弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

賃金減額の合意の効力は結構昔のものでも争える

1.積み重なった既成事実の重み

 一般論として言うと、不本意な合意を押し付けられても、時間が経つと争うことは難しくなります。不服を述べなかったという既成事実の積み重ねが、合意に納得していたという方向に、裁判所の心証を傾けさせるからです。

 しかし、賃金減額の合意に関しては、ある程度昔のものでも、蒸し返して争うことができます。近時公刊された判例集に掲載されていた、大阪地判令2.2.28労働判例ジャーナル99-26 アクアライン事件 も大分以前の賃金減額の合意の効力が否定された事案の一つです。

2.アクアライン事件

 本件の被告になったのは、大型トラックを保有し、同車両を用いた運送業務を行う株式会社です。

 原告になったのは、被告と労働契約を締結している複数の労働者です。

 被告の労務管理にはかなりの問題があり、原告らは被告に対して複数の請求を行っています。

 その中の一つが原告cによる未払賃金請求です。

 原告cの賃金は、当初、月額44万7500円でしたが、平成28年9月5日に賃金月額を38万円とする旨の記載のある「給与辞令」に押印し、同年10月分以降の賃金は月額38万円とされました。

 その後、本件は、1年ほど既成事実が積み重なり、平成29年9月11日ころ、組合が被告に対して原告らに未払賃金を支払うように要求し、平成29年10月13日ころ、原告らが直接被告に対して未払賃金の支払を請求したという経過が辿られています。原告らによる訴訟提起は、平成30年2月13日とされています。

 こうした事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、賃金減額の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「賃金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも判断されるべきものと解される(最高裁平成28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照)。」
「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告cは、平成28年9月、被告代表者に突然呼び出され、給与を手取り38万円(額面44万7500円)から額面38万円に減額すると告げられたこと、その際、理由については説明がなく、同意しなければ辞めてもらうと言われたこと、そのため、同原告は、やむを得ず、その翌日、同年11月から給与を上記のとおり減額する旨の記載がある給与辞令に押印したことが認められる。他方、被告は、合通に対する売上の減少が上記賃金減額の理由である旨主張するが、被告において上記賃金減額の理由を原告cに説明したことや、そもそも合通に対する売上が減少したことを認めるに足りる的確な証拠はない。」
上記で認定した事情を踏まえると、原告cは、上記賃金減額に形式的には同意したといえるものの、これによって同原告の給与は額面で6万7500円(約15%)減少することになり、不利益の程度は大きいといえること、それにもかかわらず、被告からその理由については説明がなく、実際に合理的な理由が存在したとも証拠上認め難いこと、さらに、被告からは同意しなければ辞めてもらう旨告げられていたことに照らせば、上記賃金減額に対する原告cの同意が、同原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとは到底認められず、上記賃金減額について、同原告の実質的な同意があったとはいえない。
「そうすると、被告は、原告cに対し、上記賃金減額の後も、減額前の賃金の支払義務を負っていたというべきであり、減額後の賃金との差額・・・の支払義務があるといえる。」

3.自由な意思の法理は結構昔のことまで蒸し返せる

 アクアライン事件では、労働者が賃金減額の効力を争うまでに1年近くの既成事実が積み重なっていました。

 しかし、こうした既成事実の積み重なりが、裁判所で重視されることはありませんでした。確かに、既成事実の点は被告側から明示的に主張されているわけではありませんでしたが、合意当初から問題のあることを認識しながら押印し、約1年にも渡ってもそれを放置しながら、なお合意の効力を争えるというのは、労働事件を離れた紛争領域においては、それほど一般的ではないように思われます。

 自由な意思の法理には、真意を表明することが困難であることから発展してきたという面もあります。そのため、在職中で真意を表明することが困難である限り、時間が経っても、過去に遡って合意の効力を問題にすることが否定されるべきではないという理解に馴染みやすいのだと思います。

 過去、変な合意をしてしまったものの、釈然としない思いをお抱えの方は、未払賃金の請求の可否を、一度、弁護士に相談してみても良いのではないかと思います。特に、在職中の事案では、割と昔の合意であったとしても、争える可能性があるのではないかと思われます。

 

「日本語分かってる?」-パワーハラスメントの一例

1.職場におけるパワーハラスメント

 職場におけるパワーハラスメントは、

「事業主が職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、その雇用する労働者の就業環境が害されること」

と定義されています(厚生労働省告示第5号 令和2年1月15日「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」参照)。

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf

 指針では、

「人格を否定するような言動を行うこと。」

がパワーハラスメントの具体例として規定されています。

 しかし、具体的にどのような言動が「人格を否定するような言動」になるのかは、それほど明確であるわけではありません。そのため、パワーハラスメントに該当する言動と該当しない言動とを正確に判別して行くにあたっては、裁判例を読み込むことを通じて感覚を磨いて行くよりほかありません。

