弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

公務員の飲酒運転-懲戒免職処分は有効とされながらも、退職手当支給制限処分(全部不支給)が違法とされた例

1.懲戒免職処分と退職手当支給制限処分

 国家公務員退職手当法12条1項は、

退職をした者が次の各号のいずれかに該当するときは、当該退職に係る退職手当管理機関は、当該退職をした者(当該退職をした者が死亡したときは、当該退職に係る一般の退職手当等の額の支払を受ける権利を承継した者)に対し、当該退職をした者が占めていた職の職務及び責任、当該退職をした者が行つた非違の内容及び程度、当該非違が公務に対する国民の信頼に及ぼす影響その他の政令で定める事情を勘案して、当該一般の退職手当等の全部又は一部を支給しないこととする処分を行うことができる。

一 懲戒免職等処分を受けて退職をした者

・・・」

と規定しています。

 文言だけを見ると、懲戒免職処分を受けた国家公務員に対しても、退職手当等が一部支給される余地が広く残されているように思われます。

 しかし、懲戒免職処分を受けた国家公務員に対して退職手当等が支払われることは、実際にはあまりありません。昭和60年4月30日 総人第 261号 国家公務員退職手当法の運用方針 最終改正 令和4年8月3日閣人人第501号により、

「非違の発生を抑止するという制度目的に留意し、一般の退職手当等の全部を支給しないこととすることを原則とするものとする」

と定められているからです。

https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/genkou_2.pdf

 上記は国家公務員の場合ですが、地方公務員に対しても多くの地方公共団体で同様のルールが採用されています。

 しかし、近時公刊された判例集に、懲戒免職処分が有効とされながらも、退職手当支給制限処分(全部不支給)は違法だと判示された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、仙台高判令4.5.26労働判例ジャーナル128-14 宮城県・県教委事件です。

2.宮城県・県教委事件

 本件で原告になったのは、宮城県公立学校教員に任命され、高校教諭として勤務してきた方です。勤務先で行われた歓迎会に参加して飲酒した後、帰宅のため自家用車を運転し、交差点で物損事故を起こしました。

 原告の方は酒気帯び運転で逮捕されたうえ、県教育委員会から、

懲戒免職処分、

退職手当1724万6467円の全部不支給を内容とする退職手当支給制限処分、

を受けました。

 これに対し、原告は、処分が重すぎるとして、懲戒免職処分、退職手当支給制限処分の取消を求めて県を提訴しました。

 原審は、懲戒免職処分の効力を維持する一方、退職手当支給制限処分は取り消しました。これに対し、原告・被告の双方が控訴したのが本件です。

 控訴審裁判所も、原審と同様、懲戒免職処分の効力は有効としましたが、退職手当支給制限処分は違法だと判示しました。退職手当支給制限処分の違法性に関する判断は次のとおりです。

(裁判所の判断)

「当裁判所も、原判決『事実及び理由』第3の3の説示のとおり、県教委が、退職手当1724万6467円の全部を支給しないこととした退職手当支給制限処分は、その根拠規定である職員の退職手当に関する条例12条1項の規定の趣旨に反し、県教委の裁量権を逸脱した違法な処分であると判断する。」

「前記・・・の説示のとおり、原告の酒気帯び運転の非違行為について、教員としての職務及び責任の重大性や、その職務の特性ゆえに非違行為が公務の遂行に及ぼす支障が大きく、また公務に対する信頼を失墜させる程度も著しいこと、更に県教委が教職員の飲酒運転について注意喚起を強化する中で行われた非違の経緯も考慮すると、懲戒免職処分そのものは、やむを得ないといえるとしても、一方で、原告は、処分当時まで30年勤続し、その時点で退職すれば、前記条例によって定められた退職手当1724万6467円の支給を受けられたものである。」

「職員の退職手当に関する条例12条1項によれば、県教委が教職員について退職手当の支給制限処分をする際には、退職をした者が占めていた職の職務及び責任、退職をした者の勤務の状況、退職をした者が行った非違の内容及び程度、非違に至った経緯、非違後における退職をした者の言動、非違が公務の遂行に及ぼす支障の程度並びに非違が公務に対する信頼に及ぼす影響を勘案しなければならない。」

条例が、退職手当支給制限処分について、このように幅広く多面的に非違に関する事情を勘案すべきことを定めた趣旨は、退職手当には、勤続報償としての性格のみならず、賃金後払いや退職後の生活保障の性格を持ち、長年働いた職員の権利としての性格にも配慮しなければならないことから、職員の権利保護のため退職手当管理機関の判断が恣意的にならないように、慎重な検討を求めたものと解される。

「宮城県は、職員の退職手当に関する条例の一部改正(平成21年10月9日施行)により現行の条例12条1項の規定が新設された際に、『一般の退職手当等の支給制限処分等の運用について』・・・という内規を制定している・・・。」

「この運用基準第12条関係によれば,『非違の発生を抑止するという制度目的に留意し、一般の退職手当等の全部を支給しないこととすることを原則とする。』(1項)と定める一方で、『一般の退職手当等の一部を支給しないこととする処分にとどめることとすることを検討する場合は、『当該退職をした者が行った非違の内容及び程度』について、次のいずれかに該当する場合に限定する。その場合であっても、公務に対する信頼に及ぼす影響に留意して、慎重な検討を行うものとする。』(4項本文)と定め、一部を支給しない処分にとどめることを検討する場合として『(1)停職以下の処分にとどめる余地がある場合に、特に厳しい措置として懲戒免職等処分とされた場合』を定めている。」

