弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

録音する時の留意点-発言の価値は、録音状況や質問の仕方とのセットで決まる

1.録音の重要性

 ハラスメントを事件化する時、録音の存否は事件の見通しに大きく影響します。確たる証拠がないのに、相手方がハラスメントの存在を素直に認めることは、先ずないからです。相手方が事実の存否を争った場合、ハラスメントの事実は当方で立証しなければなりません。そして、余程の裏付けがなければ、裁判所はハラスメントの事実の立証があったとは認めてくれません。

 ただ、ハラスメントを受けている場面そのものを録音できなかったとしても、直ちに悲観的になる必要はありません。何気ない会話を装って、過去にハラスメントを構成する事実があったことを認める発言を録音できる場合があるからです。

 証拠がなければ、裁判はできません。しかし、証拠がないというのは、

① 現在証拠が存在しないことに加え、

② 新たに証拠を作ろうとしても作れなかったこと

を意味します。

 もちろん、新たに証拠を作るといっても、証拠の偽造のような倫理的に問題のある行為に及ぶわけではありません。しかし、相手方との会話を録音して来るようにアドバイスする程度のことはすることがあります。そして、法律相談の場面で言質をとる方法をアドバイスし、それに基づいて依頼人が録音を取ってきて、事件化に繋げられた例は、個人的な経験の範囲内でも相当数あります。

 ただ、この証拠の作り方は、割と難しいことが珍しくありません。

過去の出来事を話題にすることが自然な状況を、どのように作り出すのか、

当方に都合の良い発言を引き出すために、どのような発問をするのか、

といったことなど、予め準備しておかなければならないことも、多々あります。

 これが上手く行かないと、そもそも言質となる言葉を録音できなかったり、録音できたとしても証拠としての価値が低くて裁判所を説得する材料にならなかったりします。

 近時公刊された判例集にも、原告側で証拠の作出に失敗したと思われる事案が掲載されていました。東京地判令2.3.26労働判例ジャーナル102-52 国・大町労基署長事件です。

2.国・大町労基署長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 本件の原告は、カーエアコン用ゴムホース及びアルミ配管類の開発・製造等を業とする株式会社で勤務していた方です。上司及び同僚による勤務中のパワーハラスメント等により強い心理的負荷を受け、適応障害を発症したのが業務上の疾病に該当するとして、労基署長宛てに療養補償給付を請求しました。これに対し、労基署長が不支給処分をしたことから、処分の取消を求めて出訴しました。

 原告がハラスメントとして構成した事実は幾つかありますが、その中の一つに、

「h部長、d(原告の上司 括弧内筆者)、原告及びf(原告の同僚。原告はfを指導する立場にありました。括弧内筆者)の4名は、平成28年6月7日、長野工場で面談を行ったところ(以下『本件四者面談』という。)、その場において、h部長は、原告の態度が原因でfが病気になった等と断定的な口調で言い、d及びfも原告を責める内容の発言をするなど、上記3名から断定的かつ一方的に原告に責任があると決めつけるような発言がされた。」

「また、原告において、fが平成28年7月28日に出勤したことを翌29日にh部長に報告する旨をdに伝えたところ、急にdが興奮して、原告に対し、fが会社を休むようになったのは原告のパワーハラスメントが原因である旨一方的に何度も大声で罵った。

という事実がありました。

 この事実を立証するため、原告は、令和元年7月30日にdとの会話を秘密録音し、dが過去「原告がfに対してパワーハラスメントをした」と発言したことの言質を取ろうとしました。

 これに対し、dは部分的に「うん。」などと、これを認める回答をしましたが、裁判所は、次のとおり述べて、録音に証拠としての価値を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「原告は、fが平成28年7月28日に出勤したことを原告が翌29日にh部長に報告する旨dに伝えたところ、急にdが興奮して、原告に対し、fが会社を休むようになったのは原告のパワーハラスメントが原因である旨一方的に何度も大声で罵ったと主張し、同旨の供述をする。」

「しかし、dにとって、fが出社したという事実は、dの上司であるh部長に対して秘密にすべきものとは考えられず、fが翌週である8月1日から休職を予定していたことについて、同人及びdの共通の上司に当たるh部長に対して報告することはむしろ当然であると解されるところであり、その旨報告することをdに伝達したことを契機として同人が急に興奮したという経緯自体が不自然といわざるを得ない。また、原告は、令和元年7月30日における原告とdの会話内容をdに秘して録音したデータの反訳書・・・を提出するところ、これによれば、原告がfに対してパワーハラスメントをしたとdが発言をしたかという原告の質問に対して、dが『うん。』などと返答していることが認められるものの・・・、dは、同発言の有無を問いただそうとする原告に対して、むしろ『うーん』などと明確に答えないことが多く、『ごめん。この話をここでするのは。』・・・、『今、ここで、裁判の話は止めましょう。』・・・と何度も会話を打ち切ろうとしたのに対し、原告は、会話を録音しており、会話内容の記録媒体を後に本件訴訟において証拠として提出することを予定していたことがうかがわれる状況であったにもかかわらず(現に証拠として提出されている。)、『ちがう。裁判じゃなくて。』・・・などと、なおも本件訴訟とは関係ないと言いつつ訴訟における自身に有利な発言を引き出そうと質問を繰り返し、最終的にdが『今、僕は、立場としては言えないです。』・・・として返答を拒否したことが認められる。このような両者の会話がされた状況や会話の内容全体を考慮すると、原告がfに対してパワーハラスメントをしたとdが発言をしたかという原告の質問に対して、dが部分的に『うん。』などと返答していることをもって、dが上記発言をしたことを認めるのは困難である。

「以上によれば、dが原告に対し、fが会社を休むようになったのは原告のパワーハラスメントが原因である旨一方的に何度も大声で罵った旨の原告の供述を採用することはできず、他にdが原告に対して上記内容の罵倒をしたことを認めるに足りる証拠はない。」

3.録音は言葉だけ取れればいいというものではない

 相談者の中には、予め録音を証拠として持参して来られる方もいます。ただ、そうした録音を聞いていると、あからさまに失言を誘うような質問をしていたり、特定の答えを求めて執拗な質問をしていたり、遠回し・暗示的な言い回しで問いかけをしたりしていて、証拠としての価値に疑問符がつくものも少なくありません。

