弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

独り言に注意-意外と使用者は記録化している

1.案外問題になる独り言

 仕事中に独り言をつぶやく方がいます。

 物理的に他人に害を与える行為ではないためか、甘く見ている方は少なくない印象がありますが、裁判例でもしばしば問題になります。

 どのような形で問題になることが多いのかというと、精神疾患・メンタルヘルスとの関係です。独り言をブツブツと言いながら仕事をしていると、言っている本人の認識はともかく、周囲からは奇異に思われます。結果、職場で浮いてコミュニケーション能力不足を理由に退職勧奨を受けたり、精神科への受診命令を出されたりします。実際に病気が背景にあることも少なくないため、受診命令の適否に関しては一概に判断できませんが、大抵の労働者はこの段階で事態の深刻さに気付くと共に、それほどの頻度・態様ではなかったと反論を試みます。

 しかし、独り言が深刻な事態にまで発展している時には、使用者側によって既に詳細な記録が作成されていることが少なくありません。こうした記録の信用性を弾劾することは一般的に困難でもあります。そのことは近時公刊された判例集に掲載されていた裁判例からも推知することができます。東京地判令3.12.22労働判例ジャーナル124-62 TO事件です。

2.TO事件

 本件で原告になったのは、解散決議に基づいて清算中の株式会社です。元々は、株式・社債等有価証券の取得、保有、投資、管理、売買等を目的として営業していました。

 被告になったのは、原告との間で期間の定めのない労働契約を締結していた弁護士有資格者の方です。内部監査部門において、監査計画・立案書の作成等の行うに従事していました。

 職場内で奇声・大声を上げる、突然泣き出す、独り言をい何時受ける、同僚を怒鳴りつけるなどの言動が繰り返され、「身体、精神の障害により、業務に耐えられないとき」に該当するなどとして、原告は被告を解雇しました。しかし、被告が解雇の効力を承認しなかったことから、原告は被告を相手取って労働契約上の債務が存在しないことの確認を求める訴えを提起しました。

 本件では被告の言動として、次のような事実が認められています。

(裁判所の事実認定)

ア 被告は、3月31日午後2時4分頃、大声で『やだやだやだー。』と突然独り言を言い始めた。

イ 被告は、4月4日午後0時47分頃、大声で『やだやだやだー。』と突然独り言を言い始め、机をどんどんと叩き、『休みも何にもないし。』などとつぶやいた。被告と同じフロアで勤務する原告の従業員は、原告の取締役に対し、被告と同じ部屋で仕事をするのに不安がある旨を相談した。

 被告は、同日午後2時47分頃、午後2時52分頃及び午後3時33分頃にも、大声で、『やだやだやだー。』と突然独り言を言い始めた。

 被告は、同日午後3時47分頃、大声で、『やめたい。』などと独り言を言い始め、『部署じゃない仕事ばかりやってくるし。』『誰にも助けてもらえないし、やだやだやだ、回らなかったら全部責任回ってくるし。』と大声で独り言を言いながら、書類を乱暴に扱った。被告は、さらに、『もう一人の人は何もしないし、足はひっぱってくれても。』『他には何も教えてもらえないし。』『我慢するしかしょうがない。』などとつぶやいた。

 被告は、同日午後4時4分頃、泣き出し、同日午後5時頃には、トイレで『ギャー。』という奇声を上げ、その後『ごめんなさい。』と突然叫んだ。

 被告は、同日午後5時19分頃、『やりたくない、やりたくない。』と大声で独り言を言いながら泣き出し、午後7時頃には、突然、セミナールームで『ギャー。』という奇声を連続して発していた。この際の奇声は、セミナールームと同じフロアにある最も離れたデスクに座っていた従業員にも聞こえていた。

 被告は、同日午後7時30分頃、セミナールームで泣きながら仕事を続けており、原告の従業員が声を掛けたところ、大声で『ほっといてください。』と言い、『これで帰ったら次がないんです。もうそのまま退職ですよね。後ろに引けないんです。』と切羽詰まった様子で述べた。

ウ 被告は、4月5日午後3時44分頃、独り言を言いながら、鼻をすすり、泣いており、同日午後4時20分頃、『くびになるのかな。』とつぶやいた。

 被告は、同日午後7時19分頃、『人並みの生活も。』などと不満をこぼした後、『やだやだやだー』と大声で独り言を言いながら、机をバンと叩き、席に着いた。 

 被告は、同日午後7時25分頃、『嫌だ嫌だ嫌だ。』と大声で独り言を言いながら、机をたたき出し、『やめたい。』とつぶやいた。

 被告は、同日午後7時45分頃、『人並みの生活も送れやしない。』『生きるのやめたい。』などと、独り言を繰り返した。

エ 被告は、4月7日午後5時3分頃、深くため息をついた後、『あーやだやだ。』と独り言を述べ、その後も独り言を続けた。原告は、同日午後5時5分頃にも、大声で独り言を言い、同日午後5時10分頃も、ため息をつきながら文句を言い続けていた。被告は、午後5時31分頃、『はーあ。』とやや大きなため息をつき、午後7時28分頃及び午後7時51分頃には、『やだぁー。』などと言いながら、泣いていた。

オ 被告は、4月21日午後0時25分頃、経を唱えるように、ぶつぶつと文句を言い始め、午後0時29分頃には泣き出した。

カ 被告は、4月26日午後3時40分頃、同室の役職者が別室の取締役に呼ばれた際、『くびになるんだー。またどこにも行くところがない、どうしよう。』などと言って泣き出し、トイレに向かった。原告の役職者は、被告に対し、『他人の迷惑になるような行動はやめて、ちゃんと仕事をしてください。』と伝えた。

キ 被告は、5月1日午後0時25分頃、同室の役職者が席を立った直後、『やだやだやだ。』とつぶやき、この少し前にも、『やりたくない。』と言いながら部屋を出て行った。被告は、同日午後5時40分頃、何か言いつつ、泣きながら部屋を出て行った。

ク 被告は、5月11日午前10時頃及び午前10時17分頃、突然何かを言い出し、トイレに出て行った。被告は、同日午前10時19分頃、何かをつぶやきながら席に着いたが、同日10時22分頃にも泣いていた。

