弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

飲み会(接待・懇親会)に労働時間性が認められた事案

1.飲み会(接待・懇親会)の労働時間性

 労働基準法上の労働時間は、

「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではない」

と定義されています(最一小判平12.3.9労働判例778-8 三菱造船所(一次訴訟・組合側上告)事件参照)。

 この定義との関係で考えると、飲み会が労働時間として認められるのは、それが事実上強制されているなど、ごく例外的な場面に限られると思われます。裁判例の傾向としても、飲み会に労働時間性が認められた事案は決して多くはありません。

 昨日、認定基準に満たない労働時間で労災が認められた裁判例(高松高判令2.4.9労働判例ジャーナル100-1国・高松労基署長(富士通)事件)を紹介しました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/07/31/192143

 この裁判例は、労災認定との関係だけではなく、労働時間の認定においても特徴的な判断を示しています。何が特徴的なのかというと、飲み会(接待・懇親会)に労働時間性を認めているところです。

2.国・高松労基署長(富士通)事件

 本件は、くも膜下出血で死亡した労働者の遺族が提起した、労災の不支給決定に対する取消訴訟です。

 くも膜下出血による死亡は業務上の理由に起因するとして遺族補償給付や葬祭料の支給を請求したところ、高松労働基準監督署長が不支給決定をしたことから、その取消を求めて出訴した事件です。

 くも膜下出血の業務起因性を判断するにあたり、死亡労働者の時間外労働時間数が議論の対象になりました。その中で、死亡労働者の参加していた飲み会(接待・懇親会)が労働時間としてカウントされるのかが争点となりました。裁判所は、次のとおり判示して、一部飲み会に労働時間性を認める判断をしました。なお、q7とあるのが死亡労働者です。

(裁判所の判断)

業務に伴う懇親会等は、通常は、業務終了後の会食ないし慰労の場であることからすれば、懇親会等への出席は、基本的には使用者の指揮命令下に置かれたものとはいい難く、社会通念上、当該懇親会等が業務の遂行上必要なものと客観的に認められ、かつ、それへの出席や参加が事実上強制されているような場合にのみ使用者の指揮監督下に置かれたものと評価でき、その参加に要した時間は労働時間に当たると解するべきである。

「以下、個別の労働時間として争いのある懇親会等について、労働時間に当たるか否かについて検討する。」

「5月27日」

「前記認定のとおり、東京の本社から四国電力などの顧客挨拶のために統括部長代理ら3名が高松に来ていたことから、q9部長が主催者となり、同3名との懇親会を企画し、q7はこれに出席した。」

上記懇親会への直接的な参加強制はなかったものの、q7の直属の上司が主催者であり、四国エネルギー営業部の所属員のほとんどが参加するものではあったから、情報部門のリーダーの立場にあったq7としては、欠席することは事実上困難であったと考えられること(そのため、同日はフラダンスの練習の予定があったが、それを取りやめて、上記懇親会に参加している。)、慰労、懇親の趣旨も含まれるものであったとしても、本社の幹部社員との業務に関する意見交換の意味合いも否定できず、業務の円滑な遂行上も必要であったと認められるから、午後6時から午後9時までの上記懇親会参加時間3時間は労働時間と認めるのが相当である。

(中略)

「7月4日」

「前記認定のとおり、前任のq15支店長が東京から高松に出張に来る予定であったことから、総務部長及び社会ネットワーク部長によって懇親会が企画されたものであり、上記懇親会の参加者は明らかではないが、q7が友人に宛てたメールに、『呼ばれてて』、『他に呼ぶ人探しといて』と記載していることや部長職の主催であったことからして、情報部門のリーダーの立場にあったq7としては欠席することは事実上困難であったと考えられること、慰労、懇親の趣旨も含まれるものであったとしても、幹部社員との業務に関する意見交換の意味合いも否定できず、業務の円滑な遂行上も必要であったと認められるから、一般的な懇親会参加時間3時間(18時~21時)の限度で、労働時間と認めるのが相当である。上記懇親会が上記時間以上要したことを認めるに足りる的確な証拠はない(q7の22時28分の『おつきあい終了!つかれたぁ』とのメールのみで、同時刻まで懇親会がされたとは認められない。)。」

(中略)

「10月24日」

「前記認定のとおり、q7は、午後6時30分からの四国電力配電部との懇親会に参加しており、当時、q7の主な営業先は四国電力情報通信システム部門であり、配電部との関わりは間接的なものにとどまっていたものの、q7は、平成26年度において、情報部門のリーダーとして、配電部に対する営業も担当の範囲内であり、同部とも依然として仕事上の付合いがあったことからすると、上記懇親会は、今後の円滑な取引継続を期待した取引先に対する接待であると認められ、上記懇親会の参加時間のうち一般的な懇親会の時間である3時間の限度で労働時間と認めるのが相当である。それ以上の時間を要したことを認めるに足りる的確な証拠はない。」

3.労災の労働時間の概念と労働基準法上の労働時間の概念はおそらく異なるが・・・

 国・高松労基署長(富士通)事件は、労働者災害補償保険法の適用の場面において、飲み会(接待・懇親会)の労働時間性を認めた事例です。

 残業代請求と労災事件とでは、労働時間を問題にする理由や位置付けが異なっています。残業代請求の場面での労働時間は、割増賃金を請求するための要件事実そのものであるのに対し、労災事件の場面での労働時間は、労働者にどれくらいの大きさの負荷がかかったということを判断するための要素として位置づけられています。そのため、労災事件において労働時間に該当するかを判断するにあたっては、労働密度や業務の困難性といったものも指標の一つになります。しかし、残業代請求事件においては、こうした事情は考慮の枠外に置かれます(以上、『東京地裁労働部と東京三会弁護士会の協議会<第17回>』佐藤裁判官発言部分 労働判例1217-5参照)。

