは困難です。労働契約上の本旨に従った労務提供がされたとはいえないからです。

 しかし、過失による誤りや遅れから、使用者が指示した業務に従事できなかった場合はどうでしょうか?

 この場合も、使用者の指示通りの仕事がされていないという結果だけを見れば、職場放棄・職務放棄をした場合と大差ありません。

 しかし、どれだけ注意を払っていたとしても、人間の活動である以上、仕事に誤りや遅れが発生することは避けられません。すぐにエラーに気付いて本来業務に戻ったとしても、別の作業に従事していた時間である限り賃金控除されてしまうというのは、労働者にとって酷であるようにも思われます。

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。岡山地判令4.4.19労働判例1275-61 JR西日本(岡山支社)事件です。

2.JR西日本(岡山支社)事件

 本件で被告になったのは、西日本を中心として旅客鉄道事業等を営むことを目的として設立された株式会社です。

 原告になったのは、被告と期間の定めのない雇用契約を締結し、岡山支社において運転士業務に従事していた方です。

 令和2年6月18日、原告の方は、

午前7時09分に2番線「5地点」で回想列車に乗り継ぎ、

午前7時11分から同列車を岡山電車区へ向けて発射させ、

午前7時19分に岡山電車区に到着して車両を留置し、入区業務を完了すること、

を指示されました。

 しかし、原告の方は、「5地点」を5番線で乗り継ぎをするものと思い込み、5番線で待機してしまいました。

午前7時08分頃、自分が乗り継ぎをするはずの回送列車が2番線に向かっていることからホームを間違えていたことに気付き、直ちに2番線の「5地点」に向かったものの、

予定より2分遅れた午前7時11分に乗り継ぎ作業を開始することになり、

入区業務が完了したのは、被告から指示された時刻よりも1分遅れた午前7時20分になりました。

 これを受けて、被告は、

午前7時09分から午前7時11分までの2分間はノーワークであるなどとして、原告に支払う給与から2分間分の基本給を控除しました。

 その後、原告から相談を受けた労働基準監督署の是正勧告を受けて、被告は1分間分の賃金は返還しましたが、残り1分間分の賃金は支払いを拒否しました。

 このような経緯のもと、原告が被告を相手取って未払賃金(56円)等の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告による賃金控除は違法だと判示しました。

(裁判所の判断)

賃金請求権の発生根拠は、労働者と使用者との間の合意(労働契約)に求められるところ、労働者が債務の本旨に従った労務の提供をしていない場合であっても、使用者が当該労務の受領を拒絶することなく、これを受領している場合には、使用者の指揮命令に服している時間として、賃金請求権が発生するものと解される(前記前提事実のとおり、原告は、午前7時09分から午前7時11分までの間、全く労務を提供しなかったものではなく、本件は、労務の提供が履行不能となった事案ではない。)。

「したがって、被告が、午前7時09分から午前7時11分までの間の原告の労務を受領したといえるか否かについて検討する。」

「この点、被告は、小カードにより、分単位で時刻を指定して業務を指示しているから、これに反する労務の受領を予め黙示に拒絶していたことが明らかであるところ、本件では、乗継ぎの遅れた午前7時09分から午前7時11分までの2分間に原告が提供した労務内容は、小カードの記載に明らかに反しているから、被告はそのような労務の受領を予め拒絶しており、当該労務を受領していない旨主張する。」

「しかしながら、乗務員がいかに小カードに記載されたとおりに各時刻に所定の業務を遂行しようとしていたとしても、労務の提供が人間の活動である以上、一定の割合で、その遂行過程の一部に過失による誤りや遅れ等が生じ得ることは、被告においても通常想定されるものである(このことは、被告が小カード所定の勤務を欠いた時間について賃金を支払わない取扱いが定着していることの裏付けとして提出する乙3の1~11の2からもうかがわれる。)。

このような場合において、被告が、常に乗務員による労務の履行状況を把握し、過失により小カードの記載に反する労務の提供がなされそうな場面で明示的に受領拒絶を行い、未然に修正を指示するなどしてこれを防ぐことは困難であり、現に被告において明示的に受領拒絶はしていない。また、小カードによって指示される乗務員の業務は時間的に継続した一連のものであり、その一部において一旦小カードに反する労務の提供がなされると、当該労働者の以後の労務も小カード記載の内容や時刻とは異なるものとなり得るところ、被告の主張を前提とすると、過失により一部でも小カードに反する労務の提供がなされた場合に、当該労働者の以後の労務の受領も拒絶して、以後の作業を急きょ他の乗務員等に代替させるなどという帰結になりかねないが、そのようなことは現実的ではなく、かえって小カード指定の各時刻の所定の作業に更なる遅れを生じさせるおそれもあり合理的とはいい難いことからすると、被告がそのような受領拒絶の意思を有しているものとは解されない。

そうすると、いかに小カードで指定された各時刻に所定の作業を行うことが列車の定時運行のために重要であり、分刻みでの指定がされているとしても、被告が、過失によって生じた小カードの記載に反する労務について、その受領を予め一律に拒絶しているものとは解されず、むしろ、乗務員において上記記載に反する労務を行った場合には、一連の業務の中で直ちに小カード所定の労務内容に修正すべく行動することを求めているものと解するのが合理的である。乗務員は、小カードにより指示された業務を遂行する過程で誤りや遅れ等を生じさせた場合に、それを修正するための労務も含めて、業務の遂行に向けた一連の労務を行っており、その間、被告の指揮命令に服しているのであって、賃金は、そのような指揮命令に服して従事した労務の対価として支払われるべきものであり、被告において、乗務員の過失による誤った労務やその修正のための労務を受領していないなどとみるのは相当でない。

