弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

経営者と対立する考え方を持っているからといって、それ自体が非難の対象となることはない

1.経営者や上司と対立することは、それ自体が非難されるようなことなのか?

 経営者や上司との対立から、解雇や雇止めに至ることは、それほど珍しいことではありません。

 しかし、業務命令違反や職務怠慢がある場合はともかく、経営者や上司と異なる考え方を持ち、それを表明することは、非難されるようなことなのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり示唆を与えてくれる裁判例が、近時の判例集に掲載されていました。

 広島高裁平31.4.18労働判例1204-5 学校法人梅光学院ほか(特任准教授)事件です。

2.学校法人梅幸学園ほか(特任准教授)事件

 この事件で原告・控訴人になったのは、大学の特任准教授の方です。

 被告・被控訴人になったのは、大学を経営する学校法人です。

 平成27年4月1日、原告は被告から大学における特任准教授として1年任期で雇用されました。

 被告の募集要項には、

「任期1年。ただし、更新することがある(最大2回まで最長3年まで雇用することがある)。被告法人の判断により、その後も、再度採用選考の上、雇用することがある。」

と記載されていました。

 また、被告の就業規則には

「契約更新により、最初の契約の開始日から更新後の契約の終了日までの通算した契約期間が5年を超えるときは・・・有期労働契約を更新しない。」

との更新限度条項がありました。

 このように有期労働契約は一定の限度で更新があり得るとされていたのですが、原告の方は、1回も契約を更新されることなく、平成28年2月24日、被告から同月3月31日をもって雇止めとなることを通知されました。

 これに対して、雇止めの有効性を争い、原告の方が地位確認等を求めて被告や被告の元代表者を訴えたのが本件です。

 雇止めの有効性を判断する中で、裁判所は次のように判示しています。

「控訴人が被控訴人法人の経営状況が悪化する中で、被控訴人丙川が理事等の行おうとしている改革とは別の改革案を検討し、その検討グループに控訴人が加わっていたこと、被控訴人丙川は、その検討結果に基づき、『学院長声明』として改革案を提案する状況にまで至ったが、これを表明するには至らず、改革案の提案を断念したこと、被控訴人法人が上記のとおり控訴人との更新を前提とした準備をしていたにもかかわらず、本件雇止めを行ったのは、控訴人が上記の行動を取ったことなどから理事に対決する姿勢をとったと見られたことに原因があることを認めることができる。しかし、控訴人がその当時被控訴人法人代表者であった被控訴人丙川と共に被控訴人法人の改革案を検討したこと自体を非難されるいわれはなく、また、その後に控訴人に不当な動きがあったと認められないことは、後記(3)で訂正の上引用する原判決記載のとおりであって、これらの経緯は、控訴人の契約更新の期待についての合理的な理由を消滅させる事情とはいえないし、かえって、本件雇止めが濫用的なものであることをうかがわせるものである。

3.正解が一つでない問題に色々な考え方を持つことは悪いことではない

 裁判所は、

「本件就業規則には本件更新限度条項、すなわち、有期労働契約を更新する場合、最初の契約の開始日から更新後の契約の終了日までの通算期間が5年を超えるときは、これを更新しないとされており、契約期間が5年までは更新し得ることが明記されていたものである。」

「合理的期待が高度のものである本件においては、本件募集要項の記載を根拠に、3年を超える雇用契約の継続が合理的に期待できる状態ではなかったとはいえない。」

とし、結論として平成31年3月31日(判決言渡=平成31年4月18日までなのでその直近)まで雇用契約上の権利を有する地位にあったことを認め、同日までの賃金請求を認容しました。

 法人としての最終的な意思決定や、気に入らない業務命令に対し、命令違反・職務放棄といった対応をとっていたのであればともかく、ルールを逸脱することなく、自分の立場を表明したり、経営側とは異なる確度から法人の改革案を検討したりすることは、それ自体責められるようなことではありません。

 1回も契約が更新されていなかったにもかかわらず、比較的思い切った判断がされているのは、原告がいわゆる仕事のできる方であった反面、非違行為とされるような事情が見当たらなかったことが影響しているのではないかと思われます。

 先日も、

「上司と先輩の死因に疑問『調査主張したら解雇された』 と主張、労働審判申し立て」

との記事が掲載されていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190910-00010111-bengocom-soci

 会社側は、

「明電舎は女性の上司・先輩社員が亡くなったことは認めたものの、『遺族の了解を得ていないので、詳細は控えたいが、長時間労働の事実はなかった』と回答した。」

「試用期間中の解雇という女性の主張に対しても、1年間の有期雇用で契約満了による退社だとしている。」

との見解を表明しており、現時点では労働側と会社側のどちらの言い分に理があるのかは分かりません。

 しかし、記事のように会社の見解と対立的な意見・姿勢を持ったことと、労働者としての地位の喪失との結びつきが問題となる紛争は、古くから数多く存在します。

 こうしたトラブルに巻き込まれそうになったとき、少なくとも法人をより良くするための案を検討しただけで非難されるようないわれはないことは、覚えておいて良いのではないかと思います。

 

相談しても解決しない? フリーランスのハラスメント被害

1.フリーランスのハラスメント

 ネット上に、

「フリーランスの6割パワハラ、4割セクハラを経験 相談機関なく泣き寝入りも」

という記事が掲載されていました。

https://news.yahoo.co.jp/byline/iijimayuko/20190910-00142072/

 記事は、

「特定の企業や組織に属さずに、個人で仕事を請け負うフリーランス。その数は300万人を超えるとの内閣府の試算もあるが、多様な働き方の一方で、フリーランスを守る法令は不十分なままだ。

