弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

長時間労働の是正-実体を伴わない指導(「早く帰れ」「健康に留意するように」)に意味はない

1.長時間労働による疾病と安全配慮義務

 過去、恒常的な長時間労働で鬱病に罹患し、自殺した労働者の遺族が会社に対して損害賠償を請求した事件がありました。最二小判平12.3.24労働判例779-13電通事件と呼ばれている事件です。

 この事件で最高裁は、

「使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う

と判示しました。

 しかし、こうした注意義務が最高裁で承認された後も、労働者が長時間労働で心身を損なってしまう例は後を絶ちません。

 長時間労働で心身を損なった労働者やその遺族が損害賠償請求を行う場合、使用者側から寄せられる反論は、ある程度類型化されています。そうした反論類型の一つに、

「会社は早く帰れと言っていた。無理はするなと言っていた。労働者が勝手に残業していただけだ。」

というものがあります。

 昨日ご紹介した東京地判令2.3.25労働判例1228-63 アルゴグラフィックス事件は、このような反論を一蹴した事案としても注目に値します。

2.アルゴグラフィックス事件

 本件はいわゆる労災民訴です。

 くも膜下出血を発症して死亡した労働者(亡A)の遺族(妻及び子)が、労災認定を受けた後、亡Aの勤務先に対して安全配慮義務違反等を理由に損害賠償を請求した事件です。

 裁判所は亡Aの恒常的な長時間労働を認定しましたが、被告会社は、

「I事業部長は、亡Aに対し、夜遅くまで仕事をしないこと、深夜や早朝にメールを送らないこと、睡眠を十分に確保することなどを指導していた。」

「他方、亡Aは、時間外労働に係る所属長、本部長及び会長の承認を求めたことは一度もなく、また、就業時間内における通常の業務のスケジュールについて事前に提出するよう繰り返し求められていたにもかかわらず、ほとんどこれを提出することもなく、さらに、就業日に毎日提出することが義務づけられていた日報を提出しないことがあった。こうした亡Aの態度により、被告としては、亡Aの勤務状況を把握することが極めて困難な状況にあったものであり、ましてや亡Aが自身の行動スタイルとして行った自宅作業について把握することは不可能であった。」

などと主張し、安全配慮義務に違反したことを争いました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、被告会社の主張を否定し、安全配慮義務違反を認めました。

(裁判所の判断)

「亡Aの労働時間を管理する立場にあったI事業部長は、亡Aの発症前6か月間において、亡Aの労働時間が極めて長時間に及んでいることを認識していたものと認められ、被告は、亡Aが疲労を過度に蓄積して心身の健康を損なう具体的な危険があることを予見することができたものであるというべきである。」

「しかるに、被告は、平成25年9月、従業員の時間外労働を管理する職位にある者に対し、時間外労働には所属長等の承認を得ることを必要とする取扱いを定めた旨を周知し、同年10月には、原則として、深夜及び休日の労働を従業員に行わせないことを再認識するよう求め、深夜労働や休日出勤をさせた場合には、代休や振替休日を取得させるよう周知したものの、その後も、営業職の従業員の労働時間について、従業員本人からの申告以外にこれを把握するための術を有さず、亡Aについても、その心身の健康を損なうことがないようするための措置として、亡Aから時間外労働の状況を積極的に尋ねたり、業務による負荷がどの程度あるのかを聴取したりすることがなかったのであり、亡Aの業務負担を減らすために人員体制を見直すなどしたことも特段認められない。実際に、被告は、亡Aに対して固定残業代としての営業手当を支給しているとして、その労働時間を十分に把握していなかったのであり、本訴訟においても、正確な時間外労働時間を把握することができなかった理由として、亡Aからの申告がなかったことを強調する。そして、I事業部長において、亡Aに対し、早く帰宅するように述べたり、健康に留意するように指導したりしたとしても、それだけでは、到底、亡Aの心身の健康を損なうことがないようするための措置として十分なものであると認めることはできず、かえって、I事業部長からは、入院治療中の亡Aに対し、入院中の仕事を奨励する旨のメールが送信されるなどしていたものである。

「そうすると、被告は、漫然と亡Aに過重な労働に従事させたものとのそしりを免れず、亡Aに対する安全注意義務を怠ったものといわざるを得ない。」

3.言っていることと、やっていることが違えば、安全配慮義務違反は免れない

 被告会社では、管理職に対して従業員に深夜及び休日の労働を行わなせないことを周知したり、I事業部長において亡Aに「早く帰宅するように」「健康に留意するように」と言ったりしていたようです。

 しかし、その実、亡Aに時間外労働の状況を積極的に尋ねることはなく、更には入院中の仕事を奨励するメールまで送信していました。

 こうした事実から、裁判所は、被告会社の主張を排斥し、安全配慮義務違反を認めました。結局、言っていることと、やっていることが違うようでは、話にならないということだと思われます。