「以上を踏まえ、本件につき検討すると、午前7時09分から午前7時11分までの間の原告の労務について、被告による明示の受領拒絶はなされておらず、実際に労務が行われたこと自体に争いはない。前記前提事実のとおり、原告は、午前6時48分までに乗務点呼を終えた後、勘違いにより2番線ではなく5番線で待機し、午前7時08分頃、自身が乗り継ぎをするはずの回送列車が2番線に向かっているのを見て当直係長に電話をかけたところ、ホームを間違えていたことに気付いたため、直ちに2番線の◇5地点に向かい、午前7時11分に乗継ぎ作業を開始したものである。そうすると、午前7時09分から午前7時11分の間に原告が提供した労務内容は、自身の待機場所の誤りの有無を確認し、その誤りに気付いて、小カード所定の正しい待機場所へ向かい、小カードで指示されていた乗継ぎ作業を開始したものであって、直ちに小カード所定の業務内容に修正すべく行動したものであり、遅滞は生じつつも被告が指定した小カード所定の業務の実現に向けて行われた労務であって、被告にとっても有益性を有するものといえる。被告において、原告のこのような労務の受領を予め拒絶して、急きょ他の乗務員等に午前7時09分以降の小カード所定の作業を行わせ、あるいは同作業の実施を取りやめるなどする意思があったものとは解し難く、小カードにより時刻を指定して業務を指示したことをもって、これに反する上記労務の受領を予め黙示に拒絶していたなどと認めることはできない。原告は、午前6時33分に出勤点呼を受け、午前6時48分に乗務点呼を受けてから、ホームに出場し、自身の待機場所の誤りを修正して指定された正しい待機場所に向かい、入区作業を行うという小カード所定の業務の遂行に向けた一連の労務を行っている間、被告の指揮命令に服していたものといえ、被告において、このような労務のうち一部を切り取って、当該部分の労務を受領していないなどということはできない。したがって、被告は、午前7時09分から午前7時11分までの間の原告の労務を受領したものと認められ、被告の上記主張は採用できない。

(中略)

「したがって、本件賃金控除は違法であり、・・・(中略)・・・原告は、被告に対し、合計56円の未払賃金請求権を有するものと認められる。」

3.不可避的なヒューマンエラーの時間まで賃金控除されることはない

 上述のとおり、裁判所は、

「労務の提供が人間の活動である以上、一定の割合で、その遂行過程の一部に過失による誤りや遅れ等が生じ得ることは、被告においても通常想定されるものである」

などと判示して、賃金控除の違法性を認めました。

 ミスをした労働者の中には、自責の念に駆られて賃金控除を受け入れてしまう方も少なくありません。しかし、人間は機械ではありません。裁判所が指摘するとおり、一定割合での誤りや遅れは不可避的に発生します。そうした不可避的なエラーまでノーワークとされるわけではありません。

 本件はかなり極端な例ですが、類似の賃金控除でお悩みの方は、労働基準監督署や弁護士のもとに相談に行ってみても良いのではないかと思います。

 

労働者派遣:雇用禁止合意(雇用制限条項)を許容するための「正当な理由」の具体的判断例

1.労働者派遣における雇用禁止合意

 労働者派遣法33条は、1項で、

「派遣元事業主は、その雇用する派遣労働者又は派遣労働者として雇用しようとする労働者との間で、正当な理由がなく、その者に係る派遣先である者・・・又は派遣先となることとなる者に当該派遣元事業主との雇用関係の終了後雇用されることを禁ずる旨の契約を締結してはならない。」

と、2項で、

「派遣元事業主は、その雇用する派遣労働者に係る派遣先である者又は派遣先となろうとする者との間で、正当な理由がなく、その者が当該派遣労働者を当該派遣元事業主との雇用関係の終了後雇用することを禁ずる旨の契約を締結してはならない。」

と規定しています。

 簡単に言うと、派遣会社は、正当な理由がない限り、派遣労働者との間、あるいは、派遣先会社との間で、派遣契約の終了後、派遣先会社と派遣労働者とが直接雇用契約を締結することを妨げるような契約をしてはならないという意味です。

 この「正当な理由」の解釈について、昨日、

派遣先であった者が派遣労働者であった者を無限定に雇用できることとすると、派遣元事業主が独自に有し、他の事業主は有しない特殊な知識、技術又は経験であって、派遣労働者が派遣就業をする上で必要であるため当該派遣元事業主が特別に当該派遣労働者に習得させたものがある場合にも、雇用契約終了後は当該派遣労働者が派遣先と雇用契約を結んでそうした特殊で普遍的でない知識等を勝手に利用することが可能となる結果、特殊で普遍的ではない知識等を有することによる当該派遣元事業主の利益が侵害される事態が発生しかねない。そこで、労働者派遣法33条は、そうした知識等を有することによる当該派遣元事業主の利益を保護するといった正当な理由がある場合に限り、上記の雇用制限の禁止を解除することとしたものと解される。

「以上によれば、上記の雇用制限をすることは原則として禁止され、これに反して結ばれた雇用制限条項は無効であるが、当該雇用制限条項を設けることに正当な理由があることの主張立証があった場合に限り、例外的にその禁止が解除されて当該雇用制限条項の効力が認められることになると解される。」

との判断基準を示した裁判例(東京地判平28.5.31 労働判例1275-127 バイオスほか(サハラシステムズ)事件)を紹介させて頂きました。

 今日は、この裁判例が、上記の判断基準を具体的事案にどのように適用したのかを紹介させて頂きます。

2.バイオスほか(サハラシステムズ)事件

 本件で被告になったのは、

コンピュータのソフトウェアの開発及び設計等を業務とする株式会社(被告会社)、

被告会社の従業員3名(被告E1~被告E3)

