弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

密輸の量定相場(公務員の懲戒処分)

1.懲戒処分の指針

 国家公務員は「職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合」や「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合」、免職、停職、減給、戒告といった懲戒処分の対象になります(国家公務員法82条2号3号)。

 しかし、「職務上の義務に違反し、又は職務を怠った場合」や「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合」という文言には、軽微なものから重大なものまで、多種多様な非違行為が含まれます。こうした抽象度の高い規定の運用は、恣意に流されたり、不平等なものになったりしがちです。そのため、国は「懲戒処分の指針について」という人事院規則により非違行為ごとに処分量定の目安を定め、懲戒制度が適正に運用されるように配慮しています。

懲戒処分の指針について

 この「懲戒処分の指針について」があるため、

「正当な理由なく10日以内の間勤務を欠いた職員は、減給又は戒告とする。」

「公金又は官物を横領した職員は、免職とする。」

「酒酔い運転をした職員は、免職又は停職とする。」

といったように、何をすれば、どのくらいの処分が科されるのかは、外部からでも、ある程度予測することができます。

 以上は国家公務員の場合ですが、地方公務員に対しても、似たようなルールが設定されています。

 しかし、懲戒処分の指針には、全ての非違行為が規定されつくされているわけではありません。指針に規定のない非違行為が行われた場合、懲戒処分の量定は、どのように考えられるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.10.28労働判例ジャーナル107-16 大阪市・大阪市長事件です。

2.大阪市・大阪市長事件

 本件は懲戒免職処分・退職金支給制限処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、大阪市交通局職員であった方です。第三者と共謀のうえ、金地金3個(合計3kg)を隠匿携行する方法で密輸入しようとしたこと(本件密輸入未遂行為)などを理由に、懲戒免職処分・退職手当支給制限処分を受けました。これに対し、裁量を逸脱・濫用した違法があると主張して、大阪市を相手取って、各処分の取消を求める訴えを提起しました。

 本件で問題になったのは、金地金の密輸の処分量定です。

 大阪市では大阪市職員基本条例によって、非違行為の類型と類型毎の標準的な処分が定められていました。しかし、条例上、金地金の密輸に相当する非違行為の類型は定められていませんでした。

 大阪市職員基本条例では、該当する非違行為の類型がない場合、類似する行為に対する懲戒処分の取扱いに準じて、当該非違行為に対する懲戒処分を決定するものとされていました(大阪市職員基本条例28条8項)。

 被告大阪市は、本件密輸入未遂行為を「横領、窃盗、詐欺、恐喝、脅迫、公務執行妨害又は職務強要を行うこと」(項番号63)に準じて取り扱うこととし、懲戒免職処分が相当であると判断しました。

 原告の論旨は、密輸入と横領等との間には何の関連性もなく、横領等に準じて懲戒免職処分を相当とするのは、不適切ではないかという点にあります。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、被告大阪市の判断に問題はないと判示しました。

(裁判所の判断)

「基本条例は、地方公務員法上の懲戒事由の定めを前提として、懲戒事由に該当する具体的な行為の類型ごとに、その懲戒処分の基準を定めている。」

「そして、本件密輸入未遂行為は、関税法違反(関税法111条3項、1項1号、67条。行為時の法定刑は5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金又はその併科)、消費税法違反(消費税法64条1項1号)及び地方税法違反(地方税法72条の109第1項。これらの法定刑は、いずれも10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金又はその併科)といった刑罰法規に触れ、重い刑が科せられ得る行為であり、現に原告に対する執行猶予付き懲役刑の有罪判決がなされ、既に確定しているものであって・・・、これが地方公務員法所定の懲戒事由(同法29条1項3号「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」等)に該当することは明らかというべきである。」

被告は、本件密輸入未遂行為について、その利欲性や租税公務に対する妨害等といった性質に着目するなどして、横領等の財産犯や公務執行妨害といった行為の類型に係る懲戒処分の基準を定めた基本条例別表『項番号』63に準ずるものと判断しているところ、その判断は、基本条例別表に掲げられた非違行為の類型に該当するものがないときに、類似する非違行為に対する取扱いに準じて懲戒処分を決定する旨の規定(基本条例28条8項。・・・)に則って、本件密輸入未遂行為の性質に着目し、的確に類似性を捉えてなされた合理的なものということができる。

「したがって、被告が本件密輸入未遂行為につき、基本条例別表『項番号』63に準ずるとした上で『免職又は停職』がその懲戒処分の基準になるとした点は相当と解される。」

「これに対し、原告は、本件密輸入未遂行為が基本条例別表『項番号』63とは関連性がないなどと主張するほか、本件免職処分の処分理由・・・のうち、刑事裁判手続の経過や量刑、市民からの信頼を失墜させた等といった、専ら懲戒事由の評価に係る記載部分について懲戒事由該当性ないし基本条例の適用関係を争う旨の主張をしているが、それらはいずれも当を得たものとはいい難く採用できない。」