ケ 被告は、5月15日午後4時40分頃、役職者が役員室に入った直後、ファイル等を席の横のガラスの壁や床に叩きつけ始めた。原告の従業員が『隣の人に当たらないように注意してくださいね。』と伝えると、被告は、『隣の人には当たってません。ものには当たっていますけど。』と述べた。同従業員がこの様子を取締役に報告し、自席に戻ったところ、被告は、依然として書類やファイルを床に叩きつけていた。同従業員がなだめようとしたところ、被告は『大丈夫だからいいんです。』『他の部屋に行きますからいいんです。』などと述べた。同従業員が、他の部屋は埋まっている旨を伝えると、被告は、『じゃあ外に行けばいいんですよね、外に行きますから。』と述べて、部屋を出て行った。被告は、同日午後5時40分頃、隣のビル1階にあるコンビニにいたところを取締役に発見され、cビルに戻った。

コ 被告は、5月16日午前9時30分頃、労務担当者から、産業医の面談のため、『5月29日の午後3時にお時間ありますか。』と問われると、『ありますが、内容は何ですか。』『労務の仕事なら受けられません。』などと言った。被告は、会議室への移動を促されたが、『何の用ですか。』と述べ、動こうとしなかった。被告は、労務担当者から、産業医の面談の件であることをメモで伝えられると、『辞退します。』と言い、興奮した様子で『今までずっとそうでしたから。』『産業医面談なんて休職で解雇じゃないですか、今までずっとそうでしたから。』『前にもお伝えした通り、私、次がないんです。』『どこにも行くところが無いんです。』『今後も絶対拒否します。』と述べた。

サ 被告は、6月19日午後0時頃、セミナールームにおいて、原告の従業員に対し、トイレの中まで聞こえるほどの声量で怒鳴っていた。

シ 被告は、7月4日午後9時6分頃、取締役が帰った後、『あーやりたくない。何もできやしない。』『回答が出るまで2か月かかるのかな、3か月かかるのかな。』と言いながら、物に当たっていた。

 被告は、同日午後9時29分頃、唸り声を上げた後、『こんなにやったってどうにもなんないし。』『あー、やだやだ。』と言いながら、紙やペンを投げつけた。被告は、続けて、『やだやだやだ。』『何にもなんないし、あーやだやだ。』『頭にくるよ。』『回答すらもらえない。』『どうせどこ行っても一緒だしー。どこにも雇ってもらえないから、あーしなきゃ。』などと発言し、物に当たった。被告は、しばらくした後も、机の引き出しをわざと音を鳴らすようにして開け閉めし、ペンを投げつけるなどした後、『くびにならずに給与もらえるだけでいいんだよ。』『くびにならないだけましだよ。』などと立て続けに独り言を述べた。

ス 被告は、7月18日午前8時45分頃、朝礼時に『もういやだ。』とつぶやきながら突然泣き出し、労務担当者から朝礼から外れるように促されたが、その場を動かなかった。
セ 被告は、7月20日午前11時20分頃、中会議室において、隣の部屋まで聞こえるほどの声量で、『うおー。』と奇声を発した。被告は、中会議室前に移動しても大きな声を発していたため、原告の取締役と労務担当者が話を聞いたところ、『くびになるんですか。』などと述べた。

 原告の方は、

「6月30日、精神科を受診し、『傷病名該当なし』『現状で就労に問題となる点は認められない』と診断された。被告は、7月3日頃、同診断に係る診断書を原告に提出した。

事実などを活用して、非行が保有していた行動記録や基礎資料の信用性を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、行動記録や基礎資料の信用性を認めました。結論としても解雇の効力は認められています。

(裁判所の判断)

「被告は、本件行動記録及びその基礎資料は信用できないと主張する。しかしながら、証拠(甲8資料3、甲17~20)及び弁論の全趣旨によれば、

〔1〕原告においては、3月以前から、被告による業務中の態度に対するクレームと不安が多く寄せられていたものの、その内容について記録化されていなかったこと、

〔2〕同月以降、労務担当者と被告とが同室で勤務することとなり、女性従業員からも不安の声が寄せられたため、原告の当時の代表取締役の指示により、被告と同じフロアで勤務していた社会保険労務士及び労務担当者が、被告の言動の記録化を始めたこと、

〔3〕被告の言動については、被告の社会保険労務士及び労務担当者が、直接見聞きし、又は、他の役員及び従業員から聴取した被告の言動が記録化され、記録化の都度、その翌日までには全ての取締役に報告されていたこと、

〔4〕被告の言動に関する取締役への報告は、約4か月の間に21回以上されたこと

が認められる。」

「また、本件行動記録の基礎資料は、被告の言動について、日時、場所、内容が具体的かつ詳細に記載されており、これを取りまとめた本件行動記録についても同様に評価することができる。」

「そして、被告は、

〔1〕6月19日の前後、原告の従業員との間で、室外に声が漏れるほど激しく口論をした(被告本人7、8頁)、

〔2〕6月28日に自宅待機を命じられた際、鬱の症状を疑われ、メンタルクリニックを受診するよう求められ、診断書を提出することになった(同10、30、33、34頁)、

〔3〕7月10日に2度目の自宅待機を命じられた際、うるさく騒いだことを指摘された(同13、30頁)、

〔4〕7月27日、内部監査担当者との間で度を越えた激しい口論になり、d常務に対しても詰め寄った(同16、17、36、37頁)、

〔5〕産業医面談において、脳神経系の疲れがある旨を指摘され、メンタルクリニックを受診するように指示された(同21、32頁)、

〔6〕銀座メンタルクリニックを受診した際、適応障害や人格障害等の可能性がある旨の指摘を受け、検査して治療するのが通常であるとの説明を受けた(同22頁)などと述べているところ、これらの供述は本件行動記録及びその基礎資料に沿うものである。
 したがって、本件行動記録及びその基礎資料には信用性が認められる。」

3.詳細な行動記録等の信用性を否定するのは結構大変

 上述のとおり、裁判所は、被告を対象とした行動観察記録やその基礎資料の信用性を認めました。

 一旦詳細に記録化された資料の信用性を弾劾することは必ずしも容易ではありません。被告の方が本当に病気であったのかは知る由もありませんが、いずれにせよ、独り言等の挙動が出ないように気を付けていれば、本件はまた違った結果になっていたのかも知れません。