「フリーランスに関する3団体が行った実態アンケートでは、フリーランス経験者のうち、パワハラを受けた人が61.6%、セクハラを受けた人が36.6%にのぼり、ハラスメント被害経験のある45.5%が誰にも相談できていなかったことが明らかになった。」

とフリーランスを守る法令が不十分であることを問題提起しています。

 確かに、十分とは言えないかも知れませんが、現行法の枠内でも、それなりの対応は可能です。

 どうにもならないと諦めてしまう人が出ないように、どのようなことができるのかを記しておきたいと思います。

2.精神的な攻撃、過大な要求、経済的な嫌がらせについて

 記事には、

「ハラスメントの内容は、『精神的な攻撃(脅迫、人誉毀損、侮辱、ひどい暴言)』が59.4%(724人)でもっとも多く、『過大な要求』42.4%(517人)、『経済的な嫌がらせ』39.1%(476人)と続いた。」

と書かれています。

 脅迫、名誉棄損、侮辱に関しては、脅迫罪(刑法222条)、名誉棄損罪(刑法230条)、侮辱罪(刑法231条)という犯罪が定められています。

 日常用語で用いられる脅迫、名誉棄損、侮辱が犯罪としての成立要件を満たすものかどうかは個別の検討が必要ですが、少なくとも、こういった行為の一部は犯罪として問題にすることができます。

 また、犯罪としての成立要件が満たされなかったとしても、別途、民事上の不法行為として直接の加害者や、加害者の使用者に対して損害賠償を請求できる可能性があります(民法709条、民法715条)。

 ひどい暴言についても、民事的に問題にできる余地はあるだろうと思います。

 また、「過大な要求」、「経済的な嫌がらせ」は、契約時に契約書をしっかりと作りこんでおくことにより予防可能です。

 何が要求されるのかを明確に定義しておけば、過大な要求は「それは契約上の義務を超える要求ですよね。」という理屈で断ることができます。

 どういう条件のもとで報酬が発生するのかをきちんと決めておけば、嫌がらせをしようにも、嫌がらせをされる余地はぐっと減るだろうと思います。

 きちんとした契約書は、弁護士に相談してくれれば、作ることが可能です。

3.プライベートへの立ち入り、容姿等への言及、性的な質問について

 記事には、

「『プライベートを詮索・過度な立ち入り』33.7%(410人)、『容姿・年齢・身体的特徴について話題にした・からかわれた』33.6%(409人)、『性経験・性生活への質問、卑猥な話や冗談』28.5%(347人)とセクハラ被害が相次いだ。」

と書かれています。

 高額の慰謝料が見込める事案は限定されてくるとは思いますが、プライバシー侵害は不法行為となりますし、容姿等への言及や性的な質問も、度を越えれば違法性を持つだろうと思います。

 また、こうした嫌がらせに対しては、代理人弁護士名で、止めて欲しいと要望書や警告書を出すことも一定の効果を発揮することがあります。

4.ギャラ未払い、局部を触られること、イラストの権利主張への難癖等について

 記事には、

「『打ち合わせと称して、ホテルに呼び出されてレイプされた』(女性40代、映像製作技術者)、『仕事で取引のある会社の社長に新事業を見て欲しいと言われ地方出張へ出向いたところ、ホテルで性的関係を迫られた』(女性20代、アナウンサー)、『主催者の自宅で稽古をすると言われて行ったら、お酒を飲まされて性的な行為をさせられた』(20代女性、女優)、『お尻を触られる、局部を触らされる』(男性30代、脚本家)といった深刻な性暴力被害が明らかになった。」

「また、『ギャラ未払いに対する支払い要求に逆ギレされた』(30代女性、女優)、『イラストの権利を主張した際、金の亡者と言われ謝罪させられた』(20代女性、イラストレーター)など、ギャラの支払いをめぐるトラブルをあげる声も複数あった。

 性暴力に関しては、強制性交罪(刑法176条)、強制わいせつ罪(刑法176条)、準強制わいせつ及び準強制性交罪(刑法178条 酩酊させて抗拒不能に乗じてわいせつな行為を行うことなどをカバーする罪です)といった形で刑事責任を問うことが可能です。もちろん、こうした行為は不法行為を構成するため、民事上の損害賠償請求も可能です。

 ギャラの未払いに関しては、ギャラの支払いを求めて訴訟提起するなどの措置をとることができます。金額が少なく事案も単純だという場合、裁判所の窓口で訴状の書き方を教えてもらえることもありますし、法律相談の中で弁護士に訴状に書く内容の骨子を聞くという方法も考えられます。民事調停といって、比較的自力で行いやすい手続もあります。

 イラストの権利を主張するなどの正当な権利行使に対して謝罪を強要することも、許されることではありません。脅迫や暴行が手段として謝罪が強要されている場合には、強要罪(刑法232条)として問題にできる可能性もあります。

 強迫による意思表示は取り消すことが可能なので(民法96条)、脅かされて権利を放棄したとしても、著作権の確認訴訟を提起することで権利の回復を図ることができます。

5.相談してくれれば、ある程度解決の仕方を提示することは可能

 記事によると、

「ハラスメント被害を相談しなかった理由として、『相談しても解決しないと思った』56.7%(240人)、『人間関係や仕事に支障が出る恐れ』53.7%(227人)、『不利益を被る恐れ』42.8%(181人)が上位をしめ、『どこに相談すればよいか分からなかった』37.8%(160人)という声もあった。」

