弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

家族関係・親族関係が解雇の可否の判断に与える影響

1.家族関係・親族関係が解雇の可否の判断に与える影響

 労使間に家族関係・親族関係がある場合、そのことは解雇の可否の判断にどのような影響を与えるのでしょうか。

 労使間に家族関係・親族関係があったとしても、労働契約法上の適用除外(労働契約法22条2項 使用者が同居の親族のみを使用する場合)に該当しない限り、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」(労働契約法16条)

とのルールが効いてきます。

 家族関係・親族関係の存在がこのルールにどのような影響を与えるのかに関しては、三通りの考え方ができるのではないかともいます。

 一つ目は、解雇をしにくくする事情として位置づける考え方です。多少の逸脱があったとしても、家族関係・親族関係があることを前提とすれば、あまり目くじらを立てるのは適切ではないとする立場です。

 二つ目は、無関係だとする考え方です。家族関係・親族関係のような人的なつながりは、解雇の可否といったビジネスの局面においては関係ないとする立場です。

 三つ目は、解雇をしやすくする事情として位置づける考え方です。労使関係が同居の親族関係のみで完結する場合、解雇権濫用法理(労働契約法16条)を含む労働契約法の適用がなくなります。また、家庭内の不和が基盤にあると、解雇が無効だといったところで互いの鬱積した感情が清算されるわけではないため、正常な労使関係を回復することは難しいように思われます。こうしたことから、労使関係の清算を容易にするべきではないかとする立場です。

 具体的な法適用の場面で、いずれの考え方が採用されるのかは、

家族関係・親族関係の内容(親子間なのか、夫婦間なのか、遠縁の親族関係があるにすぎないのか)

や、

解雇事由の性質(家族関係・親族関係があることによって大目に見られるべき事情なのか、家族関係・親族関係があろうがなかろうが許容されるべきではない事情なのか)

によっても違ってくるのではないかと思います。

 親族関係が解雇の可否に与える影響は、一応、上述のような整理が可能だと思いますが、近時公刊された判例集に、家族関係・親族関係(正確には元夫婦であったこと)を解雇をしにくくする事情として位置づけた裁判例が掲載されていました。大阪地判令元.12.20 労働判例ジャーナル96-66 伊東商事事件です。

2.伊東商事事件

 本件で被告になったのは、質屋、リサイクル業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは被告の従業員です。原告と被告会社の代表者である被告bとは元夫婦の間柄です。協議離婚後も被告会社の従業員として稼働していたものの、被告会社から解雇を言い渡されました。この解雇の効力を争い、地位確認等を求めて被告会社を訴えたのが本件です。

 被告会社が設定した解雇事由は幾つかありますが、その中の一つが「異常な行動等」です。

 具体的には、

「原告は、平成28年6月17日、被告bが顧客を応接していた際、被告bが申込書を印字するよう指示したところ、応接の場に入ってきて『そんなものはない』等と述べるなど、不適切な対応をした。被告bとしては、顧客の面前でもあり、後日届ける旨説明の上で退出してもらわざるを得ず、引き続き、顧客の面前での言動をとがめたところ,突然、原告は机を蹴る、大声で叫ぶなどの異常な行動をした。」

ことです。

 原告は所掲の異常な行動を否認したものの、机を蹴ったという限度では粗暴な行動を認めました。

 これに対し、裁判所は、次のように述べて、解雇の有効性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告会社主張に係る本件解雇の有効性を基礎付ける事実のうち認定できるのは、顧客が退出した後、原告が、原告と被告bの間にあった机を蹴ったというものであり、その程度も不明であるといわざるを得ない・・・。これについて、被用者が使用者に対して粗暴かつ反抗的な態度を取ったということはできるものの、前記前提事実のとおり、原告と被告bは、離婚した元夫婦で、原告が被告会社の取締役を辞任した後において、なお雇用契約を締結するなどしてその人的関係が継続していたものであり・・・、両名間の二女もともに勤務していたという本件特有の事情の下・・・、粗暴なふるまい自体は戒められるべきであるとしても、親族内でのいさかいに準ずるような側面があることも否定できない。このような行為の性質、程度に照らせば、本件解雇の有効性判断において、これを大きく取り上げることは必ずしも当を得たものとはいい難い。
「このような被告会社主張に係る本件解雇の有効性を基礎付ける事実の存否及びその性質、程度を踏まえた評価等を勘案する限り、これによって、被告会社の代表取締役である被告bと離婚し、その後の取締役辞任を経てもなお、あえて期間の定めがない雇用契約の締結に至った原告に対してされた本件解雇については、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められず、その権利を濫用したものとして、無効であると認定することが相当であり、これに反する被告会社の主張は採用できない。」

3.元夫婦の事案ではあるが・・・

 本件は原告と被告の代表者代表取締役被告bが元夫婦であった事案であり、現に家族関係・親族関係が存在する場合の判断ではありません。

 しかし、親族関係が解雇の可否の判断にあたりどのように考慮されるのかを考えるうえで、参考になる事案であることは確かです。

 本件では解雇の可否の判断にあたり、元夫婦であるといった人的なつながりが、解雇をしにくくする事情になることを示しています。

 人的なつながりが労働契約のベースにある企業は少なくないと思われます。この一例があるから家族関係・親族関係がある場合に地位確認が通りやすいと言えるほど実務は単純ではありませんが、解雇の無効を主張するうえで、労働者が自説を補強するにあたっての材料にはなるだろうと思います。

 

