弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

旅費交通費が割増賃金の算定基礎賃金になるとされた例

1.旅費交通費と割増賃金の算定基礎賃金との原則的な関係

 労働基準法37条1項は、

「使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。ただし、当該延長して労働させた時間が一箇月について六十時間を超えた場合においては、その超えた時間の労働については、通常の労働時間の賃金の計算額の五割以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。」

と規定しています。

 この割増賃金の算定の基礎となる「通常の労働時間・・・の賃金」に家族手当や通勤手当は含まれません。労働基準法37条5項が、

第一項及び前項の割増賃金の基礎となる賃金には、家族手当、通勤手当その他厚生労働省令で定める賃金は算入しない

と規定しているからです。

 ただ、この「通勤手当」は「労働者の通勤距離又は通勤に要する実際費用に応じて算定する手当」であり、「一定額までは距離にかかわらず一律に支給する場合には、実際距離によらない一定額の部分は本条の通勤手当ではないから、割増賃金の基礎に参入しなければならない」と理解されています(厚生労働省労働基準局編『労働基準法 上』〔労務行政、平成22年版、平23〕513頁、昭和23年2月20日基発第297号参照)。

 このように「通勤手当」の内容は厳格に理解されてるため、旅費交通費のような名称が付けられていても、交通費の実費精算としての実体を有しない場合、割増賃金の算定基礎賃金に含まなければならないと判断されることがあります。近時公刊された判例集に掲載されていた大阪地判令4.1.31労働判例ジャーナル124-50 オークラ事件もそうした裁判例の一つです。

2.オークラ事件

 本件はいわゆる残業代(割増賃金)請求事件です。

 本件で被告になったのは、建築工事の設計、施工並びに請負業等を営む株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結し(本件雇用契約)、トラックドライバーとしての運送等の業務に従事していた方です。退職した後、未払割増賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 原告の方の賃金は、基本給のほか残業手当や旅費交通費が含まれていました。

 この旅費交通費は「勤務地から100km 以上の運行の場合に、大型は日額6000円、中型は日額4000円」と規定された費目であり、本件ではこれが割増賃金の算定基礎賃金に含まれるのかどうかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、旅費交通費を算定基礎賃金に含まれると判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、旅費交通費が、実費精算的な支給であること、個別の事情に基づく支払といえること等を理由として、割増賃金の算定の基礎となる賃金単価の算定の基礎となる賃金に含まれない旨主張する。」

「しかしながら、被告は、運転手はサービスエリアやパーキングエリアで睡眠を取り、宿泊施設を利用しないのがほとんどであること、大型自動車の運転手が出庫してから帰庫までに日を跨ぐ場合、実際に宿泊施設を利用したか否かに関わらず、1泊につき所定の金額の旅費交通費を支給していることを認めているのであり、これらの事情によれば、旅費交通費が実費精算の趣旨で支払われているものと認めることは困難である。むしろ、上記の支給実態に照らすと、旅費交通費は、大型運転手が、日を跨いで運転業務に従事する場合に、その負担が大きいこと等を踏まえ、賃金を加算する趣旨で支給されているものと推認されるから、通常の労働時間の賃金に当たるというべきである。

「なお、証拠・・・によれば、国内出張旅費規程には、乗務員のうち大型運転手の出張者の旅費として、2暦日以上にまたがる出張の場合に、宿泊費補助として1運行につき5000円、食事代補助として1運行につき1000円が支払われるとの定めがあることが認められるが、弁論の全趣旨によれば、同規程は、就業規則ではないものと認められ、ほかに同規程の定めが本件雇用契約の内容になっているものと認めるに足りる証拠はないから、同規程の上記定めの存在をもって、原告に支払われた旅費交通費が実費精算の趣旨に基づくものと認めることはできないし、旅費交通費の一部が、食事代の補助として支払われているものと認めることもできない。また、被告主張の旅費交通費の税務等における取扱い等の事情も、旅費交通費が実費精算の趣旨で支払われていることを裏付けるに足りない。」

「被告は、旅費交通費は、大型自動車の運転手に対して支給され、2tトラックの運転手には支給されていないから、個別の事情に基づいて支払われる賃金に当たるとも主張するが、大型自動車の運転手に対して一律に支給される以上、個別の事情に基づく支払ということもできない。」

「したがって、被告の主張は採用できず、旅費交通費は、割増賃金の算定の基礎となる賃金単価の算定の基礎となる賃金に当たるというべきである。」

3.実費精算の趣旨を否定された例

 上述のとおり、「通勤手当」への該当性は、旅費交通費っぽい名称が付けられているのかどうかではなく、飽くまでも実体に基づいて判断されます。

 実費精算かどうかに疑義がある場合に割増賃金を請求するにあたっては、通勤手当と親和的な名称が付されている賃金項目であったとしても、遺漏なく割増賃金の算定基礎賃金に含めておく必要があります。

 

コロナ禍での整理解雇-手続の妥当性のみで効力が否定された例

1.整理解雇

 使用者が経営上の必要性から人員削減を行うためにする解雇を、整理解雇といいます。整理解雇については、一般の解雇と比べてより具体的で厳しい制約を課す判例法理が裁判例上形成されています(整理解雇法理)。

