弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

事後的に体裁を取り繕ったところで固定残業代は容易には有効にならない

1.固定残業代

 「時間外労働、休日および深夜労働に対する各割増賃金(残業代)として支払われる、あらかじめ定められた一定の金額」を固定残業代といいます(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕115頁参照)。

 固定残業代については、募集時点で高額の賃金を提示し、入社する直前もしくは入社した直後に、相当部分が固定残業代であることを示すといったトラブルがあります。

 あまりにもこうしたトラブルが多いため、現在の法律では、労働者の募集段階から、固定残業代に係る計算方法、固定残業代を除外した基本給の額などの労働条件を明示することが義務付けられています(職業安定法5条の3、平成11年労働省告示第141号 第三-一-(三)-ハ参照)。

 しかし、募集段階での固定残業代の明示に係るルールが施行されたのは平成30年1月1日からです。それ以前に不意打ち的な採用を受けた人で、そのまま働き続けている人は相当数います。また、残念ながら、そもそも法令を知らない、知らなくても気にならないという事業者も少なくありません。

 こうした不意打ち的な形で固定残業代を労働条件に組み入れられた人にとって、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.12.6労働判例ジャーナル100-52 ソルト・コンソーシアム事件です。

2.ソルト・コンソーシアム事件

 本件は固定残業代の合意の成否、追認の成否が問題になった残業代請求事件です。

 原告の方は平成28年1月に被告に月給40万円で雇われました。しかし、雇用契約書は作成されず、労働条件通知書や就業規則が交付されることもありませんでした。

 その後、給与明細で、基本手当月額16万円、等級手当月額7万0300円、子供手当月額2930円、調整給月額1170円、割増手当16万5600円の内訳が示されました。

 また、平成28年11月11日、原告の妻からの不服等を踏まえ、要旨、被告の主張に沿う固定残業手当、固定深夜手当、諸手当を対象とする割増手当の記載のある総額40万円を支給する内容の雇用契約書が、原告との間で取り交わされました。

 原告の方は元々海外勤務を希望して被告に入社していましたが、その後も海外勤務が実現することはなく、長時間労働に不満を募らせるようになり、結果、本件は、残業代をめぐる交渉、退職、訴訟提起という経過を辿ることになりました。

 裁判では、

採用面接時に原告に対する時間外手当等の説明があったといえるのか、

給与明細の交付を受けていたのに異議を述べていなかったことをどう評価するのか、

雇用契約書の作成に応諾していることをどう評価するのか、

が問題になりました。

 それぞれの論点について、裁判所は、次のとおり判示し、固定残業代の合意について、成立も追認も認めませんでした。

(裁判所の判断)

-採用面接時の説明-

「証人Dは、原告の採用面接時に、原告に時間外手当等の説明をした旨証言し、さらに、被告が平成23年に他の従業員から残業代の支払を求める労働審判の申立てをされたことがあったことから、時間外手当の説明だけはきちっと漏らさずしようと思った、就業規則に定められている内容はきちっと漏らさず話をしているなどとも証言しているのであるが、就業規則の交付があったと認められない中・・・、その証言のように仔細な説明がされたかも大いに疑問である上、上記のとおり固定残業代の説明(取り決め)の重要性を証言する一方で、原告との2度にわたる面接のいずれにおいても各手当の具体的な金額を説明していないことを自認し・・・、かかる合意内容を証する雇用契約書や労働条件通知書の作成もしていないところであって、このことは平仄を欠くものといわざるを得ず、その証言はたやすく措信できるものではない。この点、証人Dは、雇用契約書の作成が遅れた経緯・理由に関し、雇用契約書を古参の社員から作成しているとの被告本部の話であったので、その流れの中で原告の雇用契約書も作成すればいいと思っていたなどと証言するが、到底合理的な証言内容とみることはできない。」
「そうすると、同人の上記証言をもって被告主張の裏付けがあるとたやすくみることはできない。」