被害者への報復はセクハラ行為をした時の最悪手

1.ハラスメントへの対応

 ハラスメントの加害者になってしまった場合、被害者には速やかに謝ってしまった方が良いと思います。軽微なハラスメント事案では、謝罪をしたことが、違法性の認定を妨げる事情として考慮されることもあります。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/01/13/232200

 しかし、ハラスメントの加害者の中には、自分の行動を正当化するために明らかに無理のある弁解をする方も珍しくありません。それだけならまだしも、声を挙げた被害者に対して報復行為に及ぶ方もいます。

 こうした行動は、ハラスメント加害者になった時の対応として、賢明な判断ではないように思われます。懲戒処分を重くする事情になるほか、被害者から損害賠償請求をされた時に、支払わなければならなくなる金額を増やしてしまうからです。

 近時公刊された判例集に掲載されている裁判例(徳島地判令2.1.20労働判例ジャーナル96-54 日本郵便事件)でも、報復は損害賠償との関係で藪蛇でしかないことが分かります。

2.日本郵便事件

 この事件で被告になったのは、日本郵便株式会社(被告会社)と、その従業員複数名です。

 原告になったのは、歓送迎会でセクハラ被害を受けた被告会社の女性従業員です。

 原告の方が歓送迎会で受けた被害は次のように認定されています。

「平成28年6月24日午後8時頃、原告は、遅れて本件歓送迎会に参加した。当初、原告は、会場である座敷の一番奥の長机に座っていたが、被告dに呼ばれて、同人と被告cに近い席に移った。」
「席を移動した後、原告は、被告dから、被告cが、原告の同僚のjや原告からみて男性として魅力的に感じるかと尋ねられ、これに肯定的な返答をしたところ、被告cから握手を求められたり、被告dから被告cとキスするように言われたりした。原告が、上記のキスの求めを断ると、被告cは『うわあー、ショック』などと言ったうえ、被告dに対し、原告のことを指差して、『逆にどうです?』、『キスとか色々できます?』などと質問をした。これに対し、被告dは、原告を指差して、『これはデブ過ぎる』などと答えた。」
「その後、被告cが携帯電話を取り出し、被告dとともに画面を見て二人だけで笑いながら『これはあかん。失礼だ』などと話し始めたため、原告は、被告cらとは別の者と会話するようになった。」
「その会話の中で、原告が以前に病院で勤めていたことや看護学校で学んでいたことなどを話していたところ、これを聞きつけた被告dが会話に参加してきて、原告に対し、『下の世話は得意?』、『看護職・介護職の人はいやらしい』などと執拗に性的な発言を繰り返した。」

 こうしたセクハラを受け、原告の方は、「容姿を揶揄されて傷ついたなどと記載した記事」(本件記事)をフェイスブックに投稿しました。

 これを知った被告cは、喫茶店で原告に対し「埋める」などと発言する挙に及びました。裁判所で認定された経緯は次のとおりです。

「原告がフェイスブックに被告cらを非難する本件記事を掲載していることを知った被告eは、平成28年6月25日、原告に連絡し、翌日、喫茶店で、原告と会い、本件歓送迎会で何があったかを尋ねた。その際、被告eは、被告cに聞いたがそんな事実はないと言っている、被告cはそんなことをする人ではない、原告の勘違いではないかと言い、原告が第三者に伝わるように本件記事をフェイスブックに投稿したことは良くないと言った。」
「これを聞いた原告は、被告cに謝るとして、同人に電話を掛けてフェイスブックに本件記事を投稿したことを謝罪したが、同人から直接会って謝罪するように求められ、一度はこれを断ったものの、被告eから説得されて同人とともに被告cと会うことになった。その際、被告eは、原告に対し、被告cに言いたいことがあるなら言わないといけないとも言った。」
「被告eは、本件記事がフェイスブックに投稿されていることを同人に知らせたhにも連絡し、四人で本件喫茶店で会うこととし、原告とhとともに、本件喫茶店で、被告cが来るのを待った。」
「その後、被告cが本件喫茶店に来たが、同人は、先の電話での原告の応答に不満を感じていたことから、席に着くと、持っていたたばことライターをテーブルの上に叩きつけるように置き、原告をにらむようにして座った。そして、原告がフェイスブックに本件記事を投稿したことについて、会社を辞める覚悟で投稿したのかなどと言って非難し始めたところ、原告が会社を辞めればいいんでしょうなどと応答したことから、被告cは怒り、本件喫茶店のテーブルを強く叩き、原告に対して『ええかげんにせえ』、『埋める』と発言した。また、このやり取りの最中には、興奮した被告cの足がテーブルにぶつかり、テーブルが揺れることがあった。」

 裁判所は、歓送迎会での被告らの言動、被告Cの言動に違法性を認めたうえ、次のとおり損害額を認定しました。

(裁判所の判断)