 以上より、本件(労災事件)で労働時間性が認められたからといって、直ちに類似した接待・懇親会に参加した人の残業代請求が認められるようになるわけではありません。

 ただ、そうであるとしてもなお、裁判所が飲み会(接待・懇親会)に労働時間性を認定した点は画期的です。本件は、参加したくもない飲み会に事実上の強制のもと行かざるを得なかった方が、残業代を請求する訴訟を提起する契機となる裁判例としても位置付けられます。

 

認定基準に満たない労働時間でも労災が認められた例

1.脳血管疾患及び虚血性心疾患等の労災認定基準

 くも膜下出欠や心筋梗塞などの脳血管疾患・虚血性心疾患等は、業務による過重負荷も原因になることが知られています。そうした医学的知見を踏まえ、厚生労働省は脳血管疾患・虚血性心疾患等が労災と認められるための基準を作成しています(基発第1063号 平成13年12月12日 改正基発0507第3号 平成22年5月7日「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」参照)。

https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-11a.pdf

 これによると、脳血管疾患・虚血性心疾患が労災と認められる場合には、

「異常な出来事」

「短期間の過重業務」

「長期間の過重業務」

の三類型があるとされています。

 このうち「長期間の過重業務」類型は、疾患の業務起因性を判断するにあたり、労働時間を最も重要な要因として位置づけており、次のような基準を定めています。

①「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いが、おおむね45時間を超えて時間外労働が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること」

②「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合には、業務と発症との関連性が強いと判断すること

 このうち②の指標は、実務上、極めて重要な意味を持ってきます。行政判断・司法判断とも、労災かどうか(業務起因性が認められるかどうか)の判断は比較的硬直的で、労働時間が②の指標を満たしていない場合に労災が認定された例は、私の知る限り殆どありません。

 しかし、近時公刊された判例集に、労働時間が②の指標を満たしていないにもかかわらず、労災(業務起因性)が認められた裁判例が掲載されていました。

 高松高判令2.4.9労働判例ジャーナル100-1国・高松労基署長(富士通)事件です。

2.国・高松労基署長(富士通)事件

 本件は、くも膜下出血で死亡した労働者の遺族が提起した、労災の不支給決定に対する取消訴訟です。

 くも膜下出血による死亡は業務上の理由に起因するとして遺族補償給付や葬祭料の支給を請求したところ、高松労働基準監督署長が不支給決定をしたことから、その取消を求めて出訴した事件です。

 一審の高松地裁は原告の請求を棄却しましたが、高松高裁は一審の判断を変更し、原告の請求を認容する判決を言い渡しました。

 本件の最大の特徴は、労働時間が②の指標を満たしていないにもかかわらず、労災・業務起因性を認めたところです。

 裁判所は、次のとおり判示しています。

(裁判所の判断)

q7(死亡した労働者 括弧内筆者)の時間外労働時間は、発症前6か月間の1月当たりの平均が65時間29分と45時間をはるかに超える長時間ではあるが、認定基準において業務と発症との関連性が強いとされる80時間には達していない。

「しかしながら、発症前6か月目は86時間30分、発症前5か月目は107時間8分、発症前4か月目は126時間33分といずれも80時間を超えるものであり、この時期については、q7の業務は、時間外労働時間の長さの点だけをとっても、過重なものであったことは明らかである。」

「しかも、前記認定のとおり、q7は、時間外労働時間が長いばかりではなく、発症前6か月の約2か月前である平成26年4月に平社員から情報部門のリーダーになってより責任の重い立場になるという人事異動があった上、同年8月には本件大型案件を含む2件の入札案件で敗退し、平成26年度下期の売上げノルマ達成が極めて困難になるなど、過大なノルマがある業務に従事していたものであり、精神的にも強い緊張状態にあったものと推認できる。したがって、この時期のq7は、時間外労働時間が長いことに加えて、精神的緊張を伴う過大なノルマの達成をチームリーダーという責任ある立場で遂行していたものであり、その精神的負荷は極めて高く、疲労の蓄積が極めて著しかったものと推認できる。」

そして、発症前3か月目以降(平成26年8月24日以降)は、時間外労働時間こそ月45時間を下回る状態が続いていたが、ノルマ達成が極めて困難な状態である平成26年度下期の直前から平成26年度下期の開始2か月間くらいの時期であり、チームリーダーとして過大なノルマの達成の責任を負うという精神的緊張を伴う業務に従事するという状態に変わりはない。しかも、本件疾病の発症の約1か月前である平成26年10月24日には労働災害で右大腿部挫傷、仙骨骨折という大きな怪我をしたことにより、痛みに耐えながら業務に従事しなければならなくなり、q7の業務における精神的緊張はより一層高まったものといえるのであり、時間外労働時間が短くなったことにより疲労が回復するどころか、精神的緊張を伴う業務により更に疲労を蓄積させていったものと推認できる。」

「他方、q7は、喫煙をせず、多量の飲酒もせず、脳・心臓疾患と関連の深い既往歴はなく、q7の家族にも脳・心臓疾患の既往歴はなく、高血圧でもなく、業務以外に脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を発症させるようなリスクファクターは認められない。」

「このように、q7の業務が、発症前6か月目から発症前4か月目までは、時間外労働時間も極めて長く、業務も精神的緊張を伴うものであったこと、発症前3か月目以降は時間外労働時間が短くなったものの、精神的緊張を伴う業務であることには変わりがない上に、労働災害により大きな怪我までしたこと、他方において、業務以外のリスクファクターが認められないことからすれば、q7は、発症前6か月目から発症前4か月目にかけての毎月80時間を超える極めて長時間の時間外労働に加え、精神的緊張を伴う業務により疲労が著しく蓄積され、時間外労働時間が比較的短くなった発症前3か月目以降も、精神的緊張を伴う業務が続いたことにより蓄積した疲労が回復するどころか、かえって、精神的緊張を伴う業務により更に疲労を蓄積させ、本件疾病を発症したものと認めるのが相当である。」