 整理解雇法理は、①人員削減の必要性、②解雇回避努力、③人選の合理性、④手続の妥当性の四つの要素を総合的に考慮して権利濫用性を判断するものです(以上、水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕942-948頁参照)。

 ただ、この四つの要素の重み付けは、必ずしも均等ではありません。手続の妥当性(相当性)については、

「他よりも比重が小さく、他を満たしているのに、これだけで解雇が無効となった例は少ない」

との指摘があります(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕377頁参照)。

 実際、整理解雇の効力が手続的な観点のみから否定される例は少数に留まっているのですが、近時公刊された判例集に、手続の妥当性(相当性)の欠如のみを理由に、コロナ禍での整理解雇の効力を否定した裁判例が掲載されていました。東京地判令3.12.21労働判例ジャーナル124-66 アンドモワ事件です。

2.アンドモワ事件

 本件で被告になったのは、飲食店の経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期限の定めのない労働契約を締結し、被告が経営していた飲食店店舗の店長として稼働していた方です。休業を命じられていたところ、一方的に解雇予告通知を送り付けられたとして、解雇の効力を争い、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の裁判所は、次のとおり述べて、①人員削減の必要性、②解雇回避のために現実的にとることができる措置が限定されていたこと、③被解雇者選定の合理性を認めながら、④手続の妥当性を否定し、整理解雇を無効だと結論付けました。

(裁判所の判断)

・人員削減の必要性について

「前記認定事実のとおり、本件解雇当時、被告が経営する居酒屋の売上げは激減していたところ、その原因となっていた新型コロナウイルス感染症流行の収束の見込みは立っていなかったこと、他方で、店舗営業を休止しても、人件費や地代家賃等の固定費の支出を避けることができず、被告が全国に約300件という多店舗展開をしていたことも相俟って、その額は毎月6億円以上と多額に上っていたこと、そのため、令和2年3月から同年7月までの5か月間だけで営業損失が12億円を超えるなど、被告の損失は急速に膨らんでいたこと、令和2年8月末の時点で被告の繰越利益剰余金がマイナス約51億円に達しており、大幅な債務超過状態に陥っていたことからすると、本件解雇当時、被告は、早急に固定費等の経費削減の措置をとらない限り、資金ショートを起こすなどして事業を継続できなくなるおそれがあったことは明らかである。そうすると、被告が固定費等の削減の手段として約300店舗あった居酒屋のうち収益改善の見込みが高いと判断した約10店舗だけを残し、それ以外の店舗の経営からは撤退するとの経営判断をしたことは、不合理であるとはいえない。そして、上記のとおり96パーセント以上の店舗経営から撤退することに伴い、これらの店舗で就労していた相当多数の従業員が余剰人員となったことは明らかであり、また、これらの人員の全てを、残った約10店舗や被告の本社機能を担う部門で吸収することはおよそ不可能であった。」

「また、被告は、本件解雇後の令和2年7月以降、代表取締役以外の役員に辞任してもらうとともに、役員報酬を全て削減したが、証拠(乙5)によれば、もともと被告の役員報酬は月額150万円から230万円ほどしかなく、これらを削減するだけでは、資金ショートのおそれを回避するのに十分でなかったことも明らかである。」

「以上によれば、本件解雇当時、被告の人員削減の必要性は高かったと認められる。

・解雇回避努力について

「前記・・・のとおり、被告は、本件解雇後のことではあるが、令和2年7月以降、代表取締役以外の役員に辞任してもらうとともに、役員報酬を全て削減した。」

「被告は、事業廃止に準じる状況にある場合には解雇回避努力は問題とならないかのような主張をし、上記以外に解雇回避努力に関する具体的な主張をしていないが、前記のとおり、本件解雇当時、被告は、全店舗の営業を停止していたものの、少なくともそのうち約10店舗については機を見て再開する意思を有していたものであり、そもそも事業廃止の場合に準じる状況にあったとはいえない。もっとも、前記・・・の状況に照らすと、本件解雇時、配転・出向の現実的な可能性は乏しかったことがうかがわれ、他に解雇回避のために現実的にとることができる措置についても、非常に限定的であったことがうかがわれる。

・被解雇者選定の合理性について

「前記認定事実のとおり、原告が勤務していた3店舗は、いずれも損益分岐点比率の観点等から存続店舗として選定されず、経費削減のためにその経営から撤退することが決まったものであり、その判断自体に不合理な点は認められない。また、上記のとおり、被告は経営していた店舗の96パーセント以上の店舗から撤退することを予定していたものであり、これに伴って相当多数の従業員が余剰人員となることが見込まれたこと、残りの店舗も事業を停止し売上げが激減していたものであって、新たに従業員を必要とする状況にあったとは考え難いこと、被告の本社機能を担う部署も、事業が大幅に縮小される中で、新たに従業員を必要とする状況にあったとは考え難いことなどに照らすと、撤退対象となった店舗で従業員として就労していた者を解雇の対象者と選定することが不合理であるとは認められないというべきである。