 長時間労働に対する問題意識が高まっていることもあり、表向き長時間労働の抑制を謳う企業は増えています。しかし、残念なことに、表で言っていることと、裏でやっていることが異なっている会社も、決して少なくありません。そうした実情に対する警鐘としても、本裁判例は意義のある判示をしているように思われます。

 

 

持ち帰り残業の労働時間性が認められた事例(自由意思でやっていたとの反論が排斥された事例)

1.持ち帰り残業の労働時間性の立証

 業務過多から家に仕事を持ち帰って働いている方がいます。

 こうした持ち帰り残業についても、客観的にみて「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」(最一小判平12.3.9労働判例778-11三菱重工業長崎造船所(一次訴訟・会社側上告)事件)である限り、労働時間性は認められます。

 しかし、家での持ち帰り残業の労働時間性の立証は、決して容易ではありません。

 主な理由は二点あります。

 一つ目は、作業開始時刻と作業終了時刻を客観的に立証しにくいことです。

 残業代を請求する場面にしても、労災民訴で業務負荷を立証する場面にしても、労働時間を立証する責任は基本的に労働者側にあります。家での仕事の場合、タイムカードのような客観的な証拠に基づいて労働時間を計測していることは稀です。また、上長の監視下で場所的に拘束されている勤務先での稼働とは異なり、家では作業の合間に休憩するのも自由です。そのため、単純に作業開始時刻と作業終了時刻を特定するだけでは、その間ずっと指揮命令下に置かれていたことを立証しきれないことが多いのです。

 二つ目は、使用者の指揮命令下に置かれていたと評価できるのかという問題です。

 通常の残業代請求事件でも、使用者側からしばしばなされる反論の一つに「指示してないのに、好き勝手に自由意思で残業していただけだ。」という趣旨の主張があります。こういう理屈は勤務先での居残り残業をしている時には通りにくいのですが、持ち帰り残業の局面になると、必ずしも容易に排斥できるわけではありません。

 このように持ち帰り残業に労働時間性を認めてもらうためのハードルは高いのですが、近時公刊された判例集に、このハードルを乗り越え、持ち帰り残業に労働時間性が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.3.25労働判例1228-63 アルゴグラフィックス事件です。

2.アルゴグラフィックス事件

 本件はいわゆる労災民訴です。

 くも膜下出血を発症して死亡した労働者(亡A)の遺族(妻及び子)が、労災認定を受けた後、亡Aの勤務先に対して安全配慮義務違反等を理由に損害賠償を請求した事件です。業務負荷の評価に関係して、亡Aの時間外労働時間をどのように認定するのかが争点の一つになりました。その中で、亡Aの持ち帰り残業を労働時間として認定できるのかが問題になりました。

 この論点について、被告は、

「被告は、従業員に対し、深夜時間帯及び休日の労働を禁止していたものであり、自宅での業務を許容、黙認したこともない。被告は、亡Aに対し、他の同僚より少ない目標予算を設定していたものであり、持帰り仕事をせざるを得ないほどの仕事量を与えたことはなく、亡Aの自宅作業は、亡Aの行動スタイルとして自らの自由意思で行っていたものである。」

「また、亡Aの自宅作業は、被告事業所内における作業と異なり、被告の指揮命令下になく、精神的緊張や拘束性が低いほか、時間の調整も自由な意思で行い得るものであり、被告事業所内における労働とはその性質が全く異なる。」

「したがって、亡Aの就業時間外かつ被告事業所外での作業に係る作業時間は、労働時間の算定から除外すべきである。」

と主張し、持ち帰り残業の労働時間性を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、持ち帰り残業の労働時間性を認めました。

(裁判所の判断)

亡Aは、被告から貸与され、業務用に使用していたパソコンを自宅に持ち帰り、夜間、深夜及び早朝の時間帯に、見積書や提案書等の作成やメールの送信等の作業を頻繁に行っていたものであり、発症前6か月の期間においては、被告事業所を午後8時頃に退社する日もあったものの、午後9時以降に退社することが常態化しており、午後11時前後に退社することも多かったというのであるから、被告事業所内での作業が終わらないため、自宅で業務を行わざるを得なかったものと認めるのが相当である。そうすると、亡Aが被告事業所外及び所定労働時間外に行った、いわゆる持帰り仕事についても、労働時間として算定すべきである。

「そして、亡Aの持帰り仕事に係る労働時間については、亡Aが送信したメールの時間及び内容、被告から貸与されていたパソコンのアクセスログを考慮して、そこからうかがわれる作業時間を基に認定するべきであるところ、ある程度の仕事量が存在し、継続的な作業が行われたと認められる場合には、かかる持帰り仕事が業務の過重性に影響したと評価することができるから、証拠からうかがわれる作業時間を合計した上で、これを30分単位で切り捨てにした時間を業務の過重性に影響した労働時間として認定するのが相当である。」

