弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

セクハラで出社できなかった期間の賃金請求が認められた事案

1.事業主の責務

 事業主は、職場におけるセクシュアルハラスメントに係る相談の申出があった場合、

事案に係る事実関係を迅速かつ正確に確認すること、

速やかに被害を受けた労働者に対する配慮のための措置を適正に行うこと、

行為者に対する措置を適正に行うこと、

再発防止に向けた措置を講じること、

などの対応をとる必要があります(平成18年10月11日 厚生労働省告示第615号「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針 最終改正 令和2年1月15日 厚生労働省告示第6号参照)。

 しかし、労働問題についての法律相談を受けていると、こうしたセクシュアルハラスメントに対応するための仕組みが適切に機能していないのではないかと思われることは、少なくありません。

 それでは、事実関係の調査や出社を確保するための環境整備に会社がきちんと取り組んでくれない場合、不安で出勤できなくなった労働者は、働けなかったのは会社の責任であるとして、不就労期間の賃金を請求することができないでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.2.21労働判例1233-66 P社ほか(セクハラ)事件です。

2.P社ほか(セクハラ)事件

 本件で被告とされたのは、経営に関するコンサルティング業務等を目的とする株式会社です。原告らにセクシュアルハラスメントをしたとして、創業者Y1(昭和22年生まれ)も共同被告とされています。

 原告になったのは、被告に採用されていた平成元年生まれの女性X2と、平成6年生まれの女性X1の二名です。

 このうち、セクシュアルハラスメントを受けたとして、不就労期間の賃金を請求したのは、X1の方です。

 原告X1は、平成29年9月21日にY1と共にローマ出張に行った時、空港から宿泊予定のローマ市内のホテルへ向かうタクシーでの移動中、「どうや、愛人になるか」「君が首を縦に振れば、全部が手に入る。全部、君次第。」などと言われました。

 その後、ホテルに行った原告X1は、チェックイン時になって、入室できる部屋がY1名義で予約された部屋しかないことを知らされました。このように伝えられた結果、実際には二部屋が予約されていましたが、X1は自分とY1のための部屋として1部屋しか予約されていないと認識しました。Xは自分用の部屋を予約するよう懇請したものの、Y1に拒絶され、やむなく部屋に移動しました。Y1がシャワーを浴びる行動に出たことに恐怖を感じ、X1は部屋を出て逃げるように帰国しました。

 その後、代理人弁護士を通じ、平成29年10月5日、被告会社らに対し、Y1の居宅兼事務所での就労が不可能であることを伝えるほか、セクハラの社内調査、再発防止措置、Y1らの謝罪、セクハラのない職場であることが確認されて出社できるまでの間の給与の支払等を求める通知を送付しました。

 しかし、被告会社は事実関係の調査や、出社確保のための方策をとることを怠りました。結果、原告X1は平成29年12月31日付けで被告会社を退職しました。

 こうした事実関係のもと、本件では、X1がローマ出張からの帰国から退職までの不就労期間に対応する賃金を請求できるのかが問題になりました。

 この論点に対し、裁判所は、次のとおり述べて、原告X1の請求を認めました。

(裁判所の判断)

被告会社は、原告X1からのセクハラ被害申告に対し、使用者として採るべき事実関係の調査や出社確保のための方策を怠ったものであり、そのために、原告X1は、退職に至るまでの間、被告会社において就労することができなかったものと認められる。

「そうすると、原告X1が被告会社において労務提供ができなかったのは、使用者である被告会社の責めに帰すべき事由によるものであるから、原告X1は、ローマ出張からの帰国以降、平成29年12月31日までの間における不就労期間についても賃金請求権を失わない。

3.精神疾患を発症していなくても措置義務の不履行で賃金請求可能

 本件では原告X1が精神疾患を発症したという事実が認定されていません。セクシュアルハラスメントにより精神疾患を発症して働けなくなったという関係がない中、措置義務への違反により出勤できなくなったことを理由に不就労期間中の賃金の請求を認めた点に本件の特徴があります。

 精神疾患を発症するには至っていなかったとしても、セクシュアルハラスメントの被害を受けて出社したくない/出社できないという気持ちになる方は、私の個人的な実務経験の範囲内でも相当数います。本件の裁判例は、そうした方々が出社できなかった期間の賃金を請求して行くにあたり、活用できる可能性があります。

 

労働者性の検討要素としての諾否の自由-断りたくない場合も自由がないといえるのか?

