弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

事前承認制度のもとでの残業代請求-使用者側の意味のない反論

1.勝手に残業をしていた

 残業代を請求したとき、使用者側から、命じていないのに勝手に残業をしていただけだと反論されることがあります。

 しかし、このような反論は殆ど意味がありません。明確に残業を禁止していたのであればともかく、単に残業を命じなかっただけでは、黙認していたと認定される可能性が高いとされています(第二東京弁護士会 労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕110頁参照)。

 こうした裁判実務を意識してか、近時は、残業を事前承認制にしている使用者も少なくありません。事前承認制のもとでは、建前上、残業は一般に禁止され、承認された場合にのみ許容されることになります。

 それでは、事前承認制のもと承認のないまま働いていた労働者は、使用者が労務を受領していたとしても、勝手に残業しただけだと取り扱われてしまうのでしょうか?

 結論から申し上げると、そのようなことはありません。残業代請求対策として、形式上、事前承認制が採用されていたとしても、制度として機能しておらず、残業が放任されていたような場合、残業代請求は普通に認容されます。昨日ご紹介した東京地判令2.10.15労働判例ジャーナル108-28 アクレス事件も、事前承認制のもとで勝手に労働者が残業していただけだとする使用者側の抗弁が排斥され、労働者側の残業代請求が認められた事案の一つです。

2.アクレス事件

 本件はいわゆる残業代請求訴訟です。

 被告になったのは、不動産の仲介、建築工事等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の元従業員です。退職後、残業代等の支払いを求めて被告を提訴しました。

 しかし、被告では残業に事前承認制が採用されていたため、終業時刻を過ぎての原告の労務の提供が時間外労働として認められるか否かが争点になりました。

 この争点について、被告は、

「原告が事前承認を得たことはないので、被告は原告に対して残業代を支払う義務を負わない。」

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「被告は、被告においては事前承認がなければ残業代請求は認められない旨主張するところ、証拠・・・によれば、被告の就業規則第22条1項には『従業員が所定労働時間を超えて勤務する場合は、所属長から事前に時間外労働の可否および時間外労働時間数についての許可を得なければならない』旨、同2項には『所属長の許可を得ない時間外労働又は休日労働は、原則として会社は労働時間として取り扱わない』旨が定められており、第29条3項には『時間外労働、休日労働および深夜労働の実施は、会社の指示・命令によるか、または会社の承認を受けた場合に限るものとし、会社の指示・命令を受けた場合は正当な理由なくこれを拒否できないものとする』旨が定められていることが認められる。しかし、労基法32条の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、同労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではないと解するのが相当であるから、就業規則上、残業の事前承認制度が設けられているからといって、直ちに事前承認を得ていない時間に関する割増賃金の請求が認められないとはいえない。そして、本件においては、被告の主張を踏まえても、被告において残業の具体的な事前承認の手続は何ら定められておらず、また、被告は原告の休日出勤について黙認していたというのである。さらに、平日の午前9時以前及び午後6時以降のタイムカードの打刻について被告が原告に対しなんらかの注意をしたなどと認めるに足りる証拠はないことからすると、被告は原告の平日の午前9時以前及び午後6時以降の労務提供についても結局は黙認していたというべきである。そうすると、原告の平日の午前9時以前及び午後6時以降並びに休日の労務提供についても、黙示的に被告の指揮命令下に置かれたものと評価することができるというべきであるから、上記の就業規則の規定により原告の割増賃金請求が制限されることはないと解するのが相当である。

3.形ばかりの事前承認制度がとられていても意味はない

 残業代請求を意識してか事前承認制度を設けてはいるものの、その運用がルーズな会社は少なくありません。本件は被告が承認手続すら定めていなかったという極端なケースではありますが、労働者が残業していることを認識していながら注意することもなく放置している会社は相当数に上ります。

 事前承認制度が採用されていたとしても、形ばかりのものであれば、あまり意味はありません。使用者側の反論は実質的な意味に乏しく、労働者側は普通に残業代を請求することができます。

 法律相談をしていると、事前承認制が採用されていることを過度に気にする方を目にすることもありますが、その具体的な運用を聞いていくと、それほど悲観する必要のない事案が多々認められます。

 事前承認制がとられているものの、自分も残業代を請求できるのではないか-そう疑問に思われた方は、ぜひ、お気軽にご相談ください。

 