3.密輸と横領・公務執行妨害等とでは罪質が違うようにも思われるが・・・

 直観的に考えると、密輸と横領・公務執行妨害等とでは、罪質が全く異なるように思われます。

 しかし、裁判所は、利欲性、租税公務に対する妨害という点を捉え、横領・公務執行妨害等に準じて処分量定を考えることを肯定しました。

 裁判例を知らなければ、密輸と横領・公務執行妨害等を類似行為として結びつけるという発想には至らないと思います。本件は、非典型的な非違行為の処分量定を予想するにあたり、記憶しておくべき裁判例として位置付けられます。

 

ヒヤリ・ハットの申告は解雇理由になるか

1.ヒヤリ・ハット活動

 仕事をしていて、もう少しで怪我をするところだったということがあります。このヒヤっとした、あるいはハッとしたことを取り上げ、災害防止に結びつけることをヒヤリ・ハット活動といいます。

 厚生労働省でも、ヒヤリ・ハット活動は、仕事にかかわる危険有害要因を把握する方法の1つとして、効果的であるとされています。

職場のあんぜんサイト:ヒヤリハット[安全衛生キーワード]

 上述のリンク先でも触れられているとおり、ヒヤリ・ハット活動に実効性を持たせるために必要なのは、労働者を責めないという取決めをすることです。ヒヤリ・ハットを報告したために不利益な取扱いを受けたのでは、報告をすることを忌避するようになり、結果として重大事故を防ぐことができなくなります。

 昨日ご紹介した大阪地判令2.9.10労働判例ジャーナル106-34 大阪市北区医師会事件は、ヒヤリ・ハット活動によって収集された事情を解雇理由として使うことができるのかという意味でも、興味深い判示をしています。

2.大阪市北区医師会事件

 本件で被告になったのは、地域医療等を目的とし、訪問看護・介護を行う医師会立北区訪問看護ステーション(本件ステーション)を運営する一般社団法人です。

 原告になったのは、介護福祉士資格を有する女性です。被告との間で「従事すべき業務の内容」を「介護業務及びそれに付随する業務」とする労働契約を締結していましたが、「職務遂行に必要な能力の欠如」「協調性の欠如」を理由に解雇されてしまいました(本件解雇1)。本件では、この解雇の可否が、争点の一つとして問題になりました。

 被告は原告の能力欠如を立証するにあたり、様々な事実を多数主張しました。その中には、ヒヤリ・ハット活動によって収集されたと思われる事実が相当数含まれていました。

 例えば、裁判所は、次のような事実を認定しています。

「原告は、平成29年8月31日及び同年9月2日、それぞれヒヤリ・ハットメモ(掃除中に窓ガラスが閉まらなくなった事例や利用者が自ら爪切りをした際に負傷し、消毒を行ったが、その点を伝票で報告しなかった事例を記入したもの)を原告の自宅で作成した」

「原告は、平成30年4月27日、ヒヤリ・ハットメモ(同月20日、認知症のある利用者宅で、暑い日にも関わらず、飲みかけのホットミルクをテーブル上に置いたまま退室した旨記載したもの)を作成し、被告に提出した・・・。」

「原告は、平成30年4月28日、ヒヤリ・ハットメモ(同月25日に車椅子の利用者宅で、玄関リフト操作時、最後まで降ろし切っていなかった旨記載したもの)を作成し、被告に提出した・・・。」

 こうした事実を根拠に原告の能力欠如を説く被告の主張に対し、裁判所は、次のおとり述べて、これを排斥しました。

(裁判所の判断)

「原告は、介護福祉士の資格を有するものの、訪問介護の実務経験自体は1年半しかなく、それも生活援助が中心で身体介護の経験が乏しかったためか、上記・・・のとおり、複数回のミスを行っている。なお、それ以外にもサービスの提供(洗濯物を干す)を失念するなどのミスもある・・・。しかしながら、そのミスの内容としてはヒヤリ・ハットメモの記入にとどまったものが多い上(事故報告書を含め原告の責任を問う趣旨のものではない・・・。)、証拠によっても、原告が注意指導を受けても同じミスを繰り返したなどの事情は見当たらず、いまだ指導教育をしても改善が見られないとまではいえない。また、能力向上の意欲が欠如していたとまでいえないことも上記ウのとおりである。したがって、上記各ミスの故に、原告において『職務の遂行に必要な能力を欠き』(本件就業規則60条3号)又は『その能力』『が欠ける』(同条6号)とまではいえず、また、解雇につき、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であるともいえない。

