弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

一覧表形式でミスを思いつく数だけ記載させることの適法性

1.具体的な指示の伴わないミスの申告を求める行為

 使用者側から、何を意図しているのかが明確にされないまま、ミスを自主的に申告するように求められることがあります。

 このような命令を受けた労働者は、難しい判断を迫られます。

 ミスがないと申告すれば、使用者側に何等かのミスが把握されていた場合、自分のミスを隠そうとしていると非難されることになります。

 しかし、思い当たる節のある行為を網羅的に多数申告すると、「労働者自身も問題だと認識している」として、使用者が元々問題視するつもりのなかった行為・認識していなかった行為についてまで非難されることになります。

 このように、「思いあたる節を申告しろ」という趣旨の命令は、どう答えても足元を掬われるようになっています。

 不当な意図が透けて見える命令ですが、このような命令は法的に許容されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。神戸地判令4.6.22労働経済判例速報2493-3 兵庫県警察事件です。

2.兵庫県警察事件

 本件で原告になったのは、兵庫県警察本部警備部機動隊で警察官として勤務していた方(A)の両親です。Aが機動隊内の上司や先輩から指導の域を超えたパワーハラスメント行為等(パワハラ行為等)を受け、鬱病を発症して自殺したとして、兵庫県に損害賠償を求める訴えを提起したのが本件です(パワハラ行為等の一部に違法性が認められたものの、結論としては、Aの自殺との間に相当因果関係がないとして請求の大部分が棄却)。

 この事件で原告らは幾つかの行為を「パワハラ行為等」として問題視しましたが、その中の一つに「ミス一覧表の作成・提出を命じた行為」がありました。

 これは、具体的に言うと、次のような行為を指しています。

(裁判所の認定した事実)

「D(先輩の機動隊員 括弧内筆者)は、Aに対し、平成27年7月初め頃、記載すべきミスの内容や期間等の具体的な指示をせずに、ミス一覧表の作成・提出を命じ、また、Aが同年9月中旬頃及び同年10月5日に、それぞれ2、3個のミスを記載したミス一覧表を提出した際には、Aのミスがもっと多いことやカンニングの件もミスに当たること等を指摘して、再提出及び小隊での話合いを命じている・・・。」

 この行為について、裁判所は、次のとおり述べて、違法なパワハラ行為等に該当すると判示しました。

(裁判所の判断)

「Dが、Aからミス一覧表の提出を受けた後、これをどのように取り扱うかを全く考えず、独断で、Aのみに対し、記載すべき内容や期間を明確にしないまま、その作成・提出を指示した・・・こと、再提出を命じる際にも、記載内容等につき具体的な指示をしなかったほか、装備係の業務とは全く無関係の本件試験でのカンニングに関する記載も命じていたこと・・・を考慮すると、上記・・・の行為は、Aに対し、Dの考えるAのミスを、Dの思いつく数だけ記載させるものであって、合理性に乏しいものであったといえる。その上、Dは、△△隊内でAよりも先輩で、年齢も上であり・・・、Aが自身の指示に逆らえないことを認識しながら、平成27年7月以降、約3か月にわたって、上記のような書類の作成・提出を求め続けるとともに、再提出や小隊内での話合いを命じていたことからすれば、上記・・・の行為は、Aに対し、書類作成の負担のほか、周囲に迷惑をかけているとの精神的苦痛も与えるものであったということができる。

「これらのことから、DのAに対する上記・・・の行為は、Aにミスの多さ等を自覚させてその改善を促すとの意図をもってされたものであるとしても、その態様が社会通念上相当性を欠き、違法なパワハラ行為等に該当すると認められる。

3.期間の長さ、周囲の巻き込みも考慮されてのことではあるが・・・

 裁判所は、どのように回答しても非難・叱責の対象となるミス一覧表の作成を命じた行為について、これを違法なパワハラ行為等に該当すると判示しました。

 約3か月という期間的な執拗さ、周囲の同僚の巻き込みなどの事実が考慮されてのことではありますが、本件のような行為を合理性に乏しい違法な行為と断じたことは画期的なことです。

 今後、「思いあたる節を申告しろ」といった使用者による非違行為の模索に対しては、本裁判例を根拠に回答自体を断るという選択肢も考えられます。

 

労働時間に裁量があったとしても、役職就任前からのことであれば管理監督者性を基礎づける要素にはならない

1.管理監督者性

 管理監督者には、労働基準法上の労働時間規制が適用されません(労働基準法41条2号)。俗に、管理職に残業代が支払われないいといわれるのは、このためです。

 残業代が支払われるのか/支払われないのかの分水嶺になることから、管理監督者への該当性は、しばしば裁判で熾烈に争われます。

 管理監督者とは、

「労働条件その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者」

の意と解されています。そして、裁判例の多くは、①事業主の経営上の決定に参画し、労務管理上の決定権限を有していること(経営者との一体性)、②自己の労働時間についての裁量を有していること(労働時間の裁量)、③管理監督者にふさわしい賃金等の待遇を得ていること(賃金等の待遇)といった要素を満たす者を労基法上の管理監督者と認めています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ」〔青林書院、改訂版、令3〕249-250参照)。