です。

 原告になったのは、コンピュータのソフトウェアの開発及び設計、労働者派遣事業等を業務とする株式会社です。

 元々、原告は、被告E1~被告E3を派遣労働者として雇用し、被告会社のもとに派遣していました。

 しかし、原告と被告E1~被告E3との間の雇用契約では、原告との雇用契約終了から1年後までの間、派遣先である被告会社との間で業務に関する仕事を引き受けたりすることが禁止事項として定められていました。また、原告は、被告会社との間でも、相手方の書面による承諾を得ることなく、受け入れる派遣労働者(被告E1~被告E3)との間で雇用契約を締結してはならないとの約束を交わしていました(雇用制限条項)。

 本件は、これら約束等を根拠とした原告が、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償等を求めて裁判所に出訴した事件です。ここでは、労働契約法33条の「正当な理由」の存否が問題になりました。

 裁判所は「正当な理由」について上述の理解を示したうえ、次のとおり述べて、雇用制限条項の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

・被告E1及び被告会社関係

被告E1がF社(ハードウェアの販売及び保守管理を業とする株式会社。原告の依頼に応じて被告E1及び被告E2にコンピュータシステムの保守管理業務を想定した個別具体的な研修を行った。括弧内筆者)から受けた研修は、F社がその従業員に対する教育のために実施していたのと同様のものであって、J社のコンピュータシステムの保守点検業務を想定した個別具体的な研修であり、元来はF社が有償で実施するものであったというのであるから、原告以外の使用者の下であっても習得可能なものであったといえ、原告独自の普遍的でない知識等を習得させるものでないことは明らかである。そうすると、そのような研修を被告E1が受ける間の給与を原告が支払い、研修のための費用を実質的に原告が負担したとしても、直ちに本件禁止条項Aを設けることにつき正当な理由があるということはできない。

・被告E2及び被告会社関係

「原告は、被告E2が原告の雇用期間中にF社から受けた研修やF社から付与されたデータベースへのアクセス権限に基づくOJTが原告の客体的財産であって、本件禁止条項Bには労働者派遣法33条の定める正当な理由がある旨を主張する。」

「しかし、被告E2がF社から受けた研修については、上記・・・において説示した被告E1が受けた研修と同様に、原告以外の使用者の下にあっても習得可能なものであったといえ、原告独自の普遍的でない知識等を習得させるものとはいえない。また、被告E2がF社から付与されたデータベースへのアクセス権限に基づくOJTについても,上記・・・において被告E1について説示したところと同様に、そのことから直ちに原告独自の普遍的でない知識等を被告E2が習得したと認めることはできない。

「したがって、上記の研修やアクセス権限の件から本件禁止条項Bを設けることにつき正当な理由があると認めることはできず、他に格別の主張立証はない以上、結局のところ、本件禁止条項Bを設けることにつき正当な理由があるということはできない。」

・被告E3及び被告会社関係

「原告は、被告E3に対して、J社のコンピュータシステムの保守管理業務を想定した個別具体的な研修を原告が交通費を負担して行っており、本件禁止条項Cには労働者派遣法33条の定める正当な理由がある旨を主張する。」

「しかし、J社のコンピュータシステムの保守管理業務を想定した個別具体的な研修を実施したというだけでは、当該研修によって被告E3が原告独自の普遍的でない知識等を習得したと認めることはできず、そのことは研修の交通費を原告が負担したとしても左右されない。

「そして、他に格別の主張立証はない以上、本件禁止条項Cを設けることにつき正当な理由があるとは認められない。」

3.他社で研修させたは勿論、自社の研修でも独自・普遍的知識の習得がなければダメ

 裁判所は、「正当な理由」が認められるのか否かの判断基準を、かなり厳格に適用しています。

 他社が有償で提供している類の研修を受講させ、その費用を実質的に負担したという程度の利益では、雇用禁止合意・雇用制限条項の効力を認めるための「正当な理由」には該当しないと判示しました。

 また、自社の負担のもと自社で研修をしたとしても、自社独自の普遍的でない知識等を習得させる類の研修でなければ、雇用禁止合意・雇用制限条項の効力を認めるための「正当な理由」には該当しないと判示しました。

 こうした具体的適用例を見る限り、労働者派遣の場面における雇用禁止合意・雇用制限条項の効力が認められる場面は、かなり限定的に理解されるだろうと思います。

 労働者派遣法33条の適否が問題になった公表裁判例は珍しく(公刊物に掲載された裁判例という意味では本件が初めてではないかと思いますが)、裁判所のあてはめは実務上参考になります。

 

派遣労働者や派遣先会社との雇用禁止合意と「正当な理由」

1.雇用禁止合意

 労働者派遣法33条は、1項で、

「派遣元事業主は、その雇用する派遣労働者又は派遣労働者として雇用しようとする労働者との間で、正当な理由がなく、その者に係る派遣先である者・・・又は派遣先となることとなる者に当該派遣元事業主との雇用関係の終了後雇用されることを禁ずる旨の契約を締結してはならない。」

と、2項で、

「派遣元事業主は、その雇用する派遣労働者に係る派遣先である者又は派遣先となろうとする者との間で、正当な理由がなく、その者が当該派遣労働者を当該派遣元事業主との雇用関係の終了後雇用することを禁ずる旨の契約を締結してはならない。」

と規定しています。

 簡単に言うと、派遣会社は、正当な理由がない限り、派遣労働者との間、あるいは、派遣先会社との間で、派遣契約の終了後、派遣先会社と派遣労働者とが直接雇用契約を締結することを妨げるような契約をしてはならないという意味です。

 それでは、ここでいう「正当な理由」とは一体どのような理由を指すのでしょうか?