 録音は言葉尻だけ補足できればいいというものではありません。望む文言がとれているというのは最低限度の要請を満たしているにすぎず、それだけで十分というわけではありません。発言は状況や質問と一体となって意味付けられます。そのため、どうやって状況を作出するか・どのような発問をするのかが、証拠収集活動として、非常に重要な意味を持つことになります。

 対象者を不必要に警戒させないためにも、録音をするにあたっては、どのような状況を作出したうえで録音に臨むのか、どのような質問をするのかについて、予め弁護士と法律相談をしてから実行することを推奨します。

 

事件報道を真に受けて事件を語ることの危険性

1.弁護士から見た事件報道

 事件報道に対して冷めた見方をする弁護士は、少なくないように思います。それは何も斜に構えて格好をつけているわけではありません。ある程度の年数弁護士をしていれば、報道される事件の一つや二つ経験することは珍しくありませんが、そうした事件処理の経験を通じて、報道が必ずしも実体を反映したものではないことを体感しているからです。

 近時公刊された判例集に、その一例と思われる裁判例が掲載されていたため、ご紹介させて頂きます。

2.長崎地判令2.3.24労働判例ジャーナル102-52 慰謝料等請求事件

(1)事件の概要

 本件は、長崎県対馬市の市議会議員であった原告が、行政視察時に宿泊した施設において、参加者らの間で行われた宴会の席で、市議会議員である被告からわいせつな行為をされたと主張し、慰謝料等の支払を求めた事件です。

 原告になったのは、

「昭和18年○月○日生まれ」

の女性です。事件が起きたとされる平成27年10月26当時、対馬市議会議員の地位にありました。昭和18年生まれであることから計算すると、事件当時の年齢は71歳もしくは72歳になります。

 被告になったのは、

「昭和24年○月○○日生まれ」

の男性です。平成27年10月26日当時。対馬市議会の最大勢力であった新政会の会長、議会運営委員会の委員長及び厚生常任委員会の委員長を務めていました。昭和24年生まれであることから計算すると、事件当時の年齢は65歳か66歳になります。

 対馬市の厚生常任委員会は、平成27年10月26日から同月27日まで、熊本県菊池市及び山鹿市を目的地として、行政視察(本件行政視察)を行いました。原告、被告はその参加者でした。

 本件視察参加者は、平成27年10月26日、熊本県菊池市役所を視察した後,同市内の菊池観光ホテル(本件ホテル)に宿泊しました。

 原告は、このホテルで開かれた宴会で、被告からわいせつな行為を受けたと主張しました。具体的には、

「本件宴会開始から10分も経過しない午後9時30分頃、被告は、左隣に座っていた原告の左手を掴んで引きずり、原告を押し倒した。さらに、被告は、原告の胸がはだけた状態で、原告の胸と被告の胸が重なる体勢をとり、このような行為が約10回繰り返され、被告の行動は次第にエスカレートして、浴衣姿の原告の胸付近を引っ張り、浴衣前をめくり、ブラジャーをまくり上げる等の暴行を加え、原告の乳房を触り、下着の中に手を入れようとした(以下『本件わいせつ行為』という。)。原告は『いい加減にしてください、やめてください。』と言い、周囲に『助けてください。』などと言い、Dも、被告が初めて原告を押し倒した時から被告を止め、10回目の頃には『B、いい加減にしろ、やめんか、くどいぞ。』と言い、原告は逃げるようにDのほうに行ったが、被告が追い掛けるような態度であったため、両者の間にDが入り、ようやく収まったものである。」

「原告は、翌朝、Fから我慢するよう言われ、警察に訴え出ずにいたが、本件忘年会の帰りのバス車内で、被告が、バスの最前部の座席に座っていた原告に対し、『また、お前のおっぱい触ってやっけのう。』と発言したことから、本件わいせつ行為をこのまま放置できないと考え、その翌日、警察に相談し、被告を強制わいせつ罪の事実で告訴するに至った。」

と主張しました。

 これに対し、被告は、本件わいせつ行為を否認し、

 「原告が平成27年12月下旬から平成28年1月初旬にかけて、被告を告訴したり、本件わいせつ行為に関し報道機関に情報提供したりしたのは、被告が、平成28年2月28日に実施された対馬市長選挙(以下『本件市長選挙』という。)に当たり、原告が応援する候補者と対立する候補を応援したため、政治的意図に基づくものであったと考えられる。本件訴えも、対馬市議会において、被告が主導し、原告に対する懲罰2回及び辞職勧告決議が提出・可決され、原告が、平成29年5月21日に実施された対馬市議会議員選挙で落選したことを逆恨みしたものである。」

などと主張しました。

 (2)当時の事件報道

 本件は、市議会議員の行政視察中の出来事であることと、当事者の年齢が目を引き、割と大きく報道されました。現在でもネット記事が残っています。一例を挙げると、次のように報道されていました。

(報道の例)

同僚男性市議を「強制わいせつ」告訴!視察中のホテルで女性市議のおっぱい丸出し! - ライブドアニュース

「長崎・対馬市議会の入江有紀議員(73)は7日(2016年1月)、『視察で泊まったホテルで同僚の男性議員に馬乗りされ、胸を開かれおっぱいを触られるセクハラがあった』として、強制わいせつ罪で警察に告訴状を提出した。」

「セクハラの加害者とされたのは大部初幸議員(66)で、熊本へ視察中だった昨年(2015年)10月26日、夕食のあと他の議員らと集まったホテルの部屋で、大部議員は入江議員の胸を『大きい』などと言い出し、いきなり押し倒して馬乗りになったという。」

「『腕をグッと引っ張られて倒れ、上から乗られたんです。その際、浴衣が全部めくれて胸が丸出しになりました。大部議員が「20人の議員がお前のおっぱいを今まで触りたかった。オレが代表でおっぱいを触る」と言いながら私のブラジャーを上げたんです』『下半身に手を突っ込もうと、何度も何度も繰り返した』と入江議員は語る。」

「仲良くしようと、酔って倒れ掛かっただけ」

「これが事実とすれば、単なるセクハラでは済まされない。れっきとした犯罪だが、大部議員は否定している。『仲良く飲もうということで私の部屋に集まった。仲良くしようと肩を抱いた際に、2人とも酔っているので倒れた。(入江議員は)私が彼女を抱き起そうとした時のことを言うわけです。訴えには正々堂々と立ち向かっていきます』」

「しかし、入江議員は『自分は酒が飲めず酔って倒れたりしない。こういうことをされては許すわけにはいかない。大部議員には責任を取っていただきたい。議員辞職しても告訴は取り下げません』と怒りは収まらない。」