 このうち、②の要素との関係で、労働時間に裁量があったとしても、それが役職就任前からのことであれば管理監督者性を基礎づける要素にはならないと判示した裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、熊本地判令4.5.17労働判例ジャーナル127-52 協同組合グローブ事件です。

2.協同組合グローブ事件

 本件で被告になったのは、原告の元勤務先(被告グローブ)と元上司(被告P3、被告P4)です。

 被告グローブは、広島県福山市に本部を置く事業協同組合です。一般監理業の許可を受け、主に外国人技能実習制度における監理団体となって、組合員のため実習生を受け入れる事業を行っていました。

 原告になったのは、フィリピン国籍であった方です。日本人男性と婚姻し、その後、帰化して日本国籍を取得しました。平成28年2月に被告グローブに職員として採用され、P5支所に所属して、外国人技能実習生(実習生)の指導員として勤務していました。平成30年6月29日の総会で参与に就任した後、同年10月31日に被告グローブを退職しました。

 本件は、退職した原告が、未払割増賃金(残業代)の支払や、ハラスメントを受けたことを理由とする損害賠償を請求した事件です。

 管理監督者性は未払割増賃金請求との関係で生じた論点ですが、裁判所は、次のとおり述べて、原告は管理監督者にはあたらないと判示しました。

(裁判所の判断)

「労働基準法41条2号所定の『監督若しくは管理の地位にある者』(以下『管理監督者』という。)とは、労働条件その他労務管理について経営者と一体的立場にある者をいい、管理監督者か否かは、名称にとらわれず、実態に即して判断すべきである。そして、管理監督者と認められるためには、〔1〕労務管理に関する指揮監督権を認められていること、〔2〕自己の出退勤をはじめとする労働時間について裁量権を有していること及び〔3〕一般の従業員に比しその地位と権限にふさわしい賃金上の処遇を与えられていることが必要であると解される。

「本件についてみると、原告が参与会議に参加していた事実は認められる・・・ものの、理事会に参加していた事実は証拠上認められず、労務管理に関する指揮監督権を認められていたことも証拠上認められない。」

また、キャリア業務日報・・・上、原告は必ずしも始業時刻や終業時刻に拘束されることなく勤務していたことが認められるものの、これは参与就任前からであると認められ、参与になったことにより労働時間についての裁量権が与えられたものとは認められない。

「さらに、原告は、平成30年6月29日の総会で参与に就任したものである・・・が、参与になる前である平成29年7月から特別手当2万円が支給されており・・・、同特別手当の支給は参与就任と直接の関係はない。そして、原告は、参与就任後、基本給が1万円昇給したにとどまっており・・・、一般の従業員に比しその地位と権限にふさわしい賃金上の処遇を与えられているとはいえない。」

「加えて、本件就業規則40条2項は、労働時間、休憩及び休日の規定を適用しない管理監督者は『組合が定める参与以上の正職員』をいうものと規定する一方、本件就業規則60条2項ただし書は、参与であっても管理監督者としての業務に従事していない場合には時間外勤務手当を支給するものと規定しており、被告グローブにおける参与には、管理監督者としての業務に従事する者とそうでない者が存在するものと認められる。そして、原告は、参与に就任した後の平成30年7月においても被告グローブから時間外勤務手当の支給を受けていること・・・からすれば、管理監督者としての業務に従事しない参与であったものと認められる。」

「したがって、原告は、管理監督者には該当せず、被告の主張には理由がない。」

3.役職就任前からのことは管理監督者性を基礎付けない

 本件は、経営者との一体性、賃金の待遇、といった面だけでも、管理監督者性が否定されたと予想される事案ではあります。

 それでも、役職就任する前から労働時間に裁量があったことを指摘したうえ、労働時間の裁量を管理監督者性を基礎づける事情として評価しなかったことは、他の事案にも応用可能な注目すべき判断だと思います。

 労働時間管理が徹底されていない会社は相当数あります。このような会社で管理監督者性を否定するにあたっては、本件のような裁判例を積極的に活用して行くことが考えられます。

 

就業規則で「超過勤務手当として取り扱う」とされた手当型固定残業代の効力が否定された例

1.手当型固定残業代の有効要件

 固定残業代とは、

「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額」

をいいます(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。

 固定残業代には基本給に組み込まれているタイプ(基本給組込型)と手当として支給されるタイプ(手当型)があります。

 手当型の固定残業代の有効要件は、

「当該定額手当が、時間外労働等の対価としての性質を有することが必要となる」

と理解されています(対価性の要件 佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕192頁)。

 ある手当が時間外労働等の対価であることは、就業規則や賃金規程で当該手当の法的性質を規定することにより、比較的容易に立証されてしまう関係にあります。

 しかし、近時公刊された判例集に、就業規則で「超過勤務手当として取り扱う」と明確に規定されていた手当について、固定残業代としての効力を否定された裁判例が掲載されていました。熊本地判令4.5.17労働判例ジャーナル127-52 協同組合グローブ事件です。

