弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

防塵マスクを着用して就労した医師を解雇することは許されるか?

1.新型コロナウイルス感染に対する不安

 新型コロナウイルスに感染する不安を感じながら働いている医療従事者の方は、少なくないのではないかと思います。特に、勤務先である病院から感染防止に十分な装備を支給してもらえない場合、その不安は、察するに余りあるものがあります。

 それでは、装備品の支給が十分ではない場合に、やむなく備品を自己調達して身に付けていたことは、医療従事者を解雇する理由になるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。さいたま地判令3.1.28労働判例ジャーナル109-2 医療法人社団和栄会事件です。

2.医療法人社団和栄会事件

 本件で被告になったのは、病院を開設して運営する医療法人社団らです。

 原告になったのは、医師の方です。原告と被告和栄会は、人材紹介会社を通じ、期間を令和2年4月1日から令和3年3月31日までとする雇用契約を交わしました。

 令和2年4月1日、原告は勤務を開始しましたが、当時品薄であったN95規格のマスクの代わりに、同等の性能を有するとされるRL2規格の防塵マスク等を着用して勤務を開始しました。

 これに対し、被告和栄会は、マスクや手袋等が患者及び近親者の不安をいたずらに惹起しているなどと主張し、原告を即日解雇しました。これを受けた原告が、解雇の無効を主張し、地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。

 本件では防塵マスクの着用等が解雇事由になるのかが争われましたが、裁判所は、次のとおり述べて、これを否定しました。

(裁判所の判断)

「原告が令和2年4月1日に本件装備を着用して所沢腎クリニック及び所沢第一病院内であいさつ回りなどをしたことが、被告和栄会所沢腎クリニックの就業規則84条所定の懲戒解雇事由に該当すると認めることはできない。以下、順に述べる。」

「まず、同条ト(故意又は過失によりクリニックに重大な損害を与えたとき)及びチ(患者の個人的秘密を他に漏らしまた、患者に対し不自由・不都合な行為をしたと認められたとき)についてみるに、被告和栄会の主張する損害や不都合は、原告の姿が奇異であったことから、数名の来訪者から職員に対して新型コロナウイルス感染者が出たのかといった問い合わせがあったというようなものであるが、このような問い合わせがあったことを客観的に裏付ける証拠はないばかりか、仮にかかる問い合わせがあったとしても、クリニックに重大な損害が生じたというには足りないし、本件装備の着用自体が患者に対する不都合な行為に当たるということもできない。その他、本件全証拠をもっても、原告の上記行為によって、所沢腎クリニックに具体的な損害が生じたこと、同クリニックの患者に対して何らかの不自由、不都合が生じたことを認めるに足りる証拠はない。」

「次に、同条ヌ『破廉恥行為によりクリニックの名誉を汚したとき』についてみると、この懲戒事由が、『また刑事訴追を受け有罪と判決確定したとき』と並列に挙げられていることからすれば、ここにいう「破廉恥行為」は、倫理上、道義上負うべき義務に違反する行為で、かつその違反の程度が重大なものをいうと解するのが相当である。そして、原告の着用していたマスクは医療現場向けでない大仰な形状もので、奇異に感じる者がいるかもしれないが、被告和栄会において職員の服装に関する特段の規則はないこと、原告は白衣を着用しており、マスクの点を除いて特段奇異な服装をしていたとはいえないことに加え、当時、未知のウイルス感染が拡大傾向にあり、マスクが入手困難な状況であったことは公知といえること、被告和栄会において代替のマスクを提供する等の対応をしなかったこと等を併せ考えれば、本件装備が上記の『破廉恥行為』に当たるということはできない。

「そして、既に判示したところによれば、原告の行為が、同条カ(その他前各号に準ずる不都合な行為があったとき)に当たるということもできない。」

「したがって、被告和栄会が原告を懲戒解雇したことは、就業規則上の根拠を欠くものであり、無効である。」

3.当然の結論であろうが・・・

 防塵マスクをつけていた程度のことで即日解雇するといった乱暴なことが認められないのは、直観的には当たり前であるように思われます。

 ただ、直観的に当たり前であることでも、裁判例上の根拠があるのとないのとでは、実務的には大きな差があります。装備品の支給が不十分である場合に、個々の職員が自己調達した装備品を身に付けることは、使用者からすると、あてつけであるかのように捉えられ、あまり良い気分はしないのかも知れません。しかし、だからといって、やむなく自衛を図っている医療従事者を即時解雇するという乱暴な手段をとることが正当化されることはありません。

 マスクの品薄等は既に一定程度解消されているとは思われますが、類似した理由で解雇されてしまった医療従事者の方は、その効力を争うことを検討してみても良いかも知れません。

 

身体障害を有する年少者も健常者と同様の賃金条件で就労する可能性があるとされた例

1.障害者の逸失利益

 事件や事故で被害を受けた方は、加害者に対して損害賠償を請求することができます。賠償を求めることができる損害の一つに「逸失利益」という項目があります。これは、事件や事故がなければ、得られていたはずの利益をいいます。例えば、事件や事故で重い後遺障害が残って十分に働けなくなってしまった場合、被害者は、事件や事故がなかったとすれば得られたであろう稼働収入の賠償を求めることができます。