「そうすると、亡Aのいわゆる持帰り仕事に係る労働時間は、別紙4『持帰り仕事に係る労働時間の認定』記載のとおりであると認められる。」

「被告は、亡Aに対しては、他の同僚より少ない目標予算を設定していたものであり、持帰り仕事をせざるを得ないほどの業務を与えておらず、また、就業時間外かつ被告事業所外における作業を指示したことはなく、むしろ禁止していたものであるから、持帰り仕事は、あくまで自身の行動スタイルとして亡Aが自由意思で行っていたものであり、労働時間に算入すべきでないなどと主張する。」

「しかしながら、仮に、亡Aの目標予算が他の同僚より少なかったなどの事情があったとしても、そのことから直ちに被告事業所内で作業が終わらずに自宅で業務を行わざるを得なかったことが否定されるものではない。亡Aの上司であるI事業部長は、亡Aから休日並びに深夜及び早朝の時間帯に業務に関するメールが多数送られてきているにもかかわらず、これについて亡Aに対しかかる作業を中止するよう何らかの指示を行ったとは認められず、むしろこれを黙認ないし容認し、亡Aに持帰り仕事を継続させたものであり、被告において、亡Aの自宅作業を業務とは無関係な自由な行動スタイルとしてされたものであると断じ得るものではない。被告の上記主張は、採用することができない。

3.メールの送信記録は重要な証拠

 以上のとおり、裁判所は、自由意思で残業していただけだという被告の主張を排斥し、持ち帰り残業の労働時間性を肯定しました。

 ここで鍵になったのは、メールです。休日、深夜、早朝の時間帯に業務に関するメールが多数送られてきているのに、これを上司が黙認・容認していたことが、自由意思で残業していただけだという主張を排斥する有力な根拠となってます。

 メールによる労働時間の立証というと、一日の最初のメール、最後のメールなどに目が集まりがちですが、日中に出しているメールが事実認定の有力な資料になることもあります。何がどのように活きてくるか分からないため、法的紛争に発展しそうな事案では、故人のパソコンのデータは、いじらずに保全しておくことが推奨されます。

 

雇止め-接触事故を起こして現場から離れても自主申告すれば救済の余地はある

1.交通事故 その場から立ち去るのはダメ

 少し前、交通事故を起こした俳優が、その場から立ち去ったことで逮捕された事件が報道されました。

俳優の伊藤健太郎容疑者を逮捕(共同通信) - Yahoo!ニュース

 交通事故は自動車を運転している誰もが加害者になり得る事件類型です。芸能人のような特殊な仕事だと多少事情が変わってくるかも知れませんが、逃げなければ、法的にも社会的にも、致命的なダメージを負うことは、あまりありません。

 しかし、事故の態様が軽微である場合などは特に、誘惑に負けて逃げてしまうことがあるかも知れません。そうした場合は、できるだけ速やかに警察に自主申告するべきです。近時公刊された判例集にも、早期に職場や警察に申告したことが一因となって、雇止め(失職)を回避できた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.5.22労働判例1228-54 日の丸交通足立事件です。

2.日の丸交通足立事件

 本件で被告になったのは、タクシー運転手・営業車の管理及び運行を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、定年退職後、被告との間で有期雇用契約を結び、タクシー運転手として稼働していた方です。乗務中に自転車と接触事故を起こし、自転車がそのまま走り去ってしまったこともあり、警察や営業所に連絡することなく引き続き営業を継続したところ、これを理由に雇止めを受けました。この雇止めの効力を争い、地位確認等を求めて被告を訴えたのが本件です。

 本件では、雇止めに客観的合理的理由、社会通念上の相当性が認められるか否かが争点の一つとなりました。この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、雇止めの効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、日頃から、タクシー運転手にメモを配布したり、明番集会や出庫前点呼で問題事案の発生の機会を捉えて運転手への周知を徹底するなどして、運転手が救護義務違反や報告義務違反を起こさないよう指導していたことが認められるところ、それにもかかわらず、原告が、本件接触の際、すぐに、あるいは遅くとも乗客を降車させた直後に警察や営業所に連絡しなかったことは、自転車の運転者が、後日になって事故を申告する可能性があることを考慮すれば、被告や他の従業員にとって重大な影響を与えるおそれのある不申告であって、被告が、原告が起こした不申告事案に対し、厳しい態度で臨まなければならないと考えることも十分理解できる。」

「しかし、一方で、本件接触は、左後方の不確認という比較的単純なミスによるもので、接触した自転車の運転者は、ドライブレコーダーの記録から受け取れる限り、倒れた様子は見受けられず、接触後すぐに立ち去っていることから、本件接触及び本件不申告は、悪質性の高いものとまではいえない。後に事案を把握した警察においても、本件接触や本件不申告を道交法違反と扱って点数加算していないことも踏まえれば、本件接触及び本件不申告は、警察からも重大なものとは把握されていないことがうかがわれる。また、原告は、営業を終え、車体に痕跡を発見したことがきっかけではあるものの、自分から本件接触をC補佐に報告しており、本件接触を隠蔽しようとはしていないことが認められ、報告後、現場に戻って警察に連絡することや、本社面談を受けることなどの会社の指示に素直に従い、接触の原因や不申告の重大さなどについて注意、指導を受けた内容を記憶し、反省していることも認められる。加えて、原告の車両に何らかの修理や塗装が施されたことを示す的確な証拠はなく、原告が、タクシー運転手として三十数年間、人身事故を起こすことなく業務に従事し、何度も表彰されるなど、優秀なタクシー運転手であったこと、本件接触のような一見する限り怪我がないように見える接触の相手方が無言で立ち去ってしまった場合に、警察に報告しなければならないことが頭に浮かばなかったとしても、一定程度無理からぬものがあることも考慮すれば、本件接触及び本件不申告のみを理由に雇止めとすることは、重過ぎるというべきである。