 職場で独り言をつぶやくこと等は、リターンがない反面、リスクだけはしっかりとあります。病気でない場合に余計な独り言をつぶやかないのは当然として、病気である場合も医師に相談しながら独り言等をする機会等は減らして行った方がよいように思われます。

 

自由な意思の法理の適用例-説明の立証がないとして趣旨の不明瞭な合意書の効力が否定された例

1.趣旨の不明瞭な条項の文言

 契約書の中に、趣旨の不明瞭な条項、多義的な条項、曖昧な条項が存在していると、その解釈をめぐって紛争が発生することがあります。

 このような場合、民法的な観点からは、当該条項が作られるに至った経緯を丁寧に紐解き、契約時点における当事者の合理的意思がどこにあったのかを確認し、当該条項の意味内容を明らかにして行く作業が必要になります(契約解釈)。

 しかし、近時公刊された判例集に、契約解釈に立ち入る以前の問題として、使用者からの説明内容が証拠上明らかにされないまま結ばれた不明瞭な約定の効力を否定した裁判例が掲載されていました。東京地判令3.12.22労働判例ジャーナル124-72 Kofler Group Japan事件です。

2.Kolfer Group Japan事件

 本件で被告になったのは、スポーツイベント等での飲食のケータリングサービスの提供を主な業務とする会社です。

 原告になったのは、令和元年9月1日、被告との間で賃金月額を125万円とする雇用契約を締結していた労働者です。

 令和2年3月30日、被告は、東京オリンピックの開催の延期に伴い資金難に陥り、従業員に対する賃金の支払が困難になりました。そこで、令和2年4月分から同年6月分の賃金について、従前の賃金の60%である75万円に減額することを原告と合意しました。この時、原告と被告との間では書面が取り交わされましたが、そこには次の文言が記載されていました。

(本件書面の記載内容)

「次の3か月(4月、5月、6月)の従業員の労働時間を削減する必要があります」

「この休業期間に対して平均賃金の最低60%相当の休業手当を支給します」

プロジェクトが再開されると作業が再開されます、定期的に更新します

 本件ではこの、

「プロジェクトが再開されると作業が再開されます、定期的に更新します」

という条項の効力が問題になりました。

 原告はこれを7月分以降の賃金減額に係るものではないと主張し、差額賃金を請求しましたが、被告はこれにより7月分以降の賃金も減額されるとして、賃金支払義務の存在を争いました。

 このような状況のもと、裁判所は、次のとおり述べて、原告の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告との間で、令和2年7月分以降の賃金につき、75万円に減額する旨の本件減額合意が成立したと主張し、これを裏付ける証拠として乙1(本件書面)を提出する。」

「そこで検討するに、本件書面には、『次の3か月(4月、5月、6月)の従業員の労働時間を削減する必要があります』『この休業期間に対して平均賃金の最低60%相当の休業手当を支給します』との記載がある(乙1)ところ、これらの記載を素直に読めば、同書面において賃金減額の合意がなされたのは、令和2年4月分から同年6月分の3か月分の賃金であると解するのが相当であり、同書面をもって、同年7月分以降の賃金減額が合意されたと認めることはできないというべきである。」

「この点、被告は、本件書面に『プロジェクトが再開されると作業が再開されます、定期的に更新します』との記載があることをもって、同年7月分以降の賃金についても減額合意があった旨主張するものと解されるが、当該記載の趣旨は明確でなく、これをもって同年7月分以降の賃金についても減額の合意が成立したと直ちに評価することはできない。加えて、原告と被告が本件書面を作成する際、原告に対していかなる説明がなされたのかは証拠上明らかでないところ、賃金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるべきものと解される(最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照)ことを踏まえれば、上記記載をもって同年7月分以降の賃金が減額されたものと認めることはできない。

3.契約解釈が行われないまま合意の効力が否定された

 裁判所は、大意、

不明確な条項に賃金債権放棄の意思は読み込めない、

使用者からの説明内容が良く分からなければ、合意は無効と解するよりほかない、

と述べているように見受けられます。

 古典的な思考の手順は、

不明確な条項は、その契約当時の真意を確認し(契約解釈を行い)、

認められた契約の意味内容が、不当・不合理であれば、意思表示理論や、信義・公平に反するものではないのかを検討する、

というものです。

 裁判所はこうした検討過程を抜きにして、いきなり不明確・説明の欠如する約定の効力を否定しました。

 こうした判断の手法は、同種事案の処理にも活用できる可能性があり、労働者側での事件処理の参考になります。

親会社から資金供給を停止されたことを理由とする休業と民法536条2項の「責めに帰すべき事由」

1.休業手当の限度? 賃金全額?

 労働基準法26条は、

「使用者の責に帰すべき事由による休業の場合においては、使用者は、休業期間中当該労働者に、その平均賃金の百分の六十以上の手当を支払わなければならない」

と規定しています。

 このルールに基づいて、「使用者の責めに帰すべき場合」に支払われる「平均賃金の百分の六十以上の手当」のことを休業手当といいます。

 他方、民法536条2項前段は、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない」

と規定しています。

 この条文があるため、労働者は使用者の「責めに帰すべき事由」による休業で労務提供義務を履行することができなくなったときは、賃金(反対給付)の全額を請求することができます。

 休業手当の根拠となる「使用者の責に帰すべき事由」と賃金全額を請求する根拠となる「責めに帰すべき事由」の関係については、最高裁判例があり、

「休業手当の制度は、右のとおり労働者の生活保障という観点から設けられたものではあるが、賃金の全額においてその保障をするものではなく、しかも、その支払義務の有無を使用者の帰責事由の存否にかからしめていることからみて、労働契約の一方当事者たる使用者の立場をも考慮すべきものとしていることは明らかである。そうすると、労働基準法二六条の『使用者の責に帰すべき事由』の解釈適用に当たつては、いかなる事由による休業の場合に労働者の生活保障のために使用者に前記の限度での負担を要求するのが社会的に正当とされるかという考量を必要とするといわなければならない。このようにみると、右の『使用者の責に帰すべき事由』とは、取引における一般原則たる過失責任主義とは異なる観点をも踏まえた概念というべきであつて、民法五三六条二項の『債権者ノ責ニ帰スヘキ事由』よりも広く、使用者側に起因する経営、管理上の障害を含むものと解するのが相当である。