 この逸失利益の計算は、

事件や事故がなかたとすれば、どれだけの利益を得る蓋然性があったのか

という観点から積算されます。

 現在の社会状況のもとでは、健常者と障害者とでは、残念ながら得られる収入に一定の格差があります。そのため、同じような事件や事故に遭って、似たような被害を受けた場合でも、損害賠償として請求できる逸失利益は、被害者が健常者である場合と障害者である場合とで、顕著な差異が生じることになります。

 しかし、近時公刊された判例集に、全盲の障害者の逸失利益について、健常者と同様の賃金条件で就労する可能性があったと言及した裁判例が掲載されいていました。山口地下関支判令2.9.15労働判例1237-37 視覚障害者後遺障害逸失利益等損害賠償請求事件です。

2.視覚障害者後遺障害逸失利益等損害賠償請求事件

 本件は交通事故の被害者による損害賠償請求事件です。

 原告になったのは、全盲の視覚障害者の方です。交通事故に遭った当時、盲学校高等部に在籍する17歳の女子児童でした。

 原告の方は、交通事故により、脳挫傷、両肺挫傷、頭蓋顔骨多重骨折等の重症を負いました。その後、治療を蹴続しましたが、高次脳機能障害、発生困難、歩行困難、嗅覚脱失、味覚脱失、左難聴などを含む重篤な後遺障害が残りました(併合1級)。

 こうした損害を受けた女子児童及びその両親が、接触事故を起こした自動車の運転手に対し、損害賠償を求めたのが本件です。

 本件の争点は多岐に渡りますが、その中の一つに逸失利益の認定があります。

 原告側は

「現在の日本の障害者法制は、障害者権利条約の基本理念に基づいているところ、国家機関の一翼を担う裁判所が障害者の逸失利益を算定するに当たっても、上記基本理念である『他の者との平等を基礎とし』なければならない。また、障害者の受ける制限が社会に由来するという認識に立ち、障害のある子供も、他の子供と同様に能力や可能性を秘めた人格ある主体であることを原則とし、障害者に、障害のない者と平等の機会が与えられ、合理的配慮のもとその能力を有効に発揮して働くことのできる社会が実現できることを前提として、逸失利益を算定することが法の要請である。」

と述べ、健常の年少者と同様に、賃金センサスの男女計、全年齢、学歴計の平均賃金を基礎収入として算定すべきであると主張しました。

 これに対し、被告側は、逸失利益について身体障害者の平均賃金をもとに計算すべきだと主張しました。

 裁判所は、この問題について、次のとおり述べ、原告の方が健常者と同様の賃金条件で就労する可能性を認めました(ただし、そのような社会の実現には所要の年数を要するとし、最終的には賃金センサスの7割を基礎収入として認定しています)。

(裁判所の判断)

「不法行為により後遺症が残存した年少者の逸失利益については、将来の予測が困難であったとしても、あらゆる証拠資料に基づき、経験則とその良識を十分に活用して、損害の公平な分担という趣旨に反しない限度で、できる限り蓋然性のある額を算出するように努めるのが相当である。」

「そこで検討するに、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告X1と同様の視覚障害のある者の雇用実態に関する公的な調査結果が判然としないこと、厚生労働省による平成25年度障害者雇用実態調査において、平成25年10月の身体障害者(身体障害のある被調査者の内訳は、肢体不自由が43%、内部障害が28.8%、聴覚言語障害が13.4%)の平均賃金が22万3000円であったことが認められる。これらの事実に加えて、本件全証拠によっても、上記調査以降に賃金格差や就労条件等が明らかに変わったと窺える事情も見当たらないことを踏まえると、現時点において、健常者と身体障害者と間の基礎収入については、差異があるといわざるを得ない。

「一方、証拠・・・によって認められる、我が国における近年の障害者の雇用状況や各行政機関等の対応、障害者に関する関係法令の整備状況、企業における支援の実例等の事情を踏まえると、身体障害を有する年少者であっても、今後は、今まで以上に、潜在的な稼働能力を発揮して健常者と同様の賃金条件で就労することのできる社会の実現が図られていくと認められる。また、証拠・・・によれば、原告X1は、本件事故時17歳であったこと、平成16年3月に□□盲学校小学部を卒業したこと、同年4月に△△盲学校中学部に入学し、平成18年4月に□□盲学校中学部に転入するまで在籍していたこと、平成19年3月に同学校中学部を卒業し、同年4月に同学校高等部普通科に入学したこと、平成30年度の△△盲学校中学部の卒業生全員が同学校上級部に進学し、高等部普通科や専攻科の生徒が大学や短大、就職をしている例もあること、原告X1が□□盲学校高等部に在籍していたときに職業見学や大学見学に参加していたこと等の事情が認められる。これらのことからすると、原告X1については、全盲の障害があったとしても、潜在的な稼働能力を発揮して健常者と同様の賃金条件で就労する可能性があったと推測される。他方、健常者と障害者との間に現在においても存在する就労格差や賃金格差に加えて、就労可能年数のいかなる時点で、潜在的な稼働能力を発揮して健常者と同様の賃金条件で就労することができるかは不明であるというほかなく、その実現には所要の期間の年数を要すると思われる。