「そうすると、認定基準そのものに直ちに該当しないとしても、それだけで、労働基準法施行規則35別表第1の2第8号に当たらないと直ちにいえるものではなく、専門検討会報告書が指摘する労働時間、勤務形態、作業環境、精神的緊張の状態等に照らして、q7の業務と本件疾病の発症との間には相当因果関係(業務起因性)が認められるというべきである。

3.認定基準に満たない労働時間でも直ちに諦める必要はないことを示す例

 「長期間の過重業務」類型では、しばしば労働時間の認定が重要な争点としての意味を持ってきました。それは労災認定の実務が比較的硬直的で、②の指標を満たさない場合に労災認定を得ることが、殆ど期待できなかったからです。実際、本件の原審は労災であることを認めなかった労基署長の判断を支持していました。

 しかし、本件は②の指標を満たさない事案でありながら、労災であること・業務起因性を認めました。

 高裁レベルでこうした判断が出ることは、極めて画期的なことです。本件によって、労働時間が②の指標を満たしていない場合でも、それだけで労災認定を諦める必要がないことが実証されました。

 過度に一般化することはできないにしても、本件は、労災認定が得られずに悲惨な状態に置かれている遺族を勇気付ける優れた判断だと思います。

従業員の「厳格な地域制限」の不遵守は解雇理由になるのか?

1.「厳格な地域制限」

 「厳格な地域制限」という言葉があります。

 日常生活の中では、あまり耳にしない言葉だと思いますが、これは、

「事業者が流通業者に対して、一定の地域を割り当て、地域外での販売を制限すること」

をいいます(平成3年7月11日 公正取引委員会事務局 流通・取引慣行に関する独占禁止法上の指針 最終改正:平成29年6月16日)。

https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/ryutsutorihiki.html

 この「厳格な地域制限」は、

「市場における有力な事業者が流通業者に対し厳格な地域制限を行い、これによって価格維持効果が生じる場合には、不公正な取引方法に該当し、違法となる」

と理解されています(一般指定12項 拘束条件付取引 上記指針参照)。

 違法となるためには、主体が「市場における有力な事業者」であるほか「価格維持効果が生じる場合」であることが必要になりますが、違法といえる域に達していなかったとしても、法は競争政策的に「厳格な地域制限」を好ましい行為であるとは位置付けていません。

 それでは、流通業者内に「厳格な地域制限」を破って営業をかけた従業員がいたとして、そのことを理由に流通業者が該当の従業員を解雇することは許されるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、厳格な地域制限を破って営業をかけたことが解雇理由の一つとして位置付けられた裁判例が掲載されていました。東京地判令元.12.20労働判例ジャーナル100-56 解雇無効地位確認等請求事件です。

2.東京地判令元.12.20

 本件で被告になったのは、産経新聞の販売店の経営者です。

 原告になったのは、被告と雇用契約を締結し、新聞の配達、集金及び営業を行っていた方です。他の従業員に対する脅迫、新聞料金の領得、被告に対する誹謗中傷などを理由に普通解雇されたため、解雇の無効を主張して、被告を相手取って地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。

 本件の解雇理由は多岐に渡りますが、その中の一つに、

「他の販売店が担当している区域で無断で営業を行う」

ことが掲げられていました。

 要するに、

① 販売店は新聞社から「厳格な地域制限」をかけられている、

② そうした制限をかけられている販売店の従業員でありながら、他の販売店の担当区域で営業活動を行って顧客を奪う行為に出たのは、企業(販売店)の秩序維持の観点から問題である、

という理屈です。

 独占禁止法上「厳格な地域制限」は必ずしも肯定的に評価されているわけではありません。また、顧客の獲得は企業にとって本来歓迎すべきことであるはずです。それなのに解雇理由として評価できるのかと思われますが、裁判所は、次のとおり判示して、これが解雇理由の一つになることを認めました。

(裁判所の判断)

「C及び被告は、いずれも各販売店が担当する区域が決まっているところ、原告が他の販売店が担当する区域で営業を行った旨供述し・・・、原告も同区域で営業を行ってしまったかもしれないとその可能性を否定していなかったところ・・・、原告が同区域で営業を行ったと認めるのが相当である。」

「この点について、原告は、原告本人尋問の際には、他の販売店が担当する区域で営業を行ったことはないと供述するが・・・、供述するところに一貫性がなく採用できない。」

「また、原告は、そのような営業を行っていたとしても、他の販売店が担当する区域であることを知らなかったと主張するので更に検討する。」

「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件販売店内には、本件販売店が担当する区域が明記された地図が掲示されており、原告もその存在は認識していたと認められるところ、それにもかかわらず本件販売店が担当する区域の内外を原告が認識していないというのはいかにも不自然であり、原告の上記主張は採用できない。」

「そうすると、原告が、他の販売店が担当する区域であることを知りながら、同区域内で営業を行ったと認められる。」

「そして、他の販売店が担当する区域で営業を行うことは、販売店同士の関係を悪化させ得る行為であり、ひいては本件販売店の業務の遂行にも影響を及ぼし得るものであるといえる。

(中略)

「これらの事情を勘案すると、本件解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であるから、被告がその権利を濫用したものであるということはできず、有効である。」