2.協同組合グローブ事件

 本件で被告になったのは、原告の元勤務先(被告グローブ)と元上司(被告P3、被告P4)です。

 被告グローブは、広島県福山市に本部を置く事業協同組合です。一般監理業の許可を受け、主に外国人技能実習制度における監理団体となって、組合員のため実習生を受け入れる事業を行っていました。

 原告になったのは、フィリピン国籍であった方です。日本人男性と婚姻し、その後、帰化して日本国籍を取得しました。平成28年2月に被告グローブに職員として採用され、P5支所に所属して、外国人技能実習生(実習生)の指導員として勤務していました。平成30年6月29日の総会で参与に就任した後、同年10月31日に被告グローブを退職しました。

 本件は、退職した原告が、未払割増賃金(残業代)の支払や、ハラスメントを受けたことを理由とする損害賠償を請求した事件です。

 割増賃金請求との関係では、時間外労働の有無や、固定残業代の効力、管理監督者該当性などが争点になりました。

 固定残業代の効力との関係でいうと、相談対応手当月額2万円が手当型固定残業代の有効要件を満たすのかが問題になりました。本件の事案としての特徴は、相談対応手当について「超過勤務手当として取り扱う」と就業規則で明確に定められていたことにあります。

 普通、このように時間外勤務手当等の対価であることが明確に定められている手当が固定残業代としての効力を否定されることはありませんが、本件の裁判所は、次のとおり述べて、この手当の固定残業代としての効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件についてみると、相談対応手当は、本件就業規則56条3項において、実習生等の母国語等で、実習生等、その実習実施者及び受入企業からの要望を受けて相談対応を行うアルバイト・パートタイマーを除く職員等に支給するものとされるものであり、月額2万円とし、その全額を超過勤務手当として取り扱うものと規定されている。月額2万円が何時間分の時間外労働に相当であるかは本件就業規則や労働条件通知書等において明らかではないが、上記割増賃金に当たる部分の金額が労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回るときは、使用者がその差額を労働者に支払う義務を負うものであるから、これをもって直ちに無効となるものではない。
 しかし、相談対応手当はその全額を超過勤務手当として取り扱うものと規定されているにもかかわらず、その一方で、支給明細書・・・上残業時間に基づいて算定した残業手当から相談対応手当が控除されている旨の記載はない。証人P13は、相談対応手当2万円は、事業場外労働のみなし制による労働時間の13時間分である旨証言する・・・が、本件就業規則や労働条件通知書等にはその旨明記されていない上、相談対応手当が支給されるための要件と事業場外労働みなし制が適用されるための要件とは必ずしも一致しないことからすると、上記証言を採用することはできない。そうすると、相談対応手当は、本件就業規則56条3項の規定にかかわらず、実態として見て、時間外労働等に対する対価として支払われているものと認めることはできない。

「したがって、被告の固定残業代に係る主張は採用することができない。」

3.支給明細書、就業規則や労働条件通知書等、運用実態等などから攻める

 以上のとおり、裁判所は、就業規則で「超過勤務手当として取り扱う」と明記されていた手当の固定残業代としての効力を否定しました。

 就業規則でその法的性質が定義されていても、

想定労働時間数が明記されていないなど踏み込みが甘かったり、

給与明細・支給明細の記載をが欠けていたり、

運用実態等と対照・参照したり

すると、それだけでも固定残業代の有効要件の有効に疑義を抱くことがあります。

 このような場合には、一度、弁護士のもとに行き、本当に固定残業代が有効であるのかを尋ねてみると良いように思われます。

 

研究活動に係る不正行為の公表が許される場合

1.研究不正ガイドライン

 研究活動の不正行為に対応するため、平成26年8月26日、文部科学省は「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」(研究不正ガイドライン)という文書を作成しました。

https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf

 大学や研究機関の多くは、この研究不正ガイドラインに基づいて諸規程類を整備し、不正行為に及んだ職員(労働者)に厳しい対応をとっています。

 この研究不正との関係で、しばしば問題になることの一つに、公表措置の適否があります。

 研究不正ガイドラインは、

調査機関は、特定不正行為が行われたとの認定があった場合は、速やかに調査結果を公表する。

「調査機関は、特定不正行為が行われなかったとの認定があった場合は、原則として調査結果を公表しない。ただし、調査事案が外部に漏えいしていた場合及び論文等に故意によるものでない誤りがあった場合は、調査結果を公表する。悪意に基づく告発の認定があったときは、調査結果を公表する。 」

と公表の基準を定めています。

 この基準は多くの大学や研究機関の規程でも採用されており、不正行為が確認された場合、その結果は原則として公表されます。

 しかし、研究職の方にとって、研究不正を行ったとして公表されることは、その後の研究者人生にとっての死活問題になりかねません。そのためか、研究不正に関する紛争は、不正行為の有無だけではなく、公表措置の適否まで争われることが少なくありません。