以上の事情を総合考慮すると、原告X1にはその就労可能期間を通じて、平成28年賃金センサス第1巻第1表、男女計、学歴計、全年齢の平均賃金(489万8600円)の7割である342万9020円の年収を得られたものと認めるのが相当である。

3.三割は削られたが・・・

 上述のとおり、就労格差や賃金格差の是正に所要の年数を要することを根拠に賃金センサスから三割を減じた額を基礎収入にしました。

 減らされたのは残念ですが、それでも障害者にも健常者と同様の賃金条件で就労する可能性があると認定したことは、かなり画期的な判断であるように思われます。

 障害を持っている人は、ただでさえ生きにくい状態にのに、重篤な後遺障害まで負わされるとなると、かなりのハンディキャップを抱え込むことになります。こうした不利益を抱え込むことになりながら、健常者よりも大分少ない損害賠償金(逸失利益)しか認められないというのは、被害者保護の観点から問題があります。

 本判決は、こうした問題を是正する原動力となる可能性を持った裁判例として位置付けられます。

 

健康保険に加入させなかったことを理由とする疑似労働者の慰謝料請求

1.健康保険に加入させてもらえないという問題

 健康保険法上の「被保険者」は「適用事業所に使用される者及び任意継続被保険者をいう」と定義されています(健康保険法3条1項参照)。

 事業所との間で業務委託契約を締結し、個人事業主として働いている人は「使用される」関係にないため、健康保険の被保険者にはなりません。

 しかし、業務委託契約など雇用以外の法形式がとられていたとしても、実質的に労働者と変わらないような働き方をしている人は、少なくありません。こうした疑似労働者の方々は、適用事業所に「使用される」関係にあるにも関わらず、事業所側が「使用される」関係にあるとは認識しないため、健康保険法上の蚊帳の外に置かれることになります。

 それでは、こうして蚊帳の外に置かれた疑似労働者の方が、自らの労働者性を主張して、事業所側に対して、慰謝料等の損害賠償を請求することはできないのでしょうか?

 この問題を考えるにあたっては、幾つかの問題があります。

 主なものを挙げると、

健康保険に加入させる義務は公法上の義務であるところ、これを個々の労働者に対する私法上の義務としても構成できるのか、

被保険者資格は健康保険法上の確認請求(健康保険法51条、同法39条)によって取得可能であるにもかかわらず、損害賠償請求まで認める必要があるのか、

損害はどのように構成されるのか、

といった問題があります。

 そのため、疑似労働者による労働者性の主張が認められたとしても、それだけで直ちに健康保険未加入を理由とする損害賠償請求まで可能になるわけではありません。

 昨日、一昨日とご紹介している名古屋地判令元.9.24 名古屋高判令2.10.23労働判例1237-18 NOVA事件は、上述のような議論状況のもと、疑似労働者による健康保険未加入を理由とする損害賠償(慰謝料)請求を認めた事案としても意義があります。

2.NOVA事件

 本件は著名な英会話教室の英会話講師として働いていた原告(被控訴人)らが、勤務先である株式会社NOVAを被告(控訴人)として、

原告らと被告との間の契約は、形式上業務委託契約とされていたが、実質的には労働契約である、

労働者であるのに、被告は年次有給休暇を請求させてくれなかった、

労働者であるのに、被告は健康保険に加入させてくれなかった、

と主張して、不法行為などの法律構成をとり、慰謝料等の支払いを求める訴えを提起した事件です。

 一審裁判所は、原告らの労働者性を認めたうえ、健康保険の未加入をめぐる問題について、次のとおり判示しました。なお、この判示は、控訴審でも取り消されることなく維持されています。

(裁判所の判断)

健康保険法3条3項各所定の適用事業所の事業主は、健康保険法48条に基づき、健康保険の被保険者の資格取得等の届出をすべき義務を負うものと規定されるが、この届出義務は、単なる公法上の義務にとどまらず、労働契約の当事者である使用者は、労働者に対し、労働契約に付随する信義則上の義務又は不法行為上の作為義務として、上記被保険者資格得喪等の届出を適正に行うべき義務を負い、同義務を怠った場合は、労働契約上の債務不履行責任又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うと解するのが相当である。

(中略)

「これらの事情を総合的に勘案すると、少なくとも原告X1以外の原告らについては、短時間労働者として被保険者から除外するということは相当ではなく、健康保険法上の被保険者に当たるというべきである。」

「そうすると、被告は、原告X1以外の原告らについて前記届出義務を怠ったことについて、労働契約上の債務不履行責任又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うものといわざるを得ない。」

「そこで、損害の有無及び損害額について検討するに、原告X2、原告X4、原告X5については、国保料の全額を経済的損害として計上しているものの、健康保険でも保険料の半額は労働者が負担しなければならないことに照らすと、国保料の全額を損害としてみるのは相当ではなく、国保料の負担については慰謝料算定の一事情として考慮するに留めるのが相当と思料される。