3.ヒヤリ・ハット活動を解雇理由に転用することは消極

 最初に述べたとおり、ヒヤリ・ハット活動は、使用者が労働者を責めないことが前提となっている仕組みです。この前提が崩れると、ヒヤリ・ハットが報告されなくなり、活動そのものが有名無実化します。

 このことをどれだけ意識していたのかは分かりませんが、裁判所は、

「ヒヤリ・ハットメモの記入にとどまった」

レベルのミスを解雇理由として重視しない判断をしました。

 ヒヤリ・ハット活動の趣旨にまで遡った判示ではないため、裁判所の姿勢に不明瞭な部分は残るものの、取り敢えずは、正直者が馬鹿をみるような結論は回避されたといえそうです。

 

ミスは数より質?-クビにならないために重要なのは同じ間違いを繰り返さないこと

1.能力不足解雇の予兆

 能力不足・職務不適格を理由に解雇される予兆として、口頭や書面による注意・指導の機会が急に増えることが挙げられます。これは、能力不足・職務不適格を理由とする解雇が有効と認められるためには、事前の指導等によって改善の機会が付与されたことが重要視されるからです。

 例えば、山川隆一ほか編『最新裁判実務体系 第8巻 労働関係訴訟Ⅱ』〔青林書院、初版、平30〕764頁には、

労働者の能力不足・職務不適格は、再三の指導・研修の付与、あるいは口頭や書面による注意、降格や軽い懲戒処分などの事前の改善措置によっても容易に是正し難い程度に達していることが必要である。このため、能力不足・職務不適格を原因とする勤務成績不良の事実は、原則的には一時的なものでは足りず、能力不足・職務不適格を裏付ける多数の具体的な事実が必要とされることが多い。一方で、ここにいう個々の事実が仮に些細なものであったとしても、それが恒常的に繰り返される場合には、当該労働者の能力不足・職務不適格は重大であると判断されることもある。

という記述があります。

 こうした裁判実務を意識して、能力不足・職務不適格を理由に労働者を解雇する方針を固めた使用者は、対象となる労働者に対し、集中的に指導、注意を繰り返します。これにより、ミスが恒常的に繰り返されていた履歴を残すとともに、改善の機会を与えたという外形を作り出します。そして、ある程度ミスが積み重なった段階で、解雇に踏み切ります。

 集中的な指導、注意の対象となった労働者の方は、往々にして強い不安感に苛まれます。しかし、些細な非を理由に注意、指導が繰り返されたとしても、事後の解雇無効を理由とする法的紛争との関係では、過度に悲観する必要はありません。能力不足・職務不適格を理由とする解雇の可否を判断するにあたっては、単純にミスの数だけをみるのではなく「同じ間違いを繰り返していたのか」という観点から評価を加える裁判例も少なくないからです。近時公刊された判例集に掲載されていた大阪地判令2.9.10労働判例ジャーナル106-34 大阪市北区医師会事件も、そうした裁判例の一つです。

2.大阪市北区医師会事件

 本件で被告になったのは、地域医療等を目的とし、訪問看護・介護を行う医師会立北区訪問看護ステーション(本件ステーション)を運営する一般社団法人です。

 原告になったのは、介護福祉士資格を有する女性です。被告との間で「従事すべき業務の内容」を「介護業務及びそれに付随する業務」とする労働契約を締結していましたが、「職務遂行に必要な能力の欠如」「協調性の欠如」を理由に解雇されてしまいました(本件解雇1)。本件では、この解雇の可否が、争点の一つとして問題になりました。

 被告は原告の能力欠如を立証するにあたり、様々な事実を多数主張しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、能力欠如が解雇理由になることを否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、介護福祉士の資格を有するものの、訪問介護の実務経験自体は1年半しかなく、それも生活援助が中心で身体介護の経験が乏しかったためか、上記・・・のとおり、複数回のミスを行っている。なお、それ以外にもサービスの提供(洗濯物を干す)を失念するなどのミスもある・・・。しかしながら、そのミスの内容としてはヒヤリ・ハットメモの記入にとどまったものが多い上(事故報告書を含め原告の責任を問う趣旨のものではない・・・。)、証拠によっても、原告が注意指導を受けても同じミスを繰り返したなどの事情は見当たらず、いまだ指導教育をしても改善が見られないとまではいえない。また、能力向上の意欲が欠如していたとまでいえないことも上記ウのとおりである。したがって、上記各ミスの故に、原告において『職務の遂行に必要な能力を欠き』(本件就業規則60条3号)又は『その能力』『が欠ける』(同条6号)とまではいえず、また、解雇につき、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であるともいえない。」