この運用基準4項(1)の規定によれば、原告の酒気帯び運転の場合における『当該退職をした者が行った非違の内容及び程度』は、一般の宮城県職員であれば前記の24歳の警察官のように、また同じ高校教員でも平成27年の前記の3件の事例のように、停職処分にとどめる余地があった非違行為であるといえる。

「その上で、原告の場合は、教員による飲酒運転が連続し、県教委が懲戒処分の厳格な運用を含む注意喚起を強化する中での非違行為であることや、教職という職責から公務に対する信頼の失墜や公務への支障も著しいことを考慮して、特に厳しい措置として懲戒免職処分とされたことは、前記2に説示した事情や上記の警察官の事例との対比からも明らかであり、酒気帯び運転という非違行為の内容及び程度に照らせば、運用基準4項(1)によっても、一部を支給しない処分にとどめることを検討すべき場合であったと認められる。

「このように検討すると、原告の場合、非違の内容及び程度、非違に至った経緯、非違が公務の遂行に及ぼす支障の程度並びに非違が公務に対する信頼に及ぼす影響という面からみると、特に、本件の非違行為である酒気帯び運転は、飲酒後間もなく帰宅のために自動車を運転した故意による犯罪行為であり、運転を始めてすぐに物損事故を起こし、飲酒による運転への影響も相当に大きく、酒気帯びの程度も著しい危険な行為であったといえること、県教委において、飲酒運転に対する懲戒処分の厳格化の周知がされ、教職員全体で飲酒運転根絶に向けた意識を高めていた中で行われ、教員が現行犯逮捕された事件として報道されるなど公務に対する信用を大きく損なうとともに、新学年が始まったばかりで教職を続けることに支障が生じ、生徒や他の教職員に大きな影響を与えたことは明らかであり、公務に対する支障も著しかったのであるから、退職手当が大幅に減額されることはやむをえない。」

しかし一方で、原告は、職への信頼が高く求められる教員ではあったが管理職ではなく、昭和62年から30年余り勤続し、過去に懲戒処分歴は全くなく、飲酒運転発覚直後は情状を軽くするよう嘘をついたものの、それ自体は重大なものではなく、反省して事実を認め罰金刑を受け、結果論とはいえ幸いにも被害が物損にとどまり被害弁償も直ちに済ませている。

「そうすると、前記条例の規定に即し、占めていた職の職務及び責任、勤務の状況、行った非違の内容及び程度、非違に至った経緯、非違後における言動、非違が公務の遂行に及ぼす支障の程度並びに非違が公務に対する信頼に及ぼす影響を総合的に勘案すれば、更にこのような事情を勘案して退職手当の全部又は一部を支給しない処分をすべきことを定めた条例の趣旨が、退職手当には勤続報償としての性格のみならず、賃金後払いや退職後の生活保障の性格を併せ持つことを考慮し、長年勤続する職員の権利としての面にも配慮したものと解されることを踏まえて条例を適用すれば、本件非違行為につき、1724万6467円に上る退職手当の全額を支給しない処分をすることは、条例の規定の趣旨を超えて職員に著しい不利益を与えるものであり、県教委の裁量権の範囲を逸脱するものであると認められる。

「条例12条1項により退職手当支給制限処分をするにあたって県教委に裁量判断の余地があるとしても、条例の規定は、多面的な事項を考慮することを処分権者に求めており、この条例の規定の趣旨は、賃金後払いや退職後の生活保障の性格も有する退職手当の支給制限処分をするには、長年勤続する職員の権利としての面にも慎重な配慮を求めたものと解されるから、退職手当の支給制限処分の司法審査における県教委の裁量権の範囲についての判断は、条例の趣旨と規定の内容を踏まえた厳格な判断となるのは当然である。」

3.過去事例等の検討も忘れずに

 本件では非違行為の性質を評価するにあたり、過去事例との比較が重視されているように見えます。

 懲戒処分の標準例が漠然としていることにも相俟って、公務員の懲戒処分の重い/軽いを判断するにあたっては、同種事例・過去事例を参照しながら考えて行くのが便宜です。そうした視点が突破口を開いた事案として、本裁判例は実務上参考になります。

 

非違行為の直後に行われた嘘の言い訳はどのように評価されるのか

1.咄嗟の嘘

 非違行為を犯した時、それを糊塗するため、咄嗟に嘘をついてしまう労働者は少なくありません。こうした苦し紛れの言い訳は稚拙なものが多く、大抵の場合、すぐに嘘であることが露見します。

 嘘は倫理的に不適切とされていることもあり、人の目を引き付けがちです。そのため、嘘をついたことが分かると、「反省がない」などとして処分の加重要素とされることがあります。

 しかし、非違行為が摘発されたその瞬間から洗いざらい真実を語っていなければ反省の気持ちがないというのは、あまりに現実と遊離していると言わざるを得ません。また、発覚や摘発の直後に苦し紛れに嘘をついてしまうことは、人の普通の反応です。そのような事情に処分量定に大きく影響するほどの意義を与えることは、適切であるとも思われません。

 それでは、懲戒処分の効力を争点とする裁判実務において、非違行為の直後に吐かれた嘘は、どのように評価されているのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。仙台高判令4.5.26労働判例ジャーナル128-14 宮城県・県教委事件です。

2.宮城県・県教委事件

 本件で原告になったのは、宮城県公立学校教員に任命され、高校教諭として勤務してきた方です。勤務先で行われた歓迎会に参加して飲酒した後、帰宅のため自家用車を運転し、交差点で物損事故を起こしました。