事後的に給与明細に想定残業時間数を付記したところで固定残業代は有効にならない

1.固定残業代の不備の糊塗

 固定残業代が有効といえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外の割増賃金に当たる部分とが判別できる必要があります(最一小判平24.3.8労働判例1060-5テックジャパン事件、最二小判平29.7.7労働判例1168-49医療法人社団康心会事件)。

 当然のことながら、判別可能性は労働契約の締結当時に認められなければなりません。しかし、訴訟実務に携わっていると、労働契約の締結時点では固定残業代の額や想定労働時間数について明確にせず、給与として支給する時に給与明細で通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外割増賃金に当たる部分とを区分けしている会社も散見されます。これは募集・採用の時点で固定残業代の定めがあることを積極的に告知すると、求職者から敬遠されるからだろうと思います。固定残業代に関わる紛争は日本各地で頻発しており、最近では一般の方にも濫用の危険が周知されつつあります。

 こうした会社に対し、固定残業代に関する合意の欠缺を主張して訴訟を提起すると、しばしば「給与明細を見れば分かったはずだ。」「給与明細を見ていながら長期間文句を言っていない。」といった反論が寄せられます。

 それでは、こうした反論は有効に機能しているのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.10.15労働判例ジャーナル108-28 アクレス事件です。

2.アクレス事件

 本件はいわゆる残業代請求訴訟です。

 被告になったのは、不動産の仲介、建築工事等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の元従業員です。退職後、残業代等の支払いを求めて被告を提訴しました。

 本件では固定残業代の有効性が争点の一つになりました。

 原告と被告との間では、平成29年5月1日付けで雇用条件通知書兼雇用契約書が取り交わされた後、更に同年11月1日付けで雇用条件通知書兼雇用契約書が取り交わされていました。

 いずれの雇用条件通知書件雇用契約書にも、「基本給40万円」という記載の後に「残業代込み」と書かれていました。しかし、基本給のうち幾らが残業代にあたるのかや、何時間分の残業代が基本給に含まれているかは明示されていませんでした。

 しかし、平成30年3月分及び令和元年5月分の給与明細書の備考欄には、「基本給には定額残業代100,000(45時間分)を含む」と記載されていました。

 本件では、こうした状況のもとで、有効な固定残業代の合意の成立が認められるのか否かが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代の有効性を否定しました。

(裁判所の判断)

「割増賃金を基本給等にあらかじめ含める方法により支払うこと自体は労基法37条に反するものではなく、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当てを支払うことにより、同条の割増賃金の全部または一部を支払うことができるが、その場合には、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労基法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討することとなり、その前提として、労働契約における基本給等の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である(最高裁平成29年7月7日第二小法廷判決・民集256号31頁等参照)。」

「本件において、被告は、原告の基本給に残業代が含まれている旨主張しており、証拠・・・によれば、原告が平成29年5月1日付け及び同年11月1日付けで押印した各雇用条件通知書兼雇用契約書の『賃金』欄の基本給40万円の記載の直後に、『残業代込み』と記載されていることが認められるが、同契約書のその他の記載を見ても具体的に基本給のうちいくらが残業代に当たるのか又は何時間分の残業代が基本給に含まれているのかを明示する部分はない。また、証拠・・・によれば、原告の平成30年3月分及び令和元年5月分の各給与明細の備考欄には『※基本給には定額残業代100、000円(45時間分)を含む』と記載されていることが認められるが、これらは原告が被告での勤務を開始してから相当期間が経過した後に被告が記載したものであって、これらにより直ちに被告と原告の間で基本給のうち10万円を固定残業代とする旨の合意をしたことが推認されるとはいえない。また、就業規則において通常の労働の対価の部分と残業代が明確に区分されているとも認められない(なお、証拠・・・によれば就業規則33条及び46条には賃金に関する詳細は賃金規程に定める旨記載があるが、被告は賃金規程を証拠として提出せず、また、その内容も覚えていない旨述べている。)。その他一件記録によっても、本件労働契約締結時又はその後いずれかの時点において、原告と被告の間において金額又は対象時間数を明示したうえで基本給の一部を固定残業代とする旨の合意をしたと認めるに足りる証拠は見当たらない。」

