弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

「農家の嫁にはなれん」との言動の適法性

1.問題ではあっても違法とまでは認められない言動

 職場で上司や同僚から不適切な言動を受け、損害賠償を請求することができないかと相談を受けることがあります。

 しかし、事実として不適切な言動が認められる場合でも、必ずしも損害賠償まで請求できるわけではありません。裁判では、

「問題(不適切)ではあっても、違法とまでは認められない。」

という領域があるからです。言動を理由に損害賠償を請求するためには、ただ単に不適切であるというだけではなく、不適切さが違法だといえるレベルにまで達している必要があります。

 言動の違法/適法の境目がどこにあるのかは、言語で表現するのは難しく、実務経験を重ねたり、判例集を読み込んだりすることを通じて、感覚的に掴み取って行くしかありません。

 そうした観点から、近時公刊された判例集に、興味深い裁判例が掲載されているのを見付けました。神戸地判令2.12.3労働判例ジャーナル108-40 社会福祉法人むぎのめ事件です。この事件では、

「私は農家の出なので、たくさん泥を触って育ってきたんで感染症などと言ってたら農家の嫁にはなれん。」

という言動に違法性が認められるか否かが問題になりました。

2.社会福祉法人むぎのめ事件

 本件で被告になったのは、障害者福祉施設(本件施設)を運営する社会福祉法人(被告法人)や、その理事長(被告P2)です。

 原告になったのは、本件施設で被告の正職員として働いていた女性です。被告法人による解雇の効力を争うとともに、セクシュアルハラスメント(セクハラ)やパワーハラスメント(パワハラ)を受けたことを理由に損害賠償を請求する訴訟を提起しました。原告からセクハラと主張されたのが、冒頭に掲げた言動です。
 原告入職当時、本件施設では、羊毛フェルト手芸作業(ニードル作業)が実施されていました。ニードル作業とは、フェルト作業専用の針(ニードル)を羊毛フェルトに突き刺し、整形して行くことをいいます。

 本件施設では、少なくとも平成28年7月10日までの間、ニードルは、本件施設の利用者ごとに準備するのではなく、利用者間で共用されていました。

 この状態を見た原告の方は、

ニードル使用時に誤って指を刺すリスクがあること、

その際、出血を伴うこともあること、

ニードルを使用することにより、ニードルに付着した血液を通じて各種の感染症が蔓延するリスクがあること

などをに思いをめぐらせ、、ニードルの管理方法を変更したうえ、ニードル作業関係者に対して血液感染のリスクを伝えるほか、血液検査を実施すべきだと考えました。

 こうした考えに基づいて、被告法人や、市(市生活支援課)、県(伊丹事務所)に働きかけをしていったところ、

「問題のない通所者の作業に関し、3回にわたり伊丹事務所に、本人の独断で、行政から指導するよう詰問、恫喝口調で電話を行い、同事務所に迷惑をかけた」ことや、

「通所者の氏名を記入した文書を、本人の独断で同事務所に送付した」こと

などを理由に解雇されてしまいました。

 冒頭に掲げた、被告理事長P2の

「私は農家の出なので、たくさん泥を触って育ってきたんで感染症などと言ってたら農家の嫁にはなれん。」

との言動は、一連の経過の中でなされたものです。

 この言動が不法行為を構成するか否かについて、裁判所は、次のとおり述べて、問題ではあっても違法とは認められないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告P2が、9月16日、原告に対し、『私は農家の出なので、たくさん泥を触って育ってきたんで感染症などと言ってたら農家の嫁にはなれん。』という趣旨のことを述べたことが認められる・・・。」

確かに、被告P2の上記発言は、性別役割固定の肯定とも受け取れるものであり、ジェンダーの視点から見ると問題であるといえる。しかし、上記発言は、一般通常人の捉え方を基準として、性的不快感を感じさせるものとまでは認められず、原告に対する不法行為を構成するものとは認められない。

3.性的不快感を感じさせるものと認められるか否か、微妙なラインであろう

 被告P2は農家出身とのことですが、昨今の社会情勢に鑑みると、一般通常人の捉え方を基準として、性的不快感を感じさせるものとまでは認められないと断言できるかは、それほど自明なことではないように思われます。むしろ、その性別役割分担論的な発想に嫌悪感を抱く人は少なくないように思います。

 近時の裁判例の動向を見ていると、不適当と違法の境界線上に位置する言動について問題提起される事案が増えているように思われます。無用な紛争を避けるためには、職場において、性別役割固定と捉えられかねないような言動は、とらないに越したことはありません。

 

※ 令和4年10月21日、一部文章を改定しました。

相殺合意が許容される場合

1.賃金全額払いの原則

 労働基準法24条1項本文は、

「賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。」

と規定しています。

 この規定があるため、使用者は、労働者に対して債権を持っていたとしても、これを賃金支払債務と相殺することができないと解されています。

 ただ、この規定は、使用者側からの一方的な相殺を禁止しているに留まります。相殺がされたのと同様の効果を、労使間の合意によって作り出すことまでが禁止されているわけではありません。