と書かれています。

 何が解決なのかは人によって違うので、一概にお悩みを解決できるとは言い切れません。しかし、現行法上できることについて、ある程度の解決の仕方を提示することは可能だと思います。

 解決しないと思って最初から相談しないというのは、少し早計かなと思います。

 また、ハラスメントを止めるように言って、損なわれてしまうような人間関係については、果たして守るほどの価値があるのだろうかという気がします。ハラスメントの指摘に対して、不利益を科してくるような相手との関係も同じです。

 我慢してハラスメントに耐えながら仕事をするよりも、人の嫌がるようなことを敢えてしてきて、注意しても止めてくれないような人を相手に取引をするのは止めると開き直ってしまう方が、楽しく幸せに働くことができるのではないかとも思います。

 相談しないのは、やや勿体ないので、一人で悩んでいるくらいであれば、取り敢えず、弁護士に相談してみてはどうかと思います。

 

退職届の提出は慎重に-自由な意思に基づいていないとの理屈は通用しにくい

1.退職届けを撤回したい

 勤務先に提出した退職届けを撤回することができないかという相談を受けることがあります。

 売り言葉に買い言葉で勤務先に退職する意思を示してしまったものの、冷静になって考えてみて、早まったことをしたと後悔される方は、決して少なくありません。

 しかし、民法上、意思表示は、錯誤や詐欺、強迫といった問題がない限り、その効力を取り消すことができないのが原則です。

 ただ、労働法の領域においては、意思表示に欠缺や瑕疵がなかったとしても、

「自由な意思に基づいていない」

との理屈で意思表示や合意の効力を否定できることがあります。

 例えば、

退職金を放棄してしまった場合、

賃金や退職金を引き下げることに同意してしまった場合、

妊娠中の軽易業務への転換を契機として降格されることに同意してしまった場合

などが、その典型とされています。

 こうした場合、錯誤、詐欺、強迫といった事情がなかったとしても、自由な意思に基づいていないことを理由に合意の効力を否定できる余地があります。

 では、この、

「自由な意思に基づいていない」

という理屈は、退職の意思表示をした場面でも通用するのでしょうか。

 この点が問題になった事案が、公刊物・判例データベースに掲載されていました。東京地判平31.1.22労働判例ジャーナル89-56ゼグゥ事件LEX/DB25562990です。

2.ゼグゥ事件

 この事件で原告になったのは、フランス共和国に属するニューカレドニアの現地法人と提携して結婚式をコーディネートする事業を行っていた株式会社です。

 被告になったのは、原告を退職した従業員の方です。

 原告は、被告が在職中に結婚式用の小道具91点を第三者に無償譲渡したとして、小道具の時価、逸失利益、弁護士費用等の損害賠償を請求しました。

 これに対し、被告は、小道具当の譲渡は原告の指示に従っただけだと争いました。また、退職届けは、このままでは原告に解雇され、損害賠償まで請求されると誤信して提出したものであり、錯誤に基づいているほか、自由な意思に基づく効果意思が欠缺していたと主張し、退職の意思表示は無効であるとして、逆に未払賃金を請求する訴え(反訴)を起こしました。

 原告の請求は言い掛かりに近いもので、比較的簡単に排斥されています。

 しかし、裁判所は、自由な意思に基づいていないから退職届けの提出が無効であるとする被告の主張も、次のように述べて排斥しました。

(裁判所の判断)

賃金に当たる退職金債権の放棄(シンガー・ソーイング・メシーン事件判決)、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に係る同意(山梨県民信用組合事件判決)、女性労働者につき妊娠中の軽易な業務への転換を契機として降格させる事業主の措置に対する同意(広島中央保健生協事件判決)などの存否が問題となる局面においては、労働者が、使用者の指揮命令下に置かれている上、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力も限られており、使用者から求められるがままに不利益を受け入れる行為をせざるを得なくなるような状況に置かれることも少ないことから、『自由な意思と認められる合理的な理由』を検討して慎重に意思表示の存否を判断することが要請されているものと解される(山梨県民信用組合事件判決に関する判例解説(法曹時報70巻1号317~321頁)参照)。これに対し、退職届の提出という局面においては、労働者は使用者の指揮命令下から離脱することになるうえ、退職に伴う不利益の内容は、使用者による情報提供等を受けるまでもなく、労働者において明確に認識している場合が通常であり、上記各最高裁判決の判旨が直ちに妥当するとは解しがたい。
「本件退職届について検討しても、その提出に伴う本件雇用契約の解消という不利益は、被告においても十分に認識していたものであるし、原告との指揮命令関係の存在ゆえに本件退職届の提出を余儀なくされたという事情も特に窺われず、本件雇用契約の解消に係る効果意思が欠缺していたとは認めがたい。そして、原告代表者から解雇や損害賠償をほのめかされたゆえに本件退職届を提出したという被告の主張する点については、基本的には、退職の意思表示の存在を前提として、錯誤等の意思表示の瑕疵に関する民法の規定の適用において検討されるべき問題であるといえる。そうすると、本件退職届の送付により被告が原告に対して退職の意思表示がなされたこと自体は否定しがたく、自由意思に基づく効果意思の欠缺を理由として退職の意思表示の不存在又は無効をいう被告の主張を採用することは困難である。」

3.退職届けの提出は慎重に

 上記のとおり、裁判所は、退職金放棄の場面、退職金や賃金の引き下げの場面、妊娠中の軽易作業への転換を契機とする降格に同意する場面などに適用されている民法の意思表示理論の修正法理(自由意思に基づいていないからダメという理屈)を、退職届けの提出の局面において適用することに消極的な判断を示しました。

 退職届けは、一旦提出してしまうと、その効力を否定することが必ずしも容易ではありません。

 使用者からの損害賠償請求は、そう簡単に通るようなものではありません。難癖に近いものであれば猶更です。腹の立つことを言われても、売り言葉に買い言葉で退職を告げるようなことは控え、退職届けを出すか否かを判断するにあたっては、一呼吸おいてから意思決定する冷静さが必要です。

 

問題行動のある入居者を退去させるためにも立退料が必要?