 ここで問題になるのは、名誉毀損の一般法理との関係です。

「調査機関は、特定不正行為(捏造・改ざん・盗用)が行われたとの認定があった場合は、速やかに調査結果を公表する。」

との規定の存在は、飽くまでも不正行為の存在を前提にします。そのため、不正行為を認定できなかった場合、規定を根拠に公表行為を正当化することは困難です。

 しかし、不名誉な事実の公表が許容される場面は、規定や合意に基づいて公表する場合に限られません。より、具体的に言うと、最一小判昭41.6.23最高裁判所民事判例集20-5-1118は、

公共の利害に関する事実であること、

公益を図る目的に出たこと、

真実であるか、真実と信じるについて相当の理由があること(真実相当性)、

との三要件が満たされる場合には、不法行為が成立しないとされています。

 それでは、結果的に研究不正ではないとされた事案の公表行為について、名誉毀損の一般法理に従って、その違法性が阻却されることは、有り得るのでしょうか?

 一昨日、昨日とご紹介した、東京地判令2.10.20判例タイムズ1486-53 国・防衛省防衛研究所事件の控訴審(東京高判令4.5.11労働判例ジャーナル127-5)は、この問題を考えるうえで参考になる判示を遺しています。

2.国・防衛省防衛研究所職員

 本件で原告(被控訴人)になったのは、防衛省防衛研究所(国:控訴人))の政策研究部の社会・経済研究室において研究に従事する事務官の方です。

 防衛省研究所は「防衛研究所における研究活動に係る不成行為の防止等に関する達」(本件達)という規則を定めており、ここには、

「19条1項 所長は、第15条(省略)の調査委員会の調査結果・・・として、研究活動に係る不正行為が行われた旨の報告を受けた場合は、次の事項を公表する(以下略 括弧原告訴訟代理人)。

などという内容の規定が設けられていました。

 原告の方は、平成27年度の特別研究の成果報告書(特研報告書)に、平成25年度特研報告書の他の研究者が執筆した箇所について、適切な表示がなく使用されている箇所があることを理由に(盗用)、防衛研究所の公式ホームページで公表されるとともに、訓戒処分を受けました。これに対し、研究不正の存在自体を争い、公表行為によって名誉が棄損されたなどと主張し、慰謝料の支払い等を求める訴えを提起しました。裁判所が、研究不正の事実を否定し、一定額の損害賠償を認めたことから、国側で控訴したのが本件です。

 裁判所は、研究不正を否定したうえ、次のとおり述べて、公表行為の違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「控訴人は、仮に本件公表が内部規範としての本件達に違背するものであったとしても、防衛研究所長の職務上の法的義務に違背するものではなく、国賠法上違法な行為であるとはいえないと主張する・・・。これは、本件行為が本件達の定める「研究活動に係る不正行為」に当たるとはいえないとしても、その主張に係る〔1〕から〔5〕までの事情などを考慮すると、本件行為を研究活動における不正として公表することは違法ではないとするものとも考えられる。」

「しかし、本件公表は、本件達の定める『研究活動に係る不正行為』が被控訴人にあったとの内容のものであるから・・・、本件達の定める『研究活動に係る不正行為』に当たるとはいえない行為について本件達に基づくものとしてではなく公表したものとみることはできない。」

「また、防衛研究所において研究活動に従事する職員が研究活動において不正を行ったと公表することは、その社会的評価(名誉)を著しく低下させるおそれのある行為であるから、本件達19条1項は、内規とはいえ、研究活動に従事する個々の職員との関係においても、上記公表の対象範囲を限定し、これを明確にするものと考えられる。そうすると、仮に、本件達に基づくものとしてではない公表が認められる場合があるとしても、それは極めて例外的な場合に限られるものというべきである。平成27年度特研報告書は、防衛研究所長に報告、提出された段階でとどまっているから、科学コミュニティーの廉潔性と防衛研究所の信頼性を確保するために本件公表をする必要性が大きかったとはいえず、本件公表によって被控訴人に対する社会的評価が低下する程度は決して軽いとはいえないと考えられることなどを考慮すると、控訴人が指摘する上記〔1〕から〔5〕までの事情は、上記の例外的な公表行為を正当化する事情には当たらないというべきである。

「したがって、いずれにしても控訴人の上記主張は採用できない。」

3.規定から外れる形での公表は極めて例外的な場合にしか許されない

 以上のとおり、裁判所は、規定に基づかない公表が許容される場面は、極めて例外的な場面に限られると判示しました。何が「例外的な場合」に該当するのかは不分明ですが、その言いぶりからして、名誉毀損の一般法理ほど広範には許容されないのではないかと思わrます。

 

自分も参加した共同研究の成果を適切な引用表示をせずに使用することは「盗用」なのか?