 しかし、合意の名のもとに相殺禁止のルールが骨抜きにされないよう、裁判所は合意が有効になる範囲を限定しています。具体的に言うと、合意が有効であるためには、

「労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」

ことが必要であるとされています(最二小判平2.11.26労働判例584-6 日新製鋼事件参照)。

 それでは、裁判所のいう「労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」場合とは、具体的にどのような場合のことを指すのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.10.28労働判例ジャーナル108-26 独立行政法人国立病院機構事件です。

2.独立行政法人国立病院機構事件

 本件で被告になったのは、医療の提供等を目的として設立された独立行政法人です。

 原告になったのは、被告の運営する病院で院長を務めていた医師です。退職手当を対象とする相殺を合意したものの、当該合意は労働基準法24条1項に違反すると主張して、控除された額に相当する未払賃金の支払を求める訴えを起こしました。

 院長は訴外日本債権回収という会社に負債があり、同社から給料の差し押さえを受けていました。しかし、原告は院長として、差押命令に基づく日本債権回収への支払いを停止させました。その後、日本債権回収の取立訴訟を受け、これに敗訴した被告は、日本債権回収機構への多額の支払いを余儀なくされました。

 その後、被告は、原告との間で、

取立訴訟により支払いを余儀なくされた額、

取立訴訟への応訴対応のため支出した弁護士費用

の合計を退職金から支払ってもらう合意を交わしました。 

 この相殺合意に法的な効力が認めらられることを争い、原告が訴訟提起したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、相殺合意の効力を認め、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

労基法24条1項本文の定めるいわゆる賃金全額払の原則の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき相殺に同意した場合においては、その同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、その同意を得てした相殺は同規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である(最高裁平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁参照)。」

「そこで検討すると、前記認定事実によれば、福山医療センターの院長の地位にあった原告が、本件差押命令に基づく支払を停止したことにより、被告は、別件取立訴訟を提起され、本来原告が負担すべきである約1425万円もの多額の金銭の支払いを余儀なくされたことから、B理事長は、本件面談の際に、原告に対し、返済方法について質問したところ、原告が、一括での返済が不可能であるため被告から色々と提案して欲しいなどと述べたのに対し、B理事長は、丁寧な口調で本件退職手当から控除する旨提案し、原告は、特段、躊躇したり、質問したりすることなく、これに応じ、本件合意書に署名押印しているのであって、本件合意書の作成過程において、強要にわたるような事情はうかがえない。」

「また、本件相殺合意をすることは、原告としても、定年退職までの約9か月間、被告に対する支払いを猶予してもらえるという利点があるし、返済の有無及び方法は原告に対する懲戒処分の軽重に影響しうる事情であると考えられるのであるから、本件相殺合意をすることが、原告の一方的な不利益になるということもできない。

さらに、本件合意書においては、本件退職手当から法定控除及び差押命令に基づく弁済額の合計額を差し引いた残額を相殺の対象とすることが明示されているなど、合意の内容に不明確なところはない。
 以上によれば、本件相殺合意は、原告の同意を得てなされたものであり、その同意は、原告の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。
 したがって、本件相殺合意は、労働基準法24条1項に違反するものではなく、また他の労基法違反を認める事由もないから、労基法13条により無効となるものではなく、原告の主張には理由がない。

3.相殺合意が許されるのかを検討するに当たっての考慮要素

 以上のとおり、裁判所は、労働者側からの提案、丁寧な説明、書面の取り交わし、懲戒処分との関係での原告の利益などを考慮要素として指摘したうえ、相殺合意の効力を認めました。

 相殺合意の可否は、規範が抽象的であるため、その意味内容を知るための一事例として、本件は参考になるように思われます。

 

火のないところに煙は立たない-苦情は来ること自体が問題なのか?

1.苦情は来たこと自体を非違行為にすることはできるのか?

 クレームが来ること自体が問題だ-上司からこうした叱責を受けた人は、少なくないと思います。

 しかし、顧客の言うことだけを一方的に信じ、クレームに発展した経緯や、問題視されている事実の存否を問題にすることなく、クレームが来たこと自体を理由に、労働者に対し、叱責したり、不利益な処分を行ったりすることは、許されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地決令2.7.20労働判例1236-79 淀川交通(仮処分)事件です。

 以前、本ブログで、性同一性障害の男性の化粧を禁止することの可否がテーマになった事件を紹介させて頂きました。本件はこれと同じ裁判例でもあります。

性同一性障害の男性の化粧を禁止することは許されるのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

2.淀川交通(仮処分)事件

 本件は、就労拒否された労働者が申し立てた仮処分事件です。仮処分事件では、賃金の仮払を求める労働者を債権者と、賃金を支払う立場にある会社を債務者といいます。

 本件で債務者になったのは、タクシー会社です。

 債権者になったのは、生物学的性別は男性であるものの、性別に対する自己意識は女性である性同一性障害の方です。債務者と労働契約を締結し、タクシー乗務員として勤務していました。

 しかし、債務者は、化粧をしていたことなどを理由に、債権者に対し「乗らせるわけにはいかない。」と述べ、債権者の就労を拒否しました。こうした取り扱いを受け、不就労を理由に賃金を支払われなくなった原告の方が、経済的に困窮し、賃金仮払いの仮処分を申し立てたのが本件です。