1.労働者の判断基準

 労働基準法上の「労働者」に該当するのか否かは、昭和60年12月19日に作成された「労働基準法研究会報告(労働基準法の『労働者』の判断基準について)」に基づいて判断されています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000xgbw-att/2r9852000000xgi8.pdf

 これによると「労働者」であるか否かは「指揮監督下の労働」という労務提供の形態と「賃金支払」という報酬の労務に対する対償性によって判断されることになります。

 一番目の要素「指揮監督下の労働」といえるか、換言すると、他人に従属して労務を提供しているあどうかに関する重要な考慮要素の一つに、「仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由」があります。

 上記報告書によると、

「具体的な仕事の依頼、業務指示等に対して諾否の自由を有していれば、他人に従属して労務を提供するとはいえず、対等な当事者間の関係となり、指揮監督関係を否定する重要な要素となる。」

「これに対して、具体的な仕事の依頼、業務従事の指示等に対して拒否する自由を有しない場合は、一応、指揮監督関係を推認させる重要な要素となる。」

とされています。

 「諾否の自由」がない場面の典型は、業務従事の指示等を拒否すると不利益な取扱いを受けるときです。こうした場合、行政判断にしても、司法判断にしても、諾否の自由があるとは判断されにくいように思われます。

 それでは、特段、不利益な取扱いと結びついてはいなかったとしても、諾否の自由がないと認められることはあるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。先月23日にもご紹介した東京高判令2.9.3労働判例ジャーナル106-38 エアースタジオ事件(控訴審)です。

2.エアースタジオ事件(控訴審)

 本件は未払賃金請求・残業代請求の可否等に関連して、劇団員の労働者性が争点となった事件です。出演・稽古との関係で労働者性を否定するなどした原審の判断に対し、これを不服とした原告劇団員が控訴したのが本件です。

 出演等の関係で労働者性を認めるにあたってのハードルになっていたのは、劇団のルール上、公演への出演が任意とされていたことです。出演が任意で、特段不利益な取扱いとも結びついていなかったことから、原審は出演等との関係で原告が労働者であることを否定しました。

 しかし、控訴審は、次のとおり述べて、諾否の自由を否定し、出演等との関係でも原告は労働者に該当すると判示しました。

(裁判所の判断)

確かに、控訴人は、本件劇団の公演への出演を断ることはできるし、断ったことによる不利益が生じるといった事情は窺われない(原審における控訴人本人)。」
しかしながら、劇団員は事前に出演希望を提出することができるものの、まず出演者は外部の役者から決まっていき、残った配役について出演を検討することになり(原審におけるK及びEの証言によると1公演当たりの出演者数20から30人に対して劇団員の出演者数4人程度)、かつ劇団員らは公演への出演を希望して劇団員となっているのであり、これを断ることは通常考え難く、仮に断ることがあったとしても、それは被控訴人の他の業務へ従事するためであって、前記のとおり、劇団員らは、本件劇団及び被控訴人から受けた仕事は最優先で遂行することとされ、被控訴人の指示には事実上従わざるを得なかったのであるから、諾否の自由があったとはいえない。

(中略)

「以上によれば、控訴人は、本件カフェにおける業務のほか、本件劇団の業務のうち、大道具、小道具、音響照明(裏方業務)、公演への出演、演出及び稽古等の業務(ただし、上記(4)エの公演打ち上げ等懇親会への参加は除く。)についても、本件劇団の指揮命令に従って、時間的、場所的拘束を受けながら労務の提供をし、これに対して被控訴人から一定の賃金の支払を受けていたものと認められるから、控訴人は、被控訴人に使用され、賃金を支払われる労働者(労働基準法9条)に該当するというべきである。

3.断れない場合だけではなく、断りたくない場合も含まれる?