1.研究不正ガイドライン

 研究活動の不正行為に対応するため、平成26年8月26日、文部科学省は「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」(研究不正ガイドライン)という文書を作成しました。

https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf

 大学や研究機関の多くは、この研究不正ガイドラインに基づいて研究活動の不正行為を認定し、不正行為に及んだ職員(労働者)に厳しい対応をとっています。

 研究不正ガイドラインでは、対象とする不正行為を、

「故意又は研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠ったことによる、投稿論文など発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造、改ざん及び盗用である」

と定義しています。

 そして「盗用」に関しては、

他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を当該研究者の了解又は適切な表示なく流用すること

であると定義されています。

 それでは自分も参加した共同研究の成果を、適切な引用表示をせずに使用することは、研究不正にいう「盗用」に該当するのでしょうか?

 昨日ご紹介した、東京地判令2.10.20判例タイムズ1486-53 国・防衛省防衛研究所事件は、この問題を考えるうえでも参考になります。

2.国・防衛省防衛研究所事件

 本件で原告になったのは、防衛省防衛研究所の政策研究部の社会・経済研究室において研究に従事する事務官の方です。

 防衛省研究所は「防衛研究所における研究活動に係る不成行為の防止等に関する達」(本件達)という規則を定めており、ここには、

「『研究活動に係る不正行為』とは、発表された研究成果の中の捏造、改ざん又は盗用をいう。ただし、故意によるものでないことが根拠をもって明らかにされた場合は、不正行為にはあたらない。

一『捏造』存在しないデータ又は研究結果等を作成することをいう。

二『改ざん』既存のデータ又は研究結果等を真正でないものに加工することをいう。

三『盗用』他の研究者等の既に発表した発想、分析・解析方法、データ、研究結果又は用語を適切な表示をせずに使用することをいう。」

との規定がありました(2条)。

 原告の方は、平成27年度の特別研究の成果報告書(特研報告書)に、平成25年度特研報告書の他の研究者が執筆した箇所について、適切な表示がなく使用されている箇所があるとして(盗用)、防衛研究所の公式ホームページで公表されるとともに、訓戒処分を受けました。

 しかし、ここで「盗用」とされた平成25年度特研報告書は、原告も参加した共同研究の成果を報告したものでした。本件では、それでも、原告が「盗用」をしたといえるのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、「盗用」であることを認めました(ただし、結論において研究不正は否定されいてます)。

(裁判所の判断)

「本件達2条2号三は、『盗用』について、他の研究者等の既に発表した研究結果を適切な表示をせずに使用することと定義しているところ、既に発表した研究結果(本件達2条2号三)の『研究結果』とは、上記①の『研究成果』(本件達2条2号柱書)と同義であると解され、前記・・・で説示したのと同様に、『発表した』とは、研究成果が、他の研究者に対して研究成果発表会で報告されるか、本件システムに掲載されるなどして、他の多数の研究者が批判・吟味の対象として『研究成果』の内容を認識することができる状態になることをいうと解すべきである。」

「これを本件について見ると、前記認定のとおり、平成25年度特研報告書は本件システムに掲載された事実を認めることができるから、本件達2条2号三にいう『既に発表した研究結果』に当たるものと認められる。」

「もっとも、本件達2条2号三の『盗用』に当たるというためには、『他の研究者等の』研究結果を適切な表示をせずに使用することが必要であるところ(本件達2条2号三)、平成25年度特別研究は、原告を含む防衛研究所の職員4名の共同研究であるから、原告が平成25年度特研報告書を引用することは、『他の研究者等の』研究結果の使用に当たらないと解する余地がある。

この点、前記認定によれば、平成25年度特別研究は、平成24年度から2年間にわたり行われた調査研究であり、平成24年度特別研究は、海外の研究者の文献を輪読したり、講師を招いて共同討議を行うなど、共同研究の色彩の強いものであったこと、他方で、平成25年度特研報告書は、平成24年度特別研究の成果を踏まえ、4名の研究者が、女性軍人の登用をめぐる各国の実情を、担当を決めて分担、研究・執筆して完成させたものであることが認められる。そして、各人の担当部分は、平成25年度特研報告書において明示されている。

「そうすると、平成25年度特研報告書は、共同研究の成果ではあるものの、原告以外の担当者が執筆した部分は、『他の研究者等の』研究結果に当たるというべきである。」

3.分担執筆で他の執筆者の担当部分を引用するときは適切な表示が必要

 上述のとおり、裁判所は、共同研究の成果について「他の研究者の研究結果の使用」にあたらない余地を示しながらも、分担執筆とされていた点を重視し、自分以外の執筆部分は「他の研究者等の」研究成果に該当するとの判断を示しました。

 共同研究と引用表示の関係は研究不正ガイドライン上も良く分かっていなかった問題であり、裁判所の判断は同種事案の処理の参考になります。

 

内部部局に提出される調査研究報告書は「発表された研究成果」か?