 原告の方は酒気帯び運転で逮捕されたうえ、県教育委員会から、

懲戒免職処分、

退職手当1724万6467円の全部不支給を内容とする退職手当支給制限処分、

を受けました。

 これに対し、原告は、処分が重すぎるとして、懲戒免職処分、退職手当支給制限処分の取消を求めて県を提訴しました。

 原審は、懲戒免職処分の効力を維持する一方、退職手当支給制限処分は取り消しました。これに対し、原告・被告の双方が控訴したのが本件です。

 この事件の原告は、事故の後、間違った体を装って、運転代行会社に連絡し、通話履歴を作りました。運転代行業者に連絡をとったものの、やむを得ず飲酒運転をしてしまったという形をとることにより、情状の軽減を試みたものでした。

 このような嘘は当然すぐに発覚することになりましたが、裁判所は、原告が吐いた嘘を、次のとおり評価しました。

(裁判所の判断)

「原告は、事故後に携帯電話で殊更に間違い電話をかけて通話履歴を残し、事故前に運転代行業者に電話をかけたが間違い電話をして、やむを得ず飲酒運転をしてしまったという嘘の言い訳を考え、警察や学校関係者に対し、事故前に運転代行業者に電話をかけようとしたという虚偽の申告をして、飲酒運転の動機において情状を軽く見せかけようとしている・・・。しかし、そのような嘘は、事故発生と通話履歴の時刻から警察や学校関係者には明白な嘘にすぎなかった。

「むしろ、原告は、飲酒の事実は、事故現場で警察官から質問されて直ちに認め、平成29年5月3日付けで顛末書・・・を校長に提出し、同月13日には辞表・・・も提出し、反省の情を示している。酒気帯び運転については罰金35万円の処罰を受け・・・、物損事故の賠償もすぐに済ませている・・・。」

このような非違後の言動においては、飲酒運転の動機についての嘘の言い訳は、些細な嘘であってそれほど重視するには足りず、全体として真摯な反省の態度があると認めるべきである。

3.懲戒免職処分野効力は維持された事案ではあるが・・・

 本件では懲戒免職処分の効力は維持されています。上記の判示も、懲戒処分の効力を検討する中で行われたものです。

 しかし、非違行為の直後に吐かれた嘘の言い訳に対する裁判所の見方を知る上で、上記判示は大いに参考になります。

 個人的な経験に照らしても、計画性がなく、後に改悛の事情を十分に示すことができる事案では、咄嗟に吐いた嘘が決定的な重要要素になることは稀であるようにも思われます。

 

指導・処分歴のない公務員に対しパワハラを理由として行われた分限免職処分が有効とされた例

1.分限制度

 公務の能率の維持や適正な運営の確保という目的から、職員の意に反する不利益な身分上の変動をもたらす処分を、分限処分といいます。分限処分には、降任、免職、休職、降級の4種類があります(国家公務員法78条、79条、人事院規則11-10、地方公務員法28条参照)。

 分限処分の理由の一つに、職務適格性の欠如があります。

 例えば、国家公務員の場合、「その他その官職に必要な適格性を欠く場合」が分限事由として定められています(国家公務員法78条3号)。

 職務適格性の欠如を理由とする分限処分について、人事院規則11-4第7条4項は、

「法第七十八条第三号の規定により職員を降任させ、又は免職することができる場合は、職員の適格性を判断するに足ると認められる事実に基づき、その官職に必要な適格性を欠くと認められる場合であつて、指導その他の人事院が定める措置を行つたにもかかわらず、適格性を欠くことが明らかなときとする。」

と判示し、事前に指導等の措置をとをとることを要請しています。

 地方公務員の分限制度の運用は国家公務員に準じて行われることが多く、職務不適格を理由とする分限処分、特に免職処分を行うにあたっては、事前の指導・処分等が前置されることが通例となっています。

 しかし、近時公刊された判例集に、事前の指導・処分歴のない方に対するパワハラを理由とする分限免職処分が適法・有効だと判示した裁判例が掲載されていました。最三小判令3.9.13労働判例ジャーナル128-1 長門市・長門消防局事件です。

2.長門市・長門消防局事件

 本件で原告(被控訴人・被上告人)になったのは、長門市の消防吏員の方です。部下への暴行、暴言、卑猥な言動及びその家族への誹謗中傷を繰り返し、職場の人間関係や秩序を乱したとして消防長から分限免職処分を受けました。これに対し、原告の方は、長門市を被告(控訴人・上告人)として、分限免職処分の取消を求める訴えを提起しました。

 一審、控訴審が分限免職処分の取消を認めたこと受け、長門市側が上告したのが本件です。

 この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、一審、控訴審の結論を覆し、分限免職処分を適法だと判示しました。

(裁判所の判断)

「被上告人は、平成20年4月から同29年7月までの間、同月当時の上告人の消防職員約70人のうち、部下等の立場にあった約30人に対し、おおむね第1審判決別紙『パワハラ行為一覧表(時系列)』記載のとおりの約80件の行為(以下『本件各行為』という。)をした。」

「本件各行為の主な内容は、

〔1〕訓練中に蹴ったり叩いたりする、羽交い絞めにして太ももを強く膝で蹴る、顔面を手拳で10回程度殴打する、約2kgの重りを放り投げて頭で受け止めさせるなどの暴行、