・解雇手続の妥当性について

「前記認定事実のとおり、被告は、令和2年3月頃の時点で既に大部分の店舗経営から撤退する方針を決めていたにもかかわらず、原告に対し、本件解雇予告通知書を送付する直前に『近日中に重要な書類が届くので確認しなさい。』という趣旨のことを電話で伝えただけで、整理解雇の必要性や、その時期・規模・方法等について全く説明をしなかった。」 

この点に関し、被告は、資金ショートによる倒産回避のために事業停止をしなければならない高度の必要性があったことや、解雇対象となる労働者が全国に点在していたことから、説明会を開くことは現実的に不可能であり、その時間的余裕もなかった旨を主張する。しかしながら、仮に、新型コロナウイルス感染症が流行している中で、全国に点在する労働者を対象とした説明会を開くことが困難であったとしても、各労働者に対する個別の説明や協議が必要でなくなるわけではない。解雇は、労働者から生活の手段を奪うなど、その生活に深刻な影響を及ぼすものであるから、社会通念上相当と認められるものでなければならず、特に本件解雇のように労働者側には帰責性がないにもかかわらず、専ら使用者側の事情によって行われる整理解雇の場合には、使用者は、信義誠実の原則から(労働契約法3条4項参照)、対象となる労働者に対し、整理解雇の必要性や、その時期・規模・方法等について十分に説明をしなければならず、労働組合等がなく、全労働者を対象とする説明会を開くこともできない場合であっても、個別の労働者との間で十分な説明・協議をする機会を設ける必要があるというべきである。そして、本件解雇当時、原告は、都内の店舗に勤務しており、首都圏に居住していたことに照らすと、被告が、原告に対し、個別に整理解雇の必要性等を説明したり、協議したりする場を設けることが現実的に不可能であったとは考え難い。また、被告は、原告ら解雇対象労働者に対し上記のような説明をする時間的余裕がなかったとも主張するが、被告は、本件解雇予告通知書を発送するおよそ3か月前には大規模な事業縮小の方針を決めていたものであり、撤退する店舗の確定や整理解雇の時期・規模・方法等を決めるまでに一定の時間を要したであろうことを考慮したとしても、被告が提出する証拠からは、本件解雇前に原告ら解雇対象従業員に対して整理解雇の必要性やその時期・規模・方法等について説明することができないほどの事情があったことまでは認められない。

なお、被告は、本件解雇に先立ち、令和2年5月頃から解雇対象となった従業員に架電し、業者を利用した転職あっせんの提案を行ったとも主張するが、被告がこのような措置をとったことを認めるに足りる証拠はない。被告は、本件解雇に労働基準法20条で求められている1か月間の解雇予告期間を置いているものの、これ以外に、被告の一方的な都合で解雇されることになる原告に配慮する措置をとったこともうかがわれない。

以上によれば、本件解雇には手続の妥当性が著しく欠けていたといわざるを得ない。

・総合考慮

以上のとおり、本件解雇当時、被告には相当高度の人員削減の必要性があったと認められ、当時の状況に照らすと、解雇回避のために現実的にとることが期待される措置は限定されていたことがうかがえ、被解雇者の選定も不合理であったとは認められない。しかしながら、被告は、休業を命じていた原告に対し、一方的に本件解雇予告通知書を送り付けただけであって、整理解雇の必要性やその時期・規模・方法等について全く説明をしておらず、その努力をした形跡もうかがわれない。上記のとおり相当高度な人員削減の必要性があり、かつ、そのような経営危機とも称すべき事態が、主として新型コロナウイルス感染症の流行という労働者側だけでなく使用者側にとっても帰責性のない出来事に起因していることを考慮しても、本件解雇に当たって、本件解雇予告通知書を送付する直前にその予告の電話を入れただけで、それ以外に何らの説明も協議もしなかったのは、手続として著しく妥当性を欠いていたといわざるを得ず、信義に従い誠実に解雇権を行使したとはいえない。

したがって、本件解雇は、社会通念上相当であるとは認められず、解雇権を濫用したものとして、無効である。

3.コロナ禍であるからといって乱暴な解雇は許容されない

 新型コロナウイルスの影響により、飲食業界が深刻な影響を受けていることは理解できます。しかし、だからといってプロセスを無視した乱暴な整理解雇が許容されるわけではありません。

 本件は手続のみで整理解雇の効力を否定した稀有な事例ですが、緊急性の名のもとに手続的妥当性・相当性を疎かにすることに警鐘を鳴らした事例として位置付けられます。

 

懲戒解雇するつもりもないのに、懲戒解雇されると誤信している労働者に退職勧奨をしていいのか?