1.研究不正ガイドライン

 研究活動の不正行為に対応するため、平成26年8月26日、文部科学省は「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」(研究不正ガイドライン)という文書を作成しました。

https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/08/__icsFiles/afieldfile/2014/08/26/1351568_02_1.pdf

 大学や研究機関の多くは、この研究不正ガイドラインに基づいて研究活動の不正行為を認定し、不正行為に及んだ職員(労働者)に厳しい対応をとっています。

 研究不正ガイドラインでは、対象とする不正行為を、

「故意又は研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠ったことによる、投稿論文など発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造、改ざん及び盗用である」

と定義しています。

 それでは、ここでいう「発表された研究成果」とは、どのようなものを言うのでしょうか? より具体的に言うと、内部部局に提出されるに留まる調査研究報告書は、「発表された研究成果」に該当するのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる判断を示した裁判例に、東京地判令2.10.20判例タイムズ1486-53 国・防衛省防衛研究所事件があります。

2.国・防衛省防衛研究所事件

 本件で原告になったのは、防衛省防衛研究所の政策研究部の社会・経済研究室において研究に従事する事務官の方です。

 防衛省研究所は「防衛研究所における研究活動に係る不成行為の防止等に関する達」(本件達)という規則を定めており、ここには、

「『研究活動に係る不正行為』とは、発表された研究成果の中の捏造、改ざん又は盗用をいう。ただし、故意によるものでないことが根拠をもって明らかにされた場合は、不正行為にはあたらない。

一『捏造』存在しないデータ又は研究結果等を作成することをいう。

二『改ざん』既存のデータ又は研究結果等を真正でないものに加工することをいう。

三『盗用』他の研究者等の既に発表した発想、分析・解析方法、データ、研究結果又は用語を適切な表示をせずに使用することをいう。」

との規定がありました(2条)。

 原告の方は、平成27年度の特別研究の成果報告書(特研報告書)に、平成25年度特研報告書の他の研究者が執筆した箇所について、適切な表示がなく使用されている箇所があるとして(盗用)、防衛研究所の公式ホームページで公表されるとともに、訓戒処分を受けました。これに対し、

「特研報告書は、特別研究の要請をした内部部局に提出する内部資料であり、体外的に公表することが予定されていない防衛省の内部文書である」

ため、

平成27年度特研報告書は「発表された研究成果」に該当しない、

平成25年度特研報告書は「既に発表した・・・研究結果」に該当しない、

などと主張し、国に対して名誉毀損を理由とする損害賠償等を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件の裁判所は、次のとおり述べて、平成27年度特研報告書は「発表された研究成果」に該当しないと判示しました。結論としても、原告の行為は研究活動に係る不正行為にはあたないとして、110万円(慰謝料100万円、弁護士費用10万円)の限度で国家賠償請求を認めました。

(裁判所の判断)

「『発表された研究成果』(本件達2条2号柱書)の意義を解釈する際には、規定の文言、本件達が制定された目的、経緯及び本件達に関連する規定などを考慮するべきである。」

「本件達は、防衛研究所が実施する研究活動における不正行為を防止するため、文部科学省のガイドラインをよりどころとして制定されたものであるところ、ガイドラインは、研究活動のうち、対外的に公表された研究成果における不正を対象としている。これは、研究活動が当該研究者のみが認識し得る範囲にとどまっている限り、不正が研究活動に対する信頼を失わせる危険があるとはいえず、当該研究成果が公表され、他の研究者等の目に触れる状態に至って初めて、研究活動に対する信頼を失わせる危険が生じることによるものと解される。ガイドラインが、不正行為と認定された行為を公表すべきものとしているのも、その表れであると考えられる。」

「本件達が、ガイドラインをよりどころとして制定され、不正行為に対しては、内部的な懲戒処分の対象とするのみならず、これを対外的に公表すべきものとしていることに照らせば、本件達2条2号柱書の規定も、上記ガイドラインと基本的に同様の趣旨に出たものと解される。したがって、研究成果が『発表された』といえるためには、少なくとも、当該研究者の研究成果が、他の研究者において広く閲覧可能な状態になったことが必要であると解すべきである。もっとも、本件達は、不正行為を、研究成果が防衛省ないし防衛研究所の外部へ発表された場合に限定していないことからすれば、防衛省ないし防衛研究所の内外にかかわらず、研究成果が他の研究者が広く閲覧可能な状態になり、不正行為がいわゆる科学コミュニティーにおける研究活動に対する信頼を失わせるに至ったものと評価し得る状況になることで足りると解すべきである。

「この見地からみると、特別研究は、内部部局の要請を受け、防衛政策の立案及び遂行に寄与することを目的に実施される調査研究であり、研究者が調査研究を完了したときは、防衛研究所長に対して速やかに文書による成果報告をする義務があるとされていること(調査研究に関する達12条1項、同条2項)からすれば、特別研究は、第一次的には、防衛省内の政策立案のために職務上作成される内部資料であり、防衛研究所長に対する報告も、職務上の成果を上司に提出・報告するという性質を有するものであると解される。そして、調査研究に関する達が、調査研究の成果の発表の手段として、本件システムへの掲載(13条)、研究成果発表会の実施(14条)、ホームページの掲載その他の軽易な手段による公表(15条)を規定していること(前提事実(2))、原告が執筆した平成27年度特研報告書を除く他の平成27年度の特別研究に係る実施報告書及び成果報告書が本件システムに掲載されていること・・・に照らすと、『発表された』とは、『研究成果』が、他の研究者に対して研究成果発表会で報告されるか、本件システム(防衛省が設置する機関が閲覧することができるイントラネット 括弧内筆者)に掲載されるなどして、他の多数の研究者が批判・吟味の対象として『研究成果』の内容を認識することができる状態になることをいうと解するのが相当である。