 近時公刊された判例集に、国籍に関する差別的言動のパワーハラスメントへの該当性が問題になった裁判例が掲載されていました。東京地判令元.11.7労働経済判例速報 辻・本郷税理士法人事件です。本記事は、以前「懲戒処分にあたっての弁明の機会、二段階の機会付与が必要か?」という記事の中で言及した裁判例を、別の切り口から紹介するものになります。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/05/02/011902

2.辻・本郷税理士法人事件

 本件はパワーハラスメントを理由に訓戒処分を受けた従業員の方が、懲戒事由が認められないにもかかわらず杜撰な調査結果を基に懲戒処分を受けたとして、会社に対し、損害賠償(慰謝料)などを請求した事件です。

 会社から問題視された言動の一つが外国人Cに対する差別的言動で、

「そんな指示はしていない。」

「あなた何歳のときに日本に来たんだっけ? 日本語分かってる?」

という言葉のパワーハラスメントへの該当性が問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、当該言動がパワーハラスメントに該当することを認めました。

(裁判所の判断)

「原告とCは上司と部下の関係にあり、本件報告書によれば、原告は、Cが原告の指示を受けて業務を行った際、『そんな指示はしていない』と叱責し、『あなた何歳のときに日本に来たんだっけ?日本語分かってる?』と発言したことが認められる。(以下、上記原告の発言をまとめて『本件発言』という。)」
本件発言は、その発言内容そのものが相手を著しく侮辱する内容であり、また、Cが日本国籍を有しない者であることからしても、同人に強い精神的な苦痛を与えるものというべきである。そうすると、上記発言は、原告が部下であるCに対し、職場内の優位性を背景に業務の適正な範囲を超えて精神的、身体的苦痛を与えたものとして、被告の就業規則79条18号所定のパワーハラスメントに当たるというべきである。

「原告は、Cに対して日本語がわかりますかという表現を行ったにすぎず、本件発言については、B弁護士が本件調査においてC以外の従業員から伝聞で聴取したもので信用性が認められない旨主張する。しかしながら、本件報告書の信用性が認められることは既に説示したとおりであり、また、同報告書には、本件発言を認定した資料としてCに対する事情聴取があげられているのであり(乙1〔3頁〕)、C以外の従業員からの聴取のみに基づくものとは認められない。したがって、原告の主張は採用することができない。」

3.日本人相手でもダメだろう

 日本語が分かっているのかという趣旨の罵倒は、外国人に対してだけ用いられるわけではなく、日本人に対しても用いられている例が散見されます。そのような意味において、国籍差別なのかは微妙なところですし、外国人だから傷つくといったものでもないとは思います。むしろ、「日本語分かってる?」という言葉は、日本人の方がより侮辱的に受け取るかも知れません。

 裁判所は当該言動を「国籍に関する差別的言動」の項目で論じていますが、日本人に対しても同様に許容されない発言だと思われます。

4.誰もが最初に声を挙げる人を待っている?

 このような何の意味もない侮辱的な言動は、周囲が許容しなければ、自ずと是正されて行きます。本件も摘発のきっかけになったのは、匿名による通報で、他の従業員からの供述がCからの事情聴取の信用性を裏付ける形になっています。おそらく、問題の言動に眉をひそめていた社内の方は、それなりにいたのだろうと思います。

 職場環境を悪化させる言動に対しては、誰もが最初に声を挙げる人を待っていることも少なくありません。ハラスメントの問題を解決するにあたっては、言っても無駄だからと安易に諦めないことが大切です。

管理監督者性と職制上の管理職概念の区別について

1.管理監督者性と職制上の管理職

 管理監督者には、労働基準法上の労働時間、休憩及び休日に関する規定の適用がありません(労働基準法41条2号)。

 昨日の記事でも述べたとおり、管理監督者に該当するといえるためには、

「①事業主の経営に関する決定に参画し、労務管理に関する指揮監督権限を認められていること、②自己の出退勤をはじめとする労働時間について裁量権を有していること、および③一般の従業員に比しその地位と権限にふさわしい賃金(基本給、手当、賞与)上の処遇を与えられていること」

が必要です(菅野和夫『労働法』〔弘文堂、第12版、令元〕491頁)。

 上述の理解からも明らかなとおり、労働基準法上の管理監督者の概念は、会社の職制上の管理職とは全く異なる概念です。例えば、職制上の管理職には該当しても、経営に関する決定に参画していない方や、出退勤に裁量を持っていない方は、少なくありません。こうした方は管理監督者に該当しない可能性が高いといえます。

 しかし、これを混同している会社は決して少なくありませんし、訴訟においても労働基準法上の管理監督者性と職制上の管理職とを混同した主張がされることがあります。昨日ご紹介した東京地判令元.12.4労働判例ジャーナル99-40 白井グループ事件も、そうした主張がなされた事案の一つです。