「よって、被告主張の固定残業代の合意が有効であるとは認められない。」

3.給与明細を一方的に交付されたところで合意の不備は治癒されない

 手当型の固定残業代に関しては、契約当時に金額が明示されていなかった場合であっても、給与明細上の記載を根拠に合意の成立を認めた裁判例があります(東京地判平31.1.31 労働経済判例速報2384-23さいたま労基署長事件参照)。

 しかし、区分けがはっきりとしている手当型とは違い、基本給組込型の固定残業代の場合、金額も想定残業時間数の定めもなければ、判別可能性がないため、固定残業代の合意を認定することは困難であるように思われます。そして、成立しなかった合意は、事後的に給与明細が交付され、その中で判別できるような形になっていたところで、当然に治癒されるわけではありません。

 給与明細に、突然、金額や想定残業時間数が表示されたところで、事件化できなくなるわけではありません。労働契約締結時の問題は、糊塗しようとしたところで簡単に糊塗できるものでもないため、おかしいと思ったら、安易に諦めることなく、弁護士に相談してみることをお勧めします。

 

会社は健康状態を省みずに職責を果たそうとする職務熱心な労働者の存在を考慮した職場環境を構築しなければならない

1.過労で心身を壊した方の損害賠償請求と過失相殺

 過労で心身を壊した方(ないしその遺族)が損害賠償を請求すると、使用者側から決まって過失相殺の主張がなされます。

 過失相殺というのは、損害の発生や拡大に関して債務者・被害者に過失があったときに、これを考慮して損害賠償の額を定めることをいいます(民法418条、722条2項)。過労の局面では、仕事を自分で抱え込んでいたことや、上司に助けを求めなかったことなどが過失相殺事由として、しばしば主張されます。

 具体的な事案の内容にもよりますが、過労で心身を壊したことを理由に損害賠償を請求する事件では、かなり極端な過失相殺がなされることが少なくありません。例えば、昨日ご紹介した、東京高判令3.1.21労働判例ジャーナル108-1 サンセイ事件の第一審判決(横浜地判令2.3.27労働判例ジャーナル100-30)は、病院を受診しているなどと虚偽の事実を述べて働き続けていたことなどを理由に、裁判所は7割もの大幅な過失相殺をしました。

過労死しても7割自己責任-健康診断の軽視等はそこまで責められることなのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

 しかし、これでは、他人に迷惑をかけることができないと考える責任感の強い人ほど割を食うことになります。また、追い込まれている人は、他人に助けを求めることができないような精神状態にあることも少なくありません。そうした方々が過失相殺により損害賠償額を制限される一方、使用者側が損害賠償責任の相当部分を免れることには、前々から違和感を持っていました。サンセイ事件の第一審判決について書いた記事も、そうした問題意識に基づいて書いています。

 記事を書いて以来、サンセイ事件の第一審判決の過失相殺に係る判示部分は是正されるべきではないかと思っていたところ、昨日紹介した控訴審判決では、過失相殺割合に関する判断も見直されました。具体的には、労働者側の過失割合が、7割から5割へと削減されました。

2.サンセイ事件(控訴審)

 本件は、長時間労働に起因する脳出血で死亡した従業員(故G)の遺族が提起した、いわゆる労災民訴と呼ばれる損害賠償請求事件です。原告遺族は、会社と取締役ら(D代表取締役、E元代表取締役、F専務取締役工場長)を被告として、損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 一審判決は、

会社の健康診断で高血圧を指摘されていながらも長期間病院を受診しなかったこと、

被告会社に病院を受診しているなどと虚偽の事実を述べていたこと、

妻に対しても健康診断の結果を伝えていなかったこと、

脳出血の発症直前まで飲酒を継続していたこと、

などを理由に、7割もの大幅な過失相殺を適用しました。

 こうした判断に対し、原告遺族が控訴提起したのが控訴審事件です。

 原告遺族の主張を受け、控訴審裁判所は、次のとおり述べて、過失相殺割合を7割から5割へと変更しました。

(裁判所の判断)

「故Gが営業技術係の係長として同係の人員に業務を割り振ることができる裁量を有していたのに、自らの仕事を割り振らずに抱え込んでいたことがあるとしても、会社としては自らの健康状態を十分に省みることなくその職責を果たそうとする職務に熱心な労働者が存在することも考慮した職場環境を構築すべきであるから、故Gによる業務遂行方法に健康管理の観点から見て相当ではない点があったとしても、これを過失相殺の類推適用の考慮要素として過大評価すべきではない。