「したがって、本件接触及び本件不申告のみを理由とする本件雇止めは、客観的に合理的な理由があり、社会的通念上相当であるとは認められない。」

3.タクシー会社の雇止めにも対抗できた

 裁判所も指摘しているとおり、タクシー会社が従業員に交通取締法規の遵守を強く求めることには一定の理由があります。

 そうした業務の特性を考えると、当て逃げ・ひき逃げは、雇止め事由どころか、解雇事由になっても仕方ないという見方も成り立ちそうに思われます。

 しかし、裁判所は雇止めを認めませんでした。それは、事故自体の軽さもさることながら、隠蔽しようとせず、きちんと自分から勤務先に申告し、その指示のもとで警察に連絡していることが効いているのではないかと思います。タクシー会社の定年後再雇用の有期契約社員の雇用すら保護されていることからすると、自動車の運転を根幹的な事業活動としない業種の会社、期間の定めのない正社員であった場合、同じく事故の態様が軽微であれば、猶更、保護される可能性が高いのではないかと思われます。

 万一、誘惑に駆られて、その場で警察に連絡をとらなかったとしても、自主申告すれば、まだ救済の可能性は残されています。そうした可能性を掴み取るためには、下手に隠蔽するよりも、速やかに自主申告することが推奨されます。

 自分から勤務先に自主申告するのは怖いという方は、弁護士に依頼して勤務先や警察への連絡を仲立ちしてもらうことも考えられます。当事務所でのご相談の受付も可能なので、お心当たりのある方は、お気軽にご連絡頂ければと思います。

 

雇用契約から業務委託契約に変わるタイミングの認定

1.店長への業務委託

 徒弟制の業界などでは、雇用主が、労働者に対し、費用分担や収益分配についての取り決めをしたうえ、一定の店舗の経営権限を移譲することがあります。

 労働契約の終了日や業務委託契約の開始日が書面等で明確になっていれば迷う余地は大分減りますが、済し崩し的に行われることも少なくありません。そうした場合、労働契約が終了したのかどうかは、どのような要素に着目して認定されるのでしょうか。

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判令2.5.22労働判例ジャーナル103-80 未払賃金等支払請求事件です。

2.未払賃金等支払請求事件

 本件は死亡した美容師(亡C)の妻が原告となって、美容院の経営者を相手取り、割増賃金等の支払を請求した事件です。

昭和63年9月に亡Cと被告が労働契約を締結したこと、

亡Cが一定期間後に被告の経営する美容院の店長として勤務するようになったこと、

平成29年1月1日の段階で被告と亡Cとの間での労働契約上の地位が消滅していたこと、

に争いはありませんでしたが、労働契約関係が何時解消されたのかが問題となってきました。

 この論点についての当事者双方の言い分は次のとおりでした。

(被告の主張)

亡cと被告は、平成13年末、本件雇用契約を終了させる旨合意して雇用関係を解消し、平成14年以降、被告が亡cに対して本件店舗の業務を委託し、売上高の3分の1を報酬額とする旨の業務委託関係となった。これを示す事情として、被告は、亡cに対し、本件店舗の営業内容全てを委ねており、亡cは、本件店舗の備品仕入先を被告に相談することなく変更したり、被告に出退勤時刻を管理されることなく、自ら従業員の出退勤時刻を管理し、従業員の給与計算を行うなどしていた。」

「このように既に本件雇用契約が終了しているから、被告は、原告請求に係る時間外割増賃金の支払義務を負うものではない。」

(原告の主張)

平成14年以降においても、本件店舗の営業時間、従業員や店舗内備品に関する事項は全て被告が決定し、亡cの出退勤時刻は被告によって管理され、亡cの所得形態は給与所得であり、平成29年1月に独立するまで雇用保険の被保険者となっていた。さらに、平成28年までの健康保険料の負担状況、平成29年1月に保健所に対して被告の施設廃止届と亡cの美容所開設届がされていること等といった事情があり、以上は被告主張に係る平成13年末での本件雇用契約を終了させる旨の合意の不存在を示すものである。」

 こうした当事者双方の主張に対し、裁判所は、次のとおり判示し、平成14年時点での労働契約の終了を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、平成14年以降における亡cとの業務委託関係に言及しつつ、亡cと被告は、平成13年末に本件雇用契約を終了させる旨合意したなどと主張する。」