1.退職勧奨

 退職勧奨をすることは、それ自体が違法とされているわけではありません。

 しかし、「労働者に対し執拗に辞職を求めるなど、労働者の自由な意思の形成を妨げ、その名誉感情など人格的利益を侵害する態様で退職勧奨が行われた場合には、労働者は使用者に対し不法行為・・・として損害賠償を請求することができる。」(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕964頁)と理解されています。

 ここで一つ問題があります。

 使用者は労働者の誤信を利用することが許されるのかという問題です。

 退職勧奨には、一定の理由があるのが普通です。経営不振に基づく人員削減であったり、非違行為であったり、協調性不足であったり、能力不足であったり、理由には様々なものが考えられます。

 このうち非違行為を理由として退職勧奨が行われる場合、労働者が問題を実際より深刻に捉えている場合があります。懲戒解雇をすることが法的には困難であるにもかかわらず、退職勧奨を断ったら懲戒解雇されてしまうのではないかと誤信しているようなケースが典型です。

 それでは、退職勧奨をしている時、懲戒解雇する意思のない使用者は、労働者が上述のような誤信をしていることに気付いた時、これを訂正することなく、済し崩し的に合意退職を成立させてしまうことが許されるのでしょうか?

 この問題を考える上で参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。札幌地苫小牧支判令4.3.25労働経済判例速報2482-26 A病院事件です。

2.A病院事件

 本件で被告になったのは、医療法人A病院が開設する病院(本件病院)の事務部長(被告事務部長)と臨床検査科の主任科長(被告主任科長)の2名です。

 原告になったのは、本件病院で臨床検査技師として勤務していた方です。

 被告事務部長は、無断無償発注行為(身体検査を外注業者に無償で依頼したこと)、情報漏洩行為、他院誹謗中傷行為、無断出張行為の各行為を挙げ、

「厳しい処分」を検討していること、

合意退職するのであれば、「処分」をしない方針であること、

を告げ、退職を勧奨しました(1回目の面談)。

 これを受け、2回目に面談した時、原告は、

「私が自主的に退職するっていう部分で処分が免れるんであれば、そこは私は退職します」

「退職さしていただきます」

などと外形上退職に合意する旨の発言をしました。

 しかし、1回目の面談に先立ち、本件病院は外部弁護士に相談しており、原告の方を直ちに懲戒解雇することは困難であるとの持っていました。

 このような事実関係のもと、原告の方は、

「合意退職に応じなければ懲戒解雇が避けられない旨を告げて二者択一を迫るなどして退職を強要したのであるから、被告事務部長による退職勧奨は、社会通念上相当と認められる限度を超えて不当な心理的威圧を加えたものとして、不法行為法上違法である」

と主張し、被告らに対して損害賠償を請求する訴えを提起しました。

 これに対し、被告らは、

「そもそも原告に対し、合意退職に応じなければ懲戒解雇となる旨を誤信させるような発言は一切していない。」

と反論しました。

 当事者双方の主張を受け、裁判所は、次のとおり判示し、退職勧奨の違法性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告事務部長が、原告に対し、合意退職に応じなければ懲戒解雇とする旨を明言したことはなく、かえって、・・・原告を懲戒解雇とすることが困難であることを理解した上で面談に臨み、原告から(懲戒)処分の見込みを尋ねられても、1回目の面談では『それは12月5日(2回目の面談)に来たときにお話をします。今ここではお話はしません』などと述べ、また、2回目の面談でも『それ(処分の内容)は話せません、今は話せない。この今の状況も聞いてますし』などと述べるなど、慎重な言い回しを用いて(懲戒)処分の内容等をいまだ検討中であるという旨を告げ、既に懲戒解雇とすることが決定しているかのような誤解を与えないよう細心の注意を払って対応していたといえる。この点、確かに、原告が『私も家族がおりますので、解雇となった場合に次のステップを踏むときに、やっぱりそれが不要なものになりますので、それは避けたいと思います」などと述べていることから、原告が(懲戒)解雇となることを恐れ、少なくとも、それを回避することが、退職に合意する旨の発言をした動機の一つとなったこと自体は認められるものの、被告事務部長の退職勧奨が不法行為法上違法であるかは、原告の主観のみによって決せられるべきものではなく(換言すれば、結果的に原告が被告事務部長の言動の趣旨・意図を誤信したからといって(それが退職合意の無効原因となるかは措くとしても)当該言動が直ちに不法行為法上違法となるものではなく)、一般通常人の捉え方を基準として客観的に決せられるべきものであることからすれば、上記で説示したとおり、被告事務部長の退職勧奨に虚偽の告知が含まれていたとまでは評価できないといわざるを得ない。」

「なお、被告事務部長は、原告に対し、1回目の面談において『当院として厳しい処分を検討してます」と述べるなどして、懲戒処分を検討している旨を告げているが、本件病院として、懲戒処分を検討していること自体は真実であって、前記認定事実・・・のとおり、原告の非違行為を推認させる相応の客観的資料を既に取得していたことに照らせば、懲戒解雇に至らないとしても何らかの懲戒処分がされる可能性は否定できない状況にあったのであるから、そのような状況下において、原告に対し、将来の転職活動等に際して懲戒処分歴があることによって生じる不利益を回避させる目的で、懲戒処分を検討している旨を告げた上で、合意退職とするかの判断を委ねること自体が社会通念上許容されないとはいえず、少なくとも不法行為法上違法であるなどとはいえない。」

3.自由な意思形成を妨げているとはいえないのか?