〔2〕『殺すぞ』、『お前が辞めたほうが市民のためや」、「クズが遺伝子を残すな」、『殴り殺してやる』などの暴言、

〔3〕トレーニング中に陰部を見せるよう申し向けるなどの卑わいな言動、

〔4〕携帯電話に保存されていたプライバシーに関わる情報を強いて閲覧した上で「お前の弱みを握った」と発言したり、プライバシーに関わる事項を無理に聞き出したりする行為、

〔5〕被上告人を恐れる趣旨の発言等をした者らに対し、土下座を強要したり、被上告人の行為を上司等に報告する者がいた場合を念頭に『そいつの人生を潰してやる』と発言したり、『同じ班になったら覚えちょけよ』などと発言したりする報復の示唆等であり、本件各行為の多くは平成24年以降に行われたものである。」

「上告人が実施した調査によれば、本件各行為の対象となった消防職員らのうち、被上告人が自宅待機から復帰した後の報復を懸念する者が16人、被上告人と同じ小隊に属することを拒否する者が17人に上った。」

(中略)

「地方公務員法28条に基づく分限処分については、任命権者に一定の裁量権が認められるものの、その判断が合理性を持つものとして許容される限度を超えたものである場合には、裁量権の行使を誤った違法のものであることを免れないというべきである。そして、免職の場合には公務員としての地位を失うという重大な結果となることを考えれば、この場合における判断については、特に厳密、慎重であることが要求されるものと解すべきである(最高裁昭和43年(行ツ)第95号同48年9月14日第二小法廷判決・民集27巻8号925頁参照)。」

「本件各行為は、5年を超えて繰り返され、約80件に上るものである。その対象となった消防職員も、約30人と多数であるばかりか、上告人の消防職員全体の人数の半数近くを占める。そして、その内容は、現に刑事罰を科されたものを含む暴行、暴言、極めて卑わいな言動、プライバシーを侵害した上に相手を不安に陥れる言動等、多岐にわたる。」

「こうした長期間にわたる悪質で社会常識を欠く一連の行為に表れた被上告人の粗野な性格につき、公務員である消防職員として要求される一般的な適格性を欠くとみることが不合理であるとはいえない。また、本件各行為の頻度等も考慮すると、上記性格を簡単に矯正することはできず、指導の機会を設けるなどしても改善の余地がないとみることにも不合理な点は見当たらない。

「さらに、本件各行為により上告人の消防組織の職場環境が悪化するといった影響は、公務の能率の維持の観点から看過し難いものであり、特に消防組織においては、職員間で緊密な意思疎通を図ることが、消防職員や住民の生命や身体の安全を確保するために重要であることにも鑑みれば、上記のような影響を重視することも合理的であるといえる。そして、本件各行為の中には、被上告人の行為を上司等に報告する者への報復を示唆する発言等も含まれており、現に報復を懸念する消防職員が相当数に上ること等からしても、被上告人を消防組織内に配置しつつ、その組織としての適正な運営を確保することは困難であるといえる。」

「以上の事情を総合考慮すると、免職の場合には特に厳密、慎重な判断が要求されることを考慮しても、被上告人に対し分限免職処分をした消防長の判断が合理性を持つものとして許容される限度を超えたものであるとはいえず、本件処分が裁量権の行使を誤った違法なものであるということはできない。そして、このことは、上告人の消防組織において上司が部下に対して厳しく接する傾向等があったとしても何ら変わるものではない。」

「以上によれば、本件処分が違法であるとした原審の判断には、分限処分に係る任命権者の裁量権に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。」

3.ハラスメントに対する厳しい見方の表れか?

 一審、控訴審の判断を最高裁が取り消すには、極めて異例なことです。

 今回、最高裁が異例なことに踏み切ってまで、一審、控訴審とは異なる判断を行ったのは、ハラスメントに対する厳しい姿勢の表れではないかと思います。

 ハラスメントに対する裁判所の見方は、年々、厳しくなっているように思われます。

 事前に注意、指導、処分を受けていなかったとしても、免職処分の効力が認められる可能性があることには注意が必要です。

 

長期間(20年以上)に渡って事故等がなかったことはどのように評価されるのか

1.過失責任と予見可能性

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。これは一般に「安全配慮義務」と呼ばれています。

 安全配慮義務が履行されなかったことにより損害を受けた労働者は、使用者に対して損害賠償を請求することができます。

 しかし、安全配慮義務に違反する事態が生じたとしても、使用者側に「過失」がなければ、損害賠償を請求することはできません。

 それは、債務不履行に基づいて損害賠償請求を行うための根拠条文である民法415条1項が、

「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」

と規定しているからです。過失が認められない場合、仮に労働者の身を危険に晒したとしても、それは使用者の「責めに帰することができない事由によるもの」であると理解されるため、損害賠償を請求することはできません。

 この「過失」の概念は、

加害行為を行った者が、損害発生の危険を予見したこと、ないし予見すべきであったのに(予見義務)予見しなかったこと(予見ないし予見可能性)」と

「損害発生を予見したにもかかわらず、その結果を回避すべき義務(結果回避義務)に違反して、結果を回避する適切な措置を講じなかった」こと

の二つの要素から構成されています(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1467頁参照)。

2.長期間に渡って事故等がなかったことを、どう評価するのか?