3.腐らずに同じミスを繰り返さないように留意しておいた方が争いやすい

 解雇要員とされ、些細なミスにまで逐一、注意・指導を受けていると、やる気がなくなったり、萎縮したりして、更にミスが増えることも珍しくありません。

 しかし、そうした状況に置かれても、腐らずに同じミスを繰り返さないように努力していた方が、いざ解雇の効力を争う時に、労働者側に有利になるのは確かです。

 解雇の効力を争う事件は、解雇要員として狙いを定められた時点から既に始まっているので、法的紛争を視野に入れている場合、決して自暴自棄にならないことが大切です。

 

賃金から社会保険料の労働者負担分を控除してもらうことに権利性はあるだろうか?

1.賃金全額払いの原則と社会保険料の控除

 労働基準法24条1項は、

賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

と規定しています。

 労働者は原則として賃金全額の支払を受けることができます。ただ、法令上の根拠がある場合、賃金から一定の費目・金額を控除することが認められています。

 社会保険料が賃金から控除されるのも、法令上の根拠があるからです。

 例えば、健康保険料に関しては、健康保険法167条1項が、

「事業主は、被保険者に対して通貨をもって報酬を支払う場合においては、被保険者の負担すべき前月の標準報酬月額に係る保険料(被保険者がその事業所に使用されなくなった場合においては、前月及びその月の標準報酬月額に係る保険料)を報酬から控除することができる。」

と規定しています。

 厚生年金保険料に関しては、厚生年金保険法84条1項が、

「事業主は、被保険者に対して通貨をもつて報酬を支払う場合においては、被保険者の負担すべき前月の標準報酬月額に係る保険料(被保険者がその事業所又は船舶に使用されなくなつた場合においては、前月及びその月の標準報酬月額に係る保険料)を報酬から控除することができる。」

と規定しています。

 通常、こうした規定に基づいて、労働者には社会保険料が控除された賃金が支払われます。

 それでは、社会保険料を賃金から控除してもらうことについて、労働者に権利性を認めることはできないのでしょうか。

 休職した労働者が復職を求める場面において、従前の職務を通常の程度に遂行できる健康状態に回復しているか否かが問題になることがあります。

 こうした場合に、使用者が、まだ十分に労務遂行能力が回復していないとして労働者の就労を拒否しつつ、社会保険料の労働者負担分の立替を行い続けるという対応をとることがあります。コツコツと立替えられた社会保険料は、紛争が長期化すると、かなりの金額に上ることがあり、これが労働者にとってのプレッシャーになることは少なくありません。

 このような局面において、復職要件の具備を主張する労働者が、

復職要件の存否をめぐる紛争が一段落するまで立替金は支払わない、

復職要件が具備されていることが判明したら、復職を求めた時点に遡って賃金支払請求が認められるところ、立替金は未払賃金の中から支払う、

と主張することはできないでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.9.25労働判例ジャーナル106-52 高山運輸事件(大阪地方裁判所平成31年(ワ)第3589号)です。

2.高山運輸事件

 本件は休職中の労働者の社会保険料(健康保険料、介護保険料)の労働者負担分を立替払いしたとして、使用者(原告)が労働者(被告)に対し、立替金合計約238万円の支払を請求した事件です。

 この事件で、被告労働者は、大意、

主治医から就労可能との診断書を発行してもらったのに、原告が被告の復職を拒絶した、

そのため、被告は給与の支払を受けられないまま、不本意ながらも自宅待機を続けざるを得なかった、

立替社会保険料の支払自体に異議はないが、それは、原告から被告に給与の支払があった時点で行われるべきものである、

と主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥し、原告の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「被告が休職している間の被告負担部分にかかる社会保険料の立替と支払に関して、原被告間に何らの合意もない以上、原告による上記立替金は、被告が法律上の原因なく得た利益ということができる。」

「これに対し、被告は、原告による上記立替金の支払請求は、原告から被告に給与の支払があった後に認められるべきである旨主張する。」

「しかし、かかる被告の主張は法的裏付けを欠く独自の見解であって、採用の限りでない。なお、被告が原告を相手方として平成30年3月22日以降の賃金の支払を求める訴訟(当庁令和2年(ワ)第2635号賃金等請求事件)を別途提起していることは、当裁判所に顕著であり、被告の主張する給与の支払については別訴の判断を待つほかない。」

「以上によれば、原告の本件請求には理由がある。」

3.相殺を主張するという選択もあったのではないか

 以上のとおり、裁判所は、復職要件の具備が争いになっている別事件が係属していたとしても、労働者への立替金支払請求は妨げられないと判示しました。確かに、ただ単純に復職要件の具備をめぐる紛争が解決するまで立替金の支払を待ってくれということに権利性を認めることは、難しいかも知れません。