「この点、被告は、『発表された研究成果』とは、所長に対して成果報告(決裁の合議)がされた研究成果をいうと主張する。そして、防衛研究所の企画部企画調整課が、本件達の制定過程における意見照会において、防衛研究所紀要への掲載はされなかったが、年次研究として提出された原稿が『研究活動に係る不正行為』の対象となるかという質問に対し、所長に対して成果報告(決裁の合議)を行う時点で対象となると回答したことは、前記認定のとおりである・・・。しかしながら、本件達の規定が、『防衛研究所長に対して成果報告(決裁の合議)を行った研究成果』などと修正されることはなく、最終的に『発表された研究成果』と規定していること、『発表された」』と「『防衛研究所長に報告した』との間には意味として大きな乖離があること、防衛研究所長に対する報告は、職務上の成果を上司に提出・報告する行為にすぎず、これにより研究成果が他の研究者が閲覧可能となるものではないこと、調査研究の成果が防衛研究所長に報告された時点で本件達の対象となることにつき、防衛研究所内の職員に周知されたことを認めるに足りる証拠がないことを考慮すると、前記回答は、あくまで本件達の制定過程における中間的な検討結果にとどまるというべきであり、前記説示を覆すものではない。」

「これを本件について見ると、前提事実・・・のとおり、平成27年度特研報告書は、平成28年1月、防衛研究所所長に成果報告され、要請元の内部部局に対してデータが提供されたが、平成27年度特研報告書が研究成果発表会で報告された事実及び本件システムに掲載された事実はなかったというのであり、他の多数の研究者が批判・吟味の対象として『研究成果』の内容を認識することができる状態になったということはできないから、平成27年度特研報告書は、『発表された研究成果』(本件達2条2号柱書)に当たるということはできない。」

「なお、

(ア)内部部局に平成27年度特研報告書のデータが提供されたこと・・・は、防衛省における政策立案のために作成された資料の提供という性質を有するものにすぎないと考えられること、

(イ)平成27年度特研報告書のデータが防衛研究所のサーバの共有フォルダ(端末共有データフォルダ)に保存されたこと・・・は、データの管理のために共有フォルダに保存されていたものにすぎず、研究者がその内容を閲覧することを直接の目的とするものではないことに加え、実際に他の多数の研究者が閲覧することができた事実を認めるに足りる的確な証拠はないこと、

(ウ)本件公表までに原告が執筆した部分を含む平成27年度特研報告書の冊子合計46部が内部部局の各部の部長等の一部の者に配布されていたこと・・・

は、内部資料の回覧ないし提供にとどまり、他の多数の研究者が批判・吟味の対象としてその内容を認識することができたとまではいえないと考えられることからすると、いずれも上記認定を左右するものとはいえない。」

3.イントラネット掲載まではセーフ

 上述のとおり、裁判所は、イントラネットに掲載されたものは「発表された研究成果」には該当するものの、まだそこに至っていなければ「発表された研究成果」にはあたらないと判示しました。

 この裁判例は、

内部部局に提出される調査研究報告書でも「発表された研究成果」に該当し得ること、

「発表された」といえるのは、イントラネットに掲載された時点が基準になること、

を示した点に先例的な価値があります。

 内部部局でのみ使うことが予定されている文書であるからといって、引用はラフにしないことが重要です。また、仮に、引用がラフで盗用を疑われた場合には、イントラネット掲載より以前に報告の撤回等、所要の措置をとる必要があります。

 

「会社で起きた事故、事件について、責任を問われた」類型の心理的負荷

1.精神障害の労災認定

 精神障害の労災認定について、厚生労働省は、

平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

という基準を設けています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

 実務上、認定基準に沿って業務起因性を検討することは、行政に留まらず、裁判所の判断基準としても定着してきた感があります。

2.具体的な出来事-「会社で起きた事故、事件について、責任を問われた」

 「業務による強い心理的負荷」が認められるのかどうかを判断するため、認定基準は「業務による心理的負荷表」(別表1)という一覧表を設け、「具体的出来事」毎に、労働者に与える心理的負荷の強弱の目安を定めています。

 そして、具体的な出来事の中には、

「会社で起きた事故、事件について、責任を問われた」

という項目が設けられています。

 ここでは、心理的負荷が「中」になる場合として、

立場や職責に応じて事故、事件の責任(監督責任等)を問われ、何らかの事後対応を行った

ことが記載されており、心理的負荷が「強」になる場合として、

「重大とまではいえない事故、事件ではあるが、その責任(監督責任等)を問われ、立場や職責を大きく上回る事後対応を行った(減給、降格等の重いペナルティが課された
等を含む) 」