 安全配慮義務違反を理由に損害賠償を請求すると、しばしば、使用者側から、

「長年この仕事をやっているが、事故等にあったのは今回が初めてである」

という反論を受けます。

 これは、法的に翻訳すると、

予見可能性がないため、過失があるとはいえない、

仮に、責任を負うにしても、事故等は当該労働者固有の不注意さが原因であり、大幅な過失相殺がなされるべきである、

といった主張になります。

 それでは、こうした主張は、常に効力を持つといえるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、長期間に渡って事故等がなかったとの使用者側の主張が排斥された裁判例が掲載されていました。徳島地判令4.4.14労働判例ジャーナル127-52 二ホンフラッシュ事件です。

3.二ホンフラッシュ事件

 本件で被告になったのは、住宅及び住宅関連部品の製造・販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、合板の仕分け作業中、合板を積んだ台車の下敷きとなって死亡した被告従業員(亡D)の両親です(平成30年11月21日事故、同日死亡)。亡Dが死亡したのは、雇用主の安全配慮義務違反に理由があるなどと主張して、損害賠償等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の被告は、

「少なくとも20年以上にわたって本件事故発生時と同様の方法で合板の台車への積込み、運搬が行われていたにもかかわらず、その間、同種事故の発生もヒヤリハット事例もなかったのであり、被告が、本件事故を予見することは不可能であった」

などとして、安全配慮義務違反等は存在しないと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて被告の主張を排斥し、安全配慮義務違反を認めました。また、過失相殺の主張についても、これを否定しました。

(裁判所の判断)

・安全配慮義務違反について

「本件台車の形状は、底面が96cm×100cmのほぼ正方形、床面からの高さは196cmの縦長であり・・・、本件台車に積み込む合板の高さは、大きいもので、本件台車の高さを大きく超える244cmにもなり、その重量も、1枚当たり約10kg(=(650kg-140kg)÷51枚)にも及ぶものであるところ・・・、このような合板を本件台車の片側の端のスペースに50枚(約500kg)も集中して積み込めば、本件台車の片側に重心が偏り、全体の高さも高くなり、本件台車の安定性が大きく損なわれることは明白である。また、本件台車の運搬時の作業員の力のかけ方は、当該作業員の体格、性格、経験などから一様でないと推認できるし、本件事故現場の床面が平坦、平滑でなかったこと・・・を考慮すれば、本社工場内において、本件事故時のように本件台車に偏った合板の積載をするなど本件台車の取扱いによっては、これが転倒する可能性も十分に考えられる。しかも、本件台車は、その自重が140kgにもなり、かご部分に合板を積み込んだ場合には、合計重量が1tを超えることもあるのであるから・・・、これが転倒すれば、従業員らの生命身体に重大な危険を及ぼし得ることも明らかであったといえる。」

「そうであれば、被告としても、本件台車が転倒することによって従業員の死傷事故が発生し得ることは、十分に予見可能であったというべきであり、本件台車の転倒事故を防ぐため、従業員に対して、台車を用いた合板の運搬作業について、台車の端のスペースにまとめて積み込むなど、重心が偏った状態で運搬することのないよう作業標準を作成したり、重心の偏りによる転倒の危険について危険予知訓練や安全教育を行ったり、本件台車に代えて、より安定性が高く転倒の危険性がない台車を使用するなどの対策を講じる義務を負っていたというべきである。ところが、被告においては、本件台車の危険性を顧慮することなく、Dを含む作業員らに対し、作業の効率性の観点を重視して、台車の端のスペースから合板を積み込むよう指導していた一方・・・、転倒を防止するための台車の移動方法などについては、何らの指導も行っていなかった・・・というのであるから、被告には、Dに対する安全配慮義務ないし不法行為法上の注意義務違反があったというほかない。そして、その結果、Dは、片側に偏って多数の合板が積まれ、安定性を欠いた状態にある本件台車を移動させることとなり、転倒した本件台車の下敷きとなって死亡したのであるから、被告の安全配慮義務ないし不法行為法上の注意義務違反とDの死亡との間には、相当因果関係があるというべきである。」

これに対し、被告は、少なくとも20年以上にわたって、本件事故発生時と同様の方法で合板の台車への積込み、運搬が行われていたにもかかわらず、その間、事故等はなかったのであるから、被告が本件事故を予見することは不可能であった旨主張する。

しかし、長年にわたって本件台車の転倒事故が起きていなかったという経験のみから、直ちに予見可能性が否定されるものではない。そして、前記のような本件台車の形状や、合板の積込方法等に鑑みれば、本件台車が、物理的に安定性を欠く場合があることは、通常人の経験則をもって、容易に予測し得るというべきであり、被告の上記主張は、採用することができない。

・過失相殺について

「本社工場での合板せどり作業においては、作業効率の観点から、本件台車の端のスペースから合板を積み込む方法が通常の方法として行われ、合板の一方の端に合板がまとまっている状態で台車を移動させることも珍しくなかったというのであって、本件事故時、Dは、まさに被告に指示された通常の方法で作業を行っていたにすぎない。また、Dが平成30年4月2日に被告に雇用され、同年9月から合板せどり作業に従事していた新入社員であったこと・・・にも鑑みれば、Dが、被告に指示された作業手順に従って作業を行うのみでなく、本件台車が転倒しないよう特段の配慮をもって合板せどり作業に従事し、本件事故の発生を回避すべき注意義務があったともいえない。したがって、Dに本件事故についての過失があったということはできない。

4.予見可能性あり/過失相殺否定

 上述のとおり、裁判所は、かなりあっさりと被告の主張を排斥し、予見可能性を認めました。作業手順を定める法令に慢性的に違反していたというのであればともかく、明確な条文のない領域で、長期間(20年以上)に渡って事故等がなかったという主張が簡単に排斥されているのは興味深く思います。今後、使用者側から類似の主張が提出された時には、この裁判例を引用してみることが考えられます。