-本件歓送迎会における被告cらの共同不法行為による損害について-
「原告は、本件歓送迎会において原告が性的対象となるか尋ねるなどした被告cの発言及び原告の容姿を揶揄した被告dの発言により、精神的苦痛を被ったものと認められる。」
「そして、上記の共同不法行為の性質及び態様、本件の全証拠から窺われる原告の心情、その他本件における一切の事情を考慮すると、原告の上記精神的苦痛に対する慰謝料を10万円と認めるのが相当である。」
-本件歓送迎会における被告dの不法行為による損害について-
「原告は、本件歓送迎会において被告dがした原告の意に反する性的な発言により、精神的苦痛を被ったものと認められる。」
「そして、上記の不法行為の性質及び態様、本件の全証拠から窺われる原告の心情、その他本件における一切の事情を考慮すると、原告の上記精神的苦痛に対する慰謝料を10万円と認めるのが相当である。」
-本件話合いにおける被告cの不法行為による損害について-
「原告は、本件話合いにおいて原告に身体的危害を加えられる恐れを抱かせ、畏怖させる被告cの一連の言動により、精神的苦痛を被ったものと認められる。
 そして、上記の不法行為の性質及び態様、本件の全証拠から窺われる原告の心情、その他本件における一切の事情を考慮すると、原告の上記の精神的苦痛に対する慰謝料を20万円と認めるのが相当である。」

3.報復行為の方が元々のセクハラよりも厳しく評価されている

 裁判所は報復行為で受けた被害者の精神的苦痛に対する慰謝料を、元々のセクハラの慰謝料の倍額と認定しています。

 絶対額としてはそれほどの金額になっていませんが、裁判所が報復行為に対して厳しい視線を向けていることが読み取れます。

 法は逆恨みや報復を許容していません。ハラスメントの加害者になってしまった場合には、傷つけた被害者に対する配慮というだけではなく、自分自身を守るという観点からも、せめて二次的な被害を与えないことが望まれます。

 

違法行為を理由に懲戒された場合、「みんなやっている。」「ここでは常態化している。」は抗弁になるか?

1.違法行為を理由とする懲戒

 違法行為を理由に懲戒された労働者の方から、懲戒の効力を争いたいという相談を受けていると、しばしば「上司の指示だった。」「みんなやっている。」「この会社では、それが常態化しているのに、なぜ自分だけ。」といった不満を吐露する方がいます。

 言いたいことは理解できますが、こうした主張を維持するにあたっては、二つの問題があります。

 一つ目は、立証できるかという問題です。

 仮に違法行為が指示されていたり、違法行為が蔓延・常態化している会社であったりしても、紛争になった時、そのことを上司や会社が素直に認めることは先ずありません。梃子でも動かないといった感じで、違法な指示を行ったことや、違法行為が蔓延・常態化していることを否認します。そのため、会社側が違法行為の確たる証拠を残してしまったといったような間の抜けたことでもしない限り、立証は困難を極めます。

 二つ目は、仮に、違法行為が蔓延・常態化している事実が認められたとして、「みんなやっている。」といった趣旨の抗弁を、司法機関である裁判所が認めるかという問題でます。直観的には、そうした議論を裁判所が認めることはなさそうに思います。裁判所は違法行為をする人に対しては、かなり冷淡だからです。

 「直観的には」と言ったのは、大抵の事案では、違法行為が蔓延・常態化していることの立証をクリアできないため、二つ目の問題まで行き着かず、この問題に明確な解を出せるだけの紛争実例が蓄積していないからです。

 しかし、懲戒処分の根拠を企業秩序への侵害として捉えた場合、社是として違法行為が指示・黙認されている場合に、該当の違法行為を企業秩序を侵害する行為として評価できるのかは、理屈を突き詰めると難しい問題を孕んでいます。

 近時公刊された判例集に、この問題に示唆を与えてくれる裁判例が掲載されていました。大分地判令元.12.19労働判例ジャーナル96-68 一般社団法人竹田市医師会事件です。

2.一般社団法人竹田市医師会事件

 本件で被告となったのは、大分県竹田市内に竹田医師会病院(被告病院)を開設し、それを運営している一般社団法人です。

 原告になったのは、被告病院の院長であった方です。

 本件は、医師法違反などを理由に懲戒解雇された原告が、解雇が無効であるとして地位確認を求めて被告を訴えた事件です。

 医師法違反とされた事実の懲戒事由への該当性を判断する過程で、裁判所は、次のように述べて「みんなやっている。」理論に一定の意味を認めています。

(裁判所の判断)

-入院患者の診療録における診断名等の不記載-

「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告が被告病院において担当していた入院患者の診療録(概ね平成28年12月から平成29年11月までに作成されたもの。以下『本件入院診療録』という。)について、診断名の一部は、原告以外の者が記載しており、そのような診療録が多数存在したこと、傷病名は、被告病院の医事課の職員が記載していたこと、これらの原告以外の者が記載した部分について、原告が署名を付記する方法では確認していなかったことが認められる・・・。」

医師法24条、同法施行規則23条、療養担当規則8条、22条(以下『医師法24条等』という。)の各規定の趣旨のほか、診療録の作成責任は医師が負い、事務職員が医師の補助者として記載を代行することも可能ではあるが、それは医師が最終的に確認して署名することが条件とされていること(厚生労働省医政局長通達『医師及び医療関係職と事務職員等との間等での役割分担の推進について』(医政発第1228001号平成19年12月28日。以下『役割分担に関する通達』という。)・・・)からすれば、上記・・・の診療録の作成の仕方は、本来あるべきものとはいえない。
しかしながら、上記・・・の診療録の作成が医師法24条違反の犯罪行為に該当するかについては、事柄の性質上諸事情を慎重に検討すべきであるから、原告が直接記載していないことそれ自体から直ちに同条違反の犯罪行為に該当すると判断することはできない上、証拠・・・によれば、原告以外の被告病院の複数の医師が担当していた入院患者(入院中に担当が原告から変更になった者を含む。)の各診療録においても、当該医師以外の者により診断名の一部や傷病名が記載されたものが複数存在していたことが認められ、このような診療録の作成の仕方が原告に特有のものであったとは認め難く、また、原告以外の被告病院の医師に対し、このような診療録の作成の仕方について、医師法24条等の違反を理由とする懲戒処分ないし懲戒処分には至らない指導等が行われていたとの事情はうかがわれないことからすると、被告病院においては、このような診療録の作成の仕方が、業務上の都合により常態化していたものと認められる。そうすると、原告による上記・・・の診療録の作成が、犯罪事実が明らかになった場合(軽微な違反である場合を除く。)として、懲戒解雇事由である就業規則57条1項6号に該当するとまではいえない。