ことなどが記載されています。

 要するに、この両者は、

立場や職責に応じて何らかの事後対応を行った場合なのか、

立場や職責を大きく上回る事後対応を行った場合なのか、

で区別されています。

 単独で「業務による強い心理的負荷」要件をクリアできるのか、総合評価によらなければ「業務による強い心理的負荷」要件をクリアできないのかで、両者の法的な位置付けは全く異なっています。しかし、事後対応が立場や職責に応じたものか、それとも、立場や職責を大きく上回るものなのかは連続的な概念であり、それほど容易に区別できるわけではありません。

 近時公刊された判例集に、この「会社で起きた事故、事件について、責任を問われた」類型で心理的負荷が「中」と評価された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、大分地判令4.4.21労働判例ジャーナル127-52 国・大分労基署長事件です。

3.国・大分労基署長事件

 本件で原告になったのは、自動車の販売や損害保険代理店業務等を目的とする株式会社で、マネージャーとして各拠点に対する自動車保険等の管理、促進及び指導等の業務に従事していた方です。上司らによる勤務中のパワーハラスメント等により強い心理的負荷を受けて精神障害(当時の診断名:鬱病)を発症したとして療養補償給付の支給を申請しました。しかし、労働基準監督署長は、精神障害と業務による精神的負荷との間に相当因果関係が認められないとして不支給決定を行いました。これに対し、審査請求を行い、棄却決定の後に不支給決定の取消訴訟を提起したのが本件です。

 本件では幾つかの心理的負荷要因が主張されましたが、その中の一つに、

「本件会社g店において、顧客から任意保険継続の申込みを受けて作成した任意保険申込書の紛失が発覚した(以下「本件紛失事案」という。)」

との出来事がありました。

 この本件紛失事案が生じさせた心理的負荷について、裁判所は、次のとおり述べて、「中」に該当すると評価しました。

(裁判所の判断)

「平成28年3月頃、本件紛失事案が発生し、これを受けて、f(直属の上司。親会社の役員であり、勤務先の取締役統括部長の地位にあった方 括弧内筆者)が、各拠点との関係書類の受渡しなど各拠点とのやり取りを主要な業務としていた原告に対し、本件紛失事案の事実確認や再発防止策等の策定等を指示し、原告がこの対応に追われ、責任を認めて謝罪する旨の文言が記載された経緯報告書の作成をしていたことが認められ、これは、別表1の5『会社で起きた事故、事件について、責任を問われた』に該当する。」

「原告は、その当時の役職にかかる職責・・・に照らせば、各拠点が本社に送付するはずの保険関係書類の紛失事案(本件紛失事案)が発生したことにつき、関係者に報告し、再発防止策などを検討すべき地位にあったものというべきであり、fがその対応を原告に指示ないし指導すること自体は、本件会社の取締役としての日常的な業務の範囲を超えるものとは言い難い。しかしながら、f、h及び原告の部下が中心となって再発防止策の一つとして考案され、原告が担当することになった拠点巡回業務は、週3回にわたり、その日中業務の大半の時間を費やして各拠点を巡回し保険関係書類を配布・回収するというものであり、その精神的・身体的負担は小さいものとはいえず、原告の通常業務にも少なからぬ影響を与えるものであったと考えられる上、fが異動した後には同業務が廃止されていることに照らせば、拠点巡回業務に伴って原告が各拠点に対し環境整備や業務指導を行うことが期待されていた事情(f尋問調書)を踏まえても、一定の役職にあった原告が自らその業務を行う必要性があったのか疑問があり、原告は、これに関して心理的負荷を強めていったものと考えるのが相当である。

これらの事情に加えて、原告が作成した経緯報告書には、本件紛失事案の発生やこれにより会社に迷惑をかけたことを謝罪する文言や、本件紛失事案の発生は原告の責任による旨が記載されていること等を考慮すれば、『立場や職責に応じて事故、事件の責任(監督責任等)を問われ、何らかの事後対応を行った』に準ずるものとして、心理的負荷の強度は少なくとも『中』に該当すると認めるのが相当である。

「以上に対し、被告は、上記拠点巡回業務は平成28年7月1日から開始されたものであり、発病時(同月5日)にはいまだ数回しか実施されておらず、心理的負荷の強度につき考慮すべき出来事に含まれない旨主張するが、同巡回業務は同年6月13日には原告が担当者となり実施されることが決定されており、その実施期間についても特に限定されていなかったこと・・・を踏まえれば、発病の実施回数をもって直ちに考慮すべき出来事から除外すべきものであるということはできず、被告の上記主張は採用することができない。

4.心理的負荷の立証のポイント

 本件の意義は「会社で起きた事故、事件について、責任を問われた」類型の心理的負荷「中」の相場観を感得することのほか、心理的負荷の立証のポイントを理解することにもあります。

 個人的に興味深いと思ったのは、

上司の異動の後、その業務の取扱いがどうなったのか、

資料に残されていた謝罪文言、自責的な文言、

負荷業務を決定されたことが問題になるのか、実施したことが問題になるのか、

に言及している部分です。

 いずれも、他の事案にも応用可能な心理的負荷の主張、立証の着眼点として、実務上参考になります。