 本件の使用者は、原告が退職勧奨を断ったら懲戒解雇されると誤信していることを認識していたはずです。懲戒解雇する意思がなかったとしたら、このような誤信を訂正しないばかりか、奇貨として利用し、合意退職に持っていくことは、労働者の自由な意思形成を妨げているように見えます。

 しかし、裁判所は、被告らの行為の違法性を否定しました。

 このような裁判例が出ると、懲戒解雇の困難性を自覚しながらも、厳しい処分を示唆し、労働者の誤信を誘発して辞職を迫るといった態様での退職勧奨の横行が懸念されます。使用者側の言動が虚喝かどうかを見極める必要があることも考えると、退職勧奨を受けた方には、その場で返事をすることなく、速やかに対応を弁護士に相談することが推奨されます。

 

解雇事案は就業規則の文言に注意-改善の兆しさえあれば解雇を否定できることがある

1.労働契約法16条よりも解雇に厳しい就業規則の存在

 労働契約法16条は、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定しています。この条文により、使用者による解雇には厳しい制限が課せられています。

 この条文とは別に、使用者には就業規則を作成する際、解雇事由を定めておくことが求められています(労働基準法89条3号)。

 使用者が作成するという都合上、就業規則で定められている解雇事由が、労働契約法16条の解釈・適用に関する裁判例群からうかがわれる相場水準よりも、更に解雇権の行使を制約する形になっていることは、なさそうにも思われます。

 しかし、実際に労働相談の場面で就業規則の文言を検討していると、解雇権の行使が可能な範囲を労働契約法16条が想定しているよりも更に限定しているかのように理解できる規定を目にすることは少なくありません。最近行われた弁護士会の研修においても高名な弁護士が言及していましたが、このような場合に地位確認請求を認容してもらう可能性を高めるためには、就業規則に規定されている解雇事由への該当性を厳しく問題にして行くことになります。

 近時公刊された判例集にも、解雇事由を定める就業規則の文言が労働者側の有利に働いたと思われる裁判例が掲載されていました。大阪地判令4.1.28労働判例ジャーナル124-48 デンタルシステムズ事件です。

2.デンタルシステムズ事件

 本件で被告になったのは、コンピュータシステムの開発・販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、令和元年12月27日に被告から雇用され、令和2年2月1日から被告から令和2年7月31日まで営業担当職員として勤務していた方です。令和2年7月31日、同日付けで被告から解雇と言い渡されました(本件解雇)

 本件解雇は解雇通知書によって行われ、そこには、

「当社の上半期の業績が前年比50%減で1億6000万円の赤字であり、貴殿に対し営業活動の指導を行ったにもかかわらず、行動の変化が見られなかったため当社就業規則第47条(解雇)第1項〔1〕に基づき2020年7月31日をもって解雇いたします。」

と書かれていました。

 そして、解雇通知書で引用されている就業規則47条(解雇)第1項〔1〕には、

「勤務成績又は業務能率が著しく不良で、向上の見込みが無く、他の職務にも転換できない等就業に適さないとき」

と書かれていました。

 こうした条項に基づく解雇は違法であるとして、原告が被告に対して地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、解雇の有効性を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告に営業担当職員として採用され、令和2年2月から被告における勤務を開始したものであるが、なかなか顧客からの受注を取り付けることができず、同年7月31日の本件解雇に至るまでの原告の受注件数は3件にとどまった。上記受注件数は、被告から示された同年6月に2件、同年7月に3件とのノルマを下回るものであった。

「しかし、原告が取り扱っていた商品は、歯科医院で使用するレセプト作成補助用のソフトウェアであり・・・、その性質上、顧客側のニーズは限定的で、被告の営業担当職員が顧客に対して営業をかけても、容易く契約を受注することができるものではなかったといえる。加えて、同年4月10日から同年5月6日までの期間においては、新型コロナ感染症拡大の影響により、被告においても対面での商談が禁止されていたところであり・・・、原告は、同時期において未だ試用期間中又は試用期間が終了して間がなく、被告における業務の経験も少なかったから、同時期及びその直後頃において原告が的確な営業活動を行うことは困難であったといえる。原告の上司であったCも、同時期頃における原告の業務内容について、特段苦言を呈するようなことはなかった・・・。」

「上記のような環境に置かれつつも、原告は、同年7月の1か月間に合計3件の契約を受注することに成功し、これを受けて、Cは、原告に対し、同月27日、『3本目の受注おめでとうございます。7月は今週までなので、遠慮なく、5本受注まで張り切っていきましょう。』と述べて原告を労うとともに、更なる奮起を促すなどしていた・・・。また、原告は、業務に関するCとのコミュニケーションを密に行い、Cのアドバイスに素直に従って必要な業務に従事し、Cから当日の業務内容と翌日の業務予定を報告するよう求められればこれに速やかに応じ、Cから受注件数を増やすために検討している対応策を尋ねられればこれに的確に回答し、Cも原告の回答内容を肯定的に捉えていた・・・。」