1.家の貸主は弱い?

 ネット上に、

「いまだ住所不定の山本太郎氏が借地借家法改正に取り組んだら」

という記事が掲載されています。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190908-00000010-pseven-soci&p=3

 記事には、

「借地借家法は借り主保護のために作られた法律で、貸し主からの不当な賃貸借契約の解約を禁じているのだが、その中身がかなり貸し主に不利なものなのだ。たとえば、賃貸借契約は2年か3年で更新される場合が多いが、この更新は自動的に行われ、貸し主が更新を断ることは基本的にできない。また、借り主に問題行動などがあって、『出て行ってもらいたい』と思っても、退去してもらうにはそれに相当するかなり強い事由が必要で、プラス立ち退き料の支払いも求められるのが普通だ。

「借り主の保護を目的としている借地借家法の意義を認めた上で、もう少し貸し主の権限も保証するような法改正ができないものか。トラブルメーカーの入居者が住みついて、追い出すことができず、苦労をしている大家は少なくない。その類の話を耳にするたび、そんなふうに思う。」

と書かれています。

 しかし、この記事は少し誤解を招きそうだなと思っています。

 別に現行法制のもとでも、それなりに強い事由があれば、立退料なしでトラブルメーカーの入居者を追い出すことは可能です。

2.立退料が必要になるのは

 借家の「立退料」とは、正確に言うと、借地借家法28条に規定されている「財産上の給付」のことです。

(借地借家法28条)

建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。

 法文を見れば分かるとおり、財産上の給付(立退料)の話が出てくるのは、

「第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れ」

の場面だけです。

 借地借家法26条1項は、

「建物の賃貸借について期間の定めがある場合において、当事者が期間の満了の一年前から六月前までの間に相手方に対して更新をしない旨の通知又は条件を変更しなければ更新をしない旨の通知をしなかったときは、従前の契約と同一の条件で契約を更新したものとみなす。ただし、その期間は、定めがないものとする。」

と規定しています。

 つまり、「財産上の給付」が必要になるのは、入居者・賃借人・入居者の側に何ら責任がないにもかかわらず、賃貸人の側から賃貸借契約の更新拒絶や解約を申し出る場面だけです。

 入居者・賃借人の側に債務不履行があり、これに基づいて賃貸借契約を解除し、建物からの退去を求める場面において、立退料を支払う必要はありません。

3.問題行動は契約違反(債務不履行)

 入居者・賃借人の債務は賃料の支払いに限られるわけではありません。

 民法616条、594条1項は、

「借主は、契約又はその目的物の性質によって定まった用法に従い、その物の使用及び収益をしなければならない。」

と規定しています(用法遵守義務)。

 また、国土交通省が公表している「賃貸住宅標準契約書」では、

「大音量でテレビ、ステレオ等の操作、ピアノ等の演奏を行うこと。」
「猛獣、毒蛇等の明らかに近隣に迷惑をかける動物を飼育すること。」
「 本物件又は本物件の周辺において、著しく粗野若しくは乱暴な言動を行い、又は威勢を示すことにより、付近の住民又は通行人に不安を覚えさせること。」

などを賃借人の禁止行為としており、迷惑行為が債務不履行を構成する建付けとされています(第8条3項、別表1参照)。

https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000019.html

https://www.mlit.go.jp/common/000991359.pdf

 賃貸借契約の解約に、それなりに強い事由がなければならないのは、その通りです。

 しかし、問題行為がそれなりに強い事由である場合、用法遵守義務をはじめとする契約上の義務の不履行を理由に、賃貸借契約を債務不履行解除し、建物の明渡を求めることができるため、立退料を支払う必要はありません。

 この意味において、

「かなり強い事由が必要で、プラス立ち退き料の支払いも求められるのが普通だ。」

というのは誤解を招く表現か、あるいは、間違った理解だと思います。

4.実際の裁判例

 実際、用法遵守義務違反や迷惑行為を理由とする賃貸借契約の債務不履行解除を認めた裁判例はたくさんあります。

 例えば、東京地判平29.9.12LLI/DB判例秘書登載は、

室内を通る排水管を棒で叩いて大きな音を立てる、ベランダの隔壁版を棒で叩いて大きな音を立てる、近隣住戸のドアを叩く、近隣住戸のポストに住民を中傷する手紙を投函する等の行為

が認められた事案において、

これらの迷惑行為は、被告が事実に反する思い込みから行っているもので正当化すべき理由はなく、複数回の警告も受けていることから、被告の迷惑行為は無催告解除事由の「共同生活の秩序を乱す行為があったとき」に該当する