3.原告が「厳格な地域制限」の問題を争点化しなかったからであろうが・・・

 新聞業に対しては公正取引委員会が特殊指定(新聞業における特定の不公正な取引方法(平成十一年七月二十一日公正取引委員会告示第九号))を行っています。

https://www.jftc.go.jp/dk/seido/tokusyushitei/shinbun.html

 しかし、これは特殊指定に該当する行為しか規制しないという意味ではなく、特殊指定で規定されていない行為は、当然に一般指定の対象になります。

https://www.jftc.go.jp/dk/seido/tokusyushitei/qa.html#cmsQ10

 「厳格な地域制限」は新聞業の特殊指定には書かれていませんが、これは新聞業なら許されるという意味ではないだろうと思います。

 ただ、本件の原告の方は、本人訴訟で手続を行っており、「厳格な地域制限」破りの問題に関しては、

「他の販売店が担当する区域で無断で営業をしてしまったことはあるかもしれないが、他の販売店が担当する区域であることを知らなかった。」

と認否反論するに留まっていました。

 裁判所が「厳格な地域制限」との兼ね合いで他の販売店の担当区域での営業を解雇理由として構成できるのかについて、殆どノーチェックで被告の主張を認めた背景には、原告が争点化しなかったことがあるのではないかと思います。

 「厳格な地域制限」が違法である場合、その責めを問われるのは制限を課した新聞社であって販売店ではありません。

 販売店は地域制限によって、その地域での利益を享受できる反面、他の地域に営業をかけることを制限されるという微妙な立ち位置にいます。そうした販売店が出した「他の販売店が担当している区域で無断で営業を行うな」という指示が、どのような背景で出されたのか、法的にどのように評価されるのかは興味深い問題であったのですが、この点が消化不良なまま、あっさりと「厳格な地域制限」破りの営業活動も解雇理由になるとの判断がされてしまったのは、やや残念に思います。

 本件は他にも多くの実質的な解雇理由が認定されていて、この論点での判断が変わったからといって結論に直ちに影響が出るとは思いませんが、やはり訴訟できちんとした判断を得るためには、代理人弁護士を立てた方が良いのではないかと思います。

 

司法試験:新型コロナウイルス感染症等の罹患が疑われる場合に受験を認めない措置は適法だろうか

 

1.新型コロナウイルス感染症当の感染防止対策

 7月15日に司法試験委員会から、

「令和2年司法試験及び司法試験予備試験に係る新型コロナウイルス感染症等の感染防止対策について」

という文書が出されました。

http://www.moj.go.jp/content/001324266.pdf

 この文書には、

「試験場入口にサーモグラフィを設置するなど、体温測定を実施する予定ですので、時間に余裕を持って試験場に到着するようにしてください。」

(中略)

発熱や咳等の症状などから新型コロナウイルス感染症等の罹患が疑われる場合は、他の受験者等への影響を考慮し、受験を控えていただくようお願いします(試験場に来られても、受験を認めないことがあります。)。

なお、・・・、受験しなかった場合の追試験や受験料返還等の特別措置は予定していません。

と書かれています。

 文書を形式的に理解すれば、サーモグラフィで発熱等の症状が疑われる場合、追い返されて、その年の受験機会を喪失してしまうように読めます。

2.司法試験の特徴

 司法試験の場合、その年の受験機会を喪失するというのは、割と深刻な問題です。司法試験の受験には、期間制限が課せられているからです。

 具体的に言うと、司法試験の受験資格は、法科大学院修了後、5年間付与されることになっています(司法試験法4条1号)。現在の司法試験は、毎年1回行われているため、5回不合格になると、受験資格を喪失してしまうことになります。

 最も切実なのは、今年が5回目の人で、サーモグラフィーに引っかかって試験場から追い返されてしまうと(本気で法務省や司法試験委員会がサーモグラフィーに引っかかった人を機械的に追い返そうとしているのかは不分明ですが)、その時点で法曹になる道が絶たれかねないことになります。

 こうした措置を突然打ち出し、受験者を拘束することは、果たして法的に許容されるのでしょうか。最新号の判例タイムズ(2020年8月号)に、この問題を考える上で参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判平31.1.10判例タイムズ1473-217です。

3.東京地判平31.1.10判例タイムズ1473-217

 本件は、能力検定試験の試験中にトイレに行ったところ、再入室を一切認めない受験ルールに阻まれ、試験続行を断念せざるを得ず不合格を受けた方が、試験管理団体に対して、慰謝料等を請求した事件です。

 原告が組み立てた理屈の一つが、

「トイレを理由とする途中退室の場合に試験室への再入室を一切認めない受験ルールは、公的性格を有する試験制度として著しく不合理であり、公序良俗に反し無効である」

というものです。

 裁判所は、試験実施者に委ねられた合理的な裁量の範囲内のルール設定にとどまるとして再入室禁止ルールの違法性を認めず、原告の請求を棄却しました。

 本件で興味深いのは、結論というよりも、試験実施者と受験者との間の法律関係についての理解です。この問題について、裁判所は、次のとおり判示しています。

(裁判所の判断)

「本件では、民間の能力(技能)検定試験の実施者である被告が受験者の原告に対して課した特定の受験ルールの違法性が問題となっている。」

「一般にこの種の検定試験において、特定の者(受験者)が所定の受験料を支払って特定の回の試験の受験を申し込み、試験実施者がその者に所定の受験資格があるものと認めて受験票を交付した場合には、試験実施者は、受験者に対し、申込みに係る試験を所定の受験ルールに従って受験することを認めると共に、試験終了後は公平かつ公正に採点をして合否判定を行う債務を負うものと解される。一方、受験者は、試験実施者に対し、実際に申込みに係る試験を受ける際には、試験実施者が定めたルールと試験の運営を監督する者の指示を順守して、公正かつ誠実に受験すべき債務を負うものと解される。これによれば、検定試験の試験実施者と受験者との間では、特定の回の試験に関して各々が上記各債務を負うことを内容とする一種の契約関係(以下「受験契約」という。)が成立したものと解するのが相当である。