 上述のとおり、裁判所は、自己実現との関係で断るという選択肢がなければ、不利益性との結びつきがなくても、諾否の自由があるとは認められないと判示しました。

 諾否の自由をここまで緩める判断は、あまり目にしたことがありませんでしたが、指揮監督関係が当事者間の非対等性を意味するのであれば、一方が欲しくてたまらない仕事を他方が掌握している場合にも、諾否の自由がないという判断はあてはまるのかも知れません。

 本件程度の関係で諾否の自由がないと判断され、労働者性が認められるのであれば、フリーランスとして働いている方の相当数に、労働法を適用できる余地が生じます。

 本件は、判断枠組みだけではなく、諾否の自由の理解の仕方という点においても、示唆に富む判断をした裁判例として位置づけられます。

 

就業規則の不利益変更の無効確認請求は可能か?

1.確認の訴えの利益

 就業規則の変更が無効であること(変更前の労働条件が引き続き有効であること)の確認を求める訴訟は、当然に適法となるわけではありません。それは、紛争を直接的・根本的に解決する手段とはいえないことが多いからです。

 例えば、大阪地判平12.2.28労働判例781-43ハイスイテック事件は、退職金規定の変更の効力を否定し、旧退職金規定の有効性の確認を求めた訴えについて、

「原告は旧退職金規定が効力を有することの確認を求めるものであるが、その確認を求める趣旨は、退職金規定の変更によって生じた将来の退職金債権の有無や額に対する不安を除去するところにあるといえるところ、退職金債権は、原告が退職して始めて具体的に発生するものであり、退職前には未だ具体的な債権として存在するものではない。そして、退職金規定は、当事者が合意する場合には容易に変更され得るし、合意のない場合においても変更される余地がある。そうであれば、退職前に退職金規定の効力の確認をしても、無益といわざるを得ず、また、退職金債権については、これが具体的に発生した段階で給付請求をしても遅すぎることはない。そうであればね右確認を求める訴えは、即時確定の利益を欠くものというべきである。」

と訴えの利益を否定し、原告の請求を不適法却下しました。

 しかし、就業規則の不利益変更の効力を問題にする訴訟であったとしても、必ずしも不適法として許容されないわけではありません。

 近時公刊された判例集に掲載されていた、東京地立川支判令2.6.19労働判例ジャーナル106-50パーソルテンプスタッフ事件も、確認訴訟が許容された事案の一つです。

2.パーソルテンプスタッフ事件

 本件は、被告の従業員である原告が、

電車が遅延した際に遅刻した時間分の賃金を控除しない扱い(遅延非控除)をする労使慣行を変更して、平成30年7月以降、遅刻した時間分を賃金から控除する扱いとしたこと(本件変更〔1〕)

就業時間中の通院について通院時間分の賃金の一定額を控除しない扱い(通院非控除)をする旨の賃金規程の規定を削除して、同月以降、通院時間分を賃金から控除する扱いに変更したこと(本件変更〔2〕)

の無効の確認などを求めた事件です。

 いずれの変更にも令和2年6月30日までは、遅延非控除、通院非控除を適用する経過措置が設けられていました。

 こうした事案では、二つの観点から、確認の利益が問題になります。

 一つ目は、過去の就業規則の変更の効力を論じても、問題の解決に繋がらないのではないかという観点です。問題は通勤遅延、通院をした時に賃金を控除することの適否なのだから、通勤遅延、通院して賃金が差し引かれた時点で、その分の賃金の支払を求める訴訟を提起することの方が適切ではないかという考え方です。

 二つ目は、経過措置との関係です。仮に、通勤遅延の前、通院する前に予め問題を片付けておく必要があるとしても、経過措置の存続中は、通勤遅延、通院が生じても、不利益を受けない立場が保障されているのだから、訴えを提起する実益に欠けるのではかという考え方です。