-給与明細の交付について-

「被告は・・・、原告が固定残業代の記載の認められる給与明細書の交付を受けていたのに特段の異議を述べていないことについても主張している。」
「確かに、前記認定事実によれば、被告から原告に対し、被告主張に沿う割増手当の記載の認められる給与明細書の交付等がなされていたとはいえる・・・。」
「しかしながら、これに対して原告から積極的に異議が述べられていなかったといって、そのことから直ちに原告が被告主張の本件固定残業代の合意を認めたことが裏付けられるものではないし、そもそも、前記認定のとおり、原告及び原告の妻は、被告に対し、原告の長時間労働を度々問題視し、平成29年3月に至るや残業代の請求にも及んでいるのであって、およそ何らの異議を述べていなかったなどとみることもできない。

 -雇用契約書の作成に応諾していることについて-

「被告は・・・原告が後に本件雇用契約書の作成に応諾していることについても主張している。」
「確かに、原告が同契約書の作成に応諾していることは前記認定のとおりである・・・。」
「しかしながら、稼働開始前に労働条件を労使で取り決めた雇用契約書と異なり、稼働開始後に作成された雇用契約書については、労働者が使用者に慮りその作成に応諾することもあり得るところであって、その証拠力の評価は慎重であるべきものである。しかるところ、本件雇用契約書に至っては、稼働開始から11か月余りも経て作成が求められたものであった上、作成当時の原被告間の協議は、原告の妻から伝えられた不満について協議する予定のものではあったものの、雇用契約書の作成がなされることまで原告に対して案内されていたものではない(そのような案内がされていたことを認めるべき証拠もない。)。その際のやりとり(賃金についてのやりとり)も、確かに、協議自体は長時間にわたってなされてはいるが、肝要な雇用契約書の記載内容に関するやり取りは一連のやりとりの最後に行われたものにすぎず、その際の被告担当者の説明内容も、当初の入社時の雇用条件に関する説明内容との相違の確認を求めるというより、被告は固定残業制であるなどとしてその理解を労働者に対して求めるものであったもので、さらには被告において今はこの契約書で皆さんお願いしているなどとして、その場で理解と署名を求めるというものであったものである・・・。」
「そうすると、その協議の際、被告担当者は丁寧な言葉で応諾を求めているとはいえるものの・・・、その応諾があったからといって、これが直ちに当初の契約条件と相違ないものであったと速断することは相当でない。むしろ、証拠・・・によれば、その協議の際、原告が積年希望していた海外勤務の是非が話題に上っており、原告は、かかる協議においても海外勤務についての強い希望を見せ、それに当たって、被告から評価や推薦が得られるよう留意する様子もみられるところである・・・。しかも、原告ないし原告の妻は本件雇用契約書作成前から原告の長時間労働を度々問題視していたばかりか、本件雇用契約書作成後しばらくの平成29年3月に至っては、原告自身、被告の対応を問題視し、残業代の請求に及んでいることは前記説示のとおりである・・・。」
「そうすると、本件雇用契約書が後に作成されたからといって、契約当初から、本件固定残業代の合意が成立していたとはたやすく認め難い。したがって、この点によっても、前記判断を左右するには足りない。
(中略)
「被告は・・・本件雇用契約を作成したことによって、原告が本件固定残業代の合意を追認したとみるべきであるなどとも主張する。しかしながら、原告はこれを争うところ、前判示のとおり、本件雇用契約書の証拠力の評価は慎重にすべきものであり、その記載内容によって、原告が追認の意思表示をしたとは認めるに足りない。また、仮に被告の上記主張が、本件雇用契約書作成により、作成時以降、本件固定残業代の合意に則った労働条件の変更合意があったものと見るべきであるとの趣旨を含むものであったとしても、前記説示のとおり本件雇用契約締結時において本件固定残業代の合意を認めることができない以上、その変更は労働者である原告の労働条件の不利益変更に該当し、その不利益性に係る変更内容の具体的説明のない本件において、これが原告の自由な意思に基づいてされたものとは認め難いから、かかる不利益変更を有効とみる余地もない。したがって、いずれにしても被告の主張は採用できない。

3.事後的に体裁を取り繕ったところで契約時の瑕疵は容易には治癒されない

 労働条件通知書も交付せず、就業規則も渡さず、雇用契約書も作らない中で、固定残業代について説明したといっても、裁判所がそれを鵜呑みにすることはありません。労働事件に関しては、敢えて証拠を残さずに有耶無耶にすることに対して、比較的厳しい姿勢がとられることが少なくありません。