「このような受験契約上の試験実施者の債務は、飽くまでも試験実施者が事前に策定した受験ルールに則って受験者が試験を受け、個々の試験会場において試験が適正かつ公正に行われているかどうかを監督する者(試験管等)の指示に受験者が従うことをその履行の前提とするものであるから、事柄の性質上、試験実施者においては、検定試験の目的を達成するためにどのような受験ルールを定めて、いかなる方法や人的・物的態勢をもって試験を運営するのかについての広い裁量を有するものと解される。また、受験者の側でも、試験実施者が検定試験の目的を達成するためにどのよううな受験ルールを定めているのかに関しては、少なくともその概要を試験の申込書類や試験案内のホームページ等を通じて予め知ることができるのが通常であるから、遵守すべき受験ルールの存在を十分理解した上で受験の申込みを行っているものといえる。そうすると、特定の受験者の立場からすれば、試験実施者の定めた特定の受験ルールが自己にとって不都合なものであるからといって、個々の受験者との関係で、個別具体的な受験ルール自体が無効となり、当該ルールに従った試験の運営方法が受験契約上の債務不履行又は不法行為の法的問題を生起させる事態は、原則として想定し難いというべきである。」

「もっとも、かかる受験契約の一般的性格を念頭に置いたとしても、試験の目的や社会通念にてらしてみた場合に、余りにも非常識で不合理な内容の受験ルールが定められていたり、受験者の人格的利益や受験者間の取扱いの平等性を著しく侵害することにもつながりかねない明白に不当な受験ルールが設けられていたりするような例外的な場面では、試験実施者が受験者に課している個別具体的なルール自体が公序良俗等の一般条項に反するものとの評価を受け、結果的に試験実施者の受験者に対する受験契約の債務不履行又は不法行為の法的責任が生じる可能性もあり得ると解するのが相当である。

4.突然「感染防止対策」を設けることは許されるのか?

 上記判例タイムズの事案の試験の実施者は民間の団体ですが、法務省・司法試験委員会であったとしても、おそらく試験実施者と受験者との間の法律関係は「契約」として理解されるのではないかと思います。

 そう理解すると、受験案内に記載されていなかった「感染防止対策」なる条件を突然持ち出して、受験を制限する措置をとることは、債務不履行に該当するのではないかという議論は考えられると思います。

 確かに、法務省・司法試験委員会は、

「令和2年司法試験予備試験実施延期に伴う受験手数料の返還について」

という文書を出して、受験を取りやめるのであれば、受験手数料を返還すると告知しています。

http://www.moj.go.jp/content/001322342.pdf

 しかし、この文書が出たのは令和2年6月19日で、受験手数料返還申請の期限は令和2年7月10日とされています。

 問題の、

「令和2年司法試験及び司法試験予備試験に係る新型コロナウイルス感染症等の感染防止対策について」

が発出されたのは、令和2年7月15日なので、

「文句があるなら、受験契約を解除できたはずだ。」

という理屈は構築しにくいように思われます。

5.受験者間の平等性を著しく侵害しないだろうか?

 上記のほか、受験者間の平等性という観点からも議論を組み立てることは可能ではないかと思います。ここでいう平等性とは、コロナのない時代に5回の受験機会が与えられていた受験生と、コロナ禍でそれよりも少ない受験機会しか与えられていない受験生との間の平等性です。

 指摘するまでもなく、新型コロナウイルスの発生・流行は、個々の受験生の責任ではありません。偶々、新型コロナウイルスが発生・流行したことを理由に、そうした災厄がない時代の受験生との間に受験機会の差異が生じることが、果たして合理的なのだろうかという問題です。

6.サーモグラフィーで試験さえ受けられずに受験資格を喪失した場合、問題提起してみてもいいのではないだろうか?

 8月半ばの炎天下のもと、屋外(試験場入口外)でサーモグラフィー検査を待っていれば、新型コロナウイルスに罹患していなくても、熱が出ておかしくないだろうと思われます。

 ただ単に体温が高いからとの理由で試験場から追い返され、追試験さえ認められずに受験資格が奪われたという方は、試験の在り方を法的に問題提起してみても良いかも知れません。もちろん、行政相手の事件で簡単に勝てるということは在り得ませんが、何等かの理屈を構築することができない事件ではないし、同情的な見解を持って協力してくれる弁護士は、決して少なくないのではないかと思います。

 

固定残業代における残業時間数の上限について

1.固定残業代における残業時間数の上限

 あらかじめ定められた一定の金額で残業代を支払うシステムを固定残業代といいます。この固定残業代に異様な想定残業時間数が組み込まれていることがあります。例えば、80時間分の残業代として〇〇手当を支払う、100時間分の残業代として〇〇手当を支払う、といったようにです。

 労働基準法上、月の残業時間は、原則として45時間以内にすることが求められています(労働基準法36条4項参照)。こうした法の定めと比較すると、80時間分、100時間分といった想定残業時間を固定残業代に組み込むことの異様さが理解できると思います。

 異様な想定残業時間を組み込んだ固定残業代の有効性は、これまでの裁判例でも、しばしば問題になってきました。近時の例で言うと、公序良俗の観点から月80時間分に相当する固定残業代の有効性を否定した事案に、東京高判平30.10.4労働判例1190-5イクヌーザ事件があります。また、月82時間分に相当する固定残業代の有効性を否定した事案に、東京地判平29.5.31労働判例1167-64ビーエムホールディングスほか1社事件があります。

 ただ、異様な想定残業時間が設定されていれば、それだけで公序良俗に違反することになるかと言うと、そういうわけでもありません。例えば、東京高判平28.1.27労働経済判例速報2296-3X社事件では、70時間分の時間外労働・100時間分の深夜労働の対価として支給されていた固定残業代について違法とは認められないとの判断をしています。また、以前、このブログで紹介した東京高判平31.3.28労働判例1204-31 結婚式場運営会社A事件は、87時間分の時間外労働に相当する固定残業代の有効性を認めています。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/09/13/011408