 本件でも、被告からこうした問題提起がなされましたが、裁判所は、次のとおり述べて、原告の訴えは不適法ではないと判示しました(ただし、結論としては原告の請求を棄却しています)。

(裁判所の判断)

-本件変更〔1〕との関係-

「原告は、本件変更〔1〕が無効であることの確認を求めるところ(請求1(1))、被告は、過去の法律関係の確認を求めるものであり、また、本件変更〔1〕については経過措置が適用されているから現時点で確認をする必要がなく、確認の利益がない旨主張する。」

「確かに、本件変更〔1〕の無効の確認を求めることは、過去の法律関係の確認を求めるものであるが、その確認をすることにより、本件変更〔1〕に伴い支払われなくなる各賃金の支払請求等の将来発生する紛争の抜本的解決にも資するものといえる。また、令和2年6月30日までは上記経過措置が適用されるものの・・・、本件口頭弁論終結後、間もなく同措置が終了するのであって、同措置が存在することによって確認の利益を否定するのは相当ではない。」

「そうすると、請求1(1)については確認の利益があるというべきである。」

-本件変更〔2〕との関係-

「原告は、本件変更〔2〕が無効であることの確認を求めるところ(請求1(2))、被告は、過去の法律関係の確認を求めるものであり、また、本件変更〔2〕については経過措置が適用されているから現時点で確認をする必要がなく、確認の利益がない旨主張する。」

「しかしながら、上記2(1)で論じたのと同様に、過去の法律関係の確認を求めるものではあるが本件変更〔2〕の無効を確認することが本件変更〔2〕に伴い支払われなくなる各賃金の支払請求等の将来発生する紛争の抜本的解決に資するものといえ、また、令和2年6月30日まで上記経過措置が存在すること(認定事実(2)オ)によって確認の利益を否定するのは相当ではない。」

「そうすると、請求1(2)については確認の利益があるというべきである。」

3.就業規則変更の効力を争う訴訟も存外可能?

 遅延控除、通院控除が生じた時点で、控除の違法性を主張して給付訴訟(控除分の未払賃金訴訟)を提起することが可能であるのに、裁判所が確認の利益を認めたことは、率直に言って、やや意外でした。

 確認の利益との関係で問題があることから、あまりやろうという発想にはなりませんでしたが、本件のような訴訟が許容されるのであれば、不利益が顕在化する前から就業規則の不利益変更の効力を直接議論することも、存外ハードルが低いのかも知れません。

 

中小企業退職金共済制度(中退共)等の退職金の受給妨害の不法行為該当性

1.中小企業退職金共済制度

 中小企業退職金共済制度とは、独力で退職金制度を設けることが難しい中小企業について、事業主の相互共済の仕組みと国の援助によって退職金制度を設け、中小企業で働く方々の福祉の増進を図ることを目的とした制度です。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000113598.html

 この制度のもとでは、事業主と独立行政法人勤労者退職金共済機構・中小企業退職金共済事業本部(中退共)が契約を結べば、あとは退職者に直接退職金が支払われるとされています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/taisilyokukin_kyousai/ippanchuutai/

 しかし、近時、この制度に基づいて労働者が退職金を受け取ることを、使用者が妨害するケースが散見されます。

 妨害の方法は概ね二通りあります。

 一つ目は、必要な手続をしないことです。

 退職金を請求しようとする労働者は、「退職金請求書」という書類を独立行政法人勤労者退職金共済機構に提出しなければなりません(中小企業退職金共済法施行規則14条1項参照)。

 この退職金請求書は、事業主が必要事項を記入・押印したうえで、退職した労働者に交付するものとされています。

https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/taisilyokukin_kyousai/ippanchuutai/dl/aramashi.pdf