 債務者側が就労を拒否した背景には、乗客からの苦情がありました。

 どのような苦情かというと、 午前4時ころ、男性の乗客から男性器をなめられそうになったというものです(本件苦情)。

 債務者のA渉外担当は、債権者に対し、本件苦情の内容を問い質しました。債権者は、本件苦情の内容を否定しましたが、A渉外担当は次のような対応をとりました。

「A渉外担当らは、債権者に対し、本件苦情のような内容の苦情を乗客から受けることはなく、火のないところに煙は立たないため、苦情の内容は事実であると考えることもできる、いずれにしろ、上記苦情の内容が真実であるか否かは問題ではなく、債権者が上記内容の苦情を受けることが問題であると伝えた。加えて、債務者は、債権者が以前にも自分の膨らんだ胸を触らせたという内容の苦情を受け、その際には丸く収めたものの、その後に本件苦情を受け、性的な趣旨の苦情が二度目のものとなる以上は、債権者を『乗せるわけにはいかない』と考えている旨を伝えた。」

 本件では、こうした経緯のもとで行われた就労拒否が、債務者の責めに帰すべき事由によると認められるのかが争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、本件苦情を理由とする就労拒否は許されないと判示しました。

(裁判所の判断)

-本件苦情の内容が真実であることを理由とする点について-

「債務者は、仮に債務者が債権者の就労を拒否したと評価されるとしても、本件苦情の内容が真実であり、債権者が男性乗客の下半身をなめようとする行為又はそれと疑われる行為を行った以上は、就労拒否の正当な理由がある旨の主張をする。」

「しかしながら、A渉外担当らは、債権者に対し、本件苦情の内容が真実であるか否かを問題としているのではないと述べており・・・、苦情内容の真実性は、債権者に対する就労拒否の理由であるとされてはいない。」

「仮にこの点を措くとしても、債権者は、本件苦情の内容が真実であると認めていない上、一件記録上、債務者が本件苦情の内容の真実性について調査を行った形跡もみられない。債務者の上記主張の唯一の根拠となっているのは、朝4時頃に、いたずらで本件苦情のような内容を通告する者がいるはずはないという点にあるものの、こうした点を考慮しても、本件苦情の存在をもって、直ちに本件苦情の内容が真実であると認めることはできない(なお、仮に上記苦情の内容が事実であるとすると、債務者は、懲戒処分としての出勤停止命令等の手段によって、債権者の就労を拒否することが考えられるものの、債務者は、上記の手段を講じるなどしておらず、就労拒否の法的な根拠が明らかにされていない。)。」

「以上によれば、本件苦情の内容が真実であることを理由として、債権者に対しその就労を拒否することは、正当な理由に基づくものとはいえない。」

-本件苦情の存在について-

A渉外担当らの債権者に対する説明内容・・・によれば、債務者は、上記苦情の存在自体をもって、債権者の就労を正当に拒否することができるとの見解を前提にしているものと考えられるところ、かかる見解を言い換えれば、債務者は、仮に上記苦情の内容が虚偽であるなど、非違行為の存在が明らかでないとしても、上記苦情を受けたこと自体をもって、正当に債権者の就労を拒むことができることとなる。しかしながら、非違行為の存在が明らかでない以上は、上記苦情の存在をもって、債権者に対する就労拒否を正当化することはできない。

(中略)

「以上を総合すると、債務者が、本件苦情の真実性又は存在自体を理由として、債権者の就労を拒否することは、正当な理由に基づくものとはいえない。」

3.苦情を受けたこと、それ自体は非違行為にならない

クレームを受けること自体が問題だ-こうした叱責は、顧客からの不当要求行為に対応する力を削ぐもので、企業経営上何の合理性もありません。また、非違行為の存否を問わない叱責は、理不尽極まりなく、法的にも何ら正当がありません。

 厚生労働省告示第5号 令和2年1月15日「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」において、

「事業主は、取引先等の他の事業主が雇用する労働者又は他の事業主(その者が法人である場合にあっては、その役員)からのパワーハラスメントや顧客等からの著しい迷惑行為(暴行、脅迫、ひどい暴言、著しく不当な要求等)により、その雇用する労働者が就業環境を害されることのないよう、雇用管理上の配慮」

を行うことが望ましいとされていることからも分かるとおり、誤った顧客第一主義のもと、労働者に責任を押し付ける時代は終わりつつあります。

 火のないところにも煙が立つことは、多くの社会人が実体験として知っていることだと思います。ただ単にクレームを出されたが故に理不尽な処分を受けた方は、その効力を法的に争うことを考えてみても良いのではないかと思います。

 

公務員も異動には逆らいにくい

1.整理解雇の制限と広範な配転命令権

 本邦の法律上、労働者の責めによらない、いわゆる整理解雇を行うことは、厳格な制限が課せられています。その代わり、使用者には、滅多なことでは無効にならない、広範な配転命令権が付与されています。そして、整理過去を行うに先立っては、配転命令権を行使するなどして、解雇回避努力を尽くしたかどうかが問われることになります。