2.白井グループ事件

 本件は、クモ膜下出血で死亡した従業員(亡e)の遺族が原告となって、亡eの勤務先会社に対し、亡eが有していた時間外勤務手当等の支払を請求した事件です。

 被告は亡eの管理監督者性を主張するとともに、仮に管理監督者ではないとすれば、変形労働時間性が適用されるため、それを前提に時間外勤務手当が計算されるべきだと主張しました。

 その根拠になったのが、被告会社における1年単位の変形労働時間性です。被告会社は、

管理職以外の従業員を対象として、毎年8月1日を起算日とする1年単位の変形労働時間制を採用し、毎年労使協定を締結して同協定を労働基準監督署に届け出て」

いました。

 被告が用いたのは、管理監督者性が否定されるのであれば、管理職ではないのだから、変形労働時間性の対象になるというロジックです。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を認めませんでした。

(裁判所の判断)

「被告は、亡eの管理監督者性が否定される場合には、一年単位の変形労働時間制の適用があると主張する。」
「しかし、被告が労働者代表との協定により定めた適用対象者は、被告における管理職を除く一般職であって、亡eが含まれていたとはいえないことに加え、労基法上の管理監督者と被告の職制上の管理職は別であるから、労使協定において、労基法上の管理監督者性を否定された被告の管理職を、変形労働時間制の適用対象者に含む合意をしたものとは認められない。また、明確な合意が認められないにもかかわらず、変形労働時間制の適用対象者に管理監督者性を否定された管理職を含むものと解することは、労働者に不利益な解釈を後付けで行うこととなって、変形労働時間制の適用に当たり労使協定等の締結を要件とした労基法の趣旨を没却するものであるから、不相当である。」
「したがって、亡eには1年単位の変形労働時間制は適用されない。」

3.当たり前のように思われるが・・・

 労働基準法上の管理監督者と職制上の管理職概念が別物だというのは、当たり前すぎることのようにしか聞こえないと思います。

 しかし、現実には、これを混同しているとしか思えない主張が、法律家からもなされることがあります。きちんと法概念を調べながら主張を組み立てていれば、こうしたエラーは生じるわけがないため、どうしてエラーが起きるのかは本当に不思議なのですが、個人的な実務経験の範囲内でも、こうした主張を受けたことは少なくありません。

 白井グループ事件の判示からも分かるとおり「管理職だから・・・」などといった法概念を離れた大味な議論には、乗せられないことが大切です。

 

管理監督者性の考慮要素としての「権限」-企業グループ単位での考察が許されるか?

1.管理監督者性

 管理監督者には、労働基準法上の労働時間、休憩及び休日に関する規定の適用がありません(労働基準法41条2号)。そのため、時間外勤務をしても、管理監督者には残業代が支払われることはありません。

 この管理監督者に該当するといえるため、

「裁判例・・・において必要とされてきた要件は、①事業主の経営に関する決定に参画し、労務管理に関する指揮監督権限を認められていること、②自己の出退勤をはじめとする労働時間について裁量権を有していること、および③一般の従業員に比しその地位と権限にふさわしい賃金(基本給、手当、賞与)上の処遇を与えられていること」

であると理解されています(菅野和夫『労働法』〔弘文堂、第12版、令元〕491頁)。

 それでは、この「権限」要件に関し、企業グループ単位で考察することは許されるのでしょうか?

 例えば、役員が同族で占められているA企業、B企業において、A企業の従業員としてB企業の経営者が行うべき労務管理等の重要な権限を行使していた場合、A企業と雇用契約を結んでいる従業員の管理監督者性を基礎づける事情となるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令元.12.4労働判例ジャーナル99-40白井グループ事件です。

2.白井グループ事件

 本件は、クモ膜下出血で死亡した従業員(亡e)の遺族が原告となって、亡eの勤務先会社に対し、亡eが有していた時間外勤務手当等の支払を請求した事件です。

 亡eが雇用契約を締結していたのは被告(白井グループ株式会社)でしたが、担当していたのは白井運輸株式会社における運転手や作業等の管理業務でした。

 被告は、

「形式上別個の会社であっても、実態として一つの事業体である場合には、一体の会社として捉えるべきである。」

などと主張して、亡eは管理監督者に該当すると主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、管理監督者性を企業グループ単位で考察するとの立論を否定し、亡eの管理監督者性を否定しました。

(裁判所の判断)