 この問題を扱った裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判平28.5.31 労働判例1275-127 バイオスほか(サハラシステムズ)事件です。

2.バイオスほか(サハラシステムズ)事件

 本件で被告になったのは、

コンピュータのソフトウェアの開発及び設計等を業務とする株式会社(被告会社)、

被告会社の従業員3名(被告E1~被告E3)

です。

 原告になったのは、コンピュータのソフトウェアの開発及び設計、労働者派遣事業等を業務とする株式会社です。

 元々、原告は、被告E1~被告E3を派遣労働者として雇用し、被告会社のもとに派遣していました。

 しかし、原告と被告E1~被告E3との間の雇用契約では、原告との雇用契約終了から1年後までの間、派遣先である被告会社との間で業務に関する仕事を引き受けたりすることが禁止事項として定められていました。また、原告は、被告会社との間でも、相手方の書面による承諾を得ることなく、受け入れる派遣労働者(被告E1~被告E3)との間で雇用契約を締結してはならないとの約束を交わしていました。

 本件は、これら約束等を根拠とした原告が、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償等を求めて裁判所に出訴した事件です。ここでは、労働契約法33条の「正当な理由」の解釈が問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、「正当な理由」の意味内容を明確にしました。なお、本件で「正当な理由がある」とは認めないとされ、結論として、原告の請求は全て棄却されています。

(裁判所の判断)

「ところで、労働者派遣法は、労働力の需給の適正な調整を図るため労働者派遣事業の適正な運営の確保に関する措置を構ずるとともに、派遣労働者の保護等を図り、もって派遣労働者の雇用の安定その他福祉の増進に資することを目的とする(1条参照)。そして、労働者派遣法33条1項は『派遣元事業主は、その雇用する派遣労働者との間で、正当な理由がなく、その者に係る派遣先である者に当該派遣元事業主との雇用関係の終了後雇用されることを禁ずる旨の契約を締結してはならない。』と、同条2項は『派遣元事業主は、その雇用する派遣労働者に係る派遣先である者との間で、正当な理由がなく、その者が当該派遣労働者を当該派遣元事業主との雇用関係の終了後雇用することを禁ずる旨の契約を締結してはならない。』とそれぞれ規定するところ、これらの規定の趣旨は、派遣元事業主と派遣労働者との間又は派遣元事業主と派遣先との間で、派遣元事業主との雇用関係の終了後に派遣労働者が派遣先であった者に雇用されることを制限する趣旨の契約を締結することが無制限に認められることになると、派遣労働者の就業の機会が制限され、憲法22条により保障される派遣労働者の職業選択の自由が実質的に制限される結果となって、労働者派遣法の立法目的にそぐわなくなることから、派遣元事業主と派遣労働者の間又は派遣元事業主と派遣先との間において、そのような契約を締結することを禁止し、もって派遣労働者の職業選択の自由を特に雇用制限の禁止という面から実質的に保障しようとするものであって、労働者派遣法33条に違反して締結された契約条項は、私法上の効力が否定され、無効であると解される。
「もっとも、その一方で、派遣先であった者が派遣労働者であった者を無限定に雇用できることとすると、派遣元事業主が独自に有し、他の事業主は有しない特殊な知識、技術又は経験であって、派遣労働者が派遣就業をする上で必要であるため当該派遣元事業主が特別に当該派遣労働者に習得させたものがある場合にも、雇用契約終了後は当該派遣労働者が派遣先と雇用契約を結んでそうした特殊で普遍的でない知識等を勝手に利用することが可能となる結果、特殊で普遍的ではない知識等を有することによる当該派遣元事業主の利益が侵害される事態が発生しかねない。そこで、労働者派遣法33条は、そうした知識等を有することによる当該派遣元事業主の利益を保護するといった正当な理由がある場合に限り、上記の雇用制限の禁止を解除することとしたものと解される。
以上によれば、上記の雇用制限をすることは原則として禁止され、これに反して結ばれた雇用制限条項は無効であるが、当該雇用制限条項を設けることに正当な理由があることの主張立証があった場合に限り、例外的にその禁止が解除されて当該雇用制限条項の効力が認められることになると解される。

3.「正当な理由」の解釈が示された裁判例

 労働者派遣法33条1項及び2項の「正当な理由」の意義を判示した公刊物掲載裁判例は、本件が初めてなのではないかと思います。

 従前、裁判所がどのように判断するのかが不分明であった論点が、多少なりとも明確になった意義は大きく、本件は同種事案を進めるにあたり参考になります。

 

職場で学歴や家庭内の問題を揶揄してはダメ

1.学歴や家庭内の問題の揶揄

 そんなことだから妻に逃げられる、〇〇大学を出ているとは思えない-上司が部下にこのような物言いをすれば、当然問題になります。明らかなパワーハラスメントですし、不法行為責任(慰謝料を支払う責任)を生じさせるとも思います。

 それでは、労働者が使用者・上司に同じような物言いをすることはどうでしょうか?