 また、取り敢えず入社させてしまった後で、給与明細を交付したり、雇用契約書を取り交わすことによって既成事実を積み上げ、強引に固定残業代に納得したかのような体裁を作り出すことに対しても、裁判所は否定的な判断を下しました。

 固定残業代の有効性が否定されると、それが基礎賃金に組み入れられるほか、残業代の弁済の効力も認められないため、請求できる残業代がかなりの金額に膨れ上がることも珍しくありません。既成事実が積み重なったかに見えても、労働契約時の瑕疵はそれほど容易には治癒されないので、不意打ち的な固定残業代に釈然としない思いをお抱えの方は、一度、弁護士に相談してみることをお勧めします。

 

賃金の減額幅-1割5分は大きいか?

1.賃金減額の合意と「自由な意思」論

 賃金減額の合意は、錯誤、詐欺、強迫といった事情がなくても、その効果を否定できる場合があります。これは、最高裁の判例により、

「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」

との規範が示されているからです(最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件等参照)。

 そして、賃金の減額幅は「労働者にもたらされる不利益の内容及び程度」として、賃金減額の合意が「自由な意思」に基づいているのかどうかを判断するにあたっての考慮要素になります。

 では、不利益の内容及び程度が「大きい」と評価されるのは、どのラインからなのでしょうか? 減額に至った経緯や元々の賃金額などとの相関で決まるところがあり、一概には言いにくいのですが、この問題を考えるうえでの手掛かりとなる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.1.24労働判例ジャーナル100-44

MASATOMO事件です。

2.MASATOMO事件

 本件は、在職中に無効な賃金額の引き下げを受けたなどと主張して、労働者が原告となって元勤務先を被告とする訴えを提起した事件です。

 本件では、基本給が、38万円→33万円→35万なっています。こうした減額措置が「自由な意思」の理屈によって排斥されるかだ形になっています。

 裁判所は、賃金の減額幅について、次のおとり判示しました。

(裁判所の判断)

「本件賃金引下げは、従前原告が受領していた基本給額を約15パーセントも減らすものであったものであり、その下げ幅は大きく、しかも、その賃金引下げ措置が解かれる具体的な目処ないし期限も設けられておらず、恒久的措置としてとられたものと評価せざるを得ず、その不利益性は強いといわざるを得ないところであって、これらの点も踏まえると、後者の事実があるからといってそのことから直ちに原告が基本給減額(既に発生している賃金の放棄を含む。)に同意し、かつ、その同意が原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとも認め難い。」

3.1割5分は大きい

 裁判所は、約15パーセントという数値を、不利益性が大きいことの根拠として指摘したうえ、「自由な意思」を否定しました。

 冒頭にあげたほか、絶対値としての金額など評価には、種々の要素が絡んでいて、ある減額幅が適法あどうかは極めて分かりにくくなっています ただ、そうした問題はあるにしても、約15%の減額を下げ幅を大きいと判示した部分には、なお意味があるように思われます。他の事案において、15パーセント以上賃金が削減されていた場合、この裁判例が、不利益性を「大きい」と主張する上での参考になるからです。

 

職種限定合意を覆す正当な理由

1.職種限定合意と配転

 職種限定合意がある場合、使用者は労働者から個別に同意を取り付けない限り、他職種への配転を命じることができません。

 しかし、一定の正当な理由が認められる場合には、職種限定合意がある場合であったとしても、他職種への配転が認められるとする裁判例もあります。

 例えば、東京地判平19.3.26労働判例941-33東京海上日動火災保険(契約係社員)事件は、

「労働契約において職種を限定する合意が認められる場合には、使用者は、原則として、労働者の同意がない限り、他職種への配転を命ずることはできないというべきである。問題は、労働者の個別の同意がない以上、使用者はいかなる場合も、他職種への配転を命ずることができないかという点である。労働者と使用者との間の労働契約関係が継続的に展開される過程をみてみると、社会情勢の変動に伴う経営事情により当該職種を廃止せざるを得なくなるなど、当該職種に就いている労働者をやむなく他職種に配転する必要性が生じるような事態が起こることも否定し難い現実である。このような場合に、労働者の個別の同意がない以上、使用者が他職種への配転を命ずることができないとすることは、あまりにも非現実的であり、労働契約を締結した当事者の合理的意思に合致するものとはいえない。そのような場合には、職種限定の合意を伴う労働契約関係にある場合でも、採用経緯と当該職種の内容、使用者における職種変更の必要性の有無及びその程度、変更後の業務内容の相当性、他職種への配転による労働者の不利益の有無及び程度、それを補うだけの代替措置又は労働条件の改善の有無等を考慮し、他職種への配転を命ずるについて正当な理由があるとの特段の事情が認められる場合には、当該他職種への配転を有効と認めるのが相当である。