という整理がされています(最二小判昭62.7.17労働判例499-6 ノースウエスト航空事件)。

 これによると「使用者側に起因する経営、管理上の障害」は休業手当(平均賃金の60%)を請求する根拠にはなっても、民法536条2項前段に基づく賃金全額を請求する根拠にはならないと言えそうです。

 問題は何が「経営上の障害」にあたるかですが、「親会社自体が資材資金の獲得に支障を来し、下請工場が所要の供給をうけることができずしかも他よりの獲得もできないため休業した場合」は経営障害による休業、つまり「使用者の責に帰すべき事由による休業」(労働基準法26条)の典型例にあたると考えられてきました(昭23.6.11基収1998号)。

 このような議論状況にあったところ、近時公刊された判例集に、親会社から資金供給を停止されたことを理由とする休業について、労働基準法26条の「使用者の責に帰すべき事由」による休業であるだけではなく、民法536条2項の「使用者の責めに帰すべき事由」による休業でもあるとして、賃金全額の請求を認めた裁判例が掲載されていました。東京地判令3.12.23労働判例ジャーナル124-56 バイボックス・ジャパン事件です。

2.バイボックス・ジャパン事件

 本件で被告になったのは、暗号資産交換業(仮想通貨取引業)を行う中国系企業である「バイボックステクノロジー」という会社の子会社として設立された株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、平成30年10月1日から賃金月額62万5000円で働いていた方です。

 被告は、

「平成31年3月25日、全従業員に対するミーティングにおいて、ベンチャーキャピタルがバイボックステクノロジーに対する資金提供を停止したこと、同社から被告に対して資金が支払われず、同年2月分及び3月分の給与を支払うことができないこと、会社存続に向けて鋭意努力していくつもりであり、会社の再建及び給与支払いに向けて交渉中であることなどを説明し、翌日から出社を不要とする旨を告げ」

その業務を停止しました。

 原告は令和元年6月15日に退職しました。そして、賃金の支払が停止された平成31年4月~令和元年6月分の給与相当額を、

労働基準法26条の休業手当と、

民法536条2項に基づく賃金

の二つに分けて請求する訴えを提起しました。

 休業手当が認められるのは通達の趣旨から別段驚くようなことではないのですが、裁判所は、次のとおり述べて、民法536条2項に基づく請求も認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、事業停止の原因について、バイボックステクノロジーから資金の供給を突如停止されたことが原因である旨主張する。」

「しかしながら、被告の資金調達が専らバイボックステクノロジーからの資金供給に依存していたというのであれば、その供給が停止されれば事業の存続が困難になるのであるから、かかる事態を避けるため、相当の資金を保有しておくことや他の資金調達先を確保しておく等の措置を講じておくべきであるが、Cの供述によれば、被告は、バイボックステクノロジー以外には資金調達先がなく、また、平成31年3月当時の資金は100万円未満であったというのであるから、かかるCの供述を前提としても、被告は、事業停止を避けるために適切な措置を講じることを怠っていたというべきである。

また、Cは、バイボックステクノロジーが資金提供を停止した理由は、被告に対して金融庁からの許可が下りない状況が続いていたからである旨供述するが、同許可の取得は被告の業務であるところ、これに長期間を要した原因について、同業務を担当していた原告に著しい職務懈怠があったこと等の特別の事情は窺われない。そうすると、仮に資金供給を停止された理由が金融庁からの許可が下りない状況が続いたことにあるとしても、被告にその責任があるというべきである。

さらに、被告は、バイボックステクノロジーから資金供給を停止することを告げられた後、CがEに対して資金を供給するよう求め、また、出資元のベンチャーキャピタルに対して電子メールにより出資を停止した理由について説明を求め、国内外の企業に対して原告等の従業員の受入れを打診した旨主張し、Cもこれに沿う供述をする。しかしながら、本件全証拠によっても、上記主張に関するCとEとの間のやり取りや、被告と他の企業との交渉の詳細な経緯、内容は明らかではなく、具体的な交渉の進展を窺わせる客観的な証拠は存在しない。かえって、前記認定事実によれば、Dは、令和元年6月1日ころから、株式会社プロメテの代表取締役として仮想通貨に関するコンサルティング業を開始し、同月30日には被告の代表取締役であったCとともに被告の取締役を辞任していることが認められ、これらの事実に照らせば、被告が事業を停止した後、事業の再開や従業員の就労先の確保に向けて十分な活動を行っていたということはできない。

以上によれば、バイボックステクノロジーから資金供給を突如停止されたとする被告の主張を考慮しても、本件における休業につきやむを得ない必要があったとは認められない。

「前記認定事実によれば、原告は、事前の予告なしに事業を停止する旨を告げられ、賃金の支払を停止されたこと、平成31年2月分及び同年3月分の賃金についても支払を受けていないこと(なお、原告は、Dから102万6104円の支払を受けているが、同金員の性質には争いがあり、Dから原告に対して同金員の返還を求める訴訟が提起されている。)が認められ、加えて、原告が62歳を超える高齢・・・であり、就職先を見つけることが容易ではないと考えられることも考慮すると、原告が休業を命じられることにより被る不利益は小さくないということができる。

被告は、Dから全従業員に対し、事業を清算するつもりであり、給与の支払が困難である旨を告げたと主張するが、本件全証拠によっても、被告が、従業員に対して、事業の停止に至る経緯、財務状況、休業期間の見通しについて具体的な説明を行ったものとは認められない。また、被告は原告に対して事業の売却交渉の進捗状況について報告していた旨主張するが、確かに、被告から原告に対し、海外のベンチャーキャピタルとの連絡を依頼していたことが認められるものの、原告は、連絡の依頼を受けていたにすぎないことからすれば、事業の停止に至る経緯、財務状況等について理解していたとまでは認められない。

以上の事情を総合的に考慮すれば、被告が事業を停止したことが合理的であるとは認められず、被告が原告に対して休業を命じたことについて、民法536条2項所定の債権者の帰責事由が認められる。

3.経営上の障害だからといって諦めないこと

 資金供給の停止に関しては、典型的な経営上の障害ということで、最初から休業手当の請求のみに留める例もあるように思われます。

 しかし、この裁判例は、資金供給の停止・経営上の障害であるからといって、直ちに民法536条2項で全額を請求することが不可能と帰結されるわけではないことを示しています。