 退職金請求書を労働者に交付しないというのが、受給妨害の一つ目の手口です。

 もう一つは、懲戒解雇だと言い張ることです。

 中小企業退職金共済法10条5項は、

「被共済者がその責めに帰すべき事由により退職し、かつ、共済契約者の申出があつた場合において、厚生労働省令で定める基準に従い厚生労働大臣が相当であると認めたときは、機構は、厚生労働省令で定めるところにより、退職金の額を減額して支給することができる。」

と規定してます。

 これを受けた中小企業退職金共済法施行規則18条は、上記「厚生労働省令で定める基準」として、

窃取、横領、傷害その他刑罰法規に触れる行為により、当該企業に重大な損害を加え、その名誉若しくは信用を著しくき損し、又は職場規律を著しく乱したこと
秘密の漏えいその他の行為により職務上の義務に著しく違反したこと
正当な理由がない欠勤その他の行為により職場規律を乱したこと又は雇用契約に関し著しく信義に反する行為があつたこと

の三つの場合を掲げています。

 この仕組みを利用して、労働者に重大な非違行為があったなどと主張し、退職金の受給を妨害するのが二つ目の手口です。

 慰留されるのを振り切って退職し、使用者と揉めた時などに、こうした受給妨害をされることがあります。

 それでは、こうした受給妨害を受けた労働者は、使用者に対し、何等かの対抗措置をとることができないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。一昨日ご紹介した、札幌地判令2.5.26労働判例1232-32 日成産業事件です。

2.日成産業事件

 本件で被告になったのは、道路工事用資材の販売等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告会社で営業部長として勤務していた方です。平成29年4月17日、被告会社のA会長に対して退職を申し出ました。A会長からは慰留されましたが、退職する意思は変わらないと伝えたところ、怒ったA会長から「ならば懲戒解雇だ。4月21日から来なくてよい。」などと言われました(本件懲戒解雇)。その後、B社長らが原告を慰留するなどし、結局、懲戒解雇の話はなくなるとともに、原告も退職を保留することになりました。

 しかし、退職の意向が変わらなかった原告は、5月2日に改めてA会長に退職の意思を伝えました。このとき、原告は5月20日をもって退職すると伝えましたが、A会長は怒りだし「それでは4月17日に懲戒解雇したので、4月21日から5月2日までの給料・・・は支払わない。」などと述べました。

 また、被告は公益財団法人札幌市中小企業共済センター(共済センター)との間で、従業員を会員とする退職金共済契約を締結していました。原告に懲戒解雇を言い渡した後、被告は、原告を懲戒解雇したことを理由とし、給付率を0%にすることを求める書面を共済センターに提出しました。

 本件では、このような退職金の受給妨害が民事的な不法行為に該当するのではないかも、争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告による退職金の受給妨害を不法行為だと判示しました。

(裁判所の判断)

本件懲戒解雇は存在しないものであって、当然のことながら、被告も、そのような事実関係を認識していた。それにもかかわらず、被告は、原告から本件退職届が送付された後、本件懲戒解雇が存在するものであるかのように装い、上記・・・のとおり、懲戒解雇を理由に、原告に対する退職一時金(額)を不支給とする旨の書面等を共済センターに提出するなどし、原告の共済センターからの退職一時金の受給を妨害したものと認められ、これは原告に対する不法行為となるものというべきである。

3.少なくとも懲戒処分をでっちあげるタイプの受給妨害は不法行為となり得る

 上述のとおり、裁判所は、退職金の受給妨害に民事上の不法行為該当性を認めました。被告が原告に対して理由のない損害賠償請求を行ったこと、訴訟において偽造証拠を用いたこと、退職金共済の掛金の納付を停止したことなど不法行為と併せ、裁判所は慰謝料50万円、弁護士費用10万円を損害として認めました。少額ではありますが、慰謝料が認定されたことには大きな意味があります。

 日成産業事件で問題になった退職金共済は、所得税法施行令74条に基づく特定退職金共済団体が運営しているものであり、中小企業退職金共済制度とは異なる法律に基づいています。

 しかし、仕組みとしての類似する点は多く、裁判所の判示事項は中小企業退職金共済制度に基づく退職金の受給妨害にもあてはまるように思われます。

 退職金の受給妨害は、私自身の実務経験に照らしても、これまで何例か目にしたことがあります。それなりに件数のある紛争類型だと推測されるため、本件のような裁判例が公表されたことには、一定の意義があるように思われます。

 

所定賃金が一定額の深夜割増手当を含める趣旨であることが明らかな場合とは

1.所定賃金は残業代込み?