3.5割でも多いには違いないが・・・

 死亡しても半分は労働者側の責任だというのですから、5割の過失相殺を行うというのも、遺族側にとって酷な結果には違いありません。しかし、裁判所が、

「会社としては自らの健康状態を十分に省みることなくその職責を果たそうとする職務に熱心な労働者が存在することも考慮した職場環境を構築すべき」

だと指摘したことは、労働者側にとって救いとなる画期的な判示だと思います。

 同種の悲惨な事故を防ぎ、遺族の保護を拡充するためにも、本件控訴審の判示が、安易に過労死した労働者の過失割合を過大視しがちな実務傾向への歯止めとなることを願ってやみません。

 

従業員の過労死に取締役が責任を負うとされた事例

1.取締役への責任追及

 過労死した従業員の遺族が民事訴訟で損害賠償を請求する場合、普通は会社を被告として訴えを提起します。経営者(取締役)個人を相手に訴訟提起することは、あまりありません。

 主な理由は、

安全配慮義務違反を理由に会社に責任を問う場合、過失を立証できれば事足りること、

個人よりも会社の方が普通は賠償資力があること、

です。

 会社法429条1項が、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定していることから分かるとおり、取締役個人の責任を問うためには、「悪意又は重過失」という要件を満たしていなければなりません。

 個人の責任を追及することは、立証のハードルという観点からも、回収の実益という観点からも、あまり意味がないのです。

 しかし、峻烈な感情を抱いている場合や、会社が清算してしまっている場合には、敢えて取締役個人の責任の追及に踏み込まなければならないときがあります。

 それでは、取締役個人の責任を追及するとして、「悪意又は重過失」の壁を乗り越えることは可能なのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、従業員の過労死に対し、取締役個人が責任を負うとされた事例が掲載されていました。東京高判令3.1.21労働判例ジャーナル108-1 サンセイ事件です。

 この事件は、以前、一審判決を、

労災民訴-取締役への責任追及の壁 - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事の中で紹介させて頂きました。一審は取締役の個人責任を否定しましたが、控訴審では取締役のうち一名の個人責任が認められました。

2.サンセイ事件(控訴審)

 本件は、長時間労働に起因する脳出血で死亡した従業員(故G)の遺族が提起した、いわゆる労災民訴と呼ばれる損害賠償請求事件です。本件の特徴は、故Gの勤務先であった会社(被告会社)だけではなく、取締役ら(D代表取締役、E元代表取締役、F専務取締役工場長)も被告として訴えられていることです。

 D~Fらも被告として訴えられたのは、被告会社が解散のうえ、清算結了の登記をしてしまっていたため、被告会社のみを訴えても、損害賠償金を回収できるのか否かに懸念が生じたからではないかと思われます。

 一審判決は被告会社への請求を一部認容する一方、D~Fら取締役個人の損害賠償責任は否定しました。

 これに対し、遺族側が控訴したのが本件です。

 控訴審も、被控訴人取締役D、Eの責任は否定しました。しかし、被控訴人取締役Fの責任については、次のとおり述べて、これを肯定しました。

(裁判所の判断)

「被控訴人Fは、神奈川県内に所在する被控訴人会社の本店から遠く離れた岩手県内に所在するH支社に専務取締役工場長として常駐し、同支社における実質的な代表者というべき地位にあった上、平成23年4月に故Gの所属する営業技術係に配置換えによる1名増員の措置を講じていたのに、故Gの同年6月分の残業時間が80時間を超えていた旨の集計結果の報告を受けたことにより、故Gに過労死のおそれがあることを容易に認識することができ、実際にもかかるおそれがあることを認識していた。それにもかかわらず、被控訴人Fは、従前行っていた一般的な対応にとどまり、故Gの業務量を適切に調整するための具体的な措置を講ずることはなかったため、故Gの発症前1か月の時間外労働時間(85時間48分)が発症前2か月のそれ(111時間09分)より軽減されたとはいえ、依然として80時間を超えており、故Gに過労死のおそれがある状態を解消することはできなかった。その後も故Gの業務量を適切に調整するための具体的な措置が講ぜられることはなかった上、故Gが間もなくお盆休みに入り長時間の時間外労働から解放されることが予定されていたとはいうものの、むしろ、故Gにとっては、その業務を前倒しで処理しておく必要があったため、平成23年8月分で見ても、過労死をもたらすおそれのある時間外労働が続いている状態に変わりはなかった。」