(固定残業代における残業時間数の上限については、第二東京弁護士会労働問題検討委員会『2018年 労働事件ハンドブック』〔労働開発研究会、初版、平30〕118頁以下、第二東京弁護士会労働問題検討委員会『働き方改革関連法 その他重要改正のポイント』〔労働開発研究会、第1版、令2〕362頁以下などに多くの事例が掲載されています)。

 想定残業時間数という観点から固定残業代の有効性を眺めると、裁判例の傾向は非常に不安定な状態を示しています。

 そうした状況の中、70時間分の時間外労働と30時間分の深夜労働を組み込んでいた固定残業代を有効だと判示した裁判例が出されました。東京地判令元.12.12労働判例ジャーナル100-50 レインズインターナショナル事件です。

2.レインズインターナショナル事件

 本件は、固定残業代の有効性を主要争点の一つとする残業代請求訴訟です。

 被告になったのは、飲食店の運営、フランチャイズチェーン加盟店の募集及び加盟店の経営指導等の事業を行う株式会社です。

 原告になったのは、アルバイトから正社員となって、店長として働いていた方です。

 問題になったのは、

「70時間相当の時間外勤務手当と30時間相当の深夜勤務手当分」

を実質とする固定割増手当の有効性です。

 固定残業代の有効性が否定されると、固定残業代の支払に残業代の弁済としての効力が認められなくなるほか、使用者は固定残業代部分まで基礎単価に組み込んで計算した割増賃金を改めて支払うことになります(白石哲ほか編著『労働家計訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕118頁「いわゆる残業代のダブルパンチ」参照)。

 そのため、固定残業代の有効性は、残業代を請求する訴訟において、しばしば熾烈な争点になります。

 本件では、上記「固定割増手当」が公序良俗に反して無効であるかが争点の一つになりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、固定残業代としての有効性を認めました。

(裁判所の判断)

原告は、要するに、本件固定割増手当規定が三六協定に関する基準が定める月45時間を大きく超える時間外労働を予定しているものであるから公序良俗に反する旨主張するが、前記のとおり労基法37条は労基法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるものであることを踏まえると、本件固定割増手当規定においてあらかじめ支払うこととされる固定割増手当に係る時間外労働時間数が三六協定に関する基準に定める時間外労働時間数を上回るというだけでは、直ちに本件固定割増手当規定自体が労基法又は公序良俗に反するということはできない。
「また、原告は、本件システムの労働時間の記録を意図的に改ざんしていたことを理由として本件固定割増手当規定が公序良俗に反する旨主張するが、労働時間の把握の問題と割増賃金の支払方法の問題とは異なる問題であるから、本件固定割増手当規定が公序良俗に反するということはできない。」
「前記・・・に述べたところによれば、固定割増手当の支払は割増賃金の弁済として有効である。」

3.残業時間数の上限は重要な指標ではあるのだろうが・・・

 異様な想定残業時間を組み込んだ固定残業代に関しては、有効とする裁判例と無効とする裁判例が錯綜した状態にあります。

 こうした裁判例の不安定さは、固定残業代の反公序性を判断するにあたり、想定残業時間数の長短だけでは有効/無効の結論が決まらないことを示しています。

 それでは、他にどのようなファクターによって固定残業代の有効/無効が決まっているのかというと、そこまではあまりよく解明されていません。

 反公序性を論証するにあたって必要な、想定残業時間の異様さ+α の+α部分が果たして何なのか、理論的な究明が望まれます(論文のテーマにすると面白いかも知れません)。

 

個別同意による労働条件の不利益変更に必要な「説明」とは?-「嫌なら辞めて」ではダメ

1.労働条件の不利益変更

 労働契約法9条は、

「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。」

と規定しています。

 これは個別合意によらず、就業規則の変更により労働条件を労働者の不利益に変更することを原則として禁止する規定です。

 ただ、裏を返せば、労働者から個別に合意を取り付ければ、就業規則の変更による労働条件の不利益変更が可能であるということです。

 それでは、個別合意の形さえ整っていれば、就業記録変更による労働条件の不利益変更が認められるのでしょうか?

 結論から言うと、そういうわけでもありません。労働者と使用者との間の力関係から、個別合意の認定は、かなり厳格に行われています。

 例えば、最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件は、

「労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができるものであり、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、その合意に際して就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではないと解される(労働契約法8条、9条本文参照)。もっとも、使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照)。」

と判示しています。

 要するに、外形的に労働条件の不利益変更を受け入れるかのような労働者の行為がああったとしても、それが自由な意思によって選び取られたといえるだけの合理的・客観的な事情がない場合には、同意を認定することはできないということです。

 個別合意が自由な意思に基づいていると認められるか否かの考慮要素には、種々の事情が挙げられていますが、その中の一つに、

「当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容

という事情があります。

 では、この「情報提供又は説明」には、どこまでの内容が求められるのでしょうか?

 情報提供や説明がなされたと言えるためには、不利益の内容が明確に理解できるように説明されればそれで足りるのか、不利益変更をしなければならなくなった理由や背景事情にまで踏み込んだ説明がなされていなければならないのかという問題です。

 この問題を考えるうえで、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.12.17労働判例ジャーナル100-48 PRESTIGE事件です。

2.PRESTIGE事件

 本件は解雇の効力が争われた地位確認等請求事件です。

 ただ、解雇される前に歩合給規定が変更され、労働者である原告の歩合給がごっそりと減っていたことから、規定変更(本件規定変更)の効力が原告に及ぶのかどうかも重要な争点になりました。

 歩合給規定の変更が行われたのが平成28年10月1日で、原告が被告会社から解雇されたのが平成29年2月15日です。

 本件規定変更から解雇されるまでの約5か月間、原告は、被告会社に対して、新歩合給規定により計算された賃金額や本件規定変更についての異議を表明したことはありませんでした。本件規定変更の内容自体がシンプルな内容であったことに加え、こうした黙認的な態度をとったことが、労働条件の不利益変更への合意として評価できるのかが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり判示し、労働条件の不利益変更の合意を認めませんでした。