「以上によれば、確かに、採用当初における原告の営業成績は振るわないものであったとはいえ、本件解雇がされた令和2年7月末頃には、原告の勤務成績又は業務能率には改善の兆しが見え始めていたのであって、原告の勤務成績又は業務能率が著しく不良である状況が将来的にも継続する可能性が高かったものと証拠上認めることはできない。Cとのコミュニケーションの取り方から見て取れる原告の勤務態度等にも鑑みれば、原告の勤務成績又は業務能率につき、向上の見込みがなかったとはいえない。

(中略)

以上のとおりであって、在職中における原告の営業成績は振るわないものであったとはいえ、本件解雇がされた令和2年7月末頃の時点において、原告の勤務成績又は業務能率に向上の見込みがなかったとはいえないから、原告に就業規則所定の解雇事由は認められない。また、仮に解雇事由が認められる余地があったとしても、原告を解雇せざるを得ないほどの事情があるものと証拠上認めることはできない。

「よって、本件解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないから、解雇権を濫用したものとして無効となる(労働契約法16条)。」

3.改善の兆しが見えている

 入社以来、原告の方は、ノルマを達成することができていませんでした。入社から4か月は契約0件で、5か月目に2件、6か月目に3件の契約を得ただけでした。

 絶対値で評価する限り、営業職として中途採用された原告は、解雇されても不思議ではなかったように思われます。しかし、解雇事由が就業規則上、

「勤務成績又は業務能率が著しく不良で、向上の見込みが無く、他の職務にも転換できない等就業に適さないとき」

と規定されていた関係で、被告では「向上の見込み」がないことまで立証できなければ解雇が認められない形になっていました。裁判所は、

「就業規則所定の解雇事由は認められない。また、仮に解雇事由が認められる余地があったとしても、原告を解雇せざるを得ないほどの事情があるものと証拠上認めることはできない。」

などと持って回ったような表現をしていますが、これは仮に労働契約法16条所定のハードルを満たす解雇事由があったとしても、現に契約数が増加傾向にある以上、被告の就業規則の規定のもとでは解雇事由を認めることができないということが言いたかったのではないかと思われます。

 書式を流用しているのか不明ですが、冒頭で述べたとおり、解雇のハードルを労働契約法16条の水準より更に上げている就業規則を見ることは、実務上それほど珍しいわけではありません。

 こうした場合、いきなり労働契約法16条の解釈論に飛びつくのではなく、飽くまでも就業規則の文言との関係で解雇の可否を議論して行かなければならないことに留意する必要があります。

 

東京都立葛西南高等学校定時制で労働法教育の授業

 私の所属している第二東京弁護士会労働問題検討委員会には、労働法教育部会というグループがあります。このグループでは、高校や大学などの各種学校から依頼を受け、ワークルールの授業をやっています。

特別委員会|第二東京弁護士会ひまわり

 本日、労働法教育部会の活動の一環として、東京都立葛西南高等学校定時制で労働法教育の授業が行われました。講師は三人の弁護士で担当しており、その中の一人として私も授業に参画しました。

 授業は、

クイズ形式で基本的なワークルールを確認する、

ワークルールを具体的な事例にあてはめて、どのような結論になるのかを考えてみる、

具体的な事例を素材にロールプレイをして、ワークルールの使い方を体験する、

の三部構成で行いました。

 質問をしてみると、鋭い指摘が返ってくることが多く、講師である私にとっても大変良い刺激になりました。

 労働事件に関する相談を受けていると、初動での対応の誤りが事件化を難しくしている事案を見ることが少なくありません。例えば、解雇事件としてであれば比較的容易に勝ち切れるのに、退職勧奨に応じて退職合意書を取り交わしてしまっているといったようにです。

 基本的なワークルールを知っているのか、よくあるトラブル事例における使用者側からの典型的な働きかけを体感したことがあるのかは、就職して働き始めた後、労働者としての権利や利益を守り切ることができるのかどうかに大きく影響するのではないかと思います。

 就職を控えた高校生や大学生が労働法について知る機会を持つことは、とても大切なことです。こうした活動に関わる機会を得られ、大変嬉しく思っています。

 このブログを読んだ学校関係者の方で、ご興味がおありの方は、お気軽にご連絡頂ければと思います。

 

年俸制-裁量性に乏しい計算式を持っていたとしても労働者への事前開示がなければ減額査定・減額決定は許されない

1.年俸制と減額査定

 年俸制とは、毎年の評価に基づいて基本給(年俸)を決定する仕組みをいいます(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕584頁参照)。契約が複数年度に渡る場合、年俸は使用者の査定に基づいて増減するのが一般的です。

 ただし、評価が低いことを理由に使用者側で一方的に賃金を減額する措置が適法であるといえるためには、①能力・成果の評価と賃金決定の方法が就業規則等で制度化されて労働契約の内容になっており、かつ、②その評価と賃金額の決定が違法な差別や権利濫用など強行法規違反にならない態様で行われたことが必要になると理解されています(前掲『詳解 労働法』604頁参照)。