「同席の議員『止めても何度も繰り返した。40分続いた』」
「目撃していた他の3議員は何をしていたのか。『スッキリ!!』がそのうちの一人に電話取材したところ、こんな答えが返ってきた。『実際、大部議員が入江議員の方へ寄って行って腕を引っ張り押し倒した。はじめは冗談かと思って見ていたが、入江議員が真剣に「助けて」と何度も訴えるので止めた。止めても大部議員は何度も行為を繰り返し40分ほど続いた』」

「評論家の宇野常寛『おそらく入江議員の方が正しいですね。情けない。何が悪質かって、酒の席だからいいだろうとか、お前が席を離れたら雰囲気が壊れるだとか、昭和のおやじ的な価値観にヘドが出ますよ』」

「司会の加藤浩次『視察中ですからね。まだこういう体質が市議会とかに残っているのかと考えちゃう』。」

「警察は告訴状を受理する方針という。怒りが収まらない入江議員は、抵抗した際に左手をケガしており暴行罪でも告訴する考えという。」

(3)裁判所の認定

 報道の中には、上述のとおり、本件わいせつ行為が行われたことを前提として、被告市議に否定的な評価を下すものが相当数ありました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、本件わいせつ行為の存在を否定し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告本人は、・・・被告が、

〔1〕原告を引き倒して馬乗りになるなどの行為を繰り返し、

〔2〕3回目に引き倒した頃には、『やめてください』などと抵抗する原告の両足に被告が乗って原告を動けない状態にし、浴衣の襟がはだける中、ブラジャーを首付近までまくり上げ、胸を露わにし、さらに、原告の下着の中に手を入れた、

〔3〕4回目に引き倒された頃には『お前のおっぱいは他の議員も触りたがっとった。俺が第1号で触る。』などと言って、原告の乳房を触ったなどとして、本件わいせつ行為の被害に遭ったことを供述・陳述・・・する。」

「他方で、被告本人及び証人Eは、被告が、原告と肩を組んだり、床に一緒に倒れ込んだり、床に倒れた原告を起こすなどしたことはあったが、前記〔1〕から〔3〕までの本件わいせつ行為はなかったと供述する。」

「この点について、証人Dは、本件宴会中、複数回にわたり、原告と被告の上半身が重なり、被告が原告を押し倒すように見える状況があり、そのうちには、被告の右太腿が原告の足の上に乗るような状況もあった旨を供述するが、他方で、原告が主張する、被告が原告の上に馬乗りになったとの事実については供述しないし、被告が原告の胸を触ったとの点についても、押し倒したような形になるので、そのように見えたとか、触ったところははっきり見ていない・・・などと述べるにとどまり、また、被告が原告を押し倒す際の言動についても記憶がない・・・と述べる。」

「前記のとおり、本件宴会の参加者は座卓を囲んで着座しており、証人Dの供述によっても、Dは座卓の長辺に向かい、原告と被告は右側の短辺に向かって(すなわち、Dの右斜め前に)並んで座り、奥側にいた被告が手前側にいた原告を押し倒してきたというのであり、また、被告の太腿が原告の足に乗っている状況を視認できるほどの状態にあったというのであるから、仮に、原告が主張・供述するような事実があったのであれば、まさにDの眼前(真横)で醜悪なわいせつ行為・言動が行われていたということになるのであり、Dが相当量の飲酒をしていたことを考慮しても、Dが明確に目撃していないとか、具体的な記憶がないなどということは、にわかに考え難い。かえって、証人Dの供述は、被告の行動は、1、2回であれば冗談で済む程度のものと思ったというものであったり・・・、本件宴会では上機嫌に飲酒をしていたというものであって、原告の主張するような深刻なわいせつ行為が発生したこと自体を疑わせる内容のものであり、原告本人の供述と整合しないといわざるを得ない。」

「翻って、原告本人の供述についてみても、

〔1〕3回目及び4回目に被告が原告を引き倒した際、抵抗する原告を制し、被告がブラジャーをまくり上げた、原告の胸を触った、下着の中に手を入れたなどと、深刻な被害内容を述べるものであるが、その時には周囲に助けを求めるなどせず、5回目頃に引き倒された時に『もう帰る』などと言い、更に5、6回同様の行為をされた後にDに助けを求めたという供述内容は、供述する被害の深刻さに照らせばいささか不自然であるし、

〔2〕その供述する周囲の対応も、原告が『もう帰る』といったのに対し、Dは、みんなの雰囲気が崩れるから、もう少しいてほしいと述べ、全般的には上機嫌で飲酒していた・・・というものにとどまり、原告もそれに応じて最後まで本件宴会に参加していた・・・というのであり、供述する被害の内容との対比で、あまりに緊迫感を欠いたものである。これらの事情に照らすと、原告本人の供述自体、不自然といわざるを得ず、事実を相当誇大に述べている疑いが払拭できない。」

「さらに、原告は、肝臓が悪く、かねてから飲酒を控えており、本件夕食会では、前記認定事実・・・のとおり注がれた酒類を用済みの食器に注いで捨てていたなどとも供述する。しかし、原告が、つがれた酒類を食器に注ぐなどして捨てていた旨供述する者は、証拠上原告の他におらず、かえって、証人E及び被告は、原告も相当程度飲酒していたと供述しているし、証人Dも、Cについては、そんなに飲まないので冷静であるなどと特に言及しているが、原告に対しては、周囲の飲酒していた議員らと異なる様子であった旨の認識を示しておらず、前記認定事実・・・のとおり、Dは、原告をスナックに誘ったと認められることに照らしても、原告も、本件夕食会及び本件宴会で、相当に飲酒をしていたと考えざるを得ない。」

「そして、原告は、被告が、本件忘年会の帰りのバス車内において、『またお前のおっぱい触ってやっけのう。』などとわいせつな発言をし、原告が、いい加減にしてくださいなどと言い返したとも供述するが、前記認定事実・・・のとおり、当時、原告の近くに着席していたFでさえ、それから間もない頃に、そのようなやりとりは聞こえなかったと述べていたというのであって、他に原告の供述を裏付ける証拠はなく、上記のやりとりがあったとも認められない。」

(中略)

「以上によれば、原告本人の供述はそれ自体が不自然と評価せざるを得ず、的確な裏付けも欠くものであるからそのまま信用することはできず、その他に原告の主張事実を認めるに足りる証拠は見当たらない。」