 資金供給の停止、経営上の障害であるからといって、思考停止に陥ることなく、実体を見る必要があることを示唆する裁判例として参考になります。

 

懲戒免職処分を受けた公務員の退職手当-一般労働者との均衡を考慮すべきとされた例

1.懲戒免職処分を受けた公務員の退職手当-民間との違い

 民間の一般労働者の場合、懲戒解雇された労働者であっても、退職金が全額不支給となる場面は限定されています。退職金の全額不支給が適法と認められるのは「当該非違行為がその労働者の過去の功労を抹消するほど重大なものであった場合に限定される」と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕596頁参照)。そのため、懲戒解雇された場合であったとしても、過去の功労を抹消するほどのことではないとの理由で、一部請求が認められる例は少なくありません。

 他方、懲戒免職処分を受けた国家公務員には、原則として退職手当が支給されることはありません。国家公務員退職手当法の運用方針 昭和60年4月30日 総人第261号最終改正 令和元年9月5日閣人人第256号)が、

「非違の発生を抑止するという制度目的に留意し、一般の退職手当等の全部を支給しないこととすることを原則とするものとする」

と規定しているからです。

 多くの地方自治体では国家公務員に準じた仕組みを採用しているため、地方公務員の場合も、懲戒免職処分と退職手当の全部を対象とする退職手当支給制限処分(退職手当全部不支給処分)とは紐づいてる関係にあります。

 裁判所が基本的に処分行政庁の裁量を尊重する姿勢をとることもあり、懲戒免職処分を受けた公務員が退職手当全部不支給処分の効力を争っても、処分の取消請求が認められる例は決して多くありません。つまり、懲戒免職処分を受けた公務員は退職手当全額について支給を受けられないのが普通です。

 このように、民間と公務員とでは、懲戒解雇/免職を受けた場合の退職金/退職手当の取扱いに、かなり顕著な差があります。

 しかし、近時公刊された判例集に、公務員の退職手当全部不支給処分の可否を判断するにあたり、一般労働者との均衡を考慮すべきとした裁判例が掲載されていました。東京高判令4.1.14労働判例ジャーナル124-72 小諸市事件です。

2.小諸市事件

 本件は酒気帯び運転をして懲戒免職処分、退職手当全部不支給処分を受けた小諸市職員の方が、退職手当全部不支給処分(本件支給制限処分)の取消を求めて市を提訴した事件の控訴審です。

 原審が本件支給制限処分の取消を認めたため、小諸市側が控訴したのが本件です。

 控訴審も本件支給制限処分を取消した原判決を相当と認め、小諸市側の控訴を棄却したのですが、控訴審判決では、原審の判断に、次の一文が書き加えられました。

(裁判所の判断)

「原判決14頁18行目の後に、改行して、『なお、一般の労働契約において、退職金を全額不支給とし得るのは、労働者のそれまでの勤続の功を抹消してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限られると解されることをも考慮すべきである。』を付加する。

3.一般労働者との均衡を考慮すべきとされた例

 最三小判昭43.3.12最高裁判所民事判例集22-3-562は、公務員の退職手当の法的性質について、次のとおり判示しています。

「国家公務員等退職手当法(以下『退職手当法』という。)に基づき支給される一般の退職手当は、同法所定の国家公務員または公社の職員(以下『国家公務員等』という。)が退職した場合に、その勤続を報償する趣旨で支給されるものであつて、必ずしもその経済的性格が給与の後払の趣旨のみを有するものではない

 民間の退職金も、一般に「賃金後払的性格を持つと同時に功労法相的性格をもあわせもつものである」と理解されています(前掲『詳解 労働法』596頁)。

 結局、公務員の退職手当も民間の退職金も法的性質において同じ(賃金後払い+功労報償)であるのであれば、本来的には均衡が意識されて然るべきであるといえます。

 それでも公務員の場合に民間より厳しい取扱いがされてきたのは、

職員の長年にわたる公務への公権に対する勤続報償を基本的な性格としている」

という政府解釈と、政府解釈のもとで行われた処分行政庁の裁量的判断を尊重しようとする裁判所の姿勢に原因があるのではないかと思われます。

国家公務員退職手当の支給の在り方等に関する検討会(第5回)(平成20年2月13日)

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/kenkyu/komuin_taishoku/pdf/080213_1_si4.pdf

 確かに、勤続報償的な要素が強いという解釈にも一定の理由はあるのですが、それにしても民間との間でかなり顕著な不均衡が生じていました。

 本裁判例は、こうした不均衡を維持・放置することに一石を投じるもので、公務員関係裁判例として画期的なものです。

 東京高裁の裁判例ということもあり、その影響力が注目されます。

 

管理運営事項と行政措置要求の対象としての適格性Ⅲ

1.行政措置要求

 公務員特有の制度として「行政措置要求」という仕組みがあります。

 これは、

「職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる」

とする制度です(国家公務員法86条)。同様の仕組みは地方公務員にも設けられています(地方公務員法46条)。

 法文上、行政措置要求の対象事項には、特段の限定は加えられていません。勤務条件に関連する事項である限り、広く要求の対象にできるかに見えます。

 しかし、行政措置要求の対象は見かけほど広くはありません。それは「管理運営事項」は行政措置要求の対象にはならないとされているからです。

 管理運営事項というのは、職員団体による団体交渉の対象外とされている「国の事務の管理及び運営に関する事項」のことです(国家公務員法108条の5第3項)。職員団体による団体交渉と行政措置要求は趣旨を共通にするため、職員団体による団体交渉の対象にならない管理運営事項は、行政措置要求の対象にもならないと理解されています。

 管理運営事項とは「一般的には、行組法や各府省の設置根拠法令に基づいて、各府省に割り振られている事務、業務のうち、行政主体としての各機関が自らの判断と責任において処理すべき事項をいう」「行政の企画、立案、執行に関する事項、予算の編成に関する事項などがある」と理解されています(森園幸男ほか編著『逐条国家公務員法』〔学陽書房、全訂版、平27〕1163頁参照)。