「以上のような事情を総合すれば、被控訴人Fにおいては、故Gの過労死のおそれを認識しながら、従前の一般的な対応に終始し、故Gの業務量を適切に調整するために実効性のある措置を講じていなかった以上、その職務を行うについて悪意までは認められないとしても過失があり、かつ、その過失の程度は重大なものであったといわざるを得ないから、被控訴人Fは会社法429条1項所定の取締役の責任を負うというべきである。なお、故Gが高血圧につき『治療中』という虚偽申告をしたことがあるとしても、被控訴人会社の実施に係る健康診断における血圧等の数値に(当然のことながら)全く改善が見られず、故Gの高血圧等の症状が依然として深刻なものであったことを容易に認識し得た以上、上記事情は、過失相殺の類推適用においてしん酌されるのは格別、被控訴人Fの上記責任を否定する根拠となるものではなく、上記判断を何ら左右しない。」

3.オーバーワークの放置への経営責任が厳しく問われるようになった

 控訴審裁判所は、月80時間を超える時間外労働を認識しながら放置していたことを重大な過失に値すると厳しく非難しました。

 これは注目に値する判断だと思います。控訴審の事実認定は、一審裁判所と顕著な差がないからです。つまり、一審判決と控訴審判決とで結論が異なったのは、長時間労働を放置することの悪性をどう評価するのかという価値判断の差に理由があると考えられます。地裁で重過失まではないと判断されたことが、実務に対し、より強いインパクトを持つ高裁で重過失に値すると判断されました。

 損害賠償のリスクが現実的になることは、取締役に長時間労働を是正させる誘因になります。精神疾患の発症を伴わない長時間労働に慰謝料請求を認める裁判例が散見されるようになるなど、裁判所の長時間労働に対する視線が徐々に厳しくなっていることは間違いありません。本判決を機に、長時間労働の是正に向けた各種取り組みが加速することが期待されます。

 

暴力を伴う指導等から従業員を守る注意義務を措定するために必要な予見可能性

1.安全配慮義務

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。この条文に基づく義務は、一般に安全配慮義務と言われ、しばしば損害賠償請求を行う根拠として参照されます。

 しかし、条文の文言が抽象的であるため、安全配慮義務違反を主張する場合、労働者は、個別事案との関係で、使用者が具体的にどのような配慮をする義務を負っていたのかを特定しなければなりません。

 例えば、上司や同僚からの暴行で負傷した労働者が安全配慮義務を理由に使用者に損害賠償を請求するにあたっては、安全配慮義務の内容を

「上司や同僚に対して・・・業務上の注意・指導を行うに当たり暴力を伴うような指導等をすることがないよう注意すべき義務」

などと特定したうえ、義務違反の事実を主張・立証して行く必要があります。

 一般の方の中には、こうした注意義務が存在することを、当たり前だと思う方がいるかも知れません。しかし、安全配慮義務違反を問題にするにしても、不法行為法上の過失を問題にするにしても、注意義務の措定は決して簡単ではありません。予見可能性の論証と結びついているからです。近時公刊された判例集にも、そのことがうかがわれる裁判例が掲載されています。大阪高判令2.11.13労働経済判例速報2437-3マツヤデンキ事件です。

2.マツヤデンキ事件

 本件は、電化製品の販売等を目的とする株式会社の従業員が原告となって、勤務先会社とその従業員ら(Y2~Y5)に対し、損害賠償を請求した事件です。

 原告が責任原因として構成したのは、被告従業員らの暴行です。暴行により身体的傷害のほか、精神疾患(うつ病、不眠症、外傷後ストレス障害など)を発症したというのが、その骨子です。

 原告が被告会社に損害賠償を請求する根拠として掲げたのは、雇用契約上の債務不履行(安全配慮義務違反)と不法行為(使用者責任)です。

 原審は原告の請求(634万2310円)の多くを認容し、被告会社に対し591万3310円を支払うよう命じました。

 これに対して、一審被告会社が控訴し、一審原告が付帯控訴したのが本件です。

 本件控訴審裁判所は、次のとおり述べて被告会社の注意義務を否定し、結論として一審被告会社の支払い義務を2万0700円まで削減しました。

(裁判所の判断)