3.事件報道の精度は、それほど高くはないし、後追いもあるとは限らない

 事件報道の一例(掲げた以外にも、ネットで検索すればたくさん出てきます)と判決文を対照すれば、必ずしも事件報道を全面的に信頼できないことは、比較的容易に分かるのではないかと思います。

 また、報道機関は事件が起きた当初はセンセーショナルに報道しますが、じっくりと腰を落ち着けて一つの事件・一つの課題に焦点を当て続けることが不足しているように思われます。この事件の顛末も、たまたま判例集を読んでいて見つけただけで、報道から認識したわけではありません。判例集など読まない普通の人には、報道が記憶に刷り込まれているだけになっているのではないかと思います。

 本件に限ったことではなく、耳目を集める事件が起きるたびに、ネット上には、報道機関から流れてくる情報を所与の前提とした事件内容・事件当事者についての論評が多々なされます。

 しかし、一つの事件・一つの課題を、時間をかけて、じっくりと調べてみると、また違った印象を持つことも、少なくないのではないかと思います。

 

裁判に勝つための方策-反省すべきか、反省しないべきか

1.解雇の可否と改善可能性

 以前、

「懲戒解雇の効力を検討するうえでの改善可能性の位置づけ-改善可能性がなくても懲戒解雇は有効にはならない」

という記事の中で、解雇の可否を判断するにあたり、改善可能性という概念が重要な意味を持っていることを書かせて頂きました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/10/08/003826

 これとの関係で、労働者側の代理人として懲戒処分や解雇の効力を争う事件を処理するときに、使用者側の指摘する問題行為に対し、反省の姿勢を示すかどうかという問題があります。

 これがなぜ問題になるのかというと、反省の姿勢は多義的な評価が可能だからです。

 安易に反省の姿勢を示すと、「労働者側ですら問題があったと認めざるを得ないレベルで迷惑していた。」といったように、使用者側から延々と叩かれ続けた挙句、裁判所から非を過大に評価されたりする危険が生じます。

 しかし、だからといって何一つ悪くないといった姿勢を貫くと、裁判所から「自分自身の問題を認識することができておらず、改善の可能性がない。」として、解雇など職場から排除する方向での処分の有効性を基礎づけるための事情として評価される危険が生じます。

 本当に全く非のない事案であれば、反省すべき点は何一つないと堂々と主張すればよいのですが、法的紛争になるような事件は、多かれ少なかれ双方に問題があるのが普通で、一方当事者だけが全面的に悪いという事案は、それほど多くはありません。そのため、事件を担当する弁護士は、

反省の姿勢を示すかどうか、

示すとして、どの程度、どのような言葉で示していくのか、

を慎重に検討することになります。

 この判断が裁判所の心証とミスマッチを起こすと、

「自分自身の問題を認識することができておらず、改善の可能性がない。」

として裁判所から不利に判断をされることになります。

 昨日ご紹介した、東京地判令2.2.27労働判例ジャーナル102-48 日本ハウズイング事件は、こうした反省をめぐる訴訟戦略を誤ったことが、裁判所の心証を労働者側に不利に作用させたことが分かる事案でもあります。

2.日本ハウズイング事件

 本件は暴行をめぐる諭旨解雇の効力が問題になった事案です。

 本件で被告とされたのは、マンションの管理業を主要な事業の一つとする株式会社です。

 原告になったのは、被告にマンションの管理人として雇われていた方です。

 自らが管理するマンションの居住者(F)が第三者(G)との間で運転をめぐるトラブルに遭遇している場面を目にして、Gに対して暴行を加えました。具体的に言うと、裁判所では、次の事実が認定されています。

「Gは、平成29年6月21日午後4時45分頃、自らが運転する自動車とFが運転する自動車とが接触しそうになって自動車を停車させた後、運転席から降りてFが運転する自動車の運転席側のドアを開けようとしたがドアは開かず、自車の運転席ドアを開けて自車に戻ろうとした。これを発見した原告が、Gの立っていた付近に徒歩で近付いてGの両腕を掴み、両者は両腕を掴み合うような状態で歩道付近に移動した。その後、いったん両者は互いに両腕の掴み合いをやめて数秒間言い争ったが、原告が左手でGの胸倉付近を掴み、右手拳でGの顔面や上半身付近を十数回殴打した。この間、自動車から降車したFが両手でGの体を掴んで原告から引き離そうとしたが、原告は殴打を続け、また、Gは原告に対して反撃しなかった。」

 この傷害事件を起こしたことを理由に、原告の方は被告から諭旨解雇されました。この諭旨解雇が違法無効であるとして、原告は被告に対して逸失利益や慰謝料の賠償を求める訴訟を提起しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、諭旨解雇の違法性を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件傷害事件に至る経緯及びその態様についてみると、・・・GはFの乗車している自動車のドアを開けようとした後は自車に戻ろうとしていたのであり、既にFが危害を加えられる危険性があったとはいえない。また、原告はGと掴み合いになった後、Gといったん離れて口論になったものの、Gが原告の身体に危害を加える素振りはみられず、原告がGに殴りかかった後もGは原告に対して反撃しなかったのであるから、原告がGから危害を加えられる危険性が高かったともいえない。それにもかかわらず、原告は、一方的にGに対して手拳で十数回殴打する暴行を加えたのであり、Gの傷害結果が比較的軽いといえるとしても、本件傷害事件における原告の行為は悪質であるといわざるを得ない。しかも、原告は、本件傷害事件の当時、被告の会社名及びロゴマークが入った制服を着用して本件マンションの管理人として勤務中であり、その業務は主として受付業務や清掃業務であった・・・ことを併せて考慮すれば、本件傷害事件における原告の行為は、本件マンションの管理人としての業務から大きく逸脱する行為であり、かつ被告の信用が毀損されるおそれの高い行為であるというべきである。」

「これに対し、原告は、Gに対する暴行がFを助けるためにした行為である旨主張するが、前記のとおり客観的な状況に照らしてそのようにいうことはできないし、かえって、原告はGが『俺は空手の有段者だ』、『てめえなんか関係ねえんだからあっち行ってろ』などと言われて口論になって興奮して手を挙げてしまった旨供述していること・・・にも照らせば、原告はGの言動に立腹して暴行したことが推認される。」

また、・・・原告はD支店長及びEや被告の代理人弁護士から本件傷害事件に関する事実関係の聴取を受けた際に繰り返し正当防衛である旨説明して自己の行為を正当化して反省の態度を示していなかったというべきである(なお、原告は本件の本人尋問においても悪いことをしたという気持ちはない旨供述している(原告本人〔・・・頁〕)。)。