 しかし、復職要件の具備を理由に賃金債権の発生を主張し、これを自働債権として立替金支払債務と相殺するという主張をすれば、復職要件を具備しているにもかかわらず、立替金の支払債務のみが先行して判断されるという事態は、防げた可能性があります(なお、賃金全額払いとの関係で相殺が禁止されるのは、賃金債権を受働債権とする相殺であり、自働債権とする相殺ではありません)。

 本件の被告の方は本人訴訟で対応したようですが、代理人弁護士を選任して法律構成を練っていれば、また違った結論になったかも知れないと思うと、やはり早い段階で代理人弁護士が関与することの重要性を意識せざるを得ません。

 

従業員間の男女交際を違約金で禁止することはできるのか?

1.男女交際禁止の約定

 芸能事務所とアイドルとのマネジメント契約書や、クラブがホステスに対して適用している就業規則を検討していると、男女交際を禁止する条項を目にすることが少なくありません。

 一般企業の就業規則に目を通している中でも、セクシュアルハラスメント等の問題を未然に防ぐためか、時折、男女交際を禁止する条項を見ることがあります。

 個人的には就業者の自由に干渉しすぎではないかと思いますが、こうした規定も、存在すること自体が違法とまで理解されているわけではありません。

 それでは、こうした男女交際禁止に係る規定の実効性を高めるため、違約金の定めをすることは、どのように理解されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.10.19労働判例1233-103 キャバクラ運営A社従業員事件です。

2.キャバクラ運営A社従業員事件

 本件で原告になったのは、ガールズバーやキャバクラ店、クラブ等を経営する有限会社です。

 被告になったのは、原告が経営するクラブで働いていた方です。

 従業員が私的交際を行うと担当する客が離れてしまうため、原告は、全従業員に対し、私的交際の絶対禁止と、それに違反した場合の違約金200万円の支払を内容とする同意書への署名を求めていました。

 しかし、被告は、私的交際禁止の約束に反し、クラブの副店長と交際しました。

 これを理由に、原告は、被告に対し、違約金等の支払を求める訴えを提起しました。

 原告からの請求に対し、被告は、

違約金支払いの合意は、労働基準法16条に反し、無効である、

私的交際をするかどうか、交際するとして誰と交際するのかを決める自由を制約する合意は公序良俗に反し無効である(民法90条)、

などと主張し、違約金等の支払義務を争いました。

 原告が使った条文の一つである労働契約法16条は、

「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。」

と規定しています。労働契約法16条違反の主張は、200万円の違約金は労働契約(私的交際禁止)の不履行に対する違約金であるという発想だと思われます。

 こうした主張を受け、裁判所は、次のとおり判示し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「本件同意書は、使用者である原告が被用者である被告に対して私的交際を禁止し、これに違反した場合には違約金200万円を請求し、被告はこれを支払う旨合意するものであるところ、これは、労働契約の不履行について違約金を定めたり、損害賠償額を予定する契約をしたりすることを禁じた労働基準法16条に違反しており、無効である。」

「また、人が交際するかどうか、誰と交際するかはその人の自由に決せられるべき事柄であって、その人の意思が最大限尊重されなければならないところ、本件同意書は、禁止する交際について交際相手以外に限定する文言を置いておらず真摯な交際まで禁止対象に含んでいることや、その私的交際に対して200万円もの高額な違約金を定めている点において、被用者の自由ないし意思に対する介入が著しいといえるから、公序良俗に反し、無効というべきである。」

(中略)

「以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。」

3.労働者なら金額を問わず違約金は違法、労働者でなくても高額違約金は違法

 労働契約法16条は金額を問わず、違約金を定めることを一律に禁止しています。そのため、本件裁判例の論旨に従えば、就業先との間の契約が労働契約であることが立証できれば、違約金の定めは金額の高低を問わず、無効にすることができます。

 また、本件は労働契約法16条違反だけではなく、公序良俗違反(民法90条違反)だとも判示している点に特徴があります。違約金が高額であることも、公序良俗違反を認定した理由の一つになっているため、民法90条違反だと主張するためには、違約金が高額であることまで必要になってくるのかも知れません。民法90条の適用範囲は労づ契約に限られないため、業務委託契約などフリーランスとして働いている人でも、公序良俗違反の主張は使うことができます。

 本件のような判断を見ていると、違約金まで定めて男女交際を禁止することに関して、裁判所は、それほど肯定的に捉えているわけではなさそうに思われます。

 この種の約定に違反して違約金を請求されているという事案は、定期的に相談で目にします。約定違反の事実があるとしても、法律論で勝てる可能性もあるため、お困りの方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談ください。