「また、原告X3及び原告X6については、被告の上記届出義務違反により、無保険状態という不安定な状況におかれたことは否定できないものの、これにより具体的にどのような不利益を被ったのか明らかでないこと、健康保険の保険料の負担をしていないことも考慮すると、原告らが主張するような1人50万円もの慰謝料を認めるのは相当ではない。

これらの検討に原告らの被告での各在籍期間その他本件口頭弁論に顕れた一切の事情を勘案して、原告X4について15万円、原告X2及び原告X5について各10万円、原告X3及び原告X6について各3万円の限度で慰謝料額を認めるのが相当である。

3.金額は少ないが・・・

 上述のとおり、健康保険に加入させてもらえなかったことについて、裁判所は慰謝料請求を認めました。金額は僅少ですが、疑似労働者の保護に資する判断を示した裁判例として参考になります。

 

疑似労働者に対する有給休暇の取得妨害の認定

1.擬似労働者への年次有給休暇の取得妨害

 労働者の年次有給休暇の取得を妨害することは、不法行為を構成することがあります。ここでいう取得妨害とは、典型的には、労働者の年次有給休暇を取得する意思表示に対し、「事業の正常な運営を妨げる場合」(労働基準法39条5項)でもないのに、これを拒むことが考えられます。年次有給休暇を取得するという意思表示がないにもかかわらず、取得妨害の認定に至る例は、あまりありません。

 しかし、このことは、疑似労働者(業務委託契約など労働契約以外の契約で働いているものの、その実体において、法的には労働者と扱うことが正当とされる者)にも妥当するのでしょうか?

 疑似労働者の方は、紛争が顕在化するまでの間、自分のことを労働者であるとは思っていないのが普通です。年次有給休暇を取得する権利があるという発想自体なく、事実として年次有給休暇を取得する旨の意思表示を行っていることもありません。

 こうした状況に置かれていたとしても、やはり、具体的な取得行為がなければ、有給休暇の取得妨害は成立しないという理解になるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、名古屋地判令元.9.24 名古屋高判令2.10.23労働判例1237-18 NOVA事件です。名古屋地裁の裁判例が一審で、名古屋高裁の判例はその控訴審です。

2.NOVA事件

 本件は著名な英会話教室の英会話講師として働いていた原告(被控訴人)らが、勤務先である株式会社NOVAを被告(控訴人)として、

原告らと被告との間の契約は、形式上業務委託契約とされていたが、実質的には労働契約である、

労働者であるのに、被告は年次有給休暇を請求させてくれなかった、

労働者であるのに、被告は健康保険に加入させてくれなかった、

と主張して、不法行為などの法律構成をとり、慰謝料等の支払いを求める訴えを提起した事件です。

 年次有給休暇の取得妨害について、原告らは、

「原告らは、雇入れの日から6か月間(原告X1においては1年6か月間)継続して勤務し、全労働日の8割以上出勤していた。原告らは、労基法上の労働者であるから、被告に対して年休権を有していた。」

「しかし、被告は、原告らとの契約が『業務委託契約』であると称して、原告らをして年休権がないものと誤信させ、違法にその行使を妨げた。」

「その結果、原告らは、精神的苦痛を被り、これを金銭に換算すると少なくとも別紙・・・記載のようになる。」

と主張しました。

 年次有給休暇を使いたいと言って使わせてもらえなかったことではなく、「業務委託契約」であると称し、年次有給休暇が存在しないものと誤信させたことが不法行為だという法律構成です。

 これに対し、一審裁判所は、原告らの労働者性を肯定したうえ、次のとおり述べて、被告の行為を年次有給休暇の行使を違法に妨げたものと評価しました。なお、この判示は、控訴審でも取り消されることなく維持されています。

(裁判所の判断)

「弁論の全趣旨・・・によれば、原告らが、雇入れの日から6か月間(原告X1においては1年6か月間)継続して勤務し、全労働日の8割以上出勤していたと認めるのが相当である。」

「前示判断のとおり、原告らは、労働基準法上の労働者に当たるから、被告に対して年休権を有していた。その日数は、労働基準法39条に従い、原告X1が21日、そのほかの原告らが10日となる。」

「しかるに、被告は、原告らとの契約を業務委託契約と扱い、原告らの年休権の行使を違法に妨げたと評価せざるを得ず、不法行為の成立を認めるのが相当である。

「その結果、原告らが被った精神的苦痛に関する慰謝料額については、年休権の日数、1レッスン当たりの報酬単価、原告らが授業代行事務費として1レッスン当たり500円を被告に支払う代替講師制度を利用していたことその他本件口頭弁論に顕れた一切の事情を勘案して、原告X1について20万円、そのほかの原告らについて各10万円の限度で認めるのが相当である。」

3.労働契約を業務委託契約と扱うこと=年次有給休暇の取得妨害

 本件では、原告側に有給休暇取得の意思表示があったわけではありません。これを妨害する何等かの具体的な行為が被告側にあったわけでもありません。

 しかし、裁判所は、労働契約を業務委託契約と扱うこと=年次有給休暇の取得妨害 だと判示し、不法行為の成立を認めました。

 これはかなり画期的なことだと思います。この理屈が通用するのであれば、労働者性が争点になる事案は、これに勝ち切れば、自動的に有給休暇の取得妨害に基づく慰謝料請求が認められることになるからです。

 例によって、慰謝料額がそれほど伸びるわけではありませんが、労働者性が争点となる事件を扱うにあたり、覚えておいて良い視点を提供する裁判例だと思います。

 

業務委託契約の形がとられている英会話講師の労働者性

1.業務委託契約か労働契約か?