として賃貸人からの建物明渡請求を認めています。

 東京高判平26.4.9LLI/DB判例秘書登載も、

「控訴人は、近隣住民等に対して迷惑行為を行い、これについて被控訴人から再三口頭で注意を受け、更にこれが特約違反となり解除事由となると書面によって指摘されても、近隣住民等に対する迷惑行為を繰り返しており、また、これにより生じた近隣住民等との間のトラブルに対して近隣住民等からの申出による話合いもしていない。これらのことに加え、控訴人の度重なる迷惑行為によって近隣住民等には耐え難い深刻な事態となり、近隣住民等が警察及び区役所に対する本件要望書に連名で押印の上で提出するに至っていること、さらに、控訴人は本件建物の隣室の入居者に対しても迷惑行為を行ったばかりか粗野な行動をとって不快の感を抱かせ,ひいてはこれに耐えかねた同入居者が被控訴人との間の賃貸借契約を解約して退去するに至り、賃貸人である被控訴人に対して同室の長期間の賃料の受領不能及び同室の新入居者を決めるための同室の賃料の減額という経済的損失まで与えていること、控訴人は本件訴訟の係属中にされた本件解除の後においても同室に入居した者に対して同様の迷惑行為を行い、同入居者から賃貸人である被控訴人に対して苦情の申入れがされている。」
「以上によれば、控訴人が当審において主張する、控訴人が15年ほど前に統合失調症の診断を受けたことがあり、それ以後は睡眠導入剤の服用が欠かせない生活をしており、就労する機会がなく、本件建物の入居当時から現在まで一貫して生活保護を受け、現在も本件建物の賃料相当額に係る住宅扶助を受けて被控訴人に対して支払っていること(証拠・略)等の事情を斟酌しても、本件賃貸借契約の基礎となる賃貸人である被控訴人と賃借人である控訴人との間の信頼関係は、本件特約が定める禁止行為に該当すると認められ、本件特約に違反する控訴人による上記説示の近隣住民等に対する度重なる迷惑行為によって著しく損なわれ、完全に破壊されており、その回復の見込みはないといわざるを得ない。」

と迷惑行為による契約解除、建物明渡請求を認めています。

 東京地判平20.2.15LLI/DB判例秘書登載も、

「被告が本件建物の近隣において『近隣の迷惑になる行為』を繰り返し行い、止めるように言われてもこれを継続したことは明らかであり、これが賃貸人と賃借人の間の信頼関係を著しく破壊するものであることもまた明白であるから、原告による本件賃貸借契約の解除は有効である。」

と立小便を繰り返した賃借人に対する契約解除、建物明渡請求を認めています。

 記事には、

「トラブルメーカーの入居者が住みついて、追い出すことができず、苦労をしている大家は少なくない。」

とありますが、もし、そうなら弁護士に紹介すれば良いと思います。迷惑行為を録音や写真撮影で証拠化さえしておけば、それほど難しい裁判ではないため、力になってくれる弁護士は幾らでもいるだろうと思います。

5.法改正の議論をしたいのであれば現行法の解釈を踏まえることが重要

 元々、現行法下でも、定期建物賃貸借といって、一定の要件のもと、

「契約の更新がないこととする旨を定めることができる」

賃貸借契約の類型が認められています(借地借家法38条1項)。

 住居にしてもオフィスにしても、短期間で出て行かなければならない契約は賃借人から嫌がられ、買いたたかれるだろうなとは思いますが、更新を避けたい賃貸人に使える制度も用意されています。

 法改正を主張するのは別段構いはしないのですが、主張する前には、それが現行法下で対処できない問題なのかを慎重に検討してからにした方がよいと思います。

 法律実務家や立法担当者が認識を誤ることは先ずないにしても、一般の方が法改正されない限り救済されない問題だと誤解する可能性があるからです。

 本件に関して言うと、度を越えた迷惑行為をする賃借人・入居者を追い出すのに立退料なんか払う必要はありません。現行法下でも十分対処可能なので、お困りの方がおられましたら、ぜひ、ご相談ください。

 

詐欺業者・悪徳業者に携帯電話を貸したレンタル業者の法的責任

1.詐欺業者・悪徳業者への責任追及の困難性

 一般論として、詐欺業者・悪徳業者(以下「悪徳業者等」といいます)への責任追及は、それほど簡単ではありません。

 それは法解釈上・法制度上の問題というよりも、むしろ、相手方を特定したり、特定した相手方から金銭を回収したりすることが難しいことに原因があります。

 悪徳業者等も決して馬鹿ではありません。身元の特定に繋がるような情報は、できるだけ被害者には渡さないようにして、捕まらないように注意するのが普通です。

 また、悪徳業者等の身元を特定できたとしても、そのころには奪われたお金が全て使われた後だったということも珍しくありません。

 そのため、詐欺や悪徳商法の被害者から被害回復の相談を受ける弁護士には、悪徳業者等に協力した業者に対する責任追及ができないかという発想が生じます。

 具体的には、悪徳業者等に、事務所を貸したり、携帯電話を貸したりしていた事業者に対して、責任を問えないかを考えることになります。

 この問題について、近時の判例集に注目すべき裁判例が掲載されていました。

 仙台高裁平30.11.22判例時報2412-29です。

2.デート商法詐欺の加害者に携帯電話を貸した業者への責任追及

 この事件で原告・控訴人になったのは、デート商法詐欺の被害者の方です。

 平成27年9月ころ、実在しないA株式会社を名乗る者から、

「女性とのデート等の希望に対応することで金銭が得られる」

と嘘を言われました。

 そして、そのためにはA社への供託金の支払いや、女性との独占契約金の支払いが必要であるなどと説明を受け、合計579万9000円をだまし取られました。

 一連の詐欺行為に使われたのが、被告・被控訴人が貸与した携帯電話です。

 原告・控訴人は、共同不法行為の成立を主張して、被告・被控訴人に対し、損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 裁判所は次のとおり判示し、レンタル業者である被告・被控訴人に対し、詐欺による被害金579万9000円を含む損害賠償の支払いを命じました。