「亡eは、jやiとともに、白井運輸所属の運転手の人事評価やそれをもとにした配置検討を行い、始業終業の点呼や賃金計算を行うなどしていたほか、運転手の採用についても一定の権限を有しており、白井運輸の経営者が行うべき運転手の労務管理等の重要な一端を担っていたということができる。」
「また、亡eの就業実態についてみると、運転手は、早朝に出庫した後、午後から夕方にかけて帰庫するところ、帰庫時間は道路状況や勤務状況、事故の有無等によって日々変わるものであるから、最初の運転手の出庫から最後の運転手の帰庫までの時間は日々異なる反面、運転手の出庫終了から帰庫開始までの4時間程度の間は、少量の事務作業のほかには、事故対応がない限り、見るべき業務は存在せず、時間の使い方については亡eら運行管理者に裁量が与えられていたものというべきである。」
「加えて、亡eの待遇についてみると、被告における役割等級は4等級、職位は主事であり、亡eの年収は648万8400円で被告の従業員52名の中で4番目に高く、被告を含む白井系列各社の従業員167名の中でも上位5番目であったこと、亡e自身の運転手時代と比較しても、残業代込みの年収から1割程度も上昇しているから、高い待遇を受けていたということができる。」
「しかし、亡eは、白井運輸の運転手らの労務管理を被告の業務として行っていたのであり、被告においては、公共事業部の部長、課長に次ぐ役職である主事の一人であって、被告内に、亡eが労務管理や人事評価等を行う対象となる部下はおらず、その他、亡eが被告従業員の労働条件の決定に関する権限を有していたわけでもない。また、使用機材の選定等についても、亡eは、豊富な知識に基づいて提案するのみで、実際に購入する費用を支出する権限は持っていなかったことなどを考慮すると、亡eが、被告の経営者が行うべき被告従業員の労働時間の決定、労務管理等の重要な職務を行っていたとは認められない。
そして、労基法が管理監督者を同法の定める規制の例外として制限列挙していることからすると、白井系列各社が一体として経営されているとしても、それは経営上の必要性から経営者が選択した結果であるから、グループ会社の経営上の一体性を理由に、別の法人格に所属する従業員の労務管理を行っていた亡eの管理監督者性を肯定することは相当でないというべきである。
「また、亡eの高い待遇は、被告における重要な職務権限が認められない以上、その職務権限の存在を裏付けたり、職責に見合うものであるとの評価はできないが、亡eの雇用に至る経緯をみても、被告は、h課長の後任者を採用する必要があり、亡eの真面目な仕事ぶりや運転手からの信頼の厚さを評価して亡eを迎え入れたのであるから、亡eの待遇は、被告の亡eに対する評価や期待の表れとも見得るものであって、亡eの得ていた賃金上の処遇から、亡eを被告の管理監督者と評価することはできないというべきである。」
「以上によれば、亡eは、被告の管理監督者とは認められない。」

3.管理監督者性は企業グループ単位では考えられない

 裁判所は、管理監督者性の概念を厳格に理解し、グループ会社の経営上の一体性を理由に管理監督者性を認定することを否定しました。

 おそらく、多くの企業では、本件のような事態を避けるため、労務管理を行っている会社との間で雇用契約を結ばせたうえで、管理監督者として取り扱うという対応をしているのではないかと思います。

 そうした観点からすると、活用の場面は限定的ではなないかと思われますが、本件で裁判所が示した考え方は、法人格の垣根が曖昧な企業グループで働いている人の時間外勤務手当等を請求する事件などで参考になるものと思われます。

 

佐々木氏が渡部氏の浮気相手を訴えたらどうなるか

1.夫の浮気相手を訴えるべき?

 ネット上に、

「佐々木希さんは『夫の浮気相手を訴えるべき』家族問題評論家・池内ひろ美氏が説く意義とは」

という記事が掲載されています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f4b57cd376c1d9c0b1df31822bcf9739baacd9b5

 記事には、家族問題評論家の方の見解として、

「佐々木はこのようなゲス不倫が世の中にはびこらないよう、警鐘を鳴らす意味でも、『浮気相手の女性に損害賠償請求をすべき』だという。

「浮気夫は浮気相手がいる限りやめることができない性分なので、訴えられるとわかれば女性が近寄らなくなり、浮気のチャンスがなくなります。佐々木さんが裁判を起こせば、賠償額など経過は詳細に報道されますから、女性側も訴えられるリスクを身をもって体験でき、同じく不倫に陥りそうな女性にとっても抑止力になります」

「訴える財力があり、男性ファンの多い佐々木希さんだからこそ皆が納得します。もし、私のような還暦近い女が浮気相手を訴えたとしても“年増の嫉妬”でしかないけれど、あの美人の佐々木さんが傷ついて訴えるとなれば、男性も“浮気は妻を傷つけるだけでなく、自分も痛い目に遭う”と知るでしょう。結局、男性は妻も浮気相手も守れない、社会的信用は失墜、奥さんからペナルティーを科せられたり、浮気相手の賠償金を夫が払う羽目になったり、経済的にも痛い。不倫がどれだけダメージを負うかを教えてくれる伝道師のような存在になります。さらには回りまわって女性を不倫から遠ざけることもでき、全女性を幸せにできるのです」