 厚生労働省から委託を受けて、第二東京弁護士会では、フリーランス・トラブル110番という相談・紛争解決事業を実施しています。

『フリーランス・トラブル110番』の開始について|第二東京弁護士会

フリーランス・トラブル110番

 この相談・紛争解決事業は、複数の委員会を中心に運営されていますが、その中の一つに私の所属している労働問題検討委員会があります。委員会活動の一環として、私は、事業の運営に携わっているほか、相談担当に入ったり、相談内容を分析したりしています。

 そうした活動を通して得られた経験知の一つに、フリーランスの中には、労働者ではないかと疑われる方が、相当数含まれているということがあります。

 フリーランスの方からの相談は、労働者性を論証できれば解決する問題が少なくありません。

 例えば、違約金の存在で辞められないという問題があります。業務委託契約には、途中解約したら金〇円を支払うといったように、違約金の定めが置かれていることがあります。こういう条項が怖くて辞められないという悩みは、労働者性を論証することで、ある程度解決します。労働者性が認められれば、労働基準法16条の、

「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」

という規定が適用されるからです。もちろん、契約期間内に一方的に契約を破棄すれば、損害賠償のリスクがないとはいいませんが、損害賠償の範囲は発生した損害実額が上限となり、契約書に定められている違約金をそのまま払わなければならない事態には避けられます(そして、多くの場合、辞めたことによる損害の立証は困難です)。

 「明日から来なくてもいいと言われた。」という相談に対しても、労働者性の論証が有効であることは少なくありません。業務委託契約の場合、無理由解約が可能なのが原則であるため(民法651条1項参照)、「明日から来なくてもいい。」という主張も基本的には通ってしまいます。しかし、労働者であることが論証できれば、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定する労働契約法16条の適用を主張することにより、一方的な契約の解除を制限することが可能になります。

 そのほか、競業避止契約に拘束されるのか、休憩できない、働いていて怪我をしたといった問題にも、労働者であるという主張は大きな意味を持ちます。

 こうした相談に日頃から触れていることもあり、業務委託契約と労働契約の区別の問題には関心を持っていたところ、近時公刊された判例集に、目を引く裁判例が掲載されていました。名古屋地判令元.9.24 名古屋高判令2.10.23労働判例1237-18 NOVA事件です。名古屋地裁の裁判例が一審で、名古屋高裁の判例はその控訴審です。

2.NOVA事件

 本件は著名な英会話教室の英会話講師として働いていた原告(被控訴人)らが、勤務先である株式会社NOVAを被告(控訴人)として、

原告らと被告との間の契約は、形式上業務委託契約とされていたが、実質的には労働契約である、

労働者であるのに、被告は年次有給休暇を請求させてくれなかった、

労働者であるのに、被告は健康保険に加入させてくれなかった、

と主張して、不法行為などの法律構成をとり、慰謝料等の支払いを求める訴えを提起した事件です。

 本件では、原告らの労働者性が主要な争点になりました。

 この問題について、一審名古屋地裁は、次のとおり述べて、原告らの労働者性を認めました。一審の次の判示は、控訴審名古屋高裁でも変更されることなく維持されています。

(裁判所の判断)

「以下の事情を総合考慮すれば、原告らは、被告の指揮監督下において労務を提供していたものと評価することができるし、原告らの報酬についても労務の提供の対価として支払われたものとみることができる。以下のとおり原告らの専属性の程度が高いことも合わせ考慮すると、原告らは、被告との関係において、労働基準法上の労働者に当たると解するのが相当である。

-業務遂行上の指揮監督-

(ア)被告は、雇用講師と同様、委託講師のレッスンにもテキストの使用を義務付け、初回研修、その後のオブザベーション・フィードバックによって、テキストの使い方、マニュアルに沿った教授法を具体的に指示しており、委託講師の裁量は小さいと思料されること。

(イ)被告が、委託講師に対し、雇用講師と同様、ビジネス英語、TOEFL試験対策のレッスンに関する社内資格を取得するための研修を委託講師のスケジュールに盛り込み受講させていたこと。

(ウ)原告らが、レッスンに空き時間が出来た場合、雇用講師と同様、コーヒーマシーンの清掃、教室等の清掃、ゴミ出しなど施設の管理業務や、販促物(ティッシュ)配り、パンフレットの作成、カウンセリングにも従事していたこと。

(エ)被告が委託講師に対して雇用講師と同様の細かい服装に関する指示をしており、実際に被告のマネージャーが原告X3に対して注意していること。

(オ)被告自身、あくまで事前に確認し、同意を得た上としつつも、委託講師との間でレッスン場所やスケジュールを変更することがあることを自認している。また、原告X5や原告X6のように、委託講師についても、他校のヘルプとして契約外のレッスンに従事することがあること。」