「しかし、前記前提事実及び認定事実によれば、被告は、亡cから、毎月1回、月別の売上高及び利用客数、それらと前年度の数値の比較等について記載された一覧表の交付を受けるのみならず・・・、営業日ごとのほぼ同様の時間帯にその日の売上合計金額に関するメール送信を受けていたものであり・・・、このような営業内容の詳細についての把握は、他人に業務を委託していたというよりも、むしろ、被告こそが営業主体であってその営業のために亡cを使用していたことに整合的な事情であるといえる。これに、被告は、住宅ローン審査の便宜等から亡cに依頼された旨説明するものの・・・、被告主張に係る本件雇用契約の終了合意があって以降、かなりの期間が経過しているにもかかわらず、亡cを雇用していた外観を呈する給与支払報告書・・・を作成していること・・・、平成13年末の前後において変わらず亡cの雇用保険に係る被保険者資格が継続されていたこと・・・等を併せ考慮すれば、亡cと被告の間に、平成13年末、本件雇用契約を終了させる旨の合意があったと認定することはできない。これに反する被告の主張は採用できないものである。
 そうすると、平成28年において、亡cと被告の間に本件雇用契約が存在していたものとして、本訴請求・・・に係る未払賃金(時間外割増賃金)の発生の有無を検討すべきことになる。」

3.営業日毎の売上報告、給与明細、雇用保険の被保険者資格

 本件では営業日毎の売上報告、給与明細、雇用保険の被保険者資格といった事情が重視され、平成14年時点で雇用契約は終了していないとの判断がなされました。

 タニタに続いて電通でも社員の個人事業主化が行われるとのことです。

電通、社員230人を個人事業主に 新規事業創出ねらう :日本経済新聞

 このような報道があると、きちんと契約関係を整理しないまま、雑な手法で真似をする企業が出てきます。今後、雇用契約が終了したといえるかが争点となる事案は増加する可能性があるため、本件の裁判例が提示した考慮要素は、労働者やその家族を中心に、広く一般に周知されておいても良い情報だと思われます。

 

欠勤の連絡は会社所定の様式の書面でしなければならないのか?

1.各種届出に関する様式の定め

 欠勤の届出、有給休暇の取得、退職の意思表示など、勤務先に対して一定の連絡をとるにあたり、就業規則等で様式が指定されている場合があります。

 しかし、不動文字で労働者側に好ましくない記載があるなど、何らかの理由で、会社所定の様式の書類を使いたくないことがあります。こうした場合、独自書式で連絡をとることは許されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、近時公刊された判例集に、参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した東京地判令2.3.25労働判例ジャーナル103-94 東菱薬品工業事件です。

2.東菱薬品工業事件

 本件で被告になったのは、主にジェネリック医薬品等の開発・製造を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の青梅市内の研究所で、製材設計等に従事していた方です。交通事故に遭ったことに端を発する欠勤期間の一部が無連絡欠勤に該当するなどとして、降格処分(懲戒処分)を受けました。

 確かに、欠勤にあたり、原告の方は、会社所定の様式に従った勤怠届を出してはいませんでした。しかし、電話連絡やSMSメッセージの送信による連絡はしていました。原告は降格処分には理由がないとし、降格処分に伴って減額された手当の支払い等を求めて被告を訴えました。

 こうした事実関係のもと、裁判所は、次の通り述べて、問題の欠勤が無連絡欠勤であることを否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告が、

〔1〕被告に対し、平成28年8月29日から同年9月13日まで、欠勤理由や復職見通しを含めて一切連絡せず、16日間の無連絡欠勤をし、

〔2〕その後も、平成29年2月17日までの間、長期欠勤に関する被告の指示に違反して、休職等に関する手続を取らず、同年5月7日まで欠勤を続けたと主張する。」

「就業規則28条は、従業員が、止むを得ず休暇、欠勤、遅刻、早退、外出するときは事前に所定の手続または連絡をすること、同40条は、遅刻、欠勤、早退、休暇等を請求する場合は、事前に所属長に連絡し、所定の届出書を所属長に提出すること、連続7日以上欠勤する場合は、その理由を証する書類を添付することを定めているところ(・・・、原告が、就業規則40条に規定されている欠勤等に関する所定の届出書(勤怠届・・・)を提出しないまま、平成28年8月29日以降、被告から欠勤扱いとされたことが認められる・・・。」

この点、原告は、被告に対し、同年9月15日到着の文書・・・で、具体的な理由の説明はないものの、『8月17日から9月20日まで欠勤で休む』旨の通知をしているところ・・・、同文書が被告に到着する前である同年8月19日から同年9月14日までの間に、原告の携帯電話からP5所長に対するSMSメッセージが5回送信されていること、原告の広島の自宅から青梅研究所の電話番号の上6桁と一致する番号に対し8回架電されていること、原告の広島の自宅から被告本社の電話番号の上6桁と一致する番号に対し1回架電されていること等、原告の主張に沿う客観的証拠が存在すること・・・を踏まえると、原告が上記文書での報告以前にも、P5所長、被告本社及び青梅研究所関係者らに対し、本件事故について一応の報告をしていたことがうかがわれるのであって、被告が主張するように、同年9月14日より前には、原告から欠勤に関する連絡が一切なかったとの事実が十分に立証されているということはできないから、同期間について、少なくとも『無連絡欠勤』であったと評価することはできない。