 法律相談を受けていると、時々、立場の弱い側(労働者)が立場の強い側(使用者・上司)に対して強い物言いをすることは問題ないと思っている方を目にすることがあります。

 確かに、職場におけるパワーハラスメントは、

「職場において行われる ①優越的な関係を背景とした言動であって、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③労働者の就業環境が害されるものであり、①から③までの要素を全て満たすものをいう。」

と定義されています。この定義に従うと、上司に対して優越的な関係にない部下からの暴言がパワーハラスメントに該当する場面は、限定的に理解されます。

 しかし、パワーハラスメントに該当しようがしまいが、人の学歴や家庭内での問題を揶揄することは許されません。そのことは、昨日紹介した東京地判令4.5.13労働経済判例速報2499-36 フジアール事件の判示からも読み取ることができます。

2.フジアール事件

 本件で被告になったのは、Q4大学を卒業後、他社で1年程度の社会人経験を経た後、原告会社との間で有期労働契約を締結していた方です(1度の更新の後、期間満了により退職)。

 原告になったのは、

テレビ番組やイベントの美術製作・設営等を行っている株式会社(原告会社)、

原告会社の常務取締役(原告X2)、

原告会社の総務部部長(原告X3)

の三名です。被告が原告らを誹謗中傷するメールを複数回に渡って送付するなどしたことが不法行為に該当するとして、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 被告が発信した不穏当なメールの中には、上司X3の家庭環境や学歴を揶揄するものもありました。こうしたメールが出された背景には、割増賃金の未払等のトラブルがあったようですが、裁判所は、次のとおり述べて、メールの送信行為に違法性を認めました。

(裁判所の判断)

・本件メール⑪

「原告はX3に対し、『良い年こいたおじさんが、呼び出されてるでしょ。』、『普通ない、大企業の子会社、総務部長が呼び出されるとか。学校の先生に呼び出される子ども。未だに大人になりいれない、嫁と子に逃げられるのはそういうところ。』、『悪いことしたら、謝る。それが当たり前。X3さん、X2さん、P2さん、大人になろ。子供のまま大人になってて恥ずかしいよ。』、『この文面、そのまま色んなグループ会社に送っても良いよ。』、『早慶マーチでこんなレベル低い人なんて、見たことないよ』と、原告X2及び同X3の学歴や原告X3の家庭内の問題を引合いに出しつつ、同原告らが子どものように未熟でレベルの低い者である旨、侮蔑的言辞を重ねてその人格を攻撃するものである。」

「これは、原告X2及び同X3に対し、過度に侮辱的な表現により、未払賃金等の問題と何ら関係のない同原告らの学歴や原告X3の家庭内の問題を持ち出しつつ、社会通念上許される限度を超えて侮辱し、その名誉感情を侵害するとともに、cc送信先や伝播可能性のある第三者における同原告らの社会的評価を低下させる行為と認めるのが相当である。

「また、原告会社に対しても、その社会的信用を低下させる行為であるとともに、原告の要求に応じなければ、今後同様の文面を関係会社に拡散することを予告するものであり、未払賃金等の問題の解決を促す目的があると仮定しても、社会通念上許される限度を超える違法な行為と評価するのが相当である。」

3.凡そ人に対して言ってはならないことを言うのはダメ

 個人的な実務経験の範囲で言うと、人を揶揄して紛争や問題が解決することは先ずありません。大体、余計にこじれるだけで、解決からは遠ざかります。

 しかも、人を揶揄すれば、正当な権利を持っていたとしても、揶揄した相手から逆に訴え返される可能性まで生じます。

 人の学歴や家庭環境を揶揄することは、あらゆる意味におてい負の効果しか生みません。自分自身の品位や声望も害します。交渉の場面だろうが、上司に対してであろうが凡そ人に対して向けてはならない言葉を発するのは適切ではありません。自力で使用者と話をする際にも、こうした揶揄には及ばないよう注意する必要があります。

 

不適切な交渉の仕方-週刊誌に情報を売ることを示唆する

1.不適切な交渉の仕方

 労働事件を自力で解決しようとして、適切ではない方法で交渉をする方がいます。例えば、週刊誌に情報を流すことを示唆するといったようにです。

 個人的に見聞きする限りでは、週刊誌に情報を流すと示唆することが使用者との交渉を有利にすることはありません。大抵の場合、使用者側の態度を硬化させるだけで何ら実益には繋がりません。それどころか、使用者から逆に損害賠償を請求される事態にも発展しかねません。近時公刊された判例集に掲載されていた、東京地判令4.5.13労働経済判例速報2499-36 フジアール事件も、そうした事件の一つです。

2.フジアール事件

 本件で被告になったのは、Q4大学を卒業後、他社で1年程度の社会人経験を経た後、原告会社との間で有期労働契約を締結していた方です(1度の更新の後、期間満了により退職)。

 原告になったのは、

テレビ番組やイベントの美術製作・設営等を行っている株式会社(原告会社)、

原告会社の常務取締役(原告X2)、

原告会社の総務部部長(原告X3)

の三名です。被告が原告らを誹謗中傷するメールを複数回に渡って送付するなどしたことが不法行為に該当するとして、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。

 被告が発信した不穏当なメールの中には、週刊誌に情報を売ることを示唆するものがありました。こうしたメールが出された背景には、割増賃金の未払等のトラブルがあったようですが、裁判所は、次のとおり述べて、メールの送信行為に違法性を認めました。

(裁判所の判断)

・本件メール⑥

「原告会社の総務部に宛てて、Q3がひこく の入構記録を労働基準監督署に提出する意向である旨を伝えるとともに、『未払を支払うように、促し、柔らかい手段から順番に取っていますが、いまだに頑なな態度をとるのは、アホとしか言いようがありません。』、『最悪、週刊誌に各種、やりとりと音声データ売りますか?総務省の知人経由で、通信関係の管轄行政に情報出しますか?取引先にすべてのやりとり流しますか?』と、被告の未払賃金請求に早急に応じなければ、週刊誌や原告会社の取引先に交渉過程の音声データ等の情報を流出させる旨告知するものである。」