-具体的仕事の依頼・業務従事の指示に対する諾否の自由-

委託講師は、受け持ちレッスン時間に生徒らの予約があれば、レッスンを実施しなければならず、その意味で個別のレッスンについて諾否の自由はない。この点は、本件契約書上、包括的に受け持ちレッスン時間のレッスンを受託しているとも解されるから、過度に重視できないが、指揮監督関係を肯定する方向に働く一事情といえる。

-勤務場所・勤務時間の拘束性-

レッスンの時間、レッスンを行う校舎は、予め契約によって決められており、その意味で勤務場所・時間の拘束が認められる。この点については、被告が指摘するように、業務の性質によるものとも解され得るが、レッスンがなくなった場合でも、その時間、当該校舎の販促業務や清掃業務等に従事しなければならなかったことも加味すると、やはり指揮監督関係を肯定する方向に働く一事情とみるのが相当である。

-報酬の労務対償性-

委託講師に対する報酬は、成功委託料も含めて1レッスン(44分間)を基準して支払われており、一定時間労務を提供したことに対する対価とみることができる。

-専属性-

確かに、被告が指摘するように、委託講師の兼業は可能であり、実際にその実績もあることは認定事実のとおりであるが、雇用講師も兼業を禁止されておらず、この点は労働者性を左右する程の事情であるとはいえない。

むしろ、委託講師は、契約期間中、競業避止義務を負わされており、被告と同様の英会話学校の業務に従事することができず、契約期間終了後も1年間、同様の義務を負わされていたこと、原告らが週5日、原告X1については週34コマ、その他の原告らについては週40コマのレッスンを担当しており、時間的余裕がなく、被告が指摘するような兼業は事実上困難であったと認められることからすれば、専属性は高いといえる。」

3.他の会社にも波及する可能性

 この種の業務委託契約は、業界単位で類似性が認められることが少なくありません。

 例えば、A配送会社が用いている業務委託契約書と、B配送会社が用いている業務委託契約書は類似点が結構あります。Cエステサロンで使っている業務委託契約書と、Dエステサロンで使っている業務委託契約書には、やはり共通点が多くみられます。

 業務委託契約を結んで英会話講師として働いている人は、かなりの数に及びますが、本判決は、そうした方々の労働者性の議論にも影響する可能性があります。

 社会的影響という観点からも、この裁判例は、銘記しておくべき裁判例だと思われます。

 

 

無期・フルタイムの労働者間での労働条件格差の問題にどう取り組むか

1.労働条件格差に対する法規制

 短時間労働者と無期正社員との間での労働条件格差、有期契約労働者と無期正社員との間での労働条件格差に関しては、

「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」

という名前の法律で是正が図られています。

 具体的に言うと、同法8条が、

事業主は、その雇用する短時間・有期雇用労働者の基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、当該待遇に対応する通常の労働者の待遇との間において、当該短時間・有期雇用労働者及び通常の労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下 『職務の内容』という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情のうち、当該待遇の性質及び当該待遇を行う目的に照らして適切と認められるものを考慮して、不合理と認められる相違を設けてはならない。

と不合理な待遇の禁止を規定し、同法9条が、

事業主は、職務の内容が通常の労働者と同一の短時間・有期雇用労働者(第十一条第一項において『職務内容同一短時間・有期雇用労働者』という。)であって、当該事業所における慣行その他の事情からみて、当該事業主との雇用関係が終了するまでの全期間において、その職務の内容及び配置が当該通常の労働者の職務の内容及び配置の変更の範囲と同一の範囲で変更されることが見込まれるもの(次条及び同項において『通常の労働者と同視すべき短時間・有期雇用労働者』という。)については、短時間・有期雇用労働者であることを理由として、基本給、賞与その他の待遇のそれぞれについて、差別的取扱いをしてはならない。

と差別的取扱いの禁止を規定しています。

 しかし、無期・フルタイムの労働者間での労働条件格差に関しては、これを直接規律する法令はありません。そのため、無期・フルタイムで同じ仕事に従事しているにもかかわらず、一方は高待遇で、他方は低待遇であるという場合があっても、これを是正するための法律構成は困難ではないかと思われてきました。

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、無期労働者間での労働条件格差を法益に争う余地を認めた裁判例が掲載されていました。大阪地判令2.11.25 労働経済判例速報2439-3 ハマキョウレックス(無期転換)事件です。

2.ハマキョウレックス(無期転換)事件

 本件は5年ルール(労働契約法18条1項)により無期労働契約に転換した労働者と元々の無期労働契約者との間での労働条件格差が問題となった事件です。

 被告になったのは、一般貨物自動車運送事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告と有期労働契約を締結していたトラック運転手の方です(原告X1、原告X2)。原告らの有期労働契約は更新され、労働契約法18条1項の5年ルールにより、無期労働契約に転換されました。

 しかし、被告の就業規則は、無期労働契約に転換した者を対象にした就業規則(契約社員就業規則)と、元からの無期労働契約者を対象にした就業規則(正社員就業規則)とに分けられていました。

 これに対し、原告らが、正社員就業規則に基づく権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、差額賃金に相当する損害賠償等を請求したのが本件です。