「平成25年6月23日より前に、上司や同僚から被控訴人(一審原告 括弧内筆者)に対する暴力を伴う指導があったことや、被控訴人が、暴力を伴う指導の対象になっているとして自ら又は両親を介して控訴人会社に苦情を申し出たり、相談したりしたことがあったことをうかがわせる事情や証拠はない。」

「また、本件不法行為1が、被控訴人に商品券を探すよう指示した際に控訴人Y4が偶発的に行ったものであり、本件不法行為2も、被控訴人から唾をかけられるなどの対応をされるようになった控訴人Y5がとっさに行ったものにすぎないことは、前期説示のとおりである。」

「さらに、被控訴人が控訴人会社に入社して以降、人事評価において低位の評価が続いており、注意や指導が困難な社員であると受け止められていたからといって、本件全証拠によっても、控訴人会社において、そうしたことを理由に、被控訴人が上司や同僚から暴力を伴うような指導や叱責等を受ける可能性があることを予見することができたとは認めるに足りない。

そうすると、本件不法行為1、2当時、控訴人会社に、被控訴人の上司や同僚に対して被控訴人への業務上の注意・指導を行うに当たり暴力を伴うような指導等をすることがないよう注意すべき義務があったとまでいうことはできない。

3.暴行の阻止は当たり前の注意義務のように思われるが・・・

 厚生労働省告示第5号 令和2年1月15日「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」は、身体的な攻撃(暴行・傷害等)を職場におけるパワーハラスメントの一類型として位置づけ、こうした事態が生じないよう、事業主に雇用管理上の措置を講じる義務を課しています。

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf

 指針が出る以前も、平成24年1月30日には、厚生労働省の職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループが、身体的な攻撃をはじめとしたパワーハラスメントの予防・解決に取り組むよう報告をまとめています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000021hkd.html

 こうして見ると、身体的攻撃を予防すべき注意義務を負うことは、自明なことであるように見えます。しかし、裁判所は、予見可能性を厳格に要求し、

「被控訴人の上司や同僚に対して被控訴人への業務上の注意・指導を行うに当たり暴力を伴うような指導等をすることがないよう注意すべき義務」

の存在を否定しました。

 身体的攻撃型のハラスメントを問題にする場合、上述のような注意義務が措定されることは多々みられます。本件は、予見可能性の論証をおざなりにできないことを示す一例として参考になります。

 

第二東京弁護士会労働問題検討委員会で研究報告を行いました

 本日、第二東京弁護士会労働問題検討委員会で勉強会が行われました。数十名規模の弁護士が参加し、午前中から夕方にかけて行われる規模の大きなものです。例年は合宿の形式で一日中かけて行われているのですが、今年は新型コロナウイルスの影響からZOOMを利用して開催されました。

 勉強会は4部構成になっており、①固定残業代、②解雇、③休職・復職、④ハラスメントをテーマに研究報告が行われました。私は固定残業代班の班長として、4名の班員弁護士とともに、固定残業代に関する近時の裁判例の動向について研究報告を行いました。

 主催団体の性質上、勉強会の参加者は、労働事件に高い関心と専門性を持つ弁護士で構成されています。専門家向けの研究報告は常に緊張しますが、参加して頂いた方々の反応から、一定の役割は果たすことができたと自負しています。

 固定残業代の問題は、第二東京弁護士会労働問題検討委員会『働き方改革関連法 その他重要改正のポイント』〔労働開発研究会、第1版、令2〕という専門家向け書籍の公刊にあたって裁判例の動向分析を担当した経緯もあり、元々、専門的な知見に自信を持っていた分野です。今回の研究報告を通じ、更に理論的な研鑽を深めることができたと思っています。

 裁判例の錯綜した分野であるため、固定残業代に関する紛争を適切に処理するには、かなりの専門性が要求されます。しかし、一般の方が、弁護士の専門性の有無を判断することは、現実問題、かなり困難なのではないかと思います。

 専門家向けの書籍執筆、研究発表を行っていることは、ある程度分かりやすい能力の指標になると思います。頼れる専門家に心当たりがなく、お困りの方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談ください。

 

大学教員の雇止め-教員公募・テニュアポジションへの応募で合理的期待を失わせていいのか?