と判示しています。

 ただ、判旨からも分かるとおり、職種限定合意を覆すことができる「正当な理由」はかなり限定的です。そもそも例示されているのは職種が廃止されたという極端な場面ですし、変更後の業務内容の相当性や不利益の程度、代替措置や労働条件の改善の有無などの多岐に渡る事情が正当な理由が認められるかどうかの考慮要素として位置づけられています。

 昨日ご紹介した千葉地判令2.3.25労働判例ジャーナル100-34学校法人日通学園事件は、職種限定合意があっても配転命令が許容される場合があることに言及した裁判例としても、注目されます。

2.学校法人日通学園事件

 本件は、休職していた大学准教授を、事務職員として復職させることを内容とする職種変更命令の適否が争われた事件です。この事件で、裁判所は、

「職種限定契約において、職種の変更につき労働者が同意していない場合であっても、職種を変更する高度の必要性がある等正当性を是認する特段の事情が認められる場合には、使用者は労働者の職種を変更することができる場合もあると考えられるが、後述のとおり、原告の休職事由は本件職種変更命令時点において消滅していたと認められ、他に原告の職種を変更することにつき正当性を是認する特段の事情について被告の主張立証はない。」

と判示しました。

3.正当な理由に関する判断枠組みの弛緩?

 元々、この事件の被告は職種変更命令の正当性を是認すべき特段の事情について主張立証活動を行っていませんでした。その意味において、上記の判示は、そもそも述べる必要がなかったといえます。

 また、上記の判示は「職種を変更する高度の必要性がある」ことを配転命令の有効性が認められる場面として例示しています。これは東京海上日動火災保険(契約係社員)事件で定められた規範(ルール)との比較において、いかにも大雑把な印象を受けます。

 こうした判示が職種限定契約の拘束力を弱めるトレンドを作り出すことを意図していのことであるのかどうかは、引き続き注視して行く必要があると思われます。

 

職種限定合意が認められやすい職業類型-大学准教授

1.職種限定の合意

 使用者による配転命令の効力を、配転命令権の濫用という観点から争うことは、決して容易ではありません(最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件)。

 しかし、配転命令権の効力の争い方は、濫用を主張することだけではありません。職種限定の合意がある場合も、配転命令に従う必要はなくなります。

 職種限定の合意が認められるのは、明示的に合意が交わされている場面に限られるわけではありません。業務遂行に特殊技能を要する場合にも、職種限定の合意が認められる場合があり、「一般的には、医師、看護師、自動車運転手など特殊の技術、技能、資格が必要な職種の場合、使用者と労働者との間に明示又は黙示の職種限定の合意が成立し得る」と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、初版、平29〕203-204頁参照)。

 これまでの裁判実務では、上述のとおり、「医師、看護師、自動車運転手など」が職種限定の認められる特殊技能者と理解されてきましたが、近時公刊された判例集に、大学准教授に職種限定の合意を認めた裁判例が掲載されていました。千葉地判令2.3.25労働判例ジャーナル100-34 学校法人日通学園事件です。

2.学校法人日通学園事件

 本件は大学准教授に対する職種変更命令の効力が争われた事件です。

 原告になったのは大学准教授の方で、被告になったのは大学を運営している学校法人です。

 病気休職した大学准教授の復職を認めるにあたり、被告学校法人は教育職員から事務職員への任用替えを命じる辞令を発令しました(本件職種変更命令)。本件の争点の一つになったのが、この「本件職種変更命令」の効力です。