 所定労働時間が深夜帯に係っているにも関わらず、労働条件通知書や労働契約書に割増賃金についての特段の言及がない場合、その趣旨はどのように理解されるのでしょうか?

 労働条件通知書など契約時に示された賃金が、割増賃金を含んだ金額として理解されるのでしょうか? それとも、深夜勤務等があった場合、示された金額に上乗せして、更に深夜勤務手当等を請求することができるのでしょうか?

 この問題について、最高裁は、

「労働者の所定賃金が労働協約、就業規則その他によって一定額の深夜割増賃金を含める趣旨で定められていることが明らかな場合には、その額の限度では当該労働者が深夜割増賃金の支払を受けることを認める必要はない」

と判示しています(最二小判平21.12.16労働判例1000-5ことぶき事件 参照)。

 それでは、「一定額の深夜割増賃金を含める趣旨であることが明らかな場合」とは、具体的にどのような場合をいうのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になると思われる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.9.3TWO EYES GLOVAL LIMITED事件です。 

2.TWO EYES GLOBAL LIMITED事件

 本件はレストランシェフの勤務時間を午後6時から翌日午前5時までとする契約の理解の仕方が問題になった事件です。こうした勤務時間に対応する一定額の賃金が、深夜割増賃金を含んだ金額であるのか否かが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、基本となる賃金に、深夜勤務手当も含まれていると判示しました。

(裁判所の判断)

「本件店舗の営業時間は前記認定事実のとおり午後6時から翌午前5時であるところ、その営業時間からすれば不可避的に深夜労働が生じることになること、前記認定事実のとおり、この営業時間を前提に原告及び被告代表者の間で協議をし賃金額について合意していたことを考慮すると、本件労働契約における賃金月額の中に、原告の深夜労働に対応した割増賃金分も含まれていたと解するのが相当である。

「よって、原告の深夜割増賃金及び時間外割増賃金の請求については認められないというべきである。」

3.所定労働時間が深夜帯に係っていいさえすれば問題ない?

 裁判所は、上述のとおり、所定労働時間が深夜帯に係っていることを根拠として、合意された定額の賃金に深夜割増賃金も含まれていると判示しました。「一定額の深夜割増賃金を含める趣旨であることが明らかな場合」について、かなり緩やかな理解を示したものと評価できます。

 本件のような裁判例もあることからすると、深夜割増賃金の取り扱いに関して予想外の不利益を受けないようにするためには、雇入れ前の段階から使用者と 認識をすり合わせておいた方がよさそうです。

経営者が激情に任せて言った「ならば懲戒解雇だ。」に法的効力はあるか?

1.怒りに任せて言い渡される解雇

 退職を申し出るなど、経営者の意向に沿わない言動をとったとき、突然クビを言い渡されることがあります。

 本邦では、客観的合理的理由・社会通念上の相当性が認められない解雇は効力を有しません(労働契約法16条)。そのため、碌に解雇理由の検討すらなされないまま、解雇の意思表示がなされたとしても、そうした解雇が有効と理解されることはあまりありません。

 しかし、然るべき手続も踏まず、怒りや激情に任せて言い放たれた「解雇する。」という言葉は、有効・無効を論じる以前の問題として、そもそも法的な意思表示とみることができるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで、近時公刊された判例集に、参考になる裁判例が掲載されていました。札幌地判令2.5.26労働判例1232-32 日成産業事件です。