 ただ、管理運営事項であるからといって、全てが行政措置要求の対象から除外されると理解されているわけではありません。字義通りに理解すると、管理運営事項は行政作用のほぼ全てに及ぶため、行政措置要求の対象になる事項がなくなってしまうからです。そのため、裁判例の多くは、行政措置要求の対象とならない管理運営事項に一定の絞りをかけています(名古屋地判平5.7.7労働判例648-76 愛知県人事委員会(佐屋高校)事件、横浜地判令3.9.27労働判例ジャーナル120-52 川崎市・川崎市人事委員会事件等参照)。

 この行政措置要求の対象と管理運営事項との関係について、一例を加える裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.12.24労働判例ジャーナル124-72 東京都・都人委事件です。

2.東京都・都人委事件

 本件で被告になったのは東京都です。

 原告になったのは、都税事務所に勤務する被告の職員の方です。

 東京都では人事委員会規則で措置要求を書面の提出の方法によることが定められていたため、原告の方は、勤務条件に関する措置要求を電子申請に対応させることを求める要求(本件措置要求)を行いました。

 しかし、東京都人事委員会は、

勤務条件にあたらないこと、

管理運営事項であり、措置要求の対象にならないこと、

を理由に本件措置要求を却下する旨の判定を行いました(本件判定)。

 これを受け、原告の方が、本件判定の取消を求める訴えを提起したのが本件です。

 裁判所は、本件措置要求の適格性について次のとおり判示し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「法46条は、給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、人事委員会に対して当局により適当な措置が執られるべきことを要求できる旨定めているところ、同条にいう勤務条件とは、職員が地方公共団体に対して勤務を提供し、又はその提供を継続するかどうかの判断をするに当たって、一般的に当然考慮の対象となるべき利害関係事項を指し、具体的には、給与、勤務時間、休暇、職場での執務環境及び安全衛生等のほか、宿舎及び福利厚生に関する事項など、職員の勤務の提供に関連した待遇がこれに当たると解される。」

「また、法46条と、職員団体との交渉について定める法55条1項の『勤務条件』とは、いずれも同一内容を規定するものと解されるところ、法55条3項が管理運営事項を団体交渉の対象から除外していることからすれば、法46条の措置要求についても、管理運営事項を対象とすることは予定されていないものというべきであり、管理運営事項については、原則として措置要求の対象とならないと解される。」

「原告は、個々の職員が法46条による権利をどのような方法によって行使できるかは、勤務条件に大きな影響を与えるものであるから、本件措置要求は、措置要求の対象となり、また、管理運営事項であるとしても、措置要求制度それ自体が地方公務員の勤務条件の一つであり、勤務条件に密接に関連するものとして、措置要求の対象となる旨主張する。」

「しかしながら、本件措置要求は、法46条の措置要求を電子申請の方法に対応させることを求めるものであるところ、当該措置要求を行うこと自体は、原告の勤務自体に関する対価や職場環境等の問題とも、原告の勤務に伴い通常発生する福利厚生等の問題ともいえず、この点で、措置要求の方式やその利便性は、職員が自らの勤務の提供等につき判断をするに当たって、一般的に当然考慮の対象となるべき利害関係事項とはいい難い。

また、措置要求の方式を含む措置要求の審査に係る具体的な手続については、法48条の規定が、関連する法令の範囲内において当該手続を主宰する人事委員会の合目的的裁量に基づく人事委員会の規則の制定に委ねていると解され、本件措置要求の要求事項は、都人委が、法令に基づき自らの責任と判断において自主的に処理すべき管理運営事項に当たると解するのが相当である。さらに、前記・・・で述べたところを併せ考えると、本件措置要求の内容は、原告の勤務条件に密接に関連するものともいえず、例外的に措置要求の対象とすべき事情も認め難い。

「したがって、原告の前記・・・の主張は、採用することができない。」

以上によれば、本件措置要求は、措置要求の対象とならない事項についてされた不適法な措置要求であるといわざるを得ない。本件措置要求を規則8条により却下した本件判定は適法であり、本件判定の取消しを求める原告の請求は理由がない。

3.分かりにくい対象の適格性

 過去、条例の制定改廃との関係で行政措置要求の対象としての適格性が争われた例があります。その時は、大意、条例の制定改廃そのものを求める措置要求は不適法であるものの、長に条例の制定改廃の議案を議会に提出することを求める措置要求は一律に不適法とされるわけではないとして、行政措置要求の対象としての適格性が認められました(神戸地判平29.11.29労働判例1196-49、大阪高判平30.5.25労働判例1196-42 三木市・市公平委員会事件、横浜地判令3.9.27労働判例ジャーナル120-52 川崎市・川崎市人事委員会事件等参照)。

 条例制定・改廃の要求が可能で、人事委員会規則の制定・改廃の要求がダメだとする根拠は今一良く分かりません。

 また、行政措置要求の利便性の追求は、直観的に勤務条件と密接にかかわるのではないかという気もします。

 説明があまり書かれておらず、裁判所がどのような考え方に立ったのかは良く分かりませんが、本件は行政措置要求の対象を理解するうえで参考になります。

 

解雇された派遣社員の就労意思-他の派遣会社に登録して遠隔地で従前と同水準以上の収入を得ても就労意思が否定されなかった例

1.違法無効な解雇後の賃金請求と就労意思(労務提供の意思)

 解雇されても、それが裁判所で違法無効であると判断された場合、労働者は解雇時に遡って賃金の請求をすることができます。いわゆるバックペイの請求です。

 バックペイの請求ができるのは、民法536条2項本文が、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。」

と規定しているからです。

 違法無効な解雇(債権者の責めに帰すべき事由)によって、労働者が労務提供義務を履行することができなくなったとき、使用者(労務の提供を受ける権利のある側)は賃金支払義務の履行を拒むことができないという理屈です。

 しかし、解雇が違法無効であれば、常にバックペイを請求できるかというと、残念ながら、そのようには理解されているわけではありません。バックペイを請求するためには、あくまでも労務の提供ができなくなったことが、違法無効な解雇に「よって」(起因して)いるという関係性が必要になります。つまり、何等かの理由によって、違法無効な解雇とは無関係に労務の提供をしなくなった場合、バックペイの請求は棄却されることになります。

 この違法無効な解雇とは無関係に労務の提供をしなくなったといえる場合の一つに、他社就労した場合が挙げられます。他社就労を行うと、労務提供を行わなかったのは、旧勤務先で働かなかったのは就労意思を喪失したことに起因するのであり、違法無効な解雇に起因するわけではないとして、バックペイの請求が認められないことがあります。