 

解雇事件における就労意思の認定-「被告会社に戻ってまた働く気持ちはない」との法廷供述のリカバーができた例

1.解雇事件における就労意思の位置づけ

 違法解雇された労働者は、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を請求することができます。請求認容判決が確定したら、原告となった労働者は、解雇されてから判決が確定するまでに発生した賃金を支払うよう、勤務先に請求することができます。

 ただ、これは、就労する意思と能力があり、労務を提供したにもかかわらず、勤務先の側で労務の提供の受領を拒絶したことになるからです(民法536条2項参照)。一定の時点で就労意思を喪失していたことが認定された場合、仮に解雇が違法・無効だと認定されたとしても、就労意思の喪失時以降の賃金を支払ってもらうことはできません。

 こうしたルール設定がされていることから、以前、使用者側から、当事者尋問の際、

「今更解雇が無効だと言われたところで、ここで働くつもりはあるのか?」

という発問がなされることをご紹介しました。

解雇事件における尋問の勘所(使用者側の常套句への備え) - 弁護士 師子角允彬のブログ

 こうした質問に対しては、事前打ち合わせのうえ、

「あります。」

と回答するのが尋問準備の鉄則です。消極的な受け答えをすると、就労意思の喪失を認定する根拠に使われかねないからです。

 しかし、近時公刊された判例集に、原告労働者が、

「被告会社に戻ってまた働く気持ちはない」

と述べたにも関わらず、就労意思の喪失を認定されなかった裁判例が掲載されていました。昨日、一昨日とご紹介させて頂いている大阪地判令2.2.21労働判例1233-66 P社ほか(セクハラ)事件です。

2.P社ほか(セクハラ)事件

 本件で被告とされたのは、経営に関するコンサルティング業務等を目的とする株式会社です。原告らにセクシュアルハラスメントをしたとして、創業者Y1(昭和22年生まれ)も共同被告とされています。

 原告になったのは、被告に採用されていた平成元年生まれの女性X2と、平成6年生まれの女性X1の二名です。

 解雇無効、地位確認を請求する訴訟を提起しながらも、当事者尋問で「被告会社に戻ってまた働く気持ちはない」と供述してしまったのは、二名の原告のうちX2の方です。

 X2が解雇を通知され、地位確認等を請求した経緯は、次のとおりです。

 X2は平成28年8月25日に被告に採用され、本社での研修を経てY1のもとでの業務を開始しました。

 同月26日ころ、被告Y1から海外研修の話を受け、同年9月20日からオランダへの出張に同行することになりました。

 オランダ出張の前日である同月19日、X2は、被告Y1から、被告Y1の居宅兼事務所であるマンション居室(本件マンション)に宿泊するように言われ、翌日20日にかけて、本件マンションに宿泊しました。

 その後、同月20日から同月28日まで被告Y1らと共にオランダ出張に同行し、同日、帰国しました。

 帰国日である同月28日、X2は、被告Y1から

「合わないですねぇ 基本理念なのか?考え方なのか?歩こうとする道が違うのかな?別々の道を行きましょう。自ら退職届けを出した方が良いと思う。今日までの給料は支給日に支払います。円満退職の方が、次の就職に有利。貸した20万円は、餞別代わりに差し上げます。退職届けを出さない場合は、今日付けで解雇します。この場合、貸した20万円は、給料から差し引きます。しっかりしていて、役に立つと思ったが、残念です。」

とのLINEアプリによるメッセージを受信しました。

 その後、X2は、平成28年11月1日以降、一部期間を除き、他社(計3社)に再就職して就労し、給与収入を得ました。

 オランダ出張中の前後の事実認識には争いがあり、X2は、
(解雇理由の)「内実は、被告Y1が、オランダ出張前日の本件マンション宿泊時に同じベッドで寝た際に、性的欲求を満たすことを拒絶されたこと、オランダ出張中に何度も自分の部屋に来るようにとの命令を拒絶されたことへの報復である。」

と主張しました。

 こうした事実は認定されませんでしたが、出張前日の出来事としては、次の事実が認定されています。

「原告X2は、かねてより早朝の電車での移動中に気分が悪くなり下車するといったことがあったところ、被告Y1は、原告X2に対し、パニック症状を心配しているとして、オランダ出張の前日である同年9月19日は本件マンションで宿泊し、翌日の出国に備えるよう求め、これを受けた原告X2は、同日、本件マンションを訪れた。」

「被告Y1は、同日、本件マンションにおいて、原告X2に対し、従来からよく自宅での施術を依頼していた鍼灸師であるO(以下『O鍼灸師』という。)による施術を受けるよう勧め、これを受けた原告X2は、O鍼灸師による施術を受けることとなった。」