(裁判所の判断)

(前略)

「原告は、被告会社から、本件規定変更の内容について、話合いや意見を求められたのではなく、一方的に、いわば決定事項として説明されたことがうかがわれるし、原告が本件規定変更の理由について十分に説明を受けておらず、同月22日及び23日の時点で本件規定変更の内容に納得することができない旨の考えを有していたこともうかがわれる。この点について、原告は、本件規定変更について知らされた時に異議を述べたがE本部長から『嫌なら辞めて』と言われた旨を供述しているところ、このような供述の信用性も否定し難い証拠関係である。

「以上のほか、本件規定変更について原告に対する説明に用いた書面等や、本件規定変更を議論した際の議事録等の客観的な証拠も見当たらないこと等の諸事情を考慮すると、原告に対して、旧歩合給規定の内容を新歩合給規定の内容に変更するという結論自体又はそれに準じる程度のものを被告会社が平成28年9月28日頃までに説明したことは認められるものの、これを超えて、本件規定変更をする理由や必要性について十分に説明したり、原告が任意に同意するかどうか検討することを確保するような情報提供等があったと認めるには足りない。

「以上によれば、原告が新歩合給規定に基づき計算した賃金を受給しても異議を表明したことがなかったこと、本達成賞の受給のための挙績額が4億5000万円とされたこと等の諸事情のほか、仮に、平成28年9月当時に被告会社が原告に対し新歩合給規定の説明をした際には原告が異議を表明しなかったとか、本件規定変更を受け入れる旨の口頭の発言をしたなどの諸事情があったとしても、本件規定変更により原告にもたらされる不利益の程度は極めて大きいものであり、特段の事情がないのに原告が任意に受入れるとは考え難い内容であること、本件規定変更の理由ないし必要性についての被告会社の説明は抽象的なものにとどまり、原告に対する説明も十分にされたとはいえないこと、本件記録上うかがわれる被告会社と原告との交渉力の格差等の諸事情をも併せ考慮すると、原告において本件規定変更につき明示又は黙示に同意をしたと認めるには足りない。

(なお、補足するに、本件規定変更の内容自体は、原告にとってそれほど理解することが難しい内容であるとはいい難く、前記認定の経緯及び原告の供述によれば、原告は、本件規定変更による新歩合給規定が原告に適用される場合にどの程度賃金が減額されるかといった法律効果については相応の理解をしていたものとうかがわれるが、これを考慮しても、当裁判所は、本件各証拠上認められる原告の行為等について本件規定変更につき同意をしたと認定評価するには至らないと判断するものである。)」

3.「嫌なら辞めて」では不十分、不利益変更の必要性にまで踏み込んだ説明がない場合には争える可能性がある

 裁判所は本件規定変更の内容自体が難解でなかったことを認めながらも、労働条件の不利益変更に必要な合意・同意の存在を認めませんでした。その理由の一つとして、労働条件の不利益変更をしなければならなくなった必要性や理由についての説明の欠如が挙げられています。

 不利益変更の内容について説明がされていたり、不利益変更の内容が説明を要しないほど明確なものであったりしたとしても、不利益変更をしなければならなくなった必要性・理由にまで踏み込んだ丁寧な説明がされない限り、情報提供・説明の欠如という観点から、合意の成立を争える可能性があります。

 本件では「嫌なら辞めて。」と突き放した対応がとられたことが示唆されていますが(コロナ禍のもとでは、こういう乱暴な賃金減額はいかにもありそうですが)、こうした乱暴な言葉を受けて賃金減額に不服を述べることができなかったとしても、事後的に減額の効力を争う余地は十分にあるのではなかと思います。

 

セクハラによる精神障害-会社側に求められている被害者対応の水準は意外と高い?

1.セクハラによる精神障害と労災

 セクシュアルハラスメントによる心理的負荷で精神障害を発症した場合、労災認定を受けられる可能性があります。

 より具体的に言うと、

「胸や腰等への身体接触を含むセクシュアルハラスメントであって、継続して行われた場合」

「胸や腰等への身体接触を含むセクシュアルハラスメントであって、行為は継続していないが、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった又は会社への相談等の後に職場の人間関係が悪化した場合

「身体接触のない性的な発言のみのセクシュアルハラスメントであって、発言の中に人格を否定するようなものを含み、かつ継続してなされた場合」

「身体接触のない性的な発言のみのセクシュアルハラスメントであって、性的な発言が継続してなされ、かつ会社がセクシュアルハラスメントがあると把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった場合」

には強度の心理的負荷がかかるとして、労災認定の可能性が認められています(基発第1226第1号 平成23年12月26日 改正 基発0529第1号 令和2年5月29日「心理的負荷による精神障害の認定基準について」参照)。

https://www.mhlw.go.jp/content/000638820.pdf

 セクシュアルハラスメントによる精神障害の労災認定に特徴的なのは、行為が止んだ後に精神障害が発症した場合であったとしても、そこに会社側の適切な対応の欠如という媒介項が認められる場合、労災認定が認められることです。

 つまり、胸腰に触るなどの行為が行われなくなって、しばらく間を置いて(概ね6か月以内という目安はありますが)精神障害が発症した場合でも、労災認定が認められる可能性があります。

 昨日ご紹介した札幌地判令2.3.13労働判例1221-29国・札幌労基署長(紀文フレッシュシステム)事件は、会社側の適切な対応の欠如が労災認定に繋がったという意味においても、興味深い事案です。

2.国・札幌労基署長(紀文フレッシュシステム)事件

 この事件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告となった女性は、チルド商品の配送等を業とする株式会社のA2センターで働いていた方です。別部署A1センターのセンター長Bからセクシュアルハラスメントを受けたことなどが原因で精神障害(うつ病)を発症したとして、療養補償給付や休業補償給付の支給を請求しました。しかし、労基署長から業務起因性がないとして不支給処分を受けたことから、不支給処分の取消訴訟を提起したという流れです。