「被告が原告会社に対し未払賃金の支払を要求しているという状況を踏まえても、上記のように週刊誌や賃金未払と無関係の取引先に、音声データを含む社内の情報を流出させることを示唆してその支払を促すことは、社会通念上許される限度を超える違法な行為と評価するのが相当である。」

・本件メール⑦

「原告会社が依然として被告の支払要求に応じないことにつき、総務部門を担当する原告X3及びP1に対し、『話を入れる対象を広げていきたいと思います。』として、厚生労働省と東京労働局に被告に対する未払賃金の問題につき通報する旨告知するとともに、それでも支払に応じない場合には『スキャンダラスな情報』を港区及び週刊誌に流出させることを予告するものである。」

「これも上記・・・と同様、被告と原告会社の間に未払賃金の問題が存在することを踏まえても、『スキャンダラスな情報』という原告会社にとって不名誉なものと推測される内容不明の情報を流出させることを示唆する行為は、社会通念上許される限度を超える違法な行為と評価するのが相当である。」

3.早々に見切りをつけて訴えてしまった方がいい

 慣れていない人にとって、交渉はヒートアップしやすい傾向にあります。また、「自分で訴える」という選択をとれない一般の方は、自分で問題を解決しようとした時、強い言葉をつかいたくなる誘惑に駆られるのではないかとも思います。

 しかし、週刊誌やマスコミを介入させるという場外乱闘的な手法は、決して推奨できません。実益につながらないうえ、逆に損害賠償を請求されかねないからです。

 個人的な経験の範囲で言うと、交渉で折り合えない場合、無理に相手をねじ伏せようとするのではなく、早々に見切りをつけて訴えを提起してしまった方が事件は円滑に進みます。

 トラブルに直面したら、自力で解決しようとするよりも前に、弁護士に相談してみることをお勧めします。

 

精神障害の悪化の業務起因性の判断が緩和された例

1.精神障害の悪化事案における業務起因性

 精神障害の労災認定について、厚生労働省は、

平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

という基準を設けています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること(第一要件)、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること(第二要件)、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと(第三要件)、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

 精神障害の「発病」の場合、この第二要件には、二つの類型が設けられています。

 A「特別な出来事」に該当する出来事がある場合と、B「特別な出来事」に該当する出来事がない場合の二つです。

 「特別な出来事」というのは、

「生死にかかわる、極度の苦痛を伴う、又は永久労働不能となる後遺障害を残す業務上の病気やケガをした」

「発病直前の1か月におおむね160時間を超えるような、又はこれに満たない期間にこれと同程度の(例えば3週間におおむね120時間以上の)時間外労働を行った」

といったように極度の心理的負荷を生じさせる出来事や、極度の長時間労働をいいます。

 「特別な出来事」ではない出来事というのは、

(重度の)病気やケガをした、

業務に関連し、重大な人身事故、重大事故を起こした 、

仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった、

といったように、「特別な出来事」ほどではないものの、労働者に心理的負荷を生じさせる出来事をいいます。

 他方、既に存在していた精神障害の「悪化」に労災(業務起因性、精神障害と業務との相当因果関係)が認められる範囲は、「発病」の場合よりも限定的に理解されています。

 具体的に言うと、

「業務以外の原因や業務による弱い(『強』と評価できない)心理的負荷により発病して治療が必要な状態にある精神障害が悪化した場合、悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められることをもって直ちにそれが当該悪化の原因であるとまで判断することはできず、原則としてその悪化について業務起因性は認められない。

「ただし、・・・『特別な出来事』に該当する出来事があり、その後おおむね6か月以内に対象疾病が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合については、その『特別な出来事』による心理的負荷が悪化の原因であると推認し、悪化した部分について、労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する業務上の疾病として取り扱う。

とされています。

 つまり、発病の場合に認められているB類型がなく、A類型に該当する場合にしか労災は認められないのが原則です(ただし、寛解後に要治療状態になった場合、それは悪化ではなく発病として扱われます)。

 「心理的負荷による精神障害の認定基準について」は行政解釈を示したものですが、その内容には合理性があるとして、多数の裁判例が精神障害の業務起因性の判断の参考にしています。

 このような状況の中、近時公刊された判例集に「特別な出来事」に該当する出来事がなくても精神障害の悪化に業務起因性が認められると判断した裁判例が掲載されていました。福岡地判令4.3.18労働経済判例速報2499-9 北九州東労働基準監督署長事件です。

2.北九州東労働基準監督署長事件

 本件で原告になったのは、昭和51年生まれの男性で、大学卒業後、システムエンジニア業務に従事していた方です。平成23年4月に「うつ、不安障害」を発病し(本件発病)、平成27年4月に症状が悪化したと主張して(本件悪化)、北九州東労働基準監督署長(処分行政庁)に対して労災(療養補償給付)を請求しました。これに対し、処分行政庁が不支給処分(本件処分)を行ったため、審査請求、再審査請求を経て、本件処分の取消を求める訴えを提起しました。

 この事案で、裁判所は、次のとおり判示し、本件発病の業務起因性を否定したうえ、本件悪化の業務起因性を認めました。

(裁判所の判断)

「本件発病前の出来事の心理的負荷は、いずれも『小』ないし『中』にとどまるというべきであり、業務による心理的負荷が、平均的労働者を基準として、社会通念上客観的にみて、精神障害を発病させる程度に強度であったとは認められない。」

「したがって、本件発病について、原告の業務との相当因果関係(業務起因性)を認めることはできず、本件発病の業務起因性が認められないとした判断に、違法はない。」

(中略)