「さらに、D支店長及びEや被告の代理人弁護士による平成29年7月14日及び同月19日の原告からの事実関係の聴取の主たる目的がGの被告に対する損害賠償請求への対応にあったとしても、原告が被告に対して本件傷害事件に関する自己の認識等を述べる機会であったことには変わりがないのであるから、本件諭旨解雇が、弁明の機会を全く付与されずにされたものということはできない。また、人事権を有する者が直接に被懲戒者の弁明を聴取しなければならないとする根拠はない。」

前記・・・述べたところに照らせば、本件傷害事件以前の原告の勤務態度に特段問題がなかったこと・・・を考慮しても、本件諭旨解雇が客観的に合理的な理由を欠くとはいえないし、社会通念上相当であると認められないということもできない。

3.裁判に勝つための方策―採れるポイントを落とさないこと

 過去に生じた歴史的事実は書き換えることができません。しかし、反省の姿勢を示すかどうかといった事情は、個別の事件を処理する中で、コントロールすることが可能です。

 日本ハウズイング事件は、明らかに正当防衛の主張には無理があった事案だと思います。そのため、打ち合わせ不足なのか、現場で冷静さを欠いてしまったための言動なのかは分かりませんが、原告の方が、

「悪いことをしたという気持ちはない旨供述」

したのは失敗であったかも知れません。

 結果論とはいえ、裁判所が、上述のような供述を反省の姿勢の欠如と評価し、解雇の有効性を基礎づける事実として位置付けているからです。

 もちろん、反省の姿勢を示していたら結論も変わっていたというほど物事は単純ではありません。それでも、コントロール可能なポイントを落としたことは、教訓として記憶に留めておいて損はないと思います。特に、一般の方(法律の専門家でない方)は、正当防衛の成否といった難しい事柄に関しては、自己判断はせず、事前に入念な打ち合わせをしたうえ、代理人弁護士の見解に従った対応をとることが推奨されます。

 

 

 

他人間の運転トラブルに介入し、諭旨解雇になるとともに使用者から100%の求償を受けた例

1.使用者から労働者への求償

 民法715条1項本文は、

「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 この条文を根拠として、被用者の行為によって損害を受けた被害者は、その雇い主に対して損害賠償を請求することができます。

 そして、被害者からの求めに応じて損害を賠償した使用者は、支払った金額について、直接の加害者である被用者(労働者)に対して支払を求めることができます(民法715条3項参照)。これを「求償」といいます。

 しかし、求償は無制約に認められるわけではありません。最一小判昭51.7.8民集30-7-689は、

「その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。」

と支払を労働者に転嫁することに制約を加えています。

 こうしたルールがあるため、労働者の使用者に対する求償が満額で認められることは、あまりありません。

 ただ、それには例外もあります。労働者が故意に第三者に対して不法行為を働いたような場面です。そのことは、近時公刊された判例集に掲載されていた裁判例である東京地判令2.2.27労働判例ジャーナル102-48 日本ハウズイング事件からも読み取ることができます。

2.日本ハウズイング事件

 本件は、労働者から使用者への損害賠償請求と、使用者から労働者への求償権行使が交錯した事件です。

 本件で被告とされたのは、マンションの管理業を主要な事業の一つとする株式会社です。

 原告になったのは、被告にマンションの管理人として雇われていた方です。

 自らが管理するマンションの居住者(F)が第三者(G)との間で運転をめぐるトラブルに遭遇している場面を目にして、Gに対して暴行を加えました。具体的に言うと、裁判所では、次の事実が認定されています。

「Gは、平成29年6月21日午後4時45分頃、自らが運転する自動車とFが運転する自動車とが接触しそうになって自動車を停車させた後、運転席から降りてFが運転する自動車の運転席側のドアを開けようとしたがドアは開かず、自車の運転席ドアを開けて自車に戻ろうとした。これを発見した原告が、Gの立っていた付近に徒歩で近付いてGの両腕を掴み、両者は両腕を掴み合うような状態で歩道付近に移動した。その後、いったん両者は互いに両腕の掴み合いをやめて数秒間言い争ったが、原告が左手でGの胸倉付近を掴み、右手拳でGの顔面や上半身付近を十数回殴打した。この間、自動車から降車したFが両手でGの体を掴んで原告から引き離そうとしたが、原告は殴打を続け、また、Gは原告に対して反撃しなかった。」

 この傷害事件を起こしたことを理由に、原告の方は被告から諭旨解雇されました。この諭旨解雇が違法無効であるとして、原告は被告に対して逸失利益や慰謝料の賠償を求める訴訟を提起しました。

 これに対し、被告は、諭旨解雇が違法無効であることを争うとともに、被害者Gに対して支払った和解金(損害賠償金)60万円を求償する反訴を提起しました。

 裁判所は、諭旨解雇の有効性を認めるとともに、次のとおり述べて、被告の原告に対する100%の求償を認めました。

(裁判所の判断)

本件傷害事件は、原告の故意による不法行為であり、原告においてGに対する暴行をすることがやむを得ないという状況にあったとはいえず、しかも本件マンションの管理人としての業務内容を大きく逸脱するものであって被告において予見し得る行為であったといい難いことに照らせば、被告がGに対して使用者責任による損害賠償債務を弁済した場合の原告に対する弁済金相当額の求償については信義則上の制限を受けないというべきである。

(中略)

「したがって、本件和解に基づく解決金債務につき被告の負担部分はないというべきであって、被告は、同債務を弁済したことにより、原告に対して民法442条に基づきその全額である60万円を求償することができる。」

(中略)

「なお、D支店長の供述するとおり・・・、平成29年12月21日の話合いの際、Fから本件傷害事件に関して原告に対する求償をしないよう再三求められ、D支店長がその場を収めるために分かりましたという趣旨の発言をしたとしても、その経緯及び状況等に照らせば、D支店長の上記発言があらかじめ求償権を放棄する旨の意思表示であると評価することはできないし、原告が求償を受けないと信じたとしても後に求償することが信義則に反するということもできない。

3.暴力に対して裁判所は冷淡

 原告の方の行為は、行き過ぎであることは間違いありませんが、自ら管理するマンションの居住者をトラブルから守ることと無関係とまでは言えないように思われます。そのことは、Fが求償権の行使をしないように再三に渡って会社に申し入れていることからも推察されます。