「そして、同年9月15日到着の文書・・・を送付した後にも、原告が、同月16日に診断書・・・を取得して、同月中旬頃被告に提出したこと・・・、最終的に、欠勤等に関する正式な書式である勤怠届の提出手続が取られていない理由は不明であるものの、原告が、必ずしも十分とはいえないとしても、同年10月以降、欠勤理由について、書面等により具体的な説明をしていたこと・・・、被告が、正式な書面を提出することによる手続がされていないとしながらも、同年11月10日の時点では、同月末までの原告の欠勤について、当面は了承していたとみられること・・・等の事情を考慮すると、少なくとも、被告が原告に対して休職を命じる平成29年2月17日までの間は、これらの実質的な連絡・報告の状況に鑑み、懲戒事由に該当するような、無連絡欠勤や指示違反行為があったとまではいうことができない。

「さらに、平成29年2月17日以降については、被告は原告に対し、休職を命じており・・・、被告の休職命令により原告の労働義務は免除されているのであるから、同日以降について、労働義務が前提となる『欠勤』として扱う根拠はないというべきである。」

「以上によれば、被告の上記主張は採用できず、本件懲戒処分は、前提となる懲戒事由の存在を認めることができないから、その余の点を検討するまでもなく、無効である。」

3.所定の様式の届出がないからといって無連絡にはならない

 本件では正式な書式である勤怠届の提出がないことを認めながら、電話やメッセージ等で一定の連絡がとられていたことを指摘し、無連絡欠勤であったと評価することはできないと判示しました。

 正式な手続がとられていないことを、被告が了承するかのような姿勢をとっていた事実も、結論に影響している可能性はあると思います。それでも、様式違背を理由に無暗に懲戒処分を行うことを否定した点には、なお大きな意味があるように思われます。

 各種届出の様式違背をめぐるトラブルは、個人的な経験の範疇では、意外と良く相談を受けます。本件のような裁判例もあるため、様式違背で揚げ足をとられて釈然としない思いをお抱えの方は、一度、弁護士のもとに懲戒処分の効力を否定できないかを相談してみても良いかも知れません。もちろん、私でご相談をお受けすることも可能です。ご相談をご希望して頂ける方は、お気軽にご連絡ください。

休職からの復職判断に際しての配慮義務

1.復職させてくれない問題

 私傷病休職した方が会社に復職しょうとした時、何だかんだと理由をつけられて復職を拒まれることがあります。

 私傷病の性質にもよりますが、持病を持った方に働いてもらうには相応の配慮が必要になることがありますし、再発により改めて休職されることに伴う負担を考えると、本音のところでは自然退職して欲しいと考えている会社が少なくないからだと思います。

 しかし、傷病を理由に簡単に労働契約上の地位を奪われてしまうような社会は健全とは言い難く、例え私傷病であったとしても、会社は復職しようとする労働者に対して一定の配慮義務を負います。そして、このような配慮義務を履践しないまま、復職を拒否して休職を命じることは、違法性を帯びることがあります。

 近時公刊された判例集にも、労働者に対して復職判断に際しての配慮義務を尽くさないまま行われた復職拒否・休職命令に、違法性が認められた裁判例が掲載されていました。東京地判令2.3.25労働判例ジャーナル103-94 東菱薬品工業事件です。

2.東菱薬品工業事件

 本件で被告になったのは、主にジェネリック医薬品等の開発・製造を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の青梅市内の研究所で、製材設計等に従事していた方です。

 交通事故に遭って欠勤を継続した後、「リハビリが必要であるものの、軽作業であれば就業は可能」などと書かれた診断書を提出し、復職を求めました。

 これに対し、治癒の見込みが立たないとして被告の発した休職命令が、ハラスメントとして慰謝料の発生原因になるのではなかが問題になりました。

 この論点に対し、裁判所は、次のとおり述べて、休職命令に違法性を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は正式な休職等の手続を経ておらず、被告としては、便宜的に復職手続(就業規則18条)を準用することとしたところ、復職の要件である治癒とは、原則として、従前の職務を通常の程度に行える健康状態に回復したときを意味するが、復職当初は軽作業に従事させつつ短期間で通常業務に復帰できるような見込みがある場合や、職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結している場合で、その能力、経験、地位、当該会社の規模、業種、当該会社における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして、当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができる場合には、労働者による債務の本旨に従った労務の履行の提供がある(最一小判平成10年4月9日最高裁判所裁判集民事188号1頁)ものとして、使用者側にそのような配慮をする義務があると考えられるから、使用者がそのような配慮をしないまま、復職要件を満たさないものとして労働者の復職を拒否することは違法となりうる。