と書かれています。

 しかし、訴えてもメディアの餌になるだけで、金銭的なペナルティがこの種の出来事の抑止力になることはないと思います。

2.賠償金の水準

 不貞慰謝料請求事件(配偶者の不貞の相手方に対する慰謝料請求事件)の慰謝料の水準は、高額所得者にとっては、それほど痛くはありません。婚姻継続事案では猶更です。

 少し古い論文になりますが、岡山地裁倉敷支部判事補安西二郎『不貞慰謝料請求事件に関する実務上の諸問題』判例タイムズ1278-45によると、婚姻継続事案の不貞慰謝料の平均値は140万円とされています。

 また、私の個人的な実務経験の範囲内では不貞慰謝料の相場は下落傾向にあります。上記論文が掲載されているのは判例タイムズという専門誌の2008年11月15日号ですが、10年前と比べれば不貞の慰謝料は明らかに減少していると思います。

3.賠償金の分担の在り方

 不貞行為による損害賠償請求義務は、専門用語で不真正連帯債務といいます。不貞をされた妻は、不貞をした夫に対しても、夫の不貞相手に対しても、等しく全損害の賠償を求めることができます。しかし、どちらか片方から全損害の賠償を受けてしまえば、もう片方に対して重ねて損害の賠償を求めることはできなくなります。

 それでは、全損害を賠償した側はどうなるかというと、損害賠償請求を受けなかった側に対して、求償を行うことができます。求償というのは、応分の負担の分担を求めることです。分かりやすく言うと、例えば、不貞行為の片方が慰謝料全額として被害者に140万円を支払った場合、不貞行為のもう片方に対して、そのうち70万円を負担してくださいと求めて行けるという意味です。

 不真正連帯債務の場合、負担割合に明確な定めはありません。裁判所は損害をどのように分担させるのが公平かという観点から負担割合を定めます。事実関係次第で負担割合は動き、必ずしも5分5分になるわけではありません。例えば、東京地判平16.9.3LLI/DB判例秘書登載は、

不貞行為による平穏な家庭生活の侵害は、不貞に及んだ配偶者が第一次的に責任を負うべきであり、損害への寄与は原則として不倫の相手方を上回るというべきである。

と判示したうえ、不貞に及んだ配偶者側と不貞の相手方との責任割合を7対3と判示しています。

 また、全損害を請求できるのが原則ではあるにしても、不貞の一方の帰責性が極端に弱い場合、不真正連帯債務でありながら損害賠償請求に一定の制限が加えられることもあります。

 例えば、札幌地判昭51.12.27判例タイムズ364-243という事件があります。これは次々と女性と不貞な関係を結んでいた夫に対し、妻が離婚・慰謝料等の請求をした事件です。妻は夫の不貞相手にも慰謝料を請求しました。

 裁判所は夫(被告誠次)に慰謝料300万円の支払いを命じましたが、不貞相手(被告小河)の責任に関しては次のとおり判示しています。

「被告小河に対する慰藉料請求について判断する。同人は、被告誠次に妻子があるのを知りながら不貞の関係を続けたことは前示のとおりであり、右行為により原告に して精神的苦痛を与えたことについて、被告誠次とともに、共同不法行為者としての責任を負うべきことは明らかである。」
「而して、前記被告誠次の原告に対して支払うべき慰藉料金三〇〇万円のうち、被告小河との共同不法行為に基づく部分は八〇万円と解するのが相当である(被告誠次の女ぐせの悪さは結婚当初からのもので、今日まで何人もの女性と不貞な関係を続けてきたこと、また被告誠次は原告に対してたびたび殴る蹴るの乱暴をしたこと等被告小河と無関係のことに起因する部分を控除した)。」
「ところで、共同不法行為の成立が認められても、ある加害者の行為もしくは結果に対する関与の度合いが非常に少い場合で、かつ、そのことが証明されている場合には、その者については、右関与の度合いに応じた範囲での責任のみしか負わすことができないものと解すべきである。これを本件についてみると、被告誠次は、被告小河との不貞な関係の招来およびその維持について常に主導権を握つており、被告小河はただどれに服従したにすぎないともみられること、少くとも現在は、被告小河は被告誠次と別れ夫の下に戻ったこと、被告誠次との関係を生じたことで被告小河自身の心神もかなり傷ついたこと等を考慮すると、被告小河の責任は、前記共同不法行為部分の八分の一すなわち金一〇万円に相当する部分に限られるものというべきである。

4.訴えたらどうなるか?