 また、裁判所で認定された本件障害事件の結果が、

「全治までに1週間を要する傷害」

と認定されていることからすると、字面ほど暴行は激しいものではなかったとも推測されます。

 それでも、裁判所は、諭旨解雇の効力を認めるとともに、使用者に100%の求償を認めました。

 司法機関としての性格上、当たり前といえば当たり前ですが、裁判所は暴力に対しては、かなり冷淡な姿勢をとることが多いように思います。目の前で緊迫した状態が繰り広げられている時に、悠長なことを言いにくいことは否定できませんが、物理的な実力行使が必要になると思ったら、自力で何とかしようとはせず、速やかに警察に通報する形で対応することが推奨されます。

 

懲戒解雇の効力を検討するうえでの改善可能性の位置づけ-改善可能性がなくても懲戒解雇は有効にはならない

1.解雇の可否と改善可能性

 解雇の効力を検討するにあたり、改善可能性という考え方があります。大雑把に言うと、問題となる行為があったとしても、改善する可能性があるのであれば、解雇する前にきちんと注意、指導をしなければならず、こうした事前の注意、指導を欠く解雇には問題があるとする考え方です。

 改善可能性は様々な解雇理由との関係で問題になります。

 例えば、勤務態度・業務上のミス等を理由とする解雇に関して言うと、

「通常一度だけでは解雇理由とはならない。使用者が注意・指導したにもかかわらず、接客態度や業務上のミスが改まらないなど勤務態度の不良が繰り返された場合に初めて解雇が有効になる」

とされています(第二東京弁護士会 労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕345頁参照)。

 これは普通解雇に限った話ではなく、懲戒処分の場面でも同様であり、

「事前に使用者が注意・指導・警告を行い、改善の機会を与えていたかどうかが、(懲戒処分の 括弧内筆者)相当性判断の中で考慮されることがある」

とされています(前掲『2018年 労働事件ハンドブック』203頁参照)。

 しかし、普通解雇の場面と懲戒解雇の場面とでは、改善可能性という概念の位置づけに差がありそうです。そのことを示す裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されています。東京地判令2.2.19労働判例ジャーナル102-50 日本電産トーソク事件です。

2.日本電産トーソク事件

 本件は懲戒解雇、普通解雇の効力が問題になった事件です。

 被告になったのは、精密測定機器の製造及び販売等を主要業務とする株式会社です。

 原告になったのは、被告に雇われていた方です。被告から懲戒解雇された後、予備的に普通解雇され、この二つの解雇の効力が争点となりました。

 原告の方が解雇されたのは、入社後配属された複数の部署においてトラブルを起こし続けたからです。最終的には、職場でカッターの刃を持ち出して所属部署の部長の座席まで来て、カッターの刃を自らの手首に当てて手を切る素振りをするなどの不穏当な行動に及び、懲戒解雇されました。普通解雇の意思表示は、その約2か月後に予備的に行われたものです。

 この事案において、裁判所は、次のとおり述べて、懲戒解雇を無効とする一方、普通解雇を有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

-懲戒解雇の効力について-

「原告は、平成29年4月の人事総務部室内のレイアウト変更において、自席がgグループリーダーの横に配置されることに強く反発してこれを拒絶したにとどまらず、

同月24日、前日の自己の退社後に席が移動されたことを知るや、h部長に対し、座席配置の変更について配慮のない行為をされ精神疾患を誘発した責任を同部長にとってもらうなどといったメールを送信し、

翌25日もh部長に対し同旨の言動をして精神疾患に対する治療費を支払うよう求め、その住所を聞き出そうとしたり、同部長の前に立ちはだかったり、行く手を遮ろうとしたもので、被害妄想的な受け止め方に基づき、身勝手かつ常軌を逸した言動を執拗に繰り返したものといわざるを得ないし、その動機においても酌量すべき点はない。」

「そして、前記・・・のとおり、原告は、翌26日も、病院への通院や弁護士の相談に行くための職場離脱を業務扱いにするよう求め、h部長にこれを断られるや、カッターの刃を持ち出してh部長の面前で自らの手首を切る動作をしたものであって、その動機は身勝手かつ短絡的である上、h部長や周囲の職員の対応いかんによっては自傷他害の結果も生じかねない危険な行為であったといえる。また、かかる原告の行為によって、周囲の職員に与えた衝撃と恐怖感は大きかったものと推察されるし、2度も警察官が臨場する騒ぎとなったことも軽くみることのできない事情である。」

「このように、かかる原告の一連の行為については、少なくとも、就業規則所定の懲戒事由としての『職務上の指示命令に従わず、職場の秩序を乱すとき』(80条3号)に該当することは明らかであるから、懲戒事由該当性が認められる。そして、前判示のとおりその態様も危険で悪質といえることや、この平成29年4月の部屋のレイアウト変更をめぐる一件以前にも、原告が種々の問題行動を繰り返していたことは前記認定事実のとおりであることからすれば、原告に対しては、相当に重い処分が妥当するといえないではない。」

「しかしながら、他方で、h部長の適切な対応によるものとはいえ、この件によって傷害の結果は発生しなかったものであることや、前記・・・のとおり、カッターの刃を持ち出した原告の行為が自傷行為の目的に出たものであって、h部長や他の職員に向けられたものでなく、そのことはh部長も認識し得る状況にあったこと、前記のとおり、かかる行為が自己の要求を通すための自演であると認めるに足りる証拠はないこと、前記・・・のとおり、原告が、総務グループにおいて当初は種々雑多な業務に問題なく従事し、このうち、蛍光灯の掃除については約2000本にわたる蛍光灯をもう1名の社員と分担して行うなど、真摯な姿勢で業務に従事していた時期もあること、このレイアウト変更をめぐる件以前にも、原告に種々の問題行動があったことは前記認定事実のとおりであるものの、原告には懲戒処分歴はなかったことなど、原告にとって有利に斟酌すべき事情も認められる。このような事情をも勘案すると、1度目の懲戒処分で原告を直ちに諭旨解雇とすることは、やや重きに失するというべきである。

「以上のとおり、本件諭旨解雇及びそれに伴う本件懲戒解雇については、懲戒処分としての相当性を欠き、懲戒権の濫用に当たるものであって、労働契約法15条により無効であると認められる。