 -処方箋の事前署名-

「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告病院において、夜間等で原告が不在のときに緊急に薬剤が必要な場合に備えて、事前に白紙の処方箋に署名していたこと、現に緊急に薬剤が必要な場合には、看護師等から原告に対して電話等により相談がされ、原告は、その相談を踏まえ、看護師等に対し、必要な薬剤の指示をし、その看護師等が上記原告の署名がされた処方箋にその他の必要事項を記載して薬局に交付し、薬局から薬剤を入手していたことが認められる。」
医師法22条柱書及び同法施行規則21条(以下『医師法22条等』という。)の各規定の趣旨によれば、上記・・・の薬剤の処方の仕方は、本来あるべきものとはいえない。
しかしながら、上記薬剤の処方の仕方が直ちに医師法22条違反の犯罪行為に該当するということはできない上、本件経営改善要望書や被告病院の事務局次長ら複数の職員が被告の会長らに宛てた平成29年9月29日付けの『職場環境改善に関するお願い』と題する書面・・・には、上記薬剤の処方の仕方の改善を求める内容がないこと、原告以外の被告病院の複数の医師も上記同様の方法で薬剤の処方をしていたことが認められること・・・からすれば、このような薬剤の処方の仕方が原告に特有のものであったとは認め難く、また、原告以外の被告病院の医師に対し、このような薬剤の処方の仕方について、医師法22条等の違反を理由とする懲戒処分ないし懲戒処分には至らない指導等が行われていたとの事情はうかがわれないことからすると、被告病院においては、このような薬剤の処方の仕方が、業務上の都合により常態化していたものと認められる。

そうすると、原告による上記薬剤の処方の仕方が、犯罪事実が明らかになった場合(軽微な違反である場合を除く。)として、懲戒解雇事由である就業規則57条1項6号に該当するとまではいえない。
-診療の補助を超える医療行為の看護師への指示及び無資格者への同行為の施術指示-
「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被告病院で行う手術において、看護師又は臨床工学技士に対し、結紮、筋鉤引き及び電気メスの通電(以下、これらを併せて『結紮等』という。)を指示していたことが認められる。」
医師法17条の趣旨によれば、看護師又は臨床工学技士が医師の指示の下で結紮等をした場合であっても、看護師又は臨床工学技士の同行為が同条に抵触するおそれがあり、医師の指示行為も同条に抵触する可能性は否定できない。
しかしながら、証拠・・・によれば、被告病院においては、原告が平成21年4月に同病院で勤務を開始する以前から、医師の指示の下、看護師が手術の際に結紮等を行っていたこと、その後、手術に臨床工学技士が参画する際に、看護師からの強い要望があり、医師の指示の下、臨床工学技士が結紮等を行っていたことが認められることや、本件経営改善要望書に係る改善の要望においても、看護師又は臨床工学技士による結紮等を問題視して改善を求めることはされていないことからすれば、被告病院においては、看護師又は臨床工学技士による結紮等が常態化していたものと認められる。そうすると、原告による看護師又は臨床工学技士に対する結紮等の指示が、犯罪事実が明らかになった場合(軽微な違反である場合を除く。)として、懲戒解雇事由である就業規則57条1項6号に該当するとまではいえないし、同項18号に該当するともいえない。

3.明確に違法行為と判断されているわけではないが・・・

 上記各行為は法的にネガティブな評価が与えられてはいますが、明確に違法行為であると判示されているわけではありません。

 そのため、本件は、違法行為を理由とする懲戒を「みんなやっている。」「常態化している。」ことを理由に免れるかどうかを、直接的に判断した裁判例として位置づけられるわけではないと思います。

 しかし、法的にネガティブな意味合いを持つ行為であったとしても、それが企業内の誰もがしていることであったり、常態化していることであったりした場合、そのことが懲戒処分の効力を妨げる抗弁事由となり得ることを示唆した裁判例として理解することは可能だと思います。

 ただ、会社のために違法行為に手を染めても、いざ大事になると会社は普通に切捨てにかかってきますし、裁判所からも冷淡に扱われるので、何も良いことはありません。「みんなやっている。」「常態化している。」と言ったところで、多くの事案では立証できずに終わるのが関の山だとも思います。

 そのため、他の人がどうであろうが、違法行為には手を染めないことが一番であることは、間違いありません。

 

性同一性障害者が自認する性別に対応するトイレを使用する利益と行政措置要求の可能性

1.自認する性別に対応するトイレを使用する利益

 昨年12月、身体的性別は男性であるものの、自認している性が女性である方に対し、女性用トイレの自由な使用を認めなかったことを違法だと判示した判決が言い渡され、マスコミで話題になりました(※ 表現に関しては末尾注釈も参照のこと)。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53272270S9A211C1CC1000/