「原告X2は、本件マンション内のリビングにおいて、40分ないし50分程度、施術を受けた。原告X2は、同リビング内で、マット又は絨毯の上で横になり、背部及び腰部に針を刺さないてい鍼、足の甲にお灸をする施術を受けた。その際、原告X2の衣服をまくることがあったが、O鍼灸師においては、肌の露出を極力避け、露出した部分についてはタオルを掛けて覆うなどの配慮をしていた。」

「原告X2の施術中、被告Y1は別の部屋に移っており、O鍼灸師は、被告Y1がリビングに入る音を聞いたり、多少うろうろしている気配を感じたことはあったが、被告Y1が原告X2のすぐ近くに来ることはなかった。」

 以上のような伏線のもと、X2は解雇無効を主張し、被告会社に対し、地位確認等を求める訴訟を提起しました。

 この中で、X2は

「被告会社に戻ってまた働く気持ちはない」

という趣旨の法廷供述をしてしまいました。

 しかし、裁判所は、解雇無効を認めたうえ、次のとおり述べて、就労意思の喪失を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告会社は、原告X2は、平成28年9月28日に退職を勧告されて以降、被告会社で働く気持ちを持っておらず、被告での労務提供の意思を喪失している旨主張する。」

「しかし、上記・・・で認定したとおり、①オランダ出張からの帰国日である平成28年9月28日、原告X2は、被告Y1に対し、『明日と明後日はどちらに出勤ですか?』と尋ねて、就労を前提とする行動をとっていること、②その後、原告X2は被告会社に出社せず、また、出社の意向を伝えていないが、これは被告会社による無効な解雇が原因であり、被告Y1とのLINEに照らしても、原告X2自身、解雇を不当なものであると感じていたことは明らかであること、③原告X2は解雇から約1か月後の同年11月1日から他社に正社員として就職し勤務しているが、被告会社による解雇を受けて収入の途を失ったためのやむを得ない措置であったとみられること、以上の点に照らせば、原告X2が、解雇の時点において、被告会社における就労の意思を喪失していたとは認められない。」

なお、被告会社は、原告X2が本人尋問において、解雇されてからは被告会社に戻ってまた働く気持はないと述べていることを指摘するが、上記①及び②の点に照らせば、これをその言葉どおりに解することはできず、被告会社の主張は採用できない。

「そして、原告X2は、上述のとおり平成28年11月1日に再就職して以降、計3社で正社員として勤務を行っているが、被告会社への復職を妨げる事情があるとまでは認められないこと、上記3社における賃金額は被告会社との雇用契約に基づく賃金額の約60%ないし66%にとどまっていることからすれば、原告X2において、その後、被告会社における就労意思・能力を失うに至ったものとも認められない。」

(中略)

「以上によれば、原告X2が被告会社における就労の意思・能力を喪失したとの被告会社の主張は採用できない。」

3.当事者尋問での供述はリカバーできることもある

 裁判実務では、尋問後、和解の話し合いの機会が持たれることは少なくありません。

 当事者尋問では、就労意思の喪失を疑われるような言動をとらないのが鉄則ではありますが、うっかり「働く気持ちはない」と述べてしまったとしても、それだけで過度に悲観する必要はないのだろうと思います。本件のように、LINEで就労意思があることを明確に伝えているなど、適切な痕跡が残されている場合には、裁判所が就労意思の喪失を認定しない可能性は十分に残されています。

 この例からも分かるとおり、紛争は、適切な手順のもと、必要な痕跡を残しながら進めて行くことが肝要です。そのためにも、使用者側の行為に疑義を覚えた場合には、できるだけ早い段階で弁護士に相談することが推奨されます。

セクシュアルハラスメント事案の損害賠償-慰謝料・退職を余儀なくされたことによる逸失利益の認定例

1.セクハラ事案の損害賠償

 民法上の不法行為への該当性が認められる場合、セクハラの被害者は、加害者に対して損害賠償を請求することができます。

 被害者が主張する典型的な損害項目に、慰謝料と逸失利益があります。

 慰謝料とは精神的苦痛を慰謝するに必要な金銭のことです。

 逸失利益は、セクハラを受けて退職を余儀なくされた労働者が、被害を受けずに勤務を継続していれば得られたはずの金銭という趣旨で請求されることがあります。

 セクハラは、言葉による比較的軽微なものから、性犯罪に近い肉体的侵襲を伴うものまで、態様が多岐に渡ります。そのため、損害賠償の相場観を身に付けることが困難な不法行為類型の一つとされています。