 公務員の場合、民間の労働者の整理解雇に対応する扱いに「分限」という処分があります。これは職員の責任の有無にかかわらず、公務能率を維持するために行われる処分です。余剰人員を整理する場合、分限免職という処分が行われます。

 この分限免職処分は、公務員の地位を喪失させるという重大な権利侵害を伴いますが、整理解雇ほど厳格な制限が課せられているわけではありません。

 例えば、福岡高判昭62.1.29労働判例499-64 北九州市病院局長事件は、地方公務員の分限免職の場面で、

「分限免職処分を回避するための措置として、余剰人員の配置転換を命ずる義務があるとすることは、任免権者の人事権、経営権を制肘することを認めることになり妥当でなく、ただ、過員整理の必要性、目的に照らし、任免権者において被処分者の配置転換が比較的容易であるにもかかわらず、配置転換の努力を尽くさずに分限免職処分をした場合に、権利の濫用となるにすぎない」

と分限回避義務に消極的な判断をしています。

 近時、旧社会保険庁の解体に伴う職員への分限免職処分の適否が争われた裁判例において、分限回避義務が認められた裁判例も散見されるようになっていますが、整理解雇と同じレベルで保護されると言うにはほど遠いのが実情ではないかと思います。

分限回避義務 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 それでは、分限免職処分に対して脆弱であるとして、配転命令に対しては、どのように理解されているのでしょうか? 分限免職処分が比較的広く認められていることは、配転命令権の効力の有無の判断に、何等かの影響を与えているのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日も紹介した東京地判令2.10.8労働経済判例速報2438-20多摩市事件です。

2.多摩市事件

 本件で被告になったのは、普通地方公共団体である多摩市です。

 原告になったのは、被告の職員として勤務していた方です。人事権を濫用した違法な転任処分を受けたことにより、自立神経失調症に罹患して病気休職に追い込まれ、更にはハラスメントによって退職を余儀なくされたとして、被告に対し、債務不履行ないし国家賠償法に基づく損害賠償を請求した事件です。

 原告が人事権の濫用だと主張したのは、子育て支援課から学校給食センターの調理所への異動です。原告は、これを、違法な補助金支出の問題を調査していたことに対する報復で、閑職に追いやる左遷人事だと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、人事権行使を適法だと判示しました。

(裁判所の判断)

「本件人事異動は、平成27年10月期の定期人事異動の一環として行われた転任処分であるところ、原告の異動元である子育て支援課は、当時、1名の過員状態にあったため、上記定期人事異動の際に職員1名を異動させることによって過員調整(減員)を図る必要があったことが認められる。そして、上記・・・で認定した事実によれば、

〔1〕被告においては、新入職員のキャリアプラン上、10年間で3か所の職場を経験させることを想定しているところ、原告は、本件人事異動時点における子育て支援課での勤務期間が約2年6か月となっており、本件人事異動の直前に提出した職員意向調査票において、直近の上記定期人事異動での異動を希望していたこと、

〔2〕原告が担当していた業務内容及び業務の進捗状況に照らし、原告が子育て支援課から異動することは可能な状況にあったことが認められることを併せ考慮すると、

上記定期人事異動の際に原告が子育て支援課からの異動の対象となったことについては、必要性及び合理性が認められる。

「他方、上記・・・で認定した事実によれば、原告の異動先である南野調理所は、子育て支援課よりも総じて業務量の少ない部署であったものの、原告は、学校給食費会計予算に関する業務や学校給食センター運営委員会に関する業務のほか、庶務的業務の担当も任されており、原告及び南野調理所長以外にはフルタイム勤務の職員がいなかったこともあって、予算編成時や決算時期などには繁忙となることもあったことや、本件人事異動当時、学校給食センターは、平成30年度から給食業務を民間の事業者に大規模に委託するための指名型プロポーザルを近いうちに実施することが計画されていたため、事務職員の業務量が増えることが予想されており、原告もこれらの業務を担当することが想定されていたことが認められる。」

「以上に加えて、原告を含む一般事務の職種で採用された職員については、全ての部局に異動する可能性があったことも併せ考慮すると、原告の異動先が南野調理所とされたことをもって、原告が閑職に左遷されたなどということはできない。

(中略)

「以上のとおり、本件人事異動について、被告に不当な動機又は目的があったとは認められないから、本件人事異動は、人事権を濫用したものということはできない。」

3.民間と大差があるようには思えない

 民間の場合、配転命令権行使の適否は、

「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもないところ、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。」(最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件)

 本件の原告は、職員以降調査票で異動の希望を出していたものの、その理由については「大学は商学部であり、以前から会計に大変興味がある。子育て支援課でも国・都負担金や補助金業務、保育所への指導検査(会計面)など、数字を扱う業務に携わり、会計について自分の能力を高めていきたいという気持ちが強くあるため」と記載していました。給食センターの調理所に行くことは、全く想定していなかったのではないかと思われます。

 しかし、本件の裁判所は、民間で用いられている配転の可否に関する判断枠組に準拠し、不当な動機・目的が認められないとして、比較的簡単に異動を有効と判示しているように思われます。

 広範な配転命令権は、厳格に解雇権の行使が制限されていることの引き換えとして記述されることが少なくありません。しかし、分限免職処分が可能な公務員にも同様の発想がとられていることを考えると、その根拠は、別の何かに求められるのかも知れません。

 

 

病気休職中に産業医面談を実施してくれなかったことを安全配慮義務違反に問えるか?