 本件職種変更命令の効力を争うにあたり、原告となった大学准教授の方は、職種限定の合意を主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり判示して、職種限定の合意を認め、本件職種変更命令は無効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「雇用契約において職種が限定されているか否かは、採用時に求められた資格や業績等の条件の有無及び内容、採用手続の相違、業務内容の専門性や特殊性、労働条件の相違、当該職種における過去の職種の変更の実績等を総合的に考慮して判断すべきである。」
「・・・被告は大学の教育職員の採用については、教員資格審査基準及びその内規を定め、高度かつ専門的な経歴及び知識並びに教育能力を持った人物に限定していること、大学の教育職員は面接等によって採用が決定される事務職員等の枠とは別に公募で募集し、採否について教授会で審議し、その意見を受けて正式に採否が決まり、事務職員等とは採用の条件も手続も異なること、大学の教育職員は、教育・研究以外の大学の周辺事務を扱う事務職員等と異なり、学生を教授し、その研究を指導し、または研究に従事するという高度教育機関の根幹部分の業務を担うことが求められるほか、助手を除き教授会の構成員となり、各学部の教育に関する重要事項の決定に参画するとされていること、大学の教育職員の勤務時間は学長が割り振りを定めるとされ、時間の拘束は限定的で、大学の教育職員の給与表は事務職員等とは異なり高水準に定められていること、被告において過去に大学の教育職員から事務職員等へ職種変更した実績は本人の同意を得て行った1件のみであることが認められる。」

「以上の認定のとおり、被告において大学の教育職員として採用時に求められる経歴や業績、事務職員等との採用手続の相違、大学の教育職員の業務内容の専門性、特殊性、事務職員等との労働条件の相違、被告における大学の教育職員から事務職員への職種の変更の実績等を総合すれば、原告を被告の大学の教育職員として雇用する旨の雇用契約は、職種を教育職員に限定して締結されているものと認めるのが相当である。

3.判旨は概ねの大学にあてはまるのではないだろうか

 大学教員と事務職員とで必要とされる経歴や業績、採用手続は異なるのが普通だと思います。また、大学教員の業務は大抵が専門性・特殊性の強いものです。労働条件も事務職員とは同じではありません。大学で教育職員が事務職員に職種変更することが一般化しているという話も聞いたことがありません。

 本件の裁判所の判示は、多くの「大学-(准)教授」の関係に当てはまるものだと思います。このような意味において、大学(准)教授は、医師・看護師・自動車運転手などとともに、職種限定合意が認められやすい職業類型であると考えて良いのではないかと思います。

 

裁判所は素人による逸脱した行為(弁護士の頭越しに行う直接交渉)に甘すぎではないだろうか

1.代理人の頭越しの交渉

 弁護士職務基本規程(平成16年11月10日会規70号)52条は、

「弁護士は、相手方に法令上の資格を有する代理人が選任されたときは、正当な理由なく、その代理人の承諾を得ないで直接相手方と交渉してはならない。」

と規定してます。

 この規定があるため、弁護士は、事件の相手方に代理人弁護士が選任された場合、代理人弁護士の頭越しに、直接相手方本人と交渉をすることができません。

 噛み砕いていうと、プロである代理人弁護士を差し置いて、法的知識や交渉力の弱い素人を丸め込むことが、ルールとして許されていないということです。

 似たようなルールは、弁護士以外の専門職にも存在します。

 例えば、司法書士倫理40条は、

「司法書士は、受任した事件に関し、相手方に代理人がないときは、その無知又は誤解に乗じて不当に不利益に陥れてはならない。」

「 司法書士は、受任した事件に関し、相手方に代理人があるときは、特別の事情がない限り、その代理人の了承を得ないで相手方本人と直接交渉してはならない。」

と規定しています。

 しかし、このようなルールは一定の専門職にしか存在しません。

 そのため、素人である相手方に専門職の代理人が選任されない場合、相手方本人が弁護士の頭越しに依頼者に接触し、不当な働きかけをして、事件そのものを潰してしまうことがあります。

 弁護士は基本的に依頼者の意向を受けて活動します。つまり、依頼そのものがなくなってしまえば、基本的には何もできません。そのため、理屈で負けてしまう側としては、弁護士相手に勝てない交渉や訴訟をやるよりも、弁護士の依頼者に圧力をかけて、弁護士との契約そのものを解除させてしまうことが、合理的かつ魅力的な手段になるのです。