 この裁判例の判決文が近時公刊された判例集に掲載されていました(東京地判令元.12.12労働判例ジャーナル96-1 経済産業省職員(性同一性障害)事件)。

 判決は、

「性別は、社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われており、個人の人格的な生存と密接かつ不可分のものということができるのであって、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益として、国家賠償法上も保護されるものというべきである。このことは、性同一性障害者特例法が、心理的な性別と法的な性別の不一致によって性同一性障害者が被る社会的な不利益の解消を目的の一つとして制定されたことなどからも見て取ることができる。そして、トイレが人の生理的作用に伴って日常的に必ず使用しなければならない施設であって、現代においては人が通常の衛生的な社会生活を送るに当たって不可欠のものであることに鑑みると、個人が社会生活を送る上で、男女別のトイレを設置し、管理する者から、その真に自認する性別に対応するトイレを使用することを制限されることは、当該個人が有する上記の重要な法的利益の制約に当たると考えられる。そうすると・・・、原告が専門医から性同一性障害との診断を受けている者であり、その自認する性別が女性なのであるから、本件トイレに係る処遇は、原告がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることという重要な法的利益を制約するものであるということになる。

と性自認に一致するトイレを利用する利益が重要な法的利益であると位置づけたうえ、

「経産省(経済産業大臣)による庁舎管理権の行使に一定の裁量が認められることを考慮しても、経産省が・・・本件トイレに係る処遇を継続したことは、庁舎管理権の行使に当たって尽くすべき注意義務を怠ったものとして、国家賠償法上、違法の評価を免れない。

と女性用トイレの利用制限に国家賠償法上の違法性を認めました。

 民間にも波及する可能性のある画期的な判断だと思われます。

 ただ、判断の内容もさることながら、私は、この判決から読み取れる行政措置要求の可能性にも注目しています。

2.行政措置要求

 行政措置要求は、国家公務員法86条の、

「職員は、俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院若しくは内閣総理大臣又はその職員の所轄庁の長により、適当な行政上の措置が行われることを要求することができる。」

という規定を根拠にした仕組みです。

 この仕組みを利用して、国家公務員は、勤務条件の改善に向けた様々な要求を出すことができます。

 しかし、現状、行政措置要求の利用は、極めて低調です。

 人事院のHPによると、行政措置要求は、平成22年度から平成26年度までの5年間で、認容2件、棄却5件と7件しか判定が行われていません。

https://www.jinji.go.jp/kouheisinsa/index.html

 経済産業省職員(性同一性障害)事件で特徴的なのは、国家賠償請求だけではなく、行政措置要求の棄却判定の取消訴訟も併合して提起されていることです。

 訴訟提起に先立って、原告の方は、女性用トイレを自由に利用させることを要求事項とした行政措置要求を行っていました。

 人事院は、原告の方の要求事項を、

「申請者が女性トイレを使用するためには性同一性障害である旨を女性職員に告知して理解を求める必要があるとの経済産業省当局・・・による条件を撤廃し、申請者に職場の女性トイレを自由に使用させること」

と整理したうえで、要求(要求事項a)は認められないとの判定をしていました。

 本件では国家賠償請求のほか、上記判定に対する取消訴訟も提起され、これが認容されています。

 より具体的に言うと、裁判所は、

「本件トイレに係る処遇については、遅くとも平成26年4月7日の時点において原告の性自認に即した社会生活を送るといった重要な法的利益等に対する制約として正当化することができない状態に至っていたことは、上記・・・において説示したとおりである。しかしながら、本件判定は、本件トイレに係る処遇によって制約を受ける原告の法的利益等の重要性のほか、上記・・・において取上げた諸事情について、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮した事項の評価が合理性を欠いており、その結果、社会観念上著しく妥当を欠くものであったと認めることができる。」
「したがって、本件判定のうち要求事項aを認めないとした部分は、その余の原告の主張についての検討を経るまでもなく、その裁量権の範囲を逸脱し、又はその濫用があったものとして、違法であるから、取消しを免れない。

と判示しています。

3.行政措置要求の対象行為

 私が注目しているのは、トイレ使用の制限に関する事項が行政措置要求の対象行為であることを、人事院も裁判所も全く問題にしていないことです。

 行政措置要求の対象行為は、

「勤務条件であれば執務環境の整備、器具の設置等事実上の行為であると運用上のものであると、制度の改善要求とを問わないものとされ、その具体的内容は、職員団体の交渉事項の範囲と同じである。」

と理解されています(森園幸男ほか編『逐条国家公務員法』〔学陽書房、全訂版、平27〕743頁参照)。

 しかし、

「勤務条件でない事項については行政措置要求を行うことはできない」

とされているほか、

「管理運営事項については、これを行政措置要求の対象とすることはできない」

ともされています(前掲文献743-744頁参照)。

 紛争実例が少ないうえ、管理運営事項と勤務条件は密接に関連していることから、何が対象になって何が対象にならないのかの線引きが外部からは、極めて分かりにくい様相を呈していました。

 トイレの利用の可否のような施設管理に関わる事項までが対象になり得るとすれば、行政措置要求の対象行為は、かなり広く構成することができるのではないかと思います。

4.行政措置要求の持つ可能性

 行政措置要求の優れたところは、具体的な措置を要求できる点にあります。国家賠償請求では金銭を要求できるだけですが、行政措置要求では必要な作為を求めることができます。

 経済産業省職員(性同一性障害)事件の主文第1項は、

「人事院が平成27年5月29日付けでした国家公務員法(昭和22年法律第120号)第86条の規定に基づく原告による勤務条件に関する行政措置の各要求に対する平成25年第9号事案に係る判定のうち原告が女性トイレを使用するためには性同一性障害者である旨を女性職員に告知して理解を求める必要があるとの経済産業省当局による条件を撤廃し、原告に職場の女性トイレを自由に使用させることとの要求を認めないとした部分を取り消す。