 もちろん、解雇の効力を争って裁判をしている時に、生計を立てるため、やむなく行う他社就労の全てが、労務提供意思の喪失と認定されるわけではありません。例えば、アルバイトや非正規の仕事についたにすぎない場合には、通常、労務提供意思の喪失を認定されることはありません。しかし、解雇前と同水準の賃金額での正規雇用についたりすると、その時点から労務提供意思の喪失を認定されることがあります。

 このような議論状況のもと、以前、他社就労して解雇前と同水準以上の給与を得ても就労意思が否定されなかった裁判例をご紹介させて頂きました(東京高判令2.1.30労働判例1239-77 新日本建設運輸事件)。

他社就労して解雇前と同水準以上の給与を得ても就労意思(労務提供の意思)が否定されなかった例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 近時公刊された判例集にも、遠隔地で他社就労して解雇前と同水準以上の給与を得ながら、就労意思が否定されなかった裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、大阪地判令4.1.13労働判例ジャーナル124-54 新時代産業事件です。解雇されたのが派遣社員で就労先も派遣会社であるという点に特徴のある事案ですが、実務上参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.新時代産業事件

 本件で被告になったのは、労働者派遣事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で有期労働契約を締結した外国人男性(中国籍)です。来日外国人客への通訳・接客案内業務に従事するため、岐阜県下呂市所在の温泉旅館に派遣されていました(契約期間:平成30年7月21日から1年間、派遣期間:平成30年7月21日から同年9月30日まで。ただし、異議がない場合には自動更新される。時給1000円)。

 しかし、被告は、日本語能力が著しく不十分であることや、一方的に連絡を絶って無断欠勤したことなどを理由に、平成30年12月26日、原告に対し、平成31年1月23日付けで解雇することを内容とした解雇予告通知書を送信しました。

 その後、原告は、被告に対し、新しい仕事を紹介されないので平成31年1月4日をもって退職するというメッセージを送ったり、退職証明書や源泉徴収票の交付を求めたりしました。

 しかし、退職が不本意であったためか、原告の方は、解雇や退職の意思表示の効力を争い、契約期間満了までの賃金の賃金の支払をを求める訴えを提起しました。

 裁判所は、解雇の効力も、退職の意思表示の効力も否定しましたが、本件の原告の方は他の派遣会社に登録し、従前と同水準以上の収入を得ていたことから、就労意思の有無が問題になりました。

 具体的に言うと、解雇前に原告が被告から得ていた賃金は次のとおりです。

平成30年7月分(約10日分) 8万4865円

平成30年8月分 18万2908円

平成30年9月分 14万0552円

平成30年10月分 15万3408円

平成30年11月分 14万7221円

平成30年12月分(約20日分) 6万8926円

 しかし、原告の方は解雇を告げられる前の段階である平成30年11月末ころ、別の人材派遣会社に登録をしており、その会社を経由して、平成30年12月29日から兵庫県尼崎市の派遣先において時給1400円で商品検品の仕事を始めました。この仕事によって、原告は次のとおり賃金を得たと認定されています。

平成31年1月15日 平成30年12月分として1万8855円

平成31年2月15日 同年1月分として12万6171円

平成31年3月15日 同年2月分として18万0595円

平成31年4月15日 同年3月分として17万0720円

令和元年5月15日 平成31年4月分として17万4963円

令和元年6月14日 令和元年5月分として17万1673円

令和元年7月12日 令和元年6月分として18万8220円

令和元年8月15日 令和元年7月分として19万1590円

 こうした事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、原告の被告での就労意思は失われておらず、被告の賃金支払義務を認める判断をしました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告は被告において在籍していた平成30年11月頃に既に就職活動を開始しており、遅くとも同年12月21日には訴外会社に入社して被告で就労する意思を失っている以上、本件解雇以降に原告の被告に対する労務の提供があったとはいえないため、反対給付である未払賃金は発生しない旨主張する。」

「しかし、上記認定事実・・・のとおり、原告は本件解雇前には訴外会社に人材派遣登録をしたにとどまり、同社との間で労働契約を締結して実際に就労したのは本件解雇を告げられた後である。以上によれば、原告は、本件解雇後に生計を維持するために訴外会社において就労したとみるべきであって、これをもって被告での就労の意思を失ったとはいえないし、本件労働契約の終期である令和元年7月21日までの間においても異なるところはない。」

「したがって、原告が訴外会社から得た賃金については、原告が被告から受けるべき賃金額において中間収入として控除されるにとどまる。」

3.賃金額、勤務地に関する被告の主張が甘かったように見える事案ではあるが・・・

 就労意思に関する被告の主張は、

「原告は、被告において在籍していた平成30年11月頃に既に就職活動を開始しており、遅くとも平成30年12月21日には訴外会社に入社していたのであるから、同日には被告で就労する意思を失った。したがって、本件解雇が無効であったとしても、未払賃金は発生しないし、仮に発生していたとしても、平成30年12月から令和元年7月までに得た収入全額である137万6138円全額を控除すべきである。」

といったものでした。

 賃金額が自社水準よりも高かったことや、遠隔地で勤務していること、派遣会社での就労とはいえ元々派遣社員として働いていた労働者が派遣会社を切り替えた事案であることなど、就労意思を否定するための主張が被告から尽くされていたのかに関しては疑問の余地があります。

 しかし、そうであったとしても、従前と同水準以上の賃金、遠隔地での就労等、就労意思に疑義を挟まれやすい条件がある中で就労意思が認められ点には目を引かれます。

 新日本建設運輸事件といい、就労意思が否定される範囲は、従前思われていたよりも大分狭いのかも知れません。

 

解雇が無効であることを認識していれば退職しなかったとの錯誤主張が通った例

1.解雇が無効だと知っていたら退職しなかった

 退職勧奨の場面で、使用者から解雇権の行使を示唆されることがあります。こうした示威行為を受け、「(有効に)解雇されてしまうくらいであれば・・・」と思って合意退職してしまう方や、辞職の意思を表示してしまう方がいます。