 原告がセクシュアルハラスメント等として構成したのは、Bが、

① 平成27年6月27日に原告が気持ち悪さを感じるような態様で、その頭を3回なでたこと、

② 平成27年7月16日に「この匂い、甲野さん?」と言いながら、原告の胸や脇の辺りに顔を近づけて匂いを嗅いだこと、

③ 平成27年8月中旬頃、菓子を口に含んだ上、顔を原告に近づけて、口移しするようなしぐさをしたこと、

④ (時期不特定)原告の容姿につき「眼鏡を外した方がかわいいよ」「かわいい」などと言ったこと、

⑤ 平成27年8月25日に「甲野さん、うまいしょう」「ねえ、ここでして、ここでしてよ。」などと言いながら股間を指さして性行為(口淫)を求めたこと、

⑥ 平成27年8月26日に「何で結婚したの。」などと言ったこと、

の六点です。

 この事案で特徴的なのは、最後のハラスメント行為と精神障害の発症時期との間に一定の時間的間隔があることです。

 具体的に言うと、裁判所は、原告の精神障害(うつ病)の発病時期を、「平成28年1月上旬」と認定しています。最後のハラスメント行為から4か月以上の空白期間があることになります。

 この4か月を架橋する心理的負荷要因になっているのが会社の対応の鈍さであり、裁判所は次のとおり判示して、労災処分の不支給処分を取り消しました。

(裁判所の判断)

「原告は、平成27年9月4日、A2センター長のGに対し、Bからセクシュアルハラスメントを受けている旨報告したが、Gは、これをさらに上司に報告することなく、そのまま放置していたものである・・・

「また、原告は、同月6日、匿名で経営管理部長であり内部通報の担当者であるEに対し、セクシュアルハラスメントを受けている旨のメールを送信し・・・、また、同月9日、D及びEとの面談の際、Bからセクシュアルハラスメントを受けたことを報告したが、Eからは『ちょっといいです。もう。ちょっとね。』と報告を止められ、それ以上の聞き取りは行われなかった・・・。その後も原告は、Eに対し、Bからセクシュアルハラスメントを受けた旨のメールを繰り返し送信し、同年10月19日には『お待ちしています。お話を聞いてください。』として再面談を求めるメールを送信したが・・・、その間、Eによる再面談は行われておらず、この時点で本件会社が原告の心理的負荷を軽減するような適切かつ迅速な対応を行ったということはできない。」

「さらに、本件会社は、同月24日以降、Eによる原告及びBとの各面談を実施し、調査結果の内容をまとめた書面を作成した上、対応策を検討しているものの・・・、その検討状況等については、原告が同年12月16日に問い合わせるまでの間、『何をどう調査しているのか、何か注意をしたのか』も含め、原告に何も知らせていなかったのであって・・・、原告を不安な状態に置いたままにしておいたものである。

「そして、Eは、同月24日、原告に対し、Bに厳重指導を実施した旨のメールを送信しているが・・・、その後も、パーテーションの設置や原告及びBの配置の変更は行っておらず、その他原告とBとの接触を回避するような措置も取らなかったものである・・・。

「以上によれば、本件会社は、Bによるセクシュアルハラスメントにつき、少なくとも原告が認識し得る形で対応したことはなく、Bによる接触を回避する措置も採らなかったものであって、原告が精神障害を発病した平成28年1月上旬までの間、『適切かつ迅速に対応し発病前に解決した』ものということはできない。」

「したがって、Bによる一連の行為は、『胸や腰等への身体的接触を含むセクシュアルハラスメントであって、行為は継続していないが、会社に相談しても適切な対応がなく、改善されなかった又は会社への相談等の後に職場の人間関係が悪化した場合』に該当するのであって、これに、上記・・・において指摘した諸点も併せて考慮すると、その心理的負荷の評価は『強』となるものというべきである。

3.被害者を蔑ろにしない、迅速な対応が必要

 本件で興味深いのは、会社が一応の対応はしていることです。面談の求めを一定期間放置するなど不親切なのは確かなのですが、原告の訴えを完全に無視しているというわけではなく、調査結果を書面にまとめ、対応策を検討し、Bに対して厳重注意を実施しています。問い合わせに対してメールでの回答もしています。

 裁判所の事実認定によると、

原告による内部通報担当者Eに対するメールの送信が平成27年9月6日で、

原告とEとの面談の実施が平成27年10月24日、

EによるBとの面談が平成27年10月25日、

となっており、途中のメールが匿名であったことも考えると、調査への取り掛かりが極端に遅いというわけでもないように思います。

 パーテーションの設置についても、

「本件会社において、パーテーションの設置や、原告及びBの部署ないし座席の変更について検討がされたものの、別の従業員が閉所恐怖症であったことや、その他の従業員らから否定的な見解が寄せられたことなどもあり、これらの措置はとられなかった」

との事実が認定されており、検討することなく放置されたというわけではなさそうです。

 しかし、裁判所は、会社の措置を適切かつ迅速な対応とは認めませんでした。

 本件は労災の不支給処分の取消訴訟であり、会社の責任を問う損害賠償請求訴訟ではありません。

 しかし、業務起因性の判断は、過失や相当因果関係の判断とかなり密接な関係にあるため、会社側の対応を消極的に評価した本件裁判例は、損害賠償請求訴訟との関係でも一定の意味を持ってくるのではないかと思います。

 裁判所がセクシュアルハラスメントの被害者対応として求めている措置の水準は、意外と高く、本件は被害者が会社側の迅速かつ適切な対応を促したり、損害賠償を求めたりすることに対し、あまり悲観的になる必要がないことを示すという意味においても、画期的な裁判例だと思います。