 相場観・実務感覚を得ていくためには、公表裁判例を一つ一つ地道に読み込んでいくしかありません。昨日ご紹介した大阪地判令2.2.21労働判例1233-66 P社ほか(セクハラ)事件は、セクハラ事案における損害賠償の水準を知るためのサンプルという点でも意義のある裁判例です。

2.P社ほか(セクハラ)事件

 本件で被告とされたのは、経営に関するコンサルティング業務等を目的とする株式会社です。原告らにセクシュアルハラスメントをしたとして、創業者Y1(昭和22年生まれ)も共同被告とされています。

 原告になったのは、被告に採用されていた平成元年生まれの女性X2と、平成6年生まれの女性X1の二名です。

 原告X1は、平成29年9月21日にY1と共にローマ出張に行った時、空港から宿泊予定のローマ市内のホテルへ向かうタクシーでの移動中、「どうや、愛人になるか」「君が首を縦に振れば、全部が手に入る。全部、君次第。」などと言われました。

 その後、ホテルに行った原告X1は、チェックイン時になって、入室できる部屋がY1名義で予約された部屋しかないことを知らされました。このように伝えられた結果、実際には二部屋が予約されていましたが、X1は自分とY1のための部屋として1部屋しか予約されていないと認識しました。Xは自分用の部屋を予約するよう懇請したものの、Y1に拒絶され、やむなく部屋に移動しました。Y1がシャワーを浴びる行動に出たことに恐怖を感じ、X1は部屋を出て逃げるように帰国しました。

 その後、代理人弁護士を通じ、平成29年10月5日、被告会社らに対し、Y1の居宅兼事務所での就労が不可能であることを伝えるほか、セクハラの社内調査、再発防止措置、Y1らの謝罪、セクハラのない職場であることが確認されて出社できるまでの間の給与の支払等を求める通知を送付しました。

 しかし、被告会社は事実関係の調査や、出社確保のための方策をとることを怠りました。結果、原告X1は平成29年12月31日付けで被告会社を退職しました。

 原告X1は退職するまでに不就労期間の賃金を請求したほか、上記のようなセクハラが不法行為に該当するとして、

慰謝料

弁護士費用

1年分の賃金額(賞与含む)に相当する逸失利益

を請求しました。

 原告X1の請求に対し、裁判所は、次のとおり損害額を認定しました。

(裁判所の判断)

-慰謝料・弁護士費用-

「被告Y1によるセクハラ行為は、被告会社での地位や権限、年齢・社会経験等に大きな格差があることを背景に、海外出張先で愛人になるよう求めた上、一時的であれホテルの部屋に同室を余儀なくさせるという態様のものであること、原告X1は逃げるようにして帰国することを余儀なくされ、その後の出社することなく退職に至っており、少なからぬ精神的苦痛を被ったと考えられること、その他本件に顕れた一切の事情を総合的に勘案すれば、被告Y1のセクハラ行為による原告X1の慰謝料として、50万円を認めるのが相当である。」

「そして、上記アの認容額、事案の難易、その他本件に顕れた一切の事情に鑑みれば、原告X1の弁護士費用5万円を相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。」

-職場環境整備義務違反に係る逸失利益-

「原告X1は、被告会社の職場環境整備義務違反による損害に関し、少なくとも被告会社に勤務して得ることのできた一年分の賃金を喪失した旨主張する。」

「しかし、原告X1がローマ出張から帰国してから退職までの間には3か月余りの期間があることに加え(なお、後記6のとおり、原告X1はこの間の賃金請求権を有している。)、原告X1の年齢・経歴等も併せ鑑みれば、退職を余儀なくされたこととの間に相当因果関係のある損害は、約定賃金月額30万円の3か月分に相当する90万円の範囲であると認めるのが相当である。」

3.損害賠償の水準は低い

 裁判所は、慰謝料額として50万円、逸失利益として賃金3か月分・90万円(3か月程度もあれば同水準の勤務先に再就職可能だという発想だと思われます)の損害を認めました。

 物理的接触がなく、精神疾患を発症した証拠が見当たらない事案であることを考慮しても、本件ほど露骨なセクハラに対し、慰謝料50万円というのは低額に過ぎるのではないかと思う一般の方は少なくないと思います。

 不就労期間約3か月分の賃金請求が認められていることを考慮しても、職場がきちんとした対応をとってくれず、不本意な形で退職せざるを得なくなった方の逸失利益の請求に対し、3か月分も賃金を渡せば十分だろうという発想は、いかにも乱暴であるように思われます。

 本邦の損害賠償法の体系が、損害填補を旨とし、違法行為の抑止を目的としていないことはその通りなのですが、裁判所が違法行為への抑止力になり得ない水準でしか慰謝料等を認め続けないことに対しては、やはり釈然としない感があります。