 もう一点、目を引かれたのが、過失相殺に関する判示です。本件では新入社員であることを考慮要素として挙示したうえで過失相殺を否定しました。熟練していない新入社員は事故等に遭いやすい傾向にあり、損害賠償をめぐって紛争になることも少なくありません。本件は新入社員と会社が争う場面において、新入社員側の過失を否定するためにも活用できる可能性があります。

 本件は一見すると事例判断のようにも見えますが、参考になる場面は意外と多いのではないかと思います。

 

遺書の証拠力-遺書に書いてあるストレス因でも事実として認められないことがある

1.遺書の証拠力

 職場でのストレスが背景にある自死・自殺事案では、遺書に上司や同僚等の心ない言葉が書かれていることがあります。

 このような内容の遺書を目にした遺族には、

当該心ない言動が存在したに違いない、

当該心ない言動が自死・自殺の原因になったに違いない、

と思う方が少なくありません。

 確かに、遺書の記載は、自死・自殺の原因を立証するための有力な証拠になります。

 しかし、遺書の記載さえあれば訴訟で責任を問うことができるのかというと、そう言い切れるわけでもありません。自死・自殺は精神障害(精神疾患)の影響のもとで行われることが多いからです。正常ではない心理状態のもとでは、特に攻撃的ではない言動であっても、被害的に受け取られることがあります。このような可能性が排除されないため、遺書に書かれているから責任追及等が可能になるというほど単純な問題だとは考えられていません。

 昨日ご紹介した釧路地判令4.3.15労働判例ジャーナル127-52 国・釧路労基署長事件も、遺書に記載されていた心ない言動が、裁判所によって、事実として認められなかった例になります。

2.国・釧路労基署長事件

 本件は自死した新人看護師(亡P5 平成25年3月卒業、平成25年9月15日死亡)の両親が原告となって提起した労災の不支給決定に対する取消訴訟です。亡P5が自死したのは職場の上司からのパワーハラスメントなどの業務上の心理的負荷を受けて精神障害を発病したことによると主張して、遺族補償給付及び葬祭料の不支給決定に対する取消を求める訴えを提起しました。

 本件の亡P5は遺書を残しており、その中に、次のような記載がありました。

(裁判所が認定した遺書の内容)

「入職して、6ヶ月が経ちました。

この6ヶ月、注射係しかできませんでした。その注射係すらまともにできませんでした。

異常な緊張が続き、6月にはプロポフォールのインシデント、手術台のロックを外してしまうアクシデントを起こしてしまいました。

「本当に申し訳ありませんでした。

毎日、胃痛と頭痛に悩やまされ、夜中に目が覚めてしまう日々が続きました。
集中力に欠けて、ミスを連発し、言われたことを直せないでいました。
P11先生に『お前はオペ室のお荷物だな』と言われて、確信しました。
成長のない人間が給料をもらうわけにはいきません。
本当に申し訳ありません。
勉強しても、イメトレしても手術部屋に入ると、抜けてしまいました。
だから、あきれられても仕方ありません。
6ヶ月本当に皆様にはお世話になりました。」

 本件の原告(遺族)は、P11の言動等によって強い心理的負荷が発生したと主張しました。

 しかし、裁判s如は、次のとおり述べて、原告の主張を採用しませんでした。

(最場所の判断)

確かに、本件遺書には、P11医師から本件発言がなされた旨の記載がある(前提事実・・・から、少なくとも、亡P5は本件遺書を作成した当時において、P11医師から本件発言を受けたと認識していたということはできる。しかし、本件遺書はその全体の趣旨からして亡P5の精神障害に由来すると考えられる強度の自責傾向や自己評価の低さが顕著に示されており、精神障害の強い影響下で作成されたものと考えられることからすれば、亡P5が死亡前に遺書として作成したという特殊性を考慮しても、亡P5がP11医師の発言内容について体験した事実を正確に記載したことが推認されるとまではいえない。なお、亡P5は、平成25年7月1日付の(提出期限は8月1日)『勤務異動及び退職に関する調査』の中の『その他看護部長へ伝えたいこと・困っていること・提案などについて自由にご記入ください。』の欄に「仕事の要領が悪く、職場の皆様のお荷物になっていることが辛いです。」と記載していることからすると・・・、この時点ですでに『職場の皆様のお荷物』という自己評価を抱くに至っていたことがうかがわれるが、これが精神障害の影響下で亡P5が自ら考察したものであるのか、第三者からの影響を受けて内面化したものであるのかについても、証拠上明らかではない。

亡P5とP11医師との接点について検討するに、P11医師は、手術場における看護師との雑談を通じて、その年の新人看護師である亡P5が業務の習得に苦労していることを知り、手術場の出入りの際やドクターラウンジで亡P5を見かけた際には「どう、がんばっているか?」「また怒られちゃったの?」などと声をかけてあいさつ程度の会話をすることがあったほか、亡P5の業務習得を図るため、自らが行う手術に入ることを提案したが、亡P5を指導する看護師側から基本的技術の習得を優先すべきであるとの意見を受けて撤回したことがあることが認められる・・・。そうすると、P11医師は、亡P5の業務の習得状況を気に留め、仕事上の接点はなかったものの、亡P5と複数回にわたり雑談する機会を有していたといえるから、こうした機会に亡P5に対して本件発言を行うことが不可能であったとはいえない。