2.日成産業事件

 本件で被告になったのは、道路工事用資材の販売等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告会社で営業部長として勤務していた方です。平成29年4月17日、被告会社のA会長に対して退職を申し出ました。A会長からは慰留されましたが、退職する意思は変わらないと伝えたところ、怒ったA会長から「ならば懲戒解雇だ。4月21日から来なくてよい。」などと言われました(本件懲戒解雇)。その後、B社長らが原告を慰留するなどし、結局、懲戒解雇の話はなくなるとともに、原告も退職を保留することになりました。

 しかし、退職の意向が変わらなかった原告は、5月2日に改めてA会長に退職の意思を伝えました。このとき、原告は5月20日をもって退職すると伝えましたが、A会長は怒りだし「それでは4月17日に懲戒解雇したので、4月21日から5月2日までの給料・・・は支払わない。」などと述べました。

 こうした事実経過のもと、本件では、4月17日の本件懲戒解雇を、法的な意思表示とみることができるのかが争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、A会長の発言は解雇の意思表示ではないと判示しました。

(裁判所の判断)

「4月17日、退職を申し出るなどした原告に対し、A会長が『ならば懲戒解雇だ』などと述べた事実は認められるところ、原告は、その前後の経過として上記・・・のとおり供述しており・・・、その内容は、同月25日に原告が労働相談に訪れた際に相談担当者が作成した労働相談票・・・の記載内容や同月21日以降の経費に関する客観的資料・・・と基本的に整合するものであって信用性が高く、その供述するとおりの事実が認められる。」

「そして、上記・・・の事実経過に照らすと、A会長の上記発言は、退職の意向を繰り返し示し、慰留を受けても翻意しようとしない原告の態度に腹を立てるなどし、一時的な感情のたかぶりに基づいて口に出たものであると考えられる。これに加え、当事者間においてもおおむね争いのない・・・事実のほか、管理職の懲戒解雇という重大な事項に関するものであるにもかかわらず被告内部の意思決定手続を経ていないことをも考え併せると・・・、あくまで事実上の発言にすぎず、法的効力を伴うものとしての懲戒解雇の意思表示ではなかったものというべきである。

3.内部的な意思決定手続の欠缺

 裁判所は、内部的な意思決定手続も経ないまま、一時的な感情のたかぶりに基づいて口から出た「ならば懲戒解雇だ。」といった発言について、解雇としての有効・無効を論じる以前に、そもそも解雇の意思表示ではないと判示しました。

 4月17日以降も働き続けていることからすると、当然といえば当然のことですが、内部的な意思決定手続を経られていないことが解雇の意思表示が存在しないとする理由の一つに掲げられていることは、注目に値します。内部的意思決定手続が踏まれていない解雇の通知に意思表示としての効力が認められないとすれば、小規模な事業所を中心に行われている強引な解雇のうち、かなりの部分を否定できる可能性があるからです。

 感情的になった経営者から突然解雇を言い渡された方は、解雇が無効であると主張することのほか、そもそも解雇の意思表示自体なされているとはいえないという争い方があることも、知っておいて良いのではないかと思います。

セクハラについての二次証拠の証拠力

1.具体的な内容が分からないセクハラの嫌疑

 使用者からセクシュアルハラスメント(セクハラ)の疑いをかけられているのに、いつ・誰に・どのようなセクハラをしたというのかを教えてもらえない-そうした相談を寄せられることがあります。

 意外に思われる方もいるかも知れませんが、こうした相談を受けたことは、一回や二回ではありません。一々数えていられないほどたくさんあります。

 こうした相談が寄せられる背景には、大きく二つの事情があります。

 一つは、被害者保護の考え方です。誰がどのようなセクハラ被害を受けたと話しているのかを加害者に伝えてしまうと報復を誘発しかねない、そうした危険から被害者を守らなければならないという発想です。自分が被害申告したことを加害者に伝えて欲しくないと希望する被害者もいるため、使用者としても情報の取り扱いに苦慮するのだと思います。