 昨日、①の要素との関係で、抽象的な考慮要素が掲げられているだけでは、減額査定・減額決定をすることができないと判示した裁判例をご紹介しました(東京地判令4.2.8労働判例1265-5 学究社(年俸減額)事件)。

 しかし、学究社(年俸減額)事件で興味深いのは、これだけではありません。裁量性に乏しいルールのもとで運用されていても、やはり減額査定・減額決定は許されないとしたことにも目を引かれます。

2.学究社(年俸減額)事件

 本件で被告になったのは、中学・高校・大学への受験指導を行う進学塾を経営する株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期限の定めのない労働契約を締結し、専任講師として就業していた方2名です。

 平成30年度の年俸を通知するにあたり、被告が原告らに交付した年俸通知書には、来期における年俸額の査定について、

「校舎成績(前年度との利益差額や利益増加率と昇給率とを紐づけたもの 括弧内筆者)を考慮した上で、授業アンケート結果及び人事考課に基づき昇給率を定める」

という言葉と共に、実務知識、判断力、企画力、折衝力などの評価項目が書かれていました。

 これだけ見ると抽象的な評価項目が掲げられているだけで、客観性・具体性・合理性に乏しい査定をしているようにも見えます。

 しかし、本件においては、裁量性に乏しい内部運用基準が設けられ、これに基づいて査定が行われているという特徴がありました。具体的に言うと、被告は「年俸改定機械判定の算出方法」という裁量性に乏しい計算式・関数を用いて次年度の年俸を計算していました。

 本件では、こうした恣意の介在する余地に乏しい運用がされていた場合でも、やはり制度的な合理性が担保されておらず、年俸を減額査定・減額決定することはできないのかが問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、やはり減額査定・減額決定は許されないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、『年俸改定機械判定の算出方法』も原告らと被告との間の個別合意の内容となっており、原告らの令和元年度年俸額及び原告X1の令和2年度年俸額は、このような被告の恣意的判断が入る余地のない客観的で公正な基準を用いて昇給率を定め、これを基に算定された以上、有効であると主張する。」

「しかしながら、前記前提事実・・・によれば、『年俸改定機械判定の算出方法』は、被告が年俸制の従業員の年俸額を算定するために設けた内部運用ルールであり、これが原告らに開示されたのは、被告によって原告らの令和元年度年俸の額が一方的に決定された後のことであると認められる。このような『年俸改定機械判定の算出方法』の作成経緯や開示の時期に照らすと、原告らと被告が、被告による原告らの令和元年度年俸額の決定の前に、『年俸改定機械判定の算出方法』を年俸額算定の際に用いる昇給率を定める基準とすることに合意をしていなかったことは明らかである。

「また、被告は、原告X1については平成29年度から、原告X2については平成28年度から、『年俸改定機械判定の算出方法』に基づいて原告らそれぞれの年俸額を算定して提示し、原告らはこのようにして算定された年俸額にそれぞれ同意したのであるから、『年俸改定機械判定の算出方法』によって年俸額を決定することに同意していたと主張する。」

「しかしながら、原告らが被告の提示した年俸額に同意したからといって、その算出方法についてまで同意をしていたと当然にいうことはできない。前記のとおり、被告が原告らに『年俸改定機械判定の算出方法』を開示したのは、原告らそれぞれの令和元年度年俸の額が決定された後のことであり、被告の主張や提出証拠を検討しても、それ以前に被告から原告らに対し『年俸改定機械判定の算出方法』が説明され、原告らとの間でこれに基づいて昇給率を定めて年俸額を算定することについて合意をしたことは認められない。」

3.周知されていなければ幾ら内部基準が整備されていてもダメ

 以上のとおり、裁判所は、労働者に事前に周知されていないルールに基づいて減額査定・減額決定を行うことを否定しました。

 これは事前に知らされていないルールに基づく賃金減額を否定したもので、汎用性の高い判断を示したものといえます。賃金の査定がブラックボックスになっている会社は少なくなく、他の事案への波及が期待されます。

 

年俸制-抽象的な考慮要素を挙げるだけでは賃金の減額査定・減額決定はできない

1.年俸制と減額査定

 年俸制とは、毎年の評価に基づいて基本給(年俸)を決定する仕組みをいいます(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕584頁参照)。契約が複数年度に渡る場合、年俸は使用者の査定に基づいて増減するのが一般的です。

 ただし、評価が低いことを理由に使用者側で一方的に賃金を減額する措置が適法であるといえるためには、①能力・成果の評価と賃金決定の方法が就業規則等で制度化されて労働契約の内容になっており、かつ、②その評価と賃金額の決定が違法な差別や権利濫用など強行法規違反にならない態様で行われたことが必要になると理解されています(前掲『詳解 労働法』604頁参照)。

 このうち①の要素との関係で、近時公刊された判例集に興味深い裁判例が掲載されていました。東京地判令4.2.8労働判例1265-5 学究社(年俸減額)事件です。何が興味深いのかというと、抽象的な考慮要素が掲げられているだけでは、減額査定・減額決定をすることができないと判示している点です。

2.学究社(年俸減額)事件

 本件で被告になったのは、中学・高校・大学への受験指導を行う進学塾を経営する株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期限の定めのない労働契約を締結し、専任講師として就業していた方2名です。