となっています。

 判決が確定すれば、行政は判決の趣旨に従った措置をとらなければならなくなります。

 性同一性障害の方に限らず、就労にあたり行政に対して一定の配慮を求めたい公務員の方、一定の配慮さえあればより自分らしく働けると考える公務員の方は、決して少なくないだろうと思います。

 そういった方は、行政措置要求の積極的な活用を検討してみても良いかもしれません。

 

※ 令和2年3月18日注釈追記

 冒頭の「身体的性別は男性であるものの」との表現を「戸籍上の性別は男性」とすることへの問題提起を頂きました。

 このことに関する私の認識を追記します。

 上記表現は判決文の表記に準じています。

 判決文中の文言として抜き出すと、原告の方は、

「原告の身体的性別(生物学的な性別)は男性であり、自認している性別(心理的な性別)は女性である。」

と認定されています。

 表現を訂正すべきかに関しては、改めて検討しましたが、判例紹介という本記事の性質上、判旨を正確に理解するにあたっては、要約においても可能な限り原典の表現をそのまま活かした方が好ましいとの立場から、冒頭の表現は判決文に従った形を維持することにしました。

 判決が上記のような文言を用いたことの当否、ブログでの紹介の仕方の当否(紹介にあたってまで原典の表現をそのまま踏襲する必要があるのか)に関して、傾聴すべき見解があることは理解しましたが、法専門家としての私の考え方は上述のとおりです。

 

退職にあたり清算条項付きの書面を取り交わしていても、残業代を請求できる可能性はある

1.残業代請求の阻止を意図した清算条項

 退職にあたり、使用者から清算条項付きの合意書の取り交わしを求められることがあります。

 清算条項というのは、

「甲と乙は、本合意書に定めるほか、何らの債権債務もないことを、相互に確認する。」

といった文言の条項です。

 清算条項付きの合意書を交わしてしまうと、それまで存在していた法律関係は、文字通り清算されてしまうことになります。

 こうした効果があることを踏まえ、残業代の請求を阻止するために、労働者に対して清算条項付きの合意書を求める使用者は、少なくありません。

 それでは、退職に対して、清算条項付きの書面を差し入れてしまった場合、残業代を請求する権利も清算されてしまい、以降、労働者は残業代を請求することができなくなってしまうのでしょうか?

 この点が問題になった近時の裁判例に、大阪地判令元.12.20労働判例ジャーナル96-64 はなまる事件があります。

2.はなまる事件

 本件で被告になったのは、中古車自動車の買い取り及び販売等の事業を行う会社です。

 原告になったのは、被告の管理本部情報システム部課長等として勤務していた方です。

 本件は、原告が退職後に被告に対して残業代を請求した事件です。

 原告が退職する際、被告は、

「このたび、一身上の都合により・・・退職致します。なお、貴社に対して、る同契約用、何らの債権債務がないことを確認します。」

との記載がある退職届の提出を求めました(本件退職届)。

 原告は、被告からの求めに応じ、署名・押印した本件退職届を郵送提出しました。

 はなまる事件では、本件退職届の記載によって、原告が残業代を請求する権利を放棄したといえるのではないのかが争点の一つとなりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、本件退職届の文言は、残業代請求の妨げにはならないと判示しました。

(裁判所の判断)

本件退職届に記載されたいわゆる清算条項は、実質的に本訴請求に係る時間外割増賃金等を放棄する趣旨を含むものであるところ、このような賃金債権の放棄については、労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときに有効となる(最二小判昭48・1・19民集27巻1号27頁参照)。
「そして、前記前提事実のとおりに認められる、医師作成の診断書に記載された診断内容・・・及び無断欠勤を継続していた原告の行動状況・・・等に照らせば、被告が指摘するごとく、被告から書面の送付を受けた後に数日程度の時間経過があったとしても、十分な判断能力を備えた状態において検討がされたものではない可能性があり、さらには、本件全証拠によっても、このような賃金債権を放棄することによって原告が得られるそれに見合った利益の存在等を認めることはできないのであって、以上によれば、上記にいう合理的な理由が客観的に存在しているとは評価し得ない。
「このようにして、本件退職届の記載によって原告が本訴請求に係る賃金債権を放棄したとは認定できず、これに反する被告の主張は採用できない。」

3.健康状態も残業代請求が妨げられないとした理由の一つではあるが・・・

 本件の原告は、退職に先立って、被告を無断欠勤していました。被告が処分を示唆して自主退職を希望する場合には本件退職届に署名・押印して返送することを求めたところ、原告が不安障害との病名が付された診断書とともに本件退職届を被告に対して郵送提出したという経緯があります。

 そのため、本件の判示事項は、健康状態に全く問題がなかった場合にまで直ちに一般化できるわけではないとは思います。

 しかし、残業代を請求する権利を放棄・清算してしまうことは、労働者にとって一方的に不利益で、何の合理性もありません。こうした不合理な約定は、交わしてしまっていたとしても、その効力を否定できることがあります。

 本件では、結論として、被告に963万6251円もの残業代の支払が命じられています。

 ハードな残業をしていた方の場合、残業代が相当な規模に膨らんでいることは決して珍しいことではありません。また、「賃金の支払いの確保等に関する法律」という法律があり、退職日の翌日からは14.6パーセントもの遅延損害金を請求することができます(同法律6条1項)。