「専門検討会報告書(乙6)によれば、一般に、既に精神障害を発病して治療が必要な状態にある者は、病的状態に起因した思考から自責的・自罰的になり、些細な心理的負荷に過大に反応するのであり、悪化の原因は必ずしも大きな心理的負荷によるものとは限らないこと、自然経過によって悪化する過程においてたまたま業務による心理的負荷が重なっていたにすぎない場合もあることなど、精神障害の特性を考慮すると、悪化の前に強い心理的負荷となる業務による出来事が認められたことをもって、直ちにそれが精神障害の悪化の原因とまで判断することは医学上困難であるとして、悪化の場合について業務起因性が認められるのは、既に精神障害を発症している労働者本人の要因が業務起因性の判断に影響することが非常に少ない極めて強い心理的負荷があるケース、具体的には評価表上の「特別な出来事」に該当する出来事があり、その後概ね6か月以内に精神障害が自然経過を超えて著しく悪化したと認められる場合であるとされ、認定基準上も、これと同様の要件を要求するものとされている。」

「かかる判断基準は、ストレス-脆弱性理論の考え方と整合的であり、行政処分の迅速かつ画一的な処理という認定基準の趣旨からしても一定程度の合理性を有するものといえる。しかし、認定基準に裁判所の判断が拘束されるものではないことは上述のとおりであり、専門検討会報告書上も、精神障害で長期間にわたり通院を継続している者の、症状がなく(寛解状態にあり)、または安定していた状態で、通常の勤務を行っていた者の事案については、『発病後の悪化』の問題としてではなく、治ゆ(症状固定)後の新たな発病として判断すべきものが少なくないことや、発病時期の特定が難しい事案について、些細な言動の変化をとらえて発病していたと判断し、それを理由にその後の出来事を発病後のものと捉えることは適当でない場合があることに留意する必要があるとされており、そもそも当該事案が『発病後の悪化』であるかの特定自体に一定程度の困難が伴うことがうかがわれ、かかる事情如何によって判断基準が大きく異なるのは、業務を要因とする労働者の疾病等に対して公正な保護を実現するという労災保険法の趣旨(同法1条)に悖るというべきであるから、裁判所としては、上記の専門検討会報告書の考え方を踏まえた上で、当該労働者の具体的な病状の推移や具体的な出来事の内容等を総合考慮し、相当因果関係の認定を行えば足りるものと解される。」

「したがって、一旦業務外の要因によって精神障害を発病したと認められる労働者がその後精神障害を発病ないし悪化した事案の相当因果関係判断についても、後者の発病ないし悪化の時点で前者の発病が寛解に至っていたか否かで形式的に異なった基準を適用するのではなく、発病ないし悪化時点での当該労働者の具体的な病状の推移、個別具体的な出来事の内容等を総合考慮した上で、業務による心理的負荷が、平均的労働者を基準として、社会通念上客観的にみて、精神障害を発病させる程度に強度であるといえ、業務に内在する危険が現実化したと認められる場合には、当該発病ないし悪化についても業務との相当因果関係を認めて差し支えないものと解される。

(中略)

「原告は、平成27年2月まで、Iと二人体制で評価システムの構築等に係る業務を行っていたが、同年3月以降、この業務を一人で行うこととなったことは前記のとおりである・・・。そして、Iが同年2月末日をもって離任することは従前から予定されており、原告もこれを認識した上で業務を行っていたものの、Iが同年2月中下旬頃に予定外の休暇を取得したことで十分な引継ぎができなかったことや、同年3月に入ってから外部のメーカー側のミスなどによって業務が遅延し、結局、原告は、同月下旬頃、一人で工数の遅れ(同月11日時点で少なくとも3.6人日分)を挽回することになったと認められ・・・、その結果、同月3日から同年4月2日までの1か月間の時間外労働時間数は、概ね100時間に達し(なお、同年2月2日から3月3日までの時間外労働時間数は10時間弱にとどまる。)、同年3月19日から同年4月2日まで、15日間の連続勤務を行うこととなった。」

かかる出来事は、『仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった』(評価表15番)や『複数名で担当していた業務を1人で担当するようになった』(評価表23番)に該当し、特に、仕事量が増加して著しく時間外労働時間数が増え、業務に多大な労力を費やす状況に至っていたといえるから、心理的負荷は『強』と評価すべきである。

(中略)

上記・・・のとおり、本件悪化前には、心理的負荷を『強』とすべき出来事があったと認められ、業務による心理的負荷が、平均的労働者を基準として、社会通念上客観的にみて、精神障害を発病させる程度に強度であったというべきである。

「また、上記・・・のとおり、本件悪化以前に原告が寛解に至っていたとまでは認められないものの、平成27年2月頃の時点で原告の病状は相当程度安定していたこと、原告には、同年2月下旬頃から、病状悪化の兆候が見られるところ・・・、この頃は丁度、Iが業務から離れることとなり原告の業務量が増大し始めた又は増大することが現実的に予想されるようになった時期であり、原告の症状が顕著に悪化したといえる同年4月2日は、まさに15日間の連続勤務の最終日であり、原告の病状は業務上の負担に応じて悪化に向かっていることからすると、本件悪化は、原告の病状が自然的に増悪したものではなく、まさに業務に内在する危険が現実化したものと認められる。」

したがって、本件悪化については、業務との相当因果関係(業務起因性)が認められるというべきである。

3.悪化類型にも「特別な出来事以外」の心理的負荷表を用いている

 上述のとおり、本裁判例は、「特別な出来事」がなければ悪化に業務起因性が認められないとする考え方を否定しました。

 そのうえで、「特別な出来事以外」の具体的出来事が書かれた心理的負荷表を参照し(判決文中の「評価表」とあるのがそれです)、強い心理的負荷が発生しているとして、本件悪化に業務起因性を認めました。