「本件において、原告については、平成29年2月時点では治癒していたとはいえず、被告が指定した医師により、軽作業に従事可能との診断がなされていたところ・・・、原告が欠勤前に従事していた業務のうち、ヘモリンガル舌下錠の物性測定は、打錠用杵臼(1セット約16キログラムの重さのもの)を扱う作業工程等からして・・・、軽作業とはいえず、また、シロドシン錠試作(その類似業務も含む。)や静脈血管叢エキスのアミノ態窒素の定量法の検討についても・・・、なお左上下肢の神経症状が残る原告に従事させる業務としては不適切であるとして、被告が、これらの業務に関しては、原告の遂行可能性がないと判断したことに合理性がないとはいえない。」

「しかし、被告が、原告から診断書の提出を受けた後、具体的な業務内容の検討に際し、原告の体調を確認するなどしておらず、また、産業医に相談することもなく・・・(被告が法定の産業医設置義務を負っていないとしても、本件において、被告が契約先の産業医から従業員の復職に関する助言等を得ることが困難な特段の事情があるとは認められない。)、原告に担当させる業務を上記業務に限定した理由については、十分な検討がなされたことを裏付ける事情はなく、現に、欠勤前に原告が従事していた文書チェック等の業務は存在しており・・・、これらの業務を原告に担当させることができないような事情があったとも認められないから、この点において、原告の復職判断に際しての被告の上記配慮義務は十分に尽くされたものとはいえない。

したがって、原告の復職を認めず、休職命令を行った被告の行為は違法である。

3.碌に検討もせず、形式的に休職を命じることは違法

 上述のとおり、裁判所は、一定の業務に遂行可能性がないと認定したことに合理性がないとはいえないとしながらも、本人に体調を確認したり産業医と相談したりするなどの十分な検討を経ていないとして、会社側の配慮義務違反を認めました。

 診断書に治癒したと書かれていなかったとしても、これ幸いと休職を継続することは許されません。会社は、復職可能性がないかを、真摯に検討する必要があります。

 こうした検討が経られることもなく復職を拒まれた労働者の方は、本件に判示されている配慮義務に基づいて、司法的な救済を求めて行ける可能性があります。

 復職の可否をめぐる事件は難易度の高い紛争類型の一つではありますが、お困りの方がおられましたら、ぜひ、お気軽にご相談頂ければと思います。

責任著者は共著者が不正をしていないか要注意-論文不正に対する責任著者の法的責任

1.責任著者

 「筆頭著者」(first author)という言葉を聞いたことがある人は少なくないと思いますが、これは「発表された研究成果にもっとも貢献した人物で、研究アイデアの提供から実験や研究全般にかかわりのあった人」をいいます。

 このように論文の共著者には幾つかの類型がありますが、その中に「責任著者」(corresponding author)という類型があります。これは「論文にかならず掲載しなくてはならない電子メールなどの問い合わせ先窓口となる人が記載され・・・論文公表の交渉から論文掲載後の研究者などからの問い合わせまで応対し、筆頭著者とともに研究成果に対して全面的に責任を負う」役割の方をいいます。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97-677013

 この責任著者になった方は、論文不正を看過してしまった場合、勤務先である所属研究機関に対しても何らかの責任を負うのでしょうか? 所属研究機関は、適正なチェックが行われていないことを理由に、責任著者を懲戒に処することができるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。熊本地判令2.5.27労働判例ジャーナル103-74 国立大学法人熊本大学事件です。

2.国立大学法人熊本大学事件

 本件の被告は熊本大学を設置する国立大学法人です。

 原告になったのは、熊本大学大学院生命科学研究部教授として勤務していた方です。不正行為があった論文について責任著者として適切なチェック等を行わなかったとして被告から停職1か月の懲戒処分(本件処分)が行われたことを受け、本件処分の無効確認と未払賃金の支払などを求めて提訴した事件です。

 本件では複数の論文が問題とされており、その中には原告自ら不正行為を行ったと認定されているものもあります。しかし、同一画像の使い回しといった他の著者の不正行為を看過したことについても責任を問われています。共著者が不正しないか目を光らせておかなければならないというのも酷なように思われますが、裁判所は次のとおり述べて停職処分は有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

責任著者は、論文の全てについて内容が正確であることを保証する保証人であるから・・・、論文が発表される前に、その内容をきちんと把握し、それが正確であるか否かを慎重に検討し、捏造や改ざんのない正確な論文であることを確認する義務があるというべきである。しかるに、発表された論文に捏造又は改ざんの不正行為が含まれていることが発覚した場合には、責任著者がそれに関与又は看過したことになり、その論文に対する信頼や価値が失墜するのみならず、責任著者の学者としての力量や管理能力等が問われ、ひいては、責任著者の所属する大学等の職員等に対する管理能力や学術研究に対する信用及び名誉を棄損することになるということができる。そうすると、原告が被告の名誉と信用を失墜させるような行為をしたものとして、本件就業規則33条2号に該当するというべきである。」