1.権限不行使の問題

 国家賠償請求の局面においては、しばしば権限の不行使が問題になります。公権力が適切に権限を行使していれば防げたはずなのに、それをしなかったのは問題だという主張のされ方をします。事件類型としては、安全措置の懈怠、規制処分権限の不行使、省令制定等の制定権限の不行使といったものがあります(宇賀克也ほか編著『条解 国家賠償法』〔弘文堂、初版、平31〕73-74頁参照)。

 これに対し、民-民の場合、一方が他方を規制するという関係には立ちません。したがって、損害賠償請求訴訟の中で、権限の不行使に違法性が認められるか否かが問題になることは、基本的にはありません。

 しかし、民-民ではあっても、一方が他方に対して従属することになる労使関係においては、使用者が権限を行使しなかったことが、安全配慮義務違反の有無という形で争われることがあります。

 近時公刊された判例集に、こうした権限の不行使の適否が問題になった裁判例が掲載されていました。東京地判令2.10.8労働経済判例速報2438-20多摩市事件です。この事件では、病気休暇中の月1回の産業医面談を実施しなかったことの適否が問題になりました。公務員に関する裁判例ではありますが、安全配慮義務違反の有無が争われた事案であり、民-民の労使関係の在り方を考えるうえでも参考になります。

2.多摩市事件

 本件で被告になったのは、普通地方公共団体である多摩市です。

 原告になったのは、被告の職員として勤務していた方です。人事権を濫用した違法な転任処分を受けたことにより、自立神経失調症に罹患して病気休職に追い込まれ、更にはハラスメントによって退職を余儀なくされたとして、被告に対し、債務不履行ないし国家賠償法に基づく損害賠償を請求した事件です。

 本件の争点は多岐に渡りますが、その中の一つに、権限不行使の問題があります。

 被告には、

「病気休職の手続及び病気休職中の職員の復職審査に関する要綱」

という告示(平成26年12月3日多摩市告示第486号)があり、そこには、次のような規定がありました。

(産業医の受診)

 第3条 病気休職中の職員は、健康状況の継続的な確認のため、産業医(多摩市職員安全衛生管理規則(昭和61年多摩市規則第26号)第12条に規定する産業医をいう。以下同じ。)の診察を、原則として1月に1回程度受けなければならない。ただし、当該職員の病状等の診察を受けることのできない正当な事由がある場合は、この限りでない。
 2 産業医は、前項の規定による診察のほか、病気休職中の職員の健康状況を確認し、又は必要な指導を行うため、当該職員の同意を得て、情報提供依頼書により当該職員の主治医等から治療経過等の情報提供を受けることができる。
 3 産業医は、第1項の診察を行ったときは、産業医意見書に必要事項を記入し、任命権者に提出するものとする。
 4 任命権者は、病気休職中の職員が正当な理由なく第1項の診察を受けない場合は、当該職員に対して産業医の診察を受けることを命じることができる。

(所属長等による病気休職中の職員への対応)

第4条 病気休職中の職員の所属長(以下「所属長」という。)又は総務部人事課長(以下これらを「所属長等」という。)は、次に掲げる方法により、当該職員の病状及び療養状況を把握し、当該職員が療養に専念できるよう必要な措置を講じなければならない。
(1)必要に応じて当該職員又は家族等の関係者と面談又は連絡を行うこと。
(2)産業医から当該職員についての助言又は指導を受け、その助言又は指導を実施すること。
2、3(略)

 しかし、原告には、休職期間のうち、9か月以上に渡って、産業医面談が実施されていない時期がありました。

 こうした取り扱いについて、原告は、

「被告は、本件要綱3条の定めにより、病気休職中の職員(以下「休職者」ともいう。)に対し、月1回の産業医面談を実施すべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、原告に対し、平成30年6月11日まで9か月間という長期にわたって産業医面談を実施しようとしなかった。被告の上記不作為は、原告に対して負う安全配慮義務に違反する。」

と安全配慮義務違反を主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、安全配慮義務違反を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告には、休職者に対して月1回の産業医面談を実施すべき義務があると主張する。」

「しかしながら、一般に、産業医面談は、休職者の治療を目的とするものではなく、使用者が休職者に対して復職又は休職に係る適切な処分をするにあたり、当該休職者の体調を把握する目的で実施されるものであるところ、本件要綱も、第1条において、『心身の故障のため病気休職をする職員について、病気休職の手続、職場復帰に際しての審査等について定める』ものとされていること・・・から、本件要綱に基づく産業医面談も上記目的で実施されるものであることが認められる。以上に加えて、本件要綱が、産業医面談を受けることを休職者の義務として規定し(3条1項本文)、被告が休職者の病状等に応じて上記義務を免除すること(同項ただし書)や正当な理由なく上記義務を履行しない休職者に対して受診命令を発令すること(同条4項)を定めていることに照らすと、本件要綱の規定を根拠に、被告において休職者に対して月1回の産業医面談を実施すべき義務があると解釈することはできない。