 ここで原告らがとった法律構成に、労働契約法7条を使ったものがありました。

 労働契約法7条は、

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」

と規定しています。

 原告らの主張の論旨は、大雑把に言うと、

無期転換後の原告らと正社員との間では、職務の内容や配置の変更の範囲等の就業の実体において違いがない、

そうであるにもかかわらず、原告らを正社員よりも不利な労働条件に置く契約社員就業規則(無期契約社員規定)は合理的であるとはいえない、

よって、原告らには、正社員就業規則が適用される、

というものです。

 この理屈に対し、裁判所は、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「原告らは、無期転換後の原告らに契約社員就業規則を適用することは、正社員より明らかに不利な労働条件を設定するものとして、均衡考慮の原則(労契法3条2項)及び信義則(同条4項)に違反し、合理性の要件(同法7条)を欠く旨主張する。」

「しかし、証拠・・・及び当裁判所に顕著な前訴最判によれば、被告において、有期の契約社員と正社員とで職務の内容に違いはないものの、職務の内容及び配置の変更の範囲に関しては、正社員は、出向を含む全国規模の広域異動の可能性があるほか、等級役職制度が設けられており、職務遂行能力に見合う等級役職への格付けを通じて、将来、被告の中核を担う人材として登用される可能性があるのに対し、有期の契約社員は、就業場所の変更や出向は予定されておらず、将来、そのような人材として登用されることも予定されていないという違いがあることが認められる。」

「そして、証拠・・・によれば、無期転換の前と後で原告らの勤務場所や賃金の定めについて変わるところはないことが認められ、他方で本件全証拠によっても、被告が無期転換後の原告らに正社員と同様の就業場所の変更や出向及び人材登用を予定していると認めるに足りない。」

「したがって、無期転換後の原告らと正社員との間にも、職務の内容及び配置の変更の範囲に関し、有期の契約社員と正社員との間と同様の違いがあるということができる。」

「そして、無期転換後の原告らと正社員との労働条件の相違も、両者の職務の内容及び配置の変更の範囲等の就業の実態に応じた均衡が保たれている限り、労契法7条の合理性の要件を満たしているということができる。

「この点、原告らは、無期転換後の原告らと正社員との間に職務内容及び配置の変更の範囲等の就業の実態に関して違いがないことを前提に、無期転換後の原告らに契約社員就業規則を適用することの違法をいうが、前提を異にするものとして採用できない。」

「なお、無期転換後の原告らと正社員との労働条件の相違が両者の就業実態と均衡を欠き労契法3条2項、4項、7条に違反すると解された場合であっても、契約社員就業規則の上記各条項に違反する部分が原告らに適用されないというにすぎず、原告らに正社員就業規則が適用されることになると解することはできない。すなわち、上記部分の契約解釈として正社員就業規則が参照されることがありうるとしても、上記各条項の文言及び被告において正社員就業規則と契約社員就業規則が別個独立のものとして作成されていることを踏まえると、上記各条項の効力として、原告らに正社員就業規則が適用されることになると解することはできない。」

3.失当主張として排斥されてはいない

 上述のとおり、裁判所は、原告の主張を認めませんでした。

 しかし、注目するのは、その理由付けです。労働契約法7条に基づいた法律構成自体がダメだとは言わず、要旨、

無期転換後の原告らと正社員との労働条件の相違が両者の就業実態と均衡を欠く場合、契約社員就業規則の各条項は原告に適用されない、

しかし、本件における無期転換後の原告らと正社員との職務の内容及び配置の変更の範囲等は、同一とはいえない、

労働条件の相違は、就業の実態に応じた均衡がとれている、

よって、契約社員就業規則は合理的であるといえるから、労働契約法7条違反の問題は生じない、

との理屈を展開しました。

 この理屈からすると、無期転換後の有期契約社員と元々の正社員について、就業の実態が全く同じといえるような場合には、正社員就業規則の適用までは主張できないにしても、労働契約法7条を根拠として、損害賠償請求等の形で労働条件格差を問題にできることになります。

 これは、従来法律構成が困難とされてきた、無期労働契約者間の労働条件格差の是正に向けた可能性を示唆するもので、画期的な判断だといえます。

 この判例法理がどのように発展していくのか、今後の裁判例の動向が注目されます。

 

障害者虐待防止法上の通報を理由とする不利益取扱いの禁止の射程

1.通報を理由とする不利益取扱いの禁止

 障害者虐待防止法16条4項は、

「障害者福祉施設従事者等は、第一項の規定による通報をしたことを理由として、解雇その他不利益な取扱いを受けない。」

と規定しています。

 ここでいう第一項の規定による通報とは

「障害者福祉施設従事者等による障害者虐待を受けたと思われる障害者を発見した者は、速やかに、これを市町村に通報しなければならない。」

という規定に基づく通報をいいます。

 こうした規定があるため、障害者福祉施設で働く人は、自施設で生じた障害者虐待を市町村に通報したとしても、解雇等の不利益取扱いを受けることはありません。

2.しかし、実際はどうか・・・

 しかし、虐待通報の場面に限らず、大抵の事業者は、外部機関に不祥事を通報した従業員に対し、苛烈な姿勢をとります。ただ、そうした姿勢がとられる時でも、通常、通報行為をしたこと自体が解雇等の不利益な処分の理由になることはありません。障害者虐待防止法16条4項のような不利益取扱いの禁止規定と抵触するからです。大体の事案では、通報とは異なる理由をに基づいて、不利益な取扱いを行います。