 もちろん、依頼人には相手方本人と交渉しなければならない法的義務があるわけではありません。家に押しかけられても、帰れと言うことができます。帰れと言って帰ってもらえなければ、不退去という罪(刑法130条)に問うことができます。脅されて無理矢理交渉のテーブルにつかされたら、強要という罪(刑法223条)に問うこともできます。そのため、相手方本人から接触があっても、無視するなり、警察に通報するなり、どのような場合にどのように対応するのかを、依頼者との間で予め打ち合わせておけば、相手方本人からの直接交渉による弊害の多くは防ぐことができます。

 しかし、それでも、相手方本人による依頼者への直接交渉と、それに伴う事件潰しは、完全に阻止できるわけではありません。

 この職務倫理の枷のない素人であるがゆえに野放しになっている行為に対しては、常々問題だと思っていました。何度か裁判所で相手方本人が私の頭越しに依頼者に直接不当な働きかけをしてくることを問題提起したことがありますが、結局実害が生じるには至っていないとして、裁判所の反応は芳しくありませんでした。実害(権利行使の断念・依頼の解消)が生じてからでは遅いし、問題提起する根拠がなくなってしまうと主張しても、あまりピンときていないようでした。

 近時公刊された判例集にも、この問題に対する裁判所の甘い姿勢が表れた裁判例が掲載されていました。前橋地太田支判令2.3.27労働判例ジャーナル100-32 学校法人東桜学園事件です。

2.学校法人東桜学園事件

 この事件は、幼稚園教諭として勤務していた原告が、被告学校法人に対し、残業代を請求した事件です。

 特徴的なのは、不法行為に基づく損害賠償請求が併合されているところです。

 その不法行為の内容が、例の相手方本人による弁護士の依頼者に対する直接交渉です。

 原告代理人は残業代請求にあたり、

「今後の連絡については同弁護士に行うよう求めることなどを記載した書面」

を被告に送付しました。

 しかし、被告学校法人のE主任は原告に電話を掛けて直接話をしようとしました。

 原告代理人はこの電話も阻止し、労働紛争に関して原告と直接話をしないことをE主任に約束させました。

 それでも、被告学校法人の園長とE主任は直接交渉を諦めず、幼稚園に出勤した原告を喫茶店に連れて行き、

「原告に対し、原告を高く評価しており、原告が感じている問題は全て解決する旨を伝えるなどして退職等を翻意するよう促すなど」

し、その中でE主任は、

「弁護士の先生にさ、取り下げてくれない?」

と発言しました。

 結局依頼の撤回には至りませんでしたが、こうした園長やE主任の対応が不法行為に該当しないのかが問題になりました(なお、原告側は、園長やE主任が「上司を裏切るのか」などと言って弁護士を立てたことを非難し、弁護士を解任するように迫ったと主張していましたが、裁判所で認定された事実は、上記の限度に留まっています)。

 この論点について、裁判所は次のとおり述べて、不法行為の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「園長及びE主任は、川目弁護士が介入していることを認識し、また、同弁護士との間で原告と直接接触しないことを約束しながら、平成30年1月4日に原告と面会し、原告と被告の労働紛争の内容にわたり、その解決を求めるような発言に及んでいたのであるから、その言動には、弁護士が介入している状況のもとでのものとして、不相当な面があったことは否定できない。もっとも、園長及びE主任は、原告を高く評価する旨を伝えるなどして、慰留も試みていたのであるから、発言の内容自体については、殊更に不合理、不相当なものではなかったといえる。E主任の『弁護士の先生にさ、取り下げてくれない?』という発言についても、前後の話の流れに照らすと、弁護士を解任させることではなく、原告の力になりたいという趣旨を伝えることを主眼としたものであって、同弁護士を排除しようとする意図は強くはなかったと考えられるから、その文言のみを捉えて殊更に非難することは相当でない。園長及びE主任が原告に対して不穏当又は粗暴な言動には及んでいなかったことなどもあわせて考慮すると、同日の面会に関する園長及びE主任による言動が違法なものであったとまでは認められず、原告に対する不法行為が成立することはないというべきである。