 悪化類型の労災・業務起因性は容易には認められません。そうした中、本件のような裁判例が出現したことは画期的なことです。本裁判例は、今後、悪化事案の労災認定、業務起因性・相当因果関係の論証で活用して行くことが考えられます。

 

言動がなくてもコース別人事制度における女性への差別的取扱いが認められた例

1.職種変更からの排除が問題になった事例

 以前、

総合職への職種転換の機会を一般職女性から奪ったことが違法とされた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事の中で、横浜地判令3.3.23労働判例1243-5 巴機械サービス事件という裁判例を紹介しました。

 この裁判例は、コース別人事制度における女性差別が問題になった事案です。女性差別は現代においても確かに存在しますが、表立って差別をすると社会的に厳しい批判を浴びるためか、立証が困難な形に潜在化しています。そうした状況の中、女性に対する差別的取扱いの立証が奏功した事案として注目を集めました。男女差別の違法性を認定した判示は次のとおりです。

(横浜地方裁判所の判断)

「原告両名以外の一般職の女性が、一般職から総合職への転換を希望したか否かは証拠上明らかではないものの、以上のとおり、少なくとも原告両名は、それぞれ総合職への転換を希望する意思を明確に伝えているものと評価できるのに・・・、総合職への転換ができてないことはもとより、被告が原告両名に、総合職への転換を勧めたり、転換に必要となる具体的基準や手続等を示したりしたことすらなく、かえって原告X1は、I社長から、女性に総合職はない旨の回答を受けている・・・ことからすれば、被告は、原告両名について、女性であることを理由として一般職から総合職への転換の機会を与えていないものと強く推認される。

「この点、被告は、これまでに職種転換制度を運用しなかった理由として、適切な人材が現れなかったことを主張し、証人Gは、これに沿う陳述・供述をするが・・・、その内容は抽象的にとどまっていてにわかに信用しがたい上、少なくとも、原告両名について、総合職としての適格性を真摯に検討したことをうかがわせるに足りる的確な証拠はない。また、仮に被告が原告両名の経験や資格、能力等に疑問を持つのであれば、具体的かつ適切な基準を設けて職種転換制度を整備し、当該制度を適用する中で、総合職への転換の可否を判断すれば足りるのであり、制度自体を整備ないし運用しないことについての合理的な理由は、何ら見当たらないから、前記被告の主張を考慮しても、前記推認を覆すには至らない。」

「そうすると、遅くとも、原告両名が総合職への転換を希望する意向を表明した時期(原告X1については遅くとも平成29年10月ころ、原告X2については遅くとも平成27年4月ころ)以降、被告は、原告両名に対し、総合職への転換の機会を提供せず、これによって総合職を男性、一般職を女性とする現状を固定化するものであるところ、この点について、合理的な理由が認められないのであるから、職種の変更について性別を理由とした差別的取扱いを禁止する雇用機会均等法6条3号に違反し、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保を図ることを目的とした同法1条の趣旨に鑑み、被告が、原告両名に対し、本件コース別人事制度の運用において、総合職への転換の機会を提供しなかったことは、違法な男女差別に当たるというべきである。」

 この裁判例で男女差別が認定されたのは、被告社長の

「女性に総合職はない」

という発言が効いているように見えます。

 そのため、社長の失言でもなければ、やはり男女差別の立証は難しいままではないかと思っていたのですが、どうやらそういうわけでもなさそうです。この事件の控訴審判決(東京高判令4.3.9労働判例1275-92 巴機械サービス事件)が、被告社長の上記発言を認定事実から除外しながらも、原判決を維持する判断をしたからです。

2.巴機械サービス事件(控訴審)

 近時掲載されていた公刊物に掲載されていた巴機械サービス事件の判旨は次のとおりです。地裁の判断(原告2名に対し慰謝料として各100万円を認容)に対し、原告被告の双方から控訴がありましたが、裁判所はいずれの控訴も棄却しました。

(東京高裁の判断)

「原判決29頁20行目冒頭から同23行目末尾までを次のとおり改める。」

なお、一審原告X1は、平成26年12月19日頃、当時の一審被告の社長(I)との面談において、自身が総合職に転換することが可能か否かを尋ねたところ、同社長から『女性に総合職はない』との回答がされたとの主張をし、その本人尋問においても同旨の供述をするが、一審被告は上記発言があったことを否認していること、同社長自身も、サガミ工場にいる一般職から総合職に転換した女性従業員に話を聞いてきてみたらどうか、とは話したが、上記のような『女性に総合職はない』などという発言をしたことはなく(親会社であるF〈出向元〉グループ企業倫理委員会のオブサーバーやコンプライアンス点検・訓練活動の取りまとめも行っており、また、Fにおいて、何名もの女性職員が総合職に転換してきたのを見てきているので、そのような発言をするはずがない。)、あるとすれば『一審被告においては、それまでに一般職から総合職に転換した例はない。』と言ったのを一審原告X1が聞き間違えたのではないかという趣旨の陳述書(乙13)を作成していることに照らせば、一審被告のI社長が上記のような発言をしたことについては、なお疑問の余地があり、これを認めるに足りない。

(中略)

「よって、原判決は相当であり、一審原告らの控訴及び一審被告の控訴は理由がないから、これをいずれも棄却するとともに、一審原告らが当審において拡張した請求は理由がないから、これをいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。」

3.言動がなくても男女差別が認定された

 控訴審判決は被告社長の差別的発言を事実として認定しませんでした。それでも男女差別を認定した原審の判断が揺るがなかったのは、代表者の言動がなくても差別を認めるという意思表明だと受け取ることができます。

 控訴審判決は、男女差別の立証の在り方という観点からも、大きな意義のある裁判例であるように思われます。