 訴えたらどうなるのかは、上述のようなルールを前提に考える必要があります。

 訴えられた不貞相手は、自分の関与がいかに消極的であったのか、不貞行為に及んだ配偶者の関与がいかに大きかったのかを強調して、責任の軽減を図ることになります。

 報道の事案にあてはめれば、渡部氏が果たした役割の方が大きかったことを、事細かに主張・立証していくことになります。

 ここで、もう一つ重要なルールがあります。

 民事訴訟記録の閲覧に関するルールです。

 民事訴訟記録は基本的に何人でも閲覧を請求することができます(民事訴訟法91条1項)。もちろん、私生活についての重大な秘密が記載・記録されていて、第三者に閲覧されると社会生活を営むのに著しい支障が生じるような場合には、閲覧制限がかけられますが(民事訴訟法92条1項1号参照)、必ず裁判所が閲覧制限をかけてくれるという保障があるわけではありません。

 つまり、訴えを提起しても、マスコミに燃料を与えるだけで、不貞相手の女性にそれほどの金銭的ダメージが生じることはありません。巷で言われているほど高額の所得を得られていたのであれば、不貞相手の女性の負担部分まで被ったとしても、その額が渡部氏にとってダメージになるとは思われません。

5.そもそも名誉毀損にならないのか?

 不貞慰謝料の相場水準や、求償・負担割合についての考え方、不貞慰謝料請求事件の実務、民事訴訟記録の閲覧に関するルールを意識しているのかどうかは分かりませんが、メディアに、佐々木氏を煽ってまで、渡部氏と不貞相手との間での出来事を取り上げたいという意図があるとすれば、その姿勢にはやや疑問を覚えます。私人の不貞の事実や性癖を報道すること自体の適法性に疑義があるからです。

 名誉毀損と不法行為との関係性については、最一小判昭41.6.23民集20-5-1118が、

「民事上の不法行為たる名誉棄損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもつぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である」

と判示しています。

 公共の利害に関する事実を定義した最高裁判例はないと思いますが、下級審レベルでは幾つかの定義付けが試みられています。

 例えば、東京地判平13.9.5判例時報1773-104は、

「公共の利害に関する事実とは、専らそのことが不特定多数人の利害に関するものであることから、不特定多数人が関心を寄せてしかるべき事実をいうものであって、単なる興味あるいは好奇心の対象となるにすぎないものを含むものではなく、一個人の経歴あるいは私生活上の言動等については、当該個人の社会的地位、活動等が公的なものであるような場合はともかく、そうでない場合には、特段の事情がない限り、公共の利害に関する事実とはいえないものである。

と判示しています。

 民主主義原理を確保するため、また、宗教・文学・芸術・科学その他の学問及び知識を深化させるため、名誉やプライバシーが一定の限度で制約を受けるという発想であれば理解可能なのですが(佃克彦『名誉毀損の法律実務』〔弘文堂、第3版、平29〕446頁参照)、公職についているわけでもない方の不貞の事実や性癖が、いかなる意味において公共の利害に関連しているといえるのかは、私には分かりません。

 抑止力という意味では、これだけ報道されれば十分だと思います。別段、不法行為(不貞行為)を肯定する意図はありませんが、その情報がいかなる公共的価値を有しているのかを突き詰めて考えず、報道が個々の事件の当事者の精神にどれだけの負荷を与えるのかを気にもせず、ただ単に多くの人が知りたがるというだけで情報を流し続ける(あまつさえ、さほど意味があるとも思えない訴訟を提起するよう第三者が当事者を煽ってまで情報を得ようとする)のは、人権侵害ではないかという感が否めません。

 

懲戒解雇になっても必ずしも退職金をもらえなくなるわけではない

1.懲戒解雇と退職金

 国家公務員の場合、懲戒免職処分を受けたことは退職手当の支給制限事由とされています(国家公務員退職手当法12条1項1号参照)。

 懲戒免職処分を受けた場合、基本的には退職手当は全部不支給となります。しかし、情状によっては一部不支給に留められることもあります。

(国家公務員退職手当法の運用方針 昭和 60 年 4 月 30 日総人第 261号 最終改正 平成 28年 2月 19 日 閣人人第 67号参照)。

https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/s600430_261.pdf

 こうしたルールは民間でも同様です。懲戒解雇を退職金の支給制限事由と結びつけた仕組みを有している会社は少なくありませんが、懲戒解雇になったからといって、必ずしも退職金の全てを受給できなくなるわけではありません。

 昨日紹介させて頂いた、東京地判令2.1.29労働判例ジャーナル99-32 みずほ銀行事件は、懲戒解雇された場合でも、必ずしも退職金を諦めなければならないわけではないことを示した事案でもあります。

2.みずほ銀行事件

 本件は社外秘である行内通達等を無断で多数持ち出し、出版社等に漏洩したことを等を理由として懲戒解雇された原告が、その効力を争って被告銀行を訴えた事件です。

 原告は地位確認等を主位的な請求として掲げましたが、懲戒解雇が有効とされた場合に備え、予備的に退職金も請求していました。

 裁判所は、懲戒解雇の有効性は認めましたが、次のとおり述べて、退職金の全部不支給は行き過ぎだと判示しました。

(裁判所の判断)