「原告は、被告において休職者に対して産業医面談を実施すべき義務は、労働契約法5条及び労働安全衛生法13条の定める企業の安全配慮義務に由来するものであるから、本件要綱に定めがないからといって被告が上記義務を負わない理由にはならないとも主張する。しかしながら、労働契約法5条は、使用者の労働者に対する一般的な安全配慮義務を定めたものであり、労働安全衛生法13条は、事業者の産業医選任義務を定めたものであるから、これらの規定から直ちに、被告について、休職者に対して月1回の産業医面談を実施すべきであるという具体的義務が発生すると解することはできない。」

「以上によれば、原告の上記主張を採用することはできない。」

3.確かに、因果関係論・損害論との関係で難しい問題はあるが・・・

 産業医面談の不実施が安全配慮義務違反に該当したとしても、損害との間の因果関係を認定できない可能性は否定できないと思います。その意味では、安全配慮義務違反が認定できたとしても、結論は変わらなかったかも知れません。

 しかし、

「療養に専念できるよう・・・産業医・・・の助言又は指導を実施する」

という建て付けの要綱がありながら、産業医面談の不実施を義務違反としたことは、やや自治体・使用者側の利益に傾斜しすぎているのではないかという感が否めません。本件は、労働者側にとって、厳しい裁判例であるように思われます。

 

シフトに入れないことは債権者(使用者)の責めに帰すべき事由になるか?

1.シフトに入れてもらえなかったシフト制労働者の賃金請求

 一般論として、違法無効な解雇をされた労働者は、判決が確定した時から解雇された時点まで遡って賃金を請求することができます。

 その根拠として理解されているのが、民法536条2項本文です。

 民法536条2項本文は、

「債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債権者は、反対給付の履行を拒むことができない。」

と規定しています。労務の提供を求める権利を有している者(債権者・使用者)が、違法無効な解雇によって労務提供を拒絶したこと(債権者・使用者の責めに帰すべき事由)によって、労務提供(債務を履行すること)ができなくなったのだから、使用者は反対給付の履行(賃金支払請求)を拒むことができないという理屈です。

 シフトに入れてもらえない労働者が、賃金請求を行おうとする場合、乗り越えなければならない壁は、二つあります。

 一つ目は、就労請求権ないし所定労働日数の問題です。

 二つ目は、シフトに入れてもらえなかったことが、民法536条2項に規定されている「債権者(使用者)の責めに帰すべき事由」によるといえるのかという問題です。

 昨日紹介した横浜地判令2.3.26労働判例1236-91 ホームケア事件は、一つ目の問題だけではなく、二つ目の問題についても、参考になる判断を示しています。

2.ホームケア事件

 本件は、シフト制の労働者を、シフトに入れないことの適否が争われた事件です。一審が簡裁で審理された地裁控訴審事件です。

 本件で被告(被控訴人)になったのは、介護保険法に基づく指定居宅サービス事業等を目的とする有限会社です。

 原告(控訴人)になったのは、被告の運営する施設で利用者の送迎業務に従事していたシフト制の労働者です。被告からシフトに入れてもらえなくなったため、雇用契約書や労働条件通知書に出勤日が「週5日程度」と書かれていたことなどを根拠に、これを下回った日数に相当する賃金の支払を請求しました。

 これに対し、被告は、週の所定労働日数が5日と合意された事実も、そのように運用された実績もないとして、原告の請求を争いました。

 また、仮に所定労働日数を下回っていたとしても、それは、原告が実際には負傷した事実がないにもかかわらず、車椅子の利用者を送迎用車両に乗せた際に手を負傷したと訴えて、以後、一切車椅子に触れなくなったため、原告を車椅子利用者の送迎に配置することができなくなったからであり、被告の責めに帰すべき事由によるわけではないと反論しました。

 裁判所は、過去の勤務実態から週4日を所定労働日数とする合意が成立していたとしたうえ、次のとおり述べて、原告を勤務させなかったことは被告の責めに帰するべき事由によると判示しました。

(裁判所の判断)

「被控訴人が控訴人を送迎計画表に入れなかった理由として被控訴人が主張するところは、控訴人が、平成27年1月22日に手を負傷したとの虚偽の事実を訴え、これを理由に、従前は行っていた車椅子の利用者の乗降車の補助業務を拒否するようになったというものである。しかし、証拠・・・によれば、被控訴人の従業員であるBは、被控訴人に対し、平成27年2月5日、同年1月22日に発生した事故の状況及びその後の経過として『ご利用者をご自宅へ送り、車から車椅子への移乗時、車椅子のヘッドレストが片方はめ込まれていなかった。ご利用者を車に戻し、はめ込んだ時に一緒に対応していたX1さんの右手の親指、人差し指を挟んでしまった。夕方でよく見えず、相手の手が見えていなかった。』、『1/24(土)にX1さんから「22日夜から指が腫れ痛みが強いため月曜日に仕事に出られないかもしれない」と連絡が入る。』、『1/26(月)痛みとしびれがあって休みと連絡があり、受診をすすめるが、労災だと会社に迷惑が掛かると言われる』などと記載した『インシデント報告書』を提出したことが認められ、このことを踏まえると、控訴人の負傷の訴えが虚偽のものであったとまでは認め難い。」