「被控訴人Y2は、携帯電話、とりわけ『〇三』や『〇一二〇』で始まる番号で都内の事務所を仮装できる転送サービス付きの携帯電話が、電話を利用した詐欺等の犯罪に悪用される事例が多くあり、携帯電話のレンタル業を営むには、このような携帯電話を悪用する犯罪防止の観点から、法規制により貸与時本人確認等の悪用防止策が講じられていることを十分に認識しながら、被控訴人会社を設立して携帯電話のレンタル業を始めた。」

「しかも、被控訴人Y2は、被控訴人会社がレンタルした携帯電話が実際に犯罪に悪用されていることを警察からの指摘を受けて知りながら、契約の態様としては、被控訴人Y2の供述を信用したとしても、被控訴人会社の事務所ではなく、公園でBと会い、支払履歴などの物的証拠が残りにくい現金払いによるものとし、かつ領収証は交付しないこととした上、具体的な使用目的も確認しないで、約四箇月の間に合計一〇台もの電話転送サービス付き携帯電話を貸与した。」

「このような事実関係に照らせば、被控訴人Y2は、Bに貸与した携帯電話が本件で控訴人が被害を受けた電話勧誘によるデート商法詐欺を含む詐欺等の犯罪行為に悪用される可能性が極めて高いことを具体的に認識しながら、そのような犯罪行為を助ける結果が生じてもやむを得ないものと少なくとも未必的に認容した上で、被控訴人会社からBに貸与したものと認めるのが相当である。」

「したがって、被控訴人らには、控訴人が被害を受けた・・・詐欺被害について、そのような詐欺行為を助け、詐欺による被害が生ずることについて、包括的かつ未必的な故意があったと認めるのが相当である。なお、仮に、故意がなかったとしても、上記認定判断によれば、被控訴人らには、上記詐欺被害が生ずることについて具体的な予見可能性があったということができ、それにもかかわらず携帯電話を貸与したことには過失があるといいうべきである。」

「そうすると、被控訴人らは、・・・控訴人が前記詐欺行為によって被った損害を連帯して賠償すべき義務がある。」

3.レンタル業者の故意・過失を問える事案は限定されてはくるだろうが・・・

 レンタル業者に責任を問うために最も問題になるのが、「犯罪に使われるものだとは知らなかった。」という言い分を排斥できるかです。

 本件は極めて杜撰な本人確認、非常に怪しい契約態様がとられていたことからレンタル業者に未必的故意や過失を認定することができ、それが被害者の請求を認容することへと繋がりました。

 レンタル業者への責任を問える事案は、ある程度限定されてくるとは思いますが、こうした裁判例は、無責任な事業活動に対する警鐘となるとともに、被害者救済に資するものであり、実務的な価値は大きいのではないかと思います。

 本件のように直接的な加害者の身元の特定はできなくても、被害回復の可能性を切り開ける事案はあるだろうと思います。

 お困りの方がおられましたら、ぜひ、一度ご相談ください。

 

法を無視する会社には、手帳の●印で残業代を請求できることもある

1.労働時間を管理する責任を放棄している会社ほど残業代請求を受けにくい?

 任意の支払いを拒否する使用者に対して残業代(割増賃金)の支払いを請求する場合、法的措置を取らざるを得ません。

 しかし、残業代を請求するにあたっては、労働者の側で労働時間を特定し、主張・立証して行かなければなりません。

 訴訟実務においては、

「時間外・休日労働をしたことは、割増賃金請求訴訟の請求原因事実であり、原告である労働者において主張立証責任を負う。具体的には、原告は、割増賃金請求期間の1日ごとに始業時刻・終業時刻を主張したうえで、そのうち法定時間外労働時間、法内時間外労働時間、深夜労働時間、休日労働時間を特定して主張する必要がある。」

という考えが採用されているからです(山川隆一ほか編著『労働関係訴訟Ⅰ 最新裁判実務体系7』〔青林書院、初版、平30〕425頁参照)。

 使用者にはタイムカードによる記録等の客観的方法で労働時間を管理する義務があります(労働安全衛生法66条の8の3、労働安全衛生規則52条の7の3)。

 労働安全衛生法66条の8の3は平成30年7月6日公布の働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律で整備された条文ですが、この条文ができる以前からも労働時間を管理する責務はあるとされていました。

 その趣旨は、厚生労働省が公表している

「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置 に関するガイドライン」

に記載されているとおりです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/roudouzikan/070614-2.html

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000149439.pdf

 法令順守にある程度の意識を払っている会社に対しては、タイムカード等の労働時間管理のための資料の開示を受けることにより、残業代を請求するための主張・立証を組み立てて行くことが可能です。

 しかし、順法意識のない会社では、根拠の良く分からないマイルール(年俸制の労働者には残業代を支払う必要はないし、労働時間を管理する必要もないなど)のもと、全く労働時間の管理がされていないことがあります。

 こうした会社に対する残業代請求は、労働時間を特定する手がかりとなる資料がないため、行き詰まってしまうこともあります。

 ここに、法無視の態度が著しい会社ほど、残業代の請求が難しくなるという逆転現象の余地が生じることになります。

2.手帳による立証

 もちろん、逃げ得を許さないため、これまでも様々な立証方法が考えられてきました。前掲の書籍にも、

「①職場のパソコンのメールやシャットダウン時間の履歴、②労働者作成の業務日報や手帳等、③業務報告書のファクシミリ送信日時の記録、④警備会社の鍵授受簿などが考えられる。トラック等の運転手の時間外手当が問題になるようなケースでは、休憩時間の関係でタコメーターが証拠として提出されることもある。」(前掲書籍426頁)