 退職にあたり、清算条項付きの書面を差し入れてしまっているケースでも、救済の可能性はあるため、気になる方は弁護士のもとに一度相談に行ってみても良いのではないかと思います。

 もちろん、当事務所でご相談に応じさせて頂くことも可能です。

 

人事評価に基づく賃金減額を伴う降格の有効性

1.人事評価(人事考課)

 人事考課とは、

「企業内における労働者の職務の遂行度、業績、能力等の評価」

であるとされています(山川隆一ほか編著『労働関係訴訟Ⅰ」〔青林書院、初版、平30〕142頁参照)。

 人事考課は、昇進、昇格・昇給、降格のほか、ボーナス等の金額の決定に重要な役割を果たしています。人事考課の場面で使用者に認められる裁量は、昇進等労働者の利益になるものと、降格等労働者に不利益を与えるものとで差があり、前者では広く、後者では狭くなると理解されています(前掲文献同頁参照)。

2.職能資格制度のもとでの降級

 職能資格制度とは、

「職務内容、権限の観点からの役職(職位)と、職務遂行能力の観点からの職能資格との2つの観点から労働者を評価する制度」

をいいます(前掲文献135頁)。

 この仕組みのもとでは、先ず労働者の職務遂行能力によって職能資格が格付され、一定の職務資格を有する労働者の中から当該職能資格に対応する役職につく者が選ばれます。技能習得や職歴の貢献の累積は消えることがないため、職能資格の引き下げは本来予定されていません。そのため、降級(職能資格を引き下げる降格)が可能なのは、制度上、その権限が就業規則等により明示的に規定されている場合に限られますし、裁量の逸脱・濫用が認められるか否かを判断するにあたっての高級理由の合理性も、厳格に判断するべきであると理解されています(前掲文献140-141頁)。

3.学校法人追手門学院(降格等)事件

 上述のとおり、職能資格の引き下げにあたって使用者に認められる裁量は、それほど広くはないというのが一般的な理解であったと思います。

 しかし、近時公刊された判例集に、人事評価に基づく賃金減額を伴う降格の許否を判断するにあたり、使用者に広範な裁量を認めているかのような規範を定立した裁判例が掲載されていました。

 大阪地裁令元.6.12労働判例1215-46 学校法人追手門学院(降格等)事件です。

 本件で被告となったのは、追手門学院大学等を設置する学校法人です。

 原告になったのは、追手門学院大学の事務職員の方です。

 平成27年度と平成28年度と二回連続で人事評価が芳しくなかったつぃて、職能等級を4等級から3等級へと下げられ、これに伴い本俸月額が44万3300円から38万1800円へと減額されました(本件降格)。

 本件降格の有効性が争われたのが本件です。

 裁判所は次のような規範を定立したうえ、人事権の濫用は認められないとし、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の定立した規範)

「契約上の根拠に基づく降格は、被告の人事評価権に基づくものである限り、原則として使用者である被告の裁量に委ねられるものの、著しく不合理な評価によって、原告に大きな不利益を与える場合には、人事権を濫用としたものとして無効になると解するのが相当である。」

4.かなり広範な裁量を許容したように読めるが・・・

 伝統的な理解に従えば、職能資格の引き下げの場面で使用者に認められる裁量はそれほど広くないはずですが、学校法人追手門学院(降格等)事件では、

著しく不合理な評価」

大きな不利益」

といったように、使用者に広範な裁量を認める文言が用いられています。

 ただ、そうはいうものの、裁判所は、人事権の濫用が認められるか否かを、具体的事実に照らし、かなり丁寧に認定しているようにも思われます。

 降格に関しては、議論が錯綜していて、依拠すべき規範が分かりにくい様相が呈されています。本件のような裁判例の存在は、具体的な事案における結論の予想を、更に困難にするものと思われます。

 

ハラスメントの認定と具体的状況の立証

1.ハラスメントの認定と具体的状況

 暴言や権利行使を断念させるといった明らかに不適切な行為がなされているにもかかわらず、裁判所が不法行為への該当性(慰謝料の発生)を認めないことがあります。

 そのような時、不法行為を認定できない理由として、しばしば、具体的な状況が明らかではないからだといった説示がなされます。どのような状況であろうが、言ってはならないこと、してはならないことはあるのではないかと思われますが、不法行為への該当性を立証するには、経緯や具体的状況の立証ができるかが鍵になります。

 近時の公刊物にも、そのことが端的に伺われる裁判例が掲載されています。

 東京地裁令元.9.4労働経済判例速報2403-20 エアースタジオ事件です。

 これは、同一人物であったとしても、従事している業務の内容によって労働者であったりなかったりすること(稽古・出演の時は労働者でなくても裏方業務をしている時は労働者に該当すること)を判示した裁判例として以前紹介した事件と同じ事件です。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/02/20/010316

 以前引用した判例集(労働判例ジャーナル)とは別の判例集(労働経済判例速報)に掲載されていたことから、別の切り口から改めてご紹介させて頂きます。

2.東京地裁令元.9.4労働経済判例速報2403-20 エアースタジオ事件

 この事件は劇団員として活動していた原告が、労働者性を主張して残業代を請求するとともに、ハラスメントを受けたとして損害賠償を請求した事件です。

 ハラスメントとの関係で問題になったのは、労働基準監督署への相談の取消を促されたことです。

 ハラスメントに関して原告がした主張は次のとおりです。

(原告の主張)