「以上を前提に、被控訴人の上記主張について検討すると、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、控訴人の出勤日は、被控訴人において、利用者の送迎計画表を作成することによって決定されることが認められるところ、控訴人を送迎計画表に入れるかどうかは、被控訴人の判断に委ねられているのであり、各日の送迎計画表をもって具体的な勤務を命じられていた控訴人は、送迎計画表に入らなかった日については、当該日の送迎業務に従事することを命じられておらず、これを受けた労務の提供の有無を観念する局面に至っていなかったというべきであるから、控訴人が就労しなかったことは、基本的には被控訴人の責めに帰すべき事由によるものであったと解するのが相当である。なお、控訴人が、正当な理由もないのに、被控訴人に対し、特定の利用者を送迎する日の業務に従事することを拒否する旨をあらかじめ明確に示していて、被控訴人が控訴人のその意向に沿って送迎計画表を作成したなどの特段の事情がある場合に、これを被控訴人の責めに帰すべき事由による労務提供不能とは評価できないことがあり得るところ、被控訴人は、控訴人が車椅子の利用者の乗降車の補助業務を拒否するようになったと主張するものの、その前提として被控訴人が主張する、控訴人の負傷の訴えが虚偽のものであったとの事実が認められないことは既に判示したとおりであることからすれば、被控訴人の前記主張は採用することができず、その他本件全証拠によっても、上記特段の事情があるとも認められない。」

したがって、被控訴人が控訴人を送迎計画表に入れなかった日については、控訴人が就労しなかったことは、被控訴人の責めに帰すべき事由によるものと認めるのが相当であって、控訴人は、被控訴人に対する賃金請求権を失うものではない。

3.所定労働日数に満たないシフトしか入れないのは基本的に使用者の責任

 シフト制労働者の場合、シフトが入ることによって、労務の提供義務が発生します。つまり、シフトが入らない限り、労務提供の受領拒絶という話にはなりません。使用者による労務提供の受領拒絶がなければ、働かなかったとしても、反対給付である賃金を請求することはできないのが原則です。

 しかし、ホームケア事件の裁判所は、所定労働日数の合意がある限り、シフトが入っていなかったとしても、所定労働日数に満たない日数しか就労できなかったことは使用者の責めに帰するべき事由によると判示しました。当たり前のように見えるかも知れませんが、具体的な労働日が確定していなくても、労務提供の受領を拒絶した場合と同様に取り扱われるとした点に、判断としての特徴があります。

 シフト制労働者の所定労働日数の認定手法だけではなく、使用者の「責めに帰すべき事由」の理解の仕方についても、ホームケア事件の裁判所の判断は参考になります。

 

シフトに入れてもらえないという問題への解決策

1.シフトに入れてもらえない問題

 新型コロナウイルスの流行により、生活に困窮するシフト制の労働者が増加しています。なぜ、生活に困窮するのかというと、シフトに入れてもらえなくなっているからです。

 シフト制の労働者は、シフトに入って働くことで賃金を得てます。当然のことながら、シフトに入らなければ、賃金を請求することができません。

 しかし、新型コロナウイルスの影響で、時短営業を強いられている業種では、シフトの枠自体が減少しています。また、枠自体は残っていても、客足の鈍化に対応し、シフトに入れる人数を減らしている業者も少なくありません。

 また、労働は義務であって権利ではないという考えから、就労請求権は否定されるのが一般的です。

(54)就労請求権|雇用関係紛争判例集|労働政策研究・研修機構(JILPT)

 つまり、客観的にシフトに入る機会が減少してるうえ、シフトに入れてもらうことには権利性が認められるわけでもありません。そのため、シフトからあぶれてしまった労働者は、働くことができず、生活に困窮することになります。

 読者の方の中には、雇用調整助成金の支給により対処できないのかと考える人がいるかも知れません。しかし、雇用調整助成金は、労働者を休業させる場合に支給されるものです。単にシフトに入れないことが「休業」に該当するかは、誰にでも分かるほど一義的に明確ではありません。そのため、シフトに入れない労働者に関しては、そもそも休業手当等の対象として考えていない使用者が少なくありません(ただし、この点は、厚生労働省がシフト制の労働者も雇用調整助成金の対象に含めることを明確にしたため、幾分改善してはいます

https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000724300.pdf)。

 シフト制労働者がシフトに入れてもらえずに困窮していることは、新型コロナウイルスの影響のもと、社会保障の谷間として顕在化してきた対応の難しい問題の一つです。

 従来、この問題は、労働者側にとって、これといった解決策のない難問の一つとして認識されてきました。しかし、近時公刊された判例集に、手を出しにくい状況を改善できる可能性のある裁判例が掲載されていました。横浜地判令2.3.26労働判例1236-91 ホームケア事件です。