-普通解雇の効力について-

「原告は、被告入社直後に配属された自動車部品営業グループ在籍時において、顧客との対応がうまく行かなかった時などに顧客に対し声を荒げるなどのトラブルを起こし、上司や先輩社員からの注意に対しても感情を高ぶらせるなどして、顧客との接点の少ないあるいは接点のない部署に異動を命じられたものの、そのような部署である自動車部品事業管理部や生産試作技術部においても同僚職員や上司との間でもトラブルが絶えなかった。原告は、その後、人事総務部に異動となり、約2年以上に及ぶ出向先開拓の期間を経て、人事総務部・総務グループに配属されたが、ここでも、配属後しばらく経った後から、気に入らない業務については断ったり、他の従業員とのトラブルを起こすようになり、遂に前記2で判示したとおりの平成29年4月のレイアウト変更に端を発する事件を引き起こしたものである。」

「このように、原告が、入社後配属された複数の部署においてトラブルを起こし、最終的に職場でカッターの刃を持ち出すなどの事件を起こしたことからすれば、被告としては、このように職場秩序を著しく乱した原告をもはや職場に配置しておくことはできないと考えるのはむしろ当然であるといえ、かつ、それまでにも、被告が、トラブルを起こす原告に対し、その都度注意・指導を繰り返し、いくつかの部署に配転して幾度も再起を期させてきたことは、前記認定事実に照らし明らかであって、もはや改善の余地がないと考えるのも無理からぬものということができるから、本件普通解雇は、客観的に合理的な理由があり、かつ、社会通念上も相当であると認められる。

3.改善可能性がないからといって過度な制裁を科して職場から排除できるわけではない

 本件の特徴は、解雇事由が同一であるにもかかわらず、懲戒解雇としては無効、普通解雇としては有効という結論を導き出した点ではないかと思います。

 その理由として目を引いたのが、改善可能性の位置づけです。

 普通解雇の判示で、裁判所は、

「改善の余地がないと考えるのも無理からぬ」

と改善可能性に乏しいことを認定しています。

 改善可能性の欠如は、懲戒処分による職場からの排除(懲戒解雇)の効力を決めるうえでも重要な考慮要素になるかにも見えます。

 しかし、裁判所は、飽くまでも懲戒解雇としての解雇は無効だと判示しました。

 これは、やはり、懲戒が制裁であることに根差しているのではないかと思います。改善の可能性があろうがなかろうが、制裁は非違行為の軽重に対応している必要があります。改善可能性がなかったとしても、それが制裁である限り、行為に即応する以上の処分を科することは正当化できません。だから、裁判所は、不穏当な問題行動を認定したうえ、その改善可能性の欠如を心証として抱きながらも、懲戒解雇の効力を否定する判断をしたのではないかと思います。

 このことは懲戒解雇の効力を議論するうえで、改善可能性の欠如が労働者側にとって致命的な要因にならないことを示しています。

 「注意しても無駄だから・・・」というのが仮に真実であったとしても、懲戒解雇に釣り合うような非違行為がなされていない限り、懲戒解雇の効力は争える可能性があります。

 本裁判例を通じて得られる知見として、

些細な非を繰り返しいてなかなか改善がなかったとしても、それだけで懲戒解雇の有効性が基礎づけられはしないこと、

職場でカッターを手に取り自傷行為に及ぶといった相応に不穏当な行為をしていても、懲戒解雇の有効性が基礎づけられるには至らなかったこと、

は記憶に留めておいて良いのではないかと思います。

 

 

人事考課の理由を労働者本人に説明しないで降格することは許されるのか?

1.説明のない人事考課

 長期雇用システムの下の労働契約においては、使用者が、労働者を特定の職務やポストのために雇い入れるのではなく、職業上の能力の発展に応じて様々な職務やポストに配置することが予定されているため、労働者を組織の中で位置づけ、役割を定める使用者の人事権は、労働契約上、当然に使用者の権限として予定されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕60頁)。

 こうした人事権の行使として、労働者の職位や資格を引き下げることを降格といいます。多くの場合、権限、責任、要求される技能、そして、これらに応じて定められている基本給や役職手当の低下が伴うため(前掲『労働関係訴訟の実務』59頁参照)、降格人事を受けた方の中には、納得できないという感覚を持つ方も少なくないように思います。

 人事考課の理由を説明することは、法文で義務付けられているわけではないため、個々の従業員に対して一々説明をしないという姿勢をとっている会社も少なくありません。しかし、昇進、昇格の場面であればともかく、降格を受けたときに、自分が、なぜ、悪い人事考課を受けたのかを知りたいと思うのは、人として自然な感情ではないかと思います。こうした労働者の心情に対し「説明義務はないから。」と突っぱねてしまうことは、果たして許されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.2.26労働判例ジャーナル102-52 長大事件です。

2.長大事件

 本件は、労働者の職務等級の引き下げと、それに伴う賃金減額の適否が問題になった事件です。

 本件で被告になったのは、交通インフラ・土木・都市基盤整備等の検閲コンサルタント事業などをしている株式会社です。

 原告になったのは、被告の従業員の方です。営業企画部の部長として働いていたものの、断続的に職務等級・賃金を引き下げられていったことを受け、降格される以前の職能資格等級・賃金の支払を受ける地位を有していることの確認などを求めて、被告を訴えたのが本件です。

 原告は人事考課がフィードバックされる体制になっていないことを捉え、

「被告の人事考課制度においては、部門長の立場にある従業員との関係では上長との面談が予定されておらず、また、人事考課の根拠となる記録を残すことや、人事考課書に具体的かつ十分な指導ポイントを記録することも求められていないのであって、事後的にその当否を検証する術もなく、考課者の恣意的な人事考課を許すものであって、致命的欠陥を抱えた制度になっている。」

と降格の元となった人事考課システムの不備を指摘しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、人事考課システムの欠陥を認め、降格は無効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「人事考課においては、評価対象者の業績のみならず、業務に対する日常的な取組みの姿勢や業務の遂行手法等の事象を幅広く対象にせざるを得ないものであって、それらの事象は時に必ずしも客観的、明確といい難いことがあるから、被告のような人事・給与制度における降格・降級につき常に合理的な理由を求めるとするならば、妥当かつ円滑な人事考課の実施、運用を図ることはできないとの批判もあり得るところである。」

「もとより、人事考課において、そのような客観的で明確でない事象をも対象とせざるを得ない場合があることを否定すべき理由はないが、そのような事象を降格・降級の主要な理由とするのであれば、少なくとも、評価権者側において評価対象者に人事考課結果のフィードバックを実施し、その理由等について評価対象者に可能な限り認識、了解させて感銘付ける必要があるというべきであり、このような観点に照らすと、そのようなフィードバックすら実施されていないこと自体が、かような合理的理由の不存在を基礎付ける一事情となるというべきである。