3.裁判所の判断は甘すぎではないだろうか

 法専門家の介入しない紛争解決は、往々にして、単に声が大きかったり、社会的な力が強かったりする方が、声が小さかったり、社会的な力が弱かったりする方を抑えつけるだけの形になりがちです。

 それを防ぐために法専門職があるというのに、素人だからといって代理人である法専門職の頭越しに本人と直接交渉を行うことが甘くみられるのは疑問に思います。職務基本規程との兼ね合いから、やる弁護士は皆無に近いと思いますが、もし、弁護士が同じことをやっていれば、先ず懲戒処分は免れませんし、不法行為も成立すると判断されていた可能性が高いのではないかと思います。

 法専門職が代理人に選任された場合の直接交渉の禁止のルールに関しては、裁判所は、もう少し厳格な姿勢で臨んでも良いのではないかと思います。

 

仕事への思い入れの強さは労災認定との関係では不利になる?

1.ストレス-脆弱性理論

 労災の場面で「ストレス-脆弱性理論」という言葉が使われることがあります。

 これは、

「対象疾病の発病に至る原因の考え方は、環境由来の心理的負荷(ストレス)と、個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり、心理的負荷が非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、心理的負荷が小さくても破綻が生ずる」

とする理論です。

 簡単に言うと、

強いストレスがかかれば強い人でもメンタルを病んでしまう、弱い人だと弱いストレスしかかかっていなくてもメンタルを病んでしまう、

という意味の医学的知見で、現在の労災認定実務はこの理論的基盤の上に成立しています(基発1226第1号 平成23年12月26日 改正 基発0529第1号 令和2年5月29日「心理的負荷による精神障害の認定基準について」参照)。

 この「ストレス-脆弱性理論」は、しばしば労災であることを否定する脈絡のもとで使われます。

 具体的に言うと、

「この程度のストレスでメンタルを病んでしまうのは、本人の弱さ(脆弱性)に問題がある。よって、業務に内在している危険が現実化した(業務起因性がある)とはいえない。」

という論法が用いられます。

 それでは、仕事に強い思い入れを持っていることは、労災認定における「脆弱性」との関係で、どのように評価されるのでしょうか?

 仕事に思い入れを持っていると、その思い入れが強ければ強いほど、仕事に支障が生じた時に、大きな心理的負荷を受け、精神障害を発症し易くなります。こうした傾向を踏まえ、仕事に強い思い入れを持っていたことを、心理的負荷に対する脆弱性として労災認定で不利に取り扱うこと/有利に取り扱わないことは許容されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.10.30労働経済判例速報2414-21 三田労基署長事件です。

2.三田労基署長事件

 本件は自殺した労働者(亡A1)の遺族(妻)が提起した労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 亡A1が勤務していたのは、パブリック事業、エンタープライズ事業、テレコムキャリア事業等を行う株式会社(B1)でした。

 自殺当時、亡A1はB1の社会貢献室でメセナ活動(芸術文化支援活動)を中心とした業務をしていました。

 亡Aはメセナ活動に対する思い入れが深かったようで、次の事実が認定されています。

「亡A1は、クラッシック音楽に造詣が深く、自ら強く希望してメセナの課長職に就任し、B1のメセナ活動に情熱をもって取り組み、平成9年には、社団法人V1協議会の発行する『□□』において『W1』の一人に挙げられ、平成12年には、B1の『Z1賞』受賞に貢献した。」

 自殺に至る経過は、大雑把に言うと、リーマンショック後の業績悪化を受けて、メセナ活動の費用対効果が組織的な検討対象となり、音楽活動支援に係る予算が削減されるとともに、亡A1は担当業務を変更になりました。上司からの指示と、支援打ち切りによって重大な影響を受けるこれまで関係を築いてきた支援先との間で葛藤が生じ、うつ病の発症、自殺へと至ったという流れです。

 裁判所は業務起因性を否定する結論を出しましたが、その中で、A1の仕事に対する思い入れについて、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「確かに、亡A1は、音楽活動に対する支援打切りによる支援先への影響や音楽活動支援に対する自身の思い入れなどから、従前どおりの支援を継続しようとして苦慮したものと推察される。しかし、業務起因性を肯定するには、前記1のとおり、当該疾病等の結果が労働者の従事していた業務に内在する危険が現実化したものであると評価できることが必要であり、その際には平均的労働者を基準とする以上、上記のような亡A1の音楽活動支援等に対する個人的思いなど主観的事情に起因する要素を大きく評価することは、業務自体に内在する危険以外の要素を重視することとなり不相当であるから、採用することができない。結局、上司との対立や業務の支障の程度が大きいと評価することはできず、心理的負荷を『強』とみることはできない。」