2.ホームケア事件

 本件は、シフト制の労働者を、シフトに入れないことの適否が争われた事件です。一審が簡裁で審理された地裁控訴審事件です。

 本件で被告(被控訴人)になったのは、介護保険法に基づく指定居宅サービス事業等を目的とする有限会社です。

 原告(控訴人)になったのは、被告の運営する施設で利用者の送迎業務に従事していたシフト制の労働者です。被告からシフトに入れてもらえなくなったため、雇用契約書や労働条件通知書に出勤日が「週5日程度」と書かれていたことなどを根拠に、これを下回った日数に相当する賃金の支払を請求しました。

 これに対し、被告は、週の所定労働日数が5日と合意された事実も、そのように運用された実績もないとして、原告の請求を争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、週4日を所定労働日数とする合意が成立していたとして、原告の請求を一部認めました。

(裁判所の判断)

平成26年10月20日付け雇用契約書及び労働条件通知書・・・における出勤日の記載は『週5日程度』というもので、文面上は本件施設が営業していない日曜日も出勤日の候補に含むものである上、『業務の状況に応じて週の出勤日を決める。』との記載も伴うものであるから、これをもって直ちに、本件雇用契約における週の所定労働日数が5日であったと認定することはできない。他方で、『出勤日』を『週1日以上』と記載した雇用契約書及び労働条件通知書・・・も、被控訴人が労働基準監督署から指導を受けたことを契機とするものであったにせよ、被控訴人が同契約書記載の雇用期間の始期から約10か月後に一方的に送付したものにすぎないことも踏まえると、当事者双方の意思を反映した書面であるとは認め難い。これらのほかに、控訴人と被控訴人との間において、本件雇用契約における週の所定労働日数に関する合意内容を示した書面等が取り交わされた事実はうかがわれない。」

「そうすると、本件雇用契約における所定労働日数に係る合意は、上記各契約書の記載のみにとらわれることなく、本件請求期間より前の控訴人の勤務実態等の事情も踏まえて、契約当事者の意思を合理的に解釈して認定するのが相当である。

「そこで検討すると、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、原審の原告本人尋問において、裁判官の『あなたは何曜日に出勤することが多かったんですか。』との質問に対し、『私は月火水木と。金曜日は忙しかったら出るときもありました。この4日間だけは間違いなく出ていました。』、『これは私が他のこともやることがあるので、それで4日ぐらいでよろしいですかということを、お話をしたんですけどね。」と供述し、被告代理人の『毎日行くんですか。』との質問に対しても、『出番の日は、4日間の日は私は行きます、きちっと8時。それで朝、自宅にBさんから電話が、今日は何時頃に来てくださいとかいって、電話が入るときが多いんです。それで入らないときは、今日は誰々さんがお休みするから、申し訳ないけど休んでくださいという電話もしょっちゅうありました。』と供述したことが認められる。」
 「控訴人の上記供述は、原告本人尋問を通じて一貫しており、その内容に特段不合理な点も見当たらないから、信用することができる。そして、控訴人の使用者であり、出勤簿等をもって控訴人の出退勤を管理していたことがうかがわれる被控訴人が、平成29年以前の控訴人の勤務実態について立証しないこと(当審第4回口頭弁論調書)を踏まえると、控訴人は、本件請求期間より前である平成29年以前は、おおむね週4日勤務していたものと推認されるから、本件雇用契約における所定労働日数に係る合意は、契約当事者の意思を合理的に解釈すれば、週4日であったと認めるのが相当である。

3.過去の勤務実態から所定労働日数に係る合意が認定された

 所定労働日数が決まっていれば、それに満たない日数しか働かせられなかったことに伴う経済的な負担は、使用者の側で被ることになります。働いていないのだから賃金は支払わないという、純粋なシフト制の労働者に対して適用されるルールを主張しても、あまり意味がありません。

 本件の所定労働日数を認定した判示には、重要な点が二つ含まれているように思います。

 一つ目は、雇用契約書や労働条件通知書に「週5日『程度』」という記載があったから所定労働日数の合意が認められたわけではないことです。

 この記載があることは、週4日の所定労働日を認める根拠として判示されていないため、週5『程度』といった書き方が結論に影響した可能性は著しく低いのではないかと思います。したがって、雇用契約書や労働条件通知書に、手掛かりがないからといって必ずしも過度に悲観する必要はありません。

 もう一つは、勤務実態から所定労労働日の日数に係る合意を認定したことです。

 契約当時の合意が不明確であったとしても、事後の勤務実態が所定労働日数の認定に活かされるというには、かなり画期的な判断だと思われます。こうした考え方が応用できれば、シフトに入れてもらえないシフト制労働者の保護に関しては、未払賃金請求の可否という問題設定が可能になるかも知れません。

 本件の裁判例は、コロナ禍のもと、シフトに入れてくれなくなって困っているか方の事件の処理にあたり、示唆に富んだ裁判例として位置付けられます。