「また、原告が大阪市立大学において研究・執筆・発表した論文について、捏造又は改ざんの不正行為が含まれることが発覚した場合には、被告が、そのような不正行為に関与又は看過した責任著者を教授として雇用した上、学生の指導や研究室の運営等をさせていた点で、被告の信用と名誉を失墜させるような行為をしたものとして、本件就業規則33条2号に該当するというべきである。」

「更に、原告が、不正行為が含まれる論文を責任著者として学術誌に発表する行為は、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行しなければならないとする本件就業規則30条にも該当するということができる。」

-原告が論文原稿のチェックを適切に行わなかったこと-

「上記・・・のとおり、責任著者は、論文が発表される前に、その内容をきちんと把握し、それが正確であるか否かを慎重に検討し、捏造や改ざんのない正確な論文であることを確認する義務があるというべきである。

「しかるに、原告の研究室におけるチェック体制は、認定事実・・・のとおりであり、実験結果に不自然なところがなく、結果も明確で問題がないと判断した場合には、特にデータの細かなチェックはせず、論文の画像のチェックも、筆頭著者以外は行っていなかったものであり、その結果不正行為の含まれた論文を発表するに至ったのであるから、責任著者としての義務を果たしていなかったというべきである。」

「その結果、被告の名誉と信頼を失墜させ、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行しなかったものとして懲戒事由に該当するということができる・・・。」

「これに対し、原告は、同一の画像が使用されることを想定することができず、論文について詳細なチェックをする義務はなかったと主張するが、前提とする研究室の管理体制が不十分であったことは上記・・・のとおりであるから、原告の主張は採用できない。

-原告が研究室における指導を怠ったこと-

q10教授の研究室においては、データの管理、実験ノートの作成方法、実験結果の管理等について、きめ細かく指導しているところ・・・、旧ガイドライン及び新ガイドラインの策定の経緯等に現れているように、不正行為に対して厳格に対処する必要性が喧伝されていること・・・からすると、原告もq10教授の研究室と同程度の指導をするべき義務があったというべきである。

「しかるに、原告は、自らの研究室の学生に対し、実験ノートの記載方法や生データの管理方法について特段の指導をしなかったのであるから・・・、上記の義務を怠ったということができる。」

「このような原告の行為により、不正行為のある論文が発表されるに至ったから、被告の名誉と信用を著しく傷つけるものであるとともに、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行すべき義務に違反するから、懲戒事由に該当する・・・。」

「これに対し、原告は筆頭著者らが医師としての経験を有していたから、上記のとおりに指導すべき義務がないと主張するが、実験ノートの記載や生データの保管方法は社会人としての常識や医師として当然に有すべき知識とは別個のものであるから、指導の必要性がないということはできない。

「また、原告は被告が実験手法に係る教育カリキュラムを実施すべきである旨を主張するが、各分野によって実験手法は異なることが認められるから(証人q10 8、13頁)、各研究室において研究主宰者が論文作成のルール、生データの保管、実験ノートの記載方法等について指導すべき義務があるというべきである。よって、原告の主張はいずれも採用できない。」

-論文作成のチェック体制を構築しなかったこと-

q10教授の研究室においては、筆頭著者が医局会において報告し、医局員全員で内容をチェックするなどのチェック体制を構築しているところ・・・、旧ガイドライン及び新ガイドラインの策定の経緯等に現れているように、不正行為に対して厳格に対処する必要性が喧伝されていること・・・からすると、原告もq10教授の研究室と同程度のチェック体制を構築して、不正行為の発生を未然に防止すべき義務があったというべきである。

「しかるに、原告の研究室においては、上記・・・で認定説示したとおり、チェック体制の構築が不十分であったといわざるを得ないから、義務を怠ったというべきである。」

「このような原告の行為は、被告の名誉と信用を著しく傷つけるものであるとともに、被告の使命と業務の公共性を自覚し、誠実かつ公正に職務を遂行すべき義務に違反するから、懲戒事由に該当する・・・。」

3.信頼の原則は通用しない?

 法律学には「信頼の原則」という法理があります。

 これは

「行為者は、他者が適切な行動に出ることを信頼して行動してよく、他者の予想外の不適切な行動によって生じた法益侵害については、その行為者は過失責任を問われない,とする法理。」

を言います。

https://kotobank.jp/word/%E4%BF%A1%E9%A0%BC%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%89%87-159536

 同一画像を使い回さないといったことは研究者倫理として当然のことであり、そのような次元の不正まで一々想定することはできないという原告の言い分は情緒的に理解できなくはありません。

 しかし、裁判所は原告の管理責任を否定しませんでした。

 論文不正に関しては、責任著者として他の共著者の不正を看過してしまったことについても連座して責任を問われかねません。指導の懈怠や、チェック体制構築の不備を責められることもあります。判例法理が必ずしも性善説に依拠していないことには、注意しておく必要があるように思われます。