 平成30年度の年俸を通知するにあたり、被告が原告らに交付した年俸通知書には、来期における年俸額の査定方法として、次のようなことが書かれていました。

「校舎成績(前年度との利益差額や利益増加率と昇給率とを紐づけたもの 括弧内筆者)を考慮した上で、授業アンケート結果及び人事考課に基づき昇給率を定める。」

「能力・態度に関する評価

① 実務知識

  教務や事務などの実務に関する知識が十分であるか

② 判断力

  仕事における判断は的確かつ迅速であるか

③ 企画力

  アイディアは発想豊かで実現価値の高いものであるか

④ 折衝力

  担当する立場から内外の相手とうまく折衝し、仕事を進められるか

⑤ 規律性

  基本動作や服装規定などの職場のルールを守れるか

⑥ 協調性

  皆と協調して仕事を行えるか

⑦ 積極性

  自ら仕事を求めているか

⑧ 責任感

  諦めずに最後までやり遂げられるか」

「その他の目標設定
・・・『業績評価』の項目のうち、重視する項目について具体的に設定する。」

 これに基づいて年俸を減額された原告らが、被告に対し、年俸の減額措置が無効であるとして差額賃金等の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では査定に基づく減額の可否が問題になりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、被告による年俸額の決定は無効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告らは、被告との間で平成30年度年俸通知書記載の内容で平成30年度年俸について合意した際、令和元年度年俸の額は、①部門配賦後営業利益を基準に、②能力・態度に関する評価や③設定した目標に関する評価を考慮して査定し、平成30年度年俸額からの昇給率を定めることによって決定すること、特に専任講師である原告らの場合には、上記①の要件に関して『校舎成績を考慮した上で、授業アンケート結果及び人事考課に基づき昇給率を定める。』ことに合意したことが認められる。」

(中略)

「以上によると、原告らと被告は、それぞれ平成30年度年俸について合意した際、令和元年度年俸の査定方法について、平成30年度年俸を基に、これにマイナスの場合も含む『昇給率』を乗ずることによって定めることを合意したことが認められる。」

(中略)

「前記・・・によると、被告には、原告らの年俸額の決定に関して、本件給与規定28条(4)及び平成30年度年俸通知書による個別合意という一応の根拠があることが認められる。」

「しかしながら、上記個別合意において原告らと被告が合意した令和元年度年俸額の決定方法は、平成30年度の年俸額に原告らが所属する校舎の部門配賦後営業利益又は校舎成績を主な基準として査定することによって定められる昇給率を乗ずることによって算定するというものである。この年俸額決定方法では、昇給率が定まらなければ次年度の年俸額を具体的に決定することができないが、上記個別合意では、この昇給率の定め方について、各校舎の部門配賦後営業利益を基準に査定するとか、『校舎成績を考慮した上で、授業アンケート結果及び人事考課に基づき定める』などと極めて抽象的にしか定めておらず、各校舎の部門配賦後営業利益や校舎成績をどのように考慮し、どのような基準で昇給率を決定するのかを定めていない。

このように上記個別合意において昇給率を定める具体的な基準を定めていないことについて、当事者の意思をどのように解すべきかが問題となるが、賃金が労働条件の中でも最も重要なものの一つであり、このような労働条件は、労働者及び使用者が対等の立場で合意して決めるべき事項であること(労働契約法3条、労働基準法15条、89条参照。)に照らすと、上記個別合意の定めは、被告と原告らが客観的で合理的な昇給率の定め方を合意した場合に、これに従って被告に原告らの年俸額を査定、決定する権限を付与することを合意したものと解するのが相当である。

「この点、被告は、上記個別合意が昇給率を定める具体的基準を設けていないのは、被告に校舎成績等を考慮して原告らの昇給率を定める権限を与える趣旨であると主張しているとも解されるが、このような解釈は、実質的に、被告に年俸額決定について無限定の裁量を与えたと解するものであり、労働基準法15条、89条や労働契約法3条の趣旨に反するものであるから、当事者の客観的・合理的意思に適うものとはいえず、採用できない。」

本件では、上記のとおり、昇給率の定め方について抽象的な考慮要素を挙げるだけで、それ以上の客観的、具体的ないし合理的な基準について合意をしていないから、被告は、上記個別合意に基づき、原告らの具体的な年俸額を査定、決定する権限を有しているとは認められない。したがって、被告によって一方的にされた原告らの令和元年度年俸額の決定及び原告X1の令和2年度年俸額の決定は、いずれも法的根拠を欠くものであり、無効というべきである。

3.抽象的な考慮要素を挙げるだけではダメ

 個人的な実務経験に照らすと、賃金の査定にあたり、抽象的に考慮要素だけを掲げている会社は少なくないように思われます。

 また、本裁判例の射程をどうみるかに関していうと、裁判所の判示事項は年俸制に限った話ではなく、査定により賃金を減額する場合一般にも当てはまる法理であるように思われます。

 査定による賃金減額に対抗するため、本裁判例は広く活用できる可能性があります。