 しかし、元々不本意であったためか、合意退職や辞職の意思表示の効力を否定することができないかという相談は少なくありません。

 合意退職や辞職の意思表示の効力を否定する伝統的な法律構成としては、詐欺や強迫(民法96条1項)、錯誤(民法95条)といった意思表示の瑕疵を主張することが考えられます。しかし、詐欺を主張するには使用者側の故意(騙す意思)を立証しなければなりません。強迫を主張するためには、かなり強烈な脅し文句が使われたことを立証する必要があります。錯誤を主張するためには、

真実は解雇が無効であること、

解雇が有効だと誤信したこと、

諸々の利害得喪・リスクを比較衡量してではなく、解雇を有効だと思ったから合意退職ないし辞職の意思表示をしたこと、

解雇を有効だと思ったから合意退職や辞職に応じてるという労働者の動機が表示されていること、

解雇を有効だと誤信したことに重大な過失がないこと

など、多くの要件をクリアしなければなりません。

 このように民法の規定による救済が難しいため、合意退職や辞職の意思表示の効力を否定する方法として、現在では、

最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件で判示されている「自由な意思」の法理の適用を主張することや、

退職合意に自由な意思の法理の適用が認められた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

退職の意思表示の認定を厳格・慎重に行うことを主張すること

合意退職の争い方-退職の意思表示の慎重な認定 - 弁護士 師子角允彬のブログ

といった法律構成を用いることが多くなっています。

 しかし、近時公刊された判例集に、退職の申し出の錯誤無効(法改正により現在では錯誤による意思表示は無効ではなく取消の対象になっています)を認めた裁判例が掲載されていました。大阪地判令4.1.13労働判例ジャーナル124-54 新時代産業事件です。

2.新時代産業事件

 本件で被告になったのは、労働者派遣事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で有期労働契約を締結した外国人男性(中国籍)です。来日外国人客への通訳・接客案内業務に従事するため、岐阜県下呂市所在の温泉旅館に派遣されていました。

 しかし、被告は、日本語能力が著しく不十分であることや、一方的に連絡を絶って無断欠勤したことなどを理由に、原告に対し、平成31年1月23日付けで解雇することを内容とした解雇予告通知書を送信しました。

 その後、原告は、被告に対し、新しい仕事を紹介されないので平成31年1月4日をもって退職するというメッセージを送ったり、退職証明書や源泉徴収票の交付を求めたりしました。

 しかし、退職が不本意であったためか、原告の方は、解雇や退職の意思表示の効力を争い、契約期間満了までの賃金の賃金の支払をを求める訴えを提起しました。

 この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、退職の錯誤無効を認めました。

(裁判所の判断)

・本件解雇の有効性について

「被告は、本件解雇の理由として、原告の日本語能力が著しく不十分であったところ、原告に対して、日本語を習得するよう注意指導し、教育の機会を与えたが、原告はこれらを全く聞き入れなかったことを挙げる。しかし、上記認定事実・・・で認定説示したとおり、原告が通訳・接客案内業務のための研修を受けた事実を認定することができない。したがって、被告が挙げる上記解雇理由は、これに該当する事実が認められない。」

「次に、被告は、本件解雇の理由として、平成30年12月15日から26日までの間、一方的に連絡を断って無断欠勤をして向陽閣での顔合わせを欠席したことを挙げる。しかし、上記認定事実・・・のとおり、原告は同月14日に水明館での勤務を終えており、その後の勤務について被告から指示があったことをうかがわせる事情は見当たらない。また、上記認定事実・・・のとおり、原告は同月21日にあった面接を被告への連絡なく欠席したが、同面談への出席指示は面談開始時刻のわずか13時間35分前である午前0時10分に前触れなくされたものであり、このような深夜かつ直前の指示に従うことは著しく困難であるというほかない。そうすると、被告が挙げる上記解雇理由は、正当な理由のない無断欠勤と評価することができない以上、解雇理由に当たるとはいえない。」

「また、被告は、本件解雇理由として、原告が被告在籍中に訴外会社との間で労働契約を締結していたことを挙げる。しかし、上記認定事実・・・のとおり、原告は本件解雇前には訴外会社に人材派遣登録をしたにとどまり、同社との間で労働契約を締結して就労したのは本件解雇を告げられた後であるし、原告が人材派遣登録をしたことによって水明館における勤務に支障を来した事情は見当たらない。そうすると、被告が指摘する解雇理由に当たる事実は認められないし、認定された事実は解雇理由として評価することは困難である。」

「以上のとおり、被告が挙げる解雇理由は、いずれも該当する事実が認められないか、解雇理由として評価することが困難である。したがって、本件労働契約は有期労働契約であるところ・・・、本件解雇は労働契約法17条1項所定のやむを得ない事由があると認められないから、無効である。

・本件退職の錯誤無効の成否について

「上記認定事実・・・のとおり、原告は、平成30年12月26日に被告代表者から平成31年1月23日付けで解雇する旨のメッセージを受信したことを受けて本格的に就職活動を始め、同月4日に、被告代表者に対し、平成30年12月14日に派遣先での仕事を終了され、それ以降新しい仕事を紹介されないので、平成31年1月4日をもって被告を退職する旨を記載したメッセージを送信し、さらに、退職証明書や源泉徴収票の交付を求める旨のメッセージを送信した。そして、上記・・・において説示したとおり、本件解雇は客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められず、無効である。」

「以上によれば、原告は、被告代表者から本件解雇を告知されてこれが有効であることを前提に、再就職に当たって退職証明書や源泉徴収票の交付を早期に受けるために本件解雇の効力発生日(同月23日)より前の同月4日に本件退職の意思表示をしたものといえるところ、後に本件解雇が無効であることが判明したものである。そうすると、本件退職は、本件解雇が有効であるという動機が被告に表示されて法律行為の内容となり、もし錯誤がなければ原告が再就職に向けた活動をすることもなかったことから本件退職の意思表示をしなかったであろうと認められる。

したがって、本件退職は民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)95条所定の錯誤により無効である。

3.錯誤無効の主張が認められた例

 冒頭で述べたとおり、錯誤無効(現行法上の錯誤取消)の主張が通ることは、それほど多くありません。本件で錯誤無効の主張が認められたのは、解雇予告通知が書面の形で明確に残っており、これが諸々の意思決定の前提になっていることが分かり易かったからではないかと思われます。

 錯誤無効の主張が通じた数少ない例の一つとして、実務上参考になります。