 そのため、実際の紛争では、通報以外の理由が不利益処分を科することを正当化する理由になるのかが争われることになり、通報を理由とする不利益取扱いの禁止規定の解釈が問題になることは殆どありません。

 こうした背景事情があるため、障害者虐待防止法16条4項の解釈をめぐる紛争実例は意外と少なく、この条項が具体的にどのような場面を念頭に不利益取扱いの禁止を規定しているのかは、それほど明確に分かっているわけではありません。

 昨日ご紹介した神戸地判令2.12.3労働判例ジャーナル108-40 社会福祉法人むぎのめ事件は、障害者虐待防止法16条4項の射程について判示した数少ない裁判例という意味でも、注目に値します。

3.社会福祉法人むぎのめ事件

 本件で被告になったのは、障害者福祉施設(本件施設)を運営する社会福祉法人(被告法人)や、その理事長(被告P2)です。

 原告になったのは、本件施設で被告の正職員として働いていた女性です。

 原告入職当時、本件施設では、羊毛フェルト手芸作業(ニードル作業)が実施されていました。ニードル作業とは、フェルト作業専用の針(ニードル)を羊毛フェルトに突き刺し、整形して行くことをいいます。

 本件施設では、少なくとも平成28年7月10日までの間、ニードルは、本件施設の利用者ごとに準備するのではなく、利用者間で共用されていました。

 この状態を見た原告の方は、

ニードル使用時に誤って指を刺すリスクがあること、

その際、出血を伴うこともあること、

ニードルを使用することにより、ニードルに付着した血液を通じて各種の感染症が蔓延するリスクがあること

などをに思いをめぐらせ、、ニードルの管理方法を変更したうえ、ニードル作業関係者に対して血液感染のリスクを伝えるほか、血液検査を実施すべきだと考えました。

 こうした考えに基づいて、被告法人や、市(市生活支援課)、県(伊丹事務所)に働きかけをしていったところ、

「問題のない通所者の作業に関し、3回にわたり伊丹事務所に、本人の独断で、行政から指導するよう詰問、恫喝口調で電話を行い、同事務所に迷惑をかけた」ことや、

「通所者の氏名を記入した文書を、本人の独断で同事務所に送付した」こと

などを理由に解雇されてしまいました。

 本件では、こうした理由による解雇が、障害者虐待防止法16条4項に違反しないのかが争われました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、被告法人による解雇は、障害者虐待防止法16条4項に違反しないと判示しました(ただし、障害者虐待防止法16条4項違反は認められないとしても、結論として解雇は無効だと判示しています)。

(裁判所の判断)

「上記・・・の認定事実及び弁論の全趣旨によれば、

〔1〕本件施設は、障害者福祉施設であること、

〔2〕本件施設では、施設利用者にニードル作業を行わせることがあったこと、

〔3〕ニードル作業に関して施設利用者から苦情が寄せられたことはなく、事故の報告もないこと、

〔4〕本件施設では、遅くとも7月28日までに、ニードルの個人管理が事実上徹底されたことが認められる。」

「そうすると、原告が、7月29日に被告市に、8月8日に被告県にそれぞれ情報提供したことが防止法16条1項の通報に該当するとしても、その時点では、本件施設の施設利用者である障害者がニードル作業により感染する危険性はなくなっているのであるから、本件施設でニードル作業を行うことが障害者虐待になるものとは解されない。

「原告は、被告法人は、施設利用者を劣悪な環境に置いたのであるから、施設利用者に必要な情報提供をして血液検査を受けさせる義務があるのにこれを怠ったもので、このことが障害者虐待に当たる旨主張する。」

「しかし、上記認定のニードル作業の実施状況に加えて、ニードル作業関係者の中に、感染症に感染していた疑いのある者がいたことを認めるに足りる証拠がないことを併せ考慮すると、被告法人が原告の主張する義務を負うものとは解されず、上記原告の主張は、採用することができない。」

したがって、本件解雇が防止法16条4項の解雇禁止に違反する旨の原告の主張は、前提を欠くものであって採用することができない。

4.危険性が消失していない中での通報しか保護されないのか?

 上述のとおり、裁判所は、通報時点で既に危険性が消失していたことを根拠として、原告の障害者虐待防止法16条4項違反の主張を排斥しました。

 しかし、障害者虐待防止法16条1項は、通報の対象を、

「障害者虐待を受けたと思われる障害者を発見した」

ことであると規定しています。文言上、危険性が現存していることが通報の要件とされているわけではありません。実質的にも、危険性さえなくなれば、行政として情報を把握しておく必要がなくなるというわけでもないだろうと思います。裁判所の判断は、障害者虐待防止法16条4項で保護される対象が過度に狭くなる点で、その妥当性には疑問があります。

 とはいえ、障害者虐待防止法16条4項の解釈について、本件のような判断を示した裁判例があることは、数少ない司法判断として留意しておく必要があります。