「この点について、原告は、亡P5が、P11医師の行う手術場に複数回立ち会っていた旨主張するが、仮に、亡P5がP11医師の手術場に入る機会があったとしても、亡P5が行う業務は、麻酔に関する間接介助業務にすぎず(・・・、同僚看護師ら及びP「11医師は、亡P5がP11医師の手術について間接介助業務を行うとしても、P11医師が入室する前の時点にすぎないと供述していること・・・からすれば、亡P5とP11医師が手術室内において直接会話し、P11医師が亡P5に直接何らかの指導をする機会があったとは認められない。」

P11医師は、亡P5と雑談する機会は有していたものの、亡P5の仕事ぶりを直接認識する機会はなく、看護師から間接的に亡P5の仕事ぶりを伝え聞いたにすぎないから、P11医師自身の評価として亡P5に対して本件発言を行ったとすることは不自然である。」

「一方で、亡P5は、平成25年6月頃、男性更衣室あるいはドクターラウンジでP11医師と雑談した際に、P11医師に対し、「先生はどうしていつも優しいんですか、僕の評判はそんなに悪いですか。」と質問したことがあることが認められ・・・、このことと、眼科部長であるP11医師が、はげましのつもりで、新人看護師である亡P5に、『どう、がんばっているか?』『また怒られちゃったの?』などと声をかけていたことを併せて考えると、亡P5は、雑談におけるP11医師の何らかの発言を、精神障害の影響下における自己評価と結びつけて認知するに至った可能性も考えられる。」

「いずれにしても、本件遺書の記載は、本件発言の存在を裏付けるに足りるものではなく、他に、P11医師が本件発言をしたと認めるに足りる証拠はないから、本件発言がされたことを前提に亡P5とP11医師との間に『上司とのトラブル』があったとする原告らの主張は採用することができない。

3.遺書に書かれているからといって立証が容易とは限らない

 上述のとおり、裁判所は、遺書の記載を目にしながらも、遺書に記載されていた同僚医師P11の言動を否定しました。

 遺書に書かれているからといって、その事実が当然のように裁判所で認定されるとは限りません。

 即断せず、その証拠としての価値は、慎重に吟味検討することが必要です。 

新人であることは個体側要因(個人の脆弱性)か?

1.精神障害の労災認定

 精神障害の労災認定について、厚生労働省は、

平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

という基準を設けています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること(第一要件)、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること(第二要件)、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと(第三要件)、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

 実務上、認定基準に沿って業務起因性を検討することは、行政に留まらず、裁判所の判断基準としても定着してきた感があります。

2.新人であることは個体側要因か?

 第三要件で個体側要因による発病が除外されているのは、労働者災害補償保険が飽くまでも業務に内在する危険を引き受けるものだからです。精神障害を発症したとしても、それが個体側の脆弱性に起因している場合、業務に内在する危険が現実化したものとは認めてもらえません。

 労働者災害補償保険法は被災労働者にかなり手厚い保険給付を用意しています。そのため、個体側に脆弱性があると判断されるのかどうかは、しばしば死活問題といえるほどの重要な争点になります。

 それでは「新人であること」は、個体側要因(個人の脆弱性)と理解されるのでしょうか? 仕事に慣れた労働者であれば何でもないストレスであったとしても、新人が深刻に受け止めることは珍しくありません。新人であるが故に強度のストレスに晒されたことは、個人の問題なのでしょうか? 業務の問題なのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。釧路地判令4.3.15労働判例ジャーナル127-52 国・釧路労基署長事件です。

3.国・釧路労基署長事件

 本件は自死した看護師(亡P5 平成25年9月15日死亡)の両親が原告となって提起した労災の不支給決定に対する取消訴訟です。亡P5が自死したのは職場の上司からのパワーハラスメントなどの業務上の心理的負荷を受けて精神障害を発病したことによると主張して、遺族補償給付及び葬祭料の不支給決定に対する取消を求める訴えを提起しました。

 この事案で、裁判所は、亡P5が平成25年3月に看護大学を卒業したばかりの新人看護師であったことについて、次のとおり言及しました。

(裁判所の判断)

「亡P5は、平成25年6月12日、本件インシデントを起こしているところ、本件インシデントにより過剰に患者に投与されることとなったプロポフォールは、過剰投与により徐脈や低血圧等の症状を引き起こし、大量又は長時間の投与は患者を死亡させる危険性がある。そして、本件病院は、本件インシデントを、『ンシデントレポートの作成を要するミスとして扱っているから、本件インシデントは重大なミスと評価することができる。本件インシデントは、認定基準別表1の出来事〔2〕の項目3『業務に関連し、重大な人身事故、重大事故を起こした』あるいは同項目4『会社の経営に影響するなどの重大な仕事上のミスをした』に該当し、その平均的な心理的負荷の強度は〈3〉である。」

「しかしながら、本件インシデントは、12ccの投与の予定であったプロポフォールを13cc投与したというものであり、直ちに生命に危険を生じさせるような大量の投与をしたとまでいうことはできないし、現に当該患者に特段の具体的な被害は生じず、インシデントレポート上も、患者への影響レベルは5段階のうちの軽いほうから2番目(間違ったことを実施、患者には変化なし)に位置付けられたにすぎない。そうすると、本件インシデントの『事故の大きさ、内容及び加害の程度』又は『失敗の大きさ・重大性、社会的反響の大きさ、損害の程度』はいずれも大きいものとはいえない。また、本件インシデントの発生に伴って、亡P5が患者・患者の親族への説明やその他の対外的な対応を求められた事実は認められず、後記のとおりインシデントレポートの作成を行ったにすぎないから、『ペナルティ・責任追及の有無及び程度、事後対応の困難性等』について考慮すべき事情も認められない。」