3.強い思い入れは心理的負荷の増強要因にはならない

 裁判所は平均的労働者を基準とする労災のシステム上、個人的思いなどの主観的事情を大きく評価することは不相当だと判断し、思い入れの強さに伴って生じるストレスを心理的負荷の増強要因と評価することを否定しました。

 仕事に思い入れを持つことが平均的労働者からそれほど乖離するものなのかという疑問はありますが、仕事への思い入れの強さが労災との関係で必ずしも積極的に評価されるわけではないことは、留意しておいて良いだろうと思います。

 

退職までの出勤日を有給休暇で埋める法的根拠

1.退職妨害への対応方法

 退職したいと言い出すと、ハラスメントによる報復が予想される場合、退職予定日までの出勤日を有給休暇で埋めてしまうことがあります。

 有給休暇の時季指定が「事業の正常な運営を妨げる場合」、使用者には時季変更する権利が与えられています(労働基準法39条5項)。

 しかし、時季変更権の行使には、学説上、

「『他の時期にこれ(年休)を与える』可能性の存在が前提となる。そこで、労働者が退職時に未消化年休を一括時期指定する場合には、その可能性がないので時季変更権を行使しえないことになる」

との理解が示されています(菅野和夫『労働法』弘文堂、第12版、令元〕566参照)。

 また、行政解釈上も

「当該労働者の解雇日を超えての時季変更は行えない」

との解釈が示されています(昭49.1.11基収5554号)。

 退職妨害事案で、退職予定日までの勤務日を有給休暇で埋める場合、使用者が幾ら困るといっても時季変更権を行使できない(出勤しろと言えない)根拠は、上記の解釈に基づいています。

 ただ、これは有力な学説・行政通達に裏付けられた理解ではあるものの、私の知る限り、裁判例で明示的に採用されている理解ではありませんでした。

 そのため、この理解を採用した裁判例が現れないかと思っていたところ、近時の公刊物に今後の実務で利用できそうな裁判例が掲載されていました。東京地判令元.12.2労働経済判例速報2414-8 東京都(交通局)事件です。これは昨日ご紹介した裁判例と同じ事案です。

2.東京都(交通局)事件

 本件は年次有給休暇の取得に関係し、時季変更権を行使することの適否が争われた事件です。

 この事件の中で、裁判所は、時季変更権の行使の可否について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「使用者は、時季変更権を行使するにあたり、代替日を提案する必要性はないから、労働者が指定した時季において年次休暇を取得することを承認しないという意思表示であっても時季変更権を行使したということができる(最高裁判所昭和57年3月18日第一小法廷判決・民集36巻3号366頁参照)。そして、使用者による時季変更権の行使は、労働者が別の日に年次休暇を取得することができることを前提とするものであるから、労働者が指定した日以外の日に年次休暇を取得させることが不可能である場合には、使用者は時季変更権を行使することができないものと解すべきである。

3.時季変更権の行使が認められた事案ではあるが・・・

 東京都(交通局)事件では、結論として使用者による時季変更権の行使が認められています。また、裁判所は「労働者側の年次休暇取得の目的によって使用者が時季変更権を行使したか否かが左右されることにはならない」と労働者側の主観的事情が「労働者が指定した日以外の日に年次休暇を取得させること」の可能性に影響を与えることを否定しています。

 それでも、「労働者が指定した日以外の日に年次休暇を取得させることが不可能である場合には、使用者は時季変更権を行使することができない」との解釈を明示的に採用した点は、なお注目に値するように思われます。これまで(私の知る限り)学説と行政通達でしか採用されていなかった解釈が、司法判断によっても裏付けられたことになるからです。

 労働者側敗訴の事案ではありますが、東京都(交通局)事件は、退職妨害への対処にあたり引用できる裁判例としても、覚えておいてよい裁判例だと思います。