「本件劇団における原告の労働時間は、異常なほど長時間であり、わずかな睡眠時間しか確保できなかったため、原告の心身は傷ついていった。自助努力により空き時間を作っても、別の仕事を入れられて休めなくされたり、原告が体力、精神力ともに限界に近づいたとき、本件劇団の上司につらい状況を申告した際、『お前はなんも偉くねえんだよ、勘違いするな』と暴言を吐かれるなどした。」
「原告は、平成25年7月28日、睡眠時間が全く確保できず、二日間ほぼ徹夜で仕事をした翌日に遅刻をしてしまったところ、P3は、原告の言い分を聞くことなく、他の出演者の前で、平手で原告の顔面を殴打する暴行を加えた。」
「原告が被告を退職した後、労働基準監督署(以下『労基署』という。)に未払賃金について相談し、労基署の助言を受けて、原告が、平成28年10月26日、被告に対し、未払賃金を請求する旨の通知をしたところ、被告従業員のP5は、原告に執拗に電話をしたり、原告の自宅を訪れたりした。P5は、同年12月には、原告の新しい勤務先に電話を架け、勤務先で原告を待ち伏せるなどした上、出勤してきた原告を見つけ、『あの請求は仕返しのつもりか。』、『お前がその気ならば、二人(原告と原告の交際相手)にとことん仕返しをする。』、『今すぐ労基署に電話して相談を取り下げろ』などと脅迫した。原告は、恐怖のあまり、近くのファミリーレストランへ行き、P5を前に労基署に電話を架け、相談を取り下げる旨を担当者に伝えた。原告は、同月26日、再び労基署に電話をし、取り下げた経緯について担当者に説明し、再度相談として取り扱ってほしい旨伝えた。」

 これに対する被告の反論は、次のとおりです。
(被告の主張)
「被告が、原告に対し、パワーハラスメントを行ったことはない。」
労基署への相談の取下げは、P5が原告との間で友好的に話合いをし、原告が応じて真意で取り下げたものである。P5は、原告と話をしたために原告が会社に遅刻してしまったため、原告とともに会社へ行き謝罪した。」

 暴行の点はともかく、労働基準監督署への相談を取り下げた経緯に被告側の従業員が関与していたことは、被告も認めています。

 これは明らかに不適切な行為であるとは思いますが、裁判所は次のとおり述べて不法行為への該当性を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、本件劇団における業務が長時間にわたっていたこと、平成25年7月28日にP3から暴行を受けたこと、平成28年12月にP5から労基署への相談を取り下げさせられたことが不法行為に該当する旨主張する。」
「しかし、前記認定のとおり、一公演当たり稽古期間が10日間、本番期間が6日間であったことからすると、本件劇団における活動時間が長時間にわたっていたのは、原告自身が任意に出演者として参加するために必要な稽古等に相当な時間が割かれていたことが理由の一つであることがうかがわれるから、出演を含む本件劇団の活動に多くの時間を割いていたとしても、不法行為が成立するとは認められない。また、P3の暴行については、これを認めるに足りる的確な証拠がなく、労基署への相談の取下げの促しについては、相談の取下げを促すこと自体は適切とはいいがたいものの、その際の具体的状況を認めるに足りる的確な証拠はなく、不法行為法上の違法な態様で行われたとまでは認められない。
「したがって、原告の、パワーハラスメント等を理由とする不法行為及び使用者責任に基づく損害賠償請求には理由がない。」

3.録音等の重要性

 労働基準監督署への相談の取り下げに使用者が関与することは、明らかに適切でない行為だと思います。

 しかし、そのような行為でさえ、具体的な状況を詳細に認定することができないと、不法行為への該当性を否定されてしまします。

 本件で注目されるのは、原告がある程度具体的なストーリーを語れていることです。

 脅された経緯やファミリーレストランに行って労働基準監督署に電話をかけて取り下げたことなど、経緯・状況を主張できていないわけではありません。

 しかし、被告側の

「原告との間で友好的に話合いをし、原告が応じて真意で取り下げた」

との反論だけで、結局、具体的状況は曖昧なものとして取り扱われ、不適切な行為であることまでは認められたものの、不法行為への該当性は否定されてしまいました。

 東京高判令元.11.28労働判例1215-5 ジャパンビジネスラボ事件の判決以来、職場での録音が許容されないかのような極端な言説も散見されますが、同事件はかなり特殊な事実関係を前提とした判断であるうえ、就業環境が問題となる事件での録音の可否まで判断したものではありません。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/01/21/004408

 ハラスメントを問題にするにあたっては、具体的状況がきちんと分かるよう、録音などの客観的な証拠を押さえておくことが極めて重要です。

4.労働審判とで結果が大きく変わった事件

 本件では労働審判が訴訟に先行しています。

 労働審判では、被告が原告に対し200万円を支払うことが命じられていました。

 これが原告側の異議によって本訴移行したのが本件です。

 労働者性に関する原告の主張が一部認められたものの、裁判所が言い渡した判決は、

「被告は、原告に対し、51万6502円及びこれに対する平成28年6月11日から支払い済みまで年14.6パーセントの割合による金員を支払え」

というものでした。

 一般論として、労働審判で開示された心証と、本訴移行後の裁判での結論が変わることは、それほど多くあるわけではありませんが、本件は、

結論が大幅に変わることも、決してないわけではないこと、

異議申立にあたっては、それが藪蛇になる可能性も、きちんと検討しておく必要があること、

を示す事案としても注目されます。