1.雇止め法理

 有期労働契約は、期間の満了により終了するのが原則です。 

 しかし、労働契約の期間満了時に契約が更新されるものと期待することについて合理的な期待がある場合、使用者が契約を終了させるには、客観的に合理的な理由・社会通念上の相当性が必要になります。客観的合理的理由・社会通念上の相当性が認められない場合、使用者は有期労働契約者からの契約更新の申込みを拒絶することはできません(労働契約法19条2号参照)。

2.使用者から更新拒絶を告げられたら・・・

 以上のようなルールはあるものの、契約の更新を拒絶された有期契約労働者が地位の回復を得られるのは、裁判で勝った後です。当然のことながら、裁判で勝つか負けるかは、やってみなければ分かりません。

 経時的にみると、使用者から更新拒絶を通知された有期契約労働者は、

雇止め法理の適用を主張して更新拒絶の効力を争うか、

丁半博打のような勝負は避け、更新拒絶を受け入れ、次の就職先を探すか、

の二択を迫られることになります。

 それでは、更新拒絶が見込まれる場合、保険をかける趣旨で次の就職先を探しつつ、見つからなかった場合には、雇止めの効力を争うといった方針はとれないでしょうか? これは、次の就職先を探していることが、契約更新に向けられた合理的な期待を認定する妨げにならないのかという問題です。

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。仙台高判令2.10.7労働判例ジャーナル107-28 国立大学法人東北大学事件です。

3.国立大学法人東北大学事件

 本件は、国立大学法人東北大学(被告・被控訴人)と有期労働契約を締結していた准教授の方(原告・控訴人)に対する雇止めの適否が問題になった事件です。

 原告の方は、過去7回に渡り有期労働契約を更新し、研究業務に従事してきました。しかし、国からの補助金給付の終了に伴い、雇止めを通知されました。

 これを受けて、原告は、被告を相手取り、雇止めの無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 原審は、原告が補助金に支給期間(10年)があると認識していたことなどを指摘したうえ、雇止めの効力を認め、請求を棄却する判決を言い渡しました。これに対し、原告が控訴したのが本件です。

(なお、提訴までの詳細な経緯は、本件の一審を紹介した 補助金の打ち切りを理由に業績を上げている研究者を簡単に雇止めにしていいのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ を参照)。

 控訴審は、次のとおり述べて、原告・控訴人の主張を排斥し、控訴を棄却する判決を言い渡しました。

(裁判所の判断)

「控訴人は、

〔1〕AIMRの研究者の雇用について、高い流動性は認められない、

〔2〕平成20年契約締結当時、平成29年にAIMRに対するWPIの補助金の支給が原則打ち切られることを認識していなかった、

〔3〕c機構長は人事権者の圧力として、平成29年4月1日以降労働契約を更新できないことを告知したものであるから、控訴人がその旨の説明を受けたと評価することはできない、

〔4〕補助金が打ち切られることにより大幅な人員整理が行われることを予見できなかったから、契約更新に対する期待には合理的な理由があった

と主張する。

しかしながら、大学における有期雇用の研究者はより良い研究環境を求めて他の研究機関に転出していくのであり、AIMRの設立目的等に照らしても、AIMRに所属する研究者がこれと異なる状況にあったとは認められないし、現に控訴人も他の研究機関の教授公募やテニュアポジション等の国際公募に応募していた。

「また、AIMRはWPIの補助金を資金として運営される機関であり、WPIの公募要領や平成19年当時の新聞報道等に照らすと、控訴人は、平成20年契約締結の当時において、平成29年にWPIの補助金が終了する可能性があることを認識していたものと認められ、そうすると、補助金の終了に伴いAIMRの人員整理が行われる可能性があることも予見できたところである。」

「また、c機構長の説明が不当な態様のもとで行われたと認めるに足りる証拠はない。」

「したがって、控訴人の上記主張はいずれも採用することができない。」

(中略)

「以上によれば、控訴人の請求をいずれも棄却した原判決は相当であり、本件控訴には理由がない。」

3.再就職活動で合理的期待を失わせるのは酷ではないか?

 上述のとおり、裁判所は、教員公募・テニュアポジションへの応募などの再就職活動をしていたことを、合理的期待を否定する根拠の一つとして指摘しました。

 しかし、これは雇止めの効力を争いたいのであれば、丁半博打の世界に突っ込めと言っているに等しく、労働者にとってかなり酷な判断であるように思われます。

 論旨に疑問は残りますが、本件のような裁判例があることは、更新拒絶を受けた有期契約労働者が以降の方針を選択するにあたり、留意しておく必要がありそうです。