退職金は、通常、賃金の後払い的性格と功労報償的性格とを併せ持つものであり、職員が懲戒処分を受けた場合に退職金を不支給とする条項があったとしても、当然に退職金を不支給とすることは相当ではなく、これを不支給とすることができるのは、労働者が使用者に採用されて以降の長年の勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為がある場合に限られると解するのが相当である。
「これを本件についてみると、前判示のとおり、本件各違反行為は、情報資産の適切な保護と利用を重要視する被告の企業秩序に対する重大な違反行為であり、被告の社会的評価を相応に低下させたものといえる。しかし、本件各違反行為により、顧客へのサービスに混乱を生じさせたり、被告の決済システムに重大な影響を及ぼす等顧客に損失が発生する事態が発生したとの事実は認められず、被告に具体的な経済的損失が発生したことを示す的確な証拠もない。また、前記認定に係る平成14年の情報持ち出し及び平成27年のけん責処分以外には、原告の30年以上に上る勤続期間中の勤務態度や服務実績等が格別不良であったとする事情はうかがわれない。
以上を総合すると、本件各違反行為は、被告に採用されて以降の原告の長年の勤続の功を相応に抹消ないし減殺するものといえるが、これを完全に抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為であったとまで評価することは困難であり、本件不支給決定は、本件退職一時金及び本件退職年金をそれぞれ7割不支給とする限度で合理性を有するとみるのが相当である。

3.退職金全部不支給のハードルは懲戒解雇よりも更に高い

 以上のとおり、懲戒解雇が有効な場合でも、必ずしも退職金の全部不支給が正当化されるわけではありません。

 大企業の退職金となるとかなりの金額になることが少なくありません。相当部分が不支給になったとしても、それなりの規模の経済的利益に繋がります。みずほ銀行事件でも、7割不支給とされてなお、367万0440円もの退職金の支給が認められています。

 退職金がなくなると現実問題、老後の生活設計に深刻な影響を受けてしまう方は珍しくないだろうと思います。

 裁判例が指摘するとおり、退職手当には賃金の後払い的な性格もありますし、功労報償という観点からも全ての功労を吹き飛ばすことを正当化するような非違行為は限られています。

 幾ら何でも過酷ではないかと思った時には、あまりためらわず、弁護士に相談してみると良いと思います。

 

情報漏洩による企業秩序侵害の本質をどう捉えるか(情報の内容は抗弁になるのか?)

1.情報漏洩を理由とする懲戒処分

 多くの企業の就業規則では、企業秘密の漏洩・情報漏洩を懲戒事由としています。

 厚生労働省のモデル就業規則でも、

「正当な理由なく会社の業務上重要な秘密を外部に漏洩して会社に損害を与え、又は業務の正常な運営を阻害したとき」

が懲戒事由として規定されています。

 それでは、企業秘密の漏洩・情報漏洩を理由として懲戒処分を受けた場合に、情報の内容がそう大したものでもなかったということは、懲戒処分の効力を否定する材料の一つになるのでしょうか。

 懲戒処分とは、

「一般に、使用者が労働者の企業秩序違反行為に対して科する制裁罰という性質をもつ不利益措置」

と定義されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕548頁参照)。

 企業秘密の漏洩・情報漏洩が懲戒事由となり得るのは、

会社に具体的な実害を生じさせたという点に企業秩序侵害があるから

なのでしょうか。

 それとも、

会社の情報管理体制やこれに対する世間の信頼といった利益を侵害したところに企業秩序侵害があるから

なのでしょうか。

 企業秘密の漏洩・情報漏洩の企業秩序侵害には、上述したような二面性があります。そして、この二面性のうち、どちらを重視するのかによって、漏洩された情報の持つ内容が抗弁になるのかが変わってきます。

 前者を重視する立場からは、どのような内容の情報が流出したのかが精査検討の対象になると思います。しかし、後者を重視する立場は、内容云々よりも、企業が秘密として取り扱っているものを正当な理由なく漏出させたこと自体が問題だという考え方に馴染みます。

 では、裁判所はどのように考えているのでしょうか。近時公刊された判例集に、この問題を考えるうえで、参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判令2.1.29労働判例ジャーナル99-32 みずほ銀行事件です。

2.みずほ銀行事件

 本件は重要情報(対外秘である行内通達等)を多数持ち出し、出版社等に漏洩したことを理由に懲戒解雇された方が原告となって、勤務先銀行に対し、懲戒解雇の無効を主張して、地位確認などを求める訴えを提起した事件です。