 もう一つは、濡れ衣を着せやすいことです。被害者保護の考え方があることから、嫌疑の具体的な内容を労働者に告知しなくても、それほど不自然には見えません。そうした特性を利用し、労働者にも周囲にも「セクハラがあった。」という抽象的な事実のみ伝え、意に添わない労働者を強引に職場から放逐しにかかるケースがあります。

 被害者保護の考え方自体は理解できるものですが、嫌疑をかけられた労働者からすると、何をしたと言われているのかも分からないまま懲戒手続が進んで行くのは、恐怖としかいいようがありません。そこで、どのように対応すればよいのかを知りたいと、弁護士のもとに相談に来ることになります。

 こうした方々が一様に心配するのは、いい加減な証拠のもとでセクハラの事実が認定されてしまうのではないかということです。誰が・どのようなセクハラをしたと言っているのかも分からないまま責任を問われるのは納得できないというのは、素朴な法感情に添う自然な感覚だと思います。

 しかし、本当に心当たりがないのであれば、それほど心配は要りません。訴訟を提起して争えば、使用者側は相応の根拠を明らかにせざるを得ないからです。具体的な嫌疑・非違行為の内容が明確にならない限り、そう簡単に不利益処分の効力は認められません。近時公刊された判例集にも、二次証拠によるセクハラの認定を否定した裁判例が掲載されていました。東京地判令2.9.16労働判例ジャーナル106-32みずほビジネスパートナー事件です。

2.みずほビジネスパートナー事件

 本件は業務上のミスやセクシュアルハラスメント行為を理由とする普通解雇の効力が問題になった事件です。

 被告使用者は、非違行為として7項目のセクハラ行為を挙げ、その一部をヒアリング担当者の供述や被害者女性との面談記録などで立証しようとしました。

 しかし、裁判所は、そうした立証を排斥し、原告労働者の主張・供述に沿う限度でしかセクハラの事実は認定できないと判示しました。

 裁判所の判断は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

非違行為2及び非違行為7については、被告は、原告や被害者とされる女性社員等との面談内容をまとめた書面・・・を提出するほか、証人P5及び証人P7が当該書面のとおり面談において聴取した旨供述する一方、原告は、非違行為2及び非違行為7の事実については否認し、原告本人尋問において同旨の供述をするとともに、陳述書・・・を提出する。」

「そこで、被告が提出する上記書面の信用性について検討すると、当該書面は、被告において原告及び複数の女性社員から原告の言動について聞き取った結果を併せて作成したもので、いずれも非違行為2及び非違行為7の事実に関する伝聞証拠であり、反対尋問による信用性の精査ができないものであるから、その信用性については慎重に判断する必要があるところ、被害者とされる女性社員以外の発言者もマスキングによって特定されておらず、また、当時の客観的状況が明らかでないことからすれば・・・、発言内容について客観的状況に照らして検証することもできず、直ちに採用することはできない。そして、原告は、非違行為2の事実については、他の社員もいる前で女性社員に対して可愛い、素敵と言ったこと、食事に誘ったこと及び両肩を触ったことはないとして否認し、非違行為7の事実については、スポーツされていらっしゃるんですねと述べた限度で認め、女性社員の足に言及した点は否認するところ、当該弁解自体が直ちに不自然、不合理とはいえないことからすれば、非違行為2及び非違行為7に関する上記報告書の内容は、原告の主張及び供述に沿う限度で信用性が認められるというべきである。

「したがって、非違行為2の事実は認められず、非違行為7の事実は原告が女性社員に対して速いですね、スポーツされていらっしゃるんですね旨述べた限度で認められる。」

3.過度に怖がる必要はない

 上述のとおり、裁判所は、二次証拠によるセクハラ行為の認定を否定しました。

 被害者保護の観点からの批判はありますが、裁判実務上、原供述者にその趣旨や真意を確かめることができない二次証拠には、それほどの力点は置かれません。

 解雇されても、そこで諦めることなく、法的措置をとって争えば、相手方の持っていた根拠がそれほど盤石でないと判明することは、決して少なくありません。

 道理は通るので、何事も絶望しないことが重要です。