と種々の立証上の工夫が言及されています。

 パソコンの履歴などの客観的な資料や、労働者が作成するものであったとしても使用者側で管理されている業務日報に関しては、比較的高い証拠価値を期待できます。

 しかし、手帳に基づいて労働時間を主張し、その通りの認定が得られる事案は、決して多くはないのではないかと思います。手帳をもとに主張、立証を組み立てようとしても、会社側から何等かの客観証拠との矛盾を突き付けられ、全体としての信用性を減殺されてしまう例は少なくないように思います(時折、「手帳も証拠になります」という議論を見かけますが、「なるにしても証拠提出の可否と立証の成否は全く別の問題で、手帳での立証なんて、そんなに簡単に認められているわけではないのでは?」と思います)。

 こうした状況のもと、手帳の●印をもとに労働時間の認定をした裁判例が公表されていました。東京地判平31.1.25労働判例ジャーナル89-56ディートライ・プラス事件LEX/DB25562976です。手帳での立証が比較的簡単に認められてしまっていたので、目を引かれました。

3.ディートライ・プラス事件

 この事件の原告は、コマーシャル映像の企画、制作等を業とする会社です。

 被告になったのは原告会社でプロデューサーとして働いていた方です。

 原告が退職後の被告に対してCM制作に関して支払った仮払金の返還を求めたところ、逆に被告から残業代を請求する反訴を起こされたという経過をたどっています。

 原告は被告の労働時間管理を何ら行っておらず、被告は手帳に記された●印の記載などをもとに労働時間に関する主張、立証を行いました。

 この事件で、裁判所は次のとおり判示し、手帳に基づく労働時間の立証を認めました。

「割増賃金請求訴訟において、時間外労働等を行ったこと(実労働時間)については、割増賃金を請求する労働者において主張立証すべきであるが、他方で、労働基準法(以下『労基法』という。)が時間外、深夜、休日労働について厳格な規制を行い、使用者に労働時間を管理する責務を負わせているものと解されることからすれば、割増賃金請求訴訟においては、上記のとおり労働時間を管理すべき責務を負う使用者が適切に否認の理由を主張し、あるいは間接反証を行うことも期待されているというべきであり、使用者が適切にその責務を果たしているとすれば容易に主張ないし間接反証することができるはずの労働時間管理に関する否認の理由の主張をせず、あるいは資料を提出しない場合には、公平の観点に照らし、労働者の労働実態に即した適切な推計方法を用いて実労働時間の算定を行うことも許されるものと解するのが相当である。」

「本件では、上記認定事実のとおり、原告会社が被告Bの労務管理を何ら行っていないから、そもそも原告会社が使用者として労基法上求められる労働時間管理の責務を何ら果たしていない。そして、上記認定事実によれば、被告Bの業務内容は、CM制作に係るプロデューサーであって上記認定事実のとおり相当の作業量を要する業務であるから、業務に要する時間も相当にのぼるものと推認されるところ、このことは、本件手帳に記載されている業務内容及び自衛のために記載していたと説明する時間軸上に記載された●印等によって認められる時刻と整合的である上、この時刻と、原告会社の業務に関連して作成されていた本件管理表のうち被告Bが最終退出者として記載したものと認められる記載に係る最終退室時間とも整合的である。そうすると、終業時刻については、証拠の客観的な信用性をも踏まえ、本件管理表に記載のあるものについてはその時刻を、本件管理表に記載がないものについては本件手帳記載の時刻を終業時刻と解するのが相当である(なお、上記のとおりの被告Bの業務内容に照らすと、いずれの証拠からも終業時刻が明らかでないものについては、少なくとも本件雇用契約で定められた所定労働時間に係る終業時刻までは勤務していたものと推計するのが相当である。)。また、上記認定事実のとおり、被告Bは毎週月曜日にはP会に参加するため午前9時半までには出社しており、それ以外の日にも午前10時までには出社していたものと認められる。この点、本件手帳には、出社時刻に関する印等の記載は基本的にないものの、上記認定が、上記認定事実のとおりの被告Bの業務状況や、本件管理表のうち、被告Bが最初入室者として記載したものと認められる記載に係る最初入室時間及び月曜日の最初入室時間の記載とも整合的であることからすれば、被告Bの労働実態に即するものと解される。したがって、本件手帳又は本件管理表の記載内容から上記時刻とは異なる時刻に業務を開始したことが明らかな場合を除き、毎週月曜日の始業時刻を午前9時半、それ以外の日の始業時刻を午前10時と推計するのが相当である。」

4.労働時間管理義務が懈怠されている場合、かなりラフな立証も許される場合がある

 文中で指摘されている

「本件管理表」

は、

「プライバシーマーク取得事業者として求められる安全管理措置のため、最初入室者、最終退室者の名前及び当該時刻」

を記録していた表を指しています。

 裏付けとなる資料が本件管理表程度しかない中で、「自衛のために記載していた」という手帳の●印をもとに労働時間を認定したのは、ずいぶんとラフな認定だなという印象は受けます。

 しかし、このようなラフな認定がなされたのは、労働時間管理を全くしていないという会社側の法無視の態度が著しかったのが原因ではないかと思います。

 裁判所としても、法無視の態度が著しく、労働時間に関する記録がない会社ほど立証の壁によって得をするといったような逆転現象は許したくなかったのではないかと推察されます。

 会社側の法無視の態度が著しかったがゆえに労働時間を特定する手がかりがない、そういう方も、必ずしも残業代請求を諦める必要はありません。

 公平の観点から、立証の壁には調整が図られる余地があります。諦める前に一度弁護士のもとに相談に行ってもよいのではないかと思います。

 