 この事件で、被告銀行は、懲戒処分の相当性を根拠付けるため、

「原告の情報漏えいの結果、財界展望新社が発行する雑誌『ZAITEN』(以下『ZAITEN誌』という。)に被告の内部者しか知りえない情報を基に被告を揶揄する記事が長年にわたり多数回掲載され、日経新聞等のZAITEN誌の広告の見出しにも被告名が出るなど、銀行として情報管理を徹底すべき立場にある被告の信用・名誉が大きく棄損されたほか、原告が漏えいした情報に関して、関連先から被告にクレームも寄せられた。また、敬天新聞社が開設する『敬天新聞』と題するインターネット上のブログ(以下『敬天ブログ』という。)に通達の実物が2回にわたり掲載されることで、被告の情報管理に対して世間から疑問が持たれても仕方がない状況を引き起こした。

という主張をしました。

 これに対し、原告は、

「特定の宗教団体に係る寄付金の取扱に関する通達、仮想通貨取引所による口座開設に関する通達及び人権啓発推進研修会の開催に関する通達等、対外秘とされる社内通達等を無断で持ち出し、財界展望新社等に送付したが、これら通達は、いずれも仮に被告外に漏れたとしても何ら問題のない内容のものである。対外秘とされる文書を持ち出したこと自体に原告に非が無いわけではないものの、これらの通達には、懲戒解雇という重大な処分が相当といえる程重要な情報は記載されていない。

と、大した情報は持ち出していないと反論しました。

 こうした双方の主張を受け、裁判所は、次のとおり判示し、懲戒解雇の有効性を認めました。

(裁判所の判断)

「被告は、銀行として国内外における金融サービスを提供するという業務の性質上、情報資産の適切な保護と利用が極めて重要であることから、本件情報セキュリティ規程を定め、被告職員に対して、情報セキュリティ対策の徹底を図っていた。そのような中、原告は、約3年半にわたって、被告外への持ち出し及び漏えいの禁止という情報セキュリティにおける基本的な規律に違反していることを認識しながら、漏えいが生じた場合に顧客等の情報主体又は被告グループの経営及び業務に対して重大な影響を及ぼすおそれがあるため厳格な管理を要するとされる『重要(MB)』に分類される情報を含む4件の情報資産を持ち出し、少なくとも15件の情報を出版社等に常習的に漏えいしたものであって、このような原告の行為は、情報資産の適切な保護と利用を重要視する被告の企業秩序に対する重大な違反行為であるというべきである。

「また、前記認定事実によれば、本件漏えい行為により、ZAITEN誌等において、『重要(MB)』に分類される通達を含む複数の通達及び資料そのものが掲載されたほか、漏えいされた情報に基づき多数の記事が執筆されたことが推認され、本件漏えい行為は、被告の情報管理体制に対する疑念を世間に生じさせ、被告の社会的評価を相応に低下させたものといえる。

 (中略)

「以上を総合すると、原告と被告との間の信頼関係の破壊の程度は著しく、将来的に信頼関係の回復を期待することができる状況にもなかったといえ、被告において、処分の量定として懲戒解雇を選択することはやむを得なかったというべきであるから、本件懲戒解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められる。

原告は、本件各違反行為に係る情報は、仮に被告外に漏れたとしても何ら問題のない内容のものであり、懲戒解雇という重大な処分が相当といえる程重要な情報は記載されていない旨主張する。しかし、これら情報が被告において厳格又は適切な管理を要する情報として整理され、現に管理されていたことは前記認定のとおりであり、本件各違反行為に係る情報がこのような扱いを受けることに適さないものであったとする事情もうかがわれない。したがって、本件各違反行為が、情報資産の適切な保護と利用を重要視する被告の企業秩序に対する重大な違反行為であるという前記判断は左右されない。

3.情報の内容は問題にならないのだろうか?

 本件では退職金の不支給の当否を論じる箇所で、

「本件各違反行為により、顧客へのサービスに混乱を生じさせたり、被告の決済システムに重大な影響を及ぼす等顧客に損失が発生する事態が発生したとの事実は認められず、被告に具体的な経済的損失が発生したことを示す的確な証拠もない。」

という認定がなされています。

 そのため、情報の内容の位置づけ(重要な情報は記載されていない)に関しては、おそらく原告の主張に理があったのではないかと思います。

 しかし、裁判所は情報の重要性よりも、厳格な管理体制を紊乱したことや、世間からの信頼を毀損したことが問題だという考え方を採用し、大したことは書かれていないという主張が結論を左右することを否定しました。

 一つの事例判断ではあるにせよ、本件は裁判所が情報漏洩による企業秩序侵害をどのように理解しているのかを知るうえで参考になります。正当な理由のない情報の持ち出しがダメなことは指摘するまでもありませんが、厳重に管理されている情報であれば、「大したことは書かれていない」という言い訳が通用しない可能性があることは、留意しておく必要がありそうです。