「もっとも、心理的負荷の程度は、当該労働者の置かれた具体的環境のもとで考察する必要があるところ、亡P5は、本件病院に採用されて約2か月経過したばかりの新人看護師であったことからすれば、重大な結果が生じていないミスであっても、職場や業務に慣れていない状況下で生じたものであるから、ミスを生じさせたこと自体に相当の心理的負荷が生じ得ることも十分に考慮すべきである。そうであるとしても、客観的にみれば、本件インシデントは、新人看護師が指導看護師の見守りを受けつつ業務に習熟する過程で生じた出来事であり、その結果に重大性はなく、なんら責任を問われることもなく、ペナルティを課されることもなかったのであるから、その心理的負荷の強度の総合評価はなお『中』にとどまるというべきである。」

4.結論として業務起因性の否定された事案ではあるが・・・

 本件では、結論として、業務起因性は否定されています(取消請求棄却)。

 しかし、本件は新人であることを個体側要因(個人の脆弱性)の問題にしなかっただけではなく、業務負荷を高める要素として位置付けました。

 新人を被災者とする労災事件を取り扱うにあたり、本件には記憶しておく意義のある裁判例であるように思われます。

 

ターゲットを選んでいたことがパワハラ成立の根拠とされた例

1.相手を選ぶパワハラ

 パワーハラスメント(パワハラ)の加害者の中には、誰に対しても一様に加害的である方もいます。

 しかし、個人的な経験の範疇でいうと、そのような方は多数派ではありません。多くの加害者は、反抗してきそうにない相手・反抗できない相手を選んでハラスメント行為に及んでいます。同じことをしている人がいたとしても、特定の相手に対してのみ、苛烈な指導・叱責に及ぶといったようにです。

 それでは、このようにターゲットを選んでいることは、不法行為法上、どのように位置づけられるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、神戸地判令4.6.22労働経済判例速報2493-3 兵庫県警察事件です。

2.兵庫県警察事件

 本件で原告になったのは、兵庫県警察本部警備部機動隊で警察官として勤務していた方(A)の両親です。Aが機動隊内の上司や先輩から指導の域を超えたパワーハラスメント行為等(パワハラ行為等)を受け、鬱病を発症して自殺したとして、兵庫県に損害賠償を求める訴えを提起したのが本件です(パワハラ行為等の一部に違法性が認められたものの、結論としては、Aの自殺との間に相当因果関係がないとして請求の大部分が棄却)。

 この事件で原告らは幾つかの行為を「パワハラ行為等」として問題視しましたが、その中の一つに「簿冊の記載ミス等に対する叱責」がありました。これは加害者DがAに対してのみ怒鳴って叱責するなどの行為に出ていたことを問題視するものでした。

 裁判所は、次のとおり述べて、Dの行為はハラスメントに該当すると判示いしました。

(裁判所の判断)

「平成26年3月以降、運転日誌等の記載ミスをしたAに対し、月に2~3回程度の頻度で、怒鳴って叱責していたほか、『運転辞めてまえ」』と怒鳴ったり・・・、平成27年4月以降には、数回程度、Aが記載ミスをした個所に、『ボケA』と記載した付箋を貼ったり・・・、同年9月以降には、Aが鍵の払い出しに行った際に、『お前は運転員じゃない』として、これに応じなかったりした・・・ことが認められる(なお、被告は、DがAの鍵の払い出しに応じなかった事実はない旨を主張するが、BN巡査長は同事実があった旨を述べていること・・・、AD巡査も同年8月頃にDから鍵の払い出しを受けられなかった旨を述べている・・・ことから、前記・・・)の事実を認定できる。)。」

「Aのミスの内容は、運転日誌等の記載漏れや計算ミスといった不注意による単純なミスであり、しかも、指導を受けても同じようなミスを繰り返していたのであるから、これに対し強く叱責する程度のことは社会通念上相当な指導として許容されるというべきである。しかし、その叱責に際し、大声で怒鳴ることが常に必要であったとはいえないし、むしろ、何度も叱責してもミスが減らないのであれば、指導方法を変えたり、ミスをしないようにする仕組み作りを検討したりすべきであったといえる。」

「それにもかかわらず、Dは、Aがミスをした際に平成26年3月以降、月2~3回程度の頻度で怒鳴って叱責した上、『運転辞めてまえ』と怒鳴ったり、『ボケA』と記載した付箋を貼ったり、Aの鍵の払い出しに応じなかったりしており、その態様は、暴言や嫌がらせと評価されるような不適切なものであったといえる。」

「そして、Dは、誰に対してもそのような態様で叱責していたわけではない・・・ことも踏まえると、Dはミスの多い後輩であるAに目をつけて、殊更、同人に厳しく対応していたとみるのが相当である。

そうすると、上記のような態様による叱責が、指導として社会通念上相当性を有するものとは認め難く、これがAに対し精神的苦痛を与えるものであることは明らかであるから、上記・・・の行為は、違法なパワハラ行為等に該当すると認められる。

3.パワハラであることを基礎づける一事情になった

 上述のとおり、特定の後輩に目を付け、殊更、厳しく対応することは、言動がパワハラに該当することを基礎づける一事情として位置付けられました。

 パワハラというと自分が受けている言動の証拠化に目を奪われがちですが、加害者が他の同僚に対してどのように接しているのかも証拠化し、それと対照してみると、裁判所に対し、より不当性を伝えやすくなるかもしれません。