「私はあなたのことを全く信用していない」「給料を下げて下さいと言え」「嫌なら辞めろ」等々、パワハラとなる言動の例

1.職場のパワーハラスメント

 職場のパワーハラスメントとは、

「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」

を言います。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000126546.html

 上記の定義に該当するパワーハラスメントには幾つかの類型があります。

 その中の一つに、

「精神的な攻撃  脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言

という類型があります。

 この「ひどい暴言」に、どのようなものが該当するのかについて質問を受けることがあります。

 確かに、一般の方にとっては、抽象的に「ひどい暴言」と言われても、どういうものが該当するのかのイメージがつきにくいかも知れません。

 近時、「ひどい暴言」の見本市ともいえるようなパワハラが問題になった裁判例が、公刊物に掲載されていました。

 福岡地判平31.4.15労働経済判例速報2385-18キムラフーズ事件です。

2.キムラフーズ事件-パワハラに該当する言動

 この事件で原告になったのは、甘納豆や棒ジュースの製造販売等を営む株式会社の従業員の方です。幾つかある争点の一つがパワハラで、被告代表者のしたことが不法行為・人格権侵害を構成するかが問題となりました。

 裁判所は次のとおり判示して、被告代表者の行為に違法性を認めました。

〔暴行〕

「原告の主張する被告代表者のパワハラ行為のうち、

平成28年11月11日の原告のミスを怒鳴って、肘で原告の胸を突いた行為・・・、

平成29年1月6日の原告の背中を叩いた行為・・・、

同月31日の原告の背中を叩いた行為・・・

はいずれも原告の身体に対する暴行であり、前期認定によれば、被告代表者がこれらの行為に及ぶ必要性があったとは認められないから、原告に対する違法な攻撃として、不法行為に該当する。」

〔発言や言動〕

「被告代表者の発言や言動のうち・・・

『私はあなたのことを全く信用していない』、『給料に見合う仕事ができていないと判断したら給料を減額する』、『私を無視し続けるということは、会社をないがしろにしていると判断して、あなたを解雇することもできる。』等の発言、・・・

『遅い、急げ、給料を下げるぞ!』と怒鳴るなどした行為、・・・

『給料分の仕事をしていない』旨告げて、このままの状態が続けば給料を下げる旨告げた行為、・・・

原告に対して役に立たないと言って、芋切りをするよう怒鳴るなどした行為、・・・

作業現場において『いつまでたっても進歩がない。いよいよできなければ辞めてもらうしかない。』と怒鳴った行為、・・・

原告にベテラン従業員の作業を記帳するよう指示し、記帳したとおりの作業ができなければ辞めてもらう旨告げた行為、・・・

不手際を謝罪した原告に対する『27万の給料を貰っている者の仕事ではない』『これが裁判までやって給料を守った者の仕事か』『給料を下げて下さいと言え』『もうこの仕事はできませんと言え。そうすればお前をクビにして新しい人間を雇う。』等の発言・・・、

金時豆が黒くなった件について『蜜の代金をお前が払え、始末書も書け。』と怒鳴った行為、・・・

『教えてもらっていないから分からない、私の責任ではないというのは向上心がない。女より悪い。女の従業員もそんな言い訳はしない。』等の発言・・・

平成29年1月31日に原告の背中を叩いた際に、叩かないで欲しい旨言った原告に対し、嫌なら辞めろと言ったり、・・・、他の従業員の面前で、原告は嘘をついているので背中を殴られて当然である旨や今後も作業が遅いなら給料を減額する旨言ったりした・・・行為、

給与の減額を告げた際の『私とあなたのゲームのようなものだ。ずっと続ける、裁判でも何でもどうぞ。』の発言・・・

他の従業員の前で原告に対し『遅い、アルバイトの作業と違うだろ』等と怒鳴ったりした行為・・・

原告を指導していた自見に対し、原告にはトイレ休憩以外は休憩をとらせないように指示したりした行為

については、もはや業務指導の範囲を超えて、原告の名誉感情を害する侮辱的な言辞や威圧的な言動を繰り返したものといわざるを得ず、原告の人格権を侵害する不法行為に当たるというべきである。」

「また、被告の従業員自見が、原告に対し、

『作業は1回しか教えない、社長に言われている』と発言したり・・・

被告代表者から、お前は休んでいいが、原告は休ませるなと言われている旨・・・や原告は給料が高いから厳しく教えろ、途中の休憩はとらせるなと言われている旨等・・・告げた事実

についても、被告代表者による上記トイレ休憩をとらせないよう言った指示と相俟って原告の人格権を侵害する行為といえ、不法行為に当たるというべきである。」

3.上述のような言葉はパワハラに該当する可能性がある

 暴行は論外としても、発言には前後の脈絡があり、上記のような文言を発することが、直ちに違法性ありと判断されるわけではないと思います。

 しかし、経緯によっては裁判所でも違法だと認定される可能性のある酷い言葉であるというところまでは、言っても不正確にはならないだろうと思っています。

 慰謝料額について、裁判所は、

「原告の身体的及び精神的苦痛に対する慰謝料額は50万円が相当である。」

と判示しました。

 パワハラの慰謝料額は伸びにくいのが一般ですが、人格権侵害の問題に関しては、金額の多寡は大きな問題ではないと捉える人も、結構いるように思われます。

 上述のような心ない言葉を浴びせられて、もう我慢の限界だ、そういう思いに駆られた方は、弁護士と相談のうえ、法的措置を真剣に検討してみても良いだろうと思います。