(中略)

「被告は、人事考課のための面談実施対象者は役職のない社員に限定されており、原告のような部門長の立場にある者については、そもそも人事考課のための面談が予定されていない旨主張するところ、なるほど、被告の人事考課マニュアルにおいて、部門長は、各社員との人事考課結果のフィードバック面談の実施主体であることが想定されており・・・、同フィードバック面談の対象とされることは予定されていないようにみえないではない。しかしながら、同マニュアル上、部門長を同面談の対象とすることを明確に否定した記述はなく・・・、かえって、前述した同面談の意義、機能に照らすと、部門長であるからといって同面談を実施することが否定されるべき理由はないといえる。また、上記の事情に加えて、前記・・・のとおり、被告の社内においても、部門長に対しても同面談を実施すべきであるとの認識もあったことに照らすと、前記の人事考課マニュアルの記述ぶりを理由に、部門長に人事考課結果に対するフィードバック面談を行うことが否定されるべき理由はないというべきである。」

(中略)

「以上の事情に照らすと、本件降級・減給に関し、合理的理由は認められず、裁量権の濫用に当たるというべきであるから、これらについては、いずれも無効と認めるのが相当である。」

3.主観的な評価項目を立てるのであれば、最低限本人に説明を

 裁判所は、大意、

業務に対する日常的な取組みの姿勢や業務の遂行手法等の主観的・不明確な評価項目を立てるのであれば、評価理由を本人に告げてフィードバックを実施すべきである、

それすらないことは降格に合理性がないことを基礎付ける一事情になる、

これは部門長のような管理職でも変わらない、

と判示しました。

 フィードバックシステムの欠缺だけで原告が勝った事案ではありませんが、それにしても、本人への理由の説明を伴わない人事考課の仕組みに不合理だという判断を明確に示したのは、画期的な判断であるように思われます。個人的に観測する範囲内では、理由のない人事に不満を持っている方は決して少なくありません。理由の説明すらないまま一方的に低い考課を受け不利益を被っている方が、会社と話し合いをするにあたり、本件の裁判例は有力な道具になる可能性を持っているのではないかと思います。

 

就業規則の変更-従業員代表を不信任投票方式で選任することは許されるのか?

1.就業規則の変更の手続的要件-従業員代表からの意見聴取

 労働基準法90条1項は、

「使用者は、就業規則の作成又は変更について、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならない。

と規定しています。

 過半数で組織された労働組合どころか、労働組合自体が存在しない会社も珍しくなくなっている昨今、就業規則の変更における労働者代表(従業員代表)からの意見聴取の重要性が増しています。

 この従業員代表の選任について、労働基準法施行規則6条の2第1項2号は、

法に規定する協定等をする者を選出することを明らかにして実施される投票、挙手等の方法による手続により選出された者であつて、使用者の意向に基づき選出されたものでないこと。」

との要件を掲げています。

 この従業員代表について、特定の者を候補者に立てたうえ異議のある方は申し出ろという形式で選出することは許されるのでしょうか? 

 法律(規則)の文言では、投票、挙手など積極的な支持が表明されることが必要であるように読めますが、信任しない者は投票するようにとの方式で、従業員代表を選出しても問題ないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.2.27労働判例ジャーナル102-46 野村不動産アーバンネット事件です。

2.野村不動産アーバンネット事件

 本件は営業成績給を廃止する就業規則・給与規程の変更の効力が争われた事案です。

 被告になったのは、不動産の売買や仲介等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の営業社員(流通営業職)として働いていた方です。営業成績給を廃止する就業規則・給与規程の廃止が無効であるとして、従前の給与体系に従った営業成績給相当額の支払を求め、被告を訴えたのが本件です。

 就業規則変更の効力は、多角的な観点から争われましたが、その中の一つとして、従業員代表の選出手続の適否が問題になりました。

 原告は、本件の従業員代表が、特定の者について信任しない者は投票するようにとの方式で行われたことを捉え、

「本件就業規則の変更におけるもっとも重要な変更点は営業成績給の廃止であるところ、d氏は、営業成績給の廃止の対象となる者ではないから、従業員の過半数代表者としては不適格である。」

「また、その選任手続も、信任しない場合には人事部に投票用紙を提出するというものであり、信任の意思がない場合であっても、あえて不信任の手続をとらなかった従業員が多数いることは想像に難くない。上記選任手続は、労働基準法施行規則第6条の2第1項2号に反するものである。しかも、不信任投票の期限から意見表明まで中2日しかなく、意見集約を含む意見の検討に十分な時間が確保されていたとはいえず、労働基準法90条1項の趣旨に反する。」

「したがって、本件就業規則の変更について、従業員の過半数代表者の意見聴取手続が的確に行われたとはいえない。」

と主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、従業員代表からの意見聴取手続には問題がないと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、従業員に対し、複数回にわたり説明会を開催して本件就業規則の変更の内容を説明し、変更後の就業規則及び諸規程を新旧対照表を付した上で閲覧できる状態にするなどして、本件就業規則の変更の内容を周知するとともに、従業員代表の候補者であるd氏を信任しない場合には所定の投票用紙を人事部に提出するように通知したが、原告以外にd氏を信任しない旨の投票をした従業員がいたとも認められないのであるから、その選任方法について不適切な点があったということはできず、d氏は、被告の過半数従業員職場代表として、本件就業規則の変更に異議がない旨の意見を述べたことが認められる。

したがって、本件就業規則の変更に係る従業員の過半数代表者からの意見聴取手続が、労働基準法90条1項、労働基準法施行規則第6条の2第1項2号に違反するとは認められない。

3.不信任投票方式-そんなに簡単に許していいのだろうか?

 上述のとおり、裁判所は、比較的あっさりと、従業員代表を不信任投票の方式で選出することを認めました。

 しかし、不信任投票の方式では、無関心票が信任票と同様に理解されることになるため、積極的な支持者が少数に留まる場合でも当選することが有り得ることになります。

 冒頭で述べたとおり、労働組合がない会社も珍しくない中、従業員代表による意見聴取手続は、恣意的な労働条件の変更を控制するうえで重要な意味を持っています。こうした実情を踏まえると、積極的な支持を取り付けなくてもすむ方式による従業員代表の選出を有効とした裁判所の判断には